ドラゴン・バラッド-龍血の龍討者-   作:雪国裕

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月下の暴露

 満月まで後一日。

 情報屋からそう告げられてから、数時間が経った。降り続いた雨は上がり、雨雲の切れ端から強い日差しが射す。束の間、しっとりとした雨の残り香が街を包んだ。しかしそれも長くは続かない。水分は高い気温によって蒸発していく。濡れた体のまま、ルナは街を歩いていた。衣服の水分は簡単には乾きはしなかったが、彼女の歩いた道に残った足跡は、すぐに乾いていた。

 静かな昼下がりだった。彼女は、行く当ても決めずにただフラフラと歩いていた。すれ違う人は多くはないが、皆揃ってこちらに好奇の目線を送ってくる。しかし、彼女はそれを意も介さない。

 こんなことをするのは久しぶりだ。いつも目的を決めて、それをいかに迅速に遂行するか。それだけを考えていた。それがいつごろからだったのだろうか、思い出せはしない。

 私にとって記憶とは、とても曖昧なものだ。

 そう、ルナ・ルークはいつも思っていた。

 天を仰いだ。

 相変わらず日光は苦手だ。だが、この光は嫌いではない。彼女は細めた目の合間から、自由に駆け巡る一匹の、白い鳥が舞う様を見据えた。

 そして思う。

 大空を駆け巡るあの鳥のように、自分は今解放されているのだろうかと。

 ヴァン・グリセルークは目覚めず、龍の居場所も依然としてはっきりとしない。今はそう――休戦状態にある。それは明日の夜までの短いものであるが、ある意味約束されたものであると言って差し支えない。

 本来はこの状況に危機を覚えなければいけないはずなのに、彼女はどこか余裕を感じていた。嵐の前の静けさ…なのだろうか。だとすれば覚悟を決めておかなければならない。ルナは、心中で自分に喝を入れた。

 ふと、彼女は商店街の一角、やや寂れた場所に設置されたベンチに座った。足元の水溜まりが蒸発するにつれ、次第に人の行き来が多くなる街並み。それを見据えながらも、ルナはこれまでの旅を振り返る。

 あまりにも密度があり感じもしなかったが、まだ数週間ほどしか経過していない。その僅かな短い間であっても、彼と自分との距離はかなり近くまで縮まったと思う。向こうがどう思っているかはわからないけども、少なくとも自分はそう感じていた。

 ルナは自分の中にある正直な思いを再度確認した。

 そして同時に、彼女の中に罪悪感が芽生える。

 図書館に向かうか向かわないかは、自分の意思次第なのだ。平穏を守るためならば、無理をして相手の話につき合う必要もない。ヴァンが回復するまで彼の傍で介抱を続けるのは、正解だと自分でも思うし、彼が望む選択であることも知っている。

 だからこそ図書館へ向かう話の以前に、そもそも独断で動いてしまったこと自体が、ヴァンの信頼に対しての一種の裏切り行為に値するのではないのだろうか。そのことに対しての罪悪感が彼女を苛ませる。

 少なくとも――彼の不在を利用して、自分の好奇心を満たそうとしているという事実は否めない。

 しかし、彼女にとって自分が何者であるかという答えは、重大な事だった。自分がわからない。そこから生まれる底知れぬ不安が、いつも自分を脅かしている。毅然と振舞うように心がけていても、時折その仮面は崩れ落ちる。どうしようもなく不安になったり、悲しくなったりすることもある。

 旅立つ日に見せてしまった涙も例外ではなかった。同世代の、しかも異性の前で涙を見せたことなどほとんどなかった彼女は、あの時を思い出して今一度少し、気恥ずかしさを覚える。

 黒鉄を討つ為の――必死の懇願だった。羅音のこと、自分のこと、そして彼のこと。三つの意志と目的を成し遂げるためには、必死になる他なかった。

 そう。必死だったのだ、自分は。それは今も変わらない。ではなぜ今、自分は自分のことについてのこだわりばかりに支配されているのか。

 ルナは記憶と気持ちを整理して、自らの行動原理を探った。

 

 自分が何者であったかも思い出せない。

 私は一体どこから来たのだろう。

 

「私はルナ・ルーク。あなたは?」

 その質問に、私はどう答えたのだろう。

 

 惨劇の後、散り散りになった子供たち。ひとり残された私は、彼に救われた。しかしその彼もまた、旅の最中に倒れた。刺々しい剣山のような、漆黒の龍の一撃によって。

 

 やがて行き場を失った人々が、色を失った者達が――その町に集った。

 そして私もまたその一員となった。

 驚くほど静かな町の中で、私は平穏を感じていた。

 

 本当の名を忘れたまま、やがて私は彼に出会った。青い髪の少年と。

 

 だが。

 彼と話しているのは、本当に私なのだろうか。

 やはり真実を知っておく必要がある。例えそれがどんなものであっても。

 

 

 ◇

 

 

 深夜を回った頃、ルナはアイリを起こさぬよう病室を抜け出した。

 一応、彼女には行き先を伝えてはいる。

 他言無用という条件で、だ。

 万が一ギルド、保安官が絡むような事態になれば、事は成し遂げられないと考えたからだった。

 闇夜の中を、彼女は息を殺して進んだ。

 彼女は修道服姿ではなく、遺跡の時同様鎧姿だった。不測の事態があるかもしれない。念を押しておく必要があった。武器はもちろん煙幕や爆竹、投擲ナイフなども所持している。彼女は図書館の表側を避け、裏口へ回った。白い格好のため、夜間は特に目立つ。ローブで隠してはいるが、隠しきれない部分もある。最善の注意を払いながら、茂みを利用してなんとか裏口へ回り込むことができた。ここまで警備員や保安官の姿は確認できない。

 不自然だ。なにか工作でも行ったのだろうか。予想通り、裏口の鍵は開錠されていた。警戒しつつも、彼女は人気の消えた図書館の内部に足を踏み入れる。受付を通り過ぎ、踊り場へと出ると、床には色彩豊かな文様が映し出されていた。頭上の美しいステンドグラスが、怪しげな月光を介して奇妙に色づいている。

「やあ」

 ルナは咄嗟に振り返り、声の出処を探った。二階の本棚の陰。闇の中の人影がゆっくりと動く。人影はやがてこちらへ出向き、光を帯びて次第にその姿を顕にしていった。

「来てくれると思っていたよ」

 黒衣の男――リュース・グレゴリスは微笑を浮かべた。

「こんなところに呼び出して、一体何が目的?」

「戦いをしに来たわけではないよ。実は、君と和解をしたくてね」

 白い刀を突きつけたルナに対し、リュースは穏やかな声でそう告げた。彼女は油断をしないまま、渋々刀を紅い鞘に収める。リュースは螺旋階段を降り、一階に向かってくる。そして踊り場に到達した。

 互いの距離は保ったまま、彼女はゆっくりと刀を鞘に収めた。

「警備の人たちはどうしたの」

「始末させてもらったよ。せっかくの機会を邪魔されては困るしね」

 ルナはその言葉を聞いて、リュースを強く睨みつけた。彼女の怒りの視線を受けても、向こうは笑みを浮かべているだけだった。

「君は、自分が何者なのか知りたくはないか」

 リュースは唐突に、そう切り出した。

「知っているのね」

 ルナの問い掛けに、男は静かに頷いた。

「私も、今まで自分が何者なのか探していた。だが、なかなか結論は出なかった。君も同じように生きてきたはずだ。生まれた頃の記憶は曖昧、その身に備えたほかの人間とは違う力の存在」

「私はその正体を知っている。どうだろう。君が知りたいというなら、ここで解き明かしてもいい」

 ルナは葛藤した。おそらくこれは罠であり、こちらへの攻撃だ。物理的にではなく、精神面での。しかし。

 ――知りたい。

 彼女の好奇心が、探究心がそれを許さなかった。

「聞きましょう」

 ルナは自ら受け容れる。

 ――冷や汗は、既に頬を伝っていたというのに。

 つよがりの笑みを見せた彼女に、リュースは凶悪な笑みを返した。

「白き人とは何なのか。私は長い間探し続けていた」

 そしていつごろか、そこ答えを知ったと、リュースはそう言った。

「元々は代居人…代わりに居る人という意味だったらしい。それは、他人を寄り代にして生きるから、だそうだ。病弱な外見と反した強靭な肉体と、洞察力を持つ。そして皆、長寿だ」

 そこで一旦、話を区切る。

「それには理由があってだね。人の寿命はどれくらいだと思う?」

 リュースは唐突に彼女に問いかけた。

「…80」

 ルナは困惑しつつも答えを出した。

「そう。その通りだ。人が生きてもせいぜい80年くらいだろう。だがそうなると、彼らにとっての目的を達成するには不便だ」

 リュースは移動しつつ、話を再開した。演説のごとく声のトーンを細かに変えながら、彼女に語りかけてくる。

「目的?」

 ルナは眉をひそめ、そう聞き返す。

「龍を殺すことだよ。白き人は、龍を殺す機会を待っている。だから人のそれよりもずっと長く生きていけるそうだ」

「いつごろだろうか、私は老いを感じなくなった。まるで変化がない。時の流れが、私の周りだけ止まってしまったかのように」

 リュース・グレゴリスは穏やかな声で言い、近場の鏡に触れた。彼の見た目は二十代半ばほどだった。ルナは、この時に確かなざわめきを心の中で感じた。男の次の言葉を、聞きたくないという感情と、そして待ち望む気持ちがあった。

 やがて、男は口を開いた。

「君は私の歳を知らないだろうが……君が思っているよりもずっと、長生きしている」

 彼女は、身震いした。

 ここでもってやっと、彼女は自分が得体の知れない存在と会話をしていることに気がついた。何者にも臆しない意志の強さが、自分の取り柄だと思っていた。しかし今は、不安という恐怖が背中に迫ってきている。

 それが、はっきりとわかる。

 怪しげな月光を背に受け、リュースの瞳は不気味に紅く光っていた。白髪が散り散りに揺らめいている気さえもして、それが威圧感と恐怖をあからさまに伝えてきている。

「どれくらい生きているの…?」

 男は答えを言わず、不敵な笑みを口元に浮かべるだけだった。それが逆に不気味であり、彼女を震え上がらせた。ルナは、次第に動揺を隠せなくなっていた。

「聞かせてあげるよ。そうしなければ君は協力してくれそうにないしね」

 リュースは、静かに物語を詠む。

 

 この世界において龍とは絶対的であり、人がそれに抗う術は無かった。

 しかしいつの頃だろうか、白き人が彼らを討ち、追い詰めた。

 

 足元の本を拾い上げ、男はその一節を述べた。彼女もいつごろか読んだことのある、一般的なおとぎ話に登場する――白き英雄の話。彼は青い稲妻と剣を駆使し、人々を脅かすドラゴンを幾つも討った。表面的に見れば、英雄は人を救った偉大な人物であり、崇められるべき存在だ。

 しかし、この話には二面性がある。そしてその裏側を彼女は知っていた。

 

 ドラゴン目線から描かれた、珍しい書物。その一節――

 

 我が仲間、青き民。それを殺して回った、白き怪物。

 龍によって護られる、世界の理を逸脱した者。

 全ての青き者の敵となる存在。

 

 ――あの時の稲妻、紛れもなく君が放ったものだ。どうやったのか…私に教えて欲しいんだ」

 男は何かを話していたのだろう。しかし彼女には、それが途中からしか聞こえてこなかった。

「知らない…」

 彼女は適当な返事をした。その声は沈んでおり、彼女の心の有り様をものがあっているようであった。

 ルナは後悔の念を抱き始めていた。

 私は悪魔の囁きに誘われ、罠に嵌ったのだ。自らの好奇心を抑えられず。

 様々な感情が渦巻き、彼女の鋭敏な思考を奪っていく。

「自覚がないだけさ。我々は元々龍を殺す力を秘めている。それは探知能力だったり、予知能力だったり、個体ごとに様々だ。君が見せた青き稲妻。あれは、攻撃性を持った白き人の…君の力だ」

 リュースは雄弁に語る。

「私の場合、予知能力がある。ドラゴンが絡むと予知できるのでね、あの少年と君がいる限り追跡は可能だ。実を言うと今のこうした状況も、大体予知していたんだよ。――だがまあ、君たちと出会うのは偶然だった」

「ドラゴンの強大な波長に比べれば、龍血一個人など見つけることもできない。しかし一度接触して、それから波長を合わせて狙いを定める。そうしておけば予知もある程度可能だった」

 ルナは、呆然としたまま話を聞いていた。辛うじて残った思考力で、彼女は相手の話を噛み砕く。

 ――探知能力、そして弱点の把握に関しては自分も備わっている、一種の特殊能力だ。前者においてはこの男もまた、自分と同じ存在だということを証明している。話の筋はおよそまかり通る。それが無性に悔しかった。

「我々は特別な存在だ。龍を追い詰め、世界の淵に追いやった白き伝説の人なのだよ。言わば、生ける龍殺しの武器。しかしながら、残念だが個人では龍にはかなわない。この忌々しい剣を頼らざるを得ないのだ」

 リュースは続ける。

「しかし手を組めば、違う。君の龍殺しの青い稲妻は、切り札となる。ドラゴンバスターの称号どころか、あらゆるドラゴンの血をすすり、さらに高潔な存在へと昇華できる。君はあのおとぎ話のように、白き英雄になれる」

「君が私と同様、仲間であることを理解して欲しくてこの話をした。どうかこの気持ちを汲んでくれるとありがたい」

 最後にそう言い、男は話を締めくくる。

「嫌よ」

 ルナは即答した。瞳にはまだ、強さが宿っている。

「そう。君はそう返すと思っていた。だが、どうかな。合理性を問えば、悪い話ではないはずだが」

「…どういうこと?」

 ルナの言葉に、リュースは微笑む。

「彼を傷つけたくはないだろう?私と君が手を組めば、彼を巻き込まずに黒鉄を倒すことが出来る。すべてを丸くおさめることで、皆が幸せになれる」

 黒服の男は、彼女を懐柔しようとした。ルナは一瞬揺らぎかけるが、それでも首を横に振る。それだけは、絶対に避けなければいけない結末ということくらい、分かっている。例え自分が男の言う、伝承上の白き怪物であっても。

 ひとりの人でありたい。それが彼女の気持ちだった。

「あなたのような人殺しと、一緒にいたくなんてない。同じ存在というだけで、吐き気がするわ」

 ルナは吐き捨てるように言った。そしてその言葉は、男の誘いをあからさまに、拒絶していた。

「そうか。残念だ…。しかし、私だけが人殺し?それは違う。君も殺したじゃないか」

 リュースは先ほどとは違う――鬼気を含んだ口調で言った。その言動と内容にルナは困惑する。彼女には当然、そんなことは身に覚えがなかった。

 しかし、わからない。

「だ、誰を…?」

 不安が頭の中をよぎり、眉は困惑に歪む。

 強気な瞳は一転し、戸惑いを映していた。

 

 彼女の揺らぐ視界の中には、赤く染まった満月と白い悪魔の姿だけがあった。

 


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