穢れた聖杯《改訂版》   作:後藤陸将

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皆様、お待たせしました。改訂版として連載を再開したいと思います。
思いつきで書いた前作よりも改善がなされてると評価していただければ幸いです。


本編
帰郷


 冬木市の一角にある小さな公園に、一人の男がふらりとたちよった。男の風貌は一点を除いて極々普通のものだ。顔は良くもなく、悪くもない。背格好も普通、服装も特筆することはない。……その豊かな口ひげ以外は。

「変わってないな……」

 

 間桐雁夜は数年ぶりに故郷である冬木市に戻っていた。日本ではありふれた地方都市であり、雁夜にも別に大した思い入れもないが、それでもこの土地を訪れると帰ってきたという実感を抱く。

 今回の帰国の目的はジャーナリスト仲間の葬式なのでそう長く滞在するつもりはなかったが、以前幼馴染の娘たちにお土産をあげる約束をしていたこともあってついでに故郷にも寄ってみることにしたのだ。

 ただ、いい思い出が全くない実家に立ち寄るつもりは毛頭ないし、この地には間桐の忌々しい爺の目も光っているために長居をするつもりはなかった。幼馴染に顔を見せたらその日のうちにこの街を離れる予定だ。甥っ子や兄などどうでもいい。どうせ兄は家を捨てた俺への恨み言しか言わないだろう。

 

 公園にある休憩スペースに目的の人物は座っていた。静かに文庫本を読むその姿は学生時代と何も変わっていないと雁夜は思う。

「葵さん」

 雁夜の呼びかけに反応して雁夜の幼馴染の女性――遠坂葵は顔を上げる。だが、雁夜の姿を見た葵は困惑の表情を浮かべている。

「2年ぶりだね」

 葵は再度声を聞いて、訝しげに尋ねた。どうやら目の前の男の声と顔が一致しないらしく、確信が持てないらしい。

「ひょっとして……雁夜くんなの?」

「ひどいなぁ。忘れてたのかい?」

「ごめんなさいね、その……髭が、ね……」

 後ろめたさを感じて目線を逸らす葵の姿に雁夜は内心かなりのショックを受けていた。

 

「雁夜くん、久しぶり。出張から帰ってきたの?今回は随分と長くかかったのね」

 葵は気まずくなった空気を誤魔化すように話題を振る。

「ああ、まぁね。このあいだまで中東に行ってたんだ。この髭はイスラム教圏で取材をしやすくするために生やしていたんだ」

 

 イスラム教の影響圏である中東では、男性は髭を生やしていて当然という固定観念が定着している。外国から訪れれる商社マンや記者が、髭を生やしていないという理由だけで現地住民との交渉を拒否されるという話は珍しくない。また、日差しの強い中東では、髭は日光による火傷の防止という効果もある。

 現地でジャーナリストとして活動する以上、髭を生やさないという選択肢はなかったのである。そして、故郷にも長く滞在するつもりはなく、すぐに中東に戻るつもりだった雁夜は髭を剃っていなかった。

 数年に一度しか帰国しないため、彼は流行とかそんな物は知らない。また、長きに渡る戦場での生活により、彼はファッションセンスを喪失していた。つまり何が言いたいのかと言うと、冴えないファッションで髭を生やした顔の良くない男の姿、幼馴染の女性をして奇妙と言わざるをえないほどだったということだ。

 

「すみません、母の知り合いですか?」

 雁夜が遠慮がちに背後からかけられた可愛らしい声に反応して振り向くと、そこには幼馴染の面影のある少女がいた。どうやら、彼女も目の前の男が雁夜だと思っていないらしい。

「凜、雁夜くんよ。ほら、前にターコイズの腕輪をもらったのを覚えているでしょう?」

 その言葉で凜もようやく思い出したようだ。一瞬驚いた表情を浮かべ、その後笑みを浮かべた。

「ああ、思い出した!!雁夜叔父さんだ!!雁夜叔父さん、お帰り!!でも、何で髭生やしているの?」

「お仕事の関係でね。世界には、髭を生やす習慣がある国もあるんだよ。昔のお侍さんがちょんまげをしていたようなものだね」

「ふ~ん。でも、お父様と違って叔父さんの髭は全く似合ってないわね」

「り、凜!!失礼でしょう!!」

 よりにもよってあの時臣の顎鬚は似合い、自分の髭は全く似合わない――彼女の何気ない一言によって雁夜のハートは木っ端微塵に粉砕された。しかも彼女はかつての幼馴染の姿を彷彿とさせる少女だ。まるでかつての彼女に言われているようで、倍はへこむ。

 

「ま、まぁ。それはともかくとして凜ちゃん、大きくなったね」

 記者としての経験から培ったポーカーフェイスで雁夜は何とか内心の動揺を隠して対応する。

「またお土産買って来てくれたの?」

「これ、凜!!お行儀の悪い……」

 現金なところや思ったことがすぐ口に出てしまうあたり、ある意味で純真なんだろう。どうやら、葵さんとあの男の子育ては中々に上手くいっているらしい。

「気にしてませんよ、葵さん。はい、ラピスラズリのアクセサリーだよ」

「おじさん、ありがとう!」

「気に入ってくれたのなら、叔父さんも嬉しいよ。ところで、桜ちゃんは?桜ちゃんにもお土産があるんだけど……」

 幼馴染のもう一人の娘の名前を口にしたその時、葵と凜の表情が曇ったのを雁夜は見逃さなかった。雁夜は桜の身に何かあったことを瞬時に察する。そして、凜が俯きながら口を開いた。

「遠坂桜はね……もういないの」

 俯いて黙ってしまった凜の言葉を葵が補足する。

「桜はね、もう私の娘でも、凜の妹でもないの。あの子は……間桐の家に行ったわ」

 どうして?とは雁夜は口が裂けても言えなかった。桜が間桐へ養子に行った原因は他でもない自分にあるのだから。自分が間桐の魔術を捨てたが故に目の前の女性は腹を痛めて産んだ我が子を手放さなければならなかったのだ。

 

 

「間桐が魔術師の血を受け継ぐ娘を欲しがる理由……貴方なら分かって当然でしょう?古き盟友たる間桐の要請に応えると……そう遠坂の頭首が――夫が決定したの。私が意見できるわけがないわ」

 雁夜はこれが受け止めなければならない咎だと思った。自分の逃避が幸せになってほしかった女性から幸せを奪ったのだ。

「遠坂の家に嫁ぐと決めたとき……魔術師の妻となると決めたときから、こういうことは覚悟していたわ。魔術師の血を受け継ぐ一族が、ごく当たり前の家族の幸せなんて得られるはずがないのよ」

 葵はポツリと思いを吐露すると、視線を下に向けてしまった。雁夜も中東の戦争地帯でこんな表情は幾度も見てきた。これは少年兵にするという名目や、兵士の慰安のために息子や娘をテロ組織に連れ去られて泣き崩れる親の顔だ。

 本当なら泣きながら夫に懇願して娘を守ろうとしたかったに違いない。だが、彼女は芯の強い女性だ。愛を誓った夫のために、家のために成すべきことをなすことを是とし、母としての思いを押し殺したのだろう。その胸の内は察するに余りある。

 そのため、雁夜はただ黙って彼女の話に耳を傾けることしかできなかった。自分には彼女に何も言う資格がないのだから。

「これは遠坂と間桐の問題よ。魔術師の世界に背を向けた今の貴方にはかかわりのない話……だけど、もしも桜に会うようなことがあったら、優しくしてあげて。あの娘、雁夜君には懐いていたから。それだけでも……」

「……ああ、わかった。おれにできるだけのことはやって見るよ」

 雁夜は幼馴染が搾り出した言葉にしっかりと頷き、用事があると告げてその場を後にした。これ以上、彼女の顔を見ていられなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 雁夜はその人生において二度の逃避を経験している。

 

 

 一度目の逃避は幼馴染に対して自身が抱いていた恋心を捨て、彼女と『友人』という関係に甘んじることを選んだことだ。自身よりも全て(正確に言えば機械の扱い以外)において上をいく男と比べられることが惨めに感じたがゆえの逃避だった。

 家の魔術が彼女を不幸にする、彼女を大切に思うが故に手を出さない、幸せにしたいからあの男に任せる――全ては彼の言い訳にすぎない。結局、雁夜は自分に自身がなかっただけだ。想いを寄せる少女にあの男と比べられたくなかっただけなのだ。

 

 二度目の逃避は間桐という家と、間桐の忌々しい魔術からの逃避だ。母を奪い、自身の心にも決して消えない傷を残すおそろしい蟲たちのことは思い出すだけでもぞっとする。嫌悪感ゆえの逃避だった。

 間桐の家から逃避し、一介のジャーナリストとなったこと自体は今でも全く後悔していない。結局は魔術と関わってしまっているので、魔術そのものにはかつてほどの嫌悪感は抱いていないが、間桐の魔術だけは今でも到底容認できない。

 魔術師が研究のためであれば人の命の重さなど全く酌量しない人種だということは理解しているし、必要とあらば殺人を躊躇う理由がないこともわかっている。だが、間桐の魔術は全て臓硯の延命と不老不死のためにある。臓硯は人を苦しませて殺し、その絶望を観て楽しむのだ。

 そこにあるのは臓硯の愉悦のみ。真理の探究を免罪符とした殺人も許容できるものではないが、愉悦のための殺人などもっと性質が悪い。

 

 結果、雁夜の2度の逃避は想いを寄せる女性を魔術師の妻とさせ、彼女がお腹を痛めて産んだ娘を養子に出させてしまった。彼女は自身の娘を失う悲しみを、そして養子に出された彼女の娘は蟲倉で人間の尊厳を破壊する陵辱を受ける宿命を負わされたのだ。

 だから、彼は決意した。今度は逃げないと。今度は誰も不幸にしないために立ち向かうと。

 

――全ては、自分の逃避が産んだ悲劇なんだから。

 

 そして雁夜は己の選択が産んだ悲劇の清算をするために彼は二度と足を踏み入れないと誓った場所へと歩き出した。




雁夜おじさん、髭が似合わないの巻。
因みに、拙作の設定では第四次聖杯戦争は1990~1992年ごろの話という前提で書いています。

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