南賀ノ神社の白巫女   作:T・P・R

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遅れました。


31話

いつからだろうか。

お前を化け物と呼ぶものが周囲からいなくなったのは。

いつからだろうか。

お前のことを友と呼び認める者が現れ出したのは。

 

 

 

そこは酷く寂しい場所だった。

まるで日の当たらない路地裏を思わせる細い通路。

天井は暗く空気はよどみ、殺風景な空間にあるのは封印によって固く閉ざされた巨大な檻がただ一つ。

 

その檻の中に尾獣・九尾は存在していた。

 

何もない檻の中ですることもない九尾はただただ思想にふける。

己を閉じ込める(ナルト)について思考を巡らせる。

 

ナルトの何かが変わったのだろうか。

変わったから、化け物じゃなくなったから、お前は化け物と呼ばれなくなったのだろうか。

友を得、認められるようになったのだろうか。

 

否、と九尾は否定する。

 

そんなはずはない。

檻の中で、ある意味ナルトの最も近い場所で観察していたからこそ断言できる。

ナルトは何も変わってなどいない。

変わらず弱く、落ちこぼれで、愚かで、そして化け物だ。

 

何も変わっていない、変わることなどできはしない。

 

むしろ今までが異常だった。

 

だから思い出そう。

化け物と呼ばれた頃に戻ろう。

憎しみのままに暴れまわろう。

そうするだけの理由が、力があるのだから。

 

このわしに感謝するんだな……小僧。

そしてこのわしを貴様ごときに封じ込めた。

 

四代目火影にな「きゃん!?」……??!?!?

 

 

「……あれ? ここはいったいどこ?」

 

 

淀んだ空気を吹き飛ばすように、あるいはその場の雰囲気をぶち壊すかのように。

文字通り空気を読まずに突如現れたその存在は、およそこの場所に似つかわしくないほどに白い少女だった。

 

 

 

 

 

 

九尾の妖狐。

太古の昔から存在する莫大なチャクラの塊であり、天災の一種にも数えられるほど強大で危険な怪物である。

尾の一振りで山が崩れ津波が立つと言われ、かつて木ノ葉隠れの里を襲った際は危うく里が壊滅するところだった。

当時、四代目火影は命を懸けてこの人知を超えた化け物を何とか生まれたばかりの赤子―――ナルトに封印することに成功しどうにか事なきを得たのだが……

 

 

「……ウソだろ……こんな時に」

 

ナルトがなんか海に落ちたと思ったら急に封印されていたはずの九尾のチャクラが漏れ出し、海面から飛び出してきた。

あまりの意味不明さにヤマトは思わず何もかもを投げ出してしまいたくなる。

 

「な、なんだこの朱いチャクラは……まさか!?」

 

「封印が解けたのか!?」

 

察しのいい者(再不斬)知っている者(カカシ)もそれぞれ気づく。

これこそがかつて木ノ葉を壊滅の危機に追いやった災厄、九尾のチャクラであると。

 

「な、なんなのこれ?」

 

「ナルト……お前はいったい……」

 

「あの発明バカ、とうとうナルト君まで魔改造しちゃったのかしら?」

 

「いや、いくらコトでもそれはありえない…………と思いたい」

 

「な、なんじゃ? 小僧に何が超起こった!?」

 

下忍であるカナタ達、一般人であるタズナなど知らない者達もわからないながらその恐ろしさだけはありありと理解させされていた。

カナタやマイカゼがらしくもなくオロオロした様子でヤマトの方を見てくるが、ヤマトはあいまいに言葉を濁すだけで何も言えなかった。

下忍に九尾の事情を話すことはできない。

 

(……落ち着け、まずは状況の整理だ。この事態は僕だけでなく誰にとっても想定外な出来事だったはずだ)

 

そもそもの問題として、仮に想定していたとしてその時の自分に適切な対処ができていたかと考えるとかなり微妙だとヤマトは思考する。

後手に回ることはどの道避けられなかっただろう。

 

ヤマトは瞬時に己の中のスイッチを切り替える。

部下の問題児に鍛えられた諦めと悟りの精神だった。

 

前提として九尾の解放は下手すれば、否、下手しなくても波の国が地図から消えてなくなるほどの一大事だ。

それなのに未だ波の国が無事だということは、裏を返せば九尾はまだ開放されていないということになる。

せいぜいが封印の隙間からチャクラが漏れ出しただけで、少なくとも完全開放はなされていないはずだ。

それでも多分に危険であることには変わりはないが。

特に感知忍術を発動しなくてもはっきり目に見えるほどの膨大なチャクラは鮮血のように朱く、また炎のように紅く、そして何よりも禍々しかった。

これだけ圧倒的なチャクラが九尾本体ではなく封印の隙間から漏れ出したほんの一部にすぎないというのだからつくづく九尾は化け物である。

 

完全に解放されたらと想像するだけでヤマトは震えが止まらなくなる。

理性で抑え込んでも本能が「危険」だと訴えてくるのだ。

 

「ぐるる……」

 

そしてそれはイカも例外ではなかったようだ。

朱いチャクラをまとったナルトをこの場にいる誰よりも、それこそ今まで自分を追い詰めていたカカシや再不斬以上の脅威であると本能で認識したらしい。

イカは触手を海面から持ち上げ先ほど大橋の支柱をへし折った時と同じように、投げ縄のように大きく振り回す。

遠心力によって加速した極太の触手は一切減速することなくナルトに向かって叩き付けられた。

 

「カッ!!」

 

しかし、大橋の支柱すらへし折るその一撃は、さらに上をいく圧倒的な力技によって薙ぎ払われることとなった。

 

「なん……だって!?」

 

「ええええええ!??」

 

固唾をのんでその光景を見ていた下忍一同は驚愕の声を上げた。

無論、ヤマトも顎が外れるんじゃないかってくらい口をぽかんと開けて驚いていた。

 

「チャクラだけで吹き飛ばした!? そんなバカな……」

 

「ナルト……お前はいったい…」

 

ナルトの非常識なまでの離れ業に一同絶句。

あんなことヤマトはもちろんのことヤマト以外の木ノ葉の上忍はおろか火影にだって不可能だ。

もはや忍術でもなんでもない。

 

「って、今のでイナリ君が吹っ飛んでる!?」

 

ナルトの常軌を逸したチャクラ放出が、振り下ろされたイカの触手だけでなく背中に張り付いていたイナリまで吹き飛ばしてしまっていることにサクラが真っ先に気づいて悲鳴を上げた。

 

「イナリ!?」

 

「っく!」

 

ヤマトは瞬時に木材を伸ばして空中に放り出されたイナリをキャッチする。

危ないところだったが何とか間に合った。

 

「イナリ君は無事だ。気を失ってはいるが命に別状はない」

 

「よかった……」

 

「さすがヤマト先生」

 

気を失っているイナリを頑丈な木の格子で作った壁で覆いつつヤマトはほっと安堵の息をつく。

実際、奇跡といってよかった。

あの九尾のチャクラを密着状態という至近距離で浴びておきながら無傷だなんて信じらない……というかありえない。

 

奇跡が起こった……などと考えられるほどヤマトは楽観的ではない。

間にいたコトが何かしたと見るべきだ。

盾として九尾のチャクラを一身に引き受けることでイナリを守ったのか、あるいは何か別の要因があるのか。

件のコトはというと今も相変わらずナルトにくっ付いたままだ。

ナルトが大暴れしてイナリが吹き飛んでいるにもかかわらず、身じろぎ一つせず何の反応も示さない。

 

(……九尾のチャクラにあてられて気絶しているのか?)

 

ありえない話ではない。

それどころかそうなって当然……なのにヤマトはどうしようもなくそうとは考えられなかった。

根拠こそないが、経験則からいってコトがこんな真っ当な理由で気絶するとかありえない。

むしろこの沈黙がまた何かしでかす嵐の前触れに感じられて果てしなく不気味である。

 

「うおおおおお!」

 

そんな不自然なほどの沈黙を保ったコト(+ウサギ)をくっ付けたまま、ナルトは四足歩行の獣みたいな姿勢で海を駆けた。

押し寄せる触手や津波はすべて避け、あるいは吹き飛ばしながらナルトはイカに向かって一直線の最短ルートを突き進み、その勢いのまま力任せにイカを殴りつける。

型も何もない、むちゃくちゃなパンチだった。

しかしそのアッパー気味に放たれたパンチは途方もなく重かった。

 

ズドン、と

 

ガトー一味の大砲の轟音にも匹敵する重たく鈍い音が海に響く。

 

「……うそだろ?」

 

殴られたイカの巨体が反動で宙に浮いた。

 

しかもナルトの猛攻はそれだけでは終わらない。

空中に浮いたイカを迎撃するべく、ナルトは吹っ飛ぶイカよりも速く海面を蹴り高くジャンプ。

 

イカの頭上をとらえたナルトはくるりと空中で一回転し、イカの脳天(?)めがけて踵を叩き付けた。

 

「――――――っ!?」

 

流星のごとき踵落としを受けたイカはなすすべなく再び海へと叩き落される。

ヤマトにはイカの声なんてわからないし、そもそも発声器官があるかどうかすら知らない。

しかしそれでも今の瞬間、イカの声なき悲鳴が聞こえたような気がした。

 

「な、なんでナルトがあんなに強いのよ……」

 

「…………成長期かな?」

 

「むしろ反抗期かも」

 

「両方とか?」

 

「「なるほど」」

 

「なるほど、じゃねえよ」

 

明らかに何も考えていない発言をするくのいち一同にサスケが全力で突っ込んだ。

 

「気持ちはわかるが思考を放棄するな!」

 

「そんなこと言われても……」

 

「考えたところで理解できるような次元じゃないし」

 

「もうナルトだけでよくないか?」

 

いろいろと感覚が麻痺してしまっているらしいマイカゼの主張にサクラとカナタは遠い目をして同意した。

 

「まずいんだよそれじゃ。このままだとナルトがイカにやられる」

 

ナルトさえいればいいじゃんというカナタの見解をサスケは静かな声で否定する。

写輪眼を開眼したサスケには他者には見えない別の何かが見えていた。

 

「なんで? 理屈はさっぱりだけどどう見てもナルトが優勢に見えるけど。理屈はさっぱりだけど?」

 

「気持ちはわかるが二度も言わんでいい。いいか、確かに一見優勢なのはナルトに見える。だがダメージがまるで通ってない」

 

「え?」

 

サスケはすっと目を細めた。

ナルトがイカを殴りつけるたびに、イカの身体が大きく波打っている。

柔軟な身体を伸縮させることによって衝撃を受け流しているのがサスケの写輪眼にははっきりと認識できるようだ。

ヤマトもサスケに言われてその事実を確認する。

 

「どうやらあの軟体動物、打撃には滅法強いらしいね。しかも…」

 

ヤマトたちが観察している最中、ナルトが再びイカに向かって拳を振り上げる。

だが。

 

「避けられた!?」

 

「っ速い!」

 

「信じられない、あの巨体であんな動きができるなんて!」

 

「だけど急になんで? さっきまではまともに食らってたのに!」

 

「ナルトの攻撃を完璧に見切りやがった!」

 

しかも、イカの行動はそれだけでは終わらなかった。

突如イカはナルトとは全く関係のない方向に触手を叩き付ける。

 

「なっ!?」

 

「なにぃ!?」

 

そこにはナルトに気を取られている間に隙を突くためひそかに連携忍術を発動させようと印を結んでいたカカシと再不斬がいた。

 

とっさに身をひるがえしたので触手は2人に直撃こそしなかったが、それでも発動しようとしていた術は中断せざるを得なかった。

 

「……今のは偶然か?」

 

「いや、そうじゃない」

 

カカシと再不斬を分断したイカはその隙に触手を振り上げ、例によって遠心力による加速をつけて振り下ろす。

今度はガトーの武装船と大橋の支柱を同時だ。

 

「っ!!? 白!」

 

「はい!」

 

狙いに気づいた再不斬が叫び、白が瞬時にそれに応える。

魔鏡氷晶による高速移動で船と支柱の同時攻撃を氷の盾で防ぎいなす。

 

何とか凌ぐことはできたが、それでもイカらしからぬクレバーな攻撃に再不斬は驚きを隠せない。

 

「こいつ……まさか」

 

「間違いない。さっきも奴は分かってて俺たちを分断したんだ……」

 

カカシの額から滴が落ちた。

決してそれは海水ではない。

 

ナルトの攻撃を完璧にいなし、カカシと再不斬の連携忍術を発動する前に察知し、即座にそれを妨害して見せた後、すぐさま船と支柱というこちらの急所に反撃してきた。

それを意味することはすなわち―――

 

「モロ学習してやがる……」

 

「生意気な……イカの分際で!」

 

驚愕の事実にカイザは慄き、ガトーは憤慨した。

ただ単に大きいだけの海生生物ではない。

 

「ナルト! 気を付けて、そいつ意外と頭いいわ!」

 

「無暗に突っ込んじゃダメだ!」

 

「うおおおおおあああ!!」

 

「ダメ! 怒りで我を忘れちゃってて、こっちの声が届かない!」

 

「ええい、ナルトの知能はイカ以下か!」

 

下忍たちの必死の呼びかけにも一切反応せずナルトはまたしても闇雲に突っ込んでいく。

対するイカは慣れたのか突進するナルトを触手一本で軽くあしらう。

慣れたというか、完全に舐められていた。

 

そんな態度のイカに、ナルトはますます怒りを深くする。

それに呼応するかのようにナルトから噴き出すチャクラはより一層その量を増し、より禍々しく変化していった。

心なしかその朱い色もより一層どす黒く変化しているようにも見える。

 

「……いや違う!」

 

その『赤』は九尾のチャクラじゃなかった。

ナルトの皮膚が火であぶられたかのように爛れてしまっている。

とうとう、ナルトの身体が九尾のチャクラに耐え切れなくなったのだ。

もう四の五の言っている場合ではなかった。

 

「こうなったらもうあの術を使うしかない」

 

重傷を負いながらそれでもイカに向かって愚直に突進し続けるナルトに、ヤマトはついに決断する。

 

実はまだ使いこなせていないとか未だ沈黙したままのコトとかいろいろと懸念材料が山積みだが、それでもやるしか手段がない。

 

「コト…頼むから……頼むから九尾を刺激しないでくれよ!」

 

ヤマトは巳の印を組んでそう念じる。

それは木遁を発動するためであり、どうかおとなしく気絶しててくれと願う祈りのポーズでもあった。

木を一気に足元から生やし、ナルトをからめとるべく伸ばしていく。

 

火影式耳順術(ほかげしきじじゅんじゅつ)廓庵入鄽垂手(かくあんにってんすいしゅ)

 

ヤマトの掌に『座』という文字が浮かび上がり、龍をかたどった木材がナルトから発生する九尾のチャクラを吸収する。

 

木遁は本来、九尾を完璧にコントロールして見せた初代火影の血継限界だ。

ヤマトの木遁も初代には及ばなくとも同じ能力である以上、九尾を抑え込むことは可能である。

 

ただし、それは理屈の上での話だ。

伸ばした木材が九尾のチャクラを吸収、封印しきる前に暴走するナルトが血まみれの腕でそれらを引きちぎってしまう。

 

(―――距離が遠すぎる!)

 

ヤマトはどんな場所でも木遁を行使できるように修行を修めていた。

土に地面だけでなくコンクリート製の橋の上だって十分に木をはやすことができる。

できるが……さすがに水面からは生やすことはできなかった。

身体から生やすにも限りがある。

故に海上でイカ相手に大立ち回りを繰り広げるナルトを縛るためには橋からわざわざ木材を延々伸ばすしかないが、そんな先細りの木材で九尾のチャクラは封じ込められるような代物じゃなかった。

 

封印するどころかかえって刺激して大暴れさせてしまい、絶望的な気分になりつつ、それでもヤマトは必死に理性を保とうと思考を巡らせ冷静に現状を分析する。

 

ナルトの暴走は止まらない。

 

イカは完全にこちらを翻弄している。

 

白は護衛船や大橋を守るのに手いっぱい。

 

再不斬も、カカシも、疲弊していた。

 

 

冷静に現状を分析したヤマトは確信した。

このままだと本当に負ける。

 

(いや、それどころか死ぬ!)

 

それもこんな、こんなわけのわからないDランク任務でイカ相手に?

 

ありえないと叫びたかった。

理不尽だふざけるなと憤りたかった。

しかし、それは間違いなくヤマトの上忍としての冷静な思考が導き出した避けようのない事実だった。

 

 

 

 

 

 

「ほへぇ~、じゃあ12年前に里を襲ったのは九尾さんが意図してのことではなく操られたからだったんですね」

 

「ふん、もっとも例え操られてなかったとしても暴れたがな」

 

「それは……致し方なしですよ。怖いからって勝手な都合で封印しておいて、平時は化け物扱いで忌み嫌っておきながらいざ戦争になったらこれまた勝手な都合で兵器として利用する……まともな理性と感性があったら普通に怒って当然だと思います」

 

何故、自分は呑気に会話などをしているのだろうか。

それも突然現れた小娘なんかと。

現実世界ではないナルトの心象世界の檻に閉じ込められている九尾はふとそんなことを考える。

 

小娘がこの空間に、檻のすぐ目の前に出現した最初のうちは物凄くビビっていたはずなのだ。

小さくなって震えるその姿はまさに狐に睨まれた小兎といった様子だった。

だが、いざ九尾が檻に閉じ込められて手出しができず何より人語を介し意思疎通ができると存在であると知った瞬間態度を一変させた。

最初は恐る恐る、次にそろそろと……気が付けば小娘の警戒心は跡形もなくなっていた。

打ち解けるのが早すぎる、本当に早すぎる。

 

あまりにも無防備、あきれるほどに不用心、少女を小兎に例えたがそれは間違いだった。

飼育され愛玩動物化された兎でももう少し用心深いだろう。

危機感が致命的なまでになさ過ぎる。

そして現在、小娘は檻のすぐ近くにちょこんとお行儀よく正座してとうとうと己の持論を語っている。

格子の隙間から爪を伸ばせば引き裂けるんじゃないかと九尾は思ったが、屈託なく笑っている小娘を見ているうちに殺伐とした思考を維持するのが酷くバカバカしく感じてしまう。

骨の髄まで平和ボケした、ものの見事に邪気のない……いっそ不自然なほどに透明な笑顔。

引き裂く気を失せさせるには十分すぎた。

 

九尾が内心そんなことを考えてげんなりしているとはつゆ知らず小娘は親しげに、真摯に言葉を投げかける。

 

「……ごめんなさい。木ノ葉のマークを刻む忍びの一人として正式に謝罪します」

 

「ふん、木ノ葉の代表にでもなったつもりか? 小娘の謝罪などいらん。同情など余計なお世話だ」

 

「同情とかじゃなくて、どっちかというと後悔に近いかもです」

 

「後悔だと?」

 

「はい、後悔です。私は九尾の妖狐がどのような存在なのか全く理解しようともしなかったことをとても後悔しています」

 

人間はすぐその場しのぎのウソをつく。

経験則で知っていた。

だからこそ、ウソに敏感な九尾は理解した。

小娘がウソをついていないことを。

前に似たような奴が他にもいたことを九尾は思い出す。

 

「私は九尾さんがこんな……こんな意思疎通が可能な理性と感情を持っているなんて考えもしませんでした。てっきり言葉の通じない天災のような存在だとばかり……恥ずべきことです」

 

「ふん……貴様ひょっとしなくても天眼の巫女の末裔だな」

 

「……天眼?」

 

「その奇特な思想に歪な写輪眼……同じだな。かつてのうちはウサギと」

 

そもそも、尾獣に『さん』なんて敬称を付け親しげに接してきた人間を九尾は他に知らない。

 

「そして白い姿はハゴロモによく似ている……分かたれた血が戻った結果か。千手とうちは、本来決して相容れぬ宿命の一族がよく交わったものよ」

 

「……よくわかりませんが、私の白髪はハゴロモ何某さんじゃなくて曾御爺様譲りですよ? それに相容れない宿命がどうとか言われても……」

 

首をかしげる小娘には本気で理解できないのだろう。

この世には決して理解しあえない存在があるのだということを。

だがそれも時間の問題だ。

 

無垢でいられるのは子供の時だけだ。

今こうしている間にも、現実ではナルトが憎しみの朱いチャクラを纏って暴れていることだろう。

 

「くくく……今はまだ理解できなくてもいい……だが小娘、いずれ思い知ることになるだろう。理性無き天災よりも悪意と憎しみを抱いた災害のほうが脅威だということに……」

 

九尾は今度こそ明確に殺意を込めた視線を小娘に放つ。

 

「小娘じゃなくてコトですよ? うちはコトです。最初に自己紹介したじゃないですか」

 

キョトンとした顔でそれを見返す小娘。

九尾の殺気は気づいてすらもらえなかった。

思わず九尾の殺意が薄れる。

まるで実態を持たない虚像を相手にしているかのような手ごたえ。

あまりの不毛さに殺意がどんどん薄れていき……

 

「……っ!?!?」

 

否、薄れていったのは殺意だけではなかった。

 

「これは精神空間に異常!? 現実でナルト君に何かあったんでしょうか!?」

 

淀んだ空気も、暗い空間も、蔓延した憎しみも、心象世界のありとあらゆるものが塗りつぶされるかのように、消しゴムでこすられた落書きのように掠れて消えていく……

 

「小娘ぇ、貴様いったい何をしたぁ!?」

 

「小娘じゃなくてコトです! それに私は何もしてません! 何でもかんでも私のせいだと思われるのは激しく心外……ってこのセリフ前にも……まさか九尾さんにも言わされるとは思わな、って待って! まだ消えないで! まだ聞きたいことが! 九尾さんを操っていたのって結局どこの誰だったんですか? 人語を解せるということは九尾さんにも名前があるのでしょう―――――――」

 

 

 

 

 

 

後に空野カナタは語る。

想像を絶するほど効いた、と。

 

 

 

「~観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄~」

 

カナタが一心不乱に唱えているのは所謂お経、それも般若心経と呼ばれるものだ。

本来は修行僧が悟りを開くため、あるいは艱難辛苦に苦しむ人々を救うための経典だが、忍びが唱える場合は主に封印が目的となる。

火ノ寺で忍僧が長年厳しい修行を積み重ねた末に体得するそれは仙術の才と呼ばれ、極めると強力な結界忍術に匹敵しうる代物だ。

 

なお、般若心経は火ノ寺由来のお経ではない。

カナタに祝詞や巫女の風習を教えたのはコトであり、コトは南賀ノ神社の巫女見習いであるが南賀ノ神社由来ですらない。

般若心経は日常経典と呼ばれる、いわばチャクラを用いない一般人のための経典なのだ。

忍術ではないので本来は直接的な効能などない……はずだったが、コトが無理やり忍術化したことで常道から大きく外れ、さらにそれをカナタが魔改造(アレンジ)したことにより盛大に化けた。

 

「~舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是~」

 

「見て、ナルトの暴走が止まった!」

 

「超効いとるぞ!」

 

コトが属する南賀ノ神社は封印に秀でた火ノ寺とは違い、封じ込めるのではなく浄化、解放を主眼としている。

うちはの巫女の祝詞は闇にとらわれた精神に癒しと安らぎを与え、怒りと憎しみからの解放を促すという。

そんな霊験あらたかな唄をコトは子守歌代わりに聞きながら育ったと知ったときヤマトは大いに納得した。

同時に浄化しすぎだと思いもしたが。

そんなおおよそ忍びらしくない、というか忍びには必要のない能力を継承する神社の巫女見習いだったからこそ、そんなコトが術化した般若心経も自然とそれに準ずる効力を発揮するようになった。

 

「~舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減~」

 

「……ねえ? カナタ」

 

無論、未だ修行中の見であり見習い巫女でしかないコトに大した浄化能力は備わっていない。

長年修業した末にようやくたどり着く境地なのだから当然といえる。

 

「~是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法~」

 

「あ、ガトーがうずくまってる」

 

「ちょっと、これはやりすぎじゃない? ナルト以外にも影響が……」

 

だからこそ、コトが遊び半分の暇つぶしで開発しただけの未完成なお経がこれだけの九尾の憎しみを吹き払うほどの浄化能力を発揮するのははっきり言って異常である。

つまり、カナタが異常である。

 

「全員、耳をふさげ!」

 

サスケがようやく異常さに気づき叫んだが、いろんな意味で手遅れだった。

 

ガトー一派の荒くれ武装集団が、

カイザとその仲間の自警団が、

憎しみの朱いチャクラを纏って暴れていたナルトが、

 

頭を抱えてのたうち回っていた。

皆、イカという共通の敵を前にしておきながら共闘できずにいがみ合っていた連中である。

 

そんな心がささくれ立っていた連中だったがカナタのお経を聞いているうちに次第に表情が穏やかになっていき真っ白になっていく。

 

カナタ本人は周囲の惨状に全く気付いていない、というより自覚がない。

 

「……そういえばカナタって」

 

「うん、カラオケでマイク握ると性格変わるタイプだ」

 

そう言いあうサクラとマイカゼの表情はとても穏やかだった。

 

「~無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽~♪」

 

「カナタ! もういいやめろ! これ以上はなんかまずそうな気がする!」

 

何とか正気を保っているサスケはカナタを止めようとするが、テンション上がったカナタは一向に止まる気配がない。

 

「~無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故~♪」

 

おそらく意図して出しているのではないだろうが、カナタが発声する甘ったるいアニメ声が幻術にも似た原理で鼓膜を介さず直接脳内に染み込んでくる。

耳をふさいでも意味がない。

耳どころか脳に直接砂糖をぶち込まれたかのような……決して不快ではない、不快ではないけど思わず身悶えしてしまう、なんとも言えない感覚が全身を包む。

 

「脳が……溶ける…っ!」

 

甘い、甘い、どこまでも甘ったるい空気が場を支配する。

 

しかもトリップ状態のカナタの曲調が変化してきた。

厳かな神聖なお経から、ポップでロックなラップ長に。

 

「~心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃~♪」

 

気づけば、ナルトの纏っていた九尾のチャクラはすっかりドス朱さを失い、温かみのあるオレンジ色になっている。

 

気づけばこの場にいる人間すべてが真っ白になって悟りでも開いたかのような表情になっていた。

ガトー一味やカイザ一派はもちろんのこと、カカシや再不斬までもだ。

 

例外として未だ正気を保っているのは生粋のうちは一族で幻術などに耐性があるらしいサスケと、カナタの担当上忍で歌を聞きなれているヤマト、あとイカのみという状況。

 

「~三世諸仏 依般若波羅蜜多故~ とくあのくたらさんみゃくさんぼDAI♪」

 

カナタは完全に調子に乗っていた。

もう限界だった。

ヤマトは無言で、ノリノリで唄い続けるカナタに近づいていく。

 

「ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー☆ ヘイ♪」

 

「ヘイ♪ じゃない!」

 

ヤマトは、傾いた橋にチャクラで張り付きながらブレイクダンスするという無駄に高度な離れ業を披露しているカナタの脳天に渾身の拳骨を叩き込んだ。

カナタはギャフン、というあまりにもお約束な悲鳴を上げてずるずると壁を滑り落ちていった。

 

後に空野カナタは語る。

調子に乗ってやった、反省しているけどできれば最後(サビ)まで歌い切りたかった、と。




ボーカロイドの歌の真髄は中毒性にある。

そんなわけでナルトではなくカナタ暴走回でした。
苦しいわけではないのに思わずのたうち回りたくなるような感覚。

……これが『萌え』だ。

という冗談はさておき伊達にコトの親友やってないってところを表現できていれば万々歳です。


よし、次はマイカゼかな……いつになるかな。

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