「いやあ、いいお湯加減だね」
裸体を晒したマルセイユは、自身の豊満な胸を上側の開いた丸い円筒形状の、いわゆる『スオムス産オーク樽』に張られた湯の中に沈めながら安堵の声をついた。
「しかし良かったな。人が入れそうないい樽があって……これが扶桑の伝統のやり方なのかい?」
もうもうと立ち上る蒸気の湯煙。
すっかり夜も更けている。
どこまでも続く砂漠の闇、薄暗いその中では電灯の明かりだけが頼りだ。
少し窮屈ではあるが木で隙間なく組まれたそれはちょうど水漏れを防ぐらしく、おあつらえ向きにお風呂の体を成していた。
「ええ、少し変わっているけど、これが五右衛門風呂っていうものよ。昔、扶桑には五右衛門という釜茹でにされた罪人がいたの」
横に並べられたもうひとつの樽風呂の中でケイが、いつもの防塵グラスを外した頭の上に小タオルを畳んだものを器用に乗せながら説明をしてくれた。
「この気持ちよさは確かに罪だな」
彼女は戦線での緊張が完全にとけたような恍惚の表情を浮かべている。
至福。
幸せなのだ。
滅多に身体を流せないアフリカ北部砂漠地帯でのこと、こうしてお風呂に入るということはウィッチたちにとって悦楽を感じるなにかがあった。
「心地はいいね」
「ほんと」
そのままマルセイユは夜空に広がる満天の星を仰いだ。
雲ひとつない澄みすぎたくらいに綺麗な星座がウィッチを迎えてくれている。
「ん」
ふと後方に振り向くマルセイユ。
……その反動で湯船が大きく波打った。
樽の位置には後ろもなにもありはしないが、そちらはちょうど光源の物陰になっている。
「ぬるいぞ、雑用係。もっと火力を上げろ」
「うぇぇ~」
そこにいたのはとりあえずの雑用のウィッチであるルッキーニ。
彼女はマルセイユの浸かる樽のちょうど空間のあいた下部にくべられた木材燃料の火加減を調節していた。
簡素な筒状の道具で、酸素の入った空気を肺から喉を通して直接吐くように送りこんでいるのだ。
ぷー、ぷひゅー、というように。
「なんであたしがこんなことまで~!」
闇の中でよく見えはしないが、ルッキーニは非常に不満げな顔をしているようだ。
「人手が足りないんだ。後でちゃんと交代させるからおとなしくやってくれ」
「そうだぞルッキーニ。風呂が羨ましいからってサボるな」
やや遠巻きにシャーリーの声がする。
「それはあなたもよ」
ケイがぴしゃり、とたしなめた。二個並んだ樽風呂のうちでシャーリーはケイの火力担当である。
……本人はそれを微妙に嫌がっているようだが。
「それはさておいて」
樽の中でにわかに立ち上がるマルセイユだった。
「今、私たちがこんな快適な思いをしているのも、ひとえに水のあるおかげだね。……このことは感謝しているよ、ルッキーニ」
そしてルッキーニの方を見やる。
だけど。
「……? ルッキーニ?」
どうも様子がおかしい。
「……ね……む……ね……おっ……い……」
なにやらブツブツと呟きながら立ちすくんでいるようだ。
「どうしたの?」
そんな拍子にあわせて心配そうな声をあげるケイがいた。
……だがそんな呼びかけですらルッキーニは全く反応せず。
そして唐突に。
「マルセイユのおっきい胸ぇ~~!!」
わしり。
背筋に鳥肌がたった。
少し遅れるようにして旋律が走るような衝撃がマルセイユの全身を伝っていった。
「ほぉ~う……でっかい……!」
ルッキーニが両手で背後からマルセイユの胸を鷲掴んだのだ。
「な、な、な、な、なあっ」
「ありゃ~ルッキーニ、またやったのか~」
ため息混じりにシャーリーが呆れ声をあげるのが聞こえる。
……これはルッキーニにとって『よくあること』であるらしい。
彼女は女性の胸が大好きなのだ。
大きければ大きいほど、より触りたくなるらしい。
まだ甘えん坊な子供、の名残ではある。
「もみもみ~」
「こらっ!!」
その状態から適度に力を込めて胸を揉んできた。
軽い取っ組み合いになって、マルセイユはなんとかそれを振りほどく。
「……いい加減にしろ!」
「ちぇ~っ、減るもんじゃないのに~」
胸というおもちゃを失ったルッキーニは不満気に縮こまった。
「ま、まあ……また後でうるさくなるぞ、ルッキーニ……」
シャーリーは『もう慣れっこ』といった心象のようだった。
いつもこんな調子ではある。
普段の様子を見る限り、胸を触るのが好きなルッキーニは特にシャーリーの特大のそれに目がないようだった。
もしも仮に当人が男であったならそれは性的な攻撃だ。
ルッキーニがウィッチで救われたのだ。
誰かが、または、皆が。
「変態め……」
そんなマルセイユたちを星が笑っていた。
束の間の平和。
だがこんな時ですら、ネウロイに対する警戒は怠ってはならないのだ。
ライーサや真美らはいまだ哨戒の手を休めてはいない。
そのための交代制である。
ではあるのだが。
「ふふっ」
思わず安堵の笑みがこぼれる。
……この休息の時間が惜しい。
ずっと、もしくはいっそのこと永遠に続いてくれれば、とさえ思うことがある。
そして軍人たるマルセイユたちウィッチにはそんな願望は露ほども許されてはいないのだ。
「……しかし気が利くねシャーリー。果実の匂いのするお風呂だとは。これはシャーリーの担当だったよな?」
ブドウのそれのようなほんわりとした香り。
嗅覚を刺激されて心の底からリラックスできる。
「え? あたしは別に果物の芳香剤なんて入れてないよ?」
「ん?」
……ブドウのそれのようなツンとした香り。
「ではこれは……まさか!!」
「なんか変な気分になってきた~」
ルッキーニがふらふら、とへたり込んだ。
「あー。どうやらこれって、ワイン樽だったみたいだなー」
間の抜けた感じでシャーリーがひとつの憶測の結論らしき答えを出す。
「ワイン……染み出している……だと」
咄嗟にケイの入っている方を確認する。
だが。
「ふぁ、ふぁいん、れすってぇ……ど、どうりで……いいきもち……なのら……」
ケイの頭がふらつきはじめ、湯の中に文字通り沈んでいくのが見えた。
「ごぼごぼごぼ」
「ケ、ケイーーーー! 大丈夫かっ!!」
宵の魔女たちの、ほんのちょっとした参事である。
……マルセイユは顔がほてり逆上せてくる感覚を確かに覚えた。