MH ~IF Another  World~   作:K/K

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海原を朱に染めて/海神の気紛れ

「お熱いのはお好きか?」

 

 冗談を口にしながら船長は手に持った火を巨大魚に向けて投げる。しかし投げられた火は巨大魚には届かず、その手前で失速し甲板の上へと落ちた。

それでも船長の顔から笑みは消えない。

 歩み寄ってくる巨大魚にいとも容易く踏み消されそうになる小さな火。そのとき巨大魚が踏み消すよりも先に火へと触れたものがあった。それは巨大魚の体から滴り落ちていく琥珀色の液体。それが棒の部分に触れそこから火の部分へと伝わっていったとき、琥珀の液体が紅蓮の火へと変わる。

 液体の流れに逆らうように液体に火が奔る。逆らって奔る火は勢いを増して炎へと転じ、やがて本体の巨大魚の身体を灼熱で包み込む。

 全身を包み込む炎に堪らず巨大魚は身悶えする。

 

「くはははは! 特性の海獣油だ! 海に飛び込んでもちょっとやそっとじゃ消えねぇぜ!」

 

 海獣の脂肪から作りだした特性の油。非常に燃えやすく消えにくい点から主に灯りなどに用いるが、海賊の彼らは商船相手に使用する焼き討ち用に大量に保管していた。

 体に付着した炎を飛ばそうと何度も身体を揺するが炎は消えず、小さな火があちらこちらへと飛散し船に燃え移っていく。

 

「熱いか! 苦しいか! 少しは俺の仲間が味わった痛みが理解出来たか! この魚野郎ぉぉぉぉ!」

 

 部下を殺された怨みと怒りを込めありったけの声を込めて叫ぶ。

 巨大魚にその言葉などは理解出来ない。だが今も味わっている苦しみを与えた人物が今、何処にいるかは正確に把握していた。

 そして同時に、自分が纏っている鱗が熱によって急激に脆くなっていくのを理解していた。このままではいずれ砕けて剥がれ落ちていく。

 この痛みへの報復か。それとも大事をとって逃亡するか。

 

巨大魚の選択は――

 

 

 

 

 巨大魚は怒声を上げる船長を無視し、背を向けるとその場で倒れ込み、身を捩りながら器用に前進する。

 

「待てよ! おい!」

 

 戦うよりも逃げることを選んだ巨大魚に船長は声を荒げるが相手は一切聞く耳は持たず、そのまま船の端へと到達すると立ち上がって海に向かって飛びこんだ。

 燃え盛る体に海水が被さりその勢いを弱めていくが、船長の言った通りただ海水を浴びただけでは完全に消えない。しかし巨大魚は飛び込むと全速力を以て海中へと潜行する。それによって炎で脆くなった鱗が炎や染み込んだ油ごと剥げていく。

 鱗の剥げた部分の下から筋組織が露わになり、そこから血が流れ出していくが、構う事無く炎が触れた部分を削ぎ落していく。

 そして大部分を削ぎ終えると同時に反転し、今度は海上目掛けて泳いでいった。

 

「ああ、くそ」

 

 目の前でみすみす相手に逃げられてしまった船長は、甲板でふらつきながら船の端へと向かって歩いていく。

 巨大魚が暴れた際に撒き散らされた火種の一つが、予め撒いておいた火薬へと引火しているのを見つけた為に、少しでも生き延びる確率を上げる為に海へ飛び込もうとしていた。

 本来ならば船長が命懸けで引きつけ、船ごと自爆するという賭けであったが、相手が船から去ってしまったことでものの見事に賭けに敗けてしまった。

 自分で仕掛けた罠に自分で嵌って無駄死にする訳にもいかず、船長は悲鳴を上げる身体をに鞭打って亀のような鈍い動きで必死になってこの場から逃れようとしていた。

 いつ爆発するかなど船長にも分からない。

 船の端まで辿り着いた船長はそのまま縁を掴み乗り上げようとする。だが身体を持ち上げようとすると、マストに叩きつけられたときに痛めたのか腕の筋肉が萎縮するような痛みを感じ、力が抜けてしまう。

 そのとき前触れも無く、船長のすぐ側にある船の壁が砕け散った。

 

「は?」

 

 あまりに急なことに何が起こったのか分からない船長の頬に、砕けた木の破片や何故か水の礫がかかる。

 その直後、今度は先程までもたれ掛かっていたマストの根本付近が抉られる。一瞬にして半分以下の細さまでになったマストは自重を支えきれず、メキメキと木がへし折れていく音を立てながら倒れてくる。運が悪いことにそのマストの倒れる先には船長の姿があった。

 

「おいおいおいおい!」

 

 自分に目掛けて倒れてくるマストに、船長は驚きの声を上げながら必死になって船の反対側に向かって駆け出した。そのまま海中へと逃げ込めばいいものの、先程身体を持ち上げられなかったことから足を使って逃げることを本能的に選んでしまった。

 全力で駆けた為に体の内側から軋む音が聞こえ、激痛が走るがそんなことなど圧殺されるかもしれない現状に比べれば些細なものであり、意識の片隅へと無理矢理押し込み、船長は半ば身体を投げ出すようにして船の反対側まで辿り着き、縁に被さるようにしてもたれ掛かり痛みを訴える身体を支えた。

 そして船長はそこで見た。

 海上から体上半分を出し、こちらに顔を向ける傷だらけの巨大魚の姿を。その大きく開いた口から飛び出て来る水のブレスを。

 吐き出された水は本当に水なのか疑問を抱く程、簡単に船の一部を貫きそのまま削り取っていく。ただ直進するだけならばまだ被害は抑えられたが、水を吐き出しながら巨大魚が少しでも頭部を動かすと水のブレスはたちまち水の刃へと変わる。

 巨大魚の頭が斜め下に向かって振られる。すると船の先端から船底まで斜めに斬り裂かれ、先端がずり落ちて海へと沈んでいくと空いた部分から大量の海水が流れ込み、船が急激に傾き始める。

 

「俺の代わりに火消しをやってくれるのか! ありがたいぜ! くそたったれ!」

 

 半ばヤケクソ気味に叫びながら、船長はバランスを崩し始める船へとしがみ付き何とかこらえようとするが、その間にも巨大魚は次々と水のブレスを吐き続け、船長の逃げ場をどんどん縮小させていく。

 

「おおおおおおおおお!」

 

 やがて船の傾きも最高点となり、ほぼ海面に対して垂直の状態となる。そんな中で船長は両手両足を絡ませて何とか耐えていたが、限界への時間はもう間もなくに迫っていた。

 

「飛び込むしかないよなぁ」

 

 触れればその箇所から穿たれるであろう水の凶器から逃れる場所は、最早そこしか残されていない。自分がこれから飛び込むことになる海原を眺め、自然と額から冷たい汗が流れていくのを感じた。

 今日ほどこの青い海原を恐ろしいと思ったことは無い。

 海の側で生を受け、最古の記憶では既に泳いでいた自分。そしてそこから今に至る記憶の中で海に関わらなかった記憶など皆無であった。そんな海と密接な関係にある自分が今、海を見てそこに恐ろしさを覚えている。

 立ち止まっていればいずれ穴だらけか真っ二つになって殺される。だからと言って海へと逃げ込めば十中八九あの巨大魚に食い殺される。

 どの選択を選んでも待っているのは死。

 自分が完全に詰んだ状況にあることを思い知らされ、船長は諦観からか小さく笑う。

 

「格好つけたが結局は無駄死、犬死のようなものか……」

 

 そう呟いた船長は腰に差してあった剣を抜く。それと同時に縁を掴んでいた両手を離し、足で船を蹴りつけると思い切り良く海へと頭から飛び込んだ。

 小さな水柱を上げて着水した後に勢いよく海面へと上がり、声高らかに叫ぶ。

 

「おらぁぁぁぁ! お前のご自慢の鱗を焼いてやった奴はここにいるぞ! わざわざお前の舞台に飛び込んでやったんだ! 泣いて喜べ! 魚野郎!」

 

 せめて死ぬ時ぐらい心を折らさず、怯えも見せず、これでもかと言うぐらい虚勢を張って死のう。

 巨大魚がそれを見て何の感慨も抱かないことは百も承知である。だがそれでも意地を張らなければ、死んでいった仲間たちにあの世で笑われてしまう。

 長年乗って来た船が二つに割かれて海へと沈んでいく。船があった名残は最早、沈まずに波に揺られて浮かぶ船の破片のみ。

 船長はその内の自分に向かって流れてきた板を一枚手にする。沈まない為の浮板代わりにも見え、あるいは船の共に最期を遂げるという覚悟にも見える。

 船長は先程まで巨大魚がいた方を見るが、そこに巨大魚の姿は無い。どこにいったのかなど考えなくても分かっている。

 浸る海水の温度が急激に下がってきたかのように、船長の身体に寒気が走る。何一つ変わっていない筈なのは分かっているが、その寒気こそ迫る敵が放つ殺意であり、寒気が強くなればなるほどに接近してくるのを理解した。

 船長から数メートル離れた場所で海水が盛り上がり出す。同時に盛りあがった海水の中に浮かぶ鮮やかな色。

 上がった海水が全て落ちたとき、そこには巨大魚の顔があった。

 

「よお。近くで見たら中々の二枚目じゃねぇか」

 

 常人ならば恐怖で発狂してしまうかもしれない状況で船長は冗談を飛ばす。

 口腔から覗く鋭い牙は唾液によって艶を見せ、間近にいるせいか巨大魚の血生臭い吐息のニオイすら感じる。

 船長は持っていた剣を掲げる。この巨大魚の前にしては小枝のような存在であるが、ただではやられないという意思の表示でもあった。

 それに応じるかのように水中から折り畳んでいた翼が飛び出し、左右に大きく広げられる。そして独特の鳴き声を上げ、流線形の顔を前に突き出し、開いた牙で船長を噛み砕かんと開いた翼を水面へと叩きつける。

 

「来い!」

 

 最期と言わんばかりに水平線の彼方まで届くような大声を張り上げ、剣を突き付ける船長――が何故か巨大魚は水面に翼を叩きつけた状態のまま固まり動こうとしない。

 相手の不審な行動に決死の覚悟をしていた船長も眉間に皺を寄せ、怪訝そうな表情となる。

 しかし巨大魚は船長の存在など眼中に無いかのようにその大きな頭を持ち上げ、どういう訳か周囲を警戒し始めた。まるで何かに恐れを抱いているかのように落ち着きが無い。

 

「どうしたんって――うぷっ!」

 

 理解出来ない相手の行動に船長を思わず言葉が出そうになったとき、その言葉を遮るように波が顔に当たる。

 口に入った海水を吐き出す船長であったが、続けざまに海水が何度も船長の顔に当たり続ける。先程まで波など無かったのにどういう訳か海水の動きが慌ただしくなり始めていた。

 明らかに何かが起きるであろう前兆。それに対し逸早く行動に移ったのは船長では無く巨大魚の方であった。

 巨大魚は船長に背を向けるとそのまま海に潜り込み、振り返ることもせずどこかへと去ってしまった。

 天敵の存在など考えられない程の体躯をした巨大魚が、尻尾を巻いて退散していく。それにより落とす筈であった自分の命が救われた。だがそんな光景を目の当たりにしても、自分の現状を把握した船長は痛快な気分など微塵も湧くことが無かった。

 船を容易く沈めていった巨大魚が逃げ出していく。その異常事態に船長の鼓動は次第に早まっていく。

 変化は唐突であった。船長の正面、十数メートル先で水面が盛り上がり始める。初めはそれほどの高さでは無かったが、時間が過ぎるにつれてみるみるうちに高さが上がり見上げる程の高さへとなっていく。それにつれて周辺の海水の動きが激しくなっていく。まるで海全体が震えているかのような錯覚を覚えながら、船長は船の板をしっかりと握り締めその盛り上がる水面から目を離すことが出来なかった。

 やがて海水は限界まで上り詰める。そのとき盛り上った海水を突き破りあるものが現れる。それを見た時、最初に船長は大きな岩か何かだという感想を抱いた。しかしそれが徐々に全容を見せ始めたとき、それが生物の角であることを理解しただ絶句した。

 言葉を失い、現実への理解が消化しきれない船長に追い打ちを掛けるようにして、その巨大な角の持ち主は海水からその全体を露わにした。

 牡牛を彷彿とさせる白く立派な左右対称の角。その巨大な角に負けない程の身体が水面から飛び出し宙で弧を描く。先程の巨大魚よりも倍以上の大きさの身体が飛び上がった光景は、目が覚めているにも関わらず夢か幻を見ているような錯覚を起こす。

 船長は呆けた顔で口を半開きにしながら、現れたその巨大な生物を瞬きすることなく見つめ続ける。

 その生物の腕には指などは無く泳ぐ為に特化した鰭の形になっており、また足も無く代わりに二又に分かれた尾鰭があった。首から胸にかけて鬣のような白い体毛を生やし、水から飛び上がった拍子にその体毛から弾かれた水だけで周囲に土砂降りのような水滴が落ちている。巨体を覆う鱗は一枚一枚が人を覆い隠してしまう程大きく、そして体皮の至る所に藻を付けており、それが生物の歴史を現しているようであった。

 神話、あるいは伝説の中からそのまま抜け出てきたような生物。その身から溢れ出る圧倒的な生命力は、自分が如何に矮小な生き物であるかを否応なしに自覚させる。

 

「あれは――」

 

 無意識に言葉が出てきたとき、飛び上がった巨体が海水へと着水する。それによって海に波紋が広がっていくが波紋の一つ一つが津波と呼べるほど大きく、それにより船長は成す術も無く飲まれ、海中でひたすら海流に弄ばれる。上下左右が分からなくなるほど体勢が変わり続けるが、それでも手に持った板切れは離さず掴み続けてはいた。だが、やがて押さえていた息も限界に達し、口から水泡となって吐き出していくと船長の意識が黒く染まっていく。

 意識が遠のいていく中で船長はぼやけた視界に映り込む大きな光を見た。

 

(あの光……やっぱり……み……さ……)

 

 それが何なのか理解する前に船長の意識は途絶える。そして大きな光もまた遠ざかっていくのであった。

 

 

 

 

「――長」

 

 遠くから何か音が聞こえてくる。

 

「――長!」

「――長!」

「――長!」

 

 それも一つや二つでは無く沢山の音であった。

 

「――長!」

 

 お世辞にも綺麗とは言い難い音。どの音も擦れていたり、低かったり、唸る様であったりと正直耳障りとも言っていい音であった。

 

「うるせぇ……」

『船長ぉぉぉぉぉ!』

 

 思わず呟いた言葉に何十という野太い声が重なる。

 閉じていた瞼を開ける。最初に目に入り込んで来たのは空から降り注ぐ太陽の光。それに目を細めながら徐々に視界が回復してくる。そこで初めて筋骨隆々とした複数の男たちが自分の顔を覗き込んでいるのに気付き、一番近くに居た男の頭を叩きながら船長は上体を起こす。

 

「近い」

「痛ぇ! でも良かった! 船長が無事で!」

 

 叩かれた部分を押さえながらも男は船長の無事を喜ぶ。

 

「ここは……」

 

 はっきりとしていない頭で周囲を見回すとそこにいたのは別れた筈の部下たちであり、自分が乗っているのが自分たちの海賊船の一隻であることを理解する。

 

「すみません。俺達どうしても船長のことが見捨てられず……」

「……俺は助けに来るなと言ったし、二度と海には戻って来るなと言った筈だぞ」

 

 船長は怒気を込めながら言う。海から引き揚げたのは間違いなく部下たちであり、それを無視して怒ることは恩知らずとして他人の目に映るかもしれない。だが一度約束しておいたことを破り、あまつさえ折角拾った命を捨てるような真似をした部下たちの行為に静かに怒る。

 

「分かってます! 船長のお怒りは御尤もです! ですが俺達も海の男としての端くれ! 死ぬときは土の上では無く海の中と決めているんです!」

 

 殺されるのを覚悟で船員たちは自らの決断を述べる。しかし、予想外なことに船長はそれ以上言及せず、溜息を吐くと何処か呆けたように空を見上げる。まるでそれは何かの残像を追っているかのようであった。

 

「船長、結局あのでかい魚はどうしたんですか?」

「……どっかに行っちまったよ……まあ、二度とこの辺りには戻って来ないな」

 

 妙に確信をしたように語る船長に船員たちは皆、首を傾げた。普段の船長を知るならばあまりに覇気がない。

 

「――なら! 海賊団の解散も無しですよね! あんな奴が居なくなったなら……!」

「……いや、言った通り今日で俺達は解散だ」

「そんな! どうして!」

 

 一斉に抗議の声が上がるが、船長はそれらを無視して見上げていた目線を広く大きな海原へと向け、独り呟く。

 

「あんな神様がいる海で二度と悪さなんてできやしねぇさ……」

 

 




これがこの話のもう一つの終わり方になります。どちらの終わり方が良いかはお好みで。
そして一瞬ですがようやく古龍種も出すことが出来ました。
ガノトトスの二倍の大きさを持つナバルデウス――の倍近い大きさがあるジエン・モ—ラン――を四体並べた大きさを持つダラ・アマデュラとラヴィエンテ
こう書くとナバルが小さく思えますね。

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