一本一本の樹々が太く大きく育っている為、見渡す限り緑が一面に広がっている広大な大地。それは雨が多く降り、強い日差しが降り注ぐこの土地特有の気候によるものである。
多くの植物が生息している土地である為、それに惹かれて草食動物たちもこの地に集まり、更にその草食動物たちを餌とする為に多くの肉食動物たちもまたこの土地へと集う。
そして、その肉食動物をとある目的で狩る為に訪れている者たちがいた。
ヒュン、という風を切る音がした後、木の枝から何かが落ちてくる。
木々の根元に落ちてきたのは黒い毛並みをした一匹の獣であった。艶かな黒い毛、三角の耳、鋭い牙、縦に割れた瞳。気品さえも感じさせる獣。だが今、その獣は息絶えようとしている。
胸に刺さった一本の矢によって。
「ははははは! 命中だ!」
大きな笑い声を上げながら恰幅の良い男が獣へと近付いていく。背には矢筒、手には弓が握られており男が矢の主であることを示していた。
恰幅の良い男を挟むように二人の男が並んであるく。湿気の強いこの地に不似合いな金属性の鎧を纏い、手には槍を携えている。
鎧の男たちは手負いの獣に前に立ち、その背後から恰幅の良い男がニヤニヤと意地の悪さを顕している笑みで見下ろしている。
「惜しい、惜しいな! あとちょっとで心臓を貫いていたというのに……」
弱りつつある獣に対し何の負い目も無いらしい。逆に上手く射られなかったことの方が重要であるらしい。
獣が傷ついた体に鞭打ち立ち上がろうとする。だがそれよりも先に護衛の男たちの槍が獣の首を貫き、今度こそ絶命させる。
「次はもっと上手く当てられそうだ! お前たち! さっさとこれを処分しろ! 待つ間に腕が鈍る!」
上機嫌そうなさっきとは打って変わって、きつい口調で背後に立つ人物たちに声を掛ける。恰幅の良い男の背後には十数人の男たちが立っていた。護衛をしている男たちとは違い、革製の防具を纏った質素な格好をしている者が殆どである。
その中から三人の男が前に出てくる。
「分かりましたー」
如何にもやる気が無いという喋り方をする赤茶色の髪をした二十代半ばの男。口調と同じくらい表情にもやる気が無い。
そんな男の態度に両隣に立つ同じくらいの男たちが注意するように片方は肘で突き、もう片方は脚を軽く爪先で蹴る。
幸い恰幅の良い男は弓の手入れの方に夢中になっており、返事の方を碌に聞いていなかった。
三人の男たちは息絶えた獣の前にしゃがみ込み。
「ああいった態度は止めておけよ、ヒス」
男の一人が小声で咎める。
「気が乗らないんだよ」
ヒスと呼ばれたやる気の無い男は露骨に嫌そうな表情で獣に触っている。
「嫌でもやるんだよ。これも飯のタネだ。なあ、ボウ?」
「フラッグの言う通りだな」
ボウと呼ばれた男は三人の中で最も体格が良く頭一つ分だけ抜けている。短く揃えた短髪に衣服越しでも分かる太い手足をしており、鍛えているのが分かる。
フラッグはヒスと変わらない体格であるが、頬には獣によって付けられたのか斜めに走る三本の傷痕があった。
「金持ちの道楽の後始末か……泣ける仕事だぜ」
三人とも幼い頃からの知り合いであり、ギルドに属していないフリーの冒険者であり、彼ら以外の者たちもそれぞれの事情でギルドに属していないものばかりである。
何故、これほどの数が集まっているのかというと、単にこの仕事の報酬が良いからである。
内容は今も弓を弄っている富豪――名はアセという――の趣味に付き合い、その処理である。
狩猟を趣味としているアセ。度々、この様な辺境の地に来てはその土地に住む獣たちを飽きるまで狩っていた。
狩った獲物は証として牙や毛皮にして自宅に飾っている。その獲物の牙を抜いたり、皮を剥いだりする役目としてそういった経験の多い冒険者を同伴させているのである。
アセの両隣に立っているのはアセ直属の護衛であり、冒険者たちとは一線を画しているのを表すかのように上等な装備を纏っていた。
息絶えた獣の前に立つ。生気を失ったガラス玉のような目にヒスたちの姿が移り込んだ。
「そんな目で見ないでくれよ」
顰めた表情のままヒスは短剣を取り出し、その切っ先を獣の体に刺す。手に伝わってくる感触に表情を更に歪めた。
「嫌な感触だ」
獣の皮を剥ぐのは初めてという訳ではない。何度も経験がある。だが、ヒスはこの作業に慣れなかった。
漂ってくる生臭い血の香り。残っている生暖かさ。短剣から伝わってくる肉の感触。時折、当たる骨の硬さ。どれもこれもが不快にさせる。
「そういうことは一々口にするな」
愚痴を吐くヒスを窘めながら、ボウは手慣れた手付きで獣を解体していく。
「こういう作業も嫌いだが、いけすかない金持ちの道楽に付き合うってのがほんと情けなくなるぜ」
「だからそういうことを口にするなって言っているだろうが」
小声で話しているが、いつ聞こえるかもしれないとアセたちの方に注意を向けながら、さっきよりも強めの口調で自重するように言う。
「文句を言うのは結構だが、そのいけすかない金持ちの金で食い繫いでいるのは、どこのどいつだって話になるんだがな?」
「だからこそ情けないって話だ」
皮肉を言うフラッグに対し、ヒスは現状を理解はしつつも納得出来てない様子であった。
「口よりも手を動かせ」
会話が長くなりそうな気配を察したのか、ボウはさっさと作業を終わらせるように言う。フラッグの方はそのまま何も言わずに作業に集中し始めたが、ヒスの方はため息を一つ吐いた後に作業に入った。
皮と肉の間に刃を走らせ丁寧に剥いでいく。余分な肉を付けないようにし、毛皮にも傷を付けないように気を配る。
湿気の多い場所ではニオイもひどいことになったが、それでも与えられた作業を熟していく。
十数分後。毛皮は綺麗に剥ぎ取られ、後に残るは肉や骨が剥き出しとなった獣の死体だけである。
流石にこのまま放置するのは哀れだと思い、何の慰めにもならないが土にでも埋めてやろうと考え、ヒスが行動に移ろうとしたとき――
「ほら、さっさと次に行くぞ」
アセの方から移動をする指示が飛ぶ。
「あの……この死体は?」
「うん? 放っておけ。 早く行くぞ。ここは臭くてたまらん」
不機嫌そうに顔を顰めて言うアセに『てめぇが出したもんだろうが!』という言葉が喉まで出かかる程の怒りを覚える。
が、結局言葉にすることは出来なかった。狩りを止めず、それどころか皮剥ぎなどという加担までしている自分に彼を咎める権利など無く、行き場の無い怒りの炎は胸の裡にあった後ろめたさですぐに鎮火してしまった。
後ろ髪引かれる様な思いだが、ヒスは獣の死体に背を向け立ち去ろうとする。他の二人も同様であった。
しかし、そのとき――
「ん?」
歩き始めようとしたヒスが立ち止まり、振り返って背後を見る。
「どうした?」
ボウが声を掛けてくるがヒスは答えずにじっと一点を見つめている。
獣の死体の向こうにある茂み。そこから何か視線のようなものを感じた。
ヒスはそれが気になり茂みへと近付いていく。
「おい、どうしたっていうんだ?」
もう一度ボウが聞いてくるが、無視して茂みの前にまで行くと、腰に収めていた剣を引き抜く。
一度深呼吸をした後、剣を使って茂みを掻き分けた。
ガサガサと擦れ合ってなる草木の音。掻き分けた隙間に一歩踏み込もうとしたとき――
「ここにはもう用はないぞ」
背後から伸ばされたフラッグの手によって引き戻される。
「いや、何か居たような気が……」
「何かって何だよ?」
「それを今、確認しようとしてたんだよ」
「今もいるのか?」
そう言われて茂みの方を見る。さっきとは違い今はあのとき感じた視線が無くなっていた。
「――今は無い」
「なら長居する理由も無いな。居ないんだから」
そのまま強く引っ張られ無理矢理後退させられる。気になることは気になったが、これ以上長居をすればあの富豪がどんな癇癪を起すか分からず、ヒスは仕方なくされるがまま茂みから離れ、次の狩場に移動する為の馬車に乗った。
「さてさて、金と時間は有意義に使わないとな」
次なる獲物のことを思ってニタリと嫌らしい笑みを浮かべながらアセも馬車に乗り、御者に指示を出し走らせる。その後に続き、冒険者たちが乗った馬車も走っていくのであった。
アセたちが去って間もなく、ヒスが覗き込んでいた茂みの奥がざわつく。
茂みの裂け目から覗く眼。縦に割れた瞳がアセたちの去っていく方向を見ると、茂みの中からけたたましい咆哮が上がる。
すると草木が激しく揺らしながら何かが移動し始めた。それも一つではなく十数もの数が一斉に馬車が走っていった方角に向かって動いている。
それらが移動していくのを見届けてから咆哮の主もまた移動し始めた。
踏み出すとその振動で枯れた木の葉が木から落ち、先行していったモノたちが潜っていった木の枝を折りながら進んでいく。
その移動は先に移動していたモノたちに比べると荒々しく騒がしいものであった。
◇
悪路の上をガタガタと揺れながら馬車は走る。
馬車内では十数名の冒険者たちが座っていたが冒険者同士での会話は殆ど無い。フリーの冒険者故に他人と共に行動することが殆どなく、また行動していてもすぐに離れることになるのを知っているが為にフリーの冒険者たちは必要以上の干渉はしない。三人で行動しているヒスたちの方が珍しいのである。
気分転換に外を眺めようにも馬車には窓は無く、出入りする為の扉だけしかない最低限の作りである。
重苦しさを感じさせる空気の中、ヒス、ボウ、フラッグはなるべく声を抑えながら暇つぶしの会話をしていた。
あとどれくらいのこの揺れに身を任せなければならないのか。そんなことを頭の片隅で思っていたヒスであったが、突然馬車が激しく揺れた。
「うおっ!」
「うぐっ!」
右に大きく振られたことで馬車内にいる冒険者たちは次々と馬車の壁面に体を叩き付けられ、驚きや呻きの声を上げる。
「何してんだ! 下手くそ!」
壁面に顔を打ち付けた冒険者の一人が顔を抑えながら怒号を上げると、走行中にも関わらず扉を開けてしまう。
そしてそこから身を乗り出す。
「きちんと運転を……」
御者が座っている台の方を見て言葉を詰まらせる。
「どこだ! どこに行った!」
激しく動揺した声。男の言葉が何を意味しているのかを皆が察し、その動揺が馬車内で一気に広がる。
今、この馬車は御者無しで走っている。
そんな状況が続けばどうなるか容易く想像出来る。現にこの馬車は凄まじい速度で蛇行しながら走行しているのである。
いつ転倒するかも分からない。
「おい! 探していないでお前が手綱を握れ! すぐに止めろ!」
「お、俺は馬車なんか動かしたことねぇよ……」
「情けないことを言っている場合か! 手綱を引けば止まるように躾けられているから早くしろ!」
扉の前に立つ男に他の冒険者がすぐに停止させるように指示する。やったことのない作業に弱腰を見せるが、必死になって怒鳴る冒険者の剣幕に押され、渋々といった態度で扉から身を乗り出し、慎重に御者台に移ろうとする。
「何てこった……ついてねぇ」
突然の事態に天井を見上げながら嘆くヒス。そんなヒスの隣で、表情は変えないものの組んだ腕をせわしなく指先で叩くという一目見て分かる動揺をするボウ。
「馬車から落ちたのか? 一体どうして?」
いつ馬車が事故を起こすか分からない状態の中で、自分の安否よりも姿を消した御者という不自然な事態に疑問を抱くフラッグ。
三者三様の姿を見せる。
「くそ! 何で俺が……」
愚痴りながらも不安定な状態となっている馬車から御者台に必死に移ろうとしている男。
だが――
「ん? 何だあれ!」
外に身を乗り出していた男が何かを見て驚いた声を上げた。その瞬間、男は引っ張られるように扉から外へと飛び出していく。
「嘘だろ!」
「おい! 何やってんだ!」
更に馬車から落ちた男を見て、周りの冒険者たちは信じられないといった顔をする。直後、馬車内が横へと傾く。内部で起こる浮遊感、誰もが馬車が転倒したことを悟る。
「身を守れぇぇぇぇぇぇ!」
思わずヒスが叫ぶ。
激しい音と共に馬車は横転。その中にいた冒険者たちは一斉に壁に叩き付けられ、人が人に押し潰される状況となる。
横転した馬車は地面を滑っていくがやがて速度を落とし、止まる。
盛大な事故を起こした馬車内部では冒険者たちの呻き声が重なっていた。
「生きてるか……?」
顔に靴底を押し付けられた状態のヒスが仲間の安否を尋ねる。
「生きてるよ……気分は最悪だがな」
頭に乗せられている腕をどかしながら不機嫌そうな口調でボウは答えた。
「――こっちも生きている」
フラッグもまた無事の報告をする。幸い三人とも目立った傷は無い様子であった。
頭を振りながらヒスは上を見上げた。転倒した馬車は扉を上にして倒れているが、幸い少し背を伸ばせば手が届く程の高さである。半開きになった扉からは光が差し込んでいた。
「早く出るぞ」
そう言って三人の中で一番背の高いボウが扉に向けて跳び上がると縁を掴み、そのまま腕の力のみで体を持ち上げ、馬車の外へと出る。そして、中にいる者たちに手を伸ばした。
「来い」
「おう」
続いてヒスがボウの手を掴み、持ち上げられる。
馬車の外に出るとヒスは周囲を確認する。転倒した拍子で怪我でもしたのか馬車を引いていた馬は横たわって動かない。
先頭を走っていたアセたちの馬車はこちらの事故に気付いていなかったらしく、先へと進んでしまっており姿も見えない。
「少しは気を配れよ」
舌打ちをしながら薄情なアセを謗るヒス。その間にも馬車からは次々と冒険者たちが引き上げられていた。
「ん?」
何気無く後方を確認したヒスはあるものを見つける。
十数メートル離れた場所にうつ伏せに倒れた人。恰好から見て、間違いなく転倒前に馬車から落ちた冒険者であった。
「おい! あれ!」
「何だ? おっ!」
ヒスに言われてボウも気付く。
「悪い。様子を見てくる」
「ああ、こっちは俺がやっておく」
馬車から飛び降りるとヒスは倒れている冒険者に駆け寄る。
倒れた冒険者の前に立ち、無事を確かめる為にしゃがみ込もうとしたとき、ガサガサと近くの茂みが鳴り、そこから――
①赤い鶏冠に青い鱗に黒い縞が入った見たことも無い生物が、四肢に付いた鋭い爪を見せつけながら現れた。
②緑と橙色の縞模様が入った鱗に一対の鶏冠を持った見知らぬ生物が、口外まで伸びている長く尖った牙を見せながら現れた。
③朱色の鱗に黒の斑模様が入った外観を持ち、鼻先が瘤の様に膨れ上がった初めて見る生物がこちらに口を開けながら現れた。
取り敢えず三匹全部の話を書く予定です。