少年と老人
彼女に案内されつつ森を進み、無事町の入口に到着することができた。二人で大きな門をくぐり抜けると、ルナはくるりとその場で一回転してこちらに向き直り、
「ようこそ、わたしの町へ」
笑顔でそう言った。
ここが、彼女の住まう町か。
森を抜けた先――つまりここからはその姿を一望することはできないが、全体的に白く、それでいてひっそりとしている印象を感じ取れる。
ふと、中央にそびえる大きな時計塔が目に留まる。今まであのようなものは見たこともなかったため、珍しいと素直に思った。
「さあ、いこうか」
彼女の言葉で、僕らは再び歩みを始めた。そして噴水の出る広場を抜け、一段と閑静な宿屋通りを歩いた。
街の雰囲気はやはりどこも静かで、とても活気に満ち溢れているとは言い難かった。すれ違う人々も多くはなく、どうやら町民は多くないようだ。
と、急にルナが立ち止まった。あたりに目移りしていたせいで、自分は彼女の背中にぶつかってしまった。
「着いたわ」
「っ・・・ここが?」
木造の古い建物を指差して、ルナは振り返った。
ここが、彼女から事前に聞いていた宿屋である。
「ええ。私の住んでいた場所。話をつけてくるから少し待っていて」
「わかった」
彼女は建物の中へ入っていく。その動きは遠慮なく慣れた様子で、彼女がやはりここで暮らしていたという事実が伺えた。
考え事もする間もなく、ルナは宿屋から出てきた。
「話してきたわ。じゃあ・・・約束の時間までゆっくりしていて」
「ああ、悪いな」
そこで彼女と一旦別れる。軽く会釈してから、彼女は東側――教会の方へ向かっていった。
さてと。宿屋の入口に立って、その扉を開く。ドアは思いのほか重かった。
頭上のベルが来客を知らせる。
「いらっしゃい」
灯りを灯したカウンターには、店主の男性がいた。
「はいどうぞ。彼女の友人だってね。狭いがゆっくりして行ってくれ」
友人という話にしてあるのか。それはさておき主は落ち着いた、少し痩せた初老の男性だ。
「ありがとう」
彼に鍵を渡され礼を言い、軽く会釈をして、それから二階へと上がった。部屋番号は6番室だ。階段を上がると真っ直ぐな廊下になっていて、六号室は奥から二番目にあった。
ドアを開いてみる。室内には机と椅子、それと簡単なベッドが置かれていた。それと、外部から持ち込まれた棚がひとつ。
机の上の蝋燭は新品のようである。
全体的に質素な雰囲気で、薄暗いが汚くはない。
部屋の中に入って机に手を置いた。思いのほか手入れはされているらしく、埃はかぶっていない。小さな宿屋で、このように手入れが行き届いているのは珍しい。大抵は適当に掃除した程度で、とても客から金を取れる場所ではない、そういうケースが多々あった。 だからここは新鮮に感じる。窓を開けて空気を入れる。光はあまり差し込まない。下を覗き込むと、狭い裏路地が見えた。
なるほど。彼女が住んでいた理由もここにあるわけか。ここへ至る道中に、ルナ本人に彼女の事について少し聞いた。
どうやら彼女は生まれつき日の光に弱いらしい。黒い衣装もそれが関係しているということだそうだ。確かにここなら、カーテンなしにある程度陽の光を防げる。彼女にとっては快適かもしれない。
さて、とりあえずまずは着替えることにする。装備を外し、ベッドの下の脇に並べて置いた。それから体を布巾で拭いて、水気を取った。髪も水気を拭き取り、少し乾かした。
さて。
「これが・・・」
手にとった一着をみて、思わず苦笑した。
服は持っていなかったので、仕方なく彼女のお古を借りることになっていた。それがてっきり黒めの服かと思いきや、白い服だったので意外に思ったのだ。それに加えて、思いのほか・・・女性らしかった。
それを着ている自分を想像してみた。
――思わず紅潮している自分がいた。慌てて首を振ってみせる。
「これは・・・だめだ」
服は収納棚に入っている。
(着られるもの、あるかな・・・)
仕方がないので全て調べて、一番中性的なものを選んで着てみることにした。
女物ということで気が引けるが、鎧のままで歩くのはいろいろと面倒くさいので、妥協する。
まだ若干濡れているし。鎧に目をやりながら心中でうめいた。
それにしても、妙な気分だ。彼女の着たものを今自分が着ているなんて・・・・・・。兄弟がいれば、こういうこともあったのだろうな。
いや、いたのだが。
バッグなどの装備品を棚の裏に置いて、所持金の入った小さめのウェストポーチと、大切な剣を装備した。防具は窓を少し開けて、そのそばに置いておいた。換気すれば乾くだろう。
「さて」
ひとまず別行動となったわけだが。待ち合わせは12の刻、昼時と約束した。現在は10時なのであと二時間ほど余裕がある。
それまで適当に町の中を見て回ることにしよう。扉を閉めて鍵をかけ、宿主に会釈をしてから町へ出かけた。
「・・・ぉ」
小さく声を上げる。
宿屋通りの裏路地を抜けると、早速何人かが屋外で店を構えていた。雨よけの簡単な屋根のついた出店だ。
ちらりと中を物色すると、木を彫って作ったアクセサリーなどが置いてあった。
どうやら皆装飾品を扱っているらしい。
(ふーん・・・ふむ)
しかしどこの店も似たり寄ったりで、興味はそれほどわかない。そのためせいぜい横目に見るのみで、冷やかしすらしなかった。
ちなみにポーチの中身だが、追い剥ぎをされた時を考慮して貨幣はそんなに入れていない。食事と、小さな買い物を済ませられるくらいは持ってきているが。残りは宿屋に置いてきている。鍵を掛けてはいるが、一応目立たぬ場所に隠しておいた。あの主がくすねるとは考えにくいけども、念のためだ。
だが例外として、剣だけは肌身離さず持っている。これは母の形見なのだ。
そんなことよりも、次だ。次はどこへ行こうか。
あまり遠くへは行かないほうがいい。待ち合わせの場所を見失ってしまう。この近辺で何か面白そうなところはないだろうか。
ふと時計塔に目をやる。時計塔は石と木で作られているようで、白一色に塗られていた。蒼空にそびえ立つそれは、まるで名のある絵画の一部のような風情を感じさせる。
(あそこを目印にすれば位置関係を探れるな・・・)
そんな事を考えているうち、あそこへ向かってみたい衝動に駆られた。完全に、観光という気分が前面に出たのだ。
それに、だ。
年相応の好奇心を、今は隠す必要もない。
「行ってみるか」
旅で疲れた心を癒すのも時には必要だ。
とりあえず、あの下へ向かうことにした。駆けはしない。ただ、若干の早足でそこへ向かっていった。大きくはない、しめやかな小さな街であるが、地面はきちんと石畳で舗装され、衆道を左右で挟んだ木々たちの随所にも手入れが行き届いている。
喧騒が苦手な自分にとっては、悪くないところだ。
程なくして時計塔の下に到着した。
時計塔の下は上とは色が異なっていて、グレーの色合いで塗られていた。しかし、やはりここも静かで、あたりに誰かがいるということはない。ただ、なんとなく人がいる気配は感じるのだが。
ふむ。
「すみません、誰かいますか」
返事はない。とりあえず、石造りの外壁をぐるりと一周してみる。
すると、入口とみられる扉を見つけた。同一色で塗られているので非常に見分けがつきにくいが。
さて、少しばかりの好奇心は今、自分にある行動を起こさせようと手元を前方へと動かしているわけだ。
(まあいいか)
観光だと思えばいい。少しためらいがちにそこを開けると、ひんやりとした空気がこちらへ流れてきた。それと同刻、内に閉じ込められていた機械音が外へ溢れ出す。機械仕掛けの時計が稼働する音だ。
室内を覗き込むと、暗がりの中に上へと続く階段を見つけた。
「誰だい!」
背後から声がして、直ぐに振り返った。
そこには小柄な老人――おばあさんがいた。
「申し訳ない。ここが気になったんだ」
謝ると、お婆さんは腕組をしてため息をつく。
彼女は、おおよそ六十代と伺えた。顔には皺が多いが、パーツの並びが綺麗で、美人であった面影がある。腰が曲がっていて身長は低く見えているが、多分昔は今の自分よりは、背が高かったのだろうと思う。
「全く、ここに入ってくる奴なんて久しぶりだよ。よほど物珍しかったのかね・・・子供でもあるまいに」
「もしかして僕の歳が・・・?」
「ふふ。せいぜい十五、六ってところかね」
あたりだ。きっと自分は図星という顔をしただろう。
「ほう、そうかい。ほほ。ま、若いね」
今までは大体十三才以下と捉えられてばかりいた。それだけあって、これには素直に感心した。老人の目は大抵悪いが、ある意味で良いらしい。
まあ、適当に応えたこともありえるだろうが。
「あんた、旅人かい?」
むしろ、こちらの発言に驚いた。
「そうだけど、どうして分かるんだ?」
「なんとなくね……随分と小さいようだが、冒険者のようだね。目的を持って生きている、そんな目をしているよ」
直感的で、それでいて具体的な感想だ。
そして、だいたい当たっている。
「まあ、あたりだ。僕はヴァン。今、とある龍を探している。この町には、そいつについての情報があると知ってやって来た。」
「龍?龍ってドラゴンのことかい、飛竜ではなく」
「ああ。そいつを見つけて討つ。それが僕の目的なんだ」
老人は笑いもしなかった。表情には否定も肯定も浮かんでいない。
「それで、あん――あなたも、何か知っていることはないか?」
老人は返答にしばし時間を要した。
「……さあね。あたしはあいにく専門外さ。それに龍って言っても、色々いるだろう?具体的な特徴を言ってくれないとね」
「特徴か・・・僕も覚えていればいいんだが。どうしても思い出せない。見ていたはずなんだけど・・・」
甲高い咆哮と、地響き。鮮血に塗れた、刺のような鱗を纏った、煤けた漆黒の巨体。思い出せるのはこれくらいで、しかもそれさえも曖昧だった。
それだけなのに――それを思い出すたびに、気分が悪くなる。
「やめな。思い出したくないこともあるもんさ」
ヴァンの顔色を伺ってか、老人は言葉をはさんだ。
「まあ、私じゃなんにも力になれそうもないね。・・・ふむ、教会に頭のいい奴がいるから、あの子なら知っているかもしれないけども・・・」
「それは、ルナ・ルーク?」
「ほう、あの子と知り合いかい」
お婆さんは目を丸くした。修道服で行動していたら大体、教会と関連があると。自称、「思慮の薄い」ヴァンでもそれくらい判る。
「ついさっき、危ないところを助けてもらったばかりなんだ」
「そうかい。それは良かったね。あの子、世話焼きなんだよ。教会で、進んで自分から子供たちの世話もしてるせいかねぇ」
(そうなのか)
どうやらあの善人らしさ素性らしい。ヴァンは頷いた。
「彼女には、その他にも宿屋を勧めてもらったり、いろいろ助けられているんだ」
「そうかい、きっとあんたも気に入られているんだね。ならきっと力を貸してくれるはずさ」
「でも、多分同世代だ。僕の目的をどう捉えているのか・・・」
「心配しなさるな――あの子は賢い。賢いししたたかだ。あのなりだから偏見の的だけど、たくましく生きてる。あんたも同じもんだろう?助け合いな」
ちらりと龍血の証である群青に視線をやりながら、老人は促すような言葉をかけた。
「まあ、つまらん話につき合わせちまったね。もう行きな。約束があるんだろ」
「いや、そんなことはなかった。色々知れた。ありがとう」
ヴァンは会釈する。そして扉の方へ向かっていく。扉に手をかけ、陽光が差し込むと、光は彼の半身を照らして、反対側に濃い影を落とした。
「そうそう。名乗り忘れていたけど、私はシルファ。縁があればまた会うだろうさ。ヴァン・グリセルーク」
「ああ元気で、シルファ」
扉を閉めるヴァンにシルファは会釈した。そして再び時計塔の階段を上る。年をとると足腰が弱って困るものだ。頂きに腰を据え、再び街を見下ろした。
似ていた。瞳がそっくりだ。シルファは彼の姿を思い起こしつつ、昔と今を重ねていた。
「あの子も……そうなのかね」
小さく呟く。
そして、小さな背中の少年の未来に、ささやかな幸運が訪れる事を願った。