MH ~IF Another  World~   作:K/K

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一竜当千

 御者が激しく鞭を打つ。それによって打たれた馬たちは全速力で道を駆け抜けていく。碌に舗装されていない道である為、道には大なり小なり石が至る所に転がっており、その上を馬車が通る度に車輪が跳ね、馬車が激しく揺れる。

 その揺れる馬車の中で転げ落ちないよう座席をしっかりと握りながらも、ティナは苦悶に満ちた表情をしていた。

 馬車の激しい揺れに気分を悪くしたことで顔色を変えているわけではない。寧ろ今の彼女は馬車の揺れなど微塵も気にしていなかった。

 彼女は自分が出した命令のことで、ただ後悔に似た感情を抱いていたのだ。

 オーが人では無いものが迫ってきていると言った直後、この世のものとは思えない程大きく恐ろしい咆哮を聞いた。近くで聞いていないにも関わらず、その咆哮を耳にした途端全身が震えそうになる衝動が奔った。かつて山賊や強盗などといった者たちと相対したこともあったが、その時の比では無い程の恐怖が胸の中に生まれた。

 オーとケーネはティナとは違い、咆哮が聞こえた方角にすぐさま顔を向け声の大きさで大体の位置を把握していた。

 

「最後尾……じきにこちらに来ますね」

「なんちゅう声を出す奴じゃ。兵士たちには荷が重い相手じゃな」

 

 その言葉を聞き、ティナは心臓の鼓動が増した様な気がした。姿は見えないがその咆哮だけで脅威であると直感させる存在。そんなものと戦うとしたらどれほどの犠牲が出るのであろうか、そう思った次の瞬間には口が勝手に動いていた。

 

「オー、貴方ならばこの相手に勝てるかしら?」

 

 ケーネは目を丸くしティナを見る。オーは驚くことはせず、口の端を吊り上げニヤリと笑う。

 

「姫様が望むのであればこのオー、如何なる御首も取ってごらんにいれましょうぞ」

「ならば命じます。兵士たちが退避するまでの時間を稼いで下さい」

「了承致しました。ではではしばしの間おさらばです」

「オー、一言だけよろしいかしら?」

「何でしょうか?」

「貴方も必ず……必ず生きて戻って来てください」

 

 絞る様に出されるティナの声。オーはその言葉を聞くと、さっきまで浮かべていた好戦的な笑みから孫を見る祖父の様な微笑へと表情を変える。

「姫様にそこまで言われて戻らなければワシの名前が廃るというものですのう。その命、謹んでお受けいたします」

 

 そう言ってオーは呪文を口早に唱えると馬車の中から姿を消した。

 そのときから今に至るまでティナはずっと同じ表情のまま固まっている。

 

「ティナ様。御自分の判断に疑問がお有りですか?」

 

 その姿を見兼ねたのかケーネが少しだけ柔らかい口調で尋ねる。

 

「無い、と言えば嘘になるわ」

 

 出てきた言葉に偽りはない。だが絶対に間違っているとも言えない。自分の決断の正誤を割り切れる程、ティナは人としても上に立つ者としても成熟してはいなかった。

 

「ならば今日のことは後の経験として覚えておきましょう。そのときは私とオー様とで話し合うとしましょう」

 

 オーの生還を信じるケーネの言葉にティナは思わず顔を上げる。それは自分の判断を少しでも軽くしようとするケーネの気遣いに思えた。

 

「オー様も大事ですが兵士たちも大事です。ティナ様の判断を聞いてオー様は笑っておりました。それはその判断の成否にではなく、ティナ様の言葉だからこそ『納得』して行ったと思っております」

「私の言葉だから……?」

「今はオー様の無事を祈りましょう。大丈夫です。オー様はお強い方ですから」

 

 そう言ってケーネは震えているティナの手に自分の手を重ねた。その暖かさは僅かではあるが、ティナの心の中の不安を和らげる。

 ティナは心の中で願う。味方の兵士たちの無事を、オーの無事を、またいつものように笑いあえるときがくることを。

 

 

 

 

 飛び掛かってくる無数のゴーレムたちに、砕竜はその鈍器のような太い尻尾を身を翻しながら叩きつける。一体目のゴーレムの身体が真横に曲がったかと思えばそのまま砕かれ、上半身と下半身に分かれてしまう。そしてその勢いでもう一体のゴーレムの上半身を完全に粉砕、立て続けに三体目の胴体にもその尾がめり込んだ。

 だが二体のゴーレムのせいで大分威力が殺されたのか、胴体を断ち切る程の破壊は出来ずゴーレムの胴体半ばの部分で尾が止まった。

 通常の生物であれば致命傷と言えるものであったが、砕竜が相手にしている者たちは命無きゴーレムである。体の半分まで尾が喰い込んでいるゴーレムは、その状態で両腕で尾をしっかりと掴み動きを封じるよう試みる。

 それを鬱陶しく思った砕竜はもう一度身を翻して振り払おうと後ろ足を動かそうとするが、急にその動きを止める。見ると砕竜の後ろ足には先程両断した筈のゴーレムの上半身がしがみ付き、動きを止めていた。

 

「すまんすまん。ワシのゴーレムは中々しつこくてのう」

 

 冗談のような言葉をいいながら素早く指を動かす。すると粉砕された筈のゴーレムの一体が時を巻き戻しされたかのように、散らばった無数の土塊が自らの意志があるかの如く集い始め元の形へと戻り始めた。

 オーの魔力が尽きぬ限りゴーレムは何度も蘇る。砕竜の動きが止まっているうちに修復させようと考えていたオーであった。

 策としては決して間違ったものではなく、定石というべきものだったかもしれない。だがオーは未知なる敵、砕竜のことをまだこのとき侮っていたのかもしれない。この世界における強さの基準で計ったことによる認識の甘さ。

 それを次に見た光景で痛感させられることとなった。

 砕竜は尾にしがみつくゴーレムと足にしがみつく半壊のゴーレムを睨む。そして軽く唸り声を上げた次の瞬間、尾にしがみついていたゴーレムの身体が浮き上がる。

 

「なんとまあ……」

 

 その姿にただ驚くしかない。ゴーレムを構築するのには大量の土砂などを要し、それを圧縮して人型に留めている。土で出来ているとはいえ見た目以上の重量を持っている筈であるが、目の前の砕竜はそれを尾の力のみで容易く持ち上げている。

 オーの見ている前で砕竜を持ち上げたゴーレムを半壊したゴーレムの背に叩きつけ、今度こそ二体を完全に粉砕した。

 

「やってくれるのう……」

 

 オーの表情は冷静であるが内心では苦い表情をしていた。

 半壊、欠損などの状態であるならば少々の魔力で修復することが出来るが、魔力の依代になっているゴーレムが完全に破壊された場合、一から作り直さなければならず、その魔力の消費量は一気に跳ね上がる。 

 今までゴーレムを何度か破壊された経験はあるが、こうも簡単には破壊されたことは無かった。

 それ故に目の前の砕竜はオーの経験したことがない未知の強さを秘めていることとなる。

 

(ゴーレム一体で少なくとも百の兵は相手に出来るのだがのう)

 

 かつて大きな戦いが有った際、オーは十数体のゴーレムで千以上の兵を足止めし、相手を戦慄させた経験がある。そのゴーレムたちが一頭の竜によって圧倒されていることに、今度はオーが戦慄を感じていた。

 

(まさかこの眼で一騎当千などというものを目の当たりにするとは……いや、この場合は一竜当千の方が正しいかのう)

 

 最初に抱いていた認識を改め、オーは奏者のように指を動かし残りのゴーレムたちに指示を下す。

 ゴーレムたちはそれに従い、人のような滑らかな動きで砕竜を左右から挟むようにして組みつこうとするが、砕竜はその動きを嘲笑うかのような俊敏な動きで大きく後退する。

 その跳躍は明らかに自分の全長よりも長く、一足で数十メートルのもの距離を開けた。ゴーレムの中では動きが素早いオーのゴーレムでも、流石にその動きについていくことは出来ない。

 砕竜が大きく距離を取った直後、その口から長い舌を伸ばしそれを自分の前足に這わせる。見方によれば凶器を舐り、相手を挑発する姿に見えるかもしれない。だが相手は人でなく竜である。ましてやその全身から溢れ出る程の凶暴さが見える竜が、そのような遊びをするようには見えなかった。

 恐らくは何か意味のある行為だとオーは推測する。舐められ唾液に塗れる砕竜の前足、そのときオーは前足に付いている蛍光色の部分が蠢いたように見えた。

 

「んん?」

 

 ただの光では無いのかと考えるオーの都合を無視し、砕竜が今度は離れた分だけ前方へと跳躍し、その最中に拳を振り上げる。

 飛び掛かる砕竜の前に居たゴーレムは両腕を交差し防御の構えをする。砕竜は相手が防ぐ体勢に入ったことに構わず振り上げた前足を振るう。

 動作の大きい横殴りの一撃。だが持ち上げた状態から振られるまでの間が殆どなく、目で追い切れない速度の打撃であった。

 殴打されたゴーレムの体は地面の上を滑り後方まで下がっていった。衝撃が突き抜けたのかゴーレムの背に亀裂が入るのをオーは見た。しかし、殴打の勢いが弱まったことで下がるのを止めたゴーレムは五体満足の状態であり、打撃を直接受けた両腕も地に落ちることは無く粉砕されていないことを示している。

 見た目は先程破壊されたゴーレムと変わりは無い。変わっている点があるとすればその内に込められた魔力の量が上がっていたことだ。見た目では分からない変化であるが、オーとゴーレムたちは見えない魔力の線で繋がっており、オーが魔力を送り込むことによって攻撃に特化させたり防御に特化させることが出来る。

 殴られたゴーレムも防御特化させたことにより倍以上の硬度を得て、砕竜の拳に耐えることが出来た。

 尾でゴーレムたちが破壊されたことを反省し、砕竜が飛び掛かるまでの間に変化させておいたがその行動はそれなりの成果を出していた。

 だがそれでもオーの気が晴れることはない。破壊されることは無かったが亀裂が生じた。防御特化させたゴーレムをここまで壊した相手は今回が初めてであり、その膂力にはただ驚かされる。

 オーは空中を浮遊し、位置取りを変えながら両腕が罅割れたゴーレムを修復しようとした時、気になる物が目に入ってくる。オーの視点からでは見えなかったが、交差しているゴーレムの両腕に付着する蛍光色の粘液。それは砕竜の前足が放つ光と同じであり、このときオーは砕竜の拳がこのような粘液を纏っていたことを知る。

 ならば何故このようなものを相手へと付着させるのか、その答えはオーの目の前で蛍光色から橙色へと変色する粘液を見て理解する。

 その色は先制の魔法を使った際、罅割れた土の手の隙間から見えた光であった。次に何が起こるのかを察したオーはすぐにゴーレムの側から離れる。

 その直後、ゴーレムの身体が爆炎に包まれた。爆発の衝撃でゴーレムを構成している土砂は吹き飛ばされ、そのまま転倒する。倒れたゴーレムの上半身は完全に爆砕されており、死に掛けた虫の様に下半身のみが痙攣しているかのように動いていた。

 

「桁外れの身体能力に加えて、爆発まで操るか……手を焼くどころか骨の折れる相手だのう。しかし――」

 

 砕竜が爆発を起こしたときに一切の魔力を感じられなかった。通常の魔法ならば発動する前に魔力の波動のようなものを感じ取ることが出来る。魔法の扱いに長けている者ならばそれを巧みに隠して発動することが出来るが、少なくとも目の前の砕竜の凶暴さや荒々しさを見るにそんな繊細なことなど出来るとは思えない。

 ならば今目の前に居る竜は魔力を使わずにこれほどまでの爆発を引き起こした、ということになる。

 その考えに至ると同時にある疑問が浮かび上がる。

 

(これほどの竜が何故、今になって姿を見せたのかのう?)

 

 その獰猛さや排他性、そして一線を画す強さがあればとうの昔に有名になっていてもおかしくは無かったが、少なくともオーの知識や今まで生きてきた中ではこの竜に関わる話など一切聞いたことが無い。

 静かに思考しながらもオーの眼は砕竜から離れることはない。砕竜もオーの視線に気付いたのかゴーレムたちよりもオーの方を睨みつける。

 

「怖い怖い。そう怖い目で睨まんでくれるかのう」

 

 軽口を言うオーに、叩きつけるかのように砕竜が咆哮を上げる。咄嗟に魔力の壁を周囲に張り直接聞くのは避けたが、何十もの修羅場を潜り抜けてきたオーも砕竜の咆哮に僅かに心を揺さぶられたのか、こめかみから一筋の汗が流れる。

 

「まったく。耳が遠くなってきて助かったのう。まともに聞いていたら心臓が止まっていたかもしれん」

 

 冗談を口にしながらオーは指先を弾く。すると粉砕されたゴーレムたちの残骸が更に細かい砂となり、それが生き物のように蠢きながら隆起する。

 そしてそれは砕竜の顔面目掛け勢いよく伸びる。

 砕竜もその砂の動きを見て前足を交差し防ごうとするが、砂は僅かに出来た隙間から入り込み砕竜の顔面に付着する。

 両目を覆うような形で砂は砕竜の顔に張り付きその視界を奪った。砕竜は手甲のような形をした前足の部位の下から爪の生えた手を出し、張り付いた砂を落とそうとする。

 爪で引っ掻くたびに砂は落ちていくが、その度に剥がれた砂は舞い上がり再び重なって元の形に戻る。

 鬱陶しそうに何とか砂を剥がそうとやけになるが、その隙をオーは見逃さず残ったゴーレムたちを一斉に動かす。

 全てのゴーレムが拳を振り上げ砕竜へと走り寄る。その足音に砕竜も反応し、砂を剥がすのを止め構えをとるが、複数の足音のせいで狙いが絞り切れていない。

 一体のゴーレムが砕竜の横顔に拳を振るう。目が見えずとも気配でそれを察したのか砕竜の腕がそれを受け止めた。深く後ろ足の爪を喰い込ませることでその場に固定されたように動かない砕竜の体。だが次の瞬間にはその顔が大きく横に向く。

 砕竜の頬に叩き込まれる拳。それは一体目のゴーレムの身体から新たに生えた別の腕によるものであった。定まった形が無い故に自由にその身体を変化させる。砕竜の視界を封じたこともあり、より当てやすくなっていた。

 四本腕のゴーレムはそのまま畳み掛けようとし、両指を組んで砕竜の脳天に叩きつけようとするが、殴られた砕竜は僅かに顔を背けた程度で止まり、顔を戻す勢いと共に右前足が腕を振り上げた体勢のゴーレムの胴体に撃ち込まれる。

 ゴーレムの身体はくの字に折れ曲がりへし折られる寸前までいくが、辛うじて壊れることだけは避けられた。

 殴られた衝撃でゴーレムの身体は仰向けに倒れる。オーはすぐに修復し立ち上がらせようとするが、そこに砕竜の追撃の前足が胴体にめり込む。

 砕竜は一発では終わらず、同じ勢いで二発、三発と前足を倒れたゴーレムに浴びせ続ける。それを止めようと他のゴーレムたちが砕竜の腕や足にしがみつくが、その重みなど存在しないかのように何度も何度も前足を叩き込む。

 ゴーレムの原型は崩れ、まともな形を維持できない程殴打されたが、そこに更に爆発する粘液が前足で殴りつけた箇所に付着していた。

 このままでは他のゴーレムたちも巻き込まれると思い、オーはすぐにしがみついているゴーレムたちを離す。その直後に付着していた粘液は爆発し、ゴーレムは残骸すらも残らない程跡形も無く消し飛ばされる。

 その容赦の無さと気性の荒さに、オーは何度目かの冷や汗が背中を伝わっていくのを実感する。怒るという行為は人間からすれば冷静さを失うものであり危機を招く。だが相手がこれほどまでの身体能力を持つとなると話は別である。攻撃を受ける度に与える攻撃の苛烈さが増していき、怯みもなければ恐れも無い。まさに『暴力』という言葉を体現しているようであった。

 オーは残りのゴーレムたちを動かし、爆破し終えた直後の砕竜に向けて突進させる。未だに目を封じられているが砕竜はその聴覚で相手の動きを察知し、一体目のゴーレムが最接近したタイミングで前足の片方を地面に叩きつけると、それを軸にして身体を九十度反転させる。見た目からは想像出来ない技巧的な動きによって最初のゴーレムの攻撃はあっさりと回避され、それによって砕竜の前に無防備な姿を曝け出してしまう。

 そこにまるで見えているかのような前足の一撃が胴体の中に沈み込んでいくが、回避も反撃も想定内であったのかゴーレムはその状態で砕竜へとしがみつく。そしてそのまま人の形が崩れ、土砂となって砕竜の身体に覆いかぶさった。

 体に纏わりつく土を払おうとするが、意志があるかのように砕竜の甲殻にへばりつき簡単に落ちない。そこに後追いのゴーレムたちが砕竜に向かって飛び掛かり、先のゴーレムと同様にその身体を崩して土砂へと還る。

 降り注ぐ土砂は砕竜の身体を包み込み、土砂の中へと沈ませていく。砕竜も抵抗して前足を振り回すが形の無い土砂に触れてもただ散るだけであり、散った土砂もすぐに元へと戻って再び被さってくる。

 ゴーレム数体分の土砂はやがて砕竜の身体を完全に覆いつくし、そのまま球体状の形に変化する。

 土砂で出来た砕竜の為の拘束衣あるいは牢獄。もしくは――

 

「これに耐えきれるかのう」

 

――処刑場。

 オーが両掌を胸の前で叩き合わせると、砕竜を包む土砂が内側へと向かって収縮を始める。魔力を込めた土を操作し、中に入っている対象を圧殺する魔法。やり方がやり方だけにあまり好んで使用する魔法ではないが、強敵を前にしてそのような甘い考えは続けている場合でもないし、余裕もない。

 何層にも重なった土の壁が砕竜の身体を圧し始めていくが、ある程度まで球体が縮まると変化があった。

 球体状の土が形を変え始める。本来ならば最後まで球体で在り続ける筈であるが、徐々に丸みは消えていく。その形は砕竜を模ったものへとなっていった。

 

「どれだけ固いんじゃあ、お主は」

 

 オーの言葉が示す通り、中に居る砕竜が土による圧迫に逆らい潰れずに形を保ち続けている。竜種すらも完全に閉じ込めることが出来るこの魔法に筋力、あるいは甲殻の強度のみで耐えているということになる。

 戦えば戦う程に知る、生命としてあるまじき強靭さ故にオーはこう言わざるを得ない。

 

「一体どのような環境に身を置けば、そこまで至ることが出来る……」

 

 その満ち満ちた途方も無い生命力に敬意を払えばいいのかそれともただ呆れ果てればいいのか、そう考えているオーの前では圧縮する土の力に逆らいながら砕竜は両前足を動かそうとしていた。

 砕竜は耐えるどころか抵抗する力を見せ付ける。土の拘束の中でぎこちない動きながらも確実に前足は動き続け、その先端を胸の前で合わせようとする。

 オーもただ見ている訳ではなく更なる魔力を送り、土の圧力を増していくがそれでも砕竜の動きは止まらない。オーの額に血管が浮き出て、いつ千切れてもおかしくないほどに魔力を込めて土を操るが、どうしてもその動きを止めることが出来ない。

 やがて砕竜の胸の前で両前足が軽くぶつかり合う。ただそれだけのことであったが次の瞬間、土が内側から一斉に盛り上がった。

 それによって吸いつくように張り付いていた土と砕竜との間に隙間が出来たのか、さっきよりも更に強い力で前足が胸の前でぶつかり合う。

 再び膨張する土。だが内側からの圧力に耐え切れなくなったのか至る所に亀裂が生じ始め、その隙間から黒煙が漏れ出て来る。

 三度目が打ち合わされたとき、凄まじい爆音と共に土の膜は弾け、周囲に散らばっていく。

 爆風を受け、思わず腕を翳して身を護るオー。まさか脱出する為に自爆紛いの方法をとるとは予想出来なかった。

 黒煙を突き破り、閉じ込めていた砕竜が姿を現す。目を覆っていた砂も先程の爆発で完全に取り除かれていたが、それよりも注目するべきことがあった。

 閉じ込めるまでは蛍光色の光を前足や頭部から放っていたが、今の砕竜は黄と赤を混ぜ合わせた光を纏っており、それは爆発寸前の粘液に近い色をしていた。

 

「寿命が縮むのう……」

 

 肌に感じる凄まじい怒気。どうやらさっきの魔法で完全に相手を怒らせてしまったらしい。空気が乾燥していないにも関わらず、周囲にばら撒かれる砕竜の怒気のせいで口や喉が緊張で乾いていくのが分かった。

 オーは散り散りとなった土を掻き集め再びゴーレムたちを造り出そうとする。魔力が送り込まれ土がその形を変え始めたとき、砕竜は咆哮を上げてその頭部を地面に突き刺す。

 初めて見せる動作。だが考察する間も無く地面に頭部が接触したかと思えば、それを中心にして周囲を吹き飛ばす程の爆発が起こる。

 以前は時間を置いてから爆発していたが、今は殆ど間も無い状態で即時に爆発。この爆発により作り始めていたゴーレム、そして砕竜の近くにいたゴーレムたちも巻き込まれ衝撃でその身が砕かれていく。

 

「やれやれ……」

 

 砕けて四散するゴーレムたちを見てオーは軽く首を振る。正直な話、相手がここまで格上となると残された手段は残り少ない。だがそれですらこの竜に対して通じるという未来が見えなかった。

 全魔力、否全生命を注ぎ込んだとしても勝てると思えない敵。苦戦、死線を何度も味わってきたが今回ほど活路が見えない戦いは初めてであった。

 しかし、それでも――

 

「試してみないといかんのう……」

 

 その呟きに応じ、残っていたゴーレムたちが崩れ元の土に還る。

 ゴーレムを維持する力を全て断ち切り、今から全魔力を以て砕竜に最後の一撃を放つ。

 細く長いオーの両指が素早く絡み、その形を瞬く間に変えていく。動作による魔法術式の形成、そこに口頭での呪文、そして身に付けている装飾品に施された術式も重ねていく。

 三重魔法術。方法としては様々なものがあるが、発動するには大量の魔力と繊細な技術、そして並外れた集中力を必要とする上級魔法である。

 戦いの最中、それも今まで出会ったことの無い凶悪な相手を前にしても意識を乱さず、その洗練された技が発動していく。

 砕竜の身体が微かに震えはじめる。それは砕竜自身が震えているのではない。砕竜の立つ大地が震えているのだ。

 砕竜の見ている前で大地が隆起していく。足下の土すらもその隆起に巻き込まれ集まっていくので砕竜はその流れから離れる。

 周囲の木々や岩も根こそぎ集まっていき、盛り上がっていく大地の中へと取り込まれていく。その時点でオーの作り出したゴーレムの倍以上の大きさがあり、更にそこから大きさを増していく。

 集ったものはやがて形を変えていく。ゴーレムのときとは違い表面は幾層もの土が重なり合いより頑丈さを増し、顔の無かったゴーレムとは逆に今度は兜のような頭部を生やしている。

 砕竜も見上げる程の巨体。『土人形〈ゴーレム〉』を超える性能を持つ存在を生み出す『守護者〈ガーディアン〉』と呼ばれる魔法、それがオーの発動したものであった。

 本来ならば全体が出来ている筈であったが、今のガーディアンは上半身を大地から生やした格好をしている。オーの全魔力を消費したのならば完全な形で出せていたが、砕竜との戦いによって魔力をかなり消費してしまい中途半端な状態となってしまった。ただしこの魔法、通常ならば巨大な手足を一本生み出すのが限界の魔法であり、このように人の形までもってくること自体、逸脱している証であった。

 完成されたガーディアンがその巨大な腕を広げ砕竜を威圧する。砕竜も自分を上回る巨体を前にしても怯みを一切見せず、未だその気は昂り続けていた。

 ガーディアンが大きく腕を振り上げる。すると肘の部分に大きな穴が開き、そこから魔力を噴出させることによって緩慢な動きを加速させ、巨体に見合わない機敏な拳打が繰り出される。

 自分の姿が完全に隠れてしまうほどの巨拳を前にして砕竜は両前足を振りかぶり、迫る拳に向けて叩きつけた。

 接触した瞬間、凄まじい爆発が起こりガーディアンの拳に亀裂が入る。だがその状態でもガーディアンの攻撃は止まらず、爆発を貫いて砕竜の身体に拳が叩き込まれた。叩きつけられた巨拳を後ろ足の爪を地面に突き立てて耐えようとするも拳の圧力に負け、砕竜の身体はこの時初めて地面を転がる。

 二度、三度と地面を転倒し、立ち上がろうとするがそこに被さる影。砕竜の頭上でガーディアンは組んだ手で拳を作る。

 

「このまま押し切らせてもらうぞ」

 

 組んだ拳を転がる砕竜に向けて振り下ろした。その一撃で大地は割れ、土や砂煙が巻き起こる。通常の生物ならば即死に繋がる攻撃であるが、オーは砕竜の生命力を侮ってはおらず立て続けに拳を振り下ろし、完全に息の根を絶とうとした。

 舞う粉塵に轟音。砕竜が声すら上げられないような拳の連打。このまま押し切れば勝てるかもしれないと微かに思ったそのとき、オーはある異変を察知する。

 ゴーレムと同様にガーディアンとも感覚を繋げ、ガーディアンが触れた触感などを自分で触っているかのように感じることが出来る。そして今、先程まで拳から伝わっていた感触が消えた。より正確に言えば、手応えがなくなったのだ。

 その感覚に従い、オーはガーディアンを動かすのを止める。そして舞う土煙を魔法で発した風で吹き飛ばした。

 

「なんと……」

 

 いくつもの拳の跡が刻まれた大地。その中心には大きな円形の穴が開いており、砕竜の姿が見えない。中心に開いた穴から砕竜が逃げたのは分かるが、この土自体簡単に掘れるような柔らかさではなく、大小様々な石も混ざっているので寧ろ困難と言える。しかもそれをあの拳の雨の中、それも極短時間で十数メートルの巨体が隠れる程の穴を掘るなど想像出来る筈がない。

 相手の理不尽なまでの能力の高さに文句の一つでも言いたくなるが、すぐに消えた砕竜を探さなければならない。少なくともオーの中ではこのまま相手が逃げるという選択をするという考えは無かった。あれほどの怒りを腹に抱えたまま逃げる相手には思えない。

 すぐにガーディアンの体勢を立て直そうとしたとき、ガーディアンの背後で轟音と共に土砂が上空に向かって噴き上がる。

 そしてそこから砕竜が姿を現した。身を隠す速度も早ければ土中を移動する速度も桁外れである。

 飛び出した砕竜はそのまま前屈みの姿勢となっているガーディアンの背に飛び移ると、容赦なく右前足を叩きつけ爆発を起こす。重い一撃と爆発の衝撃で、ゴーレムよりも遥かに硬いガーディアンの体に大きな窪みとそれを中心にして亀裂が生じる。だが砕竜の攻撃はそれだけに留まらず、傾斜になっているガーディアンの背を駆けると同時に左右の前足を叩きつけながら登り始めた。

 立て続けに起こる爆音と爆発、そしてそれによって発生する煙を突き破りながら猛然とした勢いで頭頂部目掛け一気に走り抜ける。

 

「――全く、常識外れだのう……砕竜殿」

 

 ガーディアンを破壊しながら突き進む砕竜の姿を見て、オーは自らの敗北を悟った。どう足掻いても勝てない。その結論に至ってしまった。

 だが、敗けを認めたオーの眼には最後の意地が残っていた。

 

「ただでは敗けんよ……この方法はあまり好みではないがのう」

 

 呟くオーの前では、頭部まで登り詰めた砕竜がその橙に光る頭を振り上げていた。

 砕竜がガーディアンの頭に自らの頭を叩きつける。ガーディアンの頭は砕け、その中に砕竜の頭部の先端が入り橙色の粘液を一気に流し込む。

 一秒も満たずに起こる縦一直線の爆発の連鎖。登る過程で付けた亀裂と連鎖爆発により、オーのガーディアンは縦に裂けていく。

 自ら生み出した守護者が倒れていくのを見ながら、オーは馬車の中で交わしたティナとの会話を思い出す。

 

『オー、貴方ならばこの相手に勝てるかしら?』

『姫様が望むのであればこのオー、如何なる御首も取ってごらんにいれましょうぞ』

『ならば命じます。兵士たちが退避するまでの時間を稼いで下さい』

『了承致しました。ではではしばしの間おさらばです』

『オー、一言だけよろしいかしら?』

『何でしょうか?』

『貴方も必ず……必ず生きて戻って来てください』

 

「姫様、済みませぬ」

 

 自嘲気味にオーは笑うと短く呪文を呟いた。すると、縦に裂けて今にも崩れ落ちそうなガーディアンに変化が起こる。その巨体が激しく震え始め、所々に出来ていた亀裂が一気に全身に走る。

 その変化に不穏なものを感じ取ったのか砕竜はガーディアンから離れようとするが、既に遅い。

 

「ではでは、老いぼれの最後の足掻きに付き合ってもらおうかの、砕竜殿」

 

 オーがガーディアンを制御から意識を完全に離す。それによりガーディアン内部に残された魔力は制御を失い暴走を始める。

 魔力の意図的な暴走、それによって起こる魔力の爆発。かつてゴーレムたちで行った戦法であり、これによりオーは砦や防護壁などを破壊していた。しかし前と今では注ぎ込んだ魔力の量が明らかに違い、どれほどの破壊を生み出すかオーですら分からない。

 ニヤリとオーが笑った瞬間、ガーディアンの体が一瞬膨れ上がりそして大爆発を起こす。

 強烈な閃光の中に砕竜とオーの姿は共に呑みこまれていくのであった。

 

 

 

 

 馬車が揺れる程の振動と後から聞こえてきた爆発音にティナは思わず立ち上がった。

 思わず従者のケーネを見る。ケーネは何も言わず強く目を瞑っていた。

 オーの時間稼ぎにより全ての兵士たちは逃げ延びることが出来た。だが肝心のオーはまだ姿を見せない。

 ティアの脳裏に過ぎるのはいつも優しく、いつも暖かく護ってくれたオーの顔。

 知らず知らずの内に双眸から涙が零れ落ちる。頬を伝う感触を無意識に拭い、それが涙だと自覚したとき、ティナは声を押し殺し顔を伏せて泣いた。それは少しでも自分の不安が外の兵士たちに伝わらないようにする為の、精一杯の努力であった。

 俯いて泣くティナの側に寄り、ケーネは慰めるように、そして同じ哀しみを分かち合うように優しく抱き締めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砕竜とオーが戦っていた場所から数キロ以上離れたとある林の中。

 無数に生えている木の一本が激しく揺れ、その振動で木の葉を何枚も散らしていた。一際強く揺れ、何本もの枝が折れると共に木から何かが落下してくる。

 

「あたたたたた……」

 

 腰から落ちたその人物は痛めた場所を撫でながらゆっくりと立ち上がる。

 

「やれやれ、あれほどでかいことを言ってこの様とは生き恥を晒してしまったのう……」

 

 自分の不様な姿を笑うのは閃光の中に消えた筈のオーであった。

 あの爆発の中、残った魔力を全て使って防御壁を張ると爆発の勢いに乗じてその場から逃亡していた。

 想像以上の爆発であったが、何とかオーは命を失わずに済んだ。だが完全に魔力を切らしており、今はただの老人に過ぎない。

 取り敢えずの時間稼ぎは済んだと考えるオー。少なくともあの爆発で砕竜が死んだとは微塵も考えてはいなかった。少々の手傷ぐらいは与えた、というぐらいの確信しかない。

 

(早く姫様たちと合流しなきゃのう……)

 

 そう考えてみたものの、この辺りの地理についてはオーもあまり詳しくなく、周囲を把握しようにも魔力も無い。

 仕方なくオーは林の中を歩く。しばらくすると街道に出たのでオーは道なりに進むこととにした。

 歩いて間も無くして、オーの側を凄まじい勢いで馬車が通り過ぎていく。その車輪が巻き上げる砂埃を鬱陶しそうに払っていると、走り去っていった馬車が急停止した。

 何事かと思うオーの前に、見覚えのある人物が馬車から降りてやってきたので目を丸くし驚いた。

 

「ワイト殿?」

「オー殿? どうしてこんな場所に?」

 

 

 

 

 




物理対魔法(物理)の戦いでした。
今回は前ほど血生臭い話ではありませんでしたが、次のモンスターの話は再び血生臭くなる予定です。

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