【完結】師弟 ―蟹座の黄金聖闘士の話―   作:駱駝倉

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荒野の会合

 

 荒野を二人連れの男が歩いてくる。

 

 一人は大きな箱を背負い、黒い外套を小脇に抱えている。服もはち切れそうな魁偉、牡牛座のハスガード。

 

 その隣に並ぶのは、さすがにハスガードには負けるがけっして見劣りのしない体格の若者。三年もの間、消息を絶っていたマニゴルドである。こちらはごく地味な私服と小さな荷物を担いだ平凡な旅姿だった。

 

 顔立ちからは幼さや甘さが抜け、精悍な大人の風貌になっていた。しかし皮肉っぽい薄笑いを浮かべて、どこか斜に構えた様子は、悪童と呼ばれた少年時代のままである。

 

 ハスガードが言った。「もうすぐ聖域だ」

 

「知ってるよ」とマニゴルドは小うるさそうに返した。「俺が何回ここ通ってると思ってるんだよ」

 

 辺りに人家はない。轍の跡もない。何も知らない者の目には、彼らがあてもなく闇雲に彷徨っているように見えるだろう。それこそが聖闘士の本拠地に続く道。知る者は限られている。

 

 二人はどちらからともなく足を止めた。聖域の一番外側を守る結界まであと僅か、という所だった。

 

「なんか知った顔がちらほらいる」

 

「おまえを連れて帰ると、さっき念話で伝えたからな」

 

「もしかして、あそこにいる全員に?」

 

「いや、黄金位にだけだ」

 

 彼らの行く手には聖衣を纏った聖闘士たちが立ちはだかっていた。蠍座のカルディア。水瓶座のデジェル。山羊座のエルシド。魚座のアルバフィカ。ハスガードは双子座のアスプロスにも連絡を入れていたが、その姿はなかった。射手座のシジフォスは、いつものように外地でアテナ捜索中である。

 

 しかしこの場に集っていたのは、ハスガードの念話を受け取った者だけではなかった。黄金聖闘士が集う状況から変事を察した、その下の聖闘士や雑兵、候補生も様子を窺っている。結界の内側に留まっているとはいえ、その数およそ数十人。

 

「やっぱ俺を捕まえるつもりなんだろうなあ」

 

と、やけくそ気味にマニゴルドが言った。正面で物々しい雰囲気を押し出す聖闘士を無視して、彼は遠くの雑兵たちに手を振った。

 

「おーいおまえら。久しぶり!」

 

 つられて手を振る者はいなかった。

 

「わっ、馬鹿、こっち見んな」

 

「来るなよ、絶対こっち来るんじゃねえぞ」

 

「似てると思ったけどやっぱりマニゴルドだったか」

 

「あの馬鹿野郎、わざとやってやがる。しっしっ」

 

 雑兵たちは急いで追い払う仕草をした。彼らは何年も聖域で働いている。外の修行地からやってきた聖闘士に比べれば、候補生時代の悪童と親しくしていた者は多い。しかし聖闘士たちが警戒している手前、男の帰還を歓迎するわけにはいかなかった。

 

 マニゴルドは傷付いた表情を作った。

 

「ハスガード……。昔の仲間にも拒絶された俺は、やはり帰るべきではなかったんだ」

 

「ふざけてないで行くぞ、ほら」

 

 苦笑して歩き出したハスガードの前を、蠍座が塞いだ。

 

「通してくれ」と牡牛座は穏やかに頼んだ。

 

「あんたは通ればいい。だけど隣のそいつは駄目だ。聖域を捨てた人間が今更何しに来やがった」

 

「予想通りの反応だな、おい」

 

「マニゴルドは聖域から離反したわけではない。調査任務に出ていただけだ。おまえも知っているだろう」

 

「知らねえな。どうせ嘘だろ、そんなの」

 

とカルディアは言い切った。

 

「おまえ、教皇猊下の命をよりによって偽りだというのか。それでも黄金か!」

 

「てめえも教皇って聞いただけで頭が空っぽになる癖、どうにかしろよ」

 

 一歩引いたところで様子を見守っていた水瓶座が、見かねて間に入った。

 

「二人とも落ち着け。記録の件は私も把握している。しかしマニゴルドという人がなぜ聖域を離れたのか、正しい事情を知る者はここにいない。聖衣を与えられなかった者が数年がかりの任務に赴いたと説明されても、俄には納得しがたい。大声で言うのも憚られるが、不名誉な理由で聖域を離れたことを隠すために任務扱いにしたという説さえある。そんな人物が聖域に戻ってきて、歓迎されると思うほうがどうかしている。聖域と敵対する勢力の走狗になったと疑われても仕方ない。ここを通りたければ、身の潔白を示してからだ」

 

「ほー。なるほどなるほど」マニゴルドが感心してみせる。「説明ありがとさん。にいちゃん、名前は?」

 

「デジェル。水瓶座のデジェルだ。ここでは新参者だが、あなたの噂はかねがね聞いている」

 

「碌な噂じゃなさそうだ」

 

 自虐的な言葉だが悪びれた様子はない。デジェルは少し笑って、頷いた。

 

 ハスガードは己の胸を叩いた。

 

「マニゴルドの身の潔白なら、俺が保証する。ここにいるのも、俺がぜひにと頼んだからだ。思うところもあるだろうが、通してくれ」

 

「信じるかよ、ばーか」

 

 口角を上げてもカルディアの目は笑っていない。

 

「黄金聖闘士が付き添っていようが、それで許されると思うな。脱走者、もしくは追放者に相応しい扱いというのがある。これまでの所業を悔い改め、聖闘士の手に掛かるというなら、それで良し。恥知らずにも弁解する気ならその前に息の根を止めてやる。さあどちらが良い、マニゴルド。最後の情けに選ばせてやる。っていうかそんなのどうでもいいけど死ね糞野郎!」

 

 マニゴルドは肩を竦めた。「せっかくそれっぽい口上だったのに、どうでもいいとか言っちゃ台無しじゃねえか。そんなに俺に会いたかったのかよ」

 

「うるせえ。ヘラヘラしてられんのも今のうちだ」

 

 カルディアの小宇宙が刺々しくなる。

 

「お待ち下さい。蠍座様」

 

 殺気立つ黄金聖闘士を引き留めたのは、数人の白銀聖闘士だった。

 

「マニゴルドといえば、聖衣を授かることができないまま追放された者と聞きます。候補生崩れの小物です。黄金聖闘士が相手をしては沽券に関わります。どうか我らにお任せを」

 

 水を差されたカルディアは小宇宙を昂ぶらせた。が、それを一瞬で鎮めた。「行ってこい」と白銀聖闘士たちに顎でしゃくる。それを受け、一人が進み出てマニゴルドに名乗ろうとした。

 

 ところが小物呼ばわりされた男は大声で、「いいよ。まとめて相手してやるから白銀全員で来い」と遮った。荷物と脱いだ上着をハスガードに預けて、腕まくりをする。そして彼らに向かって手招きしてみせた。「その代わり俺が勝ったら通してくれよ」

 

 白銀位からすれば愚弄されたも同然だ。

 

「身の程知らずが! 堕落した揚げ句、聖闘士の常識も忘れたか」

 

「聖衣も持たない者が、白銀聖衣を着けた我らに勝てると思うか」

 

「雑兵程度が百人集まっても、青銅位一人に勝てる道理はない。それすら理解できない愚かさだから追放されたのだろうよ」

 

 後ろからカルディアが落ち着いた声を掛ける。

 

「本人がいいと言ってるんだ。全員で掛かれ」

 

「そんな、蠍座様。相手は生身の人間です。まして聖闘士の戦いは一対一が基本の――」

 

「いいから行け。これ以上がたがた抜かすなら俺がおまえらを殺す」

 

 在位する黄金聖闘士の中で、最も容赦がないのがカルディアだ。誇張や脅しではないだろう。白銀聖闘士たちは、上位の者の指示ということで、大勢で一人を袋叩きにする後ろめたさを押し殺した。

 

 七人ほどが視線を交わし合った。

 

 彼らは土を蹴り、不埒な男に飛びかかった。マニゴルドは動かない。やはり白銀聖闘士の素早さについていけないのだと、多くの者は安心した。次の瞬間、飛びかかったはずの聖闘士たちは、一様に後方へもんどり打った。中央ではマニゴルドが涼しい顔で佇んでいる。

 

 場がどよめいた。

 

 カルディアを初めとする黄金聖闘士は動じない。彼らには、マニゴルドが迫り来る相手に次々と拳を叩き込む様子が見えていた。白銀聖闘士はそれに倒された。それだけだ。しかし多くの者にとっては、男の拳の速さは予想と限界を超えていた。目で捉えることすらできなかった。その事実自体が、ほとんどの者にとって驚きだったのだ。

 

 倒された白銀聖闘士たちも地面から起き上がれない。彼らは体だけでなく心にも衝撃を受けていた。殴られた箇所が、熱した鉄球をねじ込まれたように痛い。聖衣の上から受けた打撃なら、こうはならない。

 

 男は聖衣の隙間を狙い、いとも容易くそこへの攻撃を成功させた。まぐれ当たりでない証拠に、七名全てが同じ目に遭っている。数の優位も成り立たない実力差。白銀聖闘士を圧倒する力を持つ者は、そう多くない。

 

 もはや、この男を候補生崩れの小物と侮ることはできなかった。

 

「やっぱりこいつら程度じゃ歯が立たねえか」

 

と、蠍座が言った。指の関節をポキポキ鳴らしながら進み出てくる。嬉しそうな様子にマニゴルドは呆れた。

 

「そう思うならけしかけてやるなよ。可哀相に」

 

「ふん」カルディアは足元の敗者を爪先で小突いた。「邪魔だ。どけ」

 

「相変わらず勝手な奴」

 

「勝手に出ていった野郎に言われたくねえな」

 

 カルディアは生きた突風となってマニゴルドに襲いかかった。白銀聖闘士七人を一人でねじ伏せた男は、今度はすぐに身構えかけた。しかし何を思ったか、拳を受ける寸前で姿勢と重心を元に戻した。

 

 鈍い衝撃音。

 

 青空高く、一個の体が宙を飛ぶ。

 

 その放物線を、黄金聖闘士たちはそれぞれの表情で見守った。その他の見物人はわっと歓声を上げた。驚いているのは殴った当人である。ぽかんと口を開けた。

 

 マニゴルドは空中で体勢を立て直し、猫のごとく静かに地面に降り立った。殴られた顎を擦りながらカルディアに笑いかけた。

 

「おお痛てえ。なかなか重い一撃が出せるようになったじゃねえか。あのひ弱な坊ちゃんがよ」

 

 カルディアの顔がみるみる朱に染まった。

 

「……てめえ、わざと受けやがったな」

 

「俺なりの誠意さ」

 

「ふざけんな死ね!」

 

 カルディアは激情のままに男に踊りかかった。

 

「まだ俺のこと馬鹿にしてんな! おまえが修行しないで遊んでる間、どっかに行ってた間に、俺はずっと強くなったんだ」

 

 怒りを纏った拳が空気を切り裂き、顔に押し寄せる。マニゴルドは肘で受けた。ゴッと岩がぶつかったような音。二人の小宇宙が火花のように散った。

 

 今更ながら野次馬たちの胸に疑問が湧く。

 

 この男はなぜ現れたのか。

 

 蠍座と互角に戦っている男は、落伍者として聖域を去ったとされる者と同一人物なのだろうか。任務に遣わされたと聞いても、それを信じる者は当時からほとんどいなかった。聖衣も持たない者が正式な聖闘士のように扱われるはずがない。聖域から追い出すための体の良い口実だと思われていた。

 

 しかし彼は戻ってきた。

 

「そうだな。強くなった」

 

 今度はマニゴルドも一撃で相手を張り飛ばすというわけにはいかなかった。太腿の横への蹴りを中心とした速攻の連続。しかし黄金聖衣は白銀聖衣に比べて隙間が少ない。そこも聖衣に覆われた部位であり、蹴られた者にとっては大して痛くもない。

 

 カルディアは苛立ち、嘲笑した。

 

「おまえは弱くなったな。全然響いてこねえ」

 

「たしかに俺は弱くなった。でもまあ――」

 

 マニゴルドは胴を踏み抜く勢いで相手を蹴り飛ばした。カルディアは勢いに押されて後ろへ滑った。削られた地面から土煙が巻き起こる。間合いが広がる。カルディアは反撃に出ようとして、不意にがくりと片膝を付いた。ここへ来て、攻撃を受け続けた足の急所が悲鳴を上げていた。

 

 かつて死に神と呼ばれた男は、かつてそう呼んだ相手を見下ろして人差し指を向けた。

 

「――殺そうと思えば、この指一本でここにいる全員を一瞬で殺せる。抵抗も出来ずに、皆揃ってこの世からお別れだ」

 

 この場に彼の技を見たことがある者はいない。それでも今の言葉がはったりだとは誰も思わなかった。深い奈落の底を覗き込んだ時の気分。解放されたマニゴルドの小宇宙が感じさせるのは、それに似ていた。冷たい風が吹いた。

 

「奇遇だな」

 

 声を上げたのは、少し離れた所から見ていたアルバフィカだった。

 

「抵抗されずにこの場の全員を殺せる技なら、私も使える。おまえが聖域に牙を剥くなら、友であろうと容赦はしない」

 

 男は成長した幼馴染みへ陽気に返す。

 

「おう、アルバフィカ久しぶり。魚座になれたんだな。おめでとさん」

 

 魚座は冷ややかに頷き、手にした薔薇を旧友に向けた。

 

「蠍座の言にも一理ある。おまえは称号を得る前に師の許を去ったそうだな。事実がどうあれ、それは聖域との縁を切ったに等しい。今一度縁を繋ぐ気があるなら、ここにいる全員を納得させるだけのものを見せろ。探索に出ていたというなら、その成果でもいい。ここを通しても良いと思える物を示せ」

 

「黄金聖闘士の首級なんてどうだ?」

 

 不敵に笑う男に、周囲の緊張が高まる。

 

「なーんてな。ここで誰か殺したら、今度は俺が殺される。そんな面倒臭せえ事はやらねえよ。でも見せられるもんもないんだ。俺の顔に免じて許してよ」

 

 自らが作り出した緊迫した雰囲気を、マニゴルドはあっさり壊した。そもそもこの場に現れてからというもの、彼自身は陽気で軽薄な態度を崩していない。

 

「相変わらずだな」と、薔薇を持つ手も下ろされた。「蠍座。私の代わりに十発くらい殴っておいてくれ」

 

「指図すんな。てめえでやれ」

 

 カルディアは吐き捨て、再びマニゴルドに躍りかかった。二人の拳の応酬に空気と大地が痛めつけられ、極小規模の嵐を巻き起こす。

 

 彼らを眺めるアルバフィカが軽く溜息を吐いた。ハスガードは年下の僚友に歩み寄り、数歩の距離で立ち止まった。あまり接近すると、相手が神経質になるからだ。体内の毒で無意識に他人を害することを、アルバフィカは恐れている。

 

「よく来てくれたな。幼馴染みの出迎えはあの男にも嬉しかっただろう」

 

とハスガードは言った。昔の誼で、アルバフィカにはマニゴルドの帰還を伝えてあった。しかし隠者のように暮らしている魚座が人前に現れることは期待していなかった。嬉しい驚きだ。

 

「私はどうでもよかったんだ。水瓶座があいつに興味を持っていたので連れてきてやっただけだ」

 

 巻き込まれたデジェルが驚きの声を上げた。

 

 それより、とアルバフィカは澄まして話を変えた。「あなたが外部任務の途中でマニゴルドを見つけたという、そこまではいい。あいつは自分の意思でここに来たのか。それともあなたに連れて来られたのか」

 

「俺が説得して連れてきた。大丈夫だ」

 

 彼の懸念はハスガードにも分かっている。聖域から姿を消した者が数年ぶりに突然現れたのだ。敵の送り込んだ間諜ではないかと疑うのは正しい。マニゴルドが単身で戻ってくれば、その疑いを解くことはまず不可能だろう。だからハスガードは仲介者として一役買うことにした。

 

「その辺りの経緯が念話ではよく分からなかった。差し支えなければ聞かせてくれないか」

 

「私もぜひ聞きたい」

 

と、デジェルも乗った。

 

 本人が言うような、大勢を一度に殺せる技をもってすればマニゴルドがこの場を切り抜けることは容易い。そうせず堂々と聖域に乗り込む道を選び、カルディアと大立ち回りをしている時点で、間諜として動く気はないだろう。それをするには目立ちすぎた。だからといって、陽動を担っている可能性までは否定できない。

 

 ハスガードは地上の嵐を見やった。

 

 猛獣同士の危険なじゃれ合いに乱入しようという命知らずの小鳥はおらず、白銀以下の聖闘士たちは結界の内側へ避難した。万が一に備えて(あるいは自分も交ざりたいと思いながら)エルシドが見守っているから、致命的な状況にはならないだろう。

 

「べつに俺が誘導されたわけでもないが。語ってそれで納得してくれるなら」

 

 彼は語り出した。

 

          ◇

 

 ――石畳の路地の両脇に、小さな商店や露天商が立ち並ぶ。水煙草。絨毯や布地。金製品に銀製品、銅や真鍮の金物類。石鹸。籠や箒といった日用雑貨。午後いっぱいの長い休みを終えて、ようやく市場が開き始めた。

 

 路地の上は粗織りの日除け布が覆っている。風が抜けないので、どこに行っても人々の体臭と香水が入り混じった独特の匂いがする。それでも食材を取り扱う区画に比べればいいほうだ。ハスガードは襟元を緩めた。

 

 そこは地中海南岸に面したエジプトの港町。単身、任務に赴く途中だった。

 

 聖衣を入れた箱に目を付けたのか、彼に歩み寄る男がいた。

 

「旦那、旦那。そんな大きな荷物でどこに行くんだい。旅の人だろう。今夜の宿はもう決まってるかい? お薦めの宿屋があるよ」

 

「もう宿は決めている」

 

「そう言わずに。うちの寝台なら旦那みたいな大きな人でも足がはみ出さずに休めるよ。おまけに三百年続く、由緒正しい隊商宿だ」

 

 ハスガードが断ってもお構いなしに近づいてくる。肩が触れるほど近くまでやって来ると、その男は素早く手を動かした。何気ない仕草。ハスガードも納得して、同じ仕草を返した。二人は、互いが聖闘士の系譜に連なる仲間である事を確認した。

 

 名も知らぬ男は囁いてきた。「聖衣持ちの聖闘士とお見受けします」

 

 ハスガードは頷く。「怪異の件を報せてきたのはおまえだな」

 

「はい。この町で宿屋を預かっております」

 

 世間に溶け込みながら、地域の情勢を聖域へ伝える役目の雑兵が世界各地にいる。この男もその一員だった。彼から聖域へ、封印されていた古い精霊が目覚めたという遠方の噂が伝えられた。宿に泊まった客からの情報だという。その精霊は人を食うそうで、実際に人死にも出ているらしい。精霊と呼ばれていても、実態は冥闘士によって引き起こされた怪異の可能性もある。状況を確認する必要があると聖域は判断した。そこでハスガードが遣わされた。

 

 本来、黄金聖闘士の務めは聖域の中枢たる十二宮を守ることだ。聖域の外へ出陣することは求められていない。しかし時には「なぜこんな事にまで聖闘士が出張ってくるのか」と現場の雑兵に言われるような小事にも、黄金聖闘士が対応することがある。現場の下級聖闘士や雑兵の務めを知らなければ、彼らに適切な指示を出せないからだ。そこで本来であれば青銅位に適しているような任務に、敢えて黄金位が赴く場合があった。

 

「詳しくは後ほど。私はこれから夕食の材料を仕入れに行きますので、先に宿にお入りください。留守番には、大切なお客が来ると伝えてありますから」

 

 主人自ら買い物に出るくらいなら、その留守番とやらを使いに出せばいいものを。そんなことを考えていると、相手は付け加えた。

 

「ご安心を。聖闘士の世界は何も知らない奴ですが、頭も切れるし、気も利きます。本人にその気があるなら、表の仕事を手伝わせてやろうと思ってまして――」

 

「分かった」ハスガードは唐突に大きな声を上げた。俗世のことには、黄金聖闘士が干渉すべきではない。「そこまで言うなら、あんたの勧める宿にしよう」

 

 相手もすぐに切り替えて、「お客さん、うちの鳩料理は楽しみにしてくれていいよ」と、周囲に聞こえる程度の声量で応じた。

 

 それからハスガードは件の宿に着き、言われた通りに中に呼びかけた。

 

 間の抜けた返事があり、戸が開いた。留守を預かっていた男が現れ、ハスガードは驚いた。

 

 中から姿を見せたのがマニゴルドだった。

 


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