ドラゴン・バラッド-龍血の龍討者-   作:雪国裕

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彼方からの手紙

 ヴァンがギルドに謁見を願い立ててから数日が経ち、龍対策部隊から彼のもとに返事が来た。

 内容はこうだった。

 本部との接触は出来かねるものの、実働部隊と話をすることはできる、とのことらしい。そこから場合によっては、上層部へ掛け合うという手筈だという。詳しい話を聞く所によると、驚いたことに部隊長直々にヴァンへ話があるとのことだった。指定日の午後6時、ギルドのある場所に来るようにと説明された。

 

 

「お、おかえり!」

 彼女はどこか慌てた様子でそう言った。ルナの視線の先にはヴァンがいる。彼はやや浮かない表情をしていた。

「ああ。ブルースケイルの調整を頼んだが…まだ時間がかかりそうだ」

 ヴァンは倉庫に預けていた鎧を受け取って、武具屋へと足を運んでいた。成人男性用としてはやや小ぶりな鎧ではあるが、それでもまだヴァンにとっては大きい。全ての部位を装着できるよう、鎧の遊び部分の調整をしてもらう必要があった。

「そう。やっぱり難しいの?」

 ルナはこのことについてやや心配しているようだった。それもその筈。いくら特殊な性質を持ち体と密着するからといって、隙間があれば流血の被害を受けてしまう。調整しだいで戦闘自体が不可能にもなりかねない。

「そのようだな」

 しかし、ヴァンは余裕の表情で続けた。

「だがうまくいくはずだよ。寸法調整のために体中調べられたからな。あの鎧が異質なだけあって、今日中には終わらなかっただけだ。また後日、受け取る形になる。連絡はすぐにでも来るはずだ」

「そう。よかった」

 ルナは安堵した。もちろん、調整が上手く行くかどうかなど彼には判断できない。むしろうまくいってもらわないと困るという思いで、ハッタリを述べただけだ。

「まあそれはいいとして。ギルドから討伐許可が降りるかどうかだな…問題は」

 ヴァンは話題を変えた。

 後日、彼は討伐隊と交渉をすることとなっている。

 ギルドに所属する討伐隊・討龍士は、人々を脅かす龍を倒すことが目的とされる。あくまで、秩序や世界の理、そのバランスを取るのが使命なのだ。

 だから今回のように”動かない龍”には、討伐指令は下されないし、自ら進んで戦う事も許されない。繁殖力に富み、比較的個体数が多く絶滅の危険性にない翼竜や、ドラゴン目下、つまり下級竜の討伐なら別として、本物のドラゴンともなると部隊での行動は実質不可能に近い。

 ここ数年活動のない黒鉄の件で動くことはまずないだろう。ギルド――ひいては国からの討伐の許可ももちろん降りない。

 しかし、自分のような一個人ならば別だ。特例なのか、それとも勝てる見込みもないので放置しているのか…ともかく、部隊外からの討伐は許可されていた。

 ただし条件がある。討伐隊に”許可を取った”上で”明確な理由”を掲示し、受理されればという条件が。

 もし受理され、かつドラゴンを討つことが出来れば、国のお墨付きで報酬と勲章を得ることができる。平凡な一兵からのし上がった成功者も、この仕組みを利用しているといわれる。そしてヴァンもこの方法を取るつもりだった。

 流れとして龍を狩る、ということも考えたが、後々のことを考えた上では正式に討伐の許可を得ていたほうが無難だと思ったのが理由である。

 ヴァンはもちろん、ルナもギルドに認可される重罰に処されたことや、罪を犯したことはなかった。しかし、前回の件は未遂とはいえ、機関にお世話になってしまった。その点の不安が、幾らばかりヴァンにはあったのだ。そしてそれを、同じくルナも抱えていた。

「本当にごめんね…」

 意図せず示唆したそれが伝わってしまったのか、ルナは唐突に謝罪した。過去の出来事を払拭したとは言え彼女の中にはまだ、あの時の禍根があるようだ。ヴァンはそう思っていた。

「いや、それは何とかしてみせる。だからもう謝るのは、これで最後にしてくれ」

 ヴァンも、あまり引きずられてはお互いの為にもならないと思い、そう言った。彼女は頷くと首をかしげ、それから笑顔を見せた。そして、おもむろに荷物を持って、それからドアへ歩み寄っていった。

「少し、散歩してくるね」

 振り返り、彼女は言った。気分転換…というわけでもなさそうだ。

「こんな時間にか?気をつけろよ」

 ヴァンは了承し、彼女の後ろ姿に声をかけた。

「ありがと。でも心配ご無用よ」

 ルナは明るい声で言った。まあ確かに、一般人で彼女に敵うものはいないだろう。足早に立ち去るルナの姿を見送り、一人になったヴァンはベッドに倒れ込んだ。

 今日も何かと疲れる日だった。鎧の調整の為に長い時間拘束され、それから契約書を書かされた。帰りがけに長話をまあ、先ほどに至るまで交わしていた。

 それでも戦闘の緊張感からすればずっとましだが、それとは別の方向での疲れは出る。ヴァンは天井を仰ぎ見、その時ふと先日受け取った手紙のことを思い出した。後回しにしていたのをすっかり忘れていた、一通の封筒。彼はベッドから身を起こし、ポーチの中身から手紙をつまみ出すと、差出人の名義へ目を向けた。

 そこにはシルファと書かれていた。それは、ルナの住んでいた町にいた老人の名だった。

 今から二ヶ月ほど前になる。ルナと出会ってすぐ、時間を潰すために立ち寄った時計塔の上に彼女はいた。

 そこで、ヴァンは彼女と少しだけ話した。それは取り留めのないような内容だったが、ヴァンにとってはそれが強く、今も印象に残っている。こちらの心を見透かしているような、不思議なお婆さんだった。

 どうしてこの場所がわかったのだろう。あれから彼女には一切、連絡を入れてはいないはずだが。

 宛は丁寧な字で”ヴァン・グリセルーク”と書かれていた。彼は疑問を持ったまま、封筒を手早く開封し中身を取り出した。

 封はいとも簡単に開けられた。

 中には二つ折りの手紙が二枚、入っていた。直ぐに広げて、文面に目を通す。

 

『元気しているかな。私だよ。

 あんたたちが行き着く先をだいたい予想して手紙を出してみたけど…果たして届いているかな。

 ヴァン、お前さんに言っておかなければならないことがある。口頭で伝えられないのが残念だがね』

 

『私のことについて、書かせて欲しい』

 

 彼の瞳がせわしなく、文章に沿って動いていく。

 ――静かな時間が、幾分か過ぎた。読み終えた後彼は目をつむり、しばらくの間黙っていた。

 深く空気を吸い込む。そして長く息を吐いた。

 その手紙には、とある二人の悲しい真実が記されており、そして最後に彼に向けた戒めの言葉を告げていた。

 ヴァンは窓に近寄った。カーテンを開き、錠を外して窓を開けると、とたん穏やかな風が室内に舞い込んだ。群青色の髪の毛が、風に揺れる。

 外へ顔を出し、この街並みを一望した。日は暮れてしまったが、それでも都市は光に包まれている。店は夜でも開いているところがあるようだ。

 ぼんやりとその光景を眺め見ながら、彼は今まで考えもしなかった未来のことについて思いを巡らせた。

 

 ――この先、僕らはどうする?

 旅が終わったあと、彼女と別れたあと。

 自分はどう生きるべきか。彼女はどう生きるのか。

 

 

 ◇

 

 

 翌日の朝。ギルド経由で鎧の調整が終わったという知らせを受け、ヴァンはすぐさま武具屋へ足を運んだ。この時間の武具屋はがらんとしていて、自分以外に人はいなかった。ただ、もちろんここの従業員は除いているが。

「思ったより早く仕上がったな…」

 ヴァンの第一声を聞いて、武具屋の店員は満足そうに頷いた。店員は二十代の若者だったが、腕が良いらしくここの責任者を代理でやっているとのことであった。

「微調整だけだったんでね。でもまあ、興味深い内容だったから、受け取ってからいままでぶっ続けで仕上げてやった。もちろん、一睡もしてないし飯も食っていない」

「無茶するな全く」

 男の責任者とは思えないセリフに、ヴァンはため息をつくように言い、肩をすくめた。だがそれはただ単に呆れ、相手を軽蔑したからじゃない。よくやってくれたという意味合いが深かった。

「そりゃそうだ。こんな鎧…見たことがない」

 男はさぞ楽しそうに呟いた。

「早速装備してみてもいいか」

「ああもちろん」

 ヴァンが言うと、男は快く鎧を差し出した。一回り小ぶりとなり、すっきりした印象となったブルースケイルを、ヴァンは一部分ずつ装備していく。それを男は、隈の出来た目で興味津々に観察している。

「何度見てもやはり不思議だな。どうしてこの物体が人間に吸い付くんだろうな。しかもお前以外――ここの誰にも反応しないなんて」

 検証したのか。という驚きはさておき、この鎧が形を変えるさまは確かに不思議な光景だった。質量は一体どうなっているのか。誰にも説明できない光景がここにある。ヴァンは兜以外の全ての部位を着込み、男と向き合った。

「いい感じだ」

 彼の為にあると言っても過言ではないほどに、様になっている。上出来だと言わんばかりに、男は笑みを浮かべて自分の顎を手でさすった。

「そうか、よかった。だがお前、成長期だろ。もし寸法が変わったら直ぐに来いよ。お前の要件が終わった、そのあとでもいい。この際どんなものでも持って来い」

 俺はお前が気に入った!などと男は言った。

 彼は龍血を良く考えている人間だった。昔から物珍しいのが好きで、そういったたぐいのことに関して憧れがあったという。彼がデザインした武具もその趣がよく現れており、皆珍しい形状、性能を持っている。

 そんな男だからこそ、ヴァンは――決意した。

「…そうだな。その時は世話になるかも知れない」

「かもしれない?」

 含みのある言い回しに、やはり男は食いつく。

 それを確認して、ヴァンは口を開いた。

「今後、自分は戦士で居続けるのかどうか…わからないんだ。昨日、少しだけ未来のことについて考えて…わからなくなった」

 なぜこんなにも口走っているのだろう。相手は出会って数日の赤の他人だというのに。気に入ったと言われたからだろうか。とにかく彼は、曖昧にごまかしてでも、「あの話」を誰かに聞いて欲しかった。当事者である「彼女」を除いた、誰かに。

「そんなもの。直感と成り行きでいいんじゃないのか。未来なんて誰にも見えはしないよ」

 男はきょとんとした顔で、そう素っ気無く返答する。ヴァンは一瞬目を見開いた。男の言葉――それが当たり前の感想だ。何も驚くことはない。

「もし見えていたとしたら?」

 自分の知る限りの例外を含めて、ヴァンは発言した。男はそれに否定もせずに、

「納得できるように変えてみせる!」

 堂々とそう言い放った。

「しかしどうした?急にしみったれて…」

 ヴァンの様子を察したか、男は言う。

「いや、何でもないんだ。とにかく礼を言う。ありがとう」

 ヴァンはゆっくりと首を振り、礼を言った。

「これでようやく、戦える」

 何を悩んでいたのだろうか。この男の言うとおりだ。未来が見えることがあっても、変えられないわけじゃない。きっとそうだ。あの手紙の最後にも、そう書かれていたじゃないか。

 視線の先には、ブルースケイルのヘルムがある。それ見つめる彼の瞳は、澄んでいた。

 

 

 ◇

 

 

 同日の日暮れ時、約束の時間。彼はギルドへやってきた。

 個人での話という名目で謁見は行われるため、ルナは連れてはいけない。もちろんそのことは話してあるし、また了承済みだ。彼女には宿屋で待機してもらっている。

 ギルドの内部はこの時間においても未だに混み合っていて、ヴァンは相変わらず人ごみを縫いながら先へと進んだ。ヴァンがカウンターの近くに寄ると、係りの者が彼に気がついたのか直ぐに駆け寄ってくる。あらかじめ約束事のある自分がやってくることは知っているだろうし気がつくのは当たり前だろう。

 が、恐らくは容姿を頼りにして見つけたのだろう。

「あなたが、今日来られる龍血の方ですね?」

 案の定、男性はそう告げ彼を迎え入れた。それに対し、とくに癇に障ることはない。

「ええ。討伐隊長とお話をしに参りました」

 ヴァンが言うと、男性は後ろに下がった。それからしばらくして、彼と入れ替わりに女性が現れる。

「私が案内します。どうぞ、ついてきてください」

 無表情な女性は、口調もどこか冷たげだった。それからヴァンは、その女性に連れられて人気のない廊下を渡った。

 そして更に内部へ進み、この施設の裏側を見ることとなる。普段、組織員でなければ見ることもない。様々な物資があたりに鎮座しているこの場所は、おそらく倉庫だ。

 様々な用途があるだろう部屋を幾つも通り過ぎ、やがて彼は昇降機へと案内された。

 昇降機というものは、まだ技術的に動作に不安があったり維持に費用がかかったりで、採用している場所は少ない――滅多にお目にかかれない代物なのである。ヴァンはこれで二度目であるが、旅人でもなければ一生見ずに終えるものも多いだろう。この昇降機はやや華やかさはあるが、所詮は鉄格子に囲まれた箱、という印象が強い。安全性を考慮した上の構造なのだろう。

「さあ、あなたもどうぞ」

 先に乗った女性に声をかけられる。少々不安もあるが、ヴァンも昇降機に乗った。小さな衝撃の後、鈍い金属音とともに昇降機は動き出す。思いのほか揺れはせず、快適だった。

 昇降機が動きを止め、女性に促されるまま通路を歩く。

「ここからは、あなた一人で」

 とある一室の前で振り返り、女性は言った。どうやらこの部屋が目的地らしい。意外にも質素な扉にヴァンは驚いた。当然、もっときらびやかなものだと思っていたからである。

「はい。ここまでありがとう」

 ヴァンが礼を言うと、女性はここまで始終冷たい表情だったが、この時ばかりは微笑んでくれた。

「健闘を祈っています」

 彼女はそう言い残し、静かに場を去る。

 さて。

 ヴァンは一呼吸おいて扉をノックした。中からは返事はないが、彼は問答無用で扉を開く。すると、軍服姿の壮年の男性――つまるところ部隊長が、テーブルを挟んで向こう側の椅子に座っていた。

「ヴァン・グリセルーク。只今謁見に参りました」

 緊張も交じる中、彼は勢いのある声で言った。

「そこに座れ」

「はい」

 言われるがまま、彼は置かれた椅子に座る。室内はやはり質素な作りで、広さもさほどのものではない。テーブルと椅子の間隔も大きくはない。そこで必然的に、隊長とヴァンの距離は近くなる。

「よく来た。早速だが本題に入る。お前も難しい話ばかり聴いていてもつまらんだろうしな」

 ヴァンは苦笑した。確かに、小難しい話を延々と聞かされていても困る。

「さて、まずは」

 部隊長は切り出した。

「お前の経歴と所有物、それから察することのできる素質。それを大まかに見せてもらった…」

 ヴァンは息を呑む。

 彼は小型のワイバーンを3体、トカゲ(翼のない地竜)を4体。全て一人で討伐している。それは年齢からは想像もできない、凄まじい戦績だった。組織に身を置けば、既に中堅レベルに至っていることだろう。だがこれらも全て、彼の目的の前に現れた偽りの対象――つまりハズレだったに過ぎない。

「悪くない。これが本当なら、一戦士として私が討伐許可を申請するに十分すぎる」

「ありがとうございます」

 ヴァンは素直に言葉を受け取り、頭を下げた。手前味噌のようだが、竜を狩るに特化した人間であることは自負していた。

 人間相手の方がよっぽど、苦手に感じるくらいだ。

「だが、甘いな」

 表情から読み取ったのか。部隊長は調子に乗るなと言わんばかりに、ヴァンへ言い放った。

「個人での討伐がどれほどに難しいか。お前は知っているのか?毎年幾人の人間が龍に挑み、死んでいっているか」

 ヴァンは―――それに答えられずにいた。部隊長は、短い沈黙を破って続ける。

「300人だ。しかも皆優秀な、我々が許可を出した者だ。それだけ、腕に覚えのある人間が死んでいる」

 予想を超える数だ。ヴァンは平静を装っているが、心の奥で驚きを隠せずにいた。その様を、部隊長は顔色一つ変えずに眺めみている。そしてそろそろ頃合か、とばかりに言葉を紡ぐ。

「組織は、基本的には許可を出す。もし一個人で龍を制すことができるなら、それでいい。だが考えても見ろ。こうした組織と、訓練された戦士達。特殊兵器。国やギルドが膨大な金をかけてまで龍を討つ術を講じている――つまり、お前が成し遂げようとしていることはそれほどに重大で難解な事なのだ」

「わかっています」

「いや、分かってはいない。わかってもらっては困るな…若造」

 部隊長は、ヴァンを冷徹な眼差しで見つめた。それが、長い間続く。まるで、お互いが気迫で戦っているかのような感覚。

「…退かない、か。やれやれ…」

 根負けしたのは、部隊長の方だった。眼差しは冷たいものから、どこか温かいものへと変わっていく。

「また一人、優秀な人材を失うのは残念だ」

「そうとは限りませんよ」

 緊張の糸が途切れたヴァンは、部隊長のジョークにそんな言葉でもって返事をした。そしてしばし、笑い合う。

 年齢の差を超えて今だけは。

 お互いに、無邪気に。

「既に知っていると思うが、我々はドラゴンが何かを仕出かさない限り動くことができない。それが、我々組織内の決まりだ。支援はできない。共闘もない」

 部隊長は言った。ヴァンもそのことについては心得ている。

「それでも。お前は行くのか」

 部隊長は短い言葉でもって、最終確認を取った。

「はい」

 彼が静かに頷くと、部隊長はかすかな笑みを口元に浮かべた。

「俺は、そのためだけに旅を続けてきました。それにもともと、ひとりでやる気でしたから」

 部隊長は、ヴァンの言葉に驚きもしない。ただじっと言葉を聞いている。

「いえ、前言を撤回します。今は一人じゃない、二人です」

 部隊長は、少しだけ目を細めた。

「俺には……相棒がいます。彼女と共に朝日を拝めるように、全力を尽くすだけです」

 ヴァンは、顔を上げて言った。その瞳に迷いはなかった。

「そうか…」

 聞き終えて、隊長は目を瞑る。そして静かに口を開いた。

「ヴァン・グリセルーク。黒鉄龍討伐をここに許可する。全力を尽くして目標を遂行しろ」

 強い口調で放たれた、言葉。

「感謝します」

 ヴァンは礼の言葉を述べてから、静かに部屋を後にした。

 謁見を終えたあと、ヴァンはギルドにその旨を伝えに行った。そして出発する日時と、回収場所、目的地までの移動手段などを決定した。

 もう一人の白き人――黒衣の男のことも気にかかるが、今は目的に向かってまっすぐ走るべきだと思った。

 契約書にサインした後、ヴァンはルナと落ち合った。日は没し、空は暗い闇一色となっている。

 それでも街の灯りが頼りとなり、辺は照らされていた。彼女は前にここへ二人で来た時と同じくゲートを出た左側、塀のすぐそばにいた。

 それからゆったりと街を歩きながら、ヴァンは今日部隊長と話した内容を大まかに彼女に話した。ルナは何も訊かずに、ただ静かに彼の話に耳を傾けていた。

「食事はまだだよな。どこか近くの店で済ませようか」

「ええ」

 ルナは小さな声で答えた。ヴァンは適当に開いている食事処を見つけ、ルナを連れて中に入った。店内は空いていて、二人は空いているテーブルへ腰掛ける。注文を取り、それからの待ち時間、二人は特に会話をしなかった。そしてそれは、食事が始まってからも同じだった。

「うまいな。これ」

「そうね」

「どんな味付けなんだろうな」

「どうなのかな」

 ヴァンが発言しても、彼女は上の空な答えを述べるばかり。ヴァンはうつむいたままのルナの顔を、さり気無く見た。やはり浮かない顔だ。いや、元気がないようにも見える。それを表すかのように食事も進んでいない。

 二人が店で食事を取ることは多くはない。前の街を除けば、大抵が野宿の際に持ち込んだ食料を、手持ちの道具で調理して、辛うじて食べられるように仕上げたものを食べていた。だからこうして、ちゃんとした味付けのなされた食べ物を口にすることは喜ばしいことなのだ。

「黒鉄と戦う場合、ルナはどうする気なんだ?」

 先ほどの話の続きという形で、ヴァンは話題を切りだした。

「私は…足元で戦う。あなたのブルークラウンより劣るだろうけど、これも一応龍と戦うことのできる武器だから。ダメージは与えられると思うわ」

「そうか…」

 やはり選択ミスだったか。彼女は簡潔に答えを述べ、それ以降会話は生じなかった。

 黙々と食器を動かす音が聞こえてくる。

 この状況、居心地が悪くてしょうがない。ヴァンはどうかこの空気を払拭できないかと考えを巡らせた。

「そういえば」

 ふと、前に彼女に連れられて店に入り、二人で食事を採った時のことを思い出した。あの時の自分は食べることを、生きるためだけの栄養摂取としか考えていなかった。それを、彼女が楽しさを教えてくれたのだ。

「牛乳。覚えてるか」

 ヴァンは、手元のグラスを持ち上げる。ここには先程まで牛乳が入っていた。

「え?」

 唐突の発言にルナは顔を上げた。

「最初。食事を取っただろう?あの時ルナが、牛乳を俺に勧めてきた。あれ以来、牛乳を飲むようになった」

「そうだったね。最近のことだけど、すごく前に感じる」

 ルナは記憶を遡るように、ゆっくりと言った。表情は若干、穏やかになっていた。間接キスのことは、おそらく覚えてはいないのだろうが。

「ああ。感謝してる」

 偏りがちな栄養も、食材など選んで入れない状況ながら、彼女が微調整してくれていた。背が伸びたのも、もしかすると彼女のおかげなのかもしれない。

 ルナは、もう一度俯く。そして直ぐに顔を上げて、こちらを見た。

 困ったような顔。そう、この顔の時の彼女はきっと、何かを言い出したくて仕方ない時の顔だ。彼は彼女の言葉を待った。

「ヴァン。謝らなきゃいけないことがある」

「ん?もうあの件なら…」

 ヴァンの声を遮り、

「いえ。違うこと」

 ルナははっきりとした口調で言った。

 彼女はフォークとナイフを置いて、それから話し始める。

「私ね。ヴァン宛の手紙、勝手に読んでしまった。しかも封を開ける前のやつ」

「…そうか」

 ヴァンは特に怒りもしなかった。むしろ、そういう事態もあっただろうと思っていたほどだ。

「謝るべきは俺だな。後で見せるつもりだったけど…正直なところ見せたい内容でなかったし、後回しにしていたかもしれない」

「でも、読んじゃった」

 ルナは補足した。

「そうなるな」

 沈黙が続く。二人共、内容については一切触れないようにしていた。何とも言えない、甘酸っぱさが混じった空気があたりに充満した。二人は目を合わせない。

「ルナ。何か言いたいことがあるんじゃないのか」

「わかる?」

「なんとなくね。君は結構わかりやすい」

 ルナは少し赤くなった。そして呼吸を整えてから、

「私からお願いがある。稽古の最終段階を兼ねて――」

 ヴァンは彼女の瞳を見据える。

「明日の朝もう一度、あの時のように――私と戦って欲しい。理由は、その時に話すから」

 

「そして、私の気持ちも」

 


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