MH ~IF Another  World~   作:K/K

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久しぶりの投稿となります。
以前書いた話と似たような雰囲気になりました。


死を纏うモノ

 この世には数多の職業が存在する。家を建てる大工に金属を鍛錬する鍛冶屋に畑を耕して農作物を育てる農家。そして、金を対価にして危険へ自ら踏み入れる冒険者。

 私はそんな数多の職業の一つである薬師であった。

主な仕事は薬草の知識を生かし、病や怪我に効く薬を作ることであるが、そんな私が今は冒険者のように装備を整え、多くの仲間と共にとある森へと向かっていた。

薬師としてのもう一つの仕事、珍しい、稀少な薬草が生えている場所へ足を運び、採取する。或いは未知なる薬草を見つけ出して新たなる薬を作り出すこと。それが薬師としての私も使命でもある。

 勿論、人があまり踏み入れない場所へ入るので危険も伴う。人を喰う怪物が潜んでいることも珍しいことではない。

そんなに危険ならば依頼を出して冒険者に頼むのが安全だと思われるが、実際そう上手くはいかないのだ。薬草についての知識が無い者たちに頼むとそこら辺に生えているような雑草を持ち帰って来たり、依頼していたものとは全く違う薬草を採ってきたりなど散々な内容。金の無駄遣いである。

 それ故に私は冒険者を信用していない。所詮は一握りの華々しい冒険譚に身の丈に合っていない夢を抱いているだけの現実を見ていない連中である。元から節穴な目に知識を必要とする薬草の採取は荷が重すぎる。

 だからこそ代わりに私が行く。実際に私はこれまで幾度となく遠征し、その度に新種の薬草や稀少な薬草を手に入れ、それから新たな薬を作り出していた。最近作った骨折の治りを早くする薬は自分でも傑作だと自負している。

 そして、今回もいつものメンバーで目的地を目指していた。

 いつものメンバー、一人目は私の助手でもあるナワン。私に次ぐ薬草の知識を持つ若い女性であり、公私共に私の支えになってくれている女性である。

 二人目はトゥワイス。筋骨隆々とした逞しい壮年の男性であり、元冒険者という肩書きも持っている。私は冒険者という人種はあまり好ましく思っていないが彼は例外である。彼は非常に勤勉であり、冒険者の頃から薬草についての知識を学んでいた。最初会ったときは軽んじていたが、そこらの薬師よりも豊富な知識を持っていたので仲間として勧誘した。彼の主な仕事は私たちの護衛と荷物運ぶである。

 三人目はスーリーという魔法使いの男性である。素性は不明であり、見た目は四十代ぐらいの男性というぐらいしか分からない。彼は私が良く雇うギルドに所属していないフリーの魔法使いであり、腕は確かなので重用している。口数が少なく滅多なことでは喋らない点も気に入っている。

 私を入れてこの四人が薬草探しのメンバーである。少ないと思われるかもしれないが、人数が多くなると余計なトラブルも増える。主に採集物の山分けだの取り分など金関連の問題だ。これには私もウンザリしている。だからこそ、今までの経験上これが一番の数だと思っている。この三人が最も信頼、信用が出来るからだ。

 私はこの三人を連れて数日掛けてある森を目指している。殆ど人の手が入っていない未開の地。こういった場所にこそ今まで発見されたことのない新しい薬草を見つけることが出来る。当然、未開の地だからこそ危険もある。だが、人伝で聞いた話によるとその森には原住民が住んでいるとのこと。

 未開の森を探索するにはこの原住民たちの協力が必要となる。交渉は難航するかもしれないが、そこは辛抱強く何度も繰り返すつもりである。最悪、今回の旅が顔合わせ程度で終わることも覚悟している。

 日も傾き始めた頃、私たちは村へ到着する。この村は目的の森に最も近い場所にあり、聞いた話によれば原住民との交流もあるとのこと。

 立ち寄ったのは休息もあるが、森の原住民の情報も集めるという理由もあった。

 私は村の宿に荷物を置き、一息入れた後早速村人たちに原住民のことを聞いて回る。

 しかし、返ってきた反応は私にとっては予想とは違うものであった。

 

「あの人たちか……最近見ないね……」

 

 よそよそしい態度。外から来た私たちを怪しんでいるから、という理由ではなく原住民たちのことをあまり触れたくないように感じられた。

 

「さあ? 俺は知らないね」

「他の人の方が詳しいんじゃないかしら?」

「知らんよ。俺は知らん」

 

 何人もの村人たちにも同様の質問をしたが、皆似たり寄ったりな答えが返ってくるだけ。森への第一歩どころかその手前で躓いてしまった。

 しかし、私たちはこの程度では諦めない。新たな薬草を見つける為に何日も地を這うように過ごしてきたことが何度もある。忍耐力と粘り強さには自信があった。

 冷たい態度の村人たちに臆することなく何度も何度も尋ねてみる。

 

「……ワシから聞いたと言わんでくれよ?」

 

 すると、ある老人から原住民についての情報を聞き出すことに成功した。

 

「以前はなぁ……動物の肉や珍しい植物などを分けてくれる気のいい連中だったんだがなぁ……」

 

 数年前までは村と原住民たちとの間では物々交換での交流があった。原住民は森の奥でしか獲れない珍しい動植物を、村は原住民たちの入手が難しい塩や酒などを交換し合っていた。

しかし、ある日を境に原住民たちは村に顔を出さなくなったという。

 

「本当に突然だったんだよ。一週間に一度は必ず顔を出していたのに二週間、三週間を過ぎても来る気配が無かったんだ」

 

 一月経っても現れなくなった時点で村人たちは心配になり、もしかしたら病か何かで原住民たちが全滅しているかもしれないと考え、村の中でも森に詳しい男に頼んで様子を確認させに行ったと話す。

 それでどうなったんですか、と私が聞くと老人は表情を暗くする。

 

「帰って来なかった……そいつは」

 

 老人が言うに様子を確認させに行ったっきり男は村へ戻って来なかった。

 

「その……村を捨てて原住民の村に移り住んだという可能性は……?」

 

 ナワンが失礼を承知でとある可能性を挙げてみた。

 

「そいつはもうじき子供が生まれると喜んでいた……妻と子を捨てていきなり他所の村に住むか?」

「まあ……考え難いですね……」

 

 よっぽど人格に問題が無い限りはまずしないだろう。

 

「そいつだけではない……確認しに行った村人は全員帰って来なかった……ワシの息子もそうだ」

 

 随分と深刻な状況になっている。

 

「原住民に襲われたという可能性は?」

 

 次なる可能性を挙げたのはトゥワイス。文化の違いで争うのは珍しいことではない。私もそれが理由で襲われたことがある。

 

「少なくともワシが生まれてから今までこんなことは起こらなかった」

 

 両者の関係は良好であったらしいが、本当に突然おかしなことになったらしい。

 

「……もし、森に行くのなら止めておけ。あんたらも同じ目に遭うかもしれん」

 

 老人がこちらへ忠告してくれるが、幾度の危険を掻い潜ってきた私たちにはその程度では止まらない。或いは未知なるものへの好奇心は自分の命よりも優先しているのかもしれない。

 

「そうか……」

 

 私たちの態度を見て忠告は無駄だと悟り、老人は溜息を吐くとこれ以上話すことはないと言わんばかりに離れて行く。だが、途中で足を止めた。

 

「……もし、息子を見つけたら村へ帰るよう言ってくれ」

 

老人は私たちに息子の特徴を言う。何でも腕に木の葉のような痣があるとのこと。諦めているようで諦め切れない。そんな思いが伝わって来る。

私はその背に向かって礼を言うが、老人は最後まで振り返ることはなかった。

 今から行く先に危険が待っているかもしれない。しかし、私たちは止まらない。止まることが出来ない。私の性なのか、それとも薬師としての性なのか。最早、分からなくなっていた。

 村で一晩を過ごし、翌日私たちは早朝から例の森へと向かう。

 村から二、三時間程歩いて目的の場所へと着く。

 視界一杯に映る青々とした木々。未開の地らしく人が出入りしている痕跡は少なくとも私の目に入る範囲には無かった。

 私たち適当な場所から侵入を試みる。草や低木の藪を踏み締めながらそれを掻き分けるようにして中へ中へと入り込む。

 腰まである草木が侵入を拒んでいたのは森の外の数十メートルだけ。それ以降はあまり草木が生えていなかった。

 理由は長く伸びた木々。これにより日の光が殆ど遮られており、十分な日光を得ることが出来ず成長が出来ないのだ。そのせいで森の中は薄暗く、空気が冷たい上に湿っぽい。草木が少なくなった代わりに日陰でも育つことが出来る苔やキノコなどが大量に生えている。ざっと見てみると毒キノコもあるが、中には食用のキノコもある。いざというときは食料に困らない。

 私たちは森の中を進みながら人が出歩いた痕跡を探す。それを見つけることが出来たら原住民たちの居場所も見つけられると思ったからだ。しかし、この広大な森でそれを見つけるのは至難の業。前情報によるとこの森の広さは世界で五指に入る程のものである。そこから人の痕跡を見つけることがどれほど難しいものなのかは容易に想像が付くだろう。

 とはいえ、そんなことは私たちも分かっている。入ったからには何も発見出来ないまま終わるつもりはない。何日、何週、何か月も掛かっても必ず成果を上げる。

 私たちは森の中をひたすら探索する。森の空気は冷たいが、それでも汗が出てくる程必死に探す。

 しかし、努力が必ずしも実るとは限らない。流した汗、歩いた距離の甲斐も無く痕跡らしい痕跡は見つからない。

 

「……見つからないな」

 

 今まで沈黙していたスーリーがぼそりと呟く。寡黙な男ですらも愚痴を零す程に成果が無い──と思っていたが、事情は少し違った。

 

「……生き物が見つからない」

 

 スーリーの言葉。それを聞いて私は思い返してみてハッとする。そして、改めて森に耳を澄ましてみた。

 スーリーの言った通りだった。この森には生き物の鳴き声が全くしない。それどころか虫の鳴き声すらも聞こえない。普通の森であったのなら鳥や動物、虫の声が聞こえてもおかしくないというのにそれらが一切聞こえないのだ。

 この森が少し不気味に思えてきた。ここまで生き物がいないとなると、もしかしたら何かしら有害なものが発生している可能性も考えられ、原住民や帰って来ない村人たちもそれにやられた可能性も出てくる。

 私はスーリーに頼み、周囲一帯に探知魔法を掛けるよう頼む。スーリーは頷くと目を閉じて意識と魔力を集中。そして、徐に両手を叩いた。

 乾いた音が森の中へ染み込むように響き渡る。魔力を音に乗せて広げることで広範囲を探知する魔法である。

 暫く黙っていたスーリーであったが、口を開く。

 

「……生き物が居たぞ」

 

 ささやかな発見ではあるが、今の私たちにはそんな些細な情報でも欲しい

 スーリーが歩き出したので彼を先頭にして生き物がいた場所へ向かう。

 歩いて十数分が経とうとしたとき、スーリーの足が突然止まった。

 

「……待て」

 

 何かを警戒しているスーリー。私も彼が見ている方を見る。そこには私たちの侵入を拒むかのような白い靄──先が見えない程の霧がかかっていた。

 正直、不自然に感じる。こんな森の中で霧が発生していることに。スーリーが警戒するのも道理であった。

 私はスーリーに頼んでもう一度探知魔法をかけてもらう。乾いた音が森の中で再び鳴った。

 

「……どういうことだ?」

 

 スーリーが困惑した声を洩らす。どうしたのか、その訳を尋ねるとスーリーは霧を指差した。

 

「……あの霧……生きているぞ」

 

 は? という間抜けな声が私の口から出てしまう。それ程までスーリーが言っていることは唐突であった。

 

「生きているって……」

「……俺の魔法はあの霧を生き物と判断した」

 

 私は戯言などとは微塵も思わなかった。彼の魔法の正確さは良く知っている。彼の御陰で危機を乗り越えたことも何度もあった。そんな彼がそう言うのならばそれは事実なのだろう。

 人間とは現金なものでそう言われた途端、目の前の霧が得体の知れないものに思えて背筋が冷たくなってくる。

 幸いというべきか霧はその場で留まっており、こちらへ来る様子は無い。或いは侵入者を拒むかのように私たちの行く手を遮っているように見える。

 

「どうしますか?」

 

 ナワンが不安そうな眼差しを向けて来る。私がこの霧に突っ込む、と言わないか心配なのだろう。そう思われるのは心外──と言いたいところだが、前科があるのでそう思われても仕方ない。稀少な花が咲く毒沼へ完全とは言えない防毒装備をして挑んだり、交渉決裂したとある民族たちの家から秘伝の薬を盗んだり、とあまり人には言えない命と道徳を軽んじる行為を何度かしたことがあった。

 本音を言うのならば先に進んで目的のものを探したいのだが、事前に村人の話を聞いているので慎重に行動する。勇気と蛮勇は違う。尤も時と場合によって私はそれを使い分けるが。今回は蛮勇を以って行動するべきではないと判断する。

 私はなるべく霧を避けて行動することに決めた。反対する声は無い。

 一旦離れて新たな痕跡を探そうとした矢先であった──何かが枝を踏み折る音が聞こえた。

 私たちの中で最も早く反応したのはトゥワイスであった。彼は胸に付けていた鞘から短剣を引き抜いて構える。彼は短剣を用いての戦いの達人であり、自分よりも遥かに大きな魔物を短剣一本で仕留めたこともある。

 

「誰ですか?」

 

 足音の主が発したのは人の声。それも若い女性のもの。見るとそこには二十歳前後と思われる女性が立っていた。

 布製の簡素な衣服を纏い、一瞬病人かと思うような白い肌をしている。

 

「誰ですか?」

 

 女性は私たち一行に恐れることなくもう一度同じ質問をしてくる。トゥワイスに至っては武器を構えているというのに全く怖がる様子が無い。気丈なのかそれとも無知から来る文字通りの怖いもの知らずなのか。

 だが、あてもなく彷徨っていた森の中で初めて出会った生物──人間である。この機会を逃す訳にもいかない。

 私はトゥワイスに短剣を仕舞おうよう指示し、驚かすような真似をしてことを謝罪する。女性を瞬きもせずに無表情でそれを見ていた。

 女性の反応の淡泊さに気味の悪さを感じながらも取り敢えずは自己紹介をし、この森に入って来た理由を説明する。

 そして、私は聞く。貴女はこの森で住んでいるのかと。

 

「はい。そうです。私は──」

 

 女性の口から舌が攣りそうな発音での名、というよりもほぼ音が出された。その音は私がこの森で探している原住民たちの名。私では発音出来なさそうだったので向こうから教えてくれて助かった。

 そんなことよりも探し求めていた原住民の一人と会うことが出来た。もっと長く掛かると思っていたが幸先が良い。

 私は相手の機嫌を損ねないようになるべく丁寧に、それとなく下手に出ながら交渉に入ろうとする。

 この森は未知なる効果を秘めた薬草の宝庫であり、生ける財貨のような場所であるなどと煽ててみるが、女性の表情は変わらない。

 手応えを感じない。私は少し焦りを覚える。

 色々と讃える言葉を出してみたが、女性はほぼ無反応であった。いよいよもって焦りが強くなってくる。

 苦戦している私を見て助手のナワンも何かすべきだと思ったのか、私たちの会話に入り──

 

「それにしても、発音がお上手ですね。勉強をなされたのですか?」

 

 ──私たちとスムーズに意思疎通が出来ることを褒めた。私、トゥワイス、スーリーは思わずナワンを凝視してしまった。遠回しに言語の通じない未開人と馬鹿にしていると捉えかねない発言である。

 皆の視線が集まったことで自分の失言に気付き、顔色を蒼褪めさせる。

 

「……村の外とも交流があるので」

 

 考えてみれば当然と思える答えが返ってきた。彼女は自分の浅はかさにますます縮こまってしまう。

 彼女を責めるつもりはない。私の焦りが伝播した結果がこれである。彼女なりに助けようとしてくれたのだ。裏目に出たが。

 言ってしまったものは仕方ない。どう言い繕うか考える。

 

「ここで話していても仕方ありません。私たちの村に来ませんか?」

 

 思いもよらないことに彼女の方から村への案内を提案してくれた。

これは嬉しい──と手放しには喜べない。村に案内し、大勢で囲って襲い掛かろうとする、ということも何度か経験したことがある。そのときは危うく工芸品か夕飯に成り掛けた。

 親切にしてくれたからといって心を許すことも油断も出来ない──悲しいことに。目的を果たすまでは慎重に接する必要がある。

 いざというときの考えながらも私は彼女の提案を受け入れた。

 

「ついてきて下さい」

 

 そう言って彼女は村に向かって歩き出した。

 それにしても淡々としていて感情の起伏が無い女性である。何を考えているのか全く見えてこない。

 

「本当について行くのか?」

 

 トゥワイスが訊いてくる。無論、言葉に出して訊いている訳では無い。私たちはスーリーによって常に言語化という魔法を施されている。これは言葉を口に出さず、動作を見せることで言葉として認識させるという魔法である。今もトゥワイスが数度瞬きしたことで伝えられた。

 それに対して私は指を左右に振る。手掛かりが全く無い今は危険でもついて行くしかない、という言葉の代わりである。トゥワイスは何の反応も示さなかった。無反応は了承を意味する。

 声を出さなくともやりとりが出来る便利な魔法であるが、欠点として予め使用者と対象者に纏めて魔法を掛けないといけない。後から重ね掛けをして対象者を増やすことが出来ず、そうなった場合一度魔法を解除する必要がある。

二つ目の欠点として動作を見ていないと言葉が伝わらない。何か動作をすれば離れた場所の相手にも伝わる、というような便利さは無い。

とはいえ仲間内でなら堂々と密談し放題である。女性に案内して貰いながら、頬を掻く、眉をなぞる、こめかみを指で叩くなどの動作をして今後の方針を相談する。

 ふと、私はあることが気になったので思い切って女性に質問をしてみた。内容は森の中で見た生き物の反応がする不気味な霧についてである。

 

「……さあ? 分からないわ?」

 

 女性の反応はそれだけであった。私は仲間に目配せをする。決して心許すな、と。

 森の中に住むものが森の異変を知らないとは考え難い。何かを隠しているのかもしれない。

 私は警戒していることを表には出さず、そうかと言ってこの話を終わらせた。

 それから長い間無言の時間が続く。足場の悪い道を一時間ぐらい歩いたときであった。

 

「着いたわ」

 

 女性が足を止め、目的に着いたことを告げた。

 周囲を木々で囲まれた原住民の村は大きなものではなく、入り口辺りから一望出来るぐらいの小規模なものであり、木造作りの家が十数軒程乱雑に並んでいる。

 女性について村の中へ入ろうとし、私は思わず足を止めてしまった。

 女性と同じような衣服で白い肌をした老若男女が全員こちらをジッと見つめているのだ。

 怒っている訳でも警戒している訳でもなく、無感情な目を私たちに向けている。

 気色が悪い、というのが第一印象であった。今まで警戒されたり、威嚇されたことは多々あるがこんな目を向けられたのは初めてのことである。殺気を向けられるよりも何を考えているのか分からない原住民たちだ。

 

「……どうしました?」

 

 女性が催促してくるので私たちは仕方なく村へと入る。視線が途切れることはなかった。

 敵意でも興味でも好意でもない無としか言いようがない視線に晒されながら、私たちはある家の前まで連れて来られた。

 中に入ると簡素なベッドの上で横たわる老人がいる。薄っすら開いた目は生気が感じられず、口も半開きになっている。目は落ち窪んでいおり、こけた頬には蠅が這っている。

 死体。それにしか見えなかった。

 

「お客様を連れて来ました」

 

 女性が死体に話し掛ける。その目だけがギョロリとこちらへ向けられたのでナワンは小さく悲鳴を上げる。放置された死体かと思われた老人はまだ生きていた。

 

「ぁ……っ……」

 

 吐息のような言葉が老人の口から漏れる。

 

「はい。森の中を彷徨っていたところを見つけました」

 

 呼吸音にしか聞こえないが、女性には何を言っているのか分かっているらしい。正直、疑わしく思えてしまう。

 

「ぅ……ぉ……」

「はい。森の薬草の調査をしたいらしいです」

 

 こちらの疑念を余所に女性と老人は不自然な会話を続けている。

 私はつい訊ねてしまった。この老人は誰なのか、と。

 

「この村の長です」

 

 これが? という言葉が口から飛び出しかけたので慌てて呑み込む。

 

「ぁ……ぁ……」

「はい。そのようです」

 

 口を微かに動かして出る微かな音と会話する女性。傍から見れば異常である。

 

「長から許可が出ました。村への滞在を許すそうです」

 

 思いの外あっさりと了承をされて安堵すると共に拍子抜けする。一波乱あってもおかしくないが、私は許可してくれたことへの礼を言う。

 

「丁度空いた家があります。皆さんはそこを拠点にして下さい」

 

 家まで用意してくれた。有り難い限りである。

 

「……一つだけ約束して欲しいことがあります」

 

 女性はギョロリと眼球を動かす。

 

「……この村では決して火を使わないで下さい」

 

 火を使うことへの禁止。周りが木造の家ばかりだからなのだろうか。だとしても火が使えないのは厳しい。飲み水の浄水や食べ物を焼くなど安全な食の為には火が必要である。

 

「……私たちは信仰上火を使いません。使用するならば村の外で」

 

 信仰。そう言われると文句が言い難い。個人的に理解出来なかったとしてもそれに対して否定するような発言をすれば碌でもない結末しか待っていない。そこの規則があるのならそれに従うのが最も穏便に済ませられる。それに村の外でなら火を使っても良いと言っている。

 

「……もし、村の中で火を起こしているのを見つけたら覚悟はしておいてください」

 

 女性が脅してくる。冗談には聞こえない。

 そういうものだと私たちは納得し、女性の案内で用意された家へ向かう。

 村に着いたときは全員こちらを凝視してきたが、今はまるで見えていないかのように私たちに全く視線を送らない。極端過ぎる反応の差にますます気色悪さが募っていく。

 そのまま家へと案内される筈であったが、私はあるものが目に入り、思わず足を止めてしまった。

 一人作業をする男性。その男性の腕に木の葉のような痣があるのが見えたからだ。それは森に入る前に教えてくれた老人の息子の特徴。

 私は女性に一言断ってからその男性に近付く。

 男性に訊ねた。貴方は外の村の人ですよね、と。

 

「……誰だ?」

 

 男性は虚ろな目でこちらを見て来る。顔を良く見ると老人の面影があった。

 貴方の父親が貴方の帰りを待っていることを伝える。男性の表情はピクリとも動かない。

 

「……そうか」

 

 あまりに素っ気ない反応であった。

 

「そうかって……貴方には帰りを待っている親と恋人がいるんですよ!」

 

 ナワンが少し強めな口調で言うが、男性には全く届いていない様子。顔色どころか眉一つ動かさない。

 

「……俺はここの村が気に入った。あの村には帰らない」

 

 私たちを見ているようで見ていないガラス玉を思わせる目。人ではなく人形と喋っているような気分になる。

 

「……どうしましたか?」

 

 私たちが付いて来ないことに気付いた女性が呼びに戻って来た。色々と訊きたいことがあるが、今は事を荒立てるべきではない。

 食い下がることは止め、家への案内へと戻る。

 少しして着いた家は他の家と同じような見た目をしていた。

 

「どうぞ」

 

 家の中へ入る。埃っぽいニオイと冷たい空気。それなりの間、人に使われていないことが分かる。

 

「……何か必要なものがあったら言って下さい」

 

 それだけ言うと女性は戻っていた。

 家の中で私たちは言語化魔法で会話を始める。声を出さないのは外で聞き耳を立たれていないか用心しているからである。

 

『あの人、明らかに様子がおかしかったです。この村の人たちに何かをされたのかも』

『薬か魔法による暗示か洗脳。人を操る方法は幾らでもある』

『……魔法の気配は感じなかった』

 

 そうなると薬物による洗脳が有力候補となる。人の意識を混濁させ、都合のいいように操る植物やキノコなどが存在する。この森の中にも生えていてもおかしくない。

 思っていたよりも危険な村であるので、なるべく早めに調査を切り上げる方針にする。場合によっては人心を操っている証拠を見つけ、周辺の村人たちを強制従属させている危険な村として国か冒険者ギルドに報告する必要がある。

 明日から調査を始めるが、なるべく単独行動を控えるように忠告すると、その日は家から出ることはせず、寝ずの番を置いて交代しながら一晩を過ごした。

 

 

 

 

 翌日、私たちは早朝から行動をしていた。まずは食料の確保からである。村人たちが提供してくれる食料は危ういので口にしないようにしていた。

 森の中へ入ると私とトゥワイス、ナワンとスーリーの二手に別れて食料を探す。幸いというべきかこの森は豊かな森であり私が知っている食べられる食料が豊富に存在する。

 安全な木の実やキノコなど採り、後は飲み水を手に入れる為に川がないかを探す。ついでに魚などが獲れれば幸いである。

 そんなことを考えているとトゥワイスが急に振り返る。私もつられてそちらの方を見て思わずギョッとした。原住民と思わしき男性が木の陰からこちらをジッと見ているのだ。

 何か? と私が話し掛けると男性は何も言わずに去っていってしまう。後には気持ち悪さが残るのみ。

 

「監視されているな」

 

 この様子ではナワンたちも同じように監視されているだろう。

 私たちは監視の目を気にしながら森の中を進んで行く。やがて、木々のニオイに混じって水のニオイがしてきた。

 ニオイを辿って先へ進む。少し歩いた先には池があった。澄んだ色をしており、中では魚が泳いでいる。

 何匹か獲っていこうと思い、水の中へ手を伸ばす。

 

「待て」

 

 その手をトゥワイスが掴む。どうして止めたのか訳を訊く。

 

「……見た事が無い色をしている」

 

 そう言われ、私は改めて池の中の魚を見る。泳いでいる魚自体は森の外でも生息しているごくありふれた魚である。しかし、言われた通り見た事が皮の色をしていた。

 この森の中にのみ生息する新種なのでは、と私は思ったがトゥワイスはそれでも首を横に振った。

 

「怪しいと思った時点で手を出すべきではない」

 

 そう言われると私も手を引っ込めるしかなかった。彼の直感には今まで何度も助けられてきた。彼の言う通り少しでもおかしいと思ったのなら食すのは止めるべきである。

 取り敢えず魚を獲ることは諦め、飲み水を掬ってその場から離れた。しかし、何故だろうか。あの色の異なる魚が私の中でやけに印象に残った。

 私たちは食べられる木の実や山菜、茸を持てる限り採取する。新種の薬草などもないか探していたが、残念ながら見つけることは出来なかった。

 それにしても探索を始めてから随分と時間が経つが、未だに監視の目が離れている様子がない。姿は見えないが今も私たちを何処から見ている。

 十分な収穫を得た私たちは集合場所として予定していた大木の根元にいた。まだナワンたちの姿は見えない。私たちは暫くの間、待つことなる。

 太陽が真上を通り過ぎた辺りだろうか。雑草を掻き分けてナワンたちが戻って来た。妙に疲れた表情をしている。

 何かあったのか、と私は訊ねる。

 

「襲われました」

 

 ナワンから返ってきた答えに驚く。原住民に襲われたのかと思ったが、違った様子。

 

「……これだ」

 

 スーリーがロープで何重にも巻いた大きなトカゲの死体を見せた。森に生息するトカゲだが、人を襲う程の凶暴性は無い。そのトカゲにも奇妙な点があった。

 

「色が違うな……」

 

 既存の種類とは異なる鱗の色をしている。あの魚と同じように。

あの魚同様にこの森にのみ生息する新種なのかもしれないが、見ているとどうにも言い様の無い得体の知れなさを覚える。

 

「調べるか?」

 

 トゥワイスが確認してくる。確かに解剖して中身を調べるのは有効かもしれない。だが、私はなるべくこのトカゲに触れたくなかった。

 何か未知の病気を持っているかもしれない、という理由でこのトカゲを燃やしてしまおうと提案する。三人は私の提案に反対することはなかった。彼らもまた私と同じことを考えているのだろう。

 私たちは周囲に落ちてある枯れ木や枯れ葉を集める。木々が陽を遮っているので湿った枝や葉が多い。だが、私たちは構うことなくそれらを集めた。

 十分な量が集まったらそれらを組み、後はスーリーに任せる。彼が短く呪文を唱えると木や葉から水分が抜け、芯まで乾燥した状態となる。スーリーがもう一度呪文を唱えると小さな種火が発生し、瞬く間に焚き火となった。

 まずは採取した食べられる茸や山菜などを焼く。同時に汲んだ水を沸騰させて消毒をする。

朝昼兼用の食事を済まし、沸騰させた水を冷まさせて喉を潤す。そして、最初に比べると火の勢いが弱くなった焚き火にトカゲを放り込んだ。

 トカゲの死体が音を立てて焼け焦げていくのをジッと見つめる。

見つめる、で思い出した。いつの間にか監視の目が無くなっている。何処かへ行ってしまったらしい。そういえば信仰上火を忌避していると言っていた。もしかしたら、目にするのも嫌なのかもしれない。そう考えると徹底しているな、と思う。宗教など所詮は意思を統一させ、人を御し易くする程度のものだと私は思っているからだ。

 黒焦げになったトカゲが炎の熱により身を丸くしていく。その光景を見ながらふとある事を思い出す。

 古の占いの中には物を火で燃やし、それの変化によって未来を占うというものがある。人の手が及ばない自然が起こす結果こそが運命によって齎されたものという理屈とのこと。

 勿論、私はそのようなことは信じておらず、それを知ったのも暇潰しの間に読んだ本の知識程度のこと。

 火を見て偶然思い出した私は、試しにトカゲが焼ける様を見て未来を占ってみる。すると、焼けたトカゲの体が膨張し弾けた。

 それを見た私は反射的に火に水を掛ける。私の急な行動に周りは訝しんでいたが、そろそろ動こうという私の指示に若干の疑念を残しながらも従う。

 燃やしていたものが弾けて原形を失う。それは破滅する未来の暗示。馬鹿馬鹿しい。気分転換のつもりでやったことが裏目に出た気分である。所詮は試し程度でやったこと。気にする必要は無い。

 再び行動を始めた私は心の中で何度もそう呟き続けた。

 

 

 

 

 調査を始めて一週間が過ぎた。この森は私が思っていた以上に珍しい薬草の宝庫である。傍から見れば雑草かもしれないが、私からすれば宝の山だ。

 険しい山々を超えた先に生えていると思われていた解毒の薬草や危険な魔物たちが蔓延る谷の奥で自生している滋養強壮の薬草。それらが易々と入手出来る。それだけでなく見たこともない薬草も幾つも発見した。持ち帰って実験するのが今から楽しみである。

 私は浮かれながらも決して油断はしていない。常に村人たちに警戒をしていた。相変わらず監視の目はあるものの接触等してこない。夜など交代で見張っているも近寄ろうとする気配も無かった。未だに不気味な村人たちという印象は変わらないが拍子抜けという思いもある。

 変化の無い日々が続くかと思いきや、それを望んでいたことかそうでないかは別として、その日はいつもと違っていた。

 日が暮れ始めた頃に私たちが村へと戻って来たとき、大勢の村人たちが村長の家を囲っているのだ。

 暫くして中から複数の男たちが出て来た。大きな板に丸太を括り付けた物を担いで。

 板の上に村長が置かれていることに気付く。

 近くに居た村人の声を掛け、何が起きているのかを聞こうとしたとき、私たちはギョッとした。

 今まで人形のように無表情であった村人が満面の笑みを浮かべている。どんな理由で喜んでいるのかは知らないが、あまりに度が過ぎて見えるので私たちには狂気的に映る。もしかしたら、狂喜という意味では合っているかもしれない。

 言葉を失っている私たちに村人は笑みのまま『何か?』と聞き返してきた。

 私はその笑みの圧を跳ね返すように訊ねる。今、何が起きているのか、と。

 すると、村人は喜びに満ちた──という言葉では物足らない程の反応を見せる。

 

「満たされたんですよ! 成ったんですよ! 長は! 満ちた! 成った! 成った! 羨ましい! 実に羨ましい! 早く私も満ちたい! 成りたい!」

 

 数日前まで無反応に等しかった村人とは思えない過激な反応。この村人が狂ってしまったのかと思われたがそうではない。長を運ぶ村人、それを見守る村人たち全員がこの村人と同じような笑みを浮かべ、長を讃えていた。

 

『長! 長! 長! 祝福の日! 果たされる日! 約束の日! 還ろう! 還ろう! 還ろう! 偉大なるものへ!』

 

 狂喜乱舞とはまさにこのこと。全ての者たちが一心不乱に同じ喜びを共有している。傍から見るとそこには狂気しか感じない。一体何がそこまで彼らを興奮させているのだろうか。掲げているのは今にも死にそうな老人だというのに。

 村人たちは喜びの声を上げながら長を何処かへ運んで行く。それを他の村人たちも付いて行く。

 何処へ行くのですか、と私はこの森で初めて出会った村の女性に声を掛けた。その女性もまた例外に洩れず笑みを浮かべている。初めて会ったときの差を感じ、正直気持ち悪いとしか言いようが無い。

 

「捧げに行くんですよ! 長は十分に満たされましたから! ああ……! 羨ましい! 喜ばしい! 妬ましい! 嬉しい! 私はまだ成っていないのに!」

 

 最初に会ったときの印象が百八十度変わる感情の爆発。喜ぶ反面、彼女は両眼から涙を流し続けている。何が嬉しいのか、何が妬ましいのか事情を知らない私たちからすれば村の女性の反応は意味不明にしか映らない。

 

「何か祭りのようなものを行うのですか?」

 

 ナワンが興味本位で訊ねてみると、女性は首をグルンと動かして彼女の方を見る。

 

「……興味がありますか?」

「ええ……まあ……」

 

 女性の圧力に押されながらも頷くナワン。すると、女性は離れていく村人たちへ声を掛ける。

 

「皆さん。彼らもまた長の旅立ちに興味があるようです」

 

 村人たちは一瞬黙った後、歓声を上げた。少し前まで静かで生気を感じられない村という印象だったが、今では百八十度認識が変わる。これ程までに異様な熱気と狂気を内に宿していたとは。

 彼らの言う旅立ちというのが余程重要な儀式らしい。

 

「……本当にいいのか?」

 

 トゥワイスが小声で話し掛けてきた。得体の知れない連中の得体の知れない儀式に参加することを危険視している。

 彼の心配は尤もである。しかし、彼らという存在を良く知るには彼らの内に入り込む必要がある。

 いざというときにはきちんと逃げる準備はしておくと目で告げると、トゥワイスは一応納得してくれた。似たような状況を何度も経験しているので彼も対処の仕方は心得ている。ナワンもスーリーも同様である。

 

「さあ、行きましょう! 長の旅立ちを見送りましょう!」

 

 女性が号令を掛けると、村人たちは奇声同然の叫びを上げて長を運び始める。

 長を運ぶ村人たちを先頭にして村人たちが一列になって行進していく。私たちは列の丁度真ん中に位置し、列から離れないように前後から挟まれている。

 これで儀式が行われるまで身を隠すことは出来なくなった。望むところである。

 しかし、出発する前はお祭り騒ぎだったのに行進している今は一言も喋っていない。落ち葉を踏み締める足音だけしか聞こえない。この静けさは葬列に相応しいが、村人たちの極端な差に不気味さが募っていく。

 森の奥に進むにつれて変化が起こる。まず真っ先に気になったのはニオイであった。

 

「うっ……」

 

 ナワンが口と鼻を押さえながら気持ち悪そうな声を洩らす。私も彼女と同じ行動を取っていた。

 木々の青いニオイが塗り潰され、黴臭さと動物の死骸のようなニオイが混じった不快な臭気が漂い始めて来たのだ。

 長時間吸えば精神だけでなく肉体にも影響を及ぼすような悪臭。しかし、村人たちは顔色を変えることもせずこの悪臭を空気同然としている。

 もっと奥に進んで行くと嫌なものを目撃する。

 

「あれは……」

 

 スーリーが何かに気付く。彼が見ている方に私たちも視線を向ける。木と木の間を漂うあの生きた霧が発生していた。

 よく見ると広範囲に発生しているのではなく間隔を開けて発生しているのが分かる。初め見たときは霧と思っていたが、もしかしたら違うものかもしれない。

 私はどうしても気になったので思い切って村人たちにあの霧擬きについて聞いてみることにした。

 あの霧のようなものは何ですか、という私の問いに対してその村人は穏やかさすら感じる表情で言う。

 

「私たちの仲間です。彼らは」

 

 正直、言っている意味が分からない。同じ森に生きる仲間ということを指しているのかもしれないが、それとは意味が異なるように思えた。まさか、本気で同じ仲間だと思っているのだろうか。

 私は答えてくれた村人に礼を言い、口を閉ざす。結局、謎が深まるだけの結果に終わる。

 森の奥へ進む。臭気は濃くなり、霧擬きが溜まっている場所を頻繫に目撃するようになってきた。私たちは深淵に向かっている。そうとしか思えない。

 ふと、あるものが私の目に入る。

 木の根元を覆っている黒っぽい色をした綿のような物体。注意深く観察する。それは胞私の知識の中で胞子というものと結び付く。しかし、私が今まで生きてきた中であれだけ巨大な胞子は見た事が無い。

 この森独自のものかと思っていると、それが点々と辺りに見つかり出す。

 

「酷い光景だ……」

 

 トゥワイスが呻くように言う。先程の胞子は木の根に寄生していたが、辺りに散らばっている胞子は生物を苗床にしており、産毛のように生える胞子に覆い尽くされた死骸が横たわっている。

 胞子に喰われた死骸を見て顔を顰める私たちであったが、注意深く観察する更に顔を歪めることになる。

 動物の死骸の中には明らかに人骨を思われるものが幾つも存在した。長を皆で運んでいる今のこの状況を考えれば、どうしてここにあるのか容易に想像が付く。

 自然に還すという意味で人の命を捧げる儀式は珍しくもない。文明と隔絶した秘境などでも今も行われている。私も見た事がある。この村や村人たちもまたそういった類の人種であった。何を信じるのかは自由であるが、私はそれに同調するつもりはない。

 茂みが揺れる音がする。茂みの中から牙を生やした獣が顔を出す。その獣は人を襲う凶暴性を持つ種であり、私たちは反射的に身構えた。だが、獣はこちらを見ているだけで何もしてこない。

 ふと上を見上げる。木々には多種多様な鳥たちが止まっており、こちらを見下ろしていた。意思が統一されているかのように全ての鳥たちが凝視してくる光景に私たちは寒気を覚える。

 森の住人たちの歓迎──というより監視を受けながら私たちは目的地と思わしき場所で辿り着いた。

 そこは少し開けた場所であるが、特に特別な場所には感じられない。相変わらず周囲には胞子に満ちた死骸が転がり、霧擬きが辺りに漂っている。霧擬きの濃度が増しており、数メートル先がぼやけて見えにくくなっていた。

 村人たちは担いでいた村長を地面に下ろし、離れる。そして何もしない。何かしらの儀式を行うと思っていた私たちは拍子抜けする。だが、よく観察していると村人たちは佇んでいるのではない。何かを待っているようであった。

 そのとき、私は足元に違和感を覚えた。意識をそちらへ向ける。すると、足裏に微かな震動を感じた。地震か何かかと思ったが、震動は一定の間隔で起こっている。

 

「……何か揺れていませんか?」

 

 ナワンたちも足元の揺れに気付き始める。震動は最初に感じたときよりも確実に強くなっている。

 これは震動ではない。生物の歩行。しかも、かなり大きい。

 私はスーリーに探知魔法を使うよう指示する。スーリーは言われるがまま魔法を発動した。次の瞬間、彼の顔色が瞬時に蒼褪める。

 

「な……何だ……これは……!?」

 

 冷静沈着なスーリーが滅多に見せない動揺。信じられないものを感じてしまった。彼の表情がそう物語っている。

 

「こ、これは生きているのか……? あ、あまりにも違う……! 異常だ……!」

 

 震えている。恐怖で体を細かく震わせている。彼を恐れさせる何かがこの揺れと

共にやって来ている。

 そのとき、私の髪がふわりと靡いた。風が吹いている。私だけでなく他の者たちの髪も揺れている。特にナワンは分かり易く、長い髪が正面に向かって靡いている。

 おかしなことに気付く。ナワンの髪の揺れを見れば背中の方から風が吹いている筈なのだが、私は背中にそんな感触を感じない。

 生物の死骸に生えている胞子などが森の奥へと引き寄せられていくのが見える。それだけではない。周囲にある霧擬きもまた森の奥へ向かっていく。

 風が吹いているのではない。何かが凄まじい力で吸い寄せているのだ。

 すると、地面に置かれた村長の体から煙のように何かが立ち昇る。それは周囲から噴き出している霧擬きと全く同じ色をしていた。村長の体から出た霧擬きもまた謎の力に吸い寄せられ、森の奥へと消えていく。

 村長の霧擬きが全て抜き取られると、辛うじて動いていた村長は完全に動かなくなり、謎の吸い込みも収まった。

 すると、村人たちは歓声を上げる。

 

「おおっ! 召された! 召された!」

「村長もまた大いなる力の一部となったんですね!」

「素晴らしい! 素晴らしい! 羨ましい!」

 

 狂気を伴う歓喜。見ているだけで気持ちが悪くなってくる。

 だが、それをいつまでも気にしている余裕は無い。いよいよ震動が強くなってきた。

 そして、それは現れた。

 今まで見た事が無い程に大きく、そして今まで見た事が無い程悍ましいドラゴン。

爛れた皮のようなものを全身から垂らし、更にそこに胞子の塊を付けている。もしくは共生しているのかもしれない。全身の殆どを皮と胞子で覆われており、僅かに覗く鱗らしき部分は悍ましい見た目に反して光沢を放っている。

巨大な両翼を持っているが、老朽化した衣服のように被膜に無数の裂け目が出来ており、飛べるかどうか分からない。

 頭部は一際大きな胞子嚢で覆い尽くされており目が隠されている。長く鋭い牙を持っており、牙先からは唾液が滴っている。

 悍ましいドラゴンが外見に不似合いな雄々しい咆哮を上げる。その際に長く突き出ている下顎が開かれるが、底部はくり抜かれたように無く外格のみしかない。しかし、内側にも更なる下顎が存在しており、その特徴的な構造が恐ろしさに拍車をかける。

正体の分からないこの悍ましい存在の咆哮を訊くだけで全身の細胞が震え上がり、体が防衛反応で縮こまってしまう。だが、それに反応しているのは私たちだけ。村人たちは何故か縮こまらず、崇拝するように仰ぎ見ている。

 悍ましきドラゴンが歩く。それに添うようにして移動するあの霧擬き。このドラゴンがこの森の支配者であり、全ての元凶であると直感した。尤も、あのドラゴンを見てそう思わない方がどうかしている。

 今目の前に凄まじい脅威が存在するというのに村人たちは逃げようとしない。全ての村人たちの目はあのドラゴンに奪われている。

 

「長よ、長よ……そこに居るのですね」

 

 その言葉は横たわっている村長の亡骸ではなくドラゴンへ向けられていた。あのドラゴンは村長の中にあった何かを吸い取り、村長の命を奪った。見たままの印象を言えば生気、命なのかもしれないが、霧擬きと同じ色をしていたのが腑に落ちない。

 スーリーは霧擬きを生きていると言っていた。ならば、村長の体の中に霧擬きが宿っていたとしたら? それが村人たちを狂わし、外の人間の正気を奪って村に閉じ込める原因だとしたら? それらは全てあのドラゴンと繋がることとなる。

 恐怖に麻痺しそうになる頭を働かせながら導き出した私の推測。それが合っているかどうかは分からない。冷や汗を流し続ける私たちを余所に村人たちは拍手をしたり、歓声を上げたり、歌ったりなどしてドラゴンを讃え続けている。あの悍ましい姿の何が村人たちを惹きつけるというのだろうか。

 

「今日は素敵な日だ……長は召され、そして──」

 

 今までの喧騒がピタリと止み、全員の視線が私たちに注がれる。

 

「──新たな仲間が増えるのだから」

 

 その一言と同時に村人たちが一斉に私たちに掴み掛かってきた。

 私の肩や腕を掴む村人たち。振り解こうとするが異様に力が強く、簡単には振り解けない。すると、銀色の線が走り、掴んでいた村人たちの腕が斬られる。

 斬ったのはトゥワイスであり両手に持つ二本の短剣でナワンやスーリーを助け、近付いてきた村人たちを次々に斬り付けた。腕や脚などに傷を負う村人たち。だが、痛みに怯んだのは一瞬だけであり、またすぐに掴みに掛かって来る。村人たちは斬られることを全く恐れていない。

 そこへスーリーが呪文を唱え、私たちを守るように炎を起こした。時間稼ぎの為のものであったが、村人たちは異様な反応を示す。

 

「ひ、ひぃああああああああっ!」

「火だ! 火だぁぁぁぁぁぁぁ!」

「やだ! やだ! 燃える! 熱い! 怖い!」

 

 斬られることを恐れなかった村人たちが火に対して過剰なまでに恐れている。それこそ発狂死しそうなぐらいであった。

 そういえば監視をされていたときに火を起こしたらいつの間にか監視の目が無くなっていたことを思い出す。村で火を扱うことを禁じていたのは、理由は分からないが彼らが極端に火を恐れているからだ。

 私は近くに落ちていた丈夫そうで長めな折れた木の枝を何本か拾い、その内の半分をナワンに渡した後にスーリーを呼ぶ。

 

「……そういうことか」

 

 私が何をしようとしているのかすぐに察してくれたスーリーに、その考えが正しいことを証明するように木の枝を掲げる。スーリーは素早く魔術を発動させ、木の枝に火を点ける。私がやろうとしていることに気付き、ナワンも私に倣って枝に火を点けてもらった。

 私たちは火が点いた枝を村人たちに突き付けながら後退する。最初に放った火は大分弱まっているがそれでも村人たちは恐れてその場から一歩も踏み出せない。

 火という効果的な弱点を知った私たちは、火で村人たちを脅しながら徐々にこの場から離れようとする。

 そのとき、今までこちらに関心を示していなかったあのドラゴンが咆哮を上げた。悲鳴のような、金切り声のような叫び。全身に鳥肌が立ち、足が震える。今までの冒険で鍛え上げてきた精神力が抗うことも出来ずに屈している。

 咆哮の後、ドラゴンは胞子嚢を脈動させ全身から煙を噴出させる。胞子と霧擬きを混ぜ合わせた未知なる物質を放出した際に発生した風圧により私たちにとって生命線であった火が消し飛ばされる。

 風圧を追うようにして広がっていく胞子と霧擬き。咆哮のせいで身動きがとれない私たちは迫り来る絶望を眺めているしかない。

 

「う、おおおおおおっ!」

 

 必死の叫びと同時に私たちは突き飛ばされた。私たちを突き飛ばしたのはトゥワイス。冒険者として幾多の修羅場を潜り抜けてきた彼は、私たちよりも恐怖に対する免疫があり、早く立ち直ることが出来たのだ。

 身を呈して私たちを胞子の範囲外へ押し出してくれた。しかし、次の瞬間には村人たちが一斉にトゥワイスへしがみついていた。火が消えてしまったせいで村人たちを足止めするものが無くなり、再び襲い掛かってきたのだ。

 屈強な肉体の持ち主であろうと十を超える人間にしがみつけられれば身動きが出来なくなる。逃げられなくなったトゥワイスが胞子に呑み込まれる。

 息を止めて胞子を吸わないようにしていたが、すぐに異変が起こる。

 

「が、あがああああああああっ!」

 

 獣を思わせる声を上げ、村人たちがしがみついたまま地面に倒れる。そこで陸に上げられた魚のように体を激しく跳ね上げる。

 吸い込んでしまった胞子に猛毒性があるのか、トゥワイスは自壊しそうな勢いで何度も何度も仰け反りながら跳ねている。今すぐにでも救い出したいが、トゥワイスは身を呈して私たちを救ってくれた。

 ここで立ち止まったら犠牲が増える。私たちは非情な決断を下した。

 苦しむトゥワイスを置いてこの場から逃げ出すことを決める。このことを一刻も早く誰かに伝えなければならない。そうしなければトゥワイスの犠牲が無駄になる。

 私は残った者たちを連れ、急いで走り出す。

 しかし、私たちは気付くべきだったのだ。相手が人一人犠牲になったところでどうしようもない存在であることを。代償を払えば報われるなど思い上がりだということを。

 離れ際に私はあのドラゴンを見た。ドラゴンを首を持ち上げ、左右にうねらせる。その口が開かれ、私たちに向けられたときドラゴンの口から大量の胞子が吐き出された。

 先程の噴出の比ではない量の胞子が私たちに迫る。為す術もなくブレスが直撃する。

 全身がバラバラになりそうな衝撃を受け、地面を勢い良く転がっていき最後には木の幹に叩き付けられる。

 衝突の痛みは無い。それよりも経験したことが無い未知の感覚に私は襲われていた。

 体の半分が削られたような感覚の後、内側で消失したものを埋めるように何かに置き換わっていく言葉に出来ない嫌悪感と拒否感。

 気付けばトゥワイスのように私は絶叫を上げ、体を痙攣させていく。私が私で無くなっていく恐怖。それから逃れられない絶望。ナワンもスーリーも私と同じような状態になっている。

 やがて、私は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この村は素晴らしい。

 この村人たちは素晴らしい。

 日々生きていくことは素晴らしい。

 日々を過ごしていく度に私の中の私が成長していく。

 私の仲間たちもこの村で健やかに暮らし、成長していく。

 今日、喜ばしいことがある。村人の一人が成ったのだ。

 とても素晴らしい。

 とても嬉しい。

 私も一日も早く成り、この身を捧げたい。

 




この世界の死を纏うヴァルハザクは、この森の寄生菌と共生関係にあります。
ヴァルハザクが撒いた菌が人に寄生、人を苗床にして成長、増殖した後に終宿主であるヴァルハザクに還るというサイクル。
ヴァルハザクが終宿主なので菌に寄生された人間は、ヴァルハザクに食べられることやその為の菌を成長させることに多幸感を覚えるようになっています。

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