紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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畏れと共に

 

 

 

 

「リィン、考え直すがよい!」

 

 

 レグラム一帯を包んでいた霧も晴れ、空が暗闇に染まった時刻。アルゼイド家を出て階段を下りた右手、アルゼイド流の門弟達が鍛練を行う練武場の中では現在、壇上を見上げながら何かを必死に止めようとするラウラの声が響き渡っていた。そしてそんな彼女の周りには、リィンを除いたメンバーがラウラ同様壇上を見上げて真剣な眼差しを向けている。

 一同が視線を向ける先、そこには何故か対峙するリィンとヴィクターの姿があった。ヴィクターの傍には執事のクラウスが立ち、彼の両手には剣を納めるための縦長の箱が抱えられている。その大きさから言って、ラウラが使用している大剣と同程度の得物が納まっていると見ていい。

 壇上に立つリィンとヴィクターの姿から見て、二人がこれから剣を取り合うのはまず間違いないだろう。剣士が二人壇上へ上がれば、行う事は剣を交えるくらいだ。事実リィンは今からヴィクターと、この場で手合わせを行う事になっている。そう、指南や手解きなどではなく……対等な立場で剣を交える手合わせを。

 

 

「……ラウラ、止めないでくれ」

 

 

「これは私と彼の勝負だ。そなたは下がるがよい」

 

 

「ですが……!」

 

 

 リィンとヴィクターは同時にラウラの姿を視界に捉え、彼女へ引き下がるようにと告げる。しかしラウラの表情は納得していない、尚も食い下がろうとした。

 ラウラが必死に止めようとするのも分かる、何せこれから行うのは指南ではなく手合わせだ。八葉一刀流の初伝の彼と、アルゼイド流の筆頭伝承者でもあるヴィクターとの間には埋められない実力差がある。例え百回、千回、一万回行ったとしても、一度として勝てないほどの明確な実力差が。

 リィンがそれを分からないはずがない、だからラウラも納得出来なかった。今から二人が行おうとしている手合わせは、恐らく手合わせと呼べるようなものではない。一方的な、運が悪ければリィンが大怪我をするかもしれないという可能性が高い非常に危険な行為だ。

 リィンの考えを改めさせるために、更に説得を続けようとするラウラ……そしてそんな時、彼女の後方からグランが声を上げる。

 

 

「ラウラ、それくらいにしておけ。リィンだって馬鹿じゃない、相手と自分の力量差くらい把握しているはずだ」

 

 

「だったら何故グランは止めぬのだ! リィンが負けると分かっていて、それだけならばまだ良い。最悪大怪我をする可能性も──」

 

 

「晩飯の時のリィンと子爵の話を聞いていなかったのか?」

 

 

「っ!? それは……」

 

 

 グランの言葉に、ラウラの声は少しばかり勢いを無くした。彼が話す、夕飯の際に行われたリィンとヴィクターの会話を思い出したのだろう。

 そもそもリィンがヴィクターに手合わせを願ったのは、その夕飯での会話が原因だった。何気ない世間話の最中、ヴィクターが突然リィンの顔を見詰めながら発した言葉に起因する。

 

 

──どうやら、そなたの剣には畏れがあるようだな。その畏れのせいで、そなたは足踏みをしているように見える──

 

 

 リィンを一目見ただけで、ヴィクターは彼が内に秘めている何かを恐れているという事を見抜いた。リィンにはその事が衝撃だったようで、そんな驚く彼へとヴィクターは更に続ける。

 

 

──『剣仙』ユン=カーファイ殿。八葉一刀流を開いたあの御老人には、何度か手合わせを願った事があってな──

 

 

──そうだったんですか……その、失礼ですが勝敗の方はどちらに?──

 

 

──着かなかった。互いの理合が心地良くてな、存分に斬り結んでいるといつも時間が過ぎてしまう──

 

 

 八葉一刀流の開祖、『剣仙』ユン=カーファイ。この人物の実力は、修行で傍にいた事もあってかリィンはよく知っている。そして自分の師匠と互角の実力というヴィクターに指摘された事で、彼の中では一つの決意が生まれた。

 このまま畏れを抱いたまま、足踏みをしていれば現状は何一つとして変わらない。だがもし今、目の前にいる光の剣匠と剣を交える事が出来たなら……何かが掴めるかもしれない。あるいは、畏れで足踏みをしているこの現状を、変える事が出来るかもしれないと。

 

 

──子爵閣下……いえ、光の剣匠殿。どうか自分と、手合わせをしてもらえないでしょうか?──

 

 

 これが、リィンとヴィクターが手合わせを行う事になった経緯である。そしてリィンの何かを決意したような表情を思い出し、ラウラはこれ以上食い下がる事はなかった。そんな彼女へ感謝を述べたあと、リィンは腰に下げる鞘から刀を抜刀する。

 彼の姿を見詰めながら、ヴィクターもクラウスの抱える箱から一本の大剣を取り出した。宝剣ガランシャール……ラウラが言うには、かつて槍の聖女の配下だった鉄騎隊の祖先が使用していたものらしい。そして驚く事に、ヴィクターはそれを軽々と片手持ちで構えた。

 

 

「信じられん……」

 

 

「すご……」

 

 

「スッゴいねー……」

 

 

 ユーシスにフィー、ミリアムからは驚きの声が漏れている。常人なら両手持ちでも扱うのに苦労するはずであろうそれを片腕一本で振るうなど、確かに常識的に考えれば目を疑う光景だ。

 とは言え、グランは以前にラウラが持っていた大剣を片手で振るってみせた事がある。しかしヴィクターの構えからは、彼女に見せたものとは段違いの精練された剣だとグラン自身感じていた。

 

 

「八葉一刀流初伝、リィン=シュバルツァー、参ります」

 

 

「アルゼイド流筆頭伝承者、ヴィクター=S=アルゼイド……参る」

 

 

 両者が名乗りとともに構え、ラウラとエマが心配そうな表情でリィンを見詰める中……立ち合いを引き受けるクラウスの声が場内に響き渡る。

 

 

「始め!」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……っ……はぁ、はぁ……」

 

 

「何をしている? 勝負はまだ着いていない、()く立ち上がるがよい……それがそなたの本気でない事は分かっている」

 

 

 ──もう何度、リィンは太刀を振るった事だろうか。

 開始数分にも満たない壇上では、床へ倒れているリィンが荒い呼吸で上半身を起こす。目の前に立つ強大な、強大過ぎる存在に一太刀すら届かない現状が、彼にとっては予想以上の出来事だった。

 そんな彼の見上げる先、そこには立ち塞がるように佇むヴィクターが大剣を片手に構えている。彼は開始前から一歩としてその場を動かぬまま、リィンの太刀を悉く躱し、あるいは弾き返した。それでもリィンが何とか届かせようと必死で太刀を振るう中、その隙をついたたった一振りで彼は見せ付ける。どのような奇跡が起きようとも、覆せない絶対的な力量差を。

 

 

「まあ、こうなるわな」

 

 

「だから言ったのだ……」

 

 

 そして二人の戦いと呼べるのかすら疑問に思える一戦を、当然の結果といった様子で見上げるグランとラウラの二人。ラウラは見るに耐えないと瞳を閉じ、エマは苦痛の思いで、ユーシスやミリアムはヴィクターの実力をその目にして驚愕の表情を浮かべている。まるで大人が幼子をあしらうかの如く光景、最早それは手合わせなどと呼べるようなものではなかった。

 勝敗は既に決している、これ以上に戦う意味などありはしない。そう思っても仕方がないほどの現状……そんな中、次に呟いたグランの言葉に気付いたエマは驚きでその目を見開く。

 

 

「リィン、畏れるだけなら今までと同じだぞ。その内に眠る理を外れた力……それを認めない限りは」

 

 

「っ!? グランさん、あなたはリィンさんの力の正体を知って……」

 

 

「似たような力を見た事があってな、と言っても本質だけだが……っと、漸くお出ましか」

 

 

 不意に呟いたグランの言葉に、エマが驚きながら彼へ問う中。グランは彼女を横目で見ながらその答えもそこそこに、事態が進展を迎えた壇上へ再び視線を戻す。ヴィクターが床へ倒れているリィンへ振り下ろした大剣が、空を切って外れたその光景へ。

 リィンが突如として姿を消した事にラウラ達が再び驚きを見せる先。一撃を躱されたヴィクターは、表情を何一つ変える事なく対応して見せる。

 

 

「──甘いな」

 

 

 彼が振り向き様に振るった大剣が、その姿を捉えた。いつの間にか後方に移動していたリィン、その太刀による一閃を見事に弾き返す。更に間髪入れずに訪れる袈裟斬り、逆袈裟の連続。そして更なる袈裟斬りを放ち、納刀してからの抜刀による計五連撃。だがヴィクターはその身に迫る怒涛の太刀の連撃の何れをも躱し、最後は大剣で防ぎきる。リィンは一度間合いを取る事を選択したのか、バックステップを踏んでヴィクターから距離をとった。

 そんな中でも驚くべきは、リィンの風貌が先月の旧校舎の地下の時と同様に変化している点だ。銀色の髪に獰猛さを思わせる赤き瞳、その身体から発せられる赤黒いオーラ。彼の漂わせる雰囲気からは、かつてのリィンの意識は殆ど失われている。

 

 

「……」

 

 

「──そうだ、それでよい。その力は本来、そなたの奥底に眠るもの。それを認めぬ限り、そなたはこれからも足踏みをするだけだ」

 

 

 強引に引きずり出す形となった、リィンの内に眠る力。正気を失った彼が獣のような目で見詰める先、ヴィクターは諭すようにリィンへ向けて語りかける。彼にその言葉が届いているかどうかは分からないが、今はそれほど重要な事でもないだろう。寧ろ重要なのは、観戦するメンバーの内グラン以外が……正確にはグランとエマを除くメンバーが初めて、リィンの抱えるものを知ったという事である。

 

 

「これが、リィンが恐れていたという……」

 

 

「人が変わったみたい」

 

 

「……」

 

 

「ふえ~……」

 

 

 ラウラとフィーは驚き、ユーシスは言葉を失い、ミリアムは興味津々といった様子でそれぞれ視線を向けている。流石に、今まで見たことが無い未知の力を前に困惑を隠せないようだ。

 これまでと違い互角の打ち合いを見せ始めたリィンを見て、各々が驚きや困惑を見せる傍。それほど驚いた様子のないエマと、壇上で再開された戦いを興味深く見詰めるグランが会話を続ける。

 

 

「あの力は、私達でもよく分かっていないものです。ただ、今のリィンさんがあれを限界まで解放してしまうと、命に関わる事くらいは……」

 

 

「その辺はオレ達が抑えてやればいい、その為の仲間だしな。それに……委員長は、リィンを導くためにここへ来たんだろ?」

 

 

「っ!?」

 

 

「心配しなくても、目的まで詮索するつもりはない。だって委員長は、リィンを無闇に危険にさらすような事はしないだろうからな」

 

 

「グランさん……はい、それだけは必ず約束します」

 

 

 周りの皆が壇上へ視線を向ける中で、グランとエマは互いに顔を合わせて笑みをこぼす。ただ第三者が二人の話を聞いても、何の事を話しているのかは分かるはずもなく。二人が微笑み合う横で、その姿に気付いたフィーは訳が分からず首を傾げていた。

 そしてリィンとヴィクターの戦いも、いよいよ佳境に差し掛かる。変貌したリィンはこれまでほぼ互角の打ち合いを見せている、光の剣匠に対して一歩も引かないその姿は先のリィンとは比べ物にならなかった。しかし、互角に見えるその打ち合いは……どうやらそうではないようだ。

 

 

「フフ、中々やる……だが、そろそろ終わりにしよう」

 

 

「……!?」

 

 

 突然ヴィクターの纏う雰囲気が変容を見せた。理性を失っているリィンだが、その異常性には感づいたらしい。勝負を急いだか、太刀をその手でなぞると焔を纏わせ、ヴィクターへと瞬時に詰め寄った。そして直後に繰り出された焔の斬撃は、その身を焼き付くさんとばかりに彼へ向かって襲い掛かる。

 しかし、その焔を纏う斬撃がヴィクターを捉える事はなかった。太刀を振り下ろしたリィンは彼の姿が消えた事に驚きを見せ、同時に僅かにその動きが止まる。そしてそれは、この戦いにおいて致命的な隙となった。

 

 

「奥義──洸凰剣」

 

 

 背後から聞こえてきた声を最後に、理性を失っているリィンの意識は途切れた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「リィン!」

 

 

「リィンさん!」

 

 

 ラウラとエマが悲痛な声を上げ、太刀を支えに辛うじて身を起こしているリィンへと駆け寄った。その姿は既に普段のリィンへと戻っており、ヴィクターの一撃をまともに受けたのが余程効いたのだろう。声を出すことすら儘ならないといった様子である。

 驚きで言葉を失っていたユーシスとミリアムにフィー、少し遅れてグランがリィンの傍へと近付く中。身を案じるようにリィンの肩へ手を置いているラウラは、クラウスの持つ箱へ大剣を納めるヴィクターの後ろ姿へと声を上げる。

 

 

「父上、やり過ぎです!」

 

 

「……大丈夫、ちゃんと手加減してくれた……」

 

 

 自身の父親へ向けて声を荒げるラウラへ、息絶え絶えのリィンが声を掛けながらその顔を徐々に上げる。そして彼は少しずつ呼吸を整えながら、ヴィクターの後ろ姿をその瞳に映した。

 

 

「……参りました。光の剣匠の絶技、しかと確かめさせて頂きました」

 

 

「フフ……どうやら、分かったようだな」

 

 

 振り返ったヴィクターは、どこか清々しさを感じるリィンの顔を見て笑みをこぼしていた。伝えたかった事がしっかりと彼へ伝わった、そんな安堵の表情を浮かべている。

 先程の戦いとは打って変わって穏やかな笑みを浮かべる彼は、床に膝を着いているリィンの傍へ歩み寄り、ゆっくりとその腰を落として目線を合わせた。

 

 

「力は所詮、力。扱いこなさなければ意味はなく、ただ空しいだけのもの──だが、あるものを否定するのもまた、欺瞞でしかない」

 

 

「はい……天然自然、師の教えが漸く胸に落ちた心地です。ですが、これで一層迷ってしまう気もします」

 

 

「……それでよい。先ずは畏れと共に立ち上がり、足を踏み出すがよい……迷ってこそ人、立ち止まるより遥かに良いだろう」

 

 

 ヴィクターは目の前のリィンへ手を差し伸べ、リィンもその手を取るとゆっくりその場を立ち上がった。贈られたその言葉を胸に、今のリィンは迷いこそあれど、畏れで立ち止まっているような事はない。恐れながらも、少しずつ前に踏み出していく決意がその表情からは読み取れた。

 心配を掛けてしまったラウラとエマ、ユーシスやフィー、ミリアムに囲まれてリィンが笑顔を浮かべている傍。彼らの輪に入り損ねたグランは、ヴィクターの横へ近付いて苦笑を漏らしていた。

 

 

「不甲斐ない兄弟子が世話になりました」

 

 

「気にする事はない。だが……そなたが傍にいながら、彼が足踏みをしたままというのは少し引っ掛かる」

 

 

「一応オレは弟弟子ですから、リィンにもプライドがあります……ただ個人的な意見を言わせてもらえば、十六そこら生きただけの人間が、誰かを諭そうってのはお門違いだと思いまして。子供を導くのは大人の役目ですよ」

 

 

「そうか……そなたがそう思っているのなら、私からは何も言わないでおこう」

 

 

 笑みを一つこぼし、ヴィクターはグランへ向けていたその瞳を閉じる。グランもリィン達の傍に向かおうと、輪の中へ入るべくその足を踏み出した。

 そしてその時だった。ふとグランは踏み出していた足を止めると、背後で瞳を伏せているヴィクターへ向けて、振り向き様に口を開く。

 

 

「そうだ、オレからも一つお願いがあるんです……明日の朝、ここでオレと一戦交えてもらえませんか?」




思ったより長引きましたが、漸く次回にグランと光の剣匠による一戦が始まりそうです。一体どうなる!……まあ、勝てないのは分かってるんですけどね。(白目)

グランがもう少し厚かましい性格だったり、説教系ならリィンももっと早くに自分と向き合えていたという……ごめんねリィン、文句はグランに言って!

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