紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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明かされない素性、行いの報い

 

 

 

 グラウンドに突然現れたトワの姿は、転倒するというおまけ付きもあって一帯の空気を穏やかなものへと変えていた。そよ風のなびく音、鳥たちのさえずり、やがてそういった自然の演奏が一同の耳を刺激し始める。辺りに漂っていた緊張感やはりつめた空気は、いつしか気付かぬ内に消失していた。

 

 

「ぐすっ……痛い」

 

 

「何やってんですかもう」

 

 

 転倒後に立ち上がって涙を拭い始めるトワの元へ、グランは瞬時に駆け寄ってその無事を確認する。地面に打ち付けた事で顔が少し赤くなっているものの、何ヵ所か擦り傷が出来ている以外は怪我をした様子のない彼女の姿を見て安堵のため息をついていた。中腰になってトワの顔や制服についた砂を払い落としながら、グランは未だに瞳を潤ませている彼女の顔を見つめる。

 

 

「(全く、助けられましたよトワ会長。貴女のお陰で、オレはあの男と同類にならずに済んだ)」

 

 

 サラとの戦いの中、全面的に押し出してしまった自重という言葉を知らないもう一人の自分。ただ戦いを楽しみ、決着をつけるためなら互いの命すら惜しまない思考。その全てが双戦斧使いの男と重なり、自分の忌み嫌う殺人鬼と何ら変わりない事に思い至って憂鬱になる。だからこそ、グランはあの場で視界の端に映った小さなトワの姿に本当に感謝をしていた。この人が、トワという存在が、暗闇の中で自分の外しかけた道を照らしてくれたのだと。

 

 

「ほら、涙拭いて下さい。保健室に行きますよ」

 

 

「う、うん……」

 

 

「すいませんサラさん、ちょっと席外しますんで!」

 

 

 グランは遠目に見えるサラへ断りを入れ、トワに手拭いを渡すと彼女の手を引いて本校舎へと向かった。今月の特別実習についての話は後で聞けばいいし、顔から転倒したということもあってトワに大事がないかベアトリクス教官に見てもらった方がいい。そして何より、グラウンドに出来た不自然な窪みを視野に収める度に、先程までの事を思い出してしまうからだ。

 

 

「(サラさんを殺れなかった事が残念だと思う自分がいる、か。マジで思考回路もあの男と同じじゃねぇかよ……!)」

 

 

 己の身体に流れる血を受け入れているからこそ、彼の悩みは尽きることを知らない。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グランのいなくなったグラウンド、彼が学院の本校舎に入っていく様子を遠目に見ていたリィン達は柏手の音が響いた事で一斉に振り返った。皆の視線の先には、つい先程まで命懸けの戦いを繰り広げていたサラが苦笑いを浮かべながら服についた砂埃を払っている。服が所々破れて肌が露出したサラの姿は男メンバーに少し刺激が強かったのか、目線を彼女からそらして出来るだけ直視しないようにしていた。エマが慌ててサラに制服の上着を渡し、それを彼女が着用して漸く男子達が直視出来るようになったところで、サラはパトリック達Ⅰ組の生徒へ教室に戻るように促す。

 

 

「誰にでも触れられたくないものってのがあるわ。私は君達に武術訓練で指導する事しか出来ないけど、こればっかりは一々誰かに教えてもらわなくても分かるでしょ?まあ、取り敢えず今は教室に戻りなさい」

 

 

「……失礼する」

 

 

 もしグランが聞いていたらアンタがそれを言うなと言われそうなサラの言葉を、パトリックは意外にも素直に受けとると取り巻きの生徒達を引き連れて去っていく。頭に血が昇っていたとはいえ、リィンを始め《Ⅶ組》の皆へ向けた彼の暴言は許されるものではない。結果的にグランがキレてしまい、サラはその対応に追われ、一同も彼の発言を咎めるどころではなくなったわけだが。だからこそそんな異常事態にパトリックも冷静さを取り戻し、サラの言葉にも素直に従ったのかもしれない。

 

 

「さて、今月の特別実習だけど──」

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 

「あら、どうしたのリィン?」

 

 

「どうしたって……」

 

 

 そして何事もなかったかのようにサラは今月の特別実習について話そうとするが、やはり無理があった。彼女の話をリィンが止め、先程の事について説明を求める。パトリックの言葉で、明らかにグランの気配は変わっていた。温厚とまではいかないものの、グランは争い事を好む性格ではない事をリィン達は知っている。それにどちらかというとグランはそういった事柄を面倒くさがる性格だ。なのに、さっきまでの彼は学院の仲間に刀を向けるどころか教官であるサラを本気で潰そうとしていた。リィンは問う。普段の陽気なグランと、先程の好戦的で冷酷な一面を持つグラン、一体どちらが本当のグランなのだと。

 

 

「どちらも本当のグランよ。ただ、どちらがより近いかと言われると……さっきのグランの方になるかもしれないわね」

 

 

「……もしかして、グランが名前を隠していたのと何か関係があるんですか?」

 

 

「待った。さっき私がⅠ組の子達に言ったように、誰にでも触れられたくないものがある。これ以上の事はそれに該当するわ」

 

 

 サラの言葉に、リィンもこれ以上は聞くべきではないと考えに至って問いただす事を止める。フィーはどこか安心した顔で、それ以外の者は少し不満そうではあるがリィンと同じくサラの言葉に渋々といった様子で納得。結局グランの事については何一つ語られることなく、サラの話は特別実習へと移るのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「はうっ!?」

 

 

 サラがリィン達へ特別実習について説明をし始めた頃、学院の保健室にて叫び声を上げて悶えるトワの姿があった。少し離れた場所で椅子に座ったグランがその様子を笑いを堪えて見つめる中、保健医のベアトリクス教官がトワの顔をガシッと掴みながら彼女の頬にある擦り傷に綿へ染み込ませた消毒液をつけている。反射的にトワも顔を動かそうとするが、どこからそんな力が出ているのかと不思議になるほどのベアトリクスの握力によって動かすことが出来ずにいた。

 

 

「こら、動かない。貴女は普段しっかりしてるのに、どこか抜けているようですね」

 

 

「うぅ……お手数お掛けします、ベアトリクス教官」

 

 

「くくっ……痛みに悶えてる会長も可愛いですよ」

 

 

「もう、グラン君ったら!──はうっ!?」

 

 

「だから動かない!」

 

 

 この時ばかりはトワもベアトリクスの言葉に従うほかなく、唸り声を上げながらグランの顔を見ては頬の傷に染みる消毒液の何とも言えない痛みに悶えていた。トワが声を上げては、動こうとする彼女の顔を押さえながらベアトリクスが傷口に消毒液をつけていく。近くにある教官室から小煩い事で有名なハインリッヒ教頭あたりに注意を受けないかとグランが騒がしい室内を不安に思う中、ふと視界に入った腰の刀に視線を向け、彼は突然鞘から刀を抜いた。

 

 

「(やっぱ無理矢理な使い方したらこうなるか……結構気に入ってたんだが、新調しないとな)」

 

 

 光を反射して輝く綺麗な刀身を見つめながら、グランはそんな事を考える。サラとの戦いで最後に放った技、あの時グランはトワの姿を視界に捉えて振り下ろそうとした刀を寸前のところで刃から峰へと裏返した。本来刀は切ることを目的とし、強烈な攻撃を受け止めたり、峰の部分を使って叩きつけるような事は普通行わない。使用目的にそぐわない使い方をすれば、物の耐久力を弱めてしまうのは分かりきった事だ。グランの持つ刀は見たところ綺麗で不備のないように感じるが、彼の目には後数太刀が限界だと映っているらしい。刀を鞘に納め、どこで揃えようかとグランが考える中、先程まで叫んでいたトワの声が止む。どうやらベアトリクスによる傷の治療が終わったようだ。

 

 

「う~、まだヒリヒリする……」

 

 

 余程傷口に染みたのか、未だに目に涙を浮かべたまま近寄ってくるトワを見てグランは苦笑いを浮かべながら椅子を立ち上がる。直後に並んだ二人は揃ってベアトリクスにお礼を言い、頭を下げた後に保健室を退室。部屋の扉を閉めてから、トワの顔へ視線を移したグランがこの後の事について話し出した。

 

 

「オレは先に生徒会室行ってますけど、トワ会長はホームルームの後に?」

 

 

「《Ⅶ組》の実技テストを見届けた後にそのまま生徒会室に行くって言ってあるから、私も一緒に行くよ」

 

 

「それじゃ、行きますか」

 

 

 因みにこの後トワはグランから中間テストの結果を聞き、余りに出来が良かったので落ち込む彼を見て十位以内ではないが何かお願い事を一つ聞いてあげることにした。そんなちょっとした良心が後に後悔の連続を生むことになるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 実技テストで思わぬアクシデントがあったその日の夜、第三学生寮三階サラの自室にて。部屋の主であるサラがベッドに腰を下ろしてグラスに入ったワインを飲んでいる目の前で、床に座りながら同じくワインを口にするグランの姿があった。ニコニコと笑みを浮かべながらつまみを口にしてワインを飲むサラの様子を見るに、彼女は既に出来上がっている状態だろう。しかしそんなサラとは対照的に、グランは少し思い詰めたような表情でワインを飲んでいた。ふと彼に視線を移してその様子に気付いたサラは、グラスを側にある台に置いて不満そうに呟く。

 

 

「全く、ワインが美味しくてもそんな顔されたら楽しめないじゃないのよ~」

 

 

「あんな事があって、その当事者の目の前でこうして平然とワインを飲んでいるサラさんには脱帽ですよ」

 

 

「でしょ? ふふーん♪」

 

 

「誉めてねぇ……」

 

 

 何故か誉め言葉と解釈したサラがどうだと言わんばかりに胸を張る中、その様子を見てグランは頭を抱えていた。とは言え、こうして午後の出来事を何もなかったかのように振る舞うサラの姿に救われている部分も彼にはあるわけだが。ご機嫌な様子でワインを飲むサラを見て考えているのが馬鹿らしくなったのか、グランも思い詰めた表情を崩すと渋味のあるワインの味に意識を向ける。久し振りの味にグランも満足していたのだが、今頃になって彼は思い出した。

 

 

「(……今思ったんだが、これシャロンさんにバレたら不味くね?)」

 

 

 第三学生寮の管理人としてラインフォルト家より派遣されたシャロン。何でもそつなくこなし、非の打ち所がない彼女はまさにメイドの鑑とも言える人物なのだが、グランの記憶の中で彼女は実に面倒な一面を持っていた。それは、与えられた役割を完璧にこなすというもの。全然これっぽっちも悪いことではないのだか、この状況下でグランにとっては迷惑極まりなかった。学生寮の管理人と言う立場は、学生であるリィン達が不自由なく過ごせるために働くだけでなく、彼らにとって良くない事であるならば注意なりアドバイスなりしなければいけない。未成年が酒を飲む事は、勿論良くない事柄に該当する。よって今の状況をシャロンに見つかった場合、想像できない仕打ちが彼には待っていた。

 

 

「サ、サラさん。そう言えばシャロンさんって見ました?」

 

 

「ん~、見てないわねぇ。台所につまみを取りに行った時にはいなかったし、もう寝てるんじゃない?」

 

 

「はは、そ、そうですよねー──」

 

 

 さして興味も無さげにサラは返すが、引きつった表情でグランは彼女に向けていた視線を部屋の扉へと移す。ここでまず彼に嫌な予感が、閉めていたはずの扉が開いていた。即ち、ワインを飲んでいた間に誰かが中を覗いたわけだ。すかさずサラに問う。

 

 

「ど、どうして開いてるんですかね?」

 

 

「私は知らないわよ~」

 

 

「さあ、どうしてなのかわたくしも存じ上げませんわ」

 

 

「そ、そうですか……ん?」

 

 

 サラの後から聞こえた高い声、疑問に感じたグランは扉から後方へ視線を向けて顔を上へと動かす。そしてそこには、ニッコリと満面の笑みを浮かべた管理人シャロンの姿が。現実逃避に走ったグランは満面の笑みでシャロンに返す。直後に彼は悟った。この状況、最早詰んだ。

 

 

「グラン様、少しお二階の方まで宜しいでしょうか?」

 

 

「はい」

 

 

 抵抗するだけ無駄と諦めたグランが素直にシャロンに連れられて部屋を退室する中、後方で未だ酔っ払ったサラの頑張りなさいという言葉を聞きながら彼は思った。もう二度と、学生寮で酒は飲まないと。

 

 

 


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