未来の本因坊   作:ノロchips

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第24話

 ――へぇ、何かコイツ結構打てそうじゃん。良かったな佐為、少なくともさっきみたいなヤツじゃなさそうだぞ。

 

 現状は未だ布石段階。確かに力の程は伺えるものの、多少打てる者同士の手合いならば十分に発生しうる形。少なくともこの僅かばかりの手数で対局相手を連想する事など常識的には不可能だ。

 それでも私には、今自分が誰と打っているのかがハッキリとわかるのだ。……その自信の拠り所となったのは、私の体に突き刺さるピリピリとした何か。

 

 ……間違いない。これは……!

 

 厳しくも力強く、それでいて何処か心地良い。その感覚を確かに私は覚えていたから。

 決して目前に相対している訳ではないのに。それでも画面越しですら伝わるこの気迫。……あの時と、全く同じだったから。

 

 ――おい、聞いてんのかよ佐為っ。

 ――え? あ、ハイ……そうですね、恐らくはかなりの手練れかと。

 

 ヒカルは気付いていない。このまま対局をする事は、もしかしたらヒカルへの裏切りになってしまうのかもしれない。

 しかし、結局私がそれを口にする事はなかった。……身勝手な話だ。ヒカルは私の為にここまで尽くしてくれたと言うのに。ヒカルの彼女への想いを私は知っているのに。そんなヒカルへの罪悪感を余所に、私の胸中はそれを遥かに上回る歓喜で溢れかえっているのだから。

 

 ――ごめんなさいヒカル。でも、私はこの時をずっと待っていたんです……!

 

 ヒカルに聞こえない程の小声でそう呟く。そして今から少しの間だけこの感情は忘れよう。

 私の前には間違いなく彼女がいる。あの日から半年間、焦がれて止まなかった彼女がいる。

 

 ――星川彩が、いるのだから。

 

 

 

 半年前のあの日、囲碁教室での初対局。決して私は手を抜いたりはしなかった。ヒカルと同い年、僅か十二の少女が放った圧倒的なまでの気迫に少なからず驚きはしたものの、歴戦の強者達と変わらぬそれと認めた上で、持てる力の全てを彼女にぶつけたつもりだった。

 そして結果は持碁。幼子に勝てなかった、黒番で一度たりとも負けたことの無い私が持碁にまで打ち込まれた、様々な想いが渦巻く中……それ以上に私は歓喜していたのだ。自分が更に高みに行けるという可能性を、ハッキリと見出だすことが出来たのだから。

 

 その日から、囲碁に目覚めたヒカルと共に歩み、そして導く日々の中で、私もまたその可能性を常に模索し続けていた。

 黒と白の平等を期すべく設けられたコミというルール。取り分け黒番においてはその負担を解消する為に、より積極的に仕掛ける囲碁へと変わっていた。

 当時は五分のワカレとされていた定石や布石も、更に研究が進み、価値観も異なった現代碁の中では、廃れたもの、改善が加えられたもの、そして新たに生まれたものと、多種多様な変化を見せていた。

 私が碁盤に眠っていた150年の間に囲碁は確実に進化していた。そしてそれを教えてくれたのは紛れもなく彼女。黒の優位性が確立された現代ならば、あの時の碁はハッキリ私の負け。そしてその敗北があったからこそ今の私があるのだ。

 

 

 数分の考慮時間の後、無機質な音と共に画面に白石が浮かび上がる。今までの進行とはどこか一線を画した、戦いを予感させる、只ならぬ一手。

 

 ……当然、仕掛けて来ますよね。あなたならきっとそうする。そんな気がしていました。

 

 僅か一度の対局で彼女を知った様な気になり、そして想定した通りの一手を見て、もしかしたら向こうも自分を認めてくれているんじゃないかと、そんな都合の良い錯覚に陥る。

 こちらの応手は2つ。受けるか戦うか。手厚さという意味も考慮すれば、受けることも決して悪いわけではない。しかし、瞬間頭に浮かんだその選択肢を私は即座に切り捨てた。

 白の一手は戦おうという意思表示だ。ならばそれに応えなくてどうするのか。きっとあの子も……彩も私を待っているんですから!

 

 

 ――行きますよヒカル! 13の四、カケ!

 

 

 私だってこの半年間遊んでいた訳じゃない。囲碁教室で、ネット碁で、そしてあなたも共に過ごした囲碁部で。ヒカル同様、私もまた確実に研鑽を積んでいたのだ。

 

 だから今度は私の番。……今度は、私の進化した碁を見せる番です!

 

 

 ―――

 

 

 ……はは、凄い。やっぱり佐為は凄いよ……!

 

 その変化は序盤から既に感じていた。現代の流行布石に始まり、黒を持った上でのより足早で積極的な打ち筋。確実に数目を勝ち切ろうというかつてのコミ無し碁の打ち方じゃない。5目半という負担を受け入れ、より一手の価値を追求した現代の碁だ。

 だけど……その一手の端々から確かに伝わって来る。半年前に感じた圧倒的なまでの大局感、独創性、そして真っ向から私の戦いを受け止めるだけの力強さ。

 奈瀬さんの言ってた通りだ。これは間違いなく秀策。その棋風を残しつつも、現代碁の利点を確かに取り入れた、進化した秀策の碁。

 

 ――本因坊秀策が現代碁を学んだら。

 

 そんなおとぎ話の様な出来事が、今まさに私の目の前で実現しているのだ。

 

 

 向こうの気合いに応えるかの様に敵陣深く踏み込んだ私の一手を、黒は真正面から迎え撃つ。そしてそこから始まった戦いは今や盤面全てに波及していた。

 佐為は引かない。私も引かない。盛大なフリカワリなどを経て、紆余曲折あったものの、殊この瞬間に至って形勢は未だ互角。布石段階のアドバンテージが多少なりとも解消された今回、むしろここまで渡り合えている事に私自身が一番驚いていた。

 佐為個人の技量はもはや疑う余地も無い。悔しいけれど、今の私がそれに及ばない事も前回の対局で嫌という程痛感している。ならば何が私をここまで支えていたのか。……それはきっと私が持っているもう一つのアドバンテージ、私が本因坊秀策という人間を熟知しているという事実に他ならなかった。

 

 ……そうだ、私が何度あなたの碁を並べたと思っているんだ。兄弟子・本因坊秀和との激闘の記録も、見る者全てを唸らせたあの耳赤の一手だって、私は全部知っているんだぞ。

 

 秀策の打ち碁は研究が進んだ未来においても変わらず多くの人々の模範になり続けている。少なくともプロならば誰もが一度はその碁を並べたはず。そんな偉大な先人に倣い、追い付け追い越せと、そうやって進化を続けた先に今があるのだ。

 前回だって、そして今日だって、私はずっと考え続けていた。秀策ならばどう打つか、自分の一手にどう応えてくれるのかと。

 その認識の違いが、そして棋士ならば誰しもが持ち合わせている先人達への尊敬の念が、きっと私と佐為の実力差を埋めてくれていたのだ。

 

 

 全局的に広がった戦いもやがて収束し、いよいよここからはヨセ勝負。

 どちらが勝っている? そんな事を考えている時間すら惜しかった。お互い持ち時間は使い切り、既に秒読みに入っているのだから。

 

 ……結果なんて終わればわかる。目算するヒマがあったら考えるんだ、より最善の一手を!

 

 頭が熱い。脳が焼き切れそうだ。それでも考えろ。ひたすらに考えろ。仮に負けても絶対後悔しないように。中央は後手6目、左上は先手だけど……!

 

 

 

 ――…………。

 

 

 まずはハネツギを決めて、それから……

 

 

 ――……っ。……!

 

 

 何か聞こえる? ……ああもう、よそ事なんて考えてる場合じゃないのにっ!

 

 

 ――……や。………っ!!

 

 

 くっ、利かされた。ここは切断に備えないと……!

 

 

 

 

 

 

「……彩っ! 聞いてるの!? さっきからずっと呼んでるでしょう!!」

 

 

 ―――

 

 

「うわあっ!?」

 

 耳元で響いた大きな声に、さしもの私も否応なしに現実に引き戻される。そうして振り返れば、『怒ってます』という文字をそのまま張り付けた様な顔のお母さんが私の背後に立っていた。

 

「お、おかあさん?」

「いつまで遊んでるの! 今日は夕方からお父さんがパソコンを使うって言っておいたでしょう? 何度も言ってるのに返事もしないでっ」

「え、あ……そうだったっけ?」

 

 間の抜けた様な声で返事をしつつも、よくよく思い返してみれば確かにそんな事を言われてた様な気もする。お母さんの後ろではお父さんが困ったような顔で苦笑いを浮かべているし。……ああ、もうそんな時間になっちゃったんだ。

 

 ……って違う! いや、違くないけど、とにかく今はそれどころじゃないんだ! ただでさえ時間に追われてるっていうのに……!

 

「ご、ごめん! すぐ終わりにするから、あと10分だけ!」

「ダメよ、そういう約束じゃない。まったく制服も着替えずに……まさかお昼からずっと遊んでるの?」

「まあまあ、いいじゃないか。10分くらいなら俺は全然構わないぞ?」

「……もう、ホントあなたは彩に甘いんだからっ」

 

 助け舟を出してくれたお父さんに心の中で感謝しつつ、都合良くお説教の矛先がそちらに向いたのをこれ幸いと、私はパソコンに視線を戻す。

 しかし、改めて状況の再確認をしようとしたその瞬間……画面に映る『それ』を見て、私は全身から血の気が一気に引いていくような感覚に陥っていった。

 

「えっ……な、何で?」

 

 先ほど切断に備えるために打ったその一手が、一路横にずれている。もちろん画面上の石が勝手に動くはずもない。つまりコレは……

 

 ……まさか、打ち間違えた? そんな、これじゃあ断点が守れてないよ!

 

 何て事だろう。恐らくあの時、お母さんに呼び掛けられたあの時に間違えたんだ。

 素人目にもわかるくらいの明らかな失着。こんなの切ってくださいと言わんばかりだ。それでも佐為がすぐにそれをしないのは、ここまで互角に渡り合った私に敬意を払い、その手の意図を最後の最後まで汲み取ろうとしてくれているからなのか。

 もちろん実際は裏も何もないただの打ち間違い。そうして時間いっぱいまで使った末に放った黒の一手は……当然ながら私への死刑宣告だった。

 

「切断された……上辺、死んじゃった……」

 

 1目の損得が勝敗を左右しかねないこの状況下で、大石など落ちてしまっては挽回も何もあったもんじゃない。文字通り完全に打つ手無し、形勢なんて考えるだけ時間の無駄だ。

 もはや私に残された選択肢は……敗者の最後のお勤め、投了ボタンをクリックする事だけだった。

 

 ―white has resigned

 

 画面に浮かび上がるその文字を見て、全身の力が一気に抜ける。思わずその場にへたりこんでしまいそうだった。……こんな終わり方、あんまりじゃないか。こんな終わり方、きっと向こうだって望んでなかったハズなのに。

 

 

「終わったの彩? ……あのね、別に囲碁で遊ぶのを悪いとは言わないわ。だけどあなた、この前もパソコンで夜更かしをして……」

 

 諭すようなお母さんの言葉がやけに耳に障る。もちろん悪いのは約束を忘れていた私だ。そんなのわかってる。……それでもせめてもう少し待ってくれてたら、二人が帰って来るのがもう少しだけ遅かったら、きっと素晴らしい一局が完成したのに。そんな自分勝手な考えを廻らさずにはいられないのだ。

 

「とにかく早く着替えてお風呂に入っちゃいなさい。そしたらご飯にするから……」

「……もう、わかってるよっ! お母さんのばかっ!!」

 

 まるで思春期の中学生のような悪態を吐きつけて、そのまま私は2階へと駆け上がって行ったのだった。

 

 

 ―――

 

 

 結局ご飯の時間に至っても不機嫌を全面に押し出していた私だったけれど……

 

「いつまでもそんな顔してるんなら、もうパソコン使わせないからねっ!」

 

 とうとう腹に据えかねたお母さんにそんな事を言われてしまっては頭を冷やさない訳にもいかなくて。と言うより、常識的に考えて悪いのは完全に私であり、こちらが謝るのは至極当然の事なのだ。何よりこの上奈瀬さんとの対局機会まで取り上げられては堪らないと、私は素直に頭を下げ、何とか事なき事を得たのだった。

 

 そうして食事を終えた後、自室に戻った私は1日の疲れを吐き出すかの如くそのままベッドに体を投げ出した。ぼんやりと天井を見上げながら、未練がましくも浮かんでくるのはまさに先刻まで死力を尽くして戦っていた記憶。

 

 ……強かったなぁ、佐為。

 

 以前とはまるで別人の様な碁。そして真に恐るべきはその成長速度と学習能力だ。囲碁教室、ネット碁に囲碁部――碁を学ぶにあたり決してレベルが高いとは言えない環境に加え、ネット碁にしても未だ十分な場数をこなせた訳でもないだろう。それにも関わらず僅か半年であの強さ、しかもこれでまだ進化の途中だと言うのだから、改めてその偉大さを痛感させられてしまうばかりだ。

 

 それでも、本当に楽しかった。私の想像以上の強さを見せつけてくれた佐為。そしてそんな彼との真っ向勝負は、以前の対局よりも更に心踊るものだった。

 そして……本当に悔しかった。勝ちたかったのに。負けるにしても、最後の最後まで戦い抜きたかったのに。

 

 ……ごめんね佐為。あなたもきっと、最後まで打ちたかったよね。

 

 改めて先程の対局を思い起こす。もし最後まで打っていたら……どうなっていたのだろうかと。

 わざわざ碁盤になんて並べるまでもない。目を瞑れば一手違わず鮮明に浮かび上がる、打ち掛けの盤面。

 噛みしめる様に、そして今度は絶対に間違えないように、終局までの道筋を一人辿っていく。

 ……佐為が左上を決めて、私が中央へ。そして小ヨセを経て、半コウまで打ち切ったら。

 

 

「……ああ、そっか。やっぱり半目勝負だったんだ……」

 

 

 ―――

 

 

「……何だったんだろうな、最後の」

 

 ――わかりません……わかりませんが、私には彼女があんな初歩的なミスをするなんて思えません。恐らくは打ち間違いかと……

 

「彼女、ねぇ……」

 

 ――あっ! い、いや……その……

 

「ったく、やっぱりオマエも知ってたんだ。相手が星川だってこと」

 

 ――ごめん、なさい。……あれ? オマエもって事は、じゃあ……

 

「途中からだけど、何となくな。あの名前にしても星川だから織姫。はは、アイツらしいって言うか」

 

 ――……怒って、いないのですか?

 

「オレだって同じさ。気付いてて止めなかった……止めたくなかったんだ。オマエらの対局に夢中になっちまってさ。だからまあ……別に謝んなくていいよ」

 

 ――ヒカル……

 

「それで、実際ちゃんと打ってたらどっちが勝ってたんだ? 相当細かそうだったけど」

 

 ――……私の、半目負けです。

 

「……そっか、負けちまったのか」

 

 ――無念です。やはり彼女は……強かった。ですが、それでこそ追いかけ甲斐があるというもの。

 

「はは、何か意外とサッパリしてんじゃん。心配して損したぜ」

 

 ――ええ、気落ちしてる暇なんてあるものですか。まだまだ私には学ぶべき事がたくさんある。もちろん最後まで打ち切りたかったのは確かですが、それ以上にねっとの世界に彼女がいる事がわかったのですから! orihimeという名も覚えました。次は、次こそは……!

 

 

 

 

 

「……あー、張り切ってるとこワリーけど、次からもうアイツとは打たねーから。申し込まれても全部断るぞ」

 

 ――……えええっ!? な、何でですかぁっ!

 

「当然だろ! オレ達が気付いたように向こうだって何か感付いてるかもしれないじゃねーか! ネット碁を禁止されないだけありがたいと思えよっ!」

 

 ――そんな……そんな殺生なぁーっ!

 

「……あーもう、うるせーなっ! 言い訳を考えなきゃならないこっちの身にもなれよっ!」

 

 




秒読み:持ち時間を使い切ると、そこからは一手を決められた時間内で打たなければなりません。これが秒読みです。10秒、30秒、60秒と色々ありますが、基本的には対局者同士の決めであり、今回は30秒くらいを想定してます。

また、ネット碁にはミスクリックによる打ち間違い防止のために『待った』のボタンが設定されていますが、興醒めになるので触れませんでした。

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