紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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仔猫の捜索

 

 

 

 特務支援課の創設は、市民から無能と蔑まれていた警察の信頼回復を目論んで行われた。現状のクロスベルでは、法の兼ね合いもあり、クロスベル内で帝国、共和国民が絡む事件が発生しても、警察は強い執行力を持つ事が出来ない。その為、民間第一を主義とする遊撃士に活躍を奪われてばかりの日々だった。そして、ここに来て漸く危機感を覚えた警察上層部は、その現状を打破するべく、警察という組織の在り方を示すためにも民衆へ寄り添う事が必要とし、特務支援課の発足を決定、今に至る。

 立場上、警察という組織の行動力が、どうしても遊撃士に及ばない部分があるのは否定できない。各国に支部を構える遊撃士協会は、クロスベルという枠組みの中で主に活動する警察と違って融通が利き、尚且つその情報網は段違いに広い。それ故に、捜査前の段階で大きく差をつけられ、遊撃士側は更に迅速な対応が可能になる。この時点で警察側にほぼ勝ち目が無いように思えるが、しかし、遊撃士には遊撃士の利点と欠点があるように、警察という立場にもまた利点はある。それは、警察、遊撃士協会とそれぞれが掲げる組織の在り方、規約に関わるもの。

 遊撃士協会が各国に支部を構える事が出来ている大きな要因の一つ。彼らの掲げる規約の中には『国家権力に対する不干渉』というものが存在し、国との間で取り決められている。そしてそれを規約としている遊撃士は、国の介入が決定した時点であらゆる事件、出来事から手を引かなければいけない。無論、その例外はあるが。

 対して警察という組織は、法の下に自治州の秩序を守る為に設立された。であるならば、遊撃士と違い国家の干渉があったとしても、そこに違法性があれば捜査を継続する事が可能になる。ただ、唯一の利点であるそれも機能していないというのが、警察が無能と称され、遊撃士人気を高める要因の一つになっているのだが。

 そこで、市民の悩みや問題を解決する為に設立された特務支援課の出番である。しかし、住民の声を反映し、警察が民に寄り添う親しみのある組織だと認識してもらう為に発足した以上、その職務はどうしても遊撃士の活動と似通ったものになってしまう。故に発足当初は遊撃士と比べられ、足蹴にされる時期もあった。それでも、ロイド達特務支援課の努力により、今は市民からも頼られる存在に成長した。遊撃士協会も彼らを認め、先日は教団事件と呼ばれる重大事件の解決に至ったほど。

 

 

「しかし、思っていたより警察は市民から好印象なんですね」

 

 

 警察に寄せられた要請に応えるべく特務支援課ビルを後にし、最初の目的地である東通りの住居へ向かっている途中、市民から親しげに声をかけられるロイド達を見て、グランは意外そうに話した。事前情報として警察と遊撃士の格差を知らされていた彼は、意外にも住民達に溶け込んでいる彼らに少しばかり驚きを見せている。彼の言葉にはロイド達も苦笑気味で、痛い所を突いてくるといった表情だ。

 心なしか、グランと距離を置いて歩くエリィとノエルの内、発足当初からのメンバーであるエリィが懐かしむように口を開いた。

 

 

「そう言えば、最初は何かと大変だったわね。市民からは勿論、警察内部での印象もあんまり良くなかったし……」

 

 

「まあ、あの頃は遊撃士に色々掻っ攫われてたからなぁ。エステルちゃんとかが居たのも大きかったんだろうが」

 

 

「はは……でも、エリィやランディ、ティオや課長達みんなが居てくれる。だからここまでやってこれたし、これから先も、何があっても乗り越えられるような気がするよ。みんなには、本当に感謝してる……ありがとうな」

 

 

 エリィ、ランディの両者の言葉に、何処か照れくさそうにしながらも笑顔で答えるロイド。その言葉で逆に恥ずかしくなったのか、エリィとランディは頬をかいて顔を背けていた。これで無自覚なのだから、ロイドという男はタチが悪い。

 そして、彼らの傍でその様子を見ていたグランとワジ、ノエルもまた、ロイドという男の恐さを肌で感じていた。

 

 

「す、凄まじい天然だな。リィンに匹敵する奴がこんな所にいたとは……」

 

 

「フフ……全くだね。そのリィンって名前の子も余程のタラシと見た」

 

 

「ロ、ロイドさんに匹敵する人がいるなんて、考えたくも無いです……」

 

 

ーーーーはっくしゅ!……ーーーー

 

 

ーーーーどうしたシュバルツァー、風邪か?ーーーー

 

 

ーーーーいえ、何でもありません。訓練を再開しますーーーー

 

 

 何か不名誉な事を言われている訓練中の士官学院生はともかくとして、ロイドという男がこの先最も警戒しなければいけない人物だとグランは確信する。少なくとも、この地へ共に訪れている彼女だけは絶対に会わせないようにしなければ、と。

 グランがそんな事を考えている間、一同は目的地の住居に当たる東通りのアパルトメント『アカシア荘』へ到着した。指定された家の前で立ち止まり、扉をノックして返事を確認した後、中へと入る。

 

 

「サニータがいけないんですの。サニータがちゃんと見ていなかったからマリーは……!」

 

 

 家の中では、両親に慰められながらも、自分自身を責めて涙を流す桃色髪の少女の姿があった。依頼人でもある父親のボンドによると、昨日東通りの露店で家族水入らずの時間を送っていたところ、少し目を離した隙に飼い猫の仔猫マリーを見失ってしまったとの事。普段は娘のサニータに懐いて傍にいるようで、だからこそ注意もそこまで向いていなかったのだろう。その日は住民達に協力を得て暗くなるまで捜したが、結局見つからなかったらしい。捜索を一旦切り上げる際、中央広場に向かったという情報を得て、仕事が休みの今日はそちらを捜す予定のようだ。

 見失ってから一日経過している事もあり、仔猫とは言っても捜索範囲は市内全域まで広げなければならないだろう。あくまで情報は昨日の時点のものなので、下手をしたら街道にまで逃げている可能性もある。ただ、昨日の目撃情報と仔猫の行動範囲、そして臆病だというその猫の性格を考えれば、まだ市内で迷子になっている可能性が高い。

 

 

「とにかく街に出て捜すしかないわね。先ずはこの東通りをもう一度捜してみる?」

 

 

「ああ。昨日の繰り返しになるけど、それがいいだろう」

 

 

 エリィの提案にロイドが頷く形で、捜索は東通りから行うことが決定した。ノエルが東通りでマリーが行きそうな場所を尋ね、露店の魚屋がお気に入りとの情報も得てロイド達はアカシア荘を後にした。

 東通りの露店で聞き込みを行うべく、露店街へ下りる階段へ向かおうとしたその時。ふと、グランが立ち止まる。

 

 

「ロイドさん、ここに仔猫は居ないようです。他を当たりましょう」

 

 

 唐突なその言葉に、特務支援課メンバーは驚きを見せる。まだ捜索を始めて間もないどころか始まってすらもいない段階で、グランはこの東通りに仔猫が居ないと断言したからだ。特務支援課ビルで見せた彼の一面はともかくとして、遊撃士協会で見せた辣腕は確かであり、彼の優秀さはロイド達も目の当たりにした。だが、何を持ってグランがそう断言するのかが疑問な以上、信用に値する言葉にはほど遠い。しかし、唯一グランを昔から知っている彼は気付いた。

 

 

「そうか、グランにはそれがあったな」

 

 

「ランディ先輩、どういう事ですか?」

 

 

「グランの索敵能力の事だ。昔からこいつの気配探知は異常でな、一キロ圏内なら余裕で気配を見極められる。ティオすけと同等か……それ以上だろうな」

 

 

「へぇ、そりゃあ首脳クラスが護衛任務を依頼するわけだ。それだけ気配に敏感だと、奇襲や暗殺は意味を成さないだろうからね」

 

 

 ランディの話を聞いて、ワジは感心したようにグランの顏を見ていた。これまで彼が護衛任務を請け負って一度の失敗もない大きな要因。一流の猟兵としての実力に加え、気配感知という優れた能力まで有している事。奇襲、暗殺といった敵意に対する絶対的な力であるそれは、要人警護の任務においては絶大な効果を発揮する。東のカルバード共和国にて噂される伝説の凶手、東方人街の魔人と呼ばれる存在ですら、その索敵範囲内を潜り抜ける事は敵わないだろう。

 ロイド達はグランの力の一端に顔を驚かせながらも、それなら信用に足ると捜索場所を隣の地区へと移す。何処か足早に移動するグランに疑問を感じながらも、行政区へ向かう彼の後を追う事に。しかし、そんな彼らを突然呼び止める声が。

 

 

「グラン兄にランディ兄じゃん、それに昨日のお兄さん達も。みんな揃って何してるの?」

 

 

「……気づかれたか」

 

 

「チッ。グランが急いでたのはそういう事だったのか」

 

 

 突如響き渡った無邪気な少女の声に、諦め顔のグランと不機嫌な様を露わにしたランディの二人が歩みを止めた。ロイドを初めエリィ達もその声の方向へ視線を向け、歩み寄ってくる赤い髪の少女の姿を捉える。シャーリィ=オルランド……赤い星座の部隊長を担う、血染めの少女が彼らの前に姿を現した。

 不意に訪れた緊張状態だが、流石の彼女もこの様な街中で、しかも通商会議開催に伴って各国が集うこの時に暴れるような事は無いだろう。当の本人もそのつもりは無いのか、あくまで賑わっているクロスベルの街中を楽しんでいるだけのようだ。笑顔で片手に鳥肉の串焼きを握る姿がそれを表している。

 シャーリィは彼らの姿を見つけて歩み寄ると、グランの前で立ち止まった。

 

 

「あは。さっきは突然グラン兄が何処かに行ったから探してたんだよ? せっかくクロスベルが賑わってるんだから、一緒に遊びたかったのに」

 

 

「オレも仕事で来ている身だ、お前の相手ばかりもしてられん。」

 

 

「冷たいなーもう。昔はよく一緒に屋台廻ったりしてたじゃん……こんな感じで!」

 

 

ーーーーグラン兄、次あっち行こうよ!ーーーー

 

ーーーーグランハルト、次あっち行こうよ!ーーーー

 

 

ーーーーそんなに急がんでも物は逃げねえっての……ったくーーーー

 

 

ーーーーえへへ! だって楽しいんだもーん!ーーーー

 

 

 ふと、グランの脳裏を過ぎった懐かしい光景。それは幼き頃に過ごしたシャーリィとの思い出だけではなく、既にこの世にいない白髪の少女と共に過ごした時の一幕だった。目の前で笑顔を浮かべながら腕を組んでくる妹が、その手で命を奪った大切な彼女との記憶。自身の腕をとり、笑顔を浮かべて街中を共に歩くシャーリィとクオン、それぞれとの懐かしき過去。交互に繰り返される彼女達との思い出は、様々な思いや葛藤はあれど、グランにとってはどちらも大切なものである事に変わりはない。ただ、忘れていたクオンとの思い出の一幕を開けるきっかけが、シャーリィの行動によるものというのは皮肉以外の何物でもないが。

 自然と腕を回してきたシャーリィへその腕を離すようにグランは言い聞かせるが、離せと言って離すほど彼女の聞き分けがいいはずがなく。どこ吹く風で腕を組んだまま串焼きを食べていた。

 

 

「こうして見ると、双子だけあって似てるんだな。どこにでもいそうな仲の良い双子の兄妹みたいだ」

 

 

「ええ。この光景だけだと、二人が猟兵だなんて微塵も思わないわね」

 

 

「私もフランとよく遊んでましたから、あの関係は微笑ましいですね」

 

 

「紅の剣聖に血染めの(ブラッディ)シャーリィ……今思うと中々凄い組み合わせだよね」

 

 

 一見戯れているようなグランとシャーリィの姿に、特務支援課の彼らは各々思いを述べているが、実際は仲の良い関係や微笑ましいといったものではない。体面上、グランが仕方なくシャーリィに合わせている状況で、彼女がただ欲望のままに甘えているだけの構図である。グランが弁えていなければ、本来の二人の関係性なら剣戟の一合や二合飛び交っても不思議ではない状況だ。

 そして、唯一この中でその関係性を知る者。二人の身内でもあるランディは、グランの対応に僅かながら驚きを見せていた。

 

 

「(はは、あれだけの事があって割り切れてるんだからお前はスゲェよ。俺にはとてもじゃないが……)」

 

 

 赤い星座の元部隊長、ランドルフ=オルランド。闘神の息子である彼もまた、グランと同じく複雑な心境でシャーリィの前に立っている。しかし揺れ動く彼の心には、意志の強さ、決意の有無というグランとの明確な違いがあるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 仔猫の捜索依頼を受けていたロイド達は、シャーリィに足止めをくらったものの直ぐに捜索を再開した。グランの気配感知を頼りに仔猫を捜索するべく、次の捜索場所である行政区へと向かう。この方法では市内を歩き回る羽目にはなるが、グランへのクロスベル案内も合わせて行う事が出来る為それほど非効率的でもない。捜索方法という観点から見れば、手掛かりも無しに歩き回る事自体は非効率ではあるが。

 そしてそんな中、仔猫を捜すべく市内を歩くグランの隣には、未だにシャーリィの姿があった。グランがロイド達特務支援課と行動を共にしている事に興味を持った彼女は、グランとランディの帰れという言葉に耳を貸さず勝手について来ている。彼らもシャーリィの事は諦め、何をしているのか興味を持った彼女へ、ロイドが特務支援課に寄せられた依頼の内容を仕方なく説明した。

 

 

「それでグラン兄を頼りに歩き回ろうって事? ダメだよそれじゃあ、もっと仔猫の気持ちにならないと。その家族、引っ越したばかりなんでしょ?」

 

 

「あ、そうだわ。どうして気がつかなかったのかしら」

 

 

 シャーリィは仔猫の話を聞いて直ぐに気付いたようで、エリィも彼女の言葉で見落としていた点に漸く気付く。今回の仔猫の捜索において最も重要な点、ボンド一家が先日東通りへ引っ越したばかりだったという事に。

 仔猫のマリーは東通りでボンド一家とはぐれた後、確かに彼らの元へ帰ろうとしていたのだ。しかしそれは東通りの新居ではなく、以前住んでいた住宅街の一画。マリーは思い出深い引っ越し前の場所へと向かっていた。

 シャーリィの助けにより、マリーが住宅街にいる可能性が浮上した。旧ボンド宅はロイド達も知っているようで、早速そちらへと向かう事に。仔猫に会いたいという理由で依然シャーリィはついてくるが、手伝ってもらった以上誰も彼女の同行に異を唱える者はおらず。グランは腕を組んで離さない彼女の事は諦め、ご機嫌なシャーリィを引き連れて一行はクロスベル西部の住宅街へ向かう。

 住宅街の一画、旧ボンド宅には既に人が住んでいた。ロイドは家の中から聞こえてくる青年達と思しき声に聞き覚えがあったのか、住人が協力的だったら良いがと後ろ向きな言葉を呟き、直後に扉をノックして開く。

 

 

「誰だ……?」

 

 

「お、お前らは……!?」

 

 

「警察の奴らじゃねぇか!?」

 

 

 中にいたのは三人組の青年達。彼らは以前、市内を車で暴走した事によりロイド達警察のお世話になっていた。その時の恨みが少なからずあったようで、彼らの様子は余り歓迎ムードではない。ロイドは駄目で元々訪ねて来た旨を説明するも、やはり青年達はまともに取り合う事はなく。話を聞くに仔猫がここへと姿を現した事までは分かったが、それから先の事を聞きたければ誠意を見せろと彼らは話す。遂には土下座や女性陣の裸踊りで手を打つなどという無茶まで言い出した。

 エリィとノエルは彼らの非常識な発言に呆れ、ロイド達も脅して吐かせるわけにはいかずどうしたものかと頭を悩ませる。そして調子に乗る青年達に手間取るロイド達を後ろで見ていたシャーリィは、その姿に呆れ顔だった。

 

 

「お兄さん達、どうしてこんな連中に手間取ってるの? さっさと————」

 

 

 シャーリィが青年の一人へ掴みかかろうと足を踏み出したその瞬間。彼女は横から差し出された手に制止され、直後に驚きの表情を浮かべる。自身を制止したグランは直前まで隣にいたにもかかわらず、認識する間も無くロイド達の前へと躍り出ていたからだ。グランは青年達の内一人の胸倉を掴むと、警告だと言わんばかりに彼らへ睨みを利かせる。

 

 

「調子に乗るのもそこまでにしておけ。土下座で済ませるなら兎も角、女性への辱めまでは流石に看過出来ない」

 

 

「な、何だこいつは……!?」

 

 

「おいテメー、ユーリから手を離せ!」

 

 

 女性陣へ向けられた卑劣な言動には、傍観する立場だったグランも流石に怒りを露わにした。青年達は突然の事に驚き、ロイド達も彼の行動には動揺を見せる。エリィとノエルはグランの怒りが自分達の為だという事に嬉しく思うも、だからと言って彼の行動を容認する訳にはいかない。少なくとも彼らは、クロスベル警察が守るべき市民の対象だ。暴力で事を解決するのは、彼女達も望んではいない。すかさず二人はグランの制止に入る。

 

 

「グラン君、私達は大丈夫だから」

 

 

「そうですよ。だから彼らの事は本気にしないで————」

 

 

「オレですらエリィさん達の胸を拝めるかどうかって段階なのに、その程度の貸しで裸を見せろだと? 羨ま……じゃない、これ以上出過ぎた行動を取るならこちらにも考えがあるぞ」

 

 

 しかしグランの本音はこれである。彼を宥めようとしたエリィとノエルは伸ばしかけた手を止めて、こういう子だったと項垂れる。ロイドは呆然とし、ワジとシャーリィは口元を押さえて笑い声を漏らしていた。だが、事は彼らが思っている程楽観的なものではない。本心ダダ漏れではあるが、グランは本気だ。彼の性格を考えれば、青年達がこれ以上巫山戯るようなら彼は容赦しない。仕方ないといった様子で、ランディが彼らの仲裁に入る。

 

 

「グラン、それくらいにしておけ。お前さん達も、これ以上馬鹿な事言ってると独房行きだぞ」

 

 

「は? 馬鹿を言っているのはそっちの方だろ」

 

 

「何でこんな事くらいで捕まるんだよ。ていうか俺達まだ何もしてねぇだろ」

 

 

「そいつは軍の関係者だ。しかも上の人間とも繋がりがあってな、有る事無い事吹き込まれたらどうしようもない。あとは……言わなくても分かるな?」

 

 

 ランディの言葉に二人の青年は動揺を見せ始めるが、グランに胸倉を掴まれたユーリと呼ばれる青年だけは彼の話を鼻で笑った。嘘をつくならもう少しマシな嘘をつけと。確かに、グランのような身なりの男を軍人だとは、況してや軍の上層部と関係のあるような地位の高い人物には見えない。第一そんな人物が、仔猫の捜索を手伝ってこんな住宅街に来るなんて話は信じられないというのは尤もだろう。だが、動揺を見せる青年の一人は、確かに彼を目撃していた。

 

 

「ユーリ……そう言えば俺、昼前にこいつが共和国の軍人みたいな奴と話しているのを見た」

 

 

「な、何? まさか、お前……」

 

 

「あ? ああ、あの時か。以前ロックスミスのオッサンには世話になったからな、軍の人間なら顔見知りぐらいいくらでもいるぞ」

 

 

 青年達に戦慄が走った。ロックスミスという名前を、況してや共和国の出身である彼らが知らないはずがなかった。サミュエル=ロックスミス……カルバード共和国の現大統領にして、此度開催される西ゼムリア通商会議の為この地へ訪れている人物である。

 ユーリはグランの話を口から出まかせだと信じていないが、その威勢は先に比べれば随分と弱い。そして、その変化をグランが逃すはずもなく。彼の口元がニヤリと口角を吊り上げる。

 

 

「なるほど、お前ら共和国の出身か。よし……何なら今から共和国に帰るか?」

 

 

 直後、ロイド達は仔猫が先程この家を飛び出していったばかりだという情報を入手した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 青年達の家を後にしたロイド達は、住宅街の路上で仔猫を直ぐに発見した。走り去る仔猫の後をつけ、歓楽街に迷い込んだところを包囲して捕らえる事に決めた彼らだったが、追い込み方も追い込んだ場所も悪かった。多人数で詰め寄れば仔猫が怯えて逃げる事は必至で、更に追い詰めた場所がアルカンシェルの劇場の前。怯えたマリーは劇場の中へと逃げ込んでしまう。

 支配人の協力を得て、各自手分けして劇場内を捜索する。そして、仔猫が舞台の仕掛けに飛び乗って落下しそうになるアクシデントもあったが、シャーリィと現地の助っ人によって無事保護に至った。ロイド達は顔見知りだった現地の助っ人リーシャ=マオに礼をした後、仔猫を主人の元へ送るべく劇場を後にした。

 そんな中、ロイド達の後ろを歩いていたグランは自身の名を呼ぶ声に一人歩みを止めると、その場を振り返った。彼は見送りで表まで姿を見せている黒髪の女性——リーシャと互いに向かい合う。そして、グランの視線を受けた彼女は、その頭を深々と下げた。

 

 

「その……ありがとうございます。ロイドさん達に、私の事を黙っていて下さって」

 

 

「礼の必要はない。オレがあの時退けたのは(イン)であって、リーシャ=マオじゃないからな」

 

 

 素っ気なくリーシャの礼に応えたグランは、彼女の姿を静かに見詰める。アルカンシェルの大型新人アーティスト、リーシャ=マオ。その彼女が現在纏っている、今夜の舞台で使用される銀の月姫を模した衣装。身長とは反比例の大きな胸を強調させたその幻想的な姿に、彼は少なからず見惚れていた。リーシャはそんなグランの視線に戸惑い、苦笑を浮かべる。

 

 

「えっと……変、でしょうか?」

 

 

「いや、よく似合っている。迷いの中で装う黒装束よりも、楽しげに纏うその姿の方がずっとな。せっかく見つけた場所だ、大切にするといい」

 

 

「はい。私がここに居てもいいのか、今でも迷う事はありますけど……この場所は、いつまでも大切にしたい」

 

 

 かつて刃を交わした両者は笑顔で向かい合う。一方は光を見出した彼女の行方を祝福するかのように。また一方は、漸く見つけた場所の温かさを肌身で感じて喜ぶように。交わす言葉も尽き、グランはロイド達の元へ戻るべくその身を翻した。

 歩みを再開した彼の後ろ姿へ向けて、リーシャは問いかける。

 

 

「あの……どうしてあの時、私を見逃したんですか? 私は貴方の護衛対象を狙いました。伝え聞く噂が本当なら、紅の剣聖は敵対者に情けをかけるはずがありません。その貴方が何故……」

 

 

「さて、どうだろうな……オレは胸の大きい女性が好きだ、もしかしたらそれが理由かもな」

 

 

「もう、私は真剣に聞いているのに……」

 

 

「……ったく、聞いても一文にもならないと思うが」

 

 

 大した情報でもないのに、やけに問い詰めてくるとグランは困った様子で歩みを止めた。別段隠したいほどの理由ではない為、彼は一度振り返るとその理由を告げる。

 

 

「あの場で斬り捨てるには惜しいと思っただけだ。殺しの道を選んだ少女が、どんな末路を迎えるのか……教訓にでもしようと思ってな」

 

 

「……趣味、悪いですね」

 

 

「余計なお世話だ。ただ、後悔したくなければ早く気付く事だ。オレがあの時、始末しておけばよかったと思わないようにな」

 

 

「っ!? それは、一体……」

 

 

 リーシャの声に応える事はなく、不穏な言葉を残したままグランは振り向くとロイド達の元へ歩き出す。彼女はその後ろ姿を、ただ疑問を抱えたまま見詰める事しか出来なかった。そこから先は自分で考えろ、そう彼に背中で言われたような気がして。

 グランがロイド達に追いつき、彼らが歓楽街を後にするまで彼女はその姿を見つめていた。その瞳からは、グランが去り際に浮かべた笑みが離れなかった。

 

 

「紅の剣聖、グランハルト=オルランド。あの時は確かに、温かい人だと感じたけど……」

 

 

ーーーー結構可愛い顔してるじゃないか。綺麗に着飾って出直して来い、その時はまた相手をしてやるーーーー

 

 

 頭を荒々しく撫でてきながら、自身を見逃してくれた時の事を彼女はふと思い出す。

 

————無謀な仕事だった。対峙すれば命を失うかもしれないと分かっていた。紅の剣聖を振り切って対象を暗殺するには、自分の腕では荷が重すぎると分かっていて仕事を引き受けた。実際現場で対峙した時、勝てないと確信に至ったほど彼との実力差はあった。

 だけどあの時、彼は確かに温かな笑みを浮かべて見逃してくれた。(イン)としてではなく、ただの女の子として私を認めてくれた初めての人だった。もしかしたら、それはただの思い違いなのかもしれない。

 そうだとしても。今日、この姿を見て似合ってると言ってくれて嬉しかった。この場所に居てもいいと、彼から直接言われた気がして。

 それなのに、彼が最後に向けてきた笑みは————

 

 

 いつの日か、望んだはずの再会を果たした少女。彼女はこの場から去った少年に問う。去り際に浮かべた笑みを、その奥に垣間見えた狂気の真意を。

 

 

「一体どちらが、本当の貴方なんですか?」




 特務支援課withグラン始動!……一人ついてきましたが、まあ仕方ないよね。グランにとっても双子の妹として可愛がってた部分があるので、突き放したつもりでも中々強く拒絶出来ていないようで。だからシャーリィにはいいように絡まれてるんですが。

 リーシャ登場! この依頼では必然的に出てくることになりますが、グランってば昔会ってたのね。何気にフラグ立てかけてる……まあ結局はロイドに取られるけどね! 会長LOVEなんで当然ですが。

 次回は四章でポッと出のあの人が出てきます。少し重い話になるかも……

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