MH ~IF Another  World~   作:K/K

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        /束ねられた毒

 朱色の鱗に黒の斑模様が入った外観を持ち、鼻先が瘤の様に膨れ上がった初めて見る生物がこちらに口を開けながら現れた。

 姿を見せた瞬間、ギュオ、ギャオと首を絞められているような鳴き声を上げたので、ヒスはそれに驚き、慌ててその場から駆け出し、ボウたちの方に一目散に逃げる。

 

「お、おい、どうした?」

 

 横転した馬車から全ての冒険者たちを引き上げた直後、必死な形相で駆け寄ってきたヒスを見て、ボウが戸惑った様子で声を掛ける。

 

「あ、あ、あれを!」

 

 走った後なので呼吸が乱れたままヒスは先程まで居た場所を指差す。その方向を見るボウとフラッグ。それに釣られて他の冒険者たちもそちらを見た。

 ヒスが走って来た方向から見たことも無い生物が走って来ていた。

 大きさは人ぐらいもある斑模様の生物。その毒々しい外見に否が応にも視線が釘付けになってしまう。

 大き目な頭部に反して手足は小さく。手に至っては指が二本しかない。

 

「何だ、こいつは?」

 

 冒険者の一人が、皆が思っていることを口にする。

 

「見たことが無いな……」

「新種か? ……こういう珍しい奴の皮は、高く売れるのかねぇ?」

「さあ? 売ってみないと分からんな」

 

 初めて見る生物に対し、冒険者たちの反応は軽いものであり、それどころか倒した後の算段まで考え始めていた。

 そこまで緊張感が無い理由としては現れた生物が一匹しかいないからであった。

 各々持参している武器を構え、警戒しつつもじりじりと生物に近寄っていく。

 だが、生物は逃げる素振りを見せず、その場に立ったまま動かない。

 周りの冒険者たちを脅威と思っていないのか。あるいは自分の状況を理解できない程、鈍感なのか。

 やがて、冒険者たちの間合いに生物が入ろうとしたとき、ギュオ、ギャオと突如鳴き声を上げる。

 その声に思わず硬直する冒険者たち。すぐに周りに視線を巡らせ、警戒するものの予想に反し、何の姿も見当たらず拍子抜けする。

 

「脅かしやがって……! ぶっ殺してやる!」

 

 忌々しそうに舌打ちをする冒険者の一人。意味の無い鳴き声に思わず驚いてしまった自分を隠すように、威勢の良い言葉を言いながら集団の中から一人突出して、生物の前に立つ。

 そして、持っていた大剣を生物の頭部に叩き付けようと振り上げたとき――

 

「ぎゃああああああ!」

 

 ――生物が口を大きく開き、そこから紫色の粘液を冒険者の顔面に吐き掛けた。

 顔面を粘液で覆われた冒険者は絶叫を上げ、武器を放り捨てながら地面に倒れると、そこで左右に転がりながら激しく身悶えする。

 そして、その絶叫を合図に茂みから生物の仲間が次々に現れる。

 最初は一匹であったのに気付けば冒険者たちの三倍は超える数がいた。

 

「嘘だろ……」

 

 その光景に思わず呆けたような声を出してしまうヒス。

 戦いに於いて数が多ければ多い程、有利になっていくのは常識である。ヒスたちは戦う前から自分たちが絶望的状況に追い込まれていることを突き付けられていた。

 そんな中で粘液を受けた冒険者は、周りや自分がどのような状況に置かれているかも分からずに、絶叫し続けていた。

 良く見れば、抑えている指の隙間から見える皮膚の色が赤黒く変色しており、異様に腫れ上がっていた。それだけで浴びせられた粘液に強い毒性があることが分かる。そんな毒の直撃を受けたこと考えると冒険者の目は既に潰れているであろう。

 叫ぶ冒険者を疎ましく思ったのか、それとも元から仕留めるつもりなのか、最初に現れた生物が一声上げる。すると男を囲むように生物たちが動き、苦しんでいる冒険者に向けて、次々と毒を吐き掛けた。

 

「うあ! あああ! おあああ!」

 

 光を失った状態で四方から浴びせられる毒。肉体的にも精神的にも追い詰められた冒険者は意味も無い叫びを上げながら体を胎児のように丸め、本能的に身を守ろうとする。

 しかし、毒の前にそのようなことは無意味であり、事実、毒を受けた箇所は次々と変色と膨張を起こし、その身を変化させていく。

 人としての原型が崩れていく光景に誰もが息を呑んだ。そして、何よりも恐ろしいのは、そんな状態であるにもかかわらず、まだ生きているということである。

 毒で出来た液溜まりの中でもがく冒険者。最早、声すら出すことも出来ないがそれでも足掻く。

 やがてもがくように動かしていた手足は止まり、完全に動きを止めた。

 最初がどんな姿であったか想像出来ない程、変わり果てた死体。その姿はきっと身内が見ても誰であるかは分からないであろう。

 冒険者たちはそれを見て、呻くような声しか上げられなかった。

 仲間が殺されたという怒りは勿論ある。しかし、それを上回る程の恐怖が彼らの胸中にあった。自分もあのように無惨に殺されるのでは? という分かり易い死を目の前に置かれたことで、彼らは躊躇ってしまう。

 そんな消極的な動きを生物は見逃さない。無数の生物が一斉に鳴き声を上げる。一匹一匹の声が束ねられたことで、大声量の咆哮となり、空気を震わす。

 鳴き声が鼓膜に入った瞬間、冒険者たちの全身に鳥肌が立ち、身が竦んでしまう。本能的か生理的な反応かは分からない。只言えることがあるとすれば、彼らは生物たちを前に致命的な隙を晒してしまった。

 群れ為す生物たちの中から何匹かが冒険者たちに向かって飛び掛かる。

 

「うおっ!」

 

 襲い掛かってくる爪に反応し、ヒスはその場から飛び退くように移動して回避する。ボウ、フラッグもまた辛うじて回避することが出来た。

 

「がああああああ!」

 

 しかし、中には反応し切れなかった冒険者もおり、腕に噛み付かれている者、足を爪で裂かれた者、胸元を抉られた者などがいた。

 だが、爪で傷付けられた者たちの傷は、深くは無く、そのおかげで流れる血の量も思っていた以上に少ない。

 吐き出す毒は脅威かもしれないが、それ以外の武器は然程恐れるものでは無い。と、ほんの僅かの間、楽観視してしまった。だが、その考えも刹那に消える。

 

「痛い! 痛い! 痛い痛い痛い痛い!」

 

 生物に腕を噛まれた者が、傷口を押さえながら子供のように喚く。その痛がり方は尋常では無い。

 指の隙間からは絶えず血が流れ続け、滴り落ちた血によって、短時間で地面に血溜まりが出来ていく。

 太い血管が裂けた訳ではない。傷が大きいか、深く抉り取られているという訳でも無い。だというのに流れる血の量が異常に多い。

 明らかに冒険者の身に異常が起こっているのが分かるが、それを気にしている暇は無い。何故ならば、飛び掛からなかった残りの生物たちがこちらに向けて顔を上げ、喉をふくらませている姿が、目に入ったからだ。

 

「逃げろぉぉ!」

 

 誰かが叫ぶと同時に生物たちが一斉に毒を吐き出す。

 紫の塊が一直線に飛んで来る。速度自体は、避けられないものではない。だが、数が多い。更に先に飛び掛かってきた生物たちによって逃げ場所が制限されていることで、回避の難易度が一気に跳ね上がる。

 

「くそっ!」

 

 苛立った声を上げながらヒスは、その場で咄嗟に身を伏せた。直後、頭上を毒液が通り抜けていく。

 ボウもまたヒスと同じような体勢で毒液を回避した。

 そして、フラッグは――

 

「……やっちまったか」

 

 自嘲する言葉。ヒスとボウが慌ててフラッグの方を見ると、彼の腕と足には、紫の液体がべったりとへばり付いていた。

 生物たちが毒を吐く直前、彼の前には冒険者が一人立っていた。その冒険者が遮っていたことで生物の動きに対し、一瞬反応が遅れてしまい完全に避けることが出来なかったのだ。

 

「ううう……」

 

 フラッグは眉間に深く皺を寄せ、歯を食いしばる。その額からは汗が浮かび始めていた。

 皮膚に付いた毒液が染み込み出し、皮膚の下にある肉を蝕むことで激痛を生み出す。先程冒険者が騒いでいた理由を身を以って理解する。

「うあああああああ!」

 

 別の冒険者が、叫び声を上げる。その冒険者の腕に生物が噛み付いていた。

 

「離せ! 離せ!」

 

 武器を手に取り、無理矢理引き離そうとするが、武器を振り下ろす前に生物が頭を捻り、冒険者を地面に投げ倒す。

 

「うぐあっ!」

 

 背中から地面に叩き付けられる痛み。そして、投げる際に深く抉られた傷の痛みで呻き声を上げる。

 一瞬身動きが出来なくなる冒険者。そこに生物が容赦無く毒液を吐き掛ける。

 

「ぐああああああああああ!」

 

 激しい叫び声。吐き掛けられた毒液は冒険者の顔に掛かり、最初の犠牲者のように悶え苦しむ。

 その声を聞き、更に三匹の生物たちが加わり、動けなくなるまで毒液を浴びせ続けた。

 弱まっている者から確実に仕留めていく。一見残酷に見えるが、この生物たちは狩り方を熟知していた。

 

「くそっ!」

 

 剣を持った冒険者が生物の首に刃を叩き付ける。深々と食い込み、そこから血と毒液が混じった赤紫の体液が迸る。

 生物はそのまま地面に倒れ痙攣しているが、まだ息があった。

 

「これで!」

 

 止めを刺そうとする冒険者。すると背中に押されたような衝撃が走る。

 思わず剣を振り下ろすのを止め、振り返ってしまう冒険者。彼がそこで見たのはこちらに向けて大口を開いている生物であった。

 それを見て悟ってしまう。自分の背に、今何が張り付いているのかを。

 脳裏に浮かぶ醜悪な死体。それを考えてしまうともう既に平静でいられなかった。

 

「このっ!」

 

 吐き掛けてきた方を狙って剣を振り上げる。その途端、別の方向から足に毒液が掛けられる。

 

「チクショウ!」

 

 今度はそちらに向く、と同時に腕に毒液が掛けられた。

 少しでも視線を逸らせばそちらの方から毒液が飛んで来る。

 

「くそ! くそ!」

 

 体に染み込む前に毒液が付いた服をどうにかしなければならない。焦りと恐怖で、冒険者の視界が極端に狭くなる。

 周りを状況が把握出来なくなる。それは致命的な隙であった。

 

「があっ!」

 

 背後から飛び掛かった生物が首筋に喰らい付く。そして、そのまま地面に押し倒される。

 

「あがっ! あああ!」

 

 手足を激しく動かし、無様であろうとも何とか抜け出そうとするが、食い込む牙から流し込まれる毒が神経を冒し、更に血の流れに乗って全身を駆け巡る。

 激しい痙攣の後、冒険者は動かなくなった。

 生物たちと冒険者の攻防。冒険者は必死に抵抗して一匹一匹と倒していくが、その間に二人、三人と倒れていく。

 最初からあった数の差は縮める所か広がり続け、気付けば冒険者たちの数は三分の一まで減っていた。

 これを見て、フラッグはある決断をする。

 

「……お前ら、ここから逃げてアセの下に行け。俺が何とか時間を稼ぐ」

 

 その提案に二人の顔色が変わる。

 

「お前、何を言っているんだ!」

「……本気なのか?」

 

 ヒスとボウの反応は似ているようで異なっていた。ヒスは、フラッグの発言に少し怒りを込め、正気かどうかを確かめるもの。ボウの方は、本当に実行していいのか確認するものであった。

 

「構うな。どちらにしろ、この手足じゃ碌に動けない。足手まといになるだけだ」

 

 長年連れ添っているからこそ分かる。フラッグは本気である。命懸けでこの場から二人を逃がすつもりであると。

 

「だからって……!」

「――行くぞ」

 

 食い下がるヒスの肩をボウが掴み、強引に連れ出そうとする。

 

「そんなことが――」

 

 薄情な友に文句を言おうとしたヒスであったが、ボウの苦悶に満ちた表情を見て、言葉が出てこなくなってしまった。

 

「お喋りはそこまでだ。合図を出したら全力で走れ」

 

 そう言いながらフラッグは袖口を引き千切り、捩じって棒状にする。そして、いつも懐に仕舞っている携帯用の酒瓶を取り出してコルクを引き抜き、代わりに布を挿し込んだ。

 布で栓をした酒瓶を一回逆さにする。すると布に中の酒が染み込んでくる。

 更に懐に手を伸ばそうとするが、噛まれた傷が激痛を生み、上手く動かすことが出来ない。

 

「……使え」

 

 フラッグの意図を理解して、ボウが小さな箱を差し出す。指先で箱を押すと中が押し出される。中にはマッチ棒が入っていた。

 

「助かる」

 

 フラッグは微笑を浮かべながら、震える指先でマッチ棒に手を伸ばす。既に細かい動きも出来ないのか、箱の中に指先を捻じ込んで数本のマッチ棒を束にして掴み上げた。

 そして、そのまま箱の側面でマッチ棒を擦る。束ねたマッチ棒に一斉に着火し、大きな火となるとそれを酒が染み込んでいる布に点ける。

 フラッグは、火が点いた酒瓶を振り上げる。狙うは生物たちが最も密集している場所。

 全力を込め、それを投擲する。

 自分たちに向けて迫ってくるものに気付き、生物たちは左右に広がる。これにより投げられた酒瓶の軌道上に生物たちは居なくなってしまった。

 だが、それでもフラッグから不敵な笑みは消えなかった。元より生物たちを狙っていた訳ではない。

 酒瓶が勢い良く地面にぶつかるとガラス製の瓶が砕け散る。そして、中に入っていた酒が飛散すると同時に燃え盛る布の火が引火、着弾点を中心にして周囲が燃え上がる。

 その火を恐れ、生物たちは大きく飛び退く。

 

「今だ!」

 

 フラッグが叫ぶと同時にヒスとボウは走り出していた。

 即席の火炎瓶によって無理矢理抉じ開けた脱出路。この機を逃すわけにはいかない。

 多少の火傷は覚悟し、前方にある火の海を突き抜ける。

 衣服に燃え移っていないかを確認しながら、ヒスたちは背後を見た。生物たちはまだ火を恐れて追ってはこない。

 

「そうだ……それでいい……」

 

 二人の為に道を開いた。残るは一秒でも長く二人が逃げる時間を稼ぐだけである。

 フラッグは上着を脱ぎ、手早く剣に巻き付ける。そして、燃え盛る火に走って近付きその火を巻いた服に点火させた。

 油などではなく酒を用いているため、火は徐々に弱まっていく。それに伴い火から離れていた生物たちも近寄ってきた。

 

「来いよ。このトカゲもどき共」

 

 体中が激しく痛み、流れる血も止まらない。残っている冒険者はおらず、戦力はフラッグ一人のみ。

 それでもフラッグは燃える剣を構えて、生物たちを威嚇する。

 

「先に行きたければ俺を殺ってからにしろ!」

 

 咆哮のような叫びを戦いの合図とし、十数匹もの生物たちがフラッグへ一斉に襲い掛かった。

 

 

 ◇

 

 

 アセたちの馬車を追ってひたすら走る二人。幼馴染であり、戦友を犠牲にしてしまった後悔が胸に重く圧し掛かるもそれを無駄にしない為に必死に走る。

 前へ前へ。徐々に疲労が溜まっていく足をその思いだけで突き動かす。

 走れど走れど馬車の姿は見えない。だが、それでもヒスたちの脚は止まらなかった。

 そのとき、ガサガサと木々の葉が擦り合う音が道の脇から聞こえてくる。

 

「止まらないで走るぞ!」

「分かっている!」

 

 追って来たのではないか、という疑念が胸の裡に湧き同時に焦りと恐怖が再び宿ってくる。

 先へ先へと走る二人。それを追う音。付かず離れず、その絶妙な間が二人の心を蝕んでいく。

 歯を食い縛りながら走るが、突如ヒスが足を止めた。

 

「おい!」

「調べてくるから先に行け!」

「何を言って――」

「こいつらを連れて行ったら何が起こるか分からない! 仕留められる内に仕留める!」

 

 足を止め咎めようとするボウであったが、ヒスの気迫に押され言葉が止まってしまう。

 

「一人でも! 一人でも辿り着ければいいんだ! 俺は残る! お前は行け!」

 

 何か言いたげな様子でボウは顔を歪めるが、結局何も言うことが出来ずヒスに言われたまま先へ行く。

 ヒスはボウが離れて行くのを背中越しに感じながら腰に差してある剣を抜く。足音の主があの生物かどうか最早どうでもいい。姿を確認するよりも先に殺すことを決意していた。

 足音が近付いた瞬間、その音の方に向かってヒスは飛び掛かっていた。

 草木を折りながら飛び掛かった先に居たのは、やはりあの生物である。急に現れたヒスに驚いたのか、その場で硬直する生物にしがみつくと同時にその胸元に刃を突き立てる。

 絶叫を上げて身を捩る生物。ヒスは足も絡ませて振り解かせないようにすると刺した剣を引き抜き、再度刺す。

 

「くたばれ! くたばれぇぇぇ!」

 

 何度も何度も怒りを込めて突き刺す。引き抜く度に血が噴き出し、体に掛かるが構う暇など無かった。

 やがて生物は絶叫を上げるのを止め、その体は力を失いゆっくりと傾いていく。しがみついていたヒスもそれに巻き込まれて地面へと倒れる。

 すぐに体を起こし、剣を引き抜くと倒れた生物の顔に向かって剣を繰り返し突き刺す。

 生物が絶命していることに気が付いたのは、突き刺す回数が十を超えた辺りであった。

 

「はぁ! はぁ! はぁ! はぁ!」

 

 心臓が今まで経験したことがないぐらいに早く動いているのが分かる。

 気付かなかったが全身が汗で濡れている。激しく動いたせいで流れた汗か、あるいは生死の挟間にいたことへの恐怖からくる冷や汗なのか、今になっては分からない。

 

 ――勝った。

 

 その実感が動かなくなった生物を見下ろして数秒経った後に湧いてくる。

 胸に込み上げてくるのは喜びではなく生を繋げることが出来たという安堵であった。

 本当ならばずっと浸っていたいところであったが、先に行ったボウの安否が気になりすぐにこの場を離れようとする

 刺していた剣を鞘に戻した。

 次の瞬間、ヒスの肩に激痛が走る。

 

「があっ!」

 

 苦鳴を上げ、急いで目を向けるとそこには肩へ喰らい付く生物の姿。

 完全に油断していた。冷静に考えれば、群れで動いていたあの生物が単独で動くことに違和感を覚えるべきであった。

 先行していた一匹にまんまと釣られ、もう一匹に対し隙を見せてしまった自分の迂闊さを呪うしかない。

 

「が、ぐう! あああ!」

 

 傷口に熱した鉛でも流し込まれたような、熱に似た激しい痛み。声を我慢することすら出来ない。

 その痛みに心が折れそうになる。だが、このときヒスは思った。

 あのときフラッグはこの痛みに耐えながら自分たちを逃してくれたのか、と。

 

「うぐあ! あああああああああ!」

 

 そう思うと折れそうになっていた心が激しく燃え上がる。自分に、そして戦友にこのような苦しみを与える生物に対する怒りを燃料にして。

 気付けばヒスは走り出していた。肩に喰らい付く生物を抱えたまま。

 木の枝をへし折りながら、雑草を踏みつけながらどこに向かっているのか自分でも分からないまま夢中で走る。

 すると、目の前の道が突如途切れる。

 ヒスの視点では分からないが、そこから先は崖になっており数十メートル下には生い茂った森が広がっている。

 

「おおおおおおおおおお!」

 

 ヒスは一切の躊躇はせず途切れた道を進み、生物にしがみつかれたまま崖から飛び出す。

 恐怖が無いと言えば嘘になる。だが、この生物に噛まれたときから半ば助かることを諦めていた。

 限り少ない命。どうせ使うならば戦友の為に、そして、この憎き敵の為に投げ捨てようという決意がヒスを突き動かしていた。

 一瞬の浮遊感の後、ヒスと生物は数十メートル下にある森へと向かって共に落下していった。

 

 

 ◇

 

 

 走ること数分。その間にボウは何度も背後を見ていた。先に行けといったヒスの姿がそのうち見えるのではないかという淡い希望から来る行為であった。

 しかし、何度振り返ってもヒスの姿は見えない。

 冒険者とは常に危険と隣り合わせの職業である。いずれはこんな日が来ることは覚悟していた。だが、実際にその日が来てみれば常日頃からしていた覚悟など何の意味も無いことを痛感させられる。

 

(くそっ! チクショウっ! 何でだ! 何故だ! どうしてだ!)

 

 行き場の無い憤りが心の中で何度も繰り返される。無意味と分かっていても少しでも感情が冷めるようなことをしなければ、頭がどうにかなってしまいそうであった。

 そのとき前方に停車している馬車を見つけた。相当な距離を走る覚悟をしていたが、思っていたよりも近い距離にあった。

 恐らくは付いて来ない後方の馬車に気付き待っていたのであろうと考え、ボウは急いで駆け寄る。

 このとき彼は、もっと冷静になって考えるべきであった。

 停車している馬車の周りに人の姿が全く無いことを不自然に思うべきだった。だが、戦友たちを失ったことで心身共に弱っている彼には、不自然に止まっている馬車ですら光明に見え、一筋の希望にしか見えなかった。

 この直後、その希望が潰えることを知らずに。

 停車した馬車の側まで行き、中のアセたちに救けを求めようとしたボウ。しかし、彼は見てしまった。馬車の陰によって遮られていた、その先の光景を。

 

「う……ああ……」

 

 無様に呻くことしか出来なかった。

 鎧を纏い、上質な武器を持っていたアセの護衛たちが、その身を紫の毒液によって侵され変わり果てた姿で地面に横たわっている。そして、物言わぬ肉塊となったそれを貪るのは撒いたと思っていた生物たち。

 その中で一際目立つのは、他よりも一回り以上大きな鼻先の瘤、そして体格を持つ生物の姿であった。

 文字通り頭一つ抜けた大きさの生物を見てボウは確信する。

 

(こいつが……こいつが群れのボスだ!)

 

 勝てない。戦う前から心が折れてしまう。あの体格さ、数、どれを見ても勝ち目など皆無。ここまで何も望みが無い状況は初めてであった。

 

(に、逃げないと……)

 

 何処へなどいう考えは一切無かった。ただ一秒でも早くあの生物たちから離れたかった。

 ゆっくりと後ずさりをしたとき、パキリという音が足元から鳴る。

 慌てて視線を落とす。足裏に折れた枝が見えた。

 体中から汗が噴き出す感覚を覚えながら落としていた視線を元に戻す。

 獲物を喰らっていた生物たちは食事を止め、一斉にボウの方を見ていた。群がっていたせいで分からなかったがボスたちが食べていたのは雇い主のアセであった。尤もかつての面影や原型など無く、分かった理由も趣味の悪い目立つ衣服の御蔭である。

 捕食者たちの視線を一身に浴びたボウは反射的に踵を返す。

 それを見た瞬間、真っ先に動いたのは統率者であるボスであった。

 両脚の筋肉が瞬時に膨れ上がる。そして同じく瞬時にそれを開放させるとボスの巨体が宙を飛ぶ。

 高々と飛んだボスはボウの頭を超え、彼の眼前に降り立つ。

 いきなり現れたボスに理解出来ず、その場で急停止してしまう。

 ボスの喉が膨れ上がる。その動きを見て毒を吐こうとしているのが分かるが、理解していても咄嗟に体が動かない。

 そして、喉からせり上がってきた毒液がボウに向かって吐き掛けられた。その量は生物たちが一度に吐く毒液の量を遥かに上回っており、浴びせられたボウの足元に一瞬にして毒溜まりが出来上がる程である。

 

「あが…が……が……」

 

 全身に浴びせられた毒は直ぐに体に染み込んでいき、血や肉を融かしていく。その際に生まれる痛みは筆舌し難く、まともに声すら上げられない。

 毒溜まりの中で悶えるボウ。苦しむ彼の周りには既に十を超える生物たちが取り囲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一体どれくらい気絶していたのであろう。体中に走る激痛と共にヒスは目を覚ます。

 傍らには首をへし折られた生物の死体。その周りには折れた枝や葉が落ちていた。

 あの高さから落下して助かったのは、この生物と木によって勢いが殺されたおかげらしい。

 

「へっ……ざまあみやがれ……」

 

 死んでいる生物に罵る言葉を吐くとヒスは立ち上がるが、その途端痛みと眩暈が起こる。

 生物に噛まれた傷。そこから夥しい量の血が今もなお流れ続け、横たわっていた場所は血の溜まりが出来上がっている。

 最早、自分の命は長くは無い。それを悟りながらヒスはその場から歩き始めた。

 行く当てなど何も無い。だが、ただ黙って死を待っていることなど出来はしなかった。

 道なき道を方角も分からずに歩き続ける。一歩踏み出す度に血が地面に落ち、真っ赤な軌跡を残していく。

 体が徐々に冷たくなってくる。視界が狭まってくる。音が遠くに離れて行く。あれ程の痛みを感じなくなってくる。

 死人へと近付いていく体。しかし、それでもヒスは歩みを止めない。

 

「誰か……誰か……伝えないと……」

 

 譫言の様にそれを繰り返す。襲ってきたあの生物のことを誰かに伝えなければ、いずれ大きな厄災となる。

 纏わり付くような草木を掻き分けて進む。すると開けた道に出た。明らかに人や馬車が通る為に施工された道。

 希望が見えた。

 その道を歩くヒス。だが歩けど歩けど何も見えない。

 

(不味い……このままだと……)

 

 あとどれくらい持つのか分からない。手足に感覚は殆ど無くなり、辛うじて体が動いているだけである。

 やがてそれも限界を迎え、ヒスは力無く地面に倒れた。

 

(すまない……すまない……)

 

 仲間たち詫びの言葉を言いながらヒスの意識は途絶え――

 

「おい。聞こえるか?」

 

 ――る前に起こされ、誰かが話し掛けてきた。

 最期の最期で幸運がやって来た。最早目が見えないので誰が起こしているのか分からないが、今はそんなことをどうでもいい。伝えなければならないことがある。

 自分の身に起こったことを話そうとした瞬間、声が出ないことに気付き愕然とする。

 結局最期の機会すら潰してしまった自分の情けなさに涙が出そうになる。

 

「喋られないか? それでもいい。何が起こったのか思い出せばいい」

 

 相手が何故そんなことを言うのかは分からなかった。だが、言われた通りヒスは自分の身に起こったことを思い出す。

 

「――そうか。分かった。良く生き延びた。もう眠れ。君は十分頑張った」

 

 最後にそう言われ、どこか安堵した気分となり、ヒスの意識はそこで途絶えた。

 

 

 ◇

 

 

 名も知れない冒険者の瞼を閉じ、彼は立ち上がると後ろにいる者たちに声を掛ける。

 

「彼も連れて行く。丁重に扱えよ」

 

 そう指示された者たちは嫌な顔一つせず、その亡骸を運んでいく。

 

「あと君たちは暫くここで待機していてくれ。一時間程で戻る」

 

 そう言って彼は乗って来た馬車に行くとその扉をコンコンと指先で叩く。

 

「一仕事終えた後で申し訳ないんですが、もう一仕事手伝って欲しいんですが?」

 

 すると扉が開き、中から白い布で包んだ筒を持った初老の大男が降りる。

 

「……」

「ちょっと敵討ちに付き合って貰えませんか? ディネブ殿?」

 

 素顔を隠す仮面からは隠し切れない眼光が放たれていた。

 散って逝った冒険者たちの無念が、確かな希望へ結びつく。

 




これにて鳥竜種編は終わりとなります。
バッド、バッドと来たので最後はビターな感じのエンドとしました。
今まで名前付きのキャラは死ぬことはありませんでしたが、今回の話は名前付きでも死ぬ話となっております。
まあ、名前の由来が
ヒス→HIS→SHI→死
ボウ→BOU→亡
フラッグ→フラグ
アセ→ASE→ESA→餌
となっておりますから。
我ながら酷い名前の付け方ですね。
暗く絶望的な話ばかりだったので次は希望のある話にする予定です。

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