レグラムの町中は静まり返り、殆どの家屋から灯りが消えて住民達が眠りについた頃。アルゼイド邸の一室、女子達が寝室に使用している部屋の中ではグランが一人ベッドの上で体を起こしていた。同室している他のメンバーは皆規則的な呼吸で寝息を立て、彼以外に目を覚ましている者はいないようだ。そしてそんなグランが部屋の中を見渡す先、離れた場所には横並びに設置されたベッドが四つほど見える。
実はグランのベッドは部屋の入り口側の隅に設置されており、女子達が眠っているベッドはこれでもかと言うほどに彼と距離を取っていた。と言ってもそもそも女子達と同室している現状が間違っている訳で、除け者にされたような配置ではあるがグランを擁護するという事はあり得ない。まあ、それでも多少可哀想な気もするが。
──いいですか? もし半径五アージュ以内に入ったら即テラス行きですよ?──
「半径五アージュってもうベッドから降りた時点でほとんど動けないんだが……そこまで警戒しなくてもいいだろ」
就寝前にエマから告げられた言葉を思い出し、グランは肩を落して彼女達が寝ているベッドへと視線を移す。彼の口振りだと何もしないと言っているように感じるが、その実心の中では気付かれないように忍び寄るのもありかと考えているから救いようがない。
そしてもう少し時間が経過してから寝顔を覗き込みに行こうかと、グランが最低な結論へ至っていたその時である。女子達が就寝しているベッドの内、右端の一つだけが布団越しにもぞもぞと動いた。
「そういや忘れてた──フィーすけ、起きてるな」
「……ん」
グランがそのベッドへ向けて声を上げると、どうやら起きていたようで、名前を呼ばれたフィーは体を起こして頷いて見せた。彼女はベッドから脱け出すと、音を立てないように注意しながらグランの傍へと近寄る。
フィーが傍へ寄って来る姿を見ながら、グランは足横の布団を軽く叩いて座るようにと促す。そして彼女がベッドに腰を下ろした事を確認して、グランが溜め息を一つこぼしてから話を切り出す。
「昨日の夜、サラさんとオレの会話を盗み聞きしたらしいな」
「……ごめん」
「謝らなくていい、落ち度があったのはオレの方だからな……それで、フィーすけは一緒に行きたいのか?」
「え……?」
少し困ったように話すグランの言葉に、フィーは呆気にとられていた。何故なら、昨晩の話を盗み聞きした事、サラにクロスベルへ行きたいと無理に懇願した事を怒られると思っていたからだ。しかし彼が告げた言葉は叱咤ではなく、クロスベルへ同行したいのかという確認。
そしてその声のトーンは穏やかで、頷けばクロスベル行きを了承してくれるのではないかと思うほど優しげなもの。ダメで元々、フィーは上目遣いで口を開いた。
「行っても……いいの?」
「ああ。サラさんは五月蝿いかもしれないが、オレが何とか説得してやる……どうせ、守る対象が増えるだけだ」
「……」
守る対象が増えるだけ。その言葉は、要人警護の任務において失敗がない彼だからこそ口に出来るものだった。護衛対象が一人増えれば、それだけ任務に必要とする能力は必然的に上がる。そしてグランが護衛任務を遂行する際に自身に課している決め事は、護衛対象に優先順位を付けず、全てを護り抜くという信念。彼が言い切るのなら、赤い星座が滞在し、テロリストが襲撃してくる可能性の高いクロスベルでもフィーが怪我を負うような事態は起こらないだろう。グランの傍にいる限り、彼女の安全は保証される。
だが、同行を認めてもらえたにもかかわらず、フィーの表情は冴えなかった。
「……私も、手伝う」
そう、“護られる”という事が彼女には気に食わなかった。思い起こせば、フィーは西風の旅団にいた頃も、この学院に来てからもグランに守られてばかり。彼の隣で、彼と対等な立場で物事に取り掛かった事は一度として無かった。グランが西風時代に
だがそれも仕方のない事である。何故ならば、彼女にはまだそれだけの力が無い。
「バカ言うなっての、自分と相手の実力差が分からないお前じゃないだろ。猫が虎に勝てる要素は一つも無い」
「もしかして……シャーリィ=オルランドの事?」
「そうだ。今だから話しておくが、オレが西風を脱けた本当の理由……それはな。シャーリィがお前に興味を持ったからだ」
「っ!?」
告げられた真実は、フィーを驚かすには充分すぎるものだった。以前グランと二人でクロスベルに行った時、彼から聞かされた理由とは全く違うその言葉に。
グランが西風の旅団を辞めたのは、彼に父親を倒す力が無かったからではない。彼女に、フィーに力が無かったから。当時十三才という若さで赤い星座の主戦力として功績を上げていたグランの実の双子の妹……シャーリィ=オルランドに、フィーが勝てる要素が無かった。それこそが、当時グランが西風の旅団を脱退した理由。
「オレがクソ親父とやり合う前日、シャーリィのバカがオレを探して西風の陣地へ入った事があったろ」
「うん……少し驚いたけど」
猟兵という人種は基本的に、たとえ敵対する存在であっても戦場以外では事を構えない。殺し合った翌日に、酒場で顔を合わせればその事を酒の肴に盛り上がる事もしばしば。常識的に考えれば異常とも言える思考だが、それが猟兵である。
そのため、当時フィーも西風の面々も陣地に侵入したシャーリィを警戒こそすれど、事は構えなかった。グランは余り乗り気では無かったようだが、歓迎とはいかないまでも、彼女がグランの昔の話をして西風のメンバーは盛り上がっていたらしい。
そして中でも重要なのは、その会話の最後にシャーリィがグランへ話した事だった。
「その時、オレがお前の面倒を見ているのを丁度シャーリィが見たらしくてな。追い払うのも可哀想だから話してやったら、懐かしい話のあとに飛んでもない事をぬかしやがった。実力こそ下だが、フィーすけと戦いたいと……それも、単なる殺し合いをしたいってな」
「それって……」
「そのままの意味だ、あのバカに手加減の文字は無い。終いには……フィーすけが消えたら団に戻ってくれるのかとか聞いてきやがった」
「っ……そう、だったんだ」
グランの声からは僅かに怒りを感じ、そんな彼の言葉を受けながらフィーは気落ちした様子で俯く。話を聞けば聞くほど、自身へと襲い掛かる無力さと責任に。
そもそも彼女が責任を感じる事はない。グランが西風の旅団を脱けたのは、少なくとも彼の弱さという部分も理由にある。フィーを守りきる自信が無い、そういったグラン自身の力が足りなかった事も彼が団を脱けた理由の一つだ。しかし、グランは敢えてそれを口にしない。
「今回のクロスベル行きにフィーすけが同行したいって言うのならオレは何も言わない。だけどな……戦場の中で“何もしない勇気”が、フィーすけにはあるか?」
「っ!? それは……」
止めとばかりにグランはフィーへ向けて問う。昨晩の話を聞いていた上で、グランが現地で父親と戦いになった際に彼女自身が耐えられるのかと。負ければグランは即赤い星座へ戻り、離れ離れになる決定的な瞬間を目にする覚悟はあるかと。
戦場において手を出さない、普通に考えればそれは勇気ではなくただの臆病者だ。戦いを恐れ、敗北を恐れ、痛みに怯える。弱者の思考のそれである。
しかし、この場においての意味合いは違う。少なくとも、フィーには猟兵時代に培った実力と経験がある。ARCUSの戦術リンクも組み合わせれば、ほんの少しの手助けにはなるかもしれない。万に一つの可能性として、力になれるかもしれないという要素が今の彼女にはある。だからこそ、グランは敢えて“勇気”という言い方をした。
そして同時に、グランの問いは彼が父親に勝てる要素があるのかという意味と同期する。
「ごめん……無いかも」
「だろうな。オレが言うのも何だが、一人で勝てるか微妙なところだ。良くいって痛み分け、どちらかと言うと負ける可能性の方が高い」
フィーは首を横へ振り、グランもまた苦笑を漏らしつつ彼女の答えに頷いた。それはそうであろう、そもそもフィーがグランの勝利を信じているのなら同行するなど言い出さない。更に現状でグランが父親のシグムント=オルランドに勝てる確率は、彼曰く良くて二割という絶望的な数字である。そのような返事を聞いてフィーが安心できるはずもない。今ではレグラムへ来る以前よりも、彼女の表情は落ち込んでいるように見える程だ。
そして、だからこそグランはフィーを安心させるべく、ある一つの選択をした。
「と言う訳でだ……フィーすけ、朝六時に下の練武場に来い」
「どうして?」
ふと、グランが唐突に話したそれにフィーは首を傾げた。何故そんな朝早くに起きなければ……それも練武場に来いという訳の分からない内容に彼女が理解できるはずもない。何が、と言う訳なのか察しろというのが無理な話である。
そしてそんな風にフィーが戸惑っている中、グランは彼女の顔を見ながらニヤリと笑みを浮かべて告げる。
「現状でオレが示せる可能性……それをフィーすけに見せてやる」
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夜が明けて、昇り途中の朝日が射し込むレグラム。今日は霧も出ておらず、エベル湖の水面が淡い光に照らされてキラキラと輝きを放っていた。更に湖に浮かぶローエングリン城がより一層神秘的な雰囲気を漂わせ、まさに聖女の住んだ城に相応しい風景である。
導力時計は朝の六時を示し、真夏とは思えない涼しい気候の中。現在、アルゼイド流の練武場内では試合を行う壇上の上にて二人の人物が対峙している。二本の刀を腰に携えたグランと、大剣を片手に握ったヴィクターの二人だ。先程壇上に上がった二人は、互いに向かい合って今の今までその瞳を伏せている。
そして、それぞれが極限まで集中を高めてから同時に目を開いた直後。グランは壇上を見上げてくるフィーを視界の端に捉えながら、苦笑を浮かべつつ口を開く。
「朝早くから迷惑かけます。実習中のアイツに見せてやれるのは、朝くらいしか無いもんで」
「気にする事はない。そなたの申し出を聞いて、年甲斐もなく昨夜は中々眠りにつけなくてな」
「そりゃまたお若い精神をお持ちで」
苦笑いをしながらグランが声を向ける先、対峙するヴィクターは笑みをこぼしつつ彼の声に答えた。戦う前の他愛もない会話に、二人してどこか楽しげである。
そして二人が今から手合わせを行うという事は、同時に立ち合いを引き受けてくれる者が必要となる。その役目は、グランとヴィクターが視線を向けた場所……二人の間に立つ執事のクラウスが任されていた。
「クラウスにも、この様な明け方から世話をかける」
「悪いな、じいさん」
「いえいえ、とんでもございません。稀代の天才と称されるかの紅の剣聖と、光の剣匠の手合わせ……この目で生にて拝見できるとは、長生きもしてみるものですな」
二人からの礼を前に、クラウスは口髭を軽く触りながら笑顔で返す。これから行われる試合は、どちらも一つの剣術を極めた者同士。その年齢こそ二回り以上離れてはいるが、剣の道に生きる人間にとってはこれ程興味深いものはないだろう。
片や武の頂点を極めた者が至る理にも通ずるとされる、八葉一刀流を修めし剣聖。片や帝国最高の剣士と謡われる、アルゼイド流筆頭伝承者でもある光の剣匠。クラウスの言葉も、恐らくは世辞などではなく本心で言っているのだろう。
──紅の剣聖とお館様の手合わせ……もしかして俺達かなり運がいいんじゃないか?──
──ああ。紅の剣聖か……どれ程の実力か、拝見させてもらおう──
壇上でグラン達が会話を行う中、練武場内には次々とアルゼイド流の門弟達が集まっていた。朝早くにこの場へ訪れたという事は、皆熱心な努力家なのだろう。手にしている得物こそ様々だが、これから始まる試合はきっと彼らにも良い刺激を与えるはずだ。
話も程々に、時間も押しているためそろそろ始めようとグランは腰に下げている刀を抜いた。抜刀された刀身は綺麗な白銀の色を放ち、彼はヴィクターへ向ける視線に鋭さを増しながらその刃を顔横に構える。
そして対峙するヴィクターもまた、右手に握る大剣……リィンとの手合わせの際にも使用していた宝剣、ガランシャールを両手持ちに切り替え、同じく顔の高さに構えた。
「開幕から全力で行かせてもらう、くれぐれも手を抜く事のないようにな」
「……当然だ。そなたの方こそ、噂に違わぬ実力を期待するとしよう」
「言ってくれる」
互いに試合前の最後の言葉を交わし終え、同時に練武場内の空間全てを支配するかの如くその身から膨大な闘気を発現させた。グランの身は紅き闘気に包まれ、ヴィクターの身は青き闘気が纏いを見せる。壇上を見上げるフィーや、門弟達。立ち合いをするクラウスですら目を見開く程の強烈な威圧感に、皆の視線が離れる事はない。
そして、クラウスは額に滲む汗を一つ拭い、足を数歩後ろへ下げた。
「八葉一刀流弐ノ型奥義皆伝、グランハルト=オルランド……参る」
「アルゼイド流筆頭伝承者、ヴィクター=S=アルゼイド……参る」
「──始め!」
開始直後。二人の姿が消えた途端、剣戟と共に強烈な衝撃波が場内を揺らした。彼らは直ぐに壇上の中央に姿を現したかと思えば、互いに剣を激しく交差させてせめぎ合っている。同時に剣を弾いて再び交差、幾度と繰り返される衝突の度に剣戟の音と衝撃波が周囲を襲う。
そして攻撃の手は止むことを知らない。数撃の打ち合いの後、グランはヴィクターの剣を半身の姿勢で間一髪回避すると逆袈裟を放つ。空間を裂くその一振りはしかしヴィクターも同様に寸前で躱して見せ、反撃とばかりに地を穿つ程の神速の袈裟斬り。だがグランも尚躱す、手を緩めずに背後へ回り込んでの横一閃。しかしそれでもヴィクターは見切った。
彼は振り向き様に一閃を受け止めて見せ、再度場内では轟音が空間を揺らす。
「チッ、技量はそちらが上か……!」
「こちらは初手から数歩後れをとった、速度では劣るようだ……!」
互いに双方の実力を把握し、更に刀と大剣は激突を繰り返す。グランはヴィクターを上回る速さを生かし、時折大剣の軌道を読みながら寸前で躱して回り込む。それでもヴィクターは全方位を視界に捉えているかの如く、あらゆる死角からの一閃を受け止めた。
双方一歩も引けを取らない刀と大剣の応酬、絶妙な駆け引きを混えながらの斬り合い。場内が揺れる中、二人は姿を消しては現れ剣戟を奏で続ける。そして何度目かも分からない背後からのグランによる一閃をヴィクターが受け止めた瞬間、両者とも互いの得物を弾いて後方へと跳躍した。
二人は同時に得物を構え直し、視線を通わせる。
「これはクソ親父と同格か……この男に勝てれば証明は果たせる」
「八葉一刀流の持つ独特の理合の深さと玄妙さ……なるほど確かに、ユン=カーファイ殿から伝え聞く通りのようだ。そなたの剣、そして理合……実に心地が良い」
「この状況で楽しんでやがる……いよいよオレも人間辞めないと勝てないらしいな」
「フフ……そなたも既に、充分人の域からは外れている」
グランもヴィクターも、互いに人の域を超えている事は間違いない。でなければ剣を交差させただけで地面が揺れたり、衝撃波が発生して壁が一部破損したりするわけがないだろう。これでも二人は周囲に与える被害を最小限に抑えながら戦っているのだから信じられない。
立ち合いをするクラウス、何が起きているのか殆ど見えないがそれでも真剣な眼差しで壇上を見上げるフィーや門弟達。そんな皆の視線を一身に受けながら、グランとヴィクターは再び剣を顔横に構えると腰を僅かに落とす。
「さて……第二幕の開演だ」
「存分にお相手いたそう」
その言葉を皮切りに、両者は再度姿を消した。
始まりました、紅の剣聖vs光の剣匠……はい、早くも練武場の一部が壊れました(白目)
建物が全壊したら? 修理は? 大丈夫、気が付いたらきっと直ってるよ(適当)