ご愁傷さま金剛くん   作:やじゅせん

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第十話  ノブレスオブリージュ

 

 

 

 きっとこれは悪い夢に違いない。

 男のオレが……一夏の赤ちゃんを妊娠することになるなんて。

 

(……死にたい)

 

 いつぞや千冬さんが注意していたことが。

 本当の出来事になってしまい頭の中が真っ白になる。

 まさか……本当に一夏の子どもを妊娠することになろうとは。

 

(少し前の自分が聞いたら間違いなく発狂するだろうな……)

 

 そんなふうにどこか他人事のように考えながらの朝食。

 出来立てのスープの味も、香ばしいスコーンの香りも。

 もはや感じ取れるほどの余裕はなかった。

 朝食というよりは、ただ無心のまま機械的に食べ物を口に入れるだけの作業に等しい。

 こんなに味気のない食事はIS学園に入ってから初めてだった。

 

(やっぱ産むしかないよな……)

 

 食事の手を一度止め、自身のお腹を軽くさすってみる。

 自分のお腹の中に新しい命が芽生えた感覚……とでも言おうか。

 身体はどうなろうと、オレの心はまぎれもなく男だ。それは間違いない。

 だから正直一夏の子どもなど産みたかないが……それ以上に、この子を守ってあげなくては。

 そう思えてしまうのである。なんだか……すごく不思議な感じだ。

 自分でも意外なことに……堕ろすことなど最初から選択肢になかった。

 

 ふと、少し先の未来のことを考えてみる。

 

 どうやら自分はこの子を産むためお腹が目立たないうちにIS学園を退学することになりそうだ。

 となると必然的に代表候補生もクビか……。国からの給費や給料もこの先見込めない。

 妹たちの学費も稼がなければならないという時期に自分はなにをやっているのだろうか。

 すごく憂鬱な気分になる。

 

「お金どうしよ……」

 

 大きくため息をついてそう呟く。

 この子の父親の一夏が今朝からあんな調子なので、あいつからの支援は当然見込めそうにない。

 そしてオレの両親はすでに他界しているし、なにより妹たちには迷惑はかけられない。

 となると当然、この件については自力でなんとかするしかない。

 一人でちゃんと子育てできるだろうか……。

 

 オレは幼いころに母親を亡くしたから、母親のぬくもりというものをよく知らない。

 だから、自分に子どもが産まれたとき、母親としてどうふるまえばいいのか。

 どんな態度が適切なのか……それがわからない。自分はちゃんと母親になれるだろうか。

 そんなふうに先のことを少し考えただけでも……なんだかすごく不安で心細い。

 先のない暗い迷路の中に急に落とされたような感覚だ。

 もうどうしていいのかわからない。それが今の正直な感想だった。

 オレがぼけーっと放心状態のまま天井を見上げていると、ふいに背後から声をかけられた。

 

「あら、金剛さん。おはようございます」

 

 振り返るとそこにいたのはお馴染みの金髪縦ロールことセシリアだった。

 オレと同じイギリスの代表候補生の子だ。

 

「……ああ、セシリアか。おはよう」

「隣、よろしくて?」

「どうぞ」

 

 セシリアはお盆を持ったままオレの横の席に腰かける。

 盆を見るとそこに乗っていたのはオレが選んだのと同じ洋食セットだった。

 さすが同郷とでも言おうか。食事の趣味もオレたちはどこか似ていた。

 セシリアがクロテッドクリームをたっぷりとスコーンに塗るのを横目に。

 自身も静かに紅茶を啜る。数秒の沈黙の後、食事の手を止めたセシリアがこちらを向いた。

 

「金剛さん、顔色がよろしくなくてよ?」

「え? そ、そうかな」

「なにかありましたの?」

「…………」

 

 セシリアの問いかけに思わず返事を濁す。

 彼女が一夏のことを本気で好きなのはオレの目で見てもわかる。そんな彼女に「一夏に孕まされたのでIS学園を辞めようと思います」だなんて当然言えるわけがなかった。

 というかそれ以前にお腹の子の父親があいつだってバレるのはまずい。

 一夏は男で唯一ISを使える操縦者だ。

 彼のDNAを半分でも引き継いでいるというだけでもISの実験の対象にされかねない。

 最悪の場合出産と同時に子どもをイギリス本国に取り上げられてしまうということもありえる。

 そんなことはあってはならないのだ。

 ……母親のいない子どもの寂しさは、オレが一番知っているのだから。

 

「……IS学園辞めようと思うんだ。この環境きつくてさ」

 

 ゆえに理由を誤魔化しそう告げる。

 セシリアは小さく「まあ」と口に手をあてて驚いた。

 

「本国に戻るつもりですの? 幸いこの学園に負けないくらい設備も充実していますし、あちらでIsの訓練を行うのも悪くはないとは思いますが……。少々寂しくなりますわね」

「いや……たぶん、ISに乗るのもやめる」

「無理ですわ。あなた代表候補生じゃない」

「代表候補生もやめるよ」

 

 オレがそう言うとセシリアはピクリと眉を吊り上げ、

 

「……笑えない冗談ですわね」

 

 まっすぐとオレの目を睨んだ。

 

「……本気だって」

「であれば、なおさらですわ!」

「な、なに怒ってるんだよ……」

 

 セシリアの表情がいつにも増して険しくなるのを感じ思わず気圧される。

 

「あなた、国家代表候補生というものを少し……いいえ、だいぶ甘く考えているのではなくて?」

「いや、別にそんなつもりはないけど……」

「嘘ですわ。その言葉の重みを真に理解しているのでしたら、そのようなことは口が裂けても言えませんものね。なりたくてもなれなかった者たちの気持ちを考えたことはありますの?」

「それは……」

 

 ……言われてみればそうだ。

 

 千冬さんからの推薦という抜け道を使って。

 横からオレが代表候補生の枠を奪ったことで涙を呑んだ人たちもいたんだ。

 いや、それだけじゃない。専用機にしたってそうだ。

 オレが貰ったこのサイレント・ゼフィルスに乗りたかった人だって沢山いたはずだ。

 Isのコアの総数だって限られているのだから。

 

(うわ……よく考えたら最低だなオレ)

 

 ただ毎日、自分のことだけを考えて生きてきた自分に気が付き自己嫌悪が重くなる。

 青ざめた顔のまま俯いているとそんな様子を見かねたのかセシリアは小さくため息をついた。

 

「いいですか、金剛さん。noblesse obligeですわ」

「ノブレスオブリージュ?」

「ええ。わたくしたちはともに代表候補生。そして専用機持ち。いわば現代の特権階級ですの」

「考えてみれば……そうかも」

「庶民には庶民の役割があるように、貴族には貴族の役割があるのです。……人より多くの権利を与えられたからには、人より多くの義務も果たさなければならない。違いまして?」

「……そうだな」

「あなたの肩には選ばれなかった者たちの思いがかかっている。それを忘れないでください」

「…………」

 

 確かにセシリアの言うことはもっともだ。

 代表候補生をやめる、だなんて軽々しく口にするべきではなかった。

 少なくとも他の人の前では。

 

「……先に行きますわね」

 

 セシリアはそう言って盆を持ったまま席をたつ。

 残されたオレは……自身のお腹と肩にかかる重みを比べながら、一人自問自答を繰り替えした。

 

 

 

 

 

 

 


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