とある砂漠にて大きな戦いがあった。多くの武力を用いて行われた戦い。しかし、それは戦いとは到底呼べるものではなく一方的な蹂躙であった。
「退け! 退けぇぇぇぇぇ!」
「応援はまだかぁぁぁぁぁ!」
「足が! 俺の足が!」
「嫌だぁぁぁ! もう嫌だぁぁぁぁ!」
「そんな馬鹿な……アレが負けるだなんて……」
「化物だ! こいつらは本当の化物だ!」
阿鼻叫喚の叫びと死屍累々となった砂漠。死体から流れ出す血は砂漠一面を赤く染め上げる。
そんな生き地獄のような光景を、離れた場所で見詰める複数の影が有った。地獄で悶え叫ぶ者たちとは格好からして違い、重厚な鎧と絢爛な刺繍と装飾の施された衣服を纏っている。
「ここまでか……」
「……申し訳ございません。『アレ』らを可能な限り投入しても叶いませんでした。……これ以上『アレ』を失うこととなれば数を揃えるのに数十年の時が必要となります」
「よい。この戦い、我々の負けだ」
一際豪華な衣装を纏う壮年の男性が負けの言葉を述べると、その周囲に座る臣下と思わしく面々は悔しさのあまりか目に涙を浮かべる。
「あと一歩! あと一歩で陛下がこの地の全てを手に入れられたといのに!」
「陛下! どうか我々に命を下され! さすればこの命! いや魂すらも捧げてあの怪物共を道連れにしてみましょう!」
「どうか、どうか! 我々に命を!」
血を吐くように出て来る無念の言葉。叶わないと分かりつつも一矢報いようとする意地。最後まで貫き通そうとする忠義。
だがそれでも壮年の男性は首を横に振る。
「よいと言った。お前たちの気持ちは嬉しい。だがここでその命を失わせるのは惜しい」
壮年の男性の言葉に周囲に並ぶ者たちは涙を流し、声を押し殺してはいるが耐え切れず嗚咽が漏れる。
「良く戦い、良く生き、良く抗った。後悔が無いと言えば嘘になるが、我が夢を果たせなかったのも運命。だが我が道を阻む為にあれほどのモノを送りつけて来るとは、運命とやらも些か焦ったように見える」
視界に映る光景を見ながら壮年の男性は薄らと笑みを浮かべた。諦観などから来る笑みではなく、心の底から納得しているような爽やかさを感じさせる笑みであった。
「我が覇道を阻んだ『朱き盾』よ、我が野望を断ち切った『青き剣』よ。お前たちの強さは私が今まで戦ってきた中で最強であった!」
賞賛の言葉を上げながら壮年の男性は自らの野望〈ゆめ〉の終わりを高らかに叫んだ。
この日、ある国が大敗を喫した。その日以降、この国は衰退していき間も無くして地図から名を消すこととなる。
歴史上類を見ない大国が何故突如として衰退していったのか、それは誰にも分からない。
そしてこの日から数百年の時が流れる。
◇
周囲に遮蔽物など何も無く見渡す限り広がる、砂、砂、砂。
天から注ぐ強い日光と雨が全くと言っていい程無い気候のせいで、植物が殆ど育つことが無い不毛の大地。砂が舞い、それによって色の付いた風が吹く。
その大地を知る者からは『大砂海』と言う名でと呼ばれる場所であった。
砂が擦れる音、風が吹き抜けていく音しか木霊しない土地でその二つの音に混じり、聞こえてくる別の音があった。
「あ~あ~晴れた青空と~! あ~あ~流れ行く雲~!」
少しずれたテンポで唄う歌。聞く者が居ればお世辞にも上手いとはいえないその歌に眉を顰めるであろうが、大砂海で在る為当然のことか歌を歌っている人物の周囲には殆ど人がいない。唯一居るのは歌い手の後をついてくる一人の少女のみ。
その少女は歌のせいで、うんざりという言葉が顔に浮き出る程に疲れた表情をしていた。
「ししょー、いい加減その歌止めてくれませんか? もう何十回も聞いているんですが?」
少女の咎める声に師匠と呼ばれた――先程まで歌っていた――男性が立ち止まり、背後へ振り向く。
「やれやれ……この歌の良さが分からないとは我が弟子ながら芸術に疎い奴だ」
困った風に首を振る男性。見た目の年齢は二十代後半から三十代前半。意志の強そうな目をした精悍な顔つきをしている。
強い日差しを遮る為に茶色のマントで身体を覆っているが、その隙間からは使い古された白の半袖の服、そして裾が擦り切れている深緑色のズボンが見える。
皮製のつば広帽子を被り、その背には大きな皮袋を背負っている。
そんな男性を後ろで愚痴る少女は十代前半といったところで砂のせいで、薄汚れてはいるが可憐な容姿をしている。男とは違い頭部まで覆うフード付きのマントを纏い、日差しで焼けないように男と似た白い長そでのシャツと深緑色のズボンを履いている。
その背にはやはり男と同じ皮袋を背負っているが、男と比べると一回り程小さかった。
「芸術云々なんてどうでもいいですよー。そんなに大声出して唄っていたらすぐに喉が渇いちゃいますよー」
少女は気遣うような言葉を言いつつ、背負っている皮袋へ手を伸ばす。そして中から楕円系の膨れ上がった袋を取り出した。袋の一部には金具が嵌められており、そこに口を付けて吸う。すると中から水が出て来た。
この袋は動物の胃を加工して作った貯水用の袋であり、少女の背負う皮袋の中身の殆どがこれである。重量を考えれば相当なものと思われるが、事前に魔術師によって重量軽減の魔法を掛けられているので実際の重さは通常時の十分の一程になっており、小柄な少女でも背負うことが出来ている。
「ピリム。お前こそ飲むペースが早いぞ。もっと計画的に飲め。ここじゃ水は命と同等と思え。水を失うことは命を失うことに繋がるぞ」
男の言葉にピリムと呼ばれた少女は少しバツの悪そうな顔をし、袋の半分程の水を飲むと背中の皮袋にしまう。
「そんなこと言っても乾くものは乾いちゃいますよ」
「先のことを考えて行動するのは結構だが、あまり目先のことだけに捉われてもっと先のことを考えろ。お前、自分がどれだけ短い間隔で水を飲んでいるか分かっているか? いつも言っているだろう、冒険者の心得その一『冒険者たる者――』」
「『自分の欲をきちんと抑えること』ですよね? 分かりましたよー」
男の苦言にピリムは口を尖らせながらも反省の意を示す。
「なら良し。おお~、麗しき光~。それは奇跡の如く~」
それ以上の説教はせず、気を取り直したように別の歌を歌い始める男。相変わらずテンポのずれた歌い方にピリムは顔を顰めるのであった。
「ところで師匠ー、本当にこの方角であっているんですよねー? さっきから建物どころか、木の一本すら見えないんですがー?」
「ああ、多分な」
「え? 多分って……自信満々でずっと同じ方角を進んでいたじゃないですかー!」
男の言葉に顔色を変え、思わずその言葉に噛み付く。しかし、男は弟子の咎める言葉にもケタケタと笑うだけであった。
「人の噂話を掻き集めて大よその位置を推測して歩いているだけだ。それに誰もが知っているような手垢の付いた場所を俺が探す訳無いだろうが。何年俺の弟子をやっているんだ?」
目的地の明確な場所が分からず、下手をしなくてもこの大砂海で野垂れ死ぬ可能性があるというのに笑う男に、ピリムは心底疲れたような溜息を吐いた。
「もしも死んじゃったらあの世でも怨みますよー」
「似たような経験を何度も積んできたじゃないか、今度も上手くいくさ」
「今度こそ駄目かもしれないじゃないですか!」
楽観的な台詞に思わず怒鳴り声を出して抗議する。
「冒険者の心得その七『後ろ向きな考えは程々――』」
「『前向きな考えも程々』って言っても師匠は考え方が前向き過ぎですよー!」
再度抗議するピリムに男は五月蠅そうに耳の穴に指を入れ、外部の音を遮断する。
「はいはい。分かった分かった」
「絶対分かってないですよー! 大体いつも!」
「はいはいはい――はい?」
ピリムの愚痴を聞かされていた男が突如立ち止まり、その場からある方向に視線を固定する。
「師匠?」
動きを止め、凝視し始めた男を見てピリムも男が見ている方向に目を向ける。
大小様々な砂の丘が果て無く続いている。
「んんー?」
最初は何も見えなかったが、目を細めじっと観察すると徐々にではあるが見えてくるものがあった。
砂漠を疾走する複数の影。それはこの砂漠地帯では移動の手段として重宝されている動物、砂馬であった。その名の通り馬に似た外見をしているが全身を砂色の体毛で覆い、首筋に大きな瘤を持つという特徴がある。
暑さに強く、砂地では平地の馬並に走れるとして砂漠に住む者にとっては無くてはならない存在であった。
余談ではあるが大砂海を渡る前、ピリムは砂馬を借りることを提案したが予算を理由に却下されている。
砂馬に跨るのは、頭から下まで布に包まれた砂漠の住人特有の格好をした男たち。
ピリムはそこから砂漠の男たちが走っていく方向に視線をずらす。するとそこには男たちから追われているらしき人の姿。白地のローブを全身に纏っている為、確証は持てないが走り方から女性と思われる。
「師匠! 女の人がって――って、あれ!」
ピリムが助けに行こうと言うよりも前に男の姿は無く、そこには置かれた荷物のみ。あまりの早業に驚くしかない。
「もう行っちゃったんですか! 私を置いて!」
周囲を見るが姿が見えない。もう既に見えない位置にまで行ってしまったらしい。いまだ見習いの自分が行けば足手纏いになることは分かっているが、それでも弟子であり、またか弱い女性である自分に何も言わず置いてけぼりにすることを大いに不満に感じつつ、ピリムは男が向かってであろう女性の方へと再び目を向けた。
「あっ」
そこで彼女は追われている女性が転倒する瞬間を目撃した。
◇
「はぁ……はぁ……はぁ……」
柔らかい砂に足を奪われ、顔から砂地に転倒する。顔に砂が付き、口の中にも砂が入るが女性はそれを取ることも吐くこともしない。否、する体力がもう既に無かった。
延々と当ても無く逃げ続けていたが、途中で見つかり追われることとなった。
足場の悪い砂地では走るだけで体力を消耗、更に暑さで消耗は加速し女性は脱水症状手前の状態となっていた。
痛む頭、焦点が定まらなく目。自分の命が急速に萎んでいくのが分かる。
しかし、そんな女性の状態など構おうとはせず、砂馬から降りた男たちは女性の頭を乱暴に掴み上げる。
「我々から逃げ切れると思っていたのか? 馬鹿な女だ」
憔悴した女性の顔を覗きこみながら男は下卑た笑みを浮かべ、女性を嘲る。
「大人しく我らの長に従っていればこのように苦しむことなく、安穏とした地位を得られたものを」
「……です」
「何だと?」
「貴方たちに……従う……ぐらいなら……死を選びます!」
擦れた声でありながらもきっぱりと自らの意志を述べる女性。それを聞いた男の眼は細まり、冷徹な光を宿す。
「そうか……ならば死ね」
腰に手を回し、そこから一振りの短剣を取り出す。短剣の剣身が反射し、そこから見える銀光に女性は覚悟を決めた様に目を瞑った。
そのとき――
「づあっ!」
空気の爆ぜるような音と共に上がる男の苦鳴。掴み上げられていた手が離れ、女はうつ伏せに倒れそうになるが最後の力を振り絞って、何とか耐える。
何があったのか、それを確かめる為に女性は僅かに首を回し背後を見る。そこには短剣を握っていた手を押さえている男の姿があった。押さえている手の隙間からは血が流れており負傷している様であった。
「感心しないな。か弱い女性を寄って集って追い回すなど。ましてや凶器を向けるなど以ての外だ」
新たな人物の声。女性が声の方に目を向けるとそこには鍔広の帽子を被った男が手に鞭を持ち立っていた。
男はそのまま女性の方へと歩み寄る。
「大丈夫ですか、御嬢さん。私が来たからにはこのような悪漢共が指一つ貴女に触れることは無いでしょう」
帽子を取り、赤銅色の髪を見せながら男はやや気障な仕草で女性へと手を差し伸べる。
「あなた……は……?」
「これは申し遅れました。私の名はジェイナス・ジェイドと申します。しがない冒険家です」
白い歯を見せながら微笑む男、ジェイドに女性はやや困惑した眼差しを向ける。
「何だ、貴様は!」
「我々の邪魔をするな!」
突然現れたジェイドに男たちは怒声を浴びせるが、ジェイドはそれを雑音以下と言わんばかりに全く聞こうともせず、女性に優しげな言葉を掛け続ける。
「このような砂漠でさぞお辛かったでしょう。ですが私が来たからにはもう安心です。ささ、こちらに。安全は私が保証しますし、水もあります」
「無視するんじゃない!」
怒る男が短剣を抜き、ジェイドへと襲い掛かる。しかし、ジェイドは男の方に向きもせず、腕をただ振るう。その動きに合わせ、鞭が生き物のようにうねると、走り寄って来る男の膝にその先端が叩き付けられる。
「ぎゃあ!」
布製のズボンは容易く破れ、その下の皮膚が鞭の威力で抉られる。血に塗れているせいで詳しくは分からないが、骨が露出していてもおかしくない程の傷であった。
そのままジェイドは手首を返し、仲間がやられたことに動揺しているもう一人の男に向け、鞭を振るう。
鞭は男の太腿を抉り、その痛みで男は地面へと倒れ絶叫を上げた。
「うあああああ!」
傷口を手で抑え、痛みで悶える男。そんな男の様子を見て、最初に傷付けられた男が震えた声を上げる。
「き、貴様! い、一体何なんだ!」
「言っただろう? しがない冒険家だと。さてどうする? まだやるのかい?」
相手の意を削ぐように鞭を振るい、爆ぜる音を鳴らす。それを見た男たちは悔しげな表情をするものの、負傷した状態でこれ以上戦うのは不利だと考えたのか、背を向け砂馬の方へと走る。
二人が乗馬し、残りの一人が馬に手を掛けた瞬間、その間を裂くように鞭が目の前を通過。それに驚いて男は思わず尻餅を突く。
「この御嬢さんの為にも砂馬が一頭欲しいと思っていたところなんだ。譲ってはくれないかな?」
頼むような口調であるが、その間にも鞭を振り回しながら男を威圧する。完全な脅迫であった。
「くっ!」
男は屈辱に顔を歪ませたまま砂馬から離れ、仲間が乗っている砂馬に飛び付く。
「この屈辱と痛み! 決して忘れない!」
「はいはい、帰れ帰れ」
男たちの憤怒に塗れた表情からの捨て台詞も興味無しといった様子で軽く流し、去って行く男たちの姿を碌に見ず、弱っている女性の方へと既に意識を向けていた。
「大丈夫ですか? 賊は追い払いました。もう貴女を脅かすような輩は居りません」
さっきとは対照的に紳士的な口調で女性を労わるジェイド。するとそこに荷物を持ったピリムが現れる。
「はぁ、はぁ……もう! 一人で先に行っちゃわないでくださいよ!」
「緊急事態だ。それに一人でも何とか出来るように常日頃色々と教えてきたつもりだが?」
「こんな砂漠で置いて行かれたときの対処なんて知りませんよ!」
「吼えるな吼えるな。それよりも水を出してくれ。この御嬢さんに早く飲ませないといけない。脱水症状の一歩手前だ」
そこで倒れている女性に気付いたらしく、怒りの表情を驚きへと変え背負っていた布袋を降ろすと慌てて中を探って水が入った皮袋を取り出し、それをジェイドに渡す。
皮袋を受け取ったジェイドは女性を仰向けに抱きかかえる。
「この人は誰なんですか?」
「知らん。名前はまだ聞いていないからな」
「追われていた理由は?」
「それも知らん」
ジェイドは丁寧な手付きで女性の顔を覆う白布についた砂を払う。
「ただ一つ確信を持てることがある」
「何ですか、それ?」
失礼、と一言断った後、ジェイドは顔を覆っていた布をずらす。布の下から現れたのは滑らかな褐色の肌、形の整った眉に長い睫と切れ長の目、紅の引かれた唇はまだ艶と潤いがあり扇情的な気分へとさせる。
「やはり美人だ」
品の良い形をしたその口に皮袋の飲み口を当てると水を注ぐようにして飲ませる。
◇
「ん……」
女性はパチパチという火が爆ぜる音を聞いて目を覚ます。寝起きのぼんやりとした思考の中で自分は今何処にいるのであろうかと思い、少し前までのことを思い返す。
大砂海で男たちに追われて掴まり、命の危機に瀕した状況で誰かに助けられた。その後、その人物から水を飲まされたことまでは覚えているが、そこで疲労と緊張の糸が切れたせいで意識を失ってしまった。
「はっ!」
そこまで思い出した時、女性は慌てて身を起こす。
「まだ起きちゃ駄目ですよー」
勢いよく起き上がる女性を宥めるようにピリムが話し掛ける。それでも女性は警戒するように周囲を見回す。
既に日が落ち、星が見える時間となっていた。大砂海では滅多に見ない草や木が生え、少し離れた場所には小さな池がある。
ここがオアシスであると認識した女性が更に目線を動かすと、そこには焚火を前に座るジェイドがいた。
「お目覚めですか? 丁度良かった。目覚めに一杯どうです?」
ジェイドは爽やかな笑みを浮かべながら女性の側に寄り、手に持った少し変形したコップを手渡す。
「……ありがとうございます」
つい受け取ってしまった女性。コップの中を覗くと黒い液体が入っていた。液体の表面に映る自分の顔を見ながら、口よりも先に鼻を近づける。鼻孔に入ってきたのはコーヒーの香ばしい薫りであった。
その匂いに釣られてコップに口を付け、中のコーヒーを飲む。ほろ苦い味と砂糖をかなり入れたのか甘い味が舌へと伝わり寝起きの頭に熱を入れ、そこから舌を通り、喉を過ぎ腹へと流し込まれたとき、体に熱が入る。日が落ちて一気に気温が下がった大砂海ではその熱が心地よさを与えてくれる。
「……美味しい」
「ええ、いい豆と砂糖を使っているので。まあ、私の腕の良さが殆どでしょうが」
ジェイドは冗談っぽく言うと女性は少し警戒心が薄れたのか、微笑を浮かべた。
「――礼が遅れましたが、昼間は助けて頂きありがとうございます」
「いえいえ。か弱い女性を助けるのは男として当然、あるいは義務のようなものですから」
頭を下げる女性にジェイドは手を振り、謙遜する。
「……あっ、申し訳ありません。まだ名乗っていませんでしたね。私の名はトウと申します。確かお名前はジェイド様、でよろしかったでしょうか?」
「ええ、覚えて貰えて光栄です。ついでにこっちの方は私の弟子のピリムといいます」
「……ついでって何ですか、ついでって」
紹介のされ方が気に入らなかったのか、不満気な表情をジェイドへと向ける。
「ピリム様ですか。ピリム様、助けて頂き有難うございます」
「い、いえいえ! 殆ど師匠がやっちゃったんで、私は特に何もしてませんし!」
様付けで呼ばれたことに照れたのか、顔を赤くしながら慌てて大したことなどしていないと主張する。
「……あの、気になったのですが……師匠、弟子とは? お二人はどのような関係でいらっしゃるのでしょうか?」
会話の中に出て来た単語が気になったらしく、二人に問う。その質問にジェイドは朗らかな笑みを浮かべて答えた。
「特に深い意味はありません。言葉通りの関係です。私が冒険者であり、この娘はその私に従事する見習いの冒険者なだけです」
「『冒険者』……!」
ジェイドの答えに対し、トウは普通ではない反応を示す。『冒険者』という単語を聞き、目の輝きが増した。
「それならばギルドの方々とも連絡がとれますか! 一刻も早く依頼したいことが!」
興奮した面持ちで迫るトウに対し、ジェイドとピリムは気不味そうに目を逸らす。
「あー……申し訳ない。冒険者と言っても私たちはその……ギルドに所属している冒険者ではなく……『フリー』の冒険家なので……」
その言葉を聞いた途端、明らかにトウの身体から力が抜けたのが分かった。
冒険者にも大きく分ければ二つの種類がいる。ギルドに所属する冒険者と所属せずに活動するフリーの冒険者。
前者はギルドが依頼を取ってくるので仕事に困ることはないが、その分の仲介料を取られるため決して有名になるまでは裕福とは言えない生活を強いられる。
後者は自分で依頼を探す為仲介料などを取られることは無いが、ギルドという信用を得る看板が無いことから仕事を得ることがかなり難しい。個人で安定して依頼を受けるにはかなりの実績が必要となってくる。
当然、ギルド側からすればフリーの冒険者の存在はあまり面白くなく、フリーの冒険者も仕事を奪って行くギルドに対し良い印象を持っていない。両者ともに犬猿と言える間柄であった。
「フリーの……そうですか。申し訳ございません……一人ではしゃいでしまって……」
意気消沈する。
「まあ、それでも間を持つことぐらいなら出来ます。ここからギルドのある街までかなりの距離がありますが、それまで私たちが護衛を――」
「それだと間に合わない」
暗いトウを励ます言葉を掛けようとするジェイドであったが、最後まで言い切る前にトウが遮る様に言葉を漏らす。
「間に合わない? 一体何が間に合わないのですか?」
気になって言葉の意味を質問すると、トウはハッとして表情をして反射的に口を手で覆う。無意識に出てしまった言葉であるらしい。
「お、お気になさらないで下さい! 貴方方とは無縁のことですので!」
「そうはいきませんね。私も冒険者と名乗る身、何となくですがわかるのですよ、貴女の言葉に私が求めるものがあると。改めて質問させて貰えますか? 一体何が間に合わないのですか?」
誤魔化そうとするトウであったが、ジェイドは引き下がらず食い下がる。
口元には柔和な笑みを浮かべているが、その眼は刃のように鋭く光り、一切の嘘も沈黙も許さないと言外に告げているようであった。
ピリムはジェイドが女性大好きな似非紳士からスリルと冒険を財宝よりも好む筋金入りの冒険者へと切り替わるのを見て、心の中でトウに同情する。こうなってしまうとジェイドが意志を曲げることは絶対に無い。
「そ、それは……」
「それは?」
燃える焚火の光がジェイドの瞳の中に映り、あたかも目の中に炎が灯っているようにトウには見えた。しかし、その比喩が間違っていないと思える程、ジェイドの全身から他者を圧するような殺気だったものが放たれている。
それに中てられているトウは呑まれ、上手く口を動かすことが出来なかった。
「それはの続きは何ですか? 是非、詳しく、丁寧に――」
「ししょー、ギラつき過ぎですよー、トウさんが怯えますよー」
身を竦ませているトウを憐れに思い、ピリムが助け舟を出す。その言葉を聞いてジェイドはしばし固まった後、前のめり気味になっていた体勢を戻し、まっすぐと座り直す。
「申し訳ない。少し、熱くなりすぎました。相手を怯えさせるような真似をするとは私もまだまだ未熟だ」
そう言って詫びるジェイドからは先程纏っていた荒々しい気が消えていた。殺気のような気が消えたことでトウの蒼褪めた表情にも赤味が戻っていく。
「――いえ、命を助けて頂いて貰っておきながら、何一つ理由を話さない私に非があります」
彼女はそこで手に持つコーヒーを一口飲む。
「聞いてくれますか?」
彼女は自分の身に起こったことをポツリポツリと語り始めた。
ことの起こりは今から一週間前まで遡る。
彼女は砂海で先祖代々からの伝統を守りつつ健やかに生きるとある村の村長の娘であり、その村を創った先祖の子孫であるという。
いつも通りの生活をしていた彼女であったが、突如として村が襲撃されるという事件が起こった。
襲撃の犯人は同じ先祖の血を受け継ぐもう一つの村の若き村長であり、何十人もの手下を連れて村を焼き、村人を殺害したという。
「何で親戚と変わらない人たちが襲ってきたんですか?」
「……心当たりはあります。きっと私たちが『砂の民』の数少ない生き残りだからです」
「『砂の民』?」
「この大砂海を統一寸前までいった昔の大国の異名だ。圧倒的な力で他国を侵略していったが、やり方が強引過ぎたせいか、最終的に支配した筈の国々から逆襲を受けてあっという間に滅んだと伝えられている」
ピリムの疑問に対しジェイドが補足を入れていく。
『砂の民』の中でも戦争を嫌い、国が疲弊し亡びる前に袂を別った者たちの末裔が自分たちであると語るトウ。しかし、それならば何故同じく戦争をから逃げた者の末裔が同じ末裔を襲うのかが分からなくなる。
「……ですが事実は違うのです」
「ほほう?」
その言葉にジェイドの目に好奇心の光が宿る。
確かに彼女たちの先祖は国を捨てて逃げたが、同時に国からある『遺産』を渡されたという。既に国が亡びることを予期していたらしく、いつか時が経った後にその『遺産』を使い、国を再建することを託して。
だが結局、その願いを叶えることはせず先祖たちはその『遺産』をとある場所へと隠してしまったという。
しかし、それから時が経ち今になって再び野心に燃える者が村の中から出て来た。
「それが今回の首謀者という訳ですか」
「……はい」
首謀者である若い村長が村を襲ったのは、代々村長にのみ伝われていく『遺産』に関わる言い伝えが目当てであった。
「遺産に関する言い伝え、それはその遺産を隠した場所を指し示すものなんですか?」
「……いいえ。場所への言い伝えは二つの村に伝わっています。恐らく私たちが襲われたのはその『遺産』を消し去る方法を知っているからです」
「消し去る方法?」
トウが言うにいつか『遺産』の力に溺れ、暴走し始める者がいるかもしれないことを危惧した彼女の祖先は、『遺産』と同じ場所にそれを葬る力を眠らせたらしい。
「『遺産』を狙う者たちにとってはその葬る力が邪魔であり、だからこそその力を継承しているかもしれない貴女の存在が疎ましいという訳ですか」
「その通りです」
「成程、成程」
一通り事情を聴いたジェイドは愉し気な様子でニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「貴女としては『遺産』が相手の手に落ちる前に葬りたかったという訳ですか」
「はい。それが私の役目です」
「貴女は実に運が良い。貴女の目指すべき場所、それこそ今回、私たちの目的の場所かもしれない」
「え?」
「そうなんですか?」
ピリムとトウが驚いた顔をする。
「どんなに口が固かろうとちょっとした緩みでポロリと口から出てしまうことがある。貴女の村やその襲撃してきた村は他所との関係を全く断ってはいないんですよね?」
「え、は、はい。節度ある暮らしをしていても、やはり他の村や大きな街と交流しなければ食べる物に困ってしまうので……」
「やはり。つまり今回私が掻き集めた噂は、交流しにきた村人が洩らしてしまった秘密の断片なのかもしれません。何せ『大砂海にはこの土地全てを手に入る程の宝が眠っている』という噂なので。ちなみに私たちが砂漠を渡っていたのもその宝が目的なんですよ」
その言葉を聞いた瞬間、トウの目に警戒する色が宿る。
「貴方も宝が目当てなのですか?」
「いえ、別に宝自体に興味は無いです」
「え?」
即答するジェイドにトウは思わず気の抜けた様な声を出してしまった。
「冒険者が宝探しを目的にするなんて格好が悪いじゃないですか。冒険者が求めるのは名の通り冒険そのもの! 冒険あってこその冒険者! 冒険者あってこその冒険! 金銀財宝? この世の全てが手に入る力? 不老不死の秘術? そんなもの一切興味が無いです!」
きっぱりと断言するジェイドにトウは困惑してしまう。トウが聞いた冒険者とはジェイドが否定したものを見つけ、それを金銭へと変えるのを主な利益としている筈である。だというのにそれらに一切興味が無いと言われると、戸惑うしかない。
「すみません。うちの師匠って筋金入りの冒険マニアでして……『金より経験』というのが信条でして」
「そ、それだと生活に困らないのですか? 収入なんて殆ど手に入らないことになりますが……」
「ご安心を。私は自らを得た経験を金に換える方法を知っているので」
そう言うとジェイドは側に置いてある荷物を探り、中から一冊の本を取り出す。
「どうぞ。宣伝用に何冊かは持っているので」
「はあ……」
ジェイドの勢いに呑まれて思わず本を手に取った。
『ジェイド冒険譚』と金文字で書かれた表紙。心成しか幼い印象を受ける題名である。
表紙や紙を指先で触れる。村長の娘としてそれなりに裕福な生活をしていたトウですら初めて触れる感触。上質な素材を使っているのが分かる。
「私の活動に深く賛同してくれる援助者〈スポンサー〉がいるので、ね」
トウの反応を見て、先回りするように言う。ジェイドが言った通り、これほどのものを一介の冒険者が出版出来る筈も無い。余程、裕福な人物が彼の背後に居ることとなる。
合って間もないがますます謎が深まっていく目の前の人物のことを考えながら、トウは本の表紙を開き、中を見て、そして絶句する。
きづけばぼくのめのまえにおおきくてひろいもりがひろがっていました。
それをみてぼくは『わー、すごい』とおもいました
もりのなかをあるいているとしゅーしゅーとふしぎなおとがきこえてきました。
ぼくは『なんだろう?』とふしぎにおもっているとぼくのちかくにいたひとがおおごえをだしました。
「わー! だいじゃだ!」
そのひとのいったとおりぼくのちかくにやまのようにおおきなへびがでてきました。「おおきい!」ぼくはおもわずおおきなこえでさけんでしまいました。
「あの……これは……?」
「どうです? 色々な年代に読まれていますが特に子供たちにはかなりの人気なんですよ」
自信満々と言った様子で誇らしげな顔を見せるジェイドに、トウはそれ以上何も言えなくなる。
そんなトウの内心を悟ってかピリムが近付き、小声で話し掛ける。
「うちの師匠、文才はからっきしなんですが逆にその拙い文章のおかげで子供にはウケているんですよ。読み易いって理由で」
「ああ、そうなんですか……」
鼻唄混じりで自分の書いた本を読み返すジェイドを見ながら、トウは何とも言い難い不安な気持ちを抱くのであった。
◇
翌日。日が完全に昇る前にジェイド一行は出発する。目指す場所は『砂漠の民』の遺産が眠る遺跡。
昨日の時点でトウから場所についての詳細は聞いており、現在の位置から逆算すれば少なくとも日が落ちる前には目的の場所に着くことが出来る。
昨日、トウを襲っていた男から奪った砂馬にトウを乗せ、一行は無限に広がっているような錯覚を覚える砂漠をひたすら歩き続ける。
その間にもジェイドはトウに会話もとい口説き続け、その様子をピリムはただ呆れた様子で眺めている。
そんな行為を延々と繰り返していていく中、やがて昇り始めていた太陽は真上まで昇り、そして、黄金色の太陽が茜色へと変わり地平線の向こうへとその身を隠し始めたとき、それは現れた。
「おやおや?」
目の上に手を翳し遠くを見つめながら、ジェイドは何かを見つける。トウとピリムも倣い、ジェイドが見つめている方向を見た。
何も無い砂漠の真ん中にぽつりと佇む小さな建物。如何にも人の手で生み出されたそれは自然のみの砂漠に於いて浮いていた。
「あれかぁ!」
長時間荷物を背負って歩き続けていたとは思えない程の俊足で砂漠を走り出すジェイド。慌ててピリムが静止の声を掛けるが聞く耳など持たず、『ヒャホー!』と子供のようにはしゃいだ歓声を上げて一人先に行く。
そんな様子に溜息を吐きながらピリムは後を追い、トウもまたいきなり昂揚し出したジェイドに驚きながらも遅れまいと砂馬を走らせる。
ピリムとトウが建物へと着いたとき、ジェイドは一足先に建物の周りを調べ始めていた。
ピリムもまた建物を観察する。大きな国の遺産が眠っているとは思えない程、簡素且つ小さな遺跡であった。
四角の形をし、せいぜい大きさは小金持ちが建てた一軒家程度。高さ、奥行はそこそこといったものであった。
派手な装飾など一切無く、岩を削って造られたと思われる扉によって入口が閉じられている。
「見た目は至って普通。これといった文字や絵が刻まれている訳でもない。ふーむ、ここまで特徴の無い遺跡も珍しい。――というか本当にこれが目当てのものか不安になってくるな」
『砂の民』が造ったものであるという痕跡が一切無い為に、本当に目の前にあるものが目当てものか自信が揺らぐ。
すると砂馬から降りたトウが閉ざされた入口の前に立ち、手を扉に押し当てると聞き慣れない言葉を紡ぎ始める。
時間にすればほんの数秒であったが言い終えた途端、閉ざされた岩の扉が擦れる音を響かせて開き始めた。
「おおー」
「開いちゃいましたよ、師匠!」
いとも簡単に扉を開けてしまったトウに二人は驚きと喜びを混ぜ合わせた声を上げる。
「父から教えられた言葉です。ずっと昔、『砂の民』の間で使われていた古い言葉です。この言葉自体がこの遺跡を開ける鍵なのです」
既に故人となっている父のことを思い出したのか、トウは陰りのある顔を見せた。
「そうですか。貴女が御父上から授かったものはしっかりと貴女の中で根付いている様子だ」
それを知ってか知らずか、ジェイドは励ますような言葉を掛けながら開き始めている扉の前に立つ。
「――ええ、そうだったら嬉しいです」
その言葉を聞いて陰りのある表情を微笑に変えたトウは、ピリムと一緒にジェイドの後ろに並ぶ。
重い岩の扉が時間を掛けゆっくりと開くのを見て、子供のようにそわそわとするジェイドであったが、ふと視線を下げたときあることに気付き眉間に皺を寄せる。
岩の扉が動く度に設置してある岩の床と擦れ、石の粉となって床へ零れていく。それだけであれば何も問題は無かった。
問題なのはまだ扉が開ききっていないにもかかわらず、岩の床には扉の端から端までに盛り上がった石の粉が線のように引かれていたことだ。これはジェイドたちが来る前に一度以上扉が開いていることを示している。さらに石の粉など風が吹けばすぐに飛ばされてしまうもの。だというのにまだ残っているということは、この扉が開いたのはジェイドたちが来る少し前であることも示していた。
「二人とも――」
背後に立つピリムたちに声を掛けようと振り返ると同時に扉が完全に開く。そしてジェイドは二人の表情がみるみるうちに蒼褪めていくのが分かった。
ゆっくりと振り返るジェイドが見たものは、自分たちに向かって突き付けられる刃とそれを構える殺気立った男たち。
「どうも申し訳ない。間違えました」
そう言ってピリムたちを連れて帰ろうとするが、そんな冗談など通じる訳も無くあっという間に四方を囲まれた。
「ど、どどどど、どうしましょう! 師匠!」
「どうもこうもない。お前も冒険者ならば腹を括れ」
「そ、そんなぁ! こんな若さで死ぬだなんて……せめて恋の一つでもしたかったなー……」
「だったら今すぐ俺に惚れたらどうだ?」
「死んでも御免です」
「よし、死ね」
「お前たち、状況が分かっているのか?」
本気なのかふざけているのか分からない緊張感が欠けたジェイドとピリムの会話に、囲んでいる男たちの一人が呆れを混ぜながら話し掛ける。
「こんな状況になってしまったら潔く――」
「また会えたな」
ジェイドの声を遮る別の声。それには明らかな怨嗟が込められている。
男たちの中から三人前に出る。その内の二人は片足を引き摺っていた。
前に出て来た男たちの顔にはジェイドたちも見覚えがある。昨日、トウを追い駆け、ジェイドに撃退された男たちであった。
「これはこれは、昨日ぶりで。足の加減はどうですか?」
「貴様の御蔭で絶不調だよ」
今にも斬りかかりそうな眼で睨みつける三人。
「それはお気の毒に。こんな所で詰まらないことなどせずに家で静養していたらどうですか?」
皮肉を込めた台詞をジェイドが言った直後に鈍い音が響き、ジェイドの顔が真横に向く。男の一人がジェイドの頬を殴打していた。
「減らず口を叩くな」
威圧するように言うが、ジェイドは頬を赤くしているが何も無かったように変わらない薄ら笑いを浮かべている。
「生憎、これは生まれ持ったものなので」
「なら二度と喋られないようにしてやろうか」
別の男が剣の腹でジェイドの頬を叩き、挑発する。
「止めて下さい! 彼らは私に同行していただけです! このことには関係ありません!」
刃がジェイドに向けられたのを見て耐え切れなくなったのか、トウが庇うように叫んだ。
「貴方方の狙いは私だけの筈です! 貴方方の言うことには従いますのでどうか彼らだけは!」
懇願するトウ。それを聞いて周りの男たちの中には下卑た笑みを浮かべる者が出て来る。美女であるトウの言葉に良からぬ考えを思い浮かべた様子であった。先程、ジェイドを殴りつけた男もその内の一人である。
「ほう、言うことに従うか……」
男の手がトウの線が整った顎を指先で持ち上げる。
「愉しませ――」
「おい」
ドスの利いた低い声。一瞬誰のものか分からないそれを聞いて、男が反射的に声の方に顔を向けたとき――
「汚い手で彼女に触れるんじゃない」
――薄ら笑いを消したジェイドが男の股間を蹴り上げる。蹴り上げた勢いは凄まじく男の両足が一瞬地面から浮き上がる程であった。
「こっ!」
奇妙な声を発した後男は口から泡を吐き、白目を剥いて失神する。
「き、きさがぁ!」
仲間をやられたことに激昂するジェイドの頬を殴った男は最後まで台詞を言う事無く、口に拳を叩き込まれ、その場で血と歯を撒き散らしながらぐるりと半回転して頭を地面に打ちつける。
短時間で二人もやられたことに呆然とするジェイドの剣で頬を叩いていた男は他の二人とは違い何かしている訳でも叫んでいる訳でも無く、ついでと言わんばかりに顎を拳で突き上げられ、地面で眠る他の男たちと同様に動かなくなった。
「し、師匠!」
下手な真似をすれば命が危ぶまれる状況であるにも関わらず下手な真似所か、敵を三人も戦闘不能にしてしまった自分の師にピリムは驚きの声を上げる。
「ああ、ついうっかり」
弟子の声で気付いたのか惚けるような声を出すジェイド。周囲の男たちは、まさか向こうの方から手を出すとは思っていなかったのか絶句していたが、すぐに正気に戻り威嚇するように怒鳴った。
「状況が分かっているのか貴様ぁ!」
「取り囲んだぐらいで勝った気になるんじゃない。吠えるぐらいなら掛かってきたらどうだ?――何人かは道連れにしてやるがな」
怒声に対し静かな声ではあるがジェイドは威圧を込めて言葉を返す。
他の男たちとは違い修羅場を何度も経験してきたジェイドの言葉の重みに男たちはやや気圧され、剣は向けているもののそこから足が一歩も出ない。先に動いた者から殺しに掛かってくる。そのような考えが男たちを躊躇わせていた。
そこに場違いな乾いた拍手の音が響く。
それを聞いた男たちの一部が動き、隙間を作るとそこを通って一人の男性が現れた。
「お見事。このような状況でそこまでの啖呵が切れるとは大した胆力だよ」
見た目は三十前後。褐色の肌に線の細い体型。尖った顎や鼻、そして細い眼はどこか狐を彷彿とさせ、狡猾な印象を与える容姿であった。
「貴方は……!」
男の登場にトウは怒りを混ぜた言葉を吐く。トウと周りの男たちの態度から、目の前に現れた男こそ今回の騒動の元凶である若い村長であることが察せられた。
「貴女もここまで来られるとは驚きだ。砂漠で野垂れ死ぬか、追手に殺されるかのどちらかと思っていたのでね」
「使命を果たすまで死ぬつもりはありません!」
「結構結構。『遺産』を消し去るのにそれほどの意気込みがあるのは素晴らしい――ですが厄介でもあります」
パチンと村長が指を鳴らすとトウの背後に立つ男たちが素早くトウの口に布を噛ませ、猿轡をし喋れなくする。
それを見たジェイドはその場から一歩踏み出そうとするが、牽制するように四方から剣を突き付けられる。
「そう怒らないで下さい。彼女の言葉はこの遺跡では力を持ちますからね。その対処をしただけですよ。これ以上無い程に穏便に済ませているつもりです」
「――まだ生かしておくという訳だな?」
「ええ」
「アンタの部下をそんな風にしてしまったというのに?」
ジェイドは横たわっている三人を顎で指す。
「自分が有利な状況であるからといって調子に乗るのは別ですからね。自業自得です」
あっさりと言い切ると気絶している三人には目もくれない。
「貴方方も拘束させてもらいますよ? 下手に暴れれば――」
村長は切れ長な目でトウの方を見る。
「……分かった。俺達の負けだ」
降参の意を示し、ジェイドとピリムは大人しく手を縄で縛られる。
「師匠……私たちこれからどうなっちゃうんですか?」
「ああ、きっと今からこの遺跡をこの方々と一緒に探索するんだ。道に罠が無いか調べる道具代わりに」
「ええ! 本当ですか!」
「はい。本当です」
あっさりと肯定する村長にピリムの顔から血の気が引く。
「では行きましょうか」
抵抗も拒否も一切認めないと言った態度で道を譲るように脇へと移動する村長。村長の姿で隠れて見えなかったが、背後には地下へと続く階段があった。
「それじゃあ先に行かせてもらおう」
そう言うとジェイドは怯えた様子を見せずに階段へと向かって行く。
「何があるか分からないというのに勇気のある方だ」
「罠を掻い潜っていくのも冒険者の醍醐味さ」
「頼もしいことで」
階段の前に立つジェイド。灯りなど無く先には暗闇が広がっている。一歩段差を降りた瞬間、いきなり左右の壁に灯りが点き、真っ暗であった階段を照らしていく。左右の壁には蝋燭が備えられており、人が踏み込むと同時に魔法が自動的に作動して火が灯る仕組みになっていた。魔法が生活の要であった古い時代の文化を垣間見る仕掛けである。
そこから先は一歩ずつ階段を降りて行く。罠が仕掛けられているかもしれないというのに、ジェイドの歩みは慎重さを感じさせない程一定の間隔で進んでいた。
(思ったよりも空気が悪くないな……)
埃のニオイを感じさせない遺跡の内部にジェイドは内心でそんな感想を抱く。そんなことを考えているジェイドの背後では、ピリムとトウがジェイドの降りた場所をなぞって恐る恐る進んでいき、更にその後ろを男たちが慎重に進んでいく。
そのせいでジェイドと背後に並ぶ者たちとの距離はどんどんと離れていき、その度に立ち止まって後ろがついてくるのを待つのを繰り返す。
(何か起きないかなー)
それがあまりに退屈である為、罠の一つでも発動しないかと物騒なことを考えるジェイドであったが、彼の期待とは裏腹にそこから数百段もの階段を降りても罠が発動することは全く無かった。
最後の段を降りたとき、ジェイドは前方に石で出来た扉を発見した。上部から中部まで見たことが無い文字らしきものが刻まれ、文字の下には絵が刻まれている。
長い蛇のような生き物を挟むように二つの盾が並んだ絵と交差した二本の剣の絵。何かを現したものであることは間違いないが内容は全く理解出来ない。
暫くしてようやく階段を降りきった背後の者たちが来ると、興味深そうに扉を眺めているジェイドを押しのけ村長が扉の前に立つ。
「遂に……遂にここまで来たか……この日、この時から我々の国と誇りが取り戻される」
感極まった熱の籠った口調。出会ったときは冷静な性格という印象を受けたジェイドであったが、その姿を見て考えを改める。意外と感情的になり易いのかもしれない、と。
「感動している所、申し訳ないのですがその壁には何と書いてあるんですか?」
今の立場上、そんなことを聞くなど命に関わることは百も承知であるが、どうしても好奇心から聞かずにはいられない。ジェイドにとって未知なるものは知ることは時として女性や自分の命よりも最優先になる。
「『この地に我らが財を封じる。我らの血を受け継ぐ者よ、その身に流れる血に誇りを抱くのであれば我らが遺したものを使うが良い』」
だが村長は特に不満を見せることなくあっさりとジェイドの頼みを聞き、壁に刻まれた文字を読み上げた。あるいはジェイドの言葉など最初から耳になど入ってはおらず昂揚した気分を抑える為、目の前にあるものが幻で無いことを確かめる為に口にしたのかもしれない。
「『そして同じくしてこの地に盾と剣を眠らせる。引き継がれる力に恐れを抱いたのであれば、二つを目覚めさせ血を断ち、野心を阻め。ただし心せよ、盾と剣は『諸刃』故に』」
不吉さを感じさせる言葉で最後が締めくくられる。
トウが求めていた遺産というのがこの盾と剣であるならば、使う側はそれ相応の覚悟を決めなければならないことを暗示しているが、不謹慎ながらもジェイドは鼓動が高まるのを抑えられなかった。
(どんなのかなー?)
そんな子供のような好奇心を隠す。
全員が階段から降りたのを見て、村長は徐に懐から短剣を取り出すとその刃を手の平に押し付け刃を軽く走らせる。スッと刃が通った後には血が赤い線のように残り、村長は血が流れる手の平を扉へ押し当て、最初にトウがしたように古い言葉を放つ。
すると扉はゆっくりとした動きで左右に開き、向こう側を皆に見せるのであった。
「おお……」
村長が感嘆の声を洩らす。
何十件以上の家を建ててもまだ余裕があるほど広がった空間、天井も数十メートルほどの高さがある。一面に敷き詰められた砂。そして辺りに散らばる大小様々な水晶。その水晶自体が発光しており扉の先は通って来た階段よりも明るい。
想像していたよりも簡素とも呼べる中であり、何かを祀る祭壇も無い。
トウやピリム、そして男たちがキョロキョロと周囲を確認している中でジェイドは独り冷静に内部の観察をしていた。
(岩肌が剥き出しになっている……階段とは違って人の手が殆ど入っていない。天然の洞窟をそのまま利用したのか?)
ジェイドがそんなことを考えている中、村長は一人砂地の中心へと駆けていくとそこで懐から何かを取り出す。黒く光沢のある筒状の物体。村長はその筒の端に口を付けると息を吹き込む。すると場には甲高い音が響いた。
どうやら村長が取り出したものは笛であるらしい。
何を思って笛を鳴らすのかはジェイドには分からない。空間内に満たされていく笛の音。音程など皆無に等しく、ジェイドやピリムのような素人が聞いてもただ強く笛を吹いているようにしか聞こえない。しかし、トウが拘束された状態で激しく抵抗している姿を見るに、良くないことが起ころうとしているのは明白であった。
その考えを肯定するかのように足元が揺れ始める。いきなりの地響き。その揺れで天井から埃が落ちてくる。
が、そんなことが気にならなくなるほど一際強い揺れが起きたかと思えば、大量の砂を巻き上げ砂の中から巨大な何かが飛び出してきた。
砂漠の砂と同じ体色。砂色の肌には手足は無く長く伸びた体には無数の棘が付いていた。全長は十数メートルあり、胴の太さは人の幅よりも遥かに太い。
目も無く耳も無い。あるのは大きく開かれ、牙が並ぶ円形の口のみ。
「こいつは……『砂蟲〈サンド・ワーム〉か?』
砂から出て来た異形に心当たりがあったのか名を口にするジェイド。それが正解であったらしく村長は片眉を僅かに上げる。
「ほう、物知りですね」
「まさか、とっくに絶滅した生き物をこの眼で拝めるなんてね。高く売れそうだ」
「生憎、ペットなどではこれの真価は発揮できませんよ」
「だろうね。何せ場所を限定すれば竜種をも上回る力を見せるらしいからな。これが先人の残したものか……嫌なものを残す」
「伝説を築いたこの力、見てみますか?」
目的を果たしたことでもう既にジェイドたちを生かしておく価値は失っている。この後どうなるか考えなくても分かる。
故にジェイドの行動は早かった。
村長が笛に口を付ける前にジェイドはその場で強く足踏みをする。そして、背後に立つ男の脛目掛け踵を叩き付けた。
「ぎゃあああああああああ!」
その瞬間、男の口から絶叫が上がる。軽く叩き付けたようにしか見えなかったので何を大袈裟なと、他の男たちはそんな表情をしていたが、しゃがみ込み脛を押さえる男の手の隙間から血が流れているのを見て顔色が変わる。
「ロマンがある作りだろう?」
ジェイドの靴の踵から鈍色に輝く刃が飛び出していた。
「ふっ!」
踵を上げると同時に上体を後ろに反らして刃を拘束している縄へと当てる。縄は切断されなかったものの半分程裂かれた。そこから更に腕の力を加えることで縄は完全に引き千切れ両腕が完全に自由になるとジェイドは腰に手を回し、そこに巻き付けていた鞭を引き抜くと同時に周囲に向かって振るう。
鞭は意志を持ったかのように自在に動き、トウとピリムの周りに居た男たちを薙ぎ払う。
「ピリム!」
「はい!」
掛け声に反応しピリムが背中を向けると精密な操作で鞭が縄を引き裂き、ピリムの拘束を解く。自由になったピリムはすぐにトウの側へと駆け寄りそのまま担ぎ上げると、人一人持っているとは思えない速度で走り出した。
「何をしているんだ! 馬鹿者共! 追え!」
男たちの失態に怒りを見せながら村長は笛を吹く。笛から来る音を体から生やした棘で感じ取った砂蟲は村長の指示に従い、ジェイドたちの後を這って追う。久方振りの獲物を目の前にしているせいか開いた口は粘液のような唾液が糸を引いており、生理的な嫌悪を与えてくる。
「来た来た!」
「ししょー! この先どうするんですかぁぁぁ!」
「ここから先はもう一つの『伝説』に頼るしかないな。今すぐ彼女の口枷を取るんだ!」
ジェイドの指示に従い、ピリムは片手で器用に布を解く。
「ふぅ。――ここから先は何が起きるか分かりません。命の保証も……」
「どうせこのままだったらアレの餌になるのがオチです。だったら賭けてみましょう。盾と剣に――諸刃であっても」
ジェイドの言葉にトウは頷き、受け継がれた言葉を放つ。内容は分からないがそれは歌のようであり、洞窟内へと響き渡る。
歌が洞窟内に木霊すると変化はすぐに起こった。
岩肌全体に青白く輝く文字が夥しく浮かび上がる。文字を用いた魔法はその量によって効果が比例していくが、この量は尋常では無い。
村長及び男たちも洞窟の変化に驚いている。
(『砂蟲』のときとは明らかに様子が違う。どれだけ危険視していたんだ?)
厳重と呼ぶには足りない程に施された魔法文字。それがどんどん輝きを失っていく。輝きの消失は魔法文字が只の文字へと変わっていくことを現していた。
「まだですかぁ! まだですかぁ!」
封印は解かれているものの依然危機的状況は続き、洞窟の変化も我関せずといった様子で砂蟲はしつこく追尾してくる。
「追い付かれます!」
残りの距離は数メートルも無い。後少しだけ砂蟲が速度を上げれば容易く追い付かれる――かに思われた。
キシャアアアアアアアアアア
砂蟲が奇声を上げながら突如急停止する。
「何をしている!」
村長が声を荒げ、笛を吹くが砂蟲は動こうとはしない。
「な、何ですか! あれ!」
ピリムが声を震わせながら叫ぶ。
砂蟲は動こうとしないのではない。動けないのである。地中から突然現れた巨大な二つの先端で胴体が挟まれている為に。
砂蟲の下が盛り上がっていくことで二つの先端が何なのか露わになっていく。分厚く幅のある盾を思わせるもの、赤い殻に白い縞が入ったそれは巨大な鋏であった。
「おおお!」
そして砂の下から盾を彷彿とさせる平たい頭部を持ち、鼻の先端に巨大な角を持つ竜種が姿を見せる。
「おおお……おお?」
感嘆の様な声を上げていたジェイドであったが、その声は途中で困惑したものへと変わっていく。現れた竜種には皮膚や眼球などが無く、どう見ても骨にしか見えない。
その竜種の顔からはみ出てくる四本の脚。鋏と同じく赤い殻に白い縞が入っているが、竜種とは違い脚に節がある。
顔から直接鋏や脚が生えているように見える異形の竜種。それが砂蟲を掴まえたままゆっくりと振り返り、背部を見せた。
「あれ?」
背中を見せたかに思えたが目が合った。細長く伸びた黒い目に。
振り返った竜種が見せたのは、長く垂れ下がった触覚、そして同じく長い目、その目の下には左右から伸びた顎と口があり、更に鋏と脚を生やした赤の地と白い縞の胴体。
「あれって……あれですよね?」
「あれだな」
想像とは全く違う伝説に拍子抜けしたような声を出すジェイドとピリム。
その直後、今度は男たちの絶叫が上がった。
「うわああああああああ!」
「殺られた! 一人殺られた!」
入口付近に居た男の一人が、地面から突き出た弧を描く青い剣のような形をした突起物に胴体を貫かれている。
「離れろぉぉぉぉ!」
その声を合図に男たちは一斉にその場から離れる。
すると砂を撒き散らしながら青い剣の本体が姿を見せる。
丸みを帯びた殻に刃のように鋭い突起があり、さながら斧か鉈を連想させる青い殻に包まれた爪。十数メートルはあろう巨体を支える四本の脚。最初に現れたモノと似たような形をした触覚、口、目。背中には岩から削り出したかのようなごつごつとした形をした竜種の頭骨を背負っている。
姿を見せたそれは頭部を軽く振るい、刺さっていた男を振り飛ばす。
「あれが……盾と剣なのですか?」
「なのですか? って言われても……ねぇ、師匠? あれって間違いなくあれですよね?」
「ああ、そうだな。間違いない」
数百年の時を越え、蘇った伝説の盾と剣を見て心の底から思ったことを口にする。
「『蟹』、だな」
久しぶりの投稿となります。
今回は出番が終盤だけでしたが後編の方は蟹無双になる予定です。