紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

50 / 108
賑やかな早朝

 

 

 

 翌日の七月十八日、日曜日。涼やかな風が頬をなぞり、昇り途中の朝日の光が心地良い早朝の時間。生徒会長のトワは生徒会に出された幾つかの依頼をリィンに任せるため、依頼内容が記された紙を第三学生寮にある彼のポストの中へ入れていた。リィンにとっては自由行動日の恒例と言ってもいい生徒会の依頼の手伝い。多くの仕事を抱えるトワにとっては彼の手伝いが非常に助かっており、彼女の暮らす第二学生寮から士官学院とこの第三学生寮はそれぞれ反対方向なのだが、学院に登校する前にこうしてわざわざ届けている。

 普段通りであれば、彼女はこのまま退室して学院に登校するはずだった。しかしこの日はリィンのポストへ依頼の書かれた紙を入れてから、無言で第三学生寮奥の階段へと視線を向ける。そして暫くの間トワがボーッと立ち尽くしていると、台所で朝食の用意をしていたシャロンが顔を出し、彼女を出迎えた。

 

 

「あっ……シャロンさん、おはようございます」

 

 

「おはようございます。毎日このような明け方からご苦労様です、グラン様とサラ様にも見習って欲しいものですわ」

 

 

 シャロンは挨拶と共にいきなりグランとサラの名前を上げ、直後にため息を吐く。そんな彼女の様子を見るに、グランとサラがどれだけ普段遅くまで寝ているのかが分かる。この前は学院の授業が始まった時間に二人共降りてきた、とシャロンがぶつぶつと語り始め、トワは苦笑いをするしかなかった。

 遅刻と言ってもサラに限ってはごく稀な事なのだが、それでも教官が授業に遅刻するなどあってはならないだろう。生徒の模範でなければならない立場の人間がそのような失態を犯せば示しがつかないし、何より職務怠慢で給料泥棒もいいところである。そして未だにシャロンは二人に対しての不満を呟いているのだが、このままじっとしていては会話が進まないため、トワは彼女の呟きを遮って声をかけた。

 

 

「あの、グラン君はあれからどうですか?」

 

 

「目を放せばサラ様はグラン様とワインを飲もうとしていますし……あ、申し訳ありません。二人への不満がつい」

 

 

「あはは……それで、グラン君の体調はあれからどうですか?」

 

 

「グラン様ですか? あの後お目覚めになられてから、普段通りのご様子でリィン様やアリサお嬢様達、Ⅶ組の皆様方とご夕食を共になさっていましたが……」

 

 

 苦笑いを浮かべながら再度問い掛けるトワに対し、小首を傾げた後にシャロンは答えた。望んでいた回答が聞けたのか、トワは胸を撫で下ろして安堵のため息を吐き、そんな彼女をシャロンは微笑みながら見詰めている。

 ふと、トワを見詰めていたシャロンが思い付いたように手を叩いた後に笑みを浮かべた。トワは突然彼女が手を叩いた事を疑問に思い、シャロンの様子に首を傾げている。

 

 

「ふふ、わたくしから一つお願い事があるのですが……」

 

 

「ん?」

 

 

 この時トワは気付かなかった。シャロンの浮かべている笑みが、彼女の事をよく知っているアリサとグランならば裸足で逃げ出すほど凶悪なものだという事に。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「それでは、ごゆっくりなさいませ」

 

 

 第三学生寮二階のグランの部屋の前、満面の笑みを浮かべたシャロンはその部屋の扉を閉める。そしてそんな彼女を呆然と眺めていたトワは、顔を真っ赤に染めたまま微動だにしなかった。現在彼女一人だけ……正確には、ベッドですやすやと寝息を立てているグランと二人、部屋の中に取り残されている。

 どうしてこんな状況になってしまったのか。この時トワは熱を帯びて思考の鈍くなった頭を、『氷の乙女(アイスメイデン)』にも勝る勢いでフル回転して考えた。しかし熱が発生して回路に異常をきたした導力演算機では本物に勝てるはずもなく、考えれば考えるほど彼女の頭は真っ白に。トワは考える事を直ぐに止めた。

 

 

──グラン様を起こしては下さらないでしょうか? あの方にはそろそろ早起きの習慣も覚えて頂かないといけませんので……あっ、おはようございますのキスなんてロマンチックですわ♪──

 

 

「っ!? ど、どうしよう……」

 

 

 シャロンからのお願い事を思い出して赤みの引いていた頬を再び染め、オロオロと部屋の中を見渡した後に発した彼女の第一声はそれだった。トワは目を潤ませながら、シャロンの閉めた部屋の扉を見詰めている。

 シャロンのお願いというのは、グランの早起きの習慣を身に付けるために手伝ってほしいとの事だった。おはようのキスがどうとか言っていた辺り間違いなくシャロンの悪戯が発動した訳なのだが、アリサやグランほど付き合いの長くないトワに彼女の悪戯前の兆候を見抜く事は出来るはずもない。

 おはようのキスの件を思い返していたトワが胸の高鳴りを抑えていると、廊下からは扉を閉める音や数人の足音が聞こえ始めていた。恐らくⅦ組の子達が目を覚ましたのだろうと彼女は考えながら、後ろに振り返ってベッドの横に近付く。そして、眠っているグランの後ろ髪を眺めていた。

 

 

「ふふ。本当に、ぐっすり寝ちゃってる……」

 

 

 先程までの緊張は何処へやら。グランの寝ている姿を視界に捉えると、トワは笑みをこぼしながら傍に置いてあった椅子へと腰を掛ける。彼の頭を優しく撫で、トワにとっては何故か心地良く感じるこの空間を楽しんでいた。

 暫く彼女がグランの頭を撫でていると、不意に彼が寝返りを打った。反射的にトワは手を離し、目の前に現れたグランの顔に再度胸の高鳴りを覚える。常人では想像を絶するであろう体験をしてきたとは思えない、あどけなさの残る顔。そんなグランの顔にトワは手を伸ばすと、頬とベッドの間に潜り込ませて彼の頬へと手を添えた。

 

 

──おはようございますのキスなんてロマンチックですわ♪──

 

 

「な、何でこんな時にあのフレーズが……」

 

 

 トワは突然シャロンの言葉を思い出し、自身の胸の高鳴りと共にその鼓動が急激に早さを増した事を認識する。顔は火照り、原因不明の熱は彼女から視力と正常な思考を奪い始めていた。

 薄れていた意識の中、ぼやけていた視界はやがて晴れ、トワは目の前の光景に息を飲む。いつしか自分は身を乗り出し、グランの顔に急接近していたからだ。しかしこの状況下では思考が正常であろうとなかろうと、恐らく彼女の次に取る行動は変わらなかっただろう。

 

 

「グ、グラン君が早く起きないのが悪いんだからね……」

 

 

 考える事を止め、全ての責任をグランに押し付ける。彼女は潤んだ瞳を閉じ、彼の唇へとその距離を縮めた。グランとトワの顔は元々至近距離、時は直ぐに訪れる。

 彼女は唇に温かな感触を覚えた。男の子との初めてがこんなのでいいのだろうか、でも恋愛小説は女の子の方が割りと積極的だし……と訳のわからない言い訳を脳内で述べながら、彼女はグランの権限を一切無視した結論に至る。

 早く彼は起きてくれないだろうか。これ以上このままだと、シャロンさんやⅦ組の他の子が来てしまうかもしれない。それに自分も少し息苦しい……と段々思考が正常に戻っていく中、トワはある違和感に気付いた。そう、自分が息苦しいなら彼も息苦しいはずだ。なのに何故いっこうに目を覚まさないのかと。

 そういえば唇の感触が少し硬い。男の人は皆そうなのだろうか、でも流石にゴツゴツし過ぎではないだろうか……と彼女の疑問が一つ二つと増していく中、トワは躊躇われていた目の前の光景を視界に収めるべくその瞳を開いた。

 

 

「──あっ」

 

 

「おはようございます、トワ会長」

 

 

 彼女の視界に広がったのは、ニヤニヤと笑みを浮かべたグランの顔だった。よく見ると自身の唇は彼の人差し指に進行を食い止められ、キスをしていたのはグランの唇とではなく彼の人差し指とだ。

 甘い甘い空間は、突如として冷やかな沈黙へと変わった。トワはグランの人差し指から唇を話すと、その目に溢れんばかりの涙を浮かべて振り返る。

 

 

「ふえぇぇぇん!」

 

 

「ちょっ!? 何でいきなり泣き出すんですか!」

 

 

「グラン君のバカ! 離して! ここにいたら私恥ずかしさで死んじゃうからっ!」

 

 

「離せるわけないでしょ! 泣いてる会長がオレの部屋から出ていったら、本当の意味でオレ死にますから!」

 

 

「グラン君なんか痛い目に遭えばいいもん!」

 

 

「先月の特別実習で充分遭いました!」

 

 

 第三学生寮二階の早朝は、いつもより賑やかだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 第三学生寮一階、そこではグランを除いたⅦ組の皆が朝の食にありついていた。相変わらず高級レストランに引けを取らないシャロンが作る料理に舌鼓を打ちながら、一同はここにいないグランの話をしている。

 会話の内容は、ここ最近グランが放課後に一人で旧校舎の探索を行っている事。それも、皆の協力を断りわざわざ一人でだ。彼の急な変化には、リィンを初め他のⅦ組メンバーも心配していた。

 

 

「今日もグラン遅いな。昨日は旧校舎に行っていなかったみたいだけど、連日の疲れが溜まっているんだろうな」

 

 

「心配だよね、グラン。先月の実技テスト以来恐くて話しかけづらかったから、その時の事を謝る意味でも手伝いたいんだけど……」

 

 

 ロビーに繋がる扉を見ながらリィンが話を切り出すと、表情を曇らせたエリオットが続く。他の皆も一様に表情に陰りを見せ、エリオットの言葉が如何に当時の自分達にも当てはまるかと痛感しているようだった。

 パトリックが暴言を吐いてしまったあの日、あの場にいた皆が恐れを抱いてしまったのは仕方のない事だ。結果的にサラが掠り傷程度で終わったとは言え、一歩間違えれば確実に一人の命が散っていた。士官学院に通う者ならいつか目にする光景だとしても、余りに残酷な光景を。だから逆に言うと、あの戦闘風景を目撃したにもかかわらず当初からグランの事を心配していたリィンやアリサの心が強すぎるのだ。エリオットが決して弱いわけではない。先月の特別実習を終えてA班、B班の情報交換を行う時まで、彼がグランに対して恐いと思ってしまうのは当然である。

 だが、エリオットの恐れもA班で起きた話を聞いて無くなる事となった。グラン本人から口にした猟兵という過去、そしてノルドの危機を救うために己の身を犠牲にしてまで尽力した話を聞いて、不思議と彼の脳裏からグランに対する恐れが消える。グランもⅦ組の一員でありたいと、平和を願う同じ仲間だと気付いたからだ。とは言え一連の出来事でグランに対する恐れが払拭出来たのは、エリオット自身も心が強いからなのだが。

 

 

「まあ、あれだけ寝てたら疲れは取れると思うけど……少し心配よね」

 

 

「はい、グランさんの無茶はこの目でしっかり見てしまいましたから……」

 

 

 苦笑いを浮かべながらアリサとエマが顔を合わせ、同班だったユーシスとガイウスも顎に手を当てて考え事をしている。馬鹿な男だ、と呟いたのはユーシス。続いて感謝の言葉を口にしたのはガイウスで、故郷を守る助けとなってくれたグランには彼なりの恩義を感じているらしい。皆と一緒にグランの事を考えている事こそがその表れだ。

 話題はそのままA班の特別実習について行われ、石切り場での出来事になったところでアリサがふと思い出した。

 

 

「そうそう、それでエマが倒れそうになったグランを抱き締めた時には驚いたわよね~」

 

 

「ア、アリサさん!? そう言うアリサさんも、星の綺麗な夜にリィンさんと恥ずかしい台詞言い合ってたそうじゃないですか!」

 

 

「ど、どうしてそれを知ってるのよ! リ・ィ・ン?」

 

 

 アリサによる不意の一撃に動揺しながらもエマが反撃し、最終的にその矛先はリィンへと向いた。アリサは凄みのある笑顔で彼を見詰め、リィンも突然巻き添えを食らってしまった事に慌てて弁明をする。しかし、これがリィンの性なのか。

 

 

「な、何で俺にくるんだ……委員長には話してないはずなんだが」

 

 

「委員長にはって……リィン、貴方まさか本当に!?」

 

 

「い、いや……あの後グランに聞かれて話しただけなんだけど」

 

 

 やはりリィンが悪かった。鈍感スキルを発動していたようで、グランに会話の一部を話してしまったようだ。そしてその会話には尾びれがついてⅦ組メンバーの間に伝わっていったのだろう。尾びれとは言っても最終的には真実に辿り着いていたが。そして、アリサの様子をニヤニヤと見ている一同の顔を見れば、既に皆がこの事を知っていたというのが分かる。

 

 

「リィン、少し話があるんだけど」

 

 

「え、遠慮させてもらえないか?」

 

 

「させるわけないでしょ!」

 

 

 リィンが椅子に座ったまま後退るという器用な事をやってのける中、恥ずかしさで顔を真っ赤に染めるアリサから猛攻が始まった。そんな二人の様子を微笑ましく見守る者、呆れている者、皆それぞれの反応を示していたが、意外な二人が同じリアクションを取っている。隣り合わせに座るラウラとフィーが、瞳を伏せながら口を揃えてこう言った。

 

 

「朝から賑やかだな」

 

 

「朝から賑やかだね」

 

 

「君達、実は仲が良いんじゃないのか?」

 

 

 口を揃えて呟く二人を目の前に、マキアスは思わず声に出してしまう。第三学生寮一階の早朝も、いつも以上に賑やかだった。

 

 

 




……特別実習ノルド編を執筆している辺りから『会長出したい病』を発症していたみたいです……会長可愛いよ会長おぉぉぉぉ!
冗談はここまでに(割りと本気だった)、次回から自由行動日ですね。ブリジットに対するアランの淡い恋心、写真部のクエストであらわになるトワ会長の写真、ナイトハルト教官の水練……は、まぁいいとして。エリゼ登場と書く事ありすぎだ……! 前回や今回みたいに話進まないかもです……ごめんなさい。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。