瀬流彦゜   作:ガビアル

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二話

 その日、瀬流彦は迷っていた。

 

『ピコリン、あたしはこのモンブラン一択! 栗! 栗!』

『プーカ、君が栗の事を言うと、どうも散々つつかれた嫌な思い出を思い出しそうになるからやめてください。それに今日のはお見舞い用です』

『買ってくれないと……刺す! 刺すッ! 刺ーすッ!」

 

 瀬流彦と使い魔契約を結んでいるはずの、どうも言う事を聞かない妖精はどこからか調達した枝で瀬流彦の頭を突き始めた。

 それ自体は別に痛くもなく、チクチクとした刺激がするだけなのだが。

 やれやれとため息を一つ落とした。

 

「じゃあ、モンブランとミルクプリン、フルーツタルトとこっちの苺のミルフィーユをお願いします」

 

 どうせ買うなら多めに買っていってもいいだろう。元気な様子なら一緒に食べるというのもまた良し。お財布の中身を考えればあまり散財するものではないのだが……そろそろアルバイトでも考えた方が良いのだろうか、などと考えながら支払い、ケーキの箱を受け取る。先程とは一転して上機嫌になった妖精が今度は頭の上で踊り出す。以前はさすがに、ここまで大っぴらに表に出すことはできなかったのだが……先日ここ、麻帆良の魔法生徒として登録する時に使い魔の事は話してある。もとより霊体に近く、一般生徒の目に留まる存在ではなし。プーカも外に出られて嬉しかったのだろう、今日一日ずっとテンションが高いままだった。

 

 いつもは降りないはずの駅で下車し、昨晩案内された道を思い出しながら歩く。

 小さな暴君じみた吸血鬼、エヴァンジェリン。寝込んでしまった彼女への見舞いに行くところなのだった。

 昨晩、ちょっとした思いつきで瀬流彦が振る舞った料理に入っていたにんにくが問題だったらしい。考えてみれば確かに吸血鬼に対してにんにくは大敵だったのだが、正直、彼女がまったく吸血鬼っぽくなかったので考えにも及ばなかったのだ。また、美味しそうな春キャベツであったので、ついロールキャベツを思いついてしまい、挽肉に混ぜられたニンニクの香りが表に出ず、分かりにくかったのもまたエヴァンジェリンにとって不運だったのかもしれない。

 最初は普通に食べていたのだが、次第に顔を青ざめさせ、涙目で悶絶し始めた。それでも普段なら「ひどく臭かった」程度で済むらしいのだが、時期が悪かったらしい。

 魔力をもぎりぎりまで封印されているエヴァンジェリンは、何でもこの時期、意識して魔法障壁を展開し、花粉の影響を防いでいたのだとか。そしてちょっとした刺激、いや嫌いなものの代表格であるにんにくの香りにより、その魔法障壁も解いてしまい……

 

「……ッくしゅん、くしゅん……ぐす……うう、臭い……ぐじゅん」

 

 と、発症した花粉症とこみ上げる嫌いな臭いによって顔はぐしゃぐしゃ。おまけにその事で体の抵抗力もまた落ちたのか、ほどなく熱まで出始め、エヴァンジェリンからすれば散々な事になってしまったのだった。

 

「吸血鬼と聞いておきながらついニンニクを入れてしまったのはこちらの落ち度、しかしその後は本当に斜め上でしたね」

『まさかまさか、花粉症とか風邪とかひくと思わないもんねー』

 

 とはいえ自分の料理が引き金になってしまった事には少々申し訳なさもあり……翌日、授業が終わるとケーキなどを買い込み、瀬流彦はエヴァンジェリン宅へお見舞いに向かう事にしたのだった。

 

   ◇

 

 アンティーク調のベルをカランコロンと鳴らし、しばらく待ってみる。昨夜は寝込んでいたのでもしかしたら出られないかもしれない。その場合はどうしようか、などと考えている間に家の中からハイと返事があり、ドアが開いた。

 出てきたのは長身の男だった。硬そうな灰色にも銀髪にも見える髪をオールバックにしている、年齢は不肖なところがあるが、ひどく落ち着いた風格のようなものを感じさせた。

 

『ひょっとしてひょっとして、あの金髪吸血鬼の彼氏? 彼氏! うっひゃー人間だとこういうのってロリコンって言うんだよね! ろりりん! ろりりん!』

『いえ相手は600年生きてるはずですし、そういう意味ではロリコンというわけでは……いやプーカ、家族の方っていう可能性だってあるんですから、くるくる回らないで落ち着いて下さい』

 

 念話とはいえ、とてつもなく失礼な事を使い魔と話していると、その男性がおや、と言いたげな顔をし、次に得心した顔になる。

 

「早川 瀬流彦君だね。学園長から話は聞いているよ。エヴァの危ないところを助けてくれたみたいだね。あー、きっとあいつの事だから礼の一つも言っていないだろう。代わりと言っては何だけど、ありがとう」

 

 男は目を細めそう言った。

 瀬流彦は相変わらず茫洋と、はあ、と言って流したのだが。

 

「ところで、助けたのが僕だというなら風邪をひかせてしまったのも僕のようなので、お見舞いに来ました」

 

 そう言って瀬流彦はケーキの箱を掲げて見せた。

 

 勝手知ったる様子で男は瀬流彦を招き入れ座席に着かせると、紅茶を出してくれる。自らも対面に座り、一口紅茶を飲んで「やはりうまくいかないなあ」と首をひねった。

 男は高畑・T・タカミチと名乗った。

 麻帆良国際大学三年生らしい。魔法生徒として瀬流彦の先輩とも言える人のようだ。今朝方帰国したので、挨拶がてら病欠しているエヴァンジェリンをお見舞いに来たのだと言う。

 瀬流彦もまた温厚そうな人だなと思い、エヴァンジェリンとの関係を追求する事をあくまで望む使い魔の意見を退けた。

 エヴァンジェリンの様子を聞くと、薬が効いたらしく熱も下がり、今は暇そうに本を読んでいるという。

 ならばと、途中で買ったミルクプリンをお皿に盛りつけ、紅茶を淹れなおす。昨夜調子を崩してしまった吸血鬼を見舞う事とした。

 

「お見舞いです、どうぞ」

「……む」

 

 エヴァンジェリンは不機嫌そうに本を置き、見舞いに訪れた瀬流彦を見やった。何か気にかかる事でもあるのか、瀬流彦の後ろに高畑の姿も見える。

 どうぞと差し出されたプリンを一口。

 

「うむ、三光堂のプリンか。良い店を選んだな」

 

 などとどこかの倶楽部の主催者のごとく重々しい口調で言う。

 

「選んだのはたまたまでしたが……お気に召したなら何より。具合はいかがです?」

「ああ、大事ない。というかただの風邪だ、気を使うな」

『風邪引く吸血鬼さん、鼻水出てるよ! ティッシュ! ティッシュ!』

 

 プーカがひらひらとティッシュペーパーを運んでくる。

 エヴァンジェリンは食べる手を止めて妖精の運んだ紙ではなく妖精をつまみあげた。

 

『あーうーあー! 何するの!』

「珍しいな、この地でフェアリーとは。存在が薄過ぎて結界が反応しなかったか……どこから迷い込んだ?」

 

 じたばた暴れるプーカを手に不思議そうにそう問いかけた。

 

「その子は僕の連れなんですよ。昨日はちょっと離れた所から見てたようでして」

 

 風妖精のプーカです、と瀬流彦が紹介する。

 エヴァンジェリンはそうか、とつまらなさそうに呟くと、落ちたティッシュを拾い鼻をかんだ。解放された妖精は慌てて瀬流彦の頭の上に飛んで戻る。

 そんなやり取りを見ていた高畑は驚いていた。まさか、あのエヴァ相手にこれほど自然体とは……

 

「いや、学園長から話には聞いていたけど、本当に君は驚かないんだな」

 

 そう言って苦笑する。

 エヴァンジェリンもまた少しふてくされた様子になった。

 

「こいつはまるで魔法使いの常識を知らない。その上、今の私は封じられて魔力も最低限だしな。ただの小娘としてしか感じられていないのだろうよ」

 

 そう言われても困る。そんな様子を滲ませ、瀬流彦は髪を掻く。

 エヴァンジェリンは、はぐ、とプリンの最後の一かけを食べた。そのまま行儀悪く口に入れたスプーンをぶらぶらと動かす。

 何か思いついたらしく、ふむと小さく頷いた。高畑に顔を向けて言う。

 

「……そうだな。タカミチ、アレを出せ、別荘だ。地下の奥に埋もれてる。面倒で出す気にもなれなかったが、お前がいるなら丁度良い。発掘してこい」

「やれやれ、人使いが荒いねエヴァは。帰国したばかりなんだけどな」

「ふん、どうせ麻帆良にいる間は使うつもりだろう。とっとと働け男手」

 

   ◇

 

 何となく流れのままに、瀬流彦もまた高畑の発掘作業とやらを手伝っていた。

 外観は一見普通のログハウスだというのに、なぜか結構な広さの地下室が設けられており、とにかく色々な類の物が積まれていた。

 一番目立っているのは人形だろう。なぜかこればかりは整然と大小様々な人形が並んでおり、照明によってはホラーハウスにも見えてしまいそうだった。

 しばらくの作業の後、様々な物の山から高畑が引っ張り出してきたものは一つの大きな木箱だった。蓋を開ければ巨大なフラスコが入っている。中は曇っていてまるで見えない。

 手慣れた様子でそれを隣の部屋に運び、台座を組み立て、フラスコを置く。同梱されていた本を見ながら床に模様を描き始める、どうやら魔法陣のようだ。複雑な模様を描きながら高畑は言った。

 

「……よし、そろそろエヴァを呼んできてくれないか?」

 

 2階に上がり、エヴァンジェリンに用意が出来たらしい事を伝えると。

 

「うむ、だがだるい。運べ」

「……はあ」

 

 こんな時の抗弁の無意味さをよくよく知っている瀬流彦は素直におぶって運ぶ事にした。それに考えてみれば600年も生きているのだ。

(年寄りは労るものですしね)

 聞こえないように口の中で呟いたつもりだったのだが、首を絞められた。

 

 吸血鬼。瀬流彦はブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラくらいしか読んだ事はなかったし、正直な話これまでイメージとしてエヴァンジェリンと結びつける事はできていなかった。

 しかし目の前でその様子を見せられてはさすがに理解出来る。エヴァンジェリンは疑いなく吸血鬼であった。

 何でも別荘、ダイオラマ魔法球と言っていたが、その魔法具は封印の解除そして起動に結構な魔力が必要になるらしい。

 

「魔法薬でも良いが、面倒だ。タカミチ腕を出せ」

 

 と、血を吸い始めたのだ。

 しばしの後、血を吸い終えると顔をしかめて言った。

 

「タカミチ、煙草はやめろ。血が不味い。体にも悪いぞ」

「はは、師匠の真似でつい抜けられなくなってしまってね」

 

 まったく、と呟きながら、エヴァンジェリンは魔法球の表面を指でなぞった。途端、フラスコの曇りがみるみるうちに消え去り、中にはミニチュアの模型じみた建物が見えている。

 

「何はともあれくしゅんっ、入れ」

 

 ずずと鼻をすすりながらフラスコの表面に手の平を触れるとエヴァンジェリンが消えた。高畑が少し怪訝な顔をしたが、ああ、と手を打つ。

 

「設定がリセットされたのか。手を触れれば良いらしいね。瀬流彦君からどうぞ」

 

 そして瀬流彦が魔法球の表面に手を触れてみれば、足元に魔法陣が浮かび上がり……浮遊感。次の瞬間には景色が変わっていた。

 遠くには一面の海、そこにそびえ立つ塔のような建物……あのフラスコの中に見えたミニチュア模型のようなものとまったく同じ造形である。ただ、ミニチュア模型の中に入ったというわけではないようだ。風は潮の香りがし、波の音がかすかに聞こえる。

 

『すすす……凄い! 凄い凄い!』

 

 はしゃぐプーカと戸惑いの色を出す瀬流彦に、エヴァンジェリンはどこか自慢げな顔を向け、こっちだと招いた。

 続いて転移してきた高畑と共にその塔のような建物に渡り、すたすたと歩くエヴァンジェリンに続いてワンフロア下りる。

 そこには絨毯が敷かれ、ベッドが置かれていた。リビングのような場所でもあるのだろうか? 大きいソファやテーブル、本棚も設置されている。

 エヴァンジェリンはそのベッドに倒れ込むように寝転がる。仰向けになり大きく一息ついた。

 

「ああ……大分楽になった」

 

 不思議そうな顔になる瀬流彦に高畑が説明した。

 

「この空間は魔力が外の世界より大分濃いからね。エヴァの場合魔力の有る無しで体調も変化するし、ここにいれば風邪の治りも早いんじゃないかな」

「……はあ。でもそんな便利なものならしまっておかなくても良かったのでは」

 

 答えたのはエヴァンジェリンである。

 

「この魔法具の性質上、時間を引き延ばす事はできても短縮する事はできん。外での一時間とこの世界の一日が連動しているんだ。ただでさえ私は永い時を生きるというのにさらに引き延ばしてどうする」

 

 そう言ってぷいと横を向く。

 

「大体私ほどの者になれば魔力の多寡なんて便利か不便かでしかない。風邪でも引かねばそうこだわるものでもないわ」

「はは、そのセリフは魔力が強いか弱いかで競ってる魔法使い達にはとても聞かせられないね」

 

 高畑が言うと、ふんと一つ鼻を鳴らした。 

 

「まあいい、私は寝る。肉体労働の報酬代わりだタカミチ。ここは好きに使え。どうせ学園長のじじいにも頼まれてるんだろう、そいつの事を」

 

 お見通しか、と笑う高畑。

 瀬流彦が何の事でしょうかと訊ねれば、どうやら魔法生徒の先輩として瀬流彦の事を全般的に面倒を見るよう言われたのだとか。能力検査のようなものも任されているらしい。

 もちろん、学園側としては所属する魔法使いがどういう傾向で、どの程度の力量なのかを把握しておきたいという部分はある。ただ、瀬流彦の場合についてはさらにもう一つの理由もあった。なにしろ、弱体化したとはいえ、あの闇の福音が危機に陥った程の相手を倒してしまったのだ。

 エヴァンジェリンの提出した報告書がまた最低限しか書いていないシンプルなものだったというのも大きかったのだろう。運なのか実力なのか、あるいはエヴァンジェリンの不調が極まっていたのか。学園側からすれば瀬流彦の力量というものを計りかねていて、そんな折に丁度任せられる人物が帰国したのだ。高畑・T・タカミチが瀬流彦の事を任されたのは当然だったかもしれない。

 

「この空間なら思い切り、派手に魔法を使っても問題ないからね。とりあえず君の自己申告した魔法の確認からいこうか」

 

 高畑は瀬流彦を表に連れ出し、何やら書類を出してそう言った。

 確認と言われても、正直なところ瀬流彦の使える魔法というものはそう多くない。参考になる教材も基礎的な魔法教本だけであったし、母は母で戦時中に覚えた魔法、それも恐らく父が護身のためにと教えたものであり、教本に載っているものとあまり変わりない。

 それに瀬流彦自身の風属性への適正が高すぎた事もあり、使用できる魔法の幅も狭くしていた。忘却の魔法や認識を阻害する魔法などあまり属性の関係ない魔法、どちらかというと地味な魔法はかなり使用できるのだが、そういった種類のものについては後に専用の測定できる魔道具があるので、それで検査をするらしい。

 そんな理由から、その場で確認のために見せたのは数種類の魔法のみである。

 

 一通りの種類を試し、効果範囲や持続時間、魔力の限界値など事細かに計り終えた時には三時間ほども経っていた。

 魔力を消費した瀬流彦が休憩を入れていると、エヴァンジェリンがのそのそと上がってきた。

 体調は大丈夫なのかと聞くと、鼻で笑う。

 エヴァンジェリンは1人で黙々と地味な鍛錬をしている高畑と、座って壁にもたれながらぼうっと眺めている瀬流彦を交互に見て言った。

 

「タカミチ、少しこいつと戦ってみろ」

「え……?」

 

 高畑は困惑した。当然だっただろう。彼の魔法を見せてもらった限りでは魔法学校を出たばかりの魔法使いという感じであったし、個人データや少し話してみた感じでも、そう戦闘向きとは思えない。

 少し違和感を覚える事はあったが……これからの方針としては戦力として見るより風属性に向いた諜報や移動、あるいは本人がこつこつした事が苦にならないなら魔道具関連に進むのもまた良いのではないかと考えていたのだ。その事を言うとエヴァンジェリンは気怠げな様子で小さく息を吐いた。

 

「悪い癖だなタカミチ。魔力や気の運用で戦闘者としての力量を判断するのは。いや、他よりはマシかもしれんが」

 

 言ってからふむ、と顎に指を当て考える様子を見せると、自己完結するように呟いた。

 

「別の要因か。あの連中の中で育てば麻痺もするというものかもしれん……だが、そのままではお前、寝首を掻かれるぞ」

 

 見ていろ、と一声言ったかと思うと、そんなやり取りの間もぼやーとしているようにしか見えない瀬流彦に向かい、突如──殺気さえ帯びた様子で瞬時に近寄った。

 瞬動、と呼ばれる技だった。あまりに急に間合いに飛び込んできた殺意の塊に、瀬流彦の体が考えるより早く反応した。剣を抜き、首を裂き……次の瞬間、剣など持っていない丸腰だと気付く。そして、目の前の小柄な吸血鬼を見て、ため息を吐いた。

 

「驚かさないでください……」

 

 心臓弱いんです、などととぼけた事を言う。

 

「なるほど、間合いからすると剣か。足運び、足音から何かやっているだろうとは思っていたが……」

 

 反応させられてしまいました、と頬を掻く瀬流彦。

 エヴァンジェリンはくく、と小さく笑った。

 

「半信半疑ではあったが、この通り引き出しが多そうだ。タカミチ、戦闘向きでないからと言って戦闘をこなせないとは限らない。アルが良い例だ。お前は咸卦法を習得したが油断できるほどに強くなったわけでもない。人はすぐに死んでしまうものだ、気をつけろ」

 

 そこまで言ってエヴァンジェリンは自嘲するように肩をすくめた。

 

「らしくもないな」

 

 ナギめ、という小さな呟きを残し、きびすを返したエヴァンジェリンを高畑は複雑な顔で見ていた。やがて気分を変えるように煙草を取り出し、火をつける。空に向かい、紫煙を吹いた。

 

「瀬流彦君は武術でも嗜んでいたのかい?」

「ええまあ、見様見真似ですが、それなりには」

 

 瀬流彦は何とはなしに風に吹かれて消えてゆく紫煙を目で追いながら答えた。ここで言う見様見真似というのは嘘ではない。ただ見本がかつての自分というだけで。

 

「そういう事ならエヴァの薦め通り、ちょっと立ち会ってみようか」

「はあ……」

 

 エヴァンジェリンが言うには下の倉庫に幾つか武器があるらしい。連れられて行ってみると、様々な武器、中には古くさい鎧なども無造作に積まれている。どうも長い年月の間に襲ってきた連中から剥いだ身ぐるみなのだとか。

 丁度良さそうな細身の剣があったので、それを手にとろうとし……

 

「あ、いえ、こんな刃物を振り回してしまっても良いものでしょうか」

「……む? ああ。そういえば基礎教本まででは魔力強化は知らんのか。説明してもいいが、やってみれば判る。タカミチに魔力も通していない剣など木の枝のようなものだ。傷一つつかんさ」

 

 そういうものですか、と細剣を手に取る。鞘から抜こうとしたが抜けない。

 エヴァンジェリンが鞘に指を触れると、表面に一瞬さざなみのように文字が走り、するりと剣が抜けるようになった。

 

「年代物だからな。保護していただけだ」

 

 こんな魔法もあるのかと内心驚きながら、抜き身の剣を見る。まるで寸前に手入れを施したかのようだった。

 瀬流彦が剣を持ち、表に出ると、それに気付いたのか高畑はジャケットから携帯灰皿を出し、吸っていた煙草を潰し入れた。

 

「お待たせしました」

「なに、さほどでもないよ。しかし、それはレイピアかい? やっていたのはフェンシングかな」

「ええと……そんなようなものです」

 

 高畑は自然体でポケットに手を入れ、広間になっている空間の中程にゆっくり歩いた。

 瀬流彦もまた、剣を鞘から抜き、それに向かい合う。

(しかし何をやっているんでしょうか、僕は……どうにも流されやすいですねえ)

 そんな事を思い内心で苦笑した。

 

 高畑は高畑でこの状況でどう動くべきか、少々困惑していた。攻め手に迷っていると言っても良い。

 相手が麻帆良によくいる類の、力の使い方を勘違いしてしまった跳ねっ返りや、魔法を使えるという事で特権意識を持ってしまっているような若者だったら対処は簡単だった。

 また、武術の道を進まんとする者や、明らかにこちらに敵意を持つ者であるならさらに対処は楽になる。

 しかしこの相手、瀬流彦君は……どうにもやりづらい。先程のエヴァへの対処を見れば判る。あれはかなりの修練を積んだものの動きだ。しかしその割に、こう前に立っても戦意、そして勝とうという気がまるで感じ取れない。感じ取らせない……とでもいうのか。魔法の確認をした時と同じように、こうして前にたつ瀬流彦君は戦闘などの生臭いものからは程遠い、非戦闘系の魔法使いにしか思えなかった。

 高畑は考えても仕方無い、と一つ息を吐く。もとより自分は戦士。下手の考え休むに似たりというものでもあるのだろう。

 

「瀬流彦君、まずは一つ」

 

 そう前置きをして得意の居合い拳を放った。

 拳圧が飛び──あっけなく避けられた。

 高畑は驚き目を大きく開いた。威力は加減し、精々一般人を鎮圧する程度だったが、速度は通常と変わらない。否、彼の手札においてこれ以上予備動作も小さく、最速で撃てる攻撃など無い。

 

「まさか、無詠唱で風を纏わせている? それで察知か」

 

 あれほど一属性に特化しているならそれもまた考えれる事だ。魔法世界にはそういう類の種族もまた多い。

 ならば、と連撃を繰り出す、多角的に威力もそれぞれ変え、察知されようが問題ないよう、檻に閉じ込めるがごとく居合い拳を放つ。

 魔力で速度も強化された連撃はほぼ同時に12発、その一撃目は避け、二撃目を何と剣で打ち払い、軌道を変え、残りが当たらないわずかの隙間に身をよじり、全てを回避してみせた。

 凄いな、と呟き、一瞬の溜め。身をよじり、回避できる体勢ではない瀬流彦に向けて、本来の威力の居合い拳を放った。

 

「風楯(デフレクシオ)」

 

 左手に持った杖を前に突きだし、防御魔法で居合い拳──原理の判らない瀬流彦からすれば遠距離からのの不可視の攻撃を捌いてみせた。

 高畑はおお、と驚き。次に一つ頷いた。

 

「なるほど、確かにエヴァの言う通り。君みたいな人も居るんだな……これは勉強になったよ」

 

 究極技法とも言われる技を習得し、魔法使い達から賞賛され、らしくもなく舞い上がっていたのかもしれない。確かにここまでやらなければ相手に戦力があることすら見抜けない。そんな目で戦場に出ていればいつ寝首を掻かれるものか判ったものではなかった。まだまだ、修行が足りない。

 色々と暖まってきた高畑とは逆に、瀬流彦は内心どうしようかと冷めた思考で考えていた。

(途中で何発か不自然でないように当たってKOされた方が後腐れがないでしょうか)などと不真面目な事をちらりと考えていたりもする。

 

「瀬流彦君、エヴァも言っていたかもしれないけど、その状態の剣でならどうにかなることはないし、遠慮なくかかってきてくれ」

 

 はあ、と瀬流彦は相変わらず、気のない返事をしたものの、確かに何もせず受け身でばかりいるのもかえって失礼かと思い、攻撃に出た。

 

「風よ(ウエンテ)」

 

 精霊に呼びかけ、かつての自分が魔術の道具に頼りやっていたように自らの推進力とし、一息に間合いに飛び込んだ。剣を振るう。念のため皮膚を切る程度の軌道で。

 しかし、それは何かに阻まれている感覚に捉えられ、傷一つつけられなかった。まるで堅い液体を切ったような不思議な感覚。

 

「なるほど、それが魔力による強化というやつですか」

 

 確かにこれならいくら切りかかられたところで問題ないだろう。

 そして高畑は瞠目していた。剣速があまりに迅く、しかも軌道が読めない。居合い拳が回避されていたので、意趣返しにこちらも避けてやるつもりでいたのだ。それがどうか。もしこの剣に防御を貫くだけの魔力ないし気による強化があったらどうなるか……

 

 その後10合程も剣と拳を交わしただろうか。

 高畑の攻撃はひらひらと揺れるように躱されあるいは魔法で防がれ、直撃は一発もなく、瀬流彦の攻撃は当たれど当たれどダメージとはならない。

 頃合いを見計らい、高畑は間合いを広くとった。

 

「よし、じゃあそろそろ終わりにしようか。今後は一緒に仕事をすることになるかもしれないし、最後に僕の技を見せておくよ」

 

 そう言って何か集中するかのように目を細める。

 やがて拝むかのように両手を合わせると、風が渦巻いた。いや、気というものを知らない瀬流彦にも感じ取れるほどの濃密な何かの気。それが高畑を中心に渦巻いているのだ。

 

「これは……」

「未だ未熟だからね、そう長時間持つものでもないのだけど。まあ、見ててくれ」

 

 そう言って高畑は塔の外縁部に歩み寄り──

 

 豪。

 

 音にすればその一文字だろう。

 モーションは今まで瀬流彦が受けた居合い拳と変わらない。いや、むしろ威力を高めるためか、大きな動きにすらなっている。

 だがその威力たるや……

 海が割れていた。

 無論「別荘」とやらの世界なので、現実でも同じようになるかは判らないが……

 やがてその割れていた海は音をたてて、幾多の渦を作りながら元に戻る。

 瀬流彦はそのあんまりな威力に口の端をひくつかせていた。

 

「モ、モーゼごっこが出来そうですね……」

「はは、今のが現時点で僕の出せる最大威力の攻撃、豪殺居合い拳なんて呼ばれてるよ」

 

 高畑が説明するに、気と魔法を合一させた咸卦法というものらしい。

 瀬流彦はため息をついた。かつて小さな魔女が見せた魔術も自然を操るという意味では凄まじいものがあったが、人が自らの力で奇跡を起こすという部分においてはこの世界の魔法はとてつもないものがあるらしい。

 

「かなり手軽に見せてしまっているが、これは究極技法とも言われている技だからな。威力が出るのは当たり前だ。むしろタカミチは持続時間を長くするのと、隙を小さくするのに費やした方がよかろうよ」

 

 気付けばエヴァンジェリンが近くまで来ていた。

 気怠げに瀬流彦に顔を向ける。

 

「おい、あの時鬼を切った魔法は見せないのか」

 

 高畑もまた興味を惹かれたようだった。

 

「そういえばエヴァの出した報告書だと鬼を倒したとしか書いてなかったけどどんな感じだったんだい?」

「……ん、そうだな。それなりの上級の鬼だったが、腕と首をばっさりだ。凄まじい切れ味だったぞ、切れてから盛大に血が吹いたからな」

 

 どうやったのか気になるな、と口の端を上げて瀬流彦をちらりと見る。

 瀬流彦は髪を掻き、先程の手合わせの間に穿たれて砕けてしまった床石の破片を拾う。

 

「こうです」

 

 一言言ったかと思うと、その破片をぽんと投げ杖を振りながら「風よ」と呼びかけた。

 宙にある石が一瞬揺らぎ、地面に落ち、その拍子に二つに割れた。

 高畑が不思議そうな顔をし、エヴァンジェリンは瞬間驚きの色を浮かべた後、納得したように頷いた。

 それはただの言霊による呼びかけ。「火よ灯れ(アールデスカット)」に代表されるような基本的な魔法だった。

 

「真空の刃とかかい?」

 

 二つに割れた石片を手に取り、高畑が言う。

 エヴァンジェリンは違う、と一言で否定した。

 

「あれは石を切れるようなものにはならない。というか、そんな言葉が出てくるとはここの学生たちにでも毒されたかタカミチ。魔法で真空の刃を作るくらいなら逆に圧縮空気の刃を作った方が早い。威力の程もそちらが上だ。高密度の圧縮空気などというものは一種の爆弾のようなものだからな」

 

 じゃあ、あれは……とますます不思議そうになる高畑に、エヴァンジェリンは、神多羅木の魔法に近いものがあると言った。恐らくは……と顎に指を当て、休憩所のようになっているテーブルでリンゴを貪っている妖精に声をかけた。瀬流彦への印象を聞けば「友達」らしい。

 エヴァンジェリンはやはりな、と一言呟き納得した様子を見せた。ふと時間を確認する。すでにもう別荘内では夜にも近くなっているのを確認すると、瀬流彦を呼び寄せた。

 

「そろそろ夕食の支度を頼む。キッチンは2階下だ」

 

   ◇

 

 瀬流彦は、何だか自然に従ってしまっている自分がつくづくアレだなあと思いながらも食事を用意した。

 この別荘とやらはなかなかに調理器具や食料も備蓄されていて、とても便利である。冷蔵庫に入っている卵などを見れば生産日が一月前のものだったりもするが、割ってみれば新鮮だったりした。エヴァンジェリンに聞いてみればこの冷蔵庫もまた保存用の魔道具の一種だそうで、どれほど便利なのかと突っ込みたい気分になったのは無理からぬ事だったろう。

 

「病み上がりにはやはりお粥でしょうか」

 

 こちらの母から教えられたので、勿論日本の料理もしっかり作ることが出来る。

 粥……というと今ひとつ美味しくない印象も持たれがちだが、しっかりした手順で作ればそれは美味しいものなのだ。

 コツもそう難しいものではなく。熱湯の段階で米を入れる事。米もまたしっかり研いだものよりは水ですすいだくらいのものを使うと粘りが出すぎない。優しくかき混ぜ、締めに蓋をして蒸らせば良しだ。

 今回は出汁を取り、軽い塩味を最後に加えた。

 付け合わせに、とろみを付けた炒り卵、蒸したササミの胡麻和え、梅干し、青菜のもみ漬け、茄子の味噌炒めなどを用意し、さらには白身魚のすり身団子の蒸し物、刻み柚子を乗せ出汁醤油をかける。

 栄養バランス的には青物やキノコ類がもう少し欲しいところだったが、あまり時間をかけてもあのお嬢様めいた吸血鬼が文句を言いそうだ。両手に盆を持ち、器用に料理を運んでいった。

 

「早川は……」

 

 行儀悪く木のスプーンで指し示し、エヴァンジェリンは何か言おうとしたが、瀬流彦は手で止めた。

 

「名前で呼んでもらった方がありがたいです。母方の苗字ですが郷里では僕も母もあまり良い目を見てなかったので」

「……む、面倒臭い奴だな」

「すいません」

 

 瀬流彦は、と言い直した。

 

「極めて古いタイプの魔法使いだ」

「古い?」

「ああ」

 

 はも、とふわとろ炒り卵が乗った粥を口に入れる。

 

「私の生まれた頃には既に宗教に追いやられ、異端として小さな隠れ里に細々住んでいたような連中、魔法使いとは原点を同じくしながら次第に分化していったシャーマニズム的な一派、その連中に似ている。まあ、大きな目で見れば西洋魔法使いと言えるさ」

 

 八百万の神々を引き合いに出すまでもなく、日本という土地は元より人でない存在に対して寛容だった。さらには熊野という場所は世界的に見ても一級の霊地であり、そこで継がれてきた血と魔法世界に住んでいた魔法使いの血、それが合わさった事を考えればそんな形になるのもまた道理……と食べながら説明する。

 

「魔法使いというより精霊使いと言うべきか。日本語にすると妙に陳腐な響きになるが。旧世界ではひどく珍しいタイプだろう。タカミチ、戦力として育てるつもりなら魔法使いとしてより戦士として育てた方が良い。現代の魔法は根本的に向かん。ある意味詠唱のできないお前にぴったりの変わり者の後輩だよ」

 

 その言葉に高畑は疑問を顔に浮かべた。石を切った時の威力を見ても、呼びかけのみであの威力が出せるなら成長させれば十分魔法使いとしても戦力に数えられると思っていたのだ。もちろん本人が研究系を選ぶならまた違う思案もあるのだろうが。

 その様子を見て取り、エヴァンジェリンは魚のすり身団子を箸で小さく割りながら、捕捉するように話した。

 

「魔法使いは精霊を使役し使い潰す事も可能だが、こいつにそれは出来ん。精霊に手伝ってもらっている都合上な。つまるところ現代の魔法の在り方ではまず本来の威力を出せない。頼みは精霊召喚くらいか……しかしそう考えると、学園長はいい加減食わせ物だな。ある程度方向性を見抜いてお前に任せたのだろう。他の魔法先生に預ければ本質を見抜けず、相当歪んだ形の魔法使いにしかならなかったかもな」

「いや、しかし僕もまた瀬流彦君の本質を見抜けていたとはまず言えないと思うのだけど」

「……私に相談することもまた折り込み済みという事だろうさ。まさか即日とは思わなかっただろうがな。一石で二つも三つも波紋を広げようとする。まったくあのじじぃは……」

 

 そんな会話を聞きながら、瀬流彦はお茶をすすった。どうもこめかみを冷や汗が一滴流れる。

(高畑さんが責任感が強いのは判りましたが、どうも流されるままだとばりばりの戦士にされてしまいそうです)

 はっはっはと笑いながら滝でも切り裂く己の姿が浮かぶ。似合わない、恐ろしく似合わない。

 瀬流彦からすればとても善良な人ではあるのだが、それだけに何か期待してくれているのなら、その期待を裏切るのは少々申し訳ない気分にもなりそうであるし、困ったものだった。

 

 一晩泊まった後、高畑が黙々と修行をするのをぼうっと見物しながら、自分の先行きを考え……考え……考え……ため息を吐いた。

 かつての自分は生きるのに精一杯であり、唯一できた大切な存在を守る事に精一杯であり、あの煉獄の業火のような男に影響されながら、流れのままに流されながらも、どこか縛られていた。

 今の自分は逆だ。生きるだけなら過分に過ぎ、大切な存在は肉親ただ1人。それも自分の守りなど必要とはしていない。糸の切れた凧、そんな気もするのだ。

 昨日見た技が面白く思えたのか、使い魔の妖精が『いあいけん! いあいけん!』とはしゃいでいる。

 そんなのを見ているとおかしみがこみ上げて来て……ふと、流れのままに流されるのもまた良しかと思い、力が抜けた。

 

 瀬流彦が別荘から出て、エヴァンジェリン宅から帰ろうとした時、少々の目眩を感じた。

 周囲は多少暗くなり、夕焼けが橙色に風景を染めている。

 

「これが時差ボケというものですか」

 

 それこそどこかとぼけた事を呟き帰ろうとする瀬流彦はエヴァンジェリンに引き留められていた、高畑が帰るのを見送った後、にやりと笑い、言った。

 

「お前の魔法使いとしての存在が古めかしいのはともかく、剣術もまた相当に古めかしいものだったな。あれははるか昔に廃れた剣術だ。タカミチはフェンシングなどと思っていたようだったがそんな優しいものではないだろう。数百年ぶりに見かけたぞ?」

 

 相変わらず気怠そうに、小さな吸血鬼はくく、と小さく笑う。

 何かを話そうとした瀬流彦の口の前に指を出し、言葉を止める。

 

「何も言うな。どうせ私は時間を持て余す身だ。謎解きくらいはさせろ」

 

 それだけだ、ではな、とまるで犬でも追い払うかのようにしっしっと手を振る。何とも失礼なものだった。

 瀬流彦は頬を掻き、ぶーぶーとわめき立てる妖精を肩に乗せると、のんびりとした様子で帰路につく。

 歩きながらぽつりと呟いた。

 

「どうにも参りました。母……といい、ガッツさんといい、小さい魔女さんといい……今度は吸血鬼さんですか。僕はどうも抑圧される少数派に関わり合う事になってるようです」

『んーピコリンは?』

「僕は大衆迎合派です、長いものには巻かれる主義ですよ」

 

 言葉の意味がよく判らなかったのか、瀬流彦の頭の上で妖精はぱたぱたと飛び回った。やがて頭の上に着地し、足を組む。

 

『よくわからないけど、うそつき』

「嘘じゃないです」

『きつつき』

「きつでもないです」

『きつってなあに?』

「さてなんでしょう」

 

 そんな何でもない会話を交わしながら夕日の中を歩く。

 春の風がさわさわとそよぎ、瀬流彦の髪をわずかに揺らした。


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