翌日、士官学院の生徒が……特にグランが待ちに待った自由行動日である。勉学に勤しむ者、部活動に励む者、アルバイトをする者、そして遊びに出掛ける者。グランはその中で、遊びに出掛ける部類に入っていた。と言っても帝都に出掛けて買い物とか、娯楽に時間を費やすといった訳ではない。トリスタの東に通る街道の道外れ、グランはそこの茂みで昼寝をしていた。
「やっぱ天気のいい日は昼寝が一番だな」
「そだね」
「……取り敢えず突っ込んどくか。フィーすけ、何でここにいんだよ」
グランが体を起こして横に視線を向けると、いつからいたのかフィーがグランと同じように昼寝をしている。記憶を掘り起こして、こいつ確か園芸部に入るとか言ってなかったか? とグランが考えている中、突然彼の《ARCUS》から呼び出し音が鳴り響く。
≪もしもし、グラン君?≫
《ARCUS》を開き、通信越しに聞こえてくるその声は、どこかで聞いた事のある少女のものだった。グランは暫く考えた後、横で首を傾げているフィーの顔を見て思い出す。そう言えば、この学院で一番最初に出会った人だなと。
「あー、トワ先輩ですか」
≪トワでいいよ。先輩って呼び方、何だか壁を感じるし──≫
「分かりました、トワ先輩」
≪も~、グラン君って意地悪って言われたことない?≫
通信先からは楽しそうに話すトワの声が聞こえてくる。グランもその声に笑顔を浮かべながら答え、隣にいるフィーはグランと話している通信先のトワの声に耳を傾けていた。彼女はグランの妹的立ち位置として、トワの事を見定めようとしているようだ。
「それで、何の用ですか?」
≪えっとね、学生手帳の事なんだけど──≫
「グラン、どうしたの?」
ここでフィーが動いた。通信先のトワに聞こえるように敢えてグランの傍で声をかける。フィーの合格条件その一、それは周りの人に気を遣う事が出来るかどうか。
≪あれ? もしかしてグラン君、今誰かと一緒?≫
「ええ、クラスメイトとデート中です」
≪そっか……お邪魔しちゃった、かな? 私の用事はまたでいいから、その子にごめんねって伝えておいてね?≫
申し訳なさそうにトワがそう話した後、通信が終わってしまう。グランのとんでもない受け答えによって予想外の事が起きてしまい、フィーはグランに掛け直すよう催促するが彼はトワの番号を知らないらしい。仕方ない、とフィーは一言呟くと腰を上げ、そのままグランの手を引っ張り始める。
「ど、どうしたんだ?」
「直接会って確かめる。トワって言ったっけ?」
「すまん、話が見えないんだが──」
自由行動日、特に用事のないグランはフィーに引きずられるようにトリスタの街へと戻るのだった。
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「……ちょっと残念かな」
トールズ士官学院、学生会館二階の生徒会室にて。先程グランと通信で話していたトワは、手に持っている《ARCUS》を閉じると残念そうに呟きながら椅子に腰を下ろしていた。目の前の机に置かれている手帳を手に取り、それを開くと中にはグランの名前と彼の所属するクラスが記されている。
「それにしても……サラ教官も間違ってないって言ってたし、どうしてグラン君、偽名なんか──」
トワが不思議そうに手帳に記された名前を見ている時、突然ドアの向こうからノックをする音が聞こえてきた。手帳を置き、トワが入室を促すとドアが開いて緑色の制服を着た銀髪の少年が中へと入ってくる。クロウ=アームブラスト、トワと同じ士官学院の二年生だ。
「クロウ君、どうしたの?」
「いや、ただ冷やかしに来ただけなんだが……何か元気ねぇな。失恋でもしたのか?」
冗談めかして話すクロウだが、その言葉にトワは苦笑いを浮かべて誤魔化していた。クロウもそれに気付いたのか、面白い物を見つけたといった様子で側にあるソファーへ座ると話すように催促し始める。何ともデリカシーの無い言動だが、トワは彼の性格を知っているのか、余り気にした様子もなく話し始めた。
「実はね、《Ⅶ組》の子なんだけど──」
「成る程。それで《ARCUS》を使って呼び出そうとしたはいいが、そいつはデート中であえなく撃沈と」
「そうそう、って……もう、完全に盗み聞きしてるよ……」
トワがクロウの非常識さにため息をつく中、突如《ARCUS》の呼び出し音が鳴り響いた。勿論発信源はトワの机の上な訳で、彼女は首を傾げながら《ARCUS》を手に取るとそれを開く。
「はい、こちらトワ=ハーシェル」
≪どうも、先程振りです≫
「あれ? もしかしてグラン君?」
≪はい、グランです。実は──≫
通信先のグランからは、さっきのデート中という話は嘘であり、本当は特に用事が無いので今からこちらに向かうという事が伝えられる。トワは学生会館の二階にある奥の部屋で待ってると告げるとそのまま通信を切り、その表情は先程のしょんぼりしたものとは真逆で、どこか嬉しそうに見えた。そして、その変化を見逃すクロウではない。
「よし、今からゼリカ呼んでくるわ」
「も~、そんなんじゃ無いってば! アンちゃん呼んだら余計にややこしくなるよ──」
「やぁ、二人共。私がどうかしたのかい?」
クロウも冗談で言ったのだが、二人の視線の先……部屋のドアが開いた所にはライダースーツを着用した女性──アンゼリカ=ログナーが笑顔を浮かべながら立っている。二人は思った。ああ……ややこしくなる、と。
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トリスタの街へ戻ったグランとフィーは、第三学生寮の三階にあるサラの部屋へと赴き、昼前のこの時間に早くも酒を飲んでいる彼女からトワの番号を聞き出した。教えてもらった番号で連絡を取り、トワが学生会館にいることが分かって学生会館の二階、生徒会室へと訪れる。そして現在……生徒会室のソファーでは、クロウとアンゼリカの間にトワ、三人に向かい合うようにグランとフィーが座っていた。
「私の名前はアンゼリカ=ログナー、そして彼はクロウ=アームブラスト……私も彼も、トワの保護者としてこの場に参加させてもらっている」
「……あの、取り敢えず状況を教えてもらっても?」
生徒会室に入って直ぐ、何の説明もなしにソファーへと座らされたグランは、顔を引きつらせながら向かい側に座っているアンゼリカとクロウを見ていた。クロウが鼻下につけ髭のようなものを付け、アンゼリカは鋭い視線をグランへと向けている。何が何やらグランには訳がわからなかったが、フィーは状況を直ぐに理解した。
「私はフィー=クラウゼル、グランの保護者」
「いや、お前はどっちかというと保護される側だろ……」
「ゼリカ、これもう取っていいか?」
悪乗りをするフィーにグランが突っ込みを入れる中、クロウは飽きたのかつけ髭を取ろうとアンゼリカに問い掛ける。しかし、彼女はクロウの顔を見ると、何だまだいたのか?という表情を浮かべていた。
「君はもう帰ってもいいよ」
「あれ、俺の扱い酷くね?」
「さて、グラン君と言ったかな? 君の事、少々調べさせてもらった」
何ともクロウの扱いが雑だが、この二人には日常的なやり取りらしく、トワは苦笑いを浮かべるだけで特にフォローはしなかった。そしてアンゼリカが真剣な表情で言葉を口にしたその時、グランの眼つきが鋭くなる。
「先輩、プライバシーって知ってますか?」
「ふっ、いい目をするじゃないか。それに中々の気迫だ……こちらの条件は一つ。私のトワが欲しいのなら──」
グランの視線を何ともせずに、アンゼリカは笑みをこぼしながら指を立てる。グランは自分の過去をばらされると思い、未だ鋭い視線を向けたまま。そして、アンゼリカは口にする。
「フィー君の頭を撫でさせてもらえないかい? 出来れば膝の上に乗せながら」
「却下」
「うん、マジで焦ったオレが馬鹿だった」
「あははは……ごめんね、グラン君。アンちゃんもクロウ君も、大事な話しがあるから席を外してくれるかな?」
トワが申し訳なさそうに話しながら二人を退室させた後、改めてグラン、フィーの二人と向かい合う。その真剣な表情にグランもつられて真面目な顔をし、フィーはトワの手に握られている学生手帳を見てもしやと思った。そしてフィーの予感は的中する。
「実は昨日、同じ《Ⅶ組》の子のリィン君に学生手帳を渡してもらうように頼んだんだけど、グラン君の学生手帳だけ渡すの忘れてて……はい」
「あ、どうも」
「……」
トワから学生手帳を受け取り、中身を見たグランと横目で同じくその中身を見たフィーの二人は驚きの表情を浮かべる。それもそのはず、学生手帳の中に記されていた名前は、グラン=ハルトではなかった。
「これ、名前間違えてますよ」
「私もそう思ってサラ教官に確認してみたんだけど……間違ってないって」
「あの酒飲み、徹底的に過去と向き合わせる気か……」
「グラン、大丈夫?」
「──ああ。フィーすけと会わせた時点である程度の覚悟は出来てたしな」
グランは苦笑いを浮かべながら学生手帳を閉じると、席を立つ。その様子を見たトワは何か言いたそうな顔だったが、声に出なかった。それだけグランの表情に感じるところがあったのだろう。フィーも、トワと同じような表情を浮かべてグランを見上げていた。
「トワ先輩。オレの事は、グラン=ハルトでお願いします」
「うん……何か事情があるんだよね?」
「まぁ、そう言うことです。学生手帳、ありがとうございました」
グランは一言礼を言うと、そのまま生徒会室を退室する。残されたフィーはグランがいなくなった後、困った顔を浮かべたトワに向かってグランの事をこれからも宜しく頼むと話す。彼がまた、いなくならないように。
「トワなら、きっとグランを引き止められるから」
「えっと、どういう事かな? フィーちゃんは、グラン君の事何か知ってるの?」
「今は話せない。いつか、グランが自分で話すと思う」
「分かった。でも、どうして私なのかな? よくわからないけど、グラン君を引き止めるのはフィーちゃんや他の《Ⅶ組》の子の方がいい気がするんだけど……」
フィーがここまで自分に頼み込む理由がいまいち分からないと話すトワ。フィーはこれぐらいならいいか、と呟くと、トワに拘る理由を話し始めた。
「似ているから、トワはあの人に」
「あの人って?」
トワの疑問に、フィーは少し顔を俯かせた後に答える。それは、一度だけ写真で見たことのある、自分では越えることができなかった人。そして、今のグランを生み出してしまった根本的な存在。
「グランの、大切な人」