MH ~IF Another  World~   作:K/K

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強襲するモノ

 ナナ森から少し離れた場所に止めてある馬車の前で、エイスたち一行は森の中に入って行ったワイトたちのことを待っていた。

 彼らがここに連れてこられたのは、もしワイトたちが森の中から帰って来られなかった時に備え、ギルドに報告するという役目を担うためだ。そのためにここまで付いて来ていた。

 ただワイトたちの帰還を待つ。それだけのことではあるが、ゼトを除く他のメンバーは落ち着きがない様子を見せていた。

 

「少しは落ち着けお前ら。お前らが焦ってもあの人らは早く帰っては来ねぇぞ?」

 

 皆の様子を見兼ねて御者台に座っているゼトが声を掛ける。それに対し馬車の前で左右にうろついていたシィは目を吊り上げてその発言に噛みつく。

 

「落ち着けって言われて落ち着けるわけないでしょうが! ワイト様たちにもしものことがあったらどうするのよ! あんたもあの竜の強さを見たでしょ! いくら上級の冒険者が揃っていたとしても遭遇して勝てるとは言い切れないのよ!」

「……心配しているのはわかるけど、それじゃあ八つ当たりだよ、シィ」

 

 馬車の荷台に座り、エイスがシィの態度を窘める。

 

「っ! 分かってるわよ! 分かっているけど……」

「シィさんの気持ちはよく分かります」

 

 先程まで気を紛らわせる為に指を忙しなく動かしていたエルゥが、冷静でいられないシィに同意を示す。

 

「無力だと分かっているからこそ、何も出来ずに待っていることがただ歯痒いんです……」

「大丈夫……きっと大丈夫な筈だ。あの人たちは僕らの何倍もの修羅場を生き抜いてきた人たちだ。信じよう、今はただそれだけが僕らに出来ることだ」

 

 他者にも自分にも言い聞かせるような言葉を呟きながら、エイスはワイトたちが入って行った場所から視線を外さない。

 シィはエイスの言葉を聞き、まだ胸の奥底には苛立ちが残るもののそれをしまい込んでエイスと同じく荷台に座った。

 そしてそのまま沈黙が流れ始める。落ち着きは少し取り戻したものの会話をする程までの余裕までは得ることは出来ないままであった。

 一秒が何倍にも引き延ばされたかのような長い間隔。その間木の葉が擦れる音、鳥が木々から飛び立つ音にすら敏感に察知し、勢いよく立ち上がろうとするシィの姿がたびたび見られたが、その度にエイスやゼトに軽く窘められる。

 これがいつまで続くのか、と誰もが思ったときエルゥが顔を勢いよく動かし、とある箇所に視線を集中させた。

 

「魔力の気配……皆さん! 恐らくワイト様たちが跳んで来ます! すぐに馬車を走らせる準備を!」

 

 持ち前の第六感が働き、事前にワイトたちが転送魔法で跳んでくることを感じ取る。

 その直後にワイトたちが姿を現す。入って行ったときはワイトを含め四人であったが、今は見知らぬ少年を含めて五人いる。

 

「いますぐここから離れる!」

 

 ワイトの余裕の無い声。連れて来た少年以外にも冒険者はあと十九名居る筈であったが、それらを助けることなくこの場から離れる。それは残りの冒険者たちがもう助からないということを言外に現していた。

 その事実に気付き、一瞬エイスたちの表情が曇るもののすぐに表情を引き締めて馬車へと乗り込む。

 そのとき馬車の床に何かが落ちる音がし、皆の視線がそこへ集中する。床に転がったのは、人の腕くらいの太さがある硬質な黒い棘。落ちた場所から見て助け出した少年が持っていたものであり、助け出すことに必死であったワイトたちはそこで初めて少年がそれを持っていたことに気付いた。

 

「う、あああ……」

 

 それを見ていた少年に異変が起こる。先程まで呆然としており、されるがままであったのだが、急に頭を抱え込み震え始めた。

 ワイトたちは未だ知らないことであったが黒い棘は少年――ビートを恐怖の底まで引き摺り下ろした黒い獣の一部であり、精神が極限状態を迎えてしまったビートはそれを一目見ただけで、只でさえ弱っていた心に追い打ちを掛けるように、襲われた時の記憶が嫌になる程鮮明に浮かび上がる。

 既にいない筈の黒い獣と緑の竜。だがビートの脳にはそれが焼きついて離れない。そして湧き立った恐怖が脆くなった心に満ちたとき、聞こえない筈の獣と竜の声、感じる筈が無い気配、あるはずの無い血のニオイがビートの五感に伝わってくる。

 それはただの幻覚に過ぎない筈であるが、摩耗した精神状態のビートが正常に判断できる筈も無く、それらを消し去りたいが為に手や足を振り、激しく暴れ始めた。

 

「ああああああ! 来るなぁ! 来るなぁ! いやだああああああ!」

 

 半狂乱となって暴れ始めたビート。その姿に一瞬は驚くものの何とか落ち着きを取り戻させようとする。

 

「落ち着くんだ! 君はあそこから生き延びたんだ! もう君を襲うものは居ない! 少しだけでもいい、私の言葉を聞いてくれ!」

「助けて! 助けてよ! 僕を助けてくれ!」

 

 ワイトの説得にも耳を貸さずビートは口に指を咥え、音を鳴らす。それはワイバーンの乗り手が相棒のワイバーンを呼び出すときの合図であった。だが既に相棒のワイバーンを失っている為に、いくらビートが呼び出しても応えることはない。ビートも相棒の命が失われたことを知っている筈であるが、恐怖で麻痺した思考がその記憶を封じていた。

 

「うるせえぞ。クソガキ」

 

 だが暴れるビートを見兼ねて小柄な老人――キユウが言葉を吐き捨てながらビートの額を持っている杖で小突く。するとビートの目がすぐさま虚ろなものとなる。その後すぐに瞼が落ち、糸が切れたかのように馬車の床に倒れ伏した。

 

「おい、じじい」

「てめぇもうるせぇぞ、エッジ。喧しいのは嫌いなんだ。声がでかくなる前にこうやって眠らせるに限る」

 

 キユウは荒い口調でバンダナの男に、ビートに何をしたのか説明すると不機嫌そうな表情で馬車の壁面に背を預けて座る。

 キユウの言った通り寝息を立てているビートを見て、一同安堵の息を吐いた。あれ以上恐怖に駆られていたら何をするか分かったものではない。最悪の場合、折角助かった命を恐怖から逃げる為に自ら捨てる危険すらあった。

 

「この子を運ぼう。誰か手を貸してくれないか」

「あ、はい!」

 

 ワイトの申し出にエイスたちが応え、寝ているビートの手足を掴むと慎重に馬車の奥へと運ぶ。

 

「こんな硬い床に寝かせてたら、寝つきも悪いわよ。せめてここに頭でも乗せなさい」

 

 金髪の女性アルは微笑みながら座り、自分の大腿部を軽く叩く。

 

「いいんですか?」

「いいのよ。子供を寝かしつけるのは得意だから。それに……」

 

 アルは眠っているビートの頬を優しく撫でる。

 

「こういう状態の子は人肌恋しいものよ」

 

 眠るビートの頭を撫でながらそう言うのであった。

 

「感謝します、キユウ殿」

「ああ? 礼を言われる筋合いはねぇぞ。ただ俺はガキの泣き声が嫌いなだけだ」

「それでも感謝します」

「はっ! 真面目なこった」

 

 礼を言うワイトの姿を鼻で笑い、キユウはもうこれ以上会話する意志が無いことを示す様に顔を背けて目を瞑る。

 

「気にしねぇで下さい、ワイトの旦那。このじじいはいつもこんな感じで愛想と口が悪いもので」

「幹部連中の慇懃無礼な態度よりかは遥かにマシだ」

 

 小さく笑い、ワイトはこの先のことについて考える。ビートのこと、目撃した謎の竜たちについての対策、今回の失態を招いた幹部の処罰。考えれば考える程に陰鬱になることばかりである。

 特に幹部の処罰については早めに対処しなければならない。時間を掛ければあの幹部が『あの人物』に泣きつくかもしれない。そうなると事態はややこしい展開となる。

 そんなことを考えながら、ワイトは何気なく馬車に備えられた窓から景色を見ていた。馬車の速さで普通ならば流れて線のように見える景色も、ワイトの磨かれた眼には普通の景色のように捉えられていた。

 その中にポツンと見えた人影。初めは見間違いだと思った。その人物がこのような何もない場所に現れる訳がないと思ったからだ。

 だがその考えに反して、ワイトは反射的に馬車を止めるように御者を務めているゼトへ呼びかけていた。自分でも何故止めたのかよく分からない。だがそれは冒険者であったときに度々あった無意での選択であり、それによって何度も命を救われていた。

 今回もそれに従い、急停止した馬車から降りて窓から見えた人影に近付く。そして自分が見間違いをしていなかったことを知った。

 

「ワイト殿?」

「オー殿? どうしてこんな場所に?」

 

 

 ◇

 

 

 馬車の中でオーとワイトは今まで何があったのかを話し合う。

 

「そうですか、オー殿も……未知の敵を相手に生き延びることが出来るとは流石でございます。五大魔法使いの力には感服するばかりです」

「よしてくれるかのう。ワシは必死になって逃げたに過ぎんよ。それに生き延びられたのも必要以上に臆病になったからでのう……寧ろ名に泥を塗ったかも知れんのう」

「謙遜しないでください。今は何よりも少しでも多く情報が必要です。オー殿が命懸けで得た情報の価値は量り知ることが出来ません。そして彼も……」

 

 そこで言葉を止め、ワイトは視線を横に向ける。オーも同じく視線をそちらの方に向けた。

 アルの膝の上で眠るビート。眠るビートの顔には涙を流した跡が残っていた。

 

「この子も生き残りかのう……」

「ええ……唯一のですが」

「この老骨にも堪える程の殺気を放つ竜だからのう……仲間の死やそれを受けて心にどれほどの傷を負ったか……まだまだ幼いというのに」

「連れて戻って来てから、恐怖で混乱していたので魔法で強引に眠らせました。あのまま放っておいたら自我が崩壊していたかもしれません」

 

 惨い話だのう、と言いながらオーは髭で撫でる。未来ある少年の痛ましい姿を見て、オーの顔には悲痛な表情が浮かべられていた。

 

「まともに話が聞けるかは分かりません。もし、聞けなかった場合、今後のことも考えこの少年には忘却術を施すかもしれません」

「それしかないが……」

 

 相手の記憶を消却する忘却術は、心に傷を負った者や過去のトラウマに苦しむ者を助ける為に生み出された術であるが、副作用としてその記憶と関連する記憶すら消し去ってしまう効果があった。仮にビートにこの術を使用した場合、確実に未知の竜に関連する記憶は消え去ってしまう。

 

「あらゆる犠牲を無にするかもしれんと分かって言っているかのう?」

「――もしもの場合です」

 

 固く絞り出すような声。しかしそれを聞いてオーは小さく笑う。

 

「相変わらず表情を造るのが下手だのう、ワイト殿」

「……そう見えますか?」

「お主もいい歳なのだから腹芸の一つや二つ出来ないと苦労するぞ?」

「どうにも私はそういった芸が根っから出来ないようです」

 

 オーの言葉にワイトは苦笑と自嘲を混ぜたような表情をした。

 

「まあ聞き出せなかった場合、ワシの方で何とかしよう。幸い、記憶を探る術に長けた知り合いが一人いるからのう」

「もしや……『天眼』殿を呼んでくださるのですか?」

「あやつは捻くれ者だからのう……確実にとは言えんが声を掛けてはみる」

 

 オーと同じく五大魔法使いに数えられる人物『天眼』。その異名の由来は、この世のありとあらゆるものを見通せる魔法を使うことから来ている。オーとは違い滅多に人前には出ない人物であり、その詳細はあまり詳しく知れ渡ってはいない。ワイトですら異名しか知らない。

 

「重ね重ね感謝いたします。オー殿」

「いやいや、ワシが出来る範囲のことをしたまでだ。――まあ、それでも礼をと言うのなら一つ頼まれてくれぬか?」

「何なりと」

「今度、うちの姫様に茶でも御馳走してくれるかのう?」

「はぁ……別に構いませんが……」

 

 オーの頼みごとの意図が理解出来ず、ワイトはただ首を傾げるのであった。

 

 

 ◇

 

 

 街へと無事戻ることができたワイトたちは、一旦ビートを病院へと預けた。そして万が一の場合に備えエッジたちを護衛につけ、糾弾すべき人物がいるギルドへと足を運ぶ。

 ギルドの扉を開けてすぐにワイトたちは違和感を覚えた。いつもならば冒険者たちの雑談で騒がしい一階が、水を打ったように静まり返っている。

 扉から現れたワイトの姿を見て、静まりかえっている冒険者たちの中の一人が何かを言いたそうに立ち上がるが、すぐに側に居る仲間たちに肩を押さえられ無理矢理椅子に座らされ、真剣な表情で何もするなと注意を受けていた。

 ギルド内の様子にオーやエイスたちは困惑していたが、ワイトだけは心当たりがあったのか、眉間に皺を寄せ険しい表情を造っていた。

 

「厄介なことになったかもしれん」

 

 ぽつりとワイトが呟いた直後、二階に昇る階段から足音が聞こえる。ギルド内が静まっているのでその足音は良く響き、音が重なって聴こえたことから少なくとも二人降りて来ていた。

 

「これはこれはお久しぶりと言っておきましょうか、ワイト殿。おや? そちらに居る御方はオー様ではありませんか、このような場所へようこそ」

 

 最初に姿を見せたのは黒髪を後ろに撫でつけ、見るからに上物の衣服を纏い片眼鏡を掛けた、鋭利な感じがする三十歳前後の男性。丁寧であるが尊大さを感じさせる口調。その人物とワイト、オーは面識があった。

 

「……確かに久しい再会ですね。エヌ殿」

 

 ワイトにエヌと呼ばれた幹部はギルド内における貴族の中でも頭一つ抜けた存在であり、ギルドの『資金』を管理する立場にある。同時に貴族の中でもトップクラスの資産家であり、その豊富な金を使い、貴族相手に金貸し紛いなことも行っている。このギルド内の貴族の大半はエヌに金を借りている身であり、それはエヌに逆らえないことを意味していた。

 だがエヌはこの街のギルドだけでなく他の街のギルドの幹部も兼任しており、ワイトの言った通りこのギルドに顔を出すことは年に一、二回程度しかない。

 

「こんにちは。ワイトさん、オー様。こうやって顔を合わせるのはいつ以来でしょうね。ねぇ、兄さん」

「おおよそ半年といった所だ。まあ、祝う程の期間じゃあないな、エム」

 

 少し間を置いて姿を見せたのは同じく黒髪を後ろに撫でつけ、エヌとは色違いの衣服を着た、柔和な感じがする見た目二十歳程の若者であった。会話で分かる通りエヌとは兄弟の関係であるが齢はさほど離れてはおらず、エヌと比べてその顔はかなりの童顔である。

 兄が『資金』を管理しているならば弟はギルドの『情報』を管理しており、その情報網の広さは桁外れなものであり、その気になれば生い立ちどころか昨日の夕食のメニューまで調べ尽くすことが出来ると噂されている。管理するものが管理するものなので、多くの貴族たちの良からぬ情報や表に出したくない弱みを握っており、兄エヌと同じく幹部貴族の中で彼に逆らえるものはいない。

 ワイトは二人の登場に内心舌打ちをしたくなる。この二人はワイトが最も警戒している『あの人物』と常に行動を共にしており、兄弟揃ってこのギルドに居るということは間違いなくその人物もここにいる。

 ワイトは意を決したように二人に尋ねる。

 

「エクス殿はこちらに?」

「私ならばここに居りますよ」

 

 返答は兄弟からではなく別の人物から返ってきた。こつこつと階段を降りてくる足音。それが一歩一歩刻まれていく度にワイトは口が乾いていく感覚を覚えた。ワイトの側に居るエイスたちも似たような表情をしている。

 エヌとエムが左右に分かれると、その中央に現れたのは片手に杖を持った初老の男性。髪は既に白く染まっておりその髪を丁寧に整えている。顔に刻まれた深い皺はその人物が過ごした年月を現しているが、その人物が浮かべる柔らかな微笑みのせいで年齢通りの齢を感じさせず若い印象を他者へと与える。

 

「話は既に聞いております。ワイト殿自ら動いて下さるとは、貴方のような有能な方が私のギルドにいることを誇らしく思いますよ」

 

 ワイトを讃える言葉。しかしワイトは素直にそれを受け取ることは出来なかった。目の前の人物こそワイトが最も警戒し最も苦手とし、未だに超えることが出来ていないと認識している人物。

 ギルドマスター、エクス・アーヴァイン。

 このギルドのみならず他のギルドの代表を務める人物であり、実質的にほぼ全てのギルドを掌握していると言っても過言では無い。

 ギルド創設者の血を引く者であり、貴族の中でも最も古く歴史がある。それ故に王族とは勿論のこと様々な分野の人達と太い繋がりを持っており、顔が効く存在でもある。

 そしてワイトが冒険者からギルド幹部へと昇格することが出来たのも、このエクスの口添えがあったからである。当初はほぼ全ての幹部たちがワイトの幹部への就任を反対していたが、どういった訳かエクスはそれに対して一人だけ賛成の意を示した。これにより反対を決めていた他の幹部たちは意志を変えざるを得なくなり、ワイトは幹部になることが出来た。

 そのことに対しての恩義はあるものの権力を有しながらもギルド幹部、冒険者の関係等を改善しようとしないエクスには複雑な胸中を抱いており、その為にワイトはエクスに対して一線を引いていた。

 

「それで被害の方はどうでしたか?」

 

 丁寧に尋ねてくるエクスにワイトは森であったことを素直に報告し、一名を除いて全滅していたことを告げた。一言一言に細心の注意を払いながらの報告。この人物と少しでも会話すれば分かることであるが、どんな些細な隠し事もエクスの前には薄紙よりも容易く見破られる。

 報告を聞き終えたエクスは笑みを消し、沈痛な表情を浮かべる。

 

「――とても悲しいことです。未来ある有望な若者たちの命が一度にこんなにも多く失われてしまうとは……」

 

 普通の幹部たちがそのような表情をすれば見え透いた芝居と思われるものだが、エクスという人物が行うだけでまるで本心から悲しんでいると思わせる。感情の一つ、言葉の一言それら全てに他者がそう思える程の言いようのない説得力があった。

 

「ええ……ですから我々はこれからその竜に対する対策、そしてこの事態を招いた彼についての処遇を――」

「その心配には及びませんよ」

 

 ワイトの言葉をエヌが遮る。

 

「どういう意味ですか?」

「彼についての処分は我々が既に規定に応じて処分を決めました。これがその内容と他の幹部たちの同意書です」

 

 エヌから渡された紙を受け取り、ワイトはそれに素早く目を通す。紙には今回の責任を負って幹部が払う、死亡した冒険者たちが今後受け取る筈であった報酬額の予想金額と遺族に対する慰謝料の金額が書かれており、内容としては妥当と思われるが肝心な部分が抜けている。

 

「どういうことですか……これは?」

「おや? 何か不備がありましたか? 特に問題の無い内容と思われますが?」

「書かれているのはあくまで賠償の金額のみ。あの幹部に対しての処罰が書かれていません。少なくとも幹部としての資格の剥奪、もしくは貴族としての称号を剥奪する処分を含めてまでが妥当ではないのでしょうか?」

 

 静かな怒りを込めて言うワイトに対し、エヌは冷笑を浮かべる。

 

「全財産の2/3以上を失う程の額を払ってもまだ足りないと言いますか。ワイト殿は些か厳しい、いや潔癖な部分がありますね」

「金の問題では無いのですよ」

「気持ちや誠意の問題だとでも? 結果的に遺族が納得すれば、問題を起こした人間が責任をとってついでに頭を下げるのも金を積むのも同じことですよ」

「結果が全てだと言っても、どんな方法も許される訳にはいかない」

 

 茶化すような物言いにワイトは鋭い眼光を向ける。普通の貴族幹部ならば怯える程の威圧感にも、エヌは口の端を歪めて笑みを形作る余裕を見せた。

 一触即発とも言える場の空気。ワイトの側にいるエイスたちの表情には緊張が走るが、対照的にエヌの側に居るエムは笑みを絶やさず、寧ろこの状況を愉しむ様に傍観していた。

 互いに譲らないものを抱えている為に話は平行線になるかに思えた。

 

「そこまでにしましょう。エヌ、少し口が過ぎますよ」

 

 だがこれ以上過熱するよりも先にエクスが口を挟む。すると窘められたエヌは嘲笑を潜めると、少し熱くなりましたと言いエクスへ素直に頭を下げた後に引く。

 

「ワイト殿の気持ちは良く理解できます。だが早合点はしないで下さい。これは暫定的に決めたことであり、きちんとした処罰については今後の会議において正式に決める予定になっています」

「何せ近々姫様直々のギルド査察がありますからね。その場で裁いた方が色々と良いのじゃありませんか? 姫様の功績として加えるのもありだと思いませんか、オー様?」

 

 エクスの言葉を継いでエムが問い掛けるようにオーへと言葉を向ける。

 ギルドの査察に関しては訪問ということを建前として秘密裏に行う予定のものであったが、エムはそのことについてどういう訳か知っていた。

 ただそうなるとエクスたちがこのギルドに前触れも無く戻って来た理由も理解出来る。そして査察に備えて戻った時、偶然にもあの幹部の失態を知ったのであろう。運悪くそれらが重なり合ってしまったせいでワイトは後手に回ることになってしまった。

 

「お気遣い痛み入りますのう。しかし少しばかり話が錯綜していますな。今回はあくまで訪問に過ぎませぬ。ギルドを訪ねたぐらいでは姫様に功績など付きませぬよ、ほっほっほっ」

「おや? どうやら僕としたことが聞き間違いでもしたかもしれませんね。すみません、オー様。気を害したのならば謝罪しますが」

「いやいや、間違いなど誰にもありますよ。ほっほっほっ」

「そう言って下さると助かります。あははははは」

 

 友好的に見えて白々しいほどお互いに腹芸を見せ合う。オーの年季とエムの面の厚さの比べ合いであった。

 

「そうそう。ついでにですがその姫様一行は急いでこちらに向かっているらしいですよ。本来ならばいくつかの街を経由して来る筈ですが、無視して一直線にこちらへ。一体何があったんでしょうかね?」

 

 事情を知っているような口振りで敢えてオーへと探る様な言葉を掛ける。それに対しオーは素直にあの砕竜について話しておくかと考えたが、意外にも話を振ったエムの方から話を切り上げてきた。

 

「まあ、オー様やワイトさんも忙しい身。ここで引き止めていても悪いですね、すみません。ああ、ちなみに姫様たちは恐らく明日までにはここに辿りつくと思いますよ」

 

 にこりと笑いながらエムはオーが今一番欲しがっているであろう情報を聞かせる。それを聞き、オーの白い眉が一瞬動いたのを見てエムの笑みが深くなる。素に近いオーの反応を引き出せて愉しんでいるようであった。

 

「積もる話は色々とありますが私はこれからすべきことがあるので、申し訳ありませんが私はこの辺で――」

「ああ、言い忘れていましたが彼ならギルドにはいません。色々と締め上げるつもりだったのでしょうが、その辺りのことは私たちが済ませたので。業務停止命令を下しているので今頃は大人しくしている筈ですよ、ワイト殿」

 

 ワイトの内心を見透かしたようにエヌはあの幹部の不在を告げた。ギルドを離れている間に完全に手を打たれていた。

 表情には出さないもののワイトの胸の裡で苦いものが込み上げてくる。その心中を知ってか知らずかエクスが優しげな声で話し掛ける。

 

「まあまあそう焦らず、私の部屋で今後について話でも致しましょう。お茶でも飲みながら積もる話を色々と」

 

 

 ◇

 

 

 燦々と照らす太陽の下、青く輝く海原に浮かぶ一隻の船。錨を下ろされ波に揺られる船の甲板では、派手な装飾が施された衣装を纏った男が日傘の中で椅子に座り、優雅に飲み物を飲んでいた。

 その男は謹慎を言い渡されている筈のあの幹部貴族であり、本来ならば自宅で反省していることになっている彼は、優雅に船の上で海を満喫していた。

 

「いい景色だ。仕事も煩わしい存在も居ない」

 

 一人愉しげに呟く。正確には周りに付き人や雑用の人間が数名居るが、貴族の彼から見れば殆ど路傍の石のようにしか見ておらず視界に入っても気にもしない存在であった。

 彼が何故、この海を満喫しているのか。それは彼の上司にあたるエクスたちからの勧めであった。

 そのときのことを波に揺られながら彼は思い出す。

 ワイトたちが派遣された冒険者たちの救出に向かってまもなく、エクスたち一行がギルドに現れ、そして幹部はそのままエクスの部屋へと呼び出されることとなった。

 呼び出された理由に関しては聞く必要も無く、部屋へ着くまでの間に必死になって言い訳を考えていたが、いざエクスの部屋へと着くとまるで現場を見ていたかのように問題の発生までの流れをエムが口頭で話し、最後に修正すべき点は無いかと質問された。本来ならばここで言い訳の言葉を並べるべきであったが、エムの浮かべる笑みに圧力に押され、一切の反論もせず間違いありませんと首を縦に振ってしまった。

 そして次にエヌから洋紙を手渡され、そこに書かれた金額を見て全身の汗腺が開き、冷や汗が流れると共に血までも流れて出ていっているのではないかと思える眩暈を覚えた。

 

「冒険者たちが全滅していた場合、君が払う罰金の額だ」

 

 涼しげに言うエヌであったが書かれた金額は彼の家の資財、そして家や土地を売ったとしても足りるものではなく、それこそ貴族としての『最終手段』をしなければ到底賄えない額であった。

 

「こ、ここここれほどの額を……」

「残念なことにギルドが得た仕事では無く、個人で行う仕事に関してはトラブルあるいは死傷者が出たときの保証は全て依頼を出した人物が払うことになっている。特に今回、君は大きなミスを犯したね」

「ミミミ、ミスというと……」

「未知の場所及び生物が確認された場合、派遣するのは上級、もしくは経験年数が十年の冒険者の編成で行うこと、それが規定だ。今回は新人のみの編成、そして必要な最低人員数も満たしてはいない。――言い逃れは流石に出来ないな」

 

 口の端を吊り上げて笑うエヌ。エムとは異なる笑みであるが与える威圧感は同等のものであった。

 

「そ、それは……それは……」

 

 続く言葉が出てこない。失う恐怖から歯がしきりに震えかちかちと音を鳴らす。意味も無く手を握り締める。そしてその手の裏は汗で濡れ、湿っていく。

 

「ですが、大丈夫ですよ」

「へぁ……?」

 

 エクスの言葉に男は呆けた声を思わず出してしまった。

 

「今回の件、こちら側もある程度資金を出しましょう。それこそ『貴族の名』を売らずに済むように」

 

 それは暗雲の中に光が射すような言葉であった。貴族として最も避けたい『最終手段』、それは『貴族の名』つまり称号を他人に売るということである。これを売った途端、その人物は貴族から庶民へと転落し、長く続く家名や伝統を潰しあらゆる権利を失ってしまう。一度売ってしまえば再び手に入れることはほぼ不可能に等しい。

 

「ほ、本当ですか!」

「ええ。同じギルドに務める者同士、失敗も成功も分かち合うものですよ。――ただ、表向きは貴方に処罰を下さなければなりません。取り敢えずしばらくの間はギルドの仕事を控えて貰えますか? なに、少し休みを取る程度と思ってくれて構いませんよ」

「休暇を取るならばここの海はいかがでしょうか? 丁度この海では取れる魚たちは旬を迎えていますよ。気晴らしには最高ですよ」

 

 地図を広げある海を指差す。そこはアールフア大海の近くであった。

 そのとき回想に耽っていた貴族の耳に爆音が入り込み、追い打ちを掛けるように船体が揺れ一気に現実へと引き戻される。

 

「ど、どうした!」

 

 動揺しながらも怒声を上げて椅子から立ち上がる貴族が見たのは、こちらに大砲を向けている一隻の船。

 

「な、なんだあの無礼な船は!」

「あ、あれを見てください!」

 

 従者が震えながら襲ってきた船のマストに指を向ける。するとそこには潮風に揺れてはためく黒く染まった旗。そしてその中心には片目に剣を刺した髑髏のマーク。

 

「かかかか、海賊だと!」

 

 震え上がりながらも貴族は声を絞り出して指示を出す。

 

「は、早く逃げろ!」

「駄目です! 錨を降ろしているので巻き上げるまでに時間が掛かります! 間に合いません!」

 

 悲痛な声を出す従者に貴族の顔から血の気が失せていく。

 そして瞬く間に海賊船は貴族の船に取りつき、剣などで武装した荒くれ者たちが一斉に乗り込んできた。

 

「おやおや、貴族様じゃねぇか。こんな場所にバカンスか?」

 

 剣先を突き付けられた貴族は両手を上げ、無抵抗を示す。

 

「か、金ならいくらでも出す……だ、だから命だけは……」

「へへへへ、話が早くて助かるぜ。うちの船長は基本金さえ出せば危害はくわえねぇからな……」

 

 その言葉を聞き貴族は少し安堵する。

 

「ただ……」

「ただ……?」

「貴族の連中は例外だ! うちの船長は貴族が大嫌いだからなぁ!」

 

 海賊の一人が笑いながら剣を振り上げる。その姿に周りの海賊も囃し立て、早く殺れと急かす。

 

「ああ、ああああ、あああ!」

「じゃあな!」

 

 ザンッ。

 

 貴族は恐怖から目を瞑る。だがいくら時間が経っても剣を振り下ろされる気配が無い。恐る恐る貴族が目を開けると、そこには剣を持ったまま固まる海賊の姿。やがて海賊は目や鼻、口から血を流し、貴族に向かって倒れ掛かった。

 

「ひっ! ……ひぃぃぃぃぃぃ!」

 

 海賊が倒れたことに恐怖し、そしてその海賊の身体を見て更に恐怖の声を上げる。海賊の身体に背面が無かった。前と後ろが綺麗に切断され、その断面図を外に曝け出している。

 一体何があったのか、それは仲間を殺害された海賊たちが見ていた。

 

「下だ! 下に何かいるぞ」

「探せぇ! 探せぇ!」

「おい、何だ! あれは……背鰭か!」

 

 混乱する船上だが更なる混乱が起こる。船体が急激に傾き出したのだ。

 斜めになっていく甲板に何とかしがみつこうとするが、どんなに爪を立てても滑っていく。

 

「うわぁぁぁぁぁ!」

「船が! 船が折れる!」

 

 上がる叫び声。その叫び声が言っているように船は真横に切断され、断面に向かって垂直に折れはじめていた。

 

「どうして! 一体、どうして!」

 

 海賊に襲われ、その海賊が死に、そして自分の船が切断される。立て続けに起こる理不尽に貴族の頭は追い付かない。

 やがて貴族は力尽き甲板から海へと滑り落ちていく。着水と同時に纏っていた服に水が染み込み、どんどんと体が沈んでいく。

 

『嫌だ! 溺れて死ぬなんて嫌だ!』

 

 もがきながら必死にそう願う貴族。そのとき貴族の目があるモノを捉える。

 群青色の鱗を纏い巨大な鰭を各部に生やした巨大な魚。それは大きく口を開き、船体から落ちていく海賊や従者たちを飲み込むように喰らっていく。

 やがてその眼が貴族へと向けられる。

 

『違う! 違う違う違う違う! 溺れて死ぬのは嫌だと思ったけど――』

 

 水を裂くような速度で巨大な魚は移動し、一瞬にして貴族を自分の間合いに捉えた。

 

『こんな死に方――』

 

 貴族が最期に見たものは無数に並ぶ魚の巨大な牙の群。

 奇しくも貴族の願いは叶い、溺死することは無かった。

 

 

 ◇

 

 

「何……それは本当か?」

 

 赤銅色の肌をした隻眼の大男はある報告を聞き、表情を険しくする。

 

「ええ……コーザの乗っていた船はばらばらにされていました」

「助かった奴らは居たのか?」

「……周辺を捜しましたがあったのは手足の一部分です。恐らくは……」

 

 そこまで聞くと大男は立ち上がり、手に持った酒瓶を壁に叩きつける。

 

「野郎ども! 俺達の兄弟が殺られた! この報いは必ずそいつの命で晴らせ! この海を隈なく探せ! いいな! 分かったな!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおお!』

 

 大男の声に雄叫びが一斉に返って来る。

 

「なら行くぞ!」

 

 拳を突き上げる大男の背後には、片目に剣を刺した髑髏のマークが描かれた黒い旗が飾られているのであった。

 

 




長い前振りからようやく登場まで漕ぎ着けました。
次回の対決は前回のようにはいかないかもしれませんね。

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