夕暮れの公園の中、一人の少女が愛犬と遊んでいた。
背中に三つ編みを垂らした赤毛の少女は、まだ男女の性差を意識できないほど幼く、男友達と泥だらけになって遊ぶ方が楽しいといった様子だった。
今も愛犬とボール遊びする様は元気一杯で、スカートよりもショートパンツを履いているのがとてもよく似合っていた。
少女は愛犬サフィの頭を撫でると、そろそろ帰ろうかと思い立ち上がる。
だがその瞬間、世界は唐突に変貌を遂げた。
夕暮れの空から墨汁のように闇が滲み出る。
ブランコが独りでに大きく振れ、滑り台から黒い影が滑り落ちる。
異界と化した公園の至る所で無数の影達が遊んでいた。
『あはは』『きゃはは』『くふふ』
甲高い笑声を響かせながら、影達は少女とサフィを取り囲んで笑い続ける。
突如お化け屋敷に放り込まれたかのような気味の悪さに、少女は悲鳴を上げた。
「な、なんなんだよ、これ? なにがどうなってるんだよ!?」
「ヴァン!!」
そんな主人を守ろうとサフィが吠え、影に向かって威嚇する。
『遊ぼ?』『遊ぼうよ?』『遊ぼっか?』
子供くらいの大きさの影達は、手を繋いで少女の周囲を回り始める。
一緒に遊ぼうと口々に話しかけてくる度に、少女はかつて感じたことのないほどの恐怖を味わった。
『なにして遊ぼう?』『お人形さんごっこ!』『バラバラにして』『ぐーねぐね!』
無邪気な声で残酷な遊びを思い付く影達は、円陣を組んで回りながら少女へと近づいて行く。
その手には、鋏や鋸のような物が握られていた。
それでどんな遊びが行われるのか、漠然とだが理解してしまった少女は、誰にともなく助けを求めた。
「……い、いやだっ。だれか、だれか助けて!」
「ヴァウ!」
それに応えるかのように、サフィは影達に向かって駆け出した。
そして勇猛果敢に噛み付いてみせるものの、血の一滴も流れず手応えがまるで感じられない。
正真正銘の怪物を相手に、サフィの牙はあまりにも無力過ぎた。
そして反撃とばかりに影達が集まると、サフィは伸びた影によって持ち上げられてしまう。
それを見上げて影達が笑う。
『ワンちゃんは?』『はんばーぐ!』
次の瞬間、サフィは真っ赤に咲いた。
べちゃりと湿った音と共に、勇敢な忠犬は呆気なく息絶えてしまった。
「…………サ、フィ? いや、いやぁああああああああ!!」
目の前の受け入れ難い現実を直視し、少女は絶叫した。
それでも悲劇は終わらない。
『はっさみはさみ』『ぎったんばったん』『ネジってつぶして』『ばーらばら』
影達は歌いながら少女へと近寄る。
その姿を無数の禍々しい凶器に変えて。
だが少女が絶望するその時、
目の前に、銀色に輝く少女が現れた。
――つまり私参上ってことだってばよ!
……ごほん、失敬。まずは状況を説明せねばなるまい。
私こと古池凛音が魔法少女となって、すでにそれなりの時間が経っていた。
本日も日課である放課後探索をしていたところ、通り掛かった公園で使い魔を発見した。
グリーフシードを孕んでいる魔女じゃないし、これは見逃すかと思っていたら、結界の中で幼女が襲われていたでござる。
どうしよっかなーと思いつつ幼女ハァハァと内心悶えていたら、犬っころがあぼーんしちゃってこりゃまずい。幼女は世界の宝だぜ、と駆けつけてきた次第。
いやほんと、面目次第もない。
ここへ来るまでに魔女一体やっつけてきたから、疲れてたんだ。そういう事にしといて。
私は驚きで目を丸くする幼女にキメ顔で微笑みかけると、指揮杖を振って私の最高戦力を投入する。
「行け、アリス! 有象無象を蹴散らせ!」
私の言葉に応えたのは、仮面を被った金色の魔法少女だった。
流れるような金絹の長髪に、黄金の鎧を纏い、手には金色の剣と実に目に優しくない外見だったが、その実力は剣を一振りしただけで使い魔が全滅したと言えばお分かり頂けるだろう。
流石は元の素体が純近接型魔法少女だっただけのことはある。
今では私のお人形なわけだけど。
まぁその辺りの事情は追々説明していこうと思う。
私は銀の指揮杖を天に掲げる。
すると使い魔達の結界は音もなく崩れ、元の現実世界が姿を現した。
それと同時に私は魔法少女姿を解除して、学校指定のブレザー姿へと戻った。
アリスはそのまま魔法で隠形を続け、私の近くに待機させておくことにした。
これで奇襲されても何とか対応できるだろう。
される心当たりは全くありませんが。
ええ、ほんとに。
私は清く正しい魔法少女ですとも。
私は振り返ると、驚きで目を丸くする幼女に微笑みかけた。
「よかった。体は大丈夫? どこも怪我してない?」
お姉さんとして、十歳くらいの女の子の体に怪我がないか念入りに確かめる。
ロリコンじゃありませんよ?
「あ、ありがと姉ちゃん!」
はい、ロリからの姉ちゃんいただきましたー。
これであと十年は戦える。
もうね、このまま攫ってしまいたいんだけど、私の今の目的はそれではないので自重することにした。
「どういたしまして。私は古池凛音、中学二年生です。あなたのお名前は?」
「大鳥リナって言いま……あ、サフィっ!?」
名乗るなり彼女は飼い犬のことを思い出したのか、真っ青な顔で駆け出した。
「どこ、どこ行っちゃったんだよ、サフィ!」
だが死体はすでに結界とともに消滅している。
彼女の愛犬は何も残さず世界から消えたのだ。
声を出して名前を呼んでも、愛犬が戻ってくることはないだろう。
普通ならば。
「ね、姉ちゃん! サフィは、サフィはどこに行ったか知らないか!?」
それはね、ミンチになっておとぎの世界に行っちゃったの。
なーんてドリームブレイカーをするほど私は鬼畜ではない。
私はしゃがみ込んで、リナと視線を合わせた。
「サフィって、あなたのお友達?」
私なにも知りませんでしたー。
ワンちゃんがぐちゃったのも見てませんよ。
だから私はなにも悪くない。
そんな下衆な私の思惑とは裏腹に、リナは必死になって私に説明してくれた。
「サフィはあたしの家族なんだ! おっきな犬で、あたしを守ってくれたんだ!」
悲しそうに目元に涙を溜める幼女の姿は、胸が痛む。
私だって人並みの優しさはあるのだ。
人類の敵ではありますがね。
「……ごめん、私がもっと早く駆け付けていたら」
その言葉にリナはキッと私を睨んだが、すぐに俯いてしまった。
おや、この年で感情を制御できるとは。なかなか大したものだ。
「姉ちゃんは、悪くないよ。あの黒いやつのせいだ。姉ちゃん、あれがなんなのか、知ってるのか?」
「知ってるよ。あれは使い魔。魔女という人々に仇為す悪い奴の手下で、あなたを襲ったのも、あなたを食べるつもりだったのよ。助けられたのは、本当に運が良かった」
私の説明を聞いて、リナは短く息を飲み込んだ。
自分が食べられていたかもしれないと知って、足が竦んでいる様子だった。
そんな彼女を労わるように、私は彼女の赤毛を撫でた。
「あなたの家族は、最後まであなたを守るために戦ったのよ。誇りに思っていいわ」
壊れ物を扱うように、私はそっとリナを抱き締める。
彼女は愛犬の最後をようやく理解したのか、私の胸でわんわんと泣いた。
服が涙と鼻水で汚れようが、構わない。
私の腕の中で涙を流す無垢な存在が、たまらなく愛しく思えた。
ああ、私はどこまでも邪悪なんだな。
彼女に見えないよう、私はうっすらと微笑む。
日が暮れて、私は泣きじゃくるリナをベンチに座らせると、涙が止まるまでその背中を擦ってあげた。
しばらくして落ち着くと、リナは赤くなった瞳で私に「ありがとう、姉ちゃん」と言った。
私は静かに首を振ってみせる。
お礼など、本当に言われるような者じゃない。
何故なら私は、これから悪魔の誘いを始めるのだから。
「もし、あなたが真に望むのなら……<奇跡>をもってあなたの家族を助けることができるわ」
リナに魔法少女としての素質があることは、一目見た時から分かっていた。
だからこそ使い魔に食わせるのが惜しくて助けたわけだし、契約しやすいように飼い犬を見殺しにもした。
上手くすれば飼い犬を生き返せることを代償に、魔法少女の契約を結べると思ったからだ。
……本当に、キュゥべえを笑えないほど外道になっていくな。
そんな私の内心を知らず、疑うことを知らないリナが釣り餌に食い付いた。
「サフィが、サフィが戻ってくるのか!? お願いっ、サフィを助けて!」
「私にはできないよ。あなたの祈りが奇跡を起こすの」
「あたしが? あたしは、どうすればいいの?」
簡単な事だと私は笑った。
私はリナにキュゥべえ直伝の営業トークを披露する。
リナは幼いながらも必死に頷き、私の言葉を懸命に理解しようとしていた。
私は確かな手応えを感じた。
我がインキュベーター社とのご契約をどうか、とプレゼンしている気持ちだ。
そして私はリナに、最後の一押しをする。
「――だから、私と契約して魔法少女になってよ」
その言葉にリナは力強く頷いた。
新規契約一名様ご案内……なんてね。
そして契約を行うために、人気のない公園の中でも、さらに人払いの結界を張って念を入れる。
魔法少女に変身して魔法のデモンストレーションを行う私に、リナは憧れの視線を向けていた。
「もしかして姉ちゃんは、正義の味方なのか?」
それを聞いて、思わず笑ってしまった。
まさかこの私が正義の味方とは。
偽善者も可愛く思えるほど、ある意味冒涜的ですらあった。
「あははっ、私は夢と希望の使者で、あなたの先輩になる、ただの魔法少女だよ」
そして私は彼女を魔法少女にした。
やがて絶望へと至る魔法少女へと。
私は悪夢と絶望の使者。
魔法少女の皮を被った背信者。
【銀の魔女】りんね☆マギカ。
本日も絶賛外道中です。
自宅へと戻ったリナは、一日を振り返る。
黒い影達――あれらは<使い魔>と呼ばれる、人々に災いをもたらす悪い<魔女>の手下だという。
そんな化け物に殺されそうになったリナは、銀色の光を目にした。
後にリンネと名乗った魔法少女は、リナの絶望をあっさりと打ち払った。
彼女が呼びかければ、黄金の風が吹いて敵を滅する。
銀の杖を天に掲げれば、暗闇の世界は光を取り戻し、リナを再び日常へと戻してくれたのだ。
その圧倒的な光景は、リナの目に強く焼き付いていた。
生まれ時から一緒に育ったサフィの死を、ただ嘆いていただけのリナの心を、彼女は優しく包み込んでくれた。
そして奇跡を起こしてくれた。
彼女は「これはリナが起こした奇跡だよ」と言っていたが、リナはそんなことはないと思っていた。
彼女がいなければリナは殺されていたし、サフィだって助けられなかった。
奇跡だって、彼女がいなければ成し得なかっただろう。
リナにとって彼女は命の恩人で、サフィを救ってくれた間違う事なきヒーローだった。
銀色に輝く姿はまるで正義の味方のようで、実際本人に言ったら笑われてしまったけれど。
それでもリナは強くそう信じていた。
魔法少女になる契約の後。
涙ながらに戻ってきたサフィを抱き締めている間、静かにリナ達を見守ってくれている様は、まるで本当の姉のようだった。
一人っ子であるリナにとって、リンネは憧れのお姉ちゃんだった。
そんな姉のような人と同じ魔法少女になることは、リナにとって何の障害にもならなかった。
ソウルジェムという魔法少女の証は、真紅に輝く宝石のように綺麗だったし、同色の魔法少女衣装はとても可愛くて。
ついつい、リンネに何度も感想を求めてしまったほどだ。
「リナによく似合う、素敵な衣装だよ」
リンネはそう言って、変身後に現れた帽子の上からリナを撫でてくれた。
それがあまりにも嬉しくて。
リナは慣れないスカートを恥ずかしがる余裕もなかった。
その後、リナはリンネから魔法少女としての約束事を教えられた。
魔法少女関係の事は、例え両親でも無関係な一般人に教えてはいけないこと。
ソウルジェムは常に肌身離さず持ち歩くこと。
力を手に入れたからといって、それを無暗に使わないこと。
魔法少女として先輩になるリンネの言葉を、リナはよく聞いていた。
それですっかり帰りが遅くなってしまって、帰ってから母親に怒られても、リナの機嫌は上がりっぱなしのままだった。
自室でサフィの毛並みを丁寧にブラッシングしながら、リナはリンネのことを思い出す。
怖い事も悲しい事もあったけれど、最後は笑顔になれる素敵な一日だった。
「リン姉ちゃん、かっこ良かったなー」
これからリンネは、リナが一人前の魔法少女になれるよう指導してくれるらしい。
魔法少女が人々に希望を与える存在なら、魔女は人々に絶望を与える忌まわしい存在だという。
放っておけば使い魔を生み、使い魔は人間を食べてやがて魔女となる。
恐ろしい事だとリナは思う。
あの黒い影は、いわば魔女の下っ端に過ぎなかったのだ。
魔女とはどんな恐ろしい化け物なのか、リナには想像すらできない。
だけどリナは、自分でも不思議なほど怖いとは思わなかった。
それは使い魔を颯爽と倒して見せたリンネの存在があったからだろう。
どんなに怖い化け物が相手でも、リンネと一緒なら何も怖くない。
だって彼女は、リナのヒーローなのだから。
今現在の拠点である、月二十万もする高級マンションの一室へと戻った私は、制服姿のままベッドに向かってダイブした。
そのままゴロゴロと転がり、ぐだぐだと時間を潰す。
勤勉なのは私の趣味じゃない。
自堕落で、それでいて結果を求める私は、中々に腐っていると思う。
そんな私の側に白いナマモノが現れた。
みんな大好き、這い寄る孵卵器ことキュゥべえだ。
奴は神出鬼没だが、一日一回は私に顔を見せに来るので、それほど驚くことでもなかった。
「流石だね、リンネ。また一人有望そうな子と契約するとは、僕としても嬉しい限りだよ」
キュゥべえは全てを見ていたのだろう。
どこで見ていたのかは知らないが、相変わらず気持ち悪いことだと思う。
「彼女はどこまで育てる気なんだい? 投じる労力に見合った成果を期待したいものだけれど」
「うるさいわね。あなたは私の雇用主かもしれないけど、方針まで一々口を出さないでくれるかしら? 表向きの立場は私の使い魔なんだから、大人しく私に使われてなさいよ」
「やれやれ、つれないね。まぁ結果を出してくれるなら僕は構わないよ。事実、僕としてもきみがいてくれることで打てる手が増えて、助かっているわけだしね。
きみの手腕は信頼してるよ。あの<アリス>で、僕達が予想していた以上の高エネルギーを回収した手並みは評価に値する。僕達も見習うべきかもしれない」
「あなたじゃ無理よ。感情を理解できないから必ずどこかでボロがでる。私がうまくやっているのは、感情をよく理解しているからよ」
「まぁ確かに。それができるなら僕達インキュベーターも、きみ達人類に頼らずとも済んだのだろうしね」
「もう寝るわ。あなたは他の子にでも粉かけに行きなさい」
「まったく、人聞きが悪いじゃないか。他の子のサポートも僕の仕事だよ。それじゃおやすみリンネ、良い夢を」
別れの定型文なのだろうが、インキュベーターに言われると違和感しかなかった。
私との会話に余計な装飾はいらないと常々言っているのだが、奴の対人会話マニュアルは融通が利かないらしい。
私は左手首に巻かれた腕輪を眺める。
周囲にぐるりと☆マークが並んだそれは、四つと僅かだけ色付いていた。
【星の腕輪】
色付いた☆マークは、私の特製ソウルジェムに蓄えられたエネルギー残量を表している。
魔法少女達から回収したエネルギーを上納した後の、私の純粋な取り分だった。
人類を裏切った代償に得た、<祈りの銀貨>と言い換えてもいい。
溜まったエネルギーは、今のところほぼ星四つ分――つまり通常の魔法少女の奇跡四回分にはなる計算だ。
そろそろ何か願い事でもしようか。
持ち運び可能な秘密基地なんて良いかもしれない。
前世で見たコミックスの中に、確かそんな魔法の道具があったような気がする。
インキュベーターの科学力なら実現できると信じておこう。
まぁ奇跡自体、時として奴らの技術力を超える結果を与える不思議システムなので、あまり心配はしていないが。
いや、それは逆に心配するべきなのか?
まぁいい、考えても仕方ないだろう。
私は、パジャマ姿のアリスを抱き枕にしながら眠りに落ちる。
人間辞めても、眠りは変わらず必要なようだった。