紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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演奏家の捜索、その裏で

 

 

 

 彼女にはそれが全てだった。闘争の渦中で生を受け、戦場の中で過ごした日々。闘いに喜びを見出し、命のやり取りに心を躍らせ、鮮血を浴びれば高揚する。それが彼女にとっての当たり前であり、同時に幸せだった。その身体を駆け巡る血の本質が、闘いというものを求めていたから。

 時折彼女は考える。それが顕著になったのはいつからだっただろうかと。そして結論に至る。そこには必ず、双子の兄グランハルトの存在があった。彼がいたから、彼という存在が傍にあったから。自身にとっての喜びを、この世界に生まれた意味を、あんなにも早く見出せた。

 彼女にとって、グランハルトは血の繋がった家族であり、憧れの兄であり、戦場での英雄だった。自身が戦闘技術を学ぶより早く実戦に参加し、驚異の速度で猟兵の間に名を轟かせた戦の申し子。私もあんな風になりたい、あんな風に戦場で駆け回りたい。漸く戦闘訓練の参加を許された頃には、既に部隊長として活躍していた兄の背中を誇らしげに眺めていた。

 辛く苦しい訓練、時には死を覚悟した時もあった。それでも、そこが自身のいるべき場所だと、求められている場所だと知っていたから。何より、それが楽しくもあった。課題をクリアすれば父親と兄が褒めてくれる、強くなればそんな父親や兄と共に戦場を駆け回れる。死と隣り合わせの生活を受け入れる理由としては、それだけで十分だった。

 彼女が実戦参加を許されたのは、訓練に参加し始めた年と同じく八つの時。己の実力を過信した事への制裁として、父と兄の企みによって地獄を見たあの日。記憶の奥底に深く刻み込まれた当時の恐怖と高揚。そして、その日から兄の事をより憧れた。何も知らずに初の実戦を心待ちにしていた当時の自分を、愚かであったと笑いが止まない。彼女の脳裏には、その夜の一幕が鮮明に浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

「お嬢さんに実戦は早過ぎます! グラン隊長、やはりここはシグムント隊長に掛け合ったほうが……」

 

 

「相談も何も、シャーリィの実戦参加のタイミングはオレに一任されてる。オレが問題無いと判断した以上、いつまでも遊ばせておくわけにはいかないだろ」

 

 

「し、しかし……」

 

 

 七耀暦1196年冬。冷たい風が吹き抜ける、月夜の山岳地帯の一角。焚き火の前に座って身体を温めていたシャーリィは、部隊長の兄グランハルトとその補佐を務める男の話を、風に揺れる焚き火越しに聞いていた。揉め事の内容はどうやら、彼女が明日から参加する隊の作戦行動についての様だ。

 僅か八つの年で団の訓練への参加、そして実戦投入というグランの考えは、いくら何でも早過ぎると彼の隊員達からも多少なりは異議が出ていた。しかし、前例として六才で実戦参加をしている自分がいるというグランの考えには、流石に異議を唱える事も出来ず。同じ年に生まれた双子のシャーリィに同じ才能が無い、などとは隊員達も口に出来なかった。例え、グランハルトという人間が異常な才の持ち主だとしても、シャーリィを性別の違いで彼の才より劣ると下の人間が決め付けるわけにはいかない。加えて彼らの父親であるシグムント=オルランドがシャーリィの実戦参加の旨を容認した以上、隊員達が逆らう事などあり得なかった。

 グランの補佐役を務める男は依然渋い表情を浮かべたままだが、その姿にはシャーリィも機嫌を悪くしたようで。

 

 

「カインはわたしが実力不足だって思ってるんだ? 訓練の時だって問題無かったんだし、大丈夫だよ」

 

 

「お嬢さんの才能は我々も認めています。ですが、今回の作戦は訓練とは比べ物にならない。お嬢さん一人で歴戦の猟兵達複数を相手にしなければいけないんですよ」

 

 

「心配性だな〜。隊長クラスなら兎も角、そうじゃないんだからわたしでもなんとかなるって」

 

 

「お嬢さんは事を簡単に考え過ぎです! 私なら、お嬢さんを実戦投入するにしてもここはまず——」

 

 

 楽観的なシャーリィの様子に堪忍袋の緒が切れたのか、カインと呼ばれた猟兵の男は愚痴を漏らしながら地面に作戦を書き連ねていく。恐らくはグランが書いたであろう当初の作戦における部隊配置の横へ、自身の考える案を手際よく記した。そこには、グランの作戦では前線への配置になっているシャーリィの名が、部隊の後方へと記している。事実上の戦力外通告だった。

 ともすれば、それを見たシャーリィの顔が不貞腐れるのは当然の事で。不意に立ち上がった彼女は、不機嫌な様を隠す事なくその場で叫ぶ。

 

 

「カインのバーカ! 明日の作戦でお前の援護なんかしてやんないから!」

 

 

「お、お嬢さん待ってください……!」

 

 

「あ〜あ、ありゃ完全に嫌われたな。カイン、お前明日の作戦単独で突っ込むか?」

 

 

「冗談キツイですよ隊長……!? あーもう、お嬢さん私が悪かったですからー!」

 

 

 他の隊員達が談笑をしている方へと走り去るシャーリィの背中を眺めながら、グランはカインへ死刑宣告にも等しい一言を告げる。勿論彼からすればたまったものではなく、心底困った様子で彼女の後を追いかけ始めた。そして、二人が走り回る姿から視線を外し、グランは改めて地面に書き連ねてある部隊配置の図を見詰め直す。

 左に書いたグランの図には、自身の名を先頭に順を追ってカインやシャーリィ、その他隊員達の名が記されている。しかしカインが先程記した作戦図には、シャーリィの名は部隊の後方、後方支援と言っても殆ど戦闘に遭遇しないであろう場所にある。この扱いには、流石にシャーリィも機嫌を損ねたということだろう。ただ、グラン自身もカインの書き足した作戦には理解を示していた。それは即ち、本当は彼もまた、シャーリィの実戦参加のタイミングは早いと判断したという事になる。

 

 

「明日は十中八九やられるだろうな。運が悪ければ死ぬが……元よりその為の初陣だ。さて、空の女神ってのは猟兵にも加護があるのか」

 

 

 グランが見上げた先、黒の天井は星々が我一番と煌めきを見せていた。そして彼の声に反応するように、闇夜の空には一筋の流星が光の橋を掛ける。ついでに願い事の一つでも言えばよかったと、グランが声を漏らす頃には流れ星もその姿を消していた。

 

 

「グラン兄ー、カインがしつこ〜い」

 

 

「しつこいじゃないですよ!? 隊長助けて下さいよ〜!」

 

 

「お前らの仲違いにオレを巻き込むなよ、ったく」

 

 

 再び騒がしくなったとグランが向けた視線の先、姿を現わすや自身の背後に隠れたシャーリィと、それを追ってきたカインは目の前で今にも泣きそうな顔。作戦前夜にしょうもない揉め事を起こすなと、グランがシャーリィの頭に軽く手刀を下ろす。

 自分だけ怒られた意味が分からないとシャーリィは涙目で頭を両手で庇うが、その表情は直ぐに笑顔を取り戻す事に。

 

 

「作戦変更だ。カイン、お前明日オレの代わりに一人で西風の隊長の相手な」

 

 

「隊長の鬼ーっ!」

 

 

「あっははは! ざまーみろー!」

 

 

 涙を流すカインの姿に、指をさして笑うシャーリィの横。妹の笑顔を横目に、グランにも笑みがこぼれる。

 朝日が昇れば硝煙が撒い、ここは直に戦場と化すだろう。穏やかな空間の先に迎えた初の実戦、彼女には生涯に渡って忘れる事のできない一日となった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「あー楽しかった。久し振りにグラン兄には甘えられたし、仔猫とも遊べたから、今日の成果は上々かな」

 

 

 クロスベル市中央区にある噴水前のベンチには、満足げな様子で寛ぐシャーリィの姿があった。仔猫の捜索で特務支援課と行動を共にしていた彼女は、用も終えて裏通りに帰還がてら、噴水前で涼んでいる。先程までグランと繋いでいた手を見詰めては、頬を弛めてその余韻に浸っていた。彼女にとっては二年、体感時間ではもっと長かった。それほどに待ち侘びたひと時。しかし、待ち望んだそのひと時には少しばかり不満もあった。

 ふと、彼女は思い返す。どうしてこんな事になってしまったんだろうと。二年前の再会の時も、少し前まで行っていた仔猫の捜索中も。兄であるグランハルトは一度も自分に笑いかけてくれなかった。彼が赤い星座にいた頃、戦闘中に見せていた鬼神の如き姿。日常においても訓練中は厳しかったが、その反面で見せる笑顔。自分を褒めてくれる時に浮かべる嬉しそうな表情は、ここ何年も見ていない。兄の顔から笑顔が消えたのは、一体いつからだったか。そして、いつも思い当たるのはあの日の出来事。

 

 

「やっぱりアイツが死んでからだよね、グラン兄がおかしくなったの」

 

 

 クロスベルに来るといつも兄と仲良さげに話していた白髪の女。雪女と渾名で呼んでいた彼女と出逢ってから、グランハルトは変わっていった。そして今のように冷たい態度を取り始めたのは、彼女が死んだあの日から。この手で引き金を引き、撃ち殺したあの時からだ。

 当時、作戦上の障害となったクオンと言う名の少女を始末した。ただそれだけだ。個人的に嫌いな相手だったから丁度良かったが、そこに私情を挟んでいたとしても、あの時の行動は何も間違っていない。作戦の為だった、なのにあの時のグランは激怒していた。殺す必要は無かった、他の手段があった、そうやって生温い戯言を口にしながら父親に刃を向けていた。ただそれ自体は不思議な事ではない。

 

 

ーー貴様に酒は早い、やめておけーー

 

 

ーーんだとこのクソ親父、今日こそぶっ殺してやる!ーー

 

 

 そう、あの二人にはよくある親子喧嘩だ。ガキに酒は早いと、父親が取り上げただけで本気で殺しにかかるグランの事だ。今回の件も、それが少し長引いているだけ。何らおかしい事ではない。そうやって、この事はいつも同じ結論に至る。

 

 

「ま、結局はいつものグラン兄って事なんだよね。どうせ帰って来るんだし、もう考えるのやめよ」

 

 

 その内考える事に飽きてきて、今回もまたグランについての疑問は諦める。近い未来にグランは赤い星座へ戻る事になる、今更考えたところで余り意味はないというのが今回の彼女の結論のようだ。シャーリィはベンチから立ち上がると、軽く背伸びをしてから辺りを見渡した。

 

 

「ちょっと寄り道し過ぎちゃったかな。パパも待ってるだろうし、そろそろ——」

 

 

 そしてその時だった。それはまさに、彼女にとっては偶然の出逢い。“彼女”からすれば最悪の出逢いだが、これは避けられぬ運命、必然とも言える邂逅だ。逃れられぬ時が、少しばかり早く来てしまったというだけの事。問題はそこでは無い。重要な事は、少し別の点にある。

 そう……シャーリィが見つけたその学生姿の少女は、彼女にとって非常に興味深い容姿をしていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

ーーさってと、仔猫も無事に届けた事だしそろそろ帰ろっかな。楽しめそうなのも見つけちゃったし。それじゃ、グラン兄にランディ兄とお兄さん達も、まったね〜ーー

 

 

 東通りの一画に位置する、アカシア荘の入口にて。仔猫の捜索を無事に終え、主人の元へ送り届けたロイド達はアカシア荘を後にして次の要請の確認を行っていた。シャーリィは他の要請には特に興味を示さなかったようで、先程一人帰って行ったというわけだ。漸く厄介者が居なくなったと、グランとランディは安堵の息を漏らし、他のメンバーはその言葉に苦笑を浮かべていた。

 残る要請内容は、演奏家の捜索依頼と東クロスベル街道の魔獣討伐依頼、そして遊撃士訓練の参加要請の三つ。その中で街中の要請は演奏家の捜索依頼のみの為、そこから片付ける事に決まり、待ち合わせ場所に指定されたクロスベル駅に一行は向かう。

 ロイド達が辿り着いた先。通商会議の影響か、多くの人が行き交い賑わいを見せるクロスベル駅のホーム。そこに件の人物はいた。黒いスーツにサングラスを着用し、仁王立ちの大柄なその男は、声を掛けづらい雰囲気を醸し出している。辺りには他に待ち合わせをしているような人物は見当たらない事から、恐らくは彼が依頼主だろう。ロイドを先頭に、男の元へと歩み寄った。

 

 

「すみません。特務支援課の者ですが、もしかして依頼を出された方ですか?」

 

 

「む……? 依頼を受けてくれたか。すまない、恩に着る」

 

 

 男はロイドの声に反応すると、軽く頭を下げてから直ぐに話を依頼の内容へと移した。曰く、本日帝国からクロスベルへの訪問に同行している演奏家の男が、彼の目を盗んで遊びに出掛けたらしい。こういった事は度々起こり、余り自由にさせておくと余計なトラブルを持って来る為、早々に捕獲したいとの事。

 件の男の名はオリビエ=レンハイム。特徴としては、金色の長髪で、その性格は気障ったらしく、華やかな場所を好むそうだ。となると捜索場所もある程度は絞る事が出来る。但し、向こう側も手慣れており、捜索されそうな場所は避けて行動しているようだ。依頼主の男が事前に歓楽街や裏通りを調べたが、その姿は見つからなかったそうだ。ならばこそ、クロスベル市を誰よりも把握している特務支援課の出番だろう。

 

 

「了解しました。それでは早速、演奏家の方の捜索を始めます」

 

 

「頼んだぞ……ところで」

 

 

 状況を訊き終え、行動を開始しようとしたロイド達を不意に男が呼び止める。その声に振り返る彼らだったが、用があるのは紅髪の男……つまりグランの事らしい。呼ばれたグランは特に疑問に思う様子もなく、男の前に歩み寄った。そして、ロイド達には聞こえない大きさの会話を始めた。

 

 

「こんなところで何をしている。宰相の護衛はどうした?」

 

 

「夕刻まで暇をもらってな。アンタの所のと考えている事は同じだろう」

 

 

「そうか。その様子だと、上手く特務支援課に取り入ったようだな。こちらも後に合流するが、お前はどうする?」

 

 

「何もなければそのまま同行する予定だ。あんたの連れに時間を割かれなければな」

 

 

「了解した。少々手荒な真似をしても構わん、なるべく早く頼む」

 

 

 依頼主の男と言葉を交わし終えたグランは、ロイド達の元へと戻り改めて捜索を開始した。演奏家の行方としては、歓楽街と裏通りを省くとなると、賑やかな場所というのはある程度限られる。屋台店が建ち並ぶ東通りや中央区、イベントが行われている湾岸区。酒が飲める場所という点ならば、裏通り以外では旧市街区にもバーがあるとの事。それぞれ離れた区画の為、一つ一つ見回るというのは非常に効率が悪い。と言ってもそれ以外に案も思い付かず、結局は捜索ついでにグランへの街案内も出来る為、街中を回る事に関してはそれほど無駄足という訳ではないのだが。

 話し合いの結果、旧市街を始点に北へ向かって捜索を開始する事にしたロイド達。先ずはワジの案内の元、旧市街の一画にあるプールバー『トリニティ』へ。旧市街の一画、地下へ降りる階段を進み、一行は店内へと入る。

 モダン風な店の雰囲気に、流れる音楽は客人の心に安らぎを与える事だろう。薄暗い店内では淡い光によって幻想的な風景を演出し、旧市街という事もあって外と中ではまるで別世界のようだ。一行はそんな店の中を見渡し、店奥に目を向ける。すると先客がいるのか、ビリヤードテーブルには数人の姿が。

 

 

「なかなかやるね、お兄さん」

 

 

「ステキー!」

 

 

「ハッハッハ。僕の本心としては、こんな玉突きよりもキミたちのハートを射抜きたいんだがね」

 

 

「やだー、冗談が上手いんだから!」

 

 

 二人の若い女性に挟まれながら、従業員とビリヤード対決をしている金髪の男性。その言動、容姿はまさに先程依頼主から聞いた特徴と合致する。傍にはリュートが置かれ、皆は捜索依頼を受けた演奏家と同一人物であると確信した。現場では盛り上がっているが、特務支援課の彼等も仕事である。大人しくお縄についてもらうべく、男の元へと近づいた。

 そして、不思議そうな顔で見てくる四人の男女へ歩み寄ったその時。

 

 

「いだっ! 痛い痛い痛い!?」

 

 

 金髪の男が突如苦痛の声を上げる。両隣にいた女性二人と従業員の男は驚き、近付いたロイド達もまた突然の事に動揺を隠せない。男の背後には、彼の手首を捻りながら後ろに回したグランの姿があった。

 依頼主からは少々手荒な真似をしても構わないと言われているが、本人という確認もまだ取っていないこの状況下。流石に事を急ぎ過ぎだとロイド達も慌てるが、当人はその事については問題無いと話す。曰く、この人物とは昔に会った事があるらしい。

 

 

「相変わらず人の手間取らせやがって。アンタはそんなにオレの邪魔をしたいのか?」

 

 

「イヤダナー、ナンノコトカナ?……ってウソですごめんなさい痛いから離して!?」

 

 

「逃げられても困る。ミュラー=ヴァンダールに引き渡すまでは我慢しろ」

 

 

「そんなー……」

 

 

 ガクリと肩を落とすオリビエと、彼を引きずりながら店を後にするグラン。周囲の人間はその姿を呆然と見詰め、状況に置いていかれていたロイドは慌てて依頼主への連絡を取った。彼と旧市街の入口で待ち合わせをすると、特務支援課もグランのあとを追いかける。

 旧市街の入口では、落ち込んだ様子のオリビエと彼の襟元を掴んだグランが立ち止まっていた。ロイドが連絡を取った事をグランへ伝えると、依頼人が到着するまでその場で待機となる。その間、一つの疑問をエリィが問い掛けた。

 

 

「そういえば、グラン君はオリビエさんと知り合いだったのよね?」

 

 

「いえ。知っているというだけで、知り合いではないです」

 

 

「つれないなぁ、共に熱い夜を過ごした仲じゃないか。この……て・れ・や・さ・ん」

 

 

「……そうだったな。人が助けてやったのをいい事に、銀閃を置いて逃げやがった事もあったな」

 

 

「今日初めて知り合いました」

 

 

 話の流れでグランの表情に不機嫌さが増した事で、この話題については触れない方がいいとロイド達は思った。息の合ったと言っていいのかは分からないが、二人の会話を聞いているだけでも知り合いだという事は分かる。両者の掛け合いに皆が苦笑いを浮かべていると、待ち人である依頼人の姿が見え始めた。

 男の姿を見つけた途端、オリビエの表情が急に明るさを増す。

 

 

「会いたかったよミュラー君! 早速だけど助けてくれないかい?」

 

 

「人の目を盗んで勝手に逃げ出したのはお前だろう。そのまま暫く痛い目に遭っていろ、と言いたいところだが……すまん、オルランド。放してやってくれ」

 

 

 依頼人、ミュラーの頼みによってグランが解放すると、オリビエは顔を輝かせて彼の方へと駆け寄った。抱き着こうとするオリビエの顔を抑えて阻止するその姿は、世話のかかる幼馴染を持ったミュラーの苦労を表している。特務支援課の面々はオリビエの言動に若干引いていた。

 捜索依頼を無事に終え、二人を見送ったロイド達。次の要請を確認しようとしたロイドだったが、グランの助けもあって想定より早く要請が片付いているという事で、一先ず市内を案内しようとエリィから提案があった。要請ついでにクロスベル案内を行う予定が、思いの外市内を歩き回る事なく終えてしまった為だ。無論その意見には皆も賛成で、旧市街から案内を始める事に決まった。

 グランが改めて見渡した旧市街の街並みは、年々発展を遂げるクロスベルとは思えない、寂れたスラムの様な風景。社会からはみ出された者、俗に言う不良が辺りを歩き回り、屋根の無い自作の住居を構える人の姿も見える。開発とは程遠い、華やかさとは無縁の地。それが、クロスベルの発展に取り残された、旧市街という区画の現状だった。

 

 

「しっかし、相変わらずここだけは手入れの気配も無いな。帝都にも似たような場所はあったが、まだ市街地として機能していた。急発展を続けるクロスベルの宿命ってやつですかね」

 

 

「そうね。経済の急激な成長は、発展と同時に取得の差やインフレも激しくしてしまうから。全ての人が平等に、恵まれた生活を送るというのは難しいけれど、決して不可能な事じゃない。だけど、現状は二大国に挟まれたクロスベルという街が、利益を優先した結果、その弊害が生じてしまっている。それでも、お祖父様は旧市街の支援に積極的な御方だから、きっとディーター市長とご一緒に解決してくださるわ」

 

 

「ディーター=クロイスか……IBCという後ろ盾は確かに大きいでしょうね。とは言え、IBCは国際バンク。盾にするには世界的な金融リスクが大きい上に、それをしてしまえば帝国や共和国、クロスベルだけの問題ではなくなる。クロスベルというものの根本から変えなければ、現状の打破は無理か」

 

 

「ええ。でも今は法の制定や改正も行われて、少しずつではあるけれど、クロスベルにとって良い方向に進んでいる。教団事件以降、議員達の汚職も明らかになって、人員改革も行われた。これまでの様に、帝国や共和国の思惑に振り回される様な事は少なくなるでしょう。クロスベルの体制も、ディーター市長の手腕で整ってきている事だし」

 

 

「表面上なら、と言うべきでしょう。国として繁栄したのなら兎も角、自治権程度の力じゃ体制を整えたところで心許ないのが現状だ。レマン自治州の様にアルテリアの承認があれば別だが、国家主権の無いクロスベルにおいての主導権は完全に帝国と共和国。クロスベルがクロスベルとして存在するには、障害になる壁が多過ぎる」

 

 

 クロスベルの闇。帝国と共和国に挟まれ、それぞれの思惑が行き交う事で発生する様々な障害。この旧市街もそれの一部に過ぎず、現状では解決困難な問題をクロスベルは数え切れない程抱えている。一国としての力を持たず、二大国の思惑に踊らされながら今のクロスベルという街が出来上がってしまっている以上、現状を変えるというのはそれこそ不可能に近いだろう。奇跡と呼べる行いですら、変革を遂げる事が出来るのかも怪しい。

 クロスベルの抱えるそれは、理想と現実が余りにもかけ離れている。それでも誰しもがそれを認知し、抗うからこそ今はまだ自治州としての形が残っていると言える。クロスベルの人間が諦めたその時、自治州としての機能は完全に崩壊するだろう。エリィの様な考えを持つ人がいればこそ、クロスベルにはまだ未来がある。

 彼女の意見に対するグランの返しは辛辣だが、的を射ているのも確か。エリィ自身もその問題から目を背けている訳では無いが、改めて現実を突きつけられてしまうとどれ程困難な状況なのかを再認識してしまう。クロスベルの危機的状況は言わずもがな。少し気落ちしたエリィの表情に気付いたグランは慌てて彼女に謝った。

 

 

「すみません。護衛という職業柄、その辺のややこしい話は嫌でも耳に入ってくるもので。クロスベルそのものを軽んじている訳ではないんですが……」

 

 

「気にしないで。グラン君の言っている事は確かにその通りだし、悪気が無い事も分かってるから。それに、グラン君みたいに各国の首脳と出会う機会のある人は稀だし、こういった話の相手になって意見を交わしてくれる人って結構貴重だから。特に第三者目線での意見は勉強になるから、逆にお礼を言いたいくらいよ」

 

 

「グラン、お前さんも変わったなぁ」

 

 

「あの、お二人が何を話しているのかさっぱりなんですけど。ロイドさん分かります?」

 

 

「まあ、何となくは……」

 

 

「こうして話を聞いてると、クロスベルも相当危機的状況だと思い知らされるよね」

 

 

 どこか楽しそうにグランと話すエリィを、ロイド達は難しそうな表情で眺めていた。政治と経済。クロスベルにとっては最も大きな問題と言えるそれは、複雑怪奇で解決には尋常では無い労力を要する事になる。ならばこそ、クロスベルを仕切る者の手腕が問われるという事だろう。

 難しい話も程々に、皆の行動はグランへのクロスベル案内に戻る。旧市街を歩きながら、一行は奥にある一つの建物に差し掛かった。中からは派手な音楽が外に漏れ、周囲の迷惑を考えないその行いは不良のたむろする場所だと容易に気付かせる。ここは特に案内する場所でも無いとロイド達が告げ、一同は引き返す事に。すると、旧市街の入口へ向かう彼等の背後から扉の開く音が。

 

 

「はあ……相変わらず、ここの人達は自分を大切にしないというか、何というか。バーニカの教会にいる孤児達の方が余程聞き分けがいいですよ、全く」

 

 

 不良が縄張りとする建物の中から現れたのは、雪の様に白く長い髪を下ろし、碧い瞳を持つシスター服の女性だった。中で説教を行なって出てきたのか、その表情は機嫌を損ねている様子。左手に持つ棒術用の得物を今にも振り回しそうなほどである。

 音に振り返った一同と、シスターの女性は互いに視線を通わせる。ロイド達はそのシスターと知り合いだったのか、自然と挨拶を交わす。

 

 

「今日も不良達の躾っスか? クロエさんも大変っスね」

 

 

「ありがとうございます、ランディさん。これも私の仕事ですから。特務支援課の皆さんもこんにちは。毎日見回りご苦労様です」

 

 

 ランディの声に愛想よく返し、彼に歩み寄って笑顔を浮かべるシスターのクロエ。鼻の下が伸びたランディの後ろでノエルはやれやれと首を振り、他のメンバーも彼の様子に苦笑気味。女性にだらしがないのは、グランと同じ血を通わせる彼の宿命か。

 そして、クロエの声に反応して、特務支援課の影からグランが顔を覗かせる。

 

 

「何やってんだ、お前」

 

 

「……グランハルト様!? なんで、どうしてここにいるんですか!?」

 

 

 グランとクロエ。彼女が士官学院に訪問して以来、一ヶ月振りの再会だった。




重い話と言ったな、あれは嘘だ。……単に収まり切らなかっただけです、ごめんなさい。

シャーリィとグランのちょっとした過去。仲良かったんだよなぁ、昔は。仲違いの原因はなんとなくシャーリィも察していますが、なぜそれが原因になるのかが分かっていない様子。好きな子目の前で射殺されたらキレますよ、そりゃあ。ただ、彼女には昔のグランのイメージが強烈に残っているので、その程度で嫌う理由にはならない、と考えているといったところでしょうか。グランの赤い星座時代の話は今章で時折混ぜて行こうかなと思っています。

オリビエの扱いはご了承を。だってグラン彼の事嫌いだから。まあ、扱い的には原作と大差無いか。

クロエ登場! 本当は彼女の過去をメインに、昔のグランの事を混じえてシリアスに突入する予定だったんですが、思ったより進まず。次回に先延ばしです。ごめんなさい石投げないで……!?

最後に……会長逃げて、超逃げてー!

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