瀬流彦゜   作:ガビアル

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六話

 少女は暗闇が怖かった。

 それは少女の手で触れるにはあまりに多くの物を含みすぎ、混然とし、自らもその一部になってしまいそうで。

 逆に自らもその一部となり、混ざり合い、率いてしまえば楽になるのかもしれない。それは大きな誘惑であり、いつかどこかで感じたような既視感もまたあった。

 しかし祖父は言う。大好きな祖父は言うのだ。苦や楽、そんなものは置いておき、知りなさい、と。色を付ける前の色を知りなさいと。そして決まって、難しい言葉にきょとんとする少女を抱え上げ、膝の上に座らせ、大きな暖かい手の平で少女の頭を撫でるのだった。

 幼稚園で怖がりだと囃したてられ、泣き出してしまった時も、小学校の友達にお祭りで肝試しに参加させられてしまい、半ベソをかいてしまった時もまた、父と母は仕方無いなあという顔で慰めるものだが、祖父は違った。少女の背中を優しく撫で、臆病さについて語る、生命としてはむしろ当たり前の事だと、人一倍臆病なのは強く生きようという表れなのだと。これを誤魔化し、強がるものこそ己の感受性に蓋をしているに等しいとも言う。

 少女にとって祖父は大きな存在だった。苦しい時、悲しい時、嬉しい時、楽しい時、少女は祖父の揺らす安楽椅子の手すりに腕をかけて精一杯背伸びをした言葉使いで話しかけていた。一つ出来事を話すと、祖父はそこから思いついた蘊蓄を語り、時には自らの考えを語ったりもする。ぽんぽんと飛び出してくる人名を頼りに本を読み、祖父の話に懸命に付いて行こうともする。時には付け焼き刃の知識を披露し、からからと笑われてしまう事もあったが、少女にとってその時間はかけがえのないものであり、日々の一番の楽しみでもあった。

 濃いめのアールグレイ、変わったお菓子好きの祖父が取り寄せた地方のB級お菓子を一緒に頂き、舌鼓。同年代からは少しばかり浮いているかもしれない落ち着いた口調で祖父と話す。少女が小学校高学年にもなった頃、もう暗闇は怖くなくなっていた。

 

 自動販売機で指が彷徨う。右に行き、左に行き、また右へ。

 少女は眠そうな目を左、右と移しながらどちらにしようか悩んでいた。

 

「ゆえー」

 

 とことこと、どこか小動物めいて見えてしまう親友が歩いて来る。よし、と左のボタンを押した。

 少女は無表情の中に好奇心を煌めかせ、紙パックのジュースを取り出す。パッケージには軒並みミックスハワイアンという文字が椰子の木と共に印刷されている。のの字しか合ってませんが、と頭の中で呟き、親友に振り返った。

 

「のどかが来たので決まりました。そろそろ発表の時間ですか」

「うんー、でも私が来たからって?」

「これです」

 

 少女がこれぞ、とばかりに突き出した今日の獲物に、親友はやはり困ったような笑みを浮かべて返すのだった。

 

 綾瀬夕映という少女が大好きだった祖父を失い、二年が経った。一時は落ち込み、色の褪せたように感じていた世界も、今では宮崎のどかという親友を得て、元の色合いではないにしろ、世界は新しく鮮やかな色に満ちている。また、早乙女ハルナという何しろノリの良い友人もまた、諸事あまり積極的とは言えない二人にとって、ぴったりだったかもしれない。さらに少し天然の入った、おっとりとしたムードメーカーの近衛木乃香を加えれば一日図書館に篭もっていても飽きる事はない。

 図書館探検部という部活もまた持ち前の知識欲、好奇心を満たすには良いものだった。ほのかに刺激的で穏やかな日々、寮に戻れば自分好みに馴染んだ部屋、何故か買ってしまったおかしな兎のぬいぐるみ。

 時にはどこかで何か物足りないものを感じもしたが、何不自由もなく、日々を楽しんでいた。

 変化が起きたのは年を越した後。色々な意味で大らかであると言える麻帆良でも、大丈夫なのかと突っ込みを入れたくなるほどの子供が担任として赴任してきた時。

 ネギ・スプリングフィールドという少年は不思議な存在だった。いつもこの少年を中心に騒ぎが巻き起こる。短いながらも図書館島の地下で共同生活などした際、その一端を伺い知る事はできた。

 いつから始まったものなのか、もはや定番と化している成績順位の発表。一度は最下位になり、また一悶着があったものの、結果的に学園で唯一の子供先生が居なくなるという事態は避ける事ができ、この時ばかりは、綾瀬夕映も親友のほのかな感情を慮り、心底安堵のため息を漏らしたものだった。

 新年度も始まり、初日から大騒ぎをしている三年A組の喧噪、身体測定にかこつけて良いようにからかわれてしまう子供先生をどこか微笑ましくも思いながら、綾瀬夕映は何となく図書館島での一件、考えてみると色々不思議だった事を思い起こしていた。

 

「まほう、魔法……ですか」

 

 はてと首を捻る。友人のこのかに借りるオカルト系の本にでも影響されてしまったかと。どこか惹かれる言葉のようだった。魔法の本などどうせよく出来た参考書、プラセーボ効果が見込める程度の物、などと考えていたと言うのに。

 その独り言を聞きつけた隣の席の長谷川千雨が肩を落とし「ブルータス、お前もか」と口の中で呟いたが、それは幸い誰の耳にも入る事はなかった。

 

   ◇

 

 今年の桜は早咲きの割に長く保つ。

 春の風に浮かれて花びらと共に舞う使い魔を視界の端にとめ、瀬流彦はぼんやりとした顔で桜並木を眺めていた。

 今年度より瀬流彦は教科担当のみを受け持つ事が決まっていた、魔法世界が落ち着きを見せてきた事もあり、魔法使いとしての活動はむしろ減っている、副担任としての仕事も無くなると、逆に余った時間を持て余すようにさえなっていた。

 日が落ち始め、茜の色に桜が染まる。自らの影が長く伸びるのを眺めながらふと口に出した。

 

「春の陽気に誘われましたか、それともローラでもお探しで?」

「……私に同性愛の趣向はない」

 

 ひどく憮然とした声が桜の木の裏から返る、日を避けていたらしい。いかにも魔法使いらしい格好をしたエヴァンジェリンが顔を覗かせた。

 

「貴様、副担を外されたとはいえ、さすがにまだやることが残っているだろう、サボっていていいのか」

「ええまあ、すぐ戻りますが、しかし随分めかし込みましたね」

「ふん、伝統的な魔法使いの衣装という奴だ。中々似合うだろう」

「ええ、さすがの演出です、生徒の襲撃もその一つですか」

 

 エヴァンジェリンは半眼になると右手で追い払うようにしっしっと言いながら振る。

 

「小言なら間に合っている、若造は戻って仕事でもしてこい」

「あーいえ、ネギ君の一件に関してもある程度魔力が必要なのは判ります、ただ一般人の血では効率が悪いんじゃないかなって思いまして」

 

 瀬流彦が表情を変えずにそう言うと、エヴァンジェリンはまじまじと見詰め、次いで吹き出した。

 

「くく、今更正道の魔法使いを目指せとは言わんが、生徒を心配するくらいはしろ、教師のくせをして」

 

 それもそうです、と瀬流彦は頬を掻く。エヴァンジェリンは小さく笑っていたが、ふと笑いを納め夕闇に少しの諦念を混ぜたため息を吐き言う。

 

「まさか学園の中で堂々と吸血できると本当に思っているのかお前は。見かけだけだ。魔力が必要なのは確かだがな、そっちはタカミチから搾り取っているさ」

「ああ、どおりで最近げっそりと……さすがになんです、僕も献血でもしましょうか?」

「ぬかせ、貴様はたまに私に誰かを重ねて見てるだろう、そんな奴からは頼まれても血など貰わん」

 

 話は終わり、とばかりにエヴァンジェリンは木々の上に飛び上がる。見抜かれていましたか、と呟き、苦笑いを浮かべる瀬流彦のみが残された。

 

 ネギ・スプリングフィールドという少年の印象は一言で言って、育ちの良い少年だった。写真の印象とあまり変わらない。ただ実際に見ているとその内面に何かがあるようだったが、彼の過去の出来事を知ればそれもまた当然だと思える。

 驚いたのはむしろ風の精霊への影響力だったかもしれない。まさかくしゃみと共に暴発した魔力で風の精霊が暴走するなどとは想像の外だった。余程の高魔力と属性への高い親和性が産み出した事なのだろうが、まず普通は有り得ない現象だ。

 

「お株を奪われちゃいましたかねェ」

 

 サンドイッチを手に屋上で呟く。むしろ早く成長して大いにお株を奪って貰いたいものだ、などと思ってしまうあたりは少し困ったものかもしれない。

 そんな事を思いつつ昼食を取っていると、使い魔の妖精がどこか情けない感情を垂れ流しながら戻ってきた。

 

『うえぇーん! 助けてピコリン、白い悪魔が!』

「白い悪魔?」

 

 瀬流彦はとうとうこの使い魔も日本のカルチャーに浸透されたのかと一瞬思ったがどうやら違うものらしい。

 若草色の髪を荒れさせ涙ぐんでいる。桜イメージなのか薄桃色のドレス姿で、なぜか服が一部はだけていた。妖精にとって服も体の一部のはず、はてと首を捻る。

 突如、フェンスの後ろから白い小さな影が飛び出し、恐ろしく素早い動きで瀬流彦の方に向かってくる。

 

「おっ嬢さぁーん! 妖精のよしみで俺っちとしっぽりぬっぽりお茶しようぜ!」

『来たああーーッ!』

 

 頭にしがみつくプーカに飛び掛かってきた影を瀬流彦は無造作に掴み取った。ぶらぶらと揺れるそれを眺める。

 

「何です……イタチ?」

「へへ……やるねぇ兄ちゃん、こりゃ餞別だ、とっときな!」

 

 身代わりの術とでも言うべきなのだろうか。瀬流彦が一瞬まばたきをしたその隙に、手の中の白いイタチらしき動物は、白い布きれに変わっていた。

 

『ひやああーーッ! 近寄るなぁ、変態変態変態ぃー!』

「最ッ高の褒め言葉だぜお嬢さんよー!」

 

 騒がしく追いかけっこを続けながら遠ざかる使い魔とイタチらしき影を眺め「賑やかですねェ」と呟く。取り立てて危害を加える類の存在ではなさそうだとは判断していた。恐らく学園に居る魔法使いの誰かが使い魔として慣らそうとでもしたのだろうとも。ただ、少々手癖は悪いようだ。

(このパンティはどうしたものでしょうか)

 握らされていた白い布、おそらくシルク。明らかに女モノのそれを何となく丁寧にたたみながら瀬流彦は途方に暮れた。

 

   ◇

 

 エヴァンジェリンは上機嫌だった。表面には出さないが。

 露天のカフェで冷めてしまったコーヒーをすすり、内心でほくそ笑む。

 ネギ・スプリングフィールドという少年、かつて永遠を生きる少女が欲した男の遺児。実際に会ってしまえばどう感情が動くのかエヴァンジェリン自身にも判らないところがあり、柄にもなく不安を覚えていた時期もあった。実際に見てみれば父親とは正反対の大人しく、純朴そうな子供。見た目と持って生まれた魔力量はやはりと思うものもあったが、些か拍子の抜けたような感覚を抱いたのは確かだった。

 新年度を迎え、学園長の目論見通りに動かされる事に……ちょっとした苛立ちのようなものはあったにしろ、舞台に上がる前の仕込みとし、夜な夜な生徒達に「吸血鬼に襲われた」暗示をかけるなどという、子供の悪戯めいた事もまた退屈しのぎにはなった。無論、悪戯も時には少々手を加える事もあったが。

 一つ変化がある。

 従者である茶々丸の情動の成長にでもなれば、と裏の事情についてエヴァンジェリンは伏せていたのだが、果たして面白い事になった。ネギに襲撃された事を隠した、ネギを庇い、嘘をついたのだ。その時の様子は学園長の式神により確認している、いざという時の転移符でたとえネギが魔法の射手を戻さなくとも無事ではあるはずだった。無論その場合学園長が待ったと言おうが見切りを付け、その日のうちに全てを済ます腹づもりでもあったのだが。

 エヴァンジェリンはカップのコーヒーを干し、葉加瀬のメンテナンスを受けている己が従者を見やる。心の中で語りかけた。茶々丸、初めてお前は自分の思考から「嘘」をついたのだ、と。

 子が育つのを見るような感覚すら覚え、失笑する。かつてチャチャゼロが情動を得たのは血と鉄と炎の中だった。このような平和の中で育つ従者も悪くはない、とも。

 その夜、ネギに助言者がついた事で念を入れ、茶々丸に持たせる当座の護符に魔力を消耗し過ぎてしまい、おかげで風邪を引き込んでしまったのは、長年を生き抜いた闇の魔王としては少々格好の付かない話であったかもしれない。

 

 舞台は調い役者は揃う。台上を彩るは魔法の光、踊るは二人の魔法使いと一人の少女。

 しかし当然ながら舞台の下で支える存在もまたあり、瀬流彦はそんな役割のようだった。

 

「誰か倒れてますね。あー、これは……困った格好です。源先生に来て貰って良かったですよ」

「ふふ、本当ですね。じゃあ瀬流彦先生はそのまま向こうを見てて下さいね」

 

 暗闇の中、裸で倒れていた二人に向かい、源しずなは念のためにと持ってきていた服を着せてゆく。

 瀬流彦は若干の気まずさを感じながら、闇夜に向かい一つため息を吐いた、ネギ・スプリングフィールドを追い、鼠を狩る猫のように夢中になっているであろうエヴァンジェリンに文句を言う。もちろん囁きを風の精霊に伝えてもらい。

 黙殺されるかと思いきや返事はすぐに返ってきた。

 

『文句はあの坊やに言え、なぜああも武装解除が強力なんだ。言っておくが私は服を着せてやった側だぞ、こやつら停電だというのに暢気に風呂に入っていたんだ』

 

 どうやらエヴァンジェリンとしても一言物申したい気分だったらしい。魔力が戻っているためか少々手間のかかる遠距離の念話も易々と使えるようだ。

 しかしまあ、と瀬流彦は苦笑を浮かべる。停電時に風呂とは何ともあのクラスらしい。

 

『そんな事より守りは大丈夫だろうな。呪いは解いてないんだ、面白いところで侵入者対策に駆り出されるのは御免だぞ』

「ええまあ、この時を狙ってくる方々には外縁部でお引き取りを願っています」

『貴様は働かんのか?』

「やだなァ、索敵はしっかりしてますって」

 

(もっとも精霊さん頼りではあるんですが)

 そんな事を思い一つ頬を掻く、広域探査や索敵などは瀬流彦の特性にはそれなりに向いている。一番の特技というわけでもないが、人手不足の現状から引っ張り出される事は多い。

 どうも古臭い因習か、はたまた魔法世界の大戦の影響か、戦闘に傾いた魔法使いが多く、この手の情報収集に長けた魔法使いが少ない。まほネットの普及もあり、コンピュータ技術を併用した情報処理関係については弐集院を筆頭に後進の若い者も集まっているらしいが、地道な調査や偵察は敬遠されがちというのが実情でもあった。

 

「瀬流彦先生、もう良いですよ」

 

 生徒に服を着せ終えた源しずなが瀬流彦に声をかける。

 

「はい、それじゃさっさと医務室に運んじゃいましょう、どうもあと二人ほど運ぶ必要がありそうです」

 

 瀬流彦はようやく追いついたらしい使い魔が伝えてきた情報を話した。どうも女の子と女の子が「ごっつんこ」したらしい。生徒の一人を背負いながら、氷嚢でも用意しておいたほうが良いかと考える。振り返り、改めて被害を確認し、早めに業者に頼んでおかねば、とも。

 電気の灯りの消えた大浴場、派手に割れた大窓から月が水面を優しく照らし出していた。

 

   ◇

 

 まだ少々の肌寒さも感じる夜風に紫煙がたなびき消えてゆく。

 麻帆良と外部を隔てる長大な橋、その主塔の上に高畑・T・タカミチの姿があった。

 

「やれやれ、上手くまとまったと言えるかな」

 

 わいのわいのと大騒ぎをしながら麻帆良に戻る四人の姿を高畑は見送る。あれほど楽しそうなエヴァンジェリン、気の緩んだ顔を見せるのは何年ぶりだろうか。高畑がエヴァンジェリンと同じように学生で居た頃以来かもしれない。そして、と一人の少女に目を移す。

 

「アスナ君……」

 

 高畑の表情は変わらない。色々なものを見過ぎてしまったから。師匠が吸っていたものと同じ煙草を吹かすだけだ。ただ無意識にか、突っ込んだままのポケットの中で拳が握りしめられ、ぎしりと重い音を鳴らす。

 それに気付き、高畑は苦笑を浮かべる。常在戦場の域には程遠い自分を笑う。夜空を見上げ、煙を細く吹く。消えゆく紫煙を眺めながら学園長との会話を思い出した。

 

「さすがにネギ君の仮契約相手となってしまえばアスナ君は魔法界と繋がりが深くなりすぎます、ただでさえ、彼女の記憶は……明日菜君は明日菜君のままではいけないのでしょうか?」

 

 高畑が学園長に言う。苦しい声で。学園長は目を瞑り、開る。喉を湿らせるように茶を一口啜り、ゆっくりと言った。

 

「それを本人で選んで貰うのじゃよタカミチ、七年前の記憶処置、封印のみで消してはおらんのじゃろう? それでも何とか本国は騙くらかせた。あやつらは記憶を失った姫になど価値を見んからのう。じゃが一部の者にとっては別じゃ。これからも生涯この地に居るのならば守る事も出来ようが。それは果たしてアスナちゃんのためかの?」

 

 高畑は返す言葉が無い。無論、幸せになってほしい。安らいでほしい。平和な世というものを楽しんでほしい。しかし、難しいのだ。黄昏の姫巫女という肩書き、そして性質がそれを妨げる。

 

「はっは……」

 

 夜空に向かい拳を放つ。無意味に。大気を裂く音がし、やがて月にかかる雲が千切れて消えた。

 

「どれほどやれば守れるんだ。いや……守れているのか? 僕は」

 

 その独り言に答える声は無い。

 

   ◇

 

 綾瀬夕映は携帯電話のアラームで目を覚ました。年に二回の停電、夜中の十二時までのそれはようやく終了したようだ。枕元に置いたデスクスタンドのスイッチを入れ、その眩しさに二度三度まばたきをすると小さく欠伸をしながら体を伸ばした。

 

「やっと復旧したですか」

 

 これでやっと春の夜長の読書が続行できる。とってつけたような事を思い、のそのそとベッドから起き出す。

 中等部学生寮は部屋の大きさもばらつきがあり、三人部屋もあれば二人部屋もある、生徒の要望もある程度聞いてくれるようで、数人は個室を使用していた。もっとも夕映はご多分に漏れず、一番多い二人部屋でもあったのだが、ルームメイトの葉加瀬聡美はほとんど研究室に寝泊まりをしていて、寮で寝る事の方が少ない。その事を夕映は少々の寂しさと、気兼ねなく夜更かしできるありがたみを同時に感じていた。

 仮眠を取った起き抜けの体は重く、頭は怠さを感じる。窓を開け夜気を取り込む。

 しばらく夜風を感じ、眠気を覚ましていると何やら小さな声が風に混じり飛び込んできた。

 

「親切な方だったらしくて、まき絵さんとゆーなさんを医務室まで運んでくれたそうです、良かったー」

「あんたしずな先生にも後でお礼言っときなさいよ、仮にも自分の生徒がお世話になったんだから」

 

 窓を開けていたからこそ聞こえた声だったのだろう。夕映の普段より一層眠そうな目が二度、三度とまばたきを繰り返す。おもむろに振り向き、壁掛け時計を見る。時間を確認し、小さく首を傾げた。

 

「ネギ先生にアスナさん? こんな時間にお帰り……ですか?」

 

 好奇心という燃料に火が点る。夕映はパジャマから急いで着替え、部屋を抜け出した。エレベータを降り、一階のホールを見渡す。電気は通ったとはいえ、当たり前に消灯時間を過ぎている、常とは違う暗いホールを何となく足音を立てぬよう歩いた。

 

「確か医務室でしたか」

 

 廊下の奥に進むと確かに医務室の窓から灯りが漏れている。何となく音を立てぬよう足音を忍ばせ、扉の前で聞き耳を立てた。

 

「ラス・テル・マ・スキル……」

 

 何やら唱える声が聞こえたかと思うと、電気とは違うほのかな明かりが部屋から漏れる。

 

「ねえ、これでもう大丈夫なの? え、映画みたいにこう眷属になっちゃうとか」

「はい、どういうわけか残留魔力もほとんどなかったですし、それに僕、呪いについてはかなり勉強したんです、このレベルのものなら間違いなく浄化できますよ」

「へー、凄いじゃない。魔法も脱がすだけじゃないのね」

「あうう……アスナさんの魔法のイメージが」

 

 また、魔法だ。夕映は思考の中に沈む。

 図書館島でもそうだった。あのゴーレム、てっきり麻帆良で偏って進んでいる科学技術の産物とばかりに思っていた、その直前のツイスターゲームからして麻帆良のお馬鹿なノリであったのだし。

 

「こんな時間に、しかも停電時にごっこ遊び……なんてはずはない、アスナさんが乗る訳がないです」

「ま、そりゃそうだ。ごっこ遊びなんてもんじゃなかったからな」

 

 口の中で呟いた言葉に返事があった。夕映はびくりとし、恐る恐る目を動かす。

 白い、イタチのような動物、フェレット? オコジョ? テン? そんな動物がちょこんと座り、煙草を吹かしている。

 

「ようお嬢ちゃんよ、その年で黒の紐パンティは早くねーかい?」

「ひゃ……」

 

 あまりの事態に夕映は混乱し、硬直する。

 

「聞いちゃいけねぇものを聞いちまったみてえだな、くっくっく」

 

 いかにもな悪役の台詞を吐く小動物、とてもシュールな絵だ、と硬直しながら場違いな感想を抱いていた。

 

 デスクスタンドが付けっぱなしの自室に戻り、ベッドに腰を下ろす。そのまま力を抜き、仰向けに倒れ、布団に埋まった。二段ベッドの上の段、その底板の木目を意味もなく追いながら夕映は放念したような顔でぽつりと呟く。

 

「おじい様、世界は本当に広いです」

 

 医務室で立ち聞きしているのが知られてしまい、部屋に引き込まれ、アスナとネギ先生に一通りの事情を説明してもらったのだった。口外しない事を堅く約束し放免されたのだが。

 

「パクティオーって何でしょうか?」

 

 白い小動物、アルベール・カモミールという名前があるらしいが、しきりに勧め、アスナに叩かれていた。

 吸血鬼の噂は本当の事だったらしい、詳しくは話さなかったものの解決したのだという。

 そして証拠にと見せられた魔法──

 

「どこか、懐かしいような」

 

 そんなはずはないのに、と持て余した不思議な感覚を吐き出すように、夕映は小さく息を吐いた。

 

   ◇

 

 停電の日の翌日、大きな包みを手に、瀬流彦は落ち着きのあるログハウスを訪れていた。

 呼び鈴を鳴らすとややあって、給仕姿の茶々丸がドアを開ける。ほのかにハーブの香りが漂った、料理中だったのかもしれない。

 

「やあ、夜分にすいません。学園長からの言づてと差し入れを持ってきました、エヴァンジェリンさんはいらっしゃいます?」

「はい、マスターは」

「おお、なんだ瀬流彦か、まあいい、構わんから上がれ、今日の私は上機嫌だぞ。茶々丸の料理でも楽しんで行くとよい」

 

 茶々丸が言いかけた所で、奥から当の本人が顔を出し、言葉を挟んだ。テンションが高い。自分で言う通り上機嫌なものらしい。隠しきれない笑みがその顔に浮かんでいる。

 学園長からのねぎらいの言葉と、差し入れの高そうな日本酒を渡すと若干微妙そうな顔もしたものの。

 

「まあいい、まあいいさ。これは祝い酒として受け取ってやろう、フフフ」

 

 瀬流彦はまず目にした事のないエヴァンジェリンの上機嫌さに戦慄を感じ、彼にしては珍しい事に口の端を強ばらせ、冷や汗を一筋流した。さらに恐ろしい事に「ほれ日本風に酌をしてやろう」などと自ずから冷酒グラスに酒を注いでくれる。瀬流彦の背中を伝う冷や汗は倍になった。

 

「え、えーと、それでネギ君はどうでしたか?」

「ん? 坊やか、なかなか悪くない。足りない部分を別の何かで埋めようとするところなど良いな、要所要所で甘いが年を考えれば妥当だろう、頭の回りも良い。何より面白いのはな、私の制御下から外れた闇の精霊を無意識下で使っていた事だ」

 

 そう言い、ただの上機嫌さから、どこか興味深い研究対象を見つけた学者のような目になり笑みを浮かべる。茶々丸の出した肴の揚げ出し豆腐を食べ、うむ、と一つ頷き続けた。

 

「最後に闇の吹雪と雷の暴風で撃ち合ったんだが、最後に坊やは闇の精霊も上乗せしてきたんだよ、風と雷、光属性ばかり使っていたくせにな。無意識な上に無理やりだったせいで杖を壊していたが……いずれにせよ興味深い」

 

 ちなみに脱がされた、とおまけのように付け加えた。瀬流彦はどう答えて良いものか困り、無言でグラスを傾ける。

 

「くく、見れなくて残念、という世辞くらいは言ってもよいのではないか?」

「言ったら言ったで酷い目に会いそうなんですが」

「社会的なものと物理的なもの、その選択権はやろう、どちらの抹殺でも構わんぞ」

「……本当にご機嫌なようで」

 

 瀬流彦が肩を落としため息を吐くと、エヴァンジェリンは高く笑った。

 

「今日は上機嫌だと言っただろう。フフ、驚け、ナギ・スプリングフィールドが生きていたんだ! 坊やの言によればな。まあ周囲の連中が騙す必要性もなかろう、六年前に坊やの前にサウザンドマスターは現れていた」

 

 おお、と驚く顔を見せる瀬流彦を見、エヴァンジェリンはふと笑いを納め、無表情になり目を細めた。

 

「なるほど、知っていたか」

「……それだから怖いんですあなたは」

「貴様は本当に驚けば逆に冷たくなる奴だろう、下手な芝居を打つからだ」

 

 正確には瀬流彦には確実に生きているという確信があったわけではない、逆にナギ・スプリングフィールドを死したものにするための情報工作、その痕跡が各地に見られ、情報を繋げて行くうちに疑問視するようになった、というのが正味の所だったのだが。

 いやはや、と困り顔で頬を掻く瀬流彦を視界から外し、エヴァンジェリンはグラスを一息に干した。

 

「思えばタカミチも奴の死については妙に言い淀んだ事があったな、そうかそうか……あの時点で既に知るものは知っていたわけか、くくく」

 

 神話のゴルゴンのごとく鎌首をもたげる瘴気を瀬流彦は幻視し、頭を振る。読唇術には通じていない、幼い不死者の口元が「じじい」だの「よくも騙してくれおった」だの「どういたぶってやろうか」だの「枯れ枝のごとくまで血を」だのと動いていた事は全くもってあずかり知らぬ事なのだ。

(学園長、どうか安らかに)

 瀬流彦は内心で手を合わせた。

 ふとエヴァンジェリンは視線を戻し軽く揶揄するような笑みを浮かべる。

 

「瀬流彦、いつまで他人事のような顔をしている、修学旅行が近い、クラスの流れは京都行きだ、次は貴様が動かされる事になるぞ、西の連中が見逃すと思うか?」 

「関西呪術協会ですか、やはり揉めますかね」

「長が詠春になってからは共生派が強いが、逆に反対する者共を追い詰めているとも言える、それは揉めるだろうさ……いや待て」

 

 エヴァンジェリンは茶々丸に無言で酒を注がせ、煽る。考え深げに視線は宙をさまよった。

 

「茶々丸、停電に会わせ西側に意図的にリークされた情報は無かったか? 噂話でも構わん」

「はい、マスター。該当件数は十二件、まほネットを通じてのものですが、インターネット上でも同様に符号を通じての情報が三八九件存在します」

「該当した情報の中身は?」

「揺らぎがありますがおおむね近衛木乃香さんの縁談、及び新任の魔法先生について、です」

 

 エヴァンジェリンは不機嫌な顔になり「じじいめ」と吐き捨てた。

 

「瀬流彦、索敵をしていたのは貴様だったな、召喚鬼の数はいつもの停電時に増して多かっただろう、それに今回に至っては術者を捕獲しているんじゃないか」

「ええまあ。ああ……そういう事ですか」

「上手くいけば儲けもの程度の考えだったかもしれんがな」

 

 停電時、恒例のように麻帆良に嫌がらせとも言えるちょっかいをかけてくる関西呪術協会の一派、それはそれで西側のガス抜きともなるために黙認状態だったのだが、意図的に暴発させ、事前に障害を取り除くという目論見もあったのだろうという事だった。

 

「万が一強力な術者が入り込もうが、その時坊やの近くには魔力の戻った私が居る、何とも良く考えたものではないか、くくく、私を坊やの踏み台兼護衛の犬とするとはな。ふ……ふふ、あはははは、久しぶりにチャチャゼロを出してやろうか」

 

 さすがに今回ばかりは学園長の命も本格的に儚いかもしれない。

(これで行き先がハワイかどこかになってしまったら怒らせ損でしょうに)

 頭の中でぼやいた言葉に「やれる事はやれる時にやっておくもんじゃよ」と飄々と返す学園長が想像できてしまい、瀬流彦は小さく苦笑を漏らした。

 

   ◇

 

 点滴をしている老人が居た。大きな額には絆創膏が貼られている。

 重苦しいため息を吐き、窓から遠くを眺める素振りをし、言った。

 

「のう瀬流彦君や、知っておるか? 三途の川はそりゃ綺麗なもんじゃったよ」

「はあ、見てこられましたか」

「うむ、かれこれ三度ほどは。じじいを苛めるにも程があるわい」

 

 あの洋ロリババァめ、と言い、言ってしまった後、不安げに室内を見回した。何も起こらない事を確認し、大きく安堵のため息を吐き、茶をすする。

 

「壁に耳ありとも言うが、さすがに大丈夫なようじゃの、ところでの瀬流彦君、修学旅行についてなんじゃが、君の事じゃ、概ね察しはついとるじゃろう。関西呪術協会との盟を以てネギ君の実績としたい、既に話はついとるのじゃが万が一もある、適度に警戒しておいてくれるかの」

「はあ、それは構いませんが……ネギ君も大変ですね、知らぬ間に名前が大きく重くなってしまう」

「そりゃのう、じゃがまあ君まで老人をいびるでないよ、ネギ君ほどの立場じゃと無名であるか大きく名を上げるか、二択しかないのは判っておるじゃろ」

「中途半端は危険ですか」

「うむ、わしらもいつまでも守ってやれる訳ではない、そして名を大きくするなら拙であっても速く

じゃよ。本国の意向で横槍を入れられても困るからの」

 

 そう言い、学園長はおもむろに長い髭を撫でるのだった。

 

 教職ではない方の仕事道具は意外に嵩張る。魔法使いとして扱われているとはいえ、ほとんどを独自の技法に頼っているのだ。師でもある高畑・T・タカミチと同じく汎用性に欠けており、その部分は符や魔法具などによって補うというのが瀬流彦にとっての基本だ。

 

『ピコリンなにこれなにこれ』

 

 使い魔のプーカが香水のような瓶を抱えて飛んでいる。瓶を取り返し、棚に戻して言った。

 

「その棚の瓶は聖別された水です、西欧では有効でしょうが今回は不向きですね」

『おお、聖水か、聖水だ、エヴァにゃんの冷蔵庫に入れてくるー』

「その悪戯は洒落にならないのでやめて下さい」

 

 瀬流彦の自室はさながら物置のごとく、だった。元々住居にこだわる性格でないのもあり、あちこちで調達してきた魔法具などを溜め込んでいくうちに、かなり雑然としてきてしまったのだ。

 

「そうですねェ……一通りの応急処置用のものと転移符、念のため結界具も持っていきますか」

『おやーつ!』

 

 開けたトランクケースに妖精がドライフルーツのミックスを突っ込む。勢い余って自分も嵌っていたが。

 魔法符は魔力さえあれば習得していない魔法でも扱える、瀬流彦にとってかなり便利な品ではあったが、使い捨ての上に値段が張るのがネックだ。とはいえ万が一の切り札は何枚有っても良い、常に一定数は持っているものでもあった。

 さらに治癒なども得意ではないので、魔法薬などを入れ、最後に黒檀の杖を入れる。魔法の発動体も携帯するには杖は不向きであったので、最近ではもっぱら鷹の尾羽を加工して作られた特注の羽根ペンを持ち歩いていた。むろん、それを作る際にはかつて使っていたシルフェの剣、魔女に賜った剣のイメージがあったのは間違いない。

 一通りを用意し終えケースを閉める。

 修学旅行は明日に迫っていた。




ちょいと短めですが六話を。
ここでもう一人の改変について出そろったのであらすじを少し変えます。

補足
何でも赤松先生が瀬流彦のキャラの許可を貰った際の事、公開はされてないのですが、三浦先生の描いた夕映の絵も貰ったらしいです。うーむ見たい。
そんな所から思いついた話だったので、この二人が中心となる形です。夕映の方は瀬流彦ほど変化はさせないつもりですが。

ではいずれまた。ここまでお読み頂きありがとうございました。

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