穢れた聖杯《改訂版》   作:後藤陸将

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倉庫街の狙撃手

 師である時臣がようやく撤退を決断した時、綺礼は表面上は達観していながらも、内心では決断が遅い師への失望を感じていた。

 だが、アーチャーが戦線離脱すれば後はただ観察を続けるだけでいい。余計なことに気を煩わせる必要もなく、『衛宮切嗣』という男の行動を観察し、彼と出逢う算段をつけることに集中できる。

 衛宮切嗣がセイバーの本当のマスターであろうが、アインツベルンのホムンクルスの補助役であろうが、アインツベルンに与している以上、セイバーが危機的な状況にあるならば必ずなんらかの動きを見せるはずだ。

 如何に衛宮切嗣と言えども、アーチャーやライダー、アサシンが残留する中でランサーを脱落させるためだけにアインツベルンのホムンクルスを巻き込んで倉庫街ごと爆破などの可能性は低いが、それでも狙撃やセイバーの撤退の援護などといった行動を取ることが予想される。

 アインツベルン謹製の結界が張られた森の中に篭られては如何にアサシンといえども衛宮切嗣の動きを把握することはままならないが、森の外であの男がなんらかの動きを見せたなら、アサシンを数体使えば森に篭られる前にあの男の動きを把握することが可能となる。

 そして、衛宮切嗣という男の危険さを口実にすれば、師の言いつけに背いて自分自身が直接戦場に赴くことも正当化される。戦場にてあの男と見えることができれば、その時自分はあの男が得たものを問うことができる。

 ここから、ようやく自分が聖杯戦争に参戦した真の目的のために動き出せるのだ。――綺礼は同類が得た空虚を満たす答えへの期待を抱かずにはいられなかった。そして、綺礼は己の目的のために意識を衛宮切嗣への期待からアサシンが観察する戦場へと切り替えようとした。

 しかし、その瞬間、まるで雷のように全身をしびれさせる殺気を綺礼は感じた。代行者として死線を潜り抜けて培った第六勘が全力で警鐘を鳴らし、綺礼の身体を反射的に戦闘体制へとシフトさせた。

 綺礼が反応するよりもコンマ数秒早く、綺礼の部屋の中とアパートの外で影が実体化した。その正体は、霊体化して綺礼を警護していたアサシンだった。彼らはこの痺れるような殺気の正体を感じた瞬間にその正体を理解したのだ。これは、『一流の暗殺者』が『標的』を仕留める際に放つ際、刹那の瞬間に放つ殺気に他ならない、と。

 

 アサシンたちには知る由もないことであるが、ゴルゴ13という男はこの時代で間違いなくトップに君臨している暗殺者であり、暗殺者としての実績では歴代のどのハサンをも上回る男なのである。

 彼が狙撃の直前に放つ殺気は、超能力者をして脳が痺れると言わしめるほどに確固たる殺害の意志が篭った殺気であり、彼と近しいレベルの一流の暗殺者や超能力者はその殺気から彼の狙撃を察知できるほどである。

 しかも、ゴルゴが殺気を放つのは引き金を引くその一瞬だけなのだ。引き金を引くまでの間、彼の意思はまるで波一つない水面のように穏やかであり、狙撃の瞬間まで殺気を感じることはできない。

 かつて、3km先からのゴルゴの殺気をも探知する能力を持ったKGBの超能力者は、狙撃の瞬間まで殺気を漏らさないゴルゴ13について、彼に『禅』の心得がある可能性や彼自身が超能力者である可能性を示唆している。

 真偽のほどは定かではないが、心を波紋一つない水面のように穏やかな状態に保ったまま標的に狙いを定める技術は、自分の心を見つめ、理解し、その在り様を受け入れることで確固とした揺るがない心を得るという『禅』の目指すべき道に通ずるところがある。

 引き金を引く瞬間にだけその極限にまで研ぎ澄まされた殺意を解放し、その後は波が引くかのようにすっと自然に殺意を己の中に引っ込ませることができる技術を如何にして、どれだけの時間をかけて習得したのかは分からないが、その技術は英霊にも通ずるほどに研鑽された最高の技に違いなかったのである。

 

 無論、暗殺者を指すアサシンという言葉の語源となった伝説の暗殺者教団のシンボル、『山の翁(ハサン・サッバーハ)』の名を冠する彼らにこの殺気の正体が分からない道理はなかった。

 しかし、殺気とそれがもたらす暗殺という結果を理解し、その標的がマスターである言峰綺礼だと判断して即座に彼を庇うべく実体化することが間に合ったとはいえ、彼らの行動はこれから襲い来る刃を回避するには遅すぎた。否、これから襲い来る刃は、英霊となり、サーヴァントとして召喚された一流の暗殺者が取った最良の判断でも対応できないほどに速過ぎたのだ。

 直感スキルや、生前に神代を暴れまわった化け物と戦ったこともある、武芸に秀でた英雄豪傑であればこの超高速の刃にも反応し、あまつさえ迎撃することまで可能だったかもしれない。

 だが、そもそもハサン・サッバーハの戦闘能力そのものは一般的なサーヴァントに比べれば、一段どころか数段劣る。さらに宝具妄想幻像(サバーニーヤ)で分裂している分だけただでさえ低い戦闘力も当分されて格段に低下している。これで迫り来る超高速の刃を迎撃することは不可能だ。

 反射的に殺気を発する者がいる窓の外を警戒して窓から距離を取るべく綺礼を誘導しようとした、アサシンの動きにも判断にも非の打ち所はなかった。彼らがその殺気から敵が窓から乗り込んでくることを想定したのは、当然のことであったからだ。

 綺礼がこの古いアパートを擬装脱落までの数日の間の宿と決める際に、このアパートの周囲はアサシンの視点から死角がないか徹底的に検証済みだった。

 周囲を住宅に囲まれたアパートであり、万が一敵サーヴァントの襲撃を受けても住宅が密集したこの地域であれば敵サーヴァントを撒くこともできる。敵サーヴァントも聖杯戦争の常識を、神秘の隠匿の原則を知っていれば周囲の住宅を派手に破壊したりすることができないだろうし、その原則や常識の例外にあるとして綺礼から念入りにマークするように指定された衛宮切嗣なる男もによってこのアパートが周囲一帯丸ごとを標的にされた場合でもアパートの地下に存在する古井戸に飛び込めば対処できる。

 アーチャーのサーヴァントがそもそもこちら側なので最初からあまり警戒はしていないが、狙撃の心配もない。綺礼が根城としているのはアパートの一階であり、窓の外には街路樹がある。周囲の住宅もそれなりの大きさなので、そもそも街路樹に視界を遮られて狙撃は難しいし、一階にいる綺礼を狙撃するにはあるていどの高さのある建物でなければならない。

 しかし、周囲には一階にいる綺礼を狙撃できるほどの高さのある建造物はない。強いて言えば700mほど先に条件を満たす高さのビルがあるが、700m先への狙撃など当たるものではないとアサシンは判断していた。

 実は、対物ライフルによる狙撃であれば問題なく可能なのだが、そのあたりの知識は流石にアサシンにもない。彼らは一応図書館でこの時代の狙撃についても調べたが、それは対人狙撃のデータだけであったため、対人ライフルではまず狙いを定められないと判断してこのビルを警戒対象から外していたのである。

 綺礼も、衛宮切嗣の狙撃手としての技量は中の中から中の上でしかないことを知っていたため、このアサシンの判断には疑問を呈さなかった。もしもあの男が自分を遠距離から狙うのであれば手っ取り早く自走砲かミサイルでも使うだろうと考え、遠距離からの命中率が不安定な狙撃という手段を取ることはないと判断したからである。

 そのため、彼らはカーテンを常に開け、敵サーヴァント襲来時に窓からすぐにその姿を確認できるようにしていたのだ。ただ、狙撃の心配もないというアサシンと綺礼の判断は、ゴルゴ13という規格外のスナイパーの前では愚策に他ならなかった。

 そして、マッハ12で襲来した不可避の死神の刃は寸分違わずにアパートの一室に着弾し、その運動エネルギーの全てを破壊のために振り撒いてクレーターを造り上げた。同時に、綺礼は全身を押しつぶすような凄まじい衝撃を受け、意識を失った。

 

 

 

「アサシンが消えた?」

『はい。霊体化したのか、撤退したのか、それとも消滅したのかは分かりませんが』

 舞弥の話を聞いて衛宮切嗣は考え込む。もしも、アサシンが消滅したか、撤退したのならばそれは切嗣にとって好機に他ならない。アサシンの目がなければ、ランサーのマスターであるケイネスの狙撃を躊躇う必要は小さくなるからだ。

 そして、切嗣は先ほど突如膝を屈した妻の姿から、サーヴァントが一体脱落したことを確信していた。もしもその脱落したサーヴァントが先ほど姿を消したアサシンであれば、小聖杯である妻にサーヴァントの魂がくべられ、妻が人間としての機能を一部失ってよろめいたことにも、タイミング的に辻褄が合う。

 無論、この戦争に参加しているであろうゴルゴ13が獲物を狙う切嗣を標的としている可能性も未だに残っているため、アサシンがいなくなれば狙撃を邪魔する第三者はいなくなったと判断するのはまだ早い。しかし、ゴルゴ13の存在を恐れるばかりでは何も行動できなくなってしまう。

 また、アサシンの存在に気づいた後は倉庫周辺の狙撃ポイントを使い魔を使って徹底的に探したが、他の狙撃手などの存在を裏付けるものは見つけられなかったこともあり、切嗣はこの場にゴルゴ13が潜んでいる可能性は低いと判断している。

 しかし、脱落したサーヴァントがアサシンと考えていいものか――と切嗣は懸念する。このままケイネスの狙撃を敢行するのであれば、アサシンが撤退又はマスター敗退などの理由によって消滅したと判断する材料がもう一つ欲しい――切嗣がそう思ったその時、遠坂邸や間桐邸などの冬木の街の重要拠点の監視係からの連絡が届く。

『クォーターより00へ。先ほど、冬木市内で非常に大きな爆発音を確認しました。現場は深町の外れ、古いアパートの立ち並ぶ地域です。現場には大きなクレーターが確認できます』

 このタイミングでの爆発、それもクレーターができるほどのものとなれば、ガス爆発などの一般的な事故の類であるとは考え難い。十中八九、聖杯戦争の参加者による攻撃だろう。そうなると、容疑者と被害者は脱落したバーサーカー陣営以外で、かつこの場にいない陣営に絞られる。

 つまり、言峰綺礼とアサシン、間桐雁夜とキャスターのどちらかが容疑者と被害者ということとなる。ただ、報告通りであればキャスターが霊地でもなんでもない地域をうろついて攻撃されたとは考え難いし、アサシンにクレーターを残すほどの大爆発を引き起こす能力があるとも思えない。

 反面、魔術師の英霊であるキャスターのクラスのサーヴァントであれば、噂に聞く人間ミサイルランチャーのような爆撃じみた攻撃方法を持っていることも考えられるし、アサシンのマスターである言峰綺礼が古びたアパートの一角という目立たない場所を拠点にしているという仮説には整合性がある。何より、実際にアサシンがこの場から退場しているのだ。言峰綺礼に何かあったと考えるのが自然だ。

 切嗣が警戒しているゴルゴ13による攻撃という可能性もあるだろうが、その場合でも標的は状況証拠からしてまず間違いなく言峰綺礼だろう。元代行者である言峰綺礼をあっさりと葬った手腕からすると、魔術師の英霊よりもゴルゴ13が関わっている可能性の方が高いかもしれない。

 結局のところ、アサシンを擁する言峰綺礼が爆撃によって葬られた可能性が最も高いと切嗣は判断し、ほくそえんだ。

 

 ――狙撃の邪魔になるアサシンは言峰綺礼が襲撃されたことで姿を消した。これで、ランサーのマスターであるケイネスを葬ることを躊躇する理由はない。どこの誰だか知らないが、このタイミングでのアサシン退場とは、珍しく僕はついている。

 表情には出さないが、切嗣は予期せぬ幸運に喜んでいた。

『舞弥、僕と君でケイネスを狙う。α、βはその場に待機だ。僕と舞弥で仕留められなかった場合、5秒後に僕が合図をしたら君達がケイネスに十字砲火を浴びせるんだ。ただし、5秒後に僕か舞弥からの合図がなかった場合はそのまま合流地点Jに集合とする』

 イヤホンからは短く命令を了承したことを告げる彼女たちの声が聞こえた。

 

『5…………4…………3…………2………』

 

 350m先のケイネスの側頭部にレティクルを合わせ、切嗣は淡々とカウントダウンを始めた。ゴルゴ13がこの場にいる可能性もあるが、この場で敵を葬らなければこちらが脱落する。警戒して動かないという選択肢はないのだ。

 ランサーも、ケイネスも一度戦場に出た以上、是が非でもサーヴァントの首を取りたいと考えており、対するセイバーは自身より技量もステータスも上な敵からアイリスフィールを庇いながら撤退することはまず不可能である。

 状況は最悪なのにセイバーは先ほどから空気の読めない威勢のいいことばかりを言っているが、おそらくそれは戦場に出たことのないアイリスフィールを気遣って弱気な態度を控え、強気の姿勢を積極的に示そうとしているからだろう。いくらなんでも戦力分析が分からずにあのような勝気な態度を取っているとは考えたくない。

 

『1…………ゼロ!!』

 

 切嗣と舞弥は同時に引き金を引き、閃光と共に冷たい闇夜の空気を銃口から放たれた.300ウィンチェスターマグナムが貫いた。




状況があまり進まないし、執筆時間もない……書きたいシーンの描写が浮かぶのに書けないのは中々に辛い…………

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