紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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帝国の現状

 

 

 

 街道の外れ、草木の薫りを含んだ風が吹き抜けて両者の髪を揺らす。エマはその手に魔導杖を構え、セリーヌはその横で毛を逆立たせて威嚇をしていた。一人と一匹の目の前には笑顔を浮かべたグランが立っている。エマがグランに対して向けている目には、普段の彼女が漂わせている優しさの欠片も垣間見えない。少なくとも、この特別実習で同じ時を過ごす"仲間"に向けるものではなかった。

 

 

「グランさん……貴方の目的は何?」

 

 

 明らかな敵意を向けて、エマは口を開く。グランの表情からも笑みが消えた。一度その瞳を閉じた後、突き刺すようなエマの視線を睨み返す。街道の魔獣あたりなら一目散に退避していきそうな程、威圧的な雰囲気を伴った目。しかし、それでもエマが怯むことはなかった。僅かに震える手で力一杯魔導杖を握り締め、話す気配のないグランへと更に言葉を続ける。

 

 

「答えなさい。貴方の目的は何?」

 

 

「……委員長、手が震えてるぞ?」

 

 

「はぐらかさないで! 質問に答えなさい。貴方の……貴方達の目的は何ですか? もし《Ⅶ組》の皆さんを傷付けるつもりなら──」

 

 

 許しません。エマはそう言葉を紡ごうとして止まる。いや、止まらざるを得なかった。十数アージュは離れていたグランとの距離、それが突如として一瞬の内に埋まってしまう。認識することすら許されない速さ、それこそ互いの息づかいがはっきりと分かるほど二人の顔は接近していた。エマとグラン、両者の顔は現在僅か数リジュの距離に縮まっている。

 

 

「どうするつもりだ?」

 

 

「──っ!?」

 

 

 グランの声質は普段と変わらない。その表情も笑みを浮かべており、いつものグランだ。ただ、通常の何倍も重力がかけられたような錯覚を感じるほどの威圧感だけは未だ漂っている。突然至近距離まで接近してきたグランに驚きながらも、エマは思考を巡らせた。こんな状況だが、恐らくグランに争う気はない。勿論自分も彼と事を構えるつもりはない。それに今の一瞬の出来事から、彼がその気になればいつでも自分の口を封じることは出来るんだということも理解できた。そして同時に、問い詰めていた筈の自分の立場が既に逆転している事にエマは気付く。

 

 

「(駄目、私じゃとても敵わない……)」

 

 

 途端に彼女を恐怖が襲った。額からは嫌な汗が流れ始めている。魔導杖を握り締めた手も汗でベトベトだ。金縛りにあったかのように、エマはそのまま硬直して動けなくなった。彼女はグランに顔を向けたまま目線を横下へと向ける。唖然とした表情のセリーヌがそこにはいた。穏やかな気候の下張り詰めた一帯の空気は、一人と一匹の呼吸を許さない。ゆっくりとグランがエマの顔に手を近付け、彼女は身の危険を感じて反射的に目を閉じる。しかし、エマが終わりを覚悟したその瞬間、張り詰めていた場の空気は突然にして消える。

 

 

「……なーんてな」

 

 

 まるで今までの事が全て冗談だったかのように、グランは笑いながらエマの眼鏡を外し、胸ポケットから手拭いを取り出して彼女の額の汗を拭い始める。一方でエマには一瞬何が起こったのか分からなかった。軽い過呼吸になりながらも、目の前にぼやけたグランの顔があること、自身の額に浮かんだ汗が拭かれている事を認識する。程なくしてグランは眼鏡を元いた場所へと戻す。そして視力の回復したエマは、申し訳なさそうに自分の顔を見ているグランを視界に捉えた。

 

 

「あんまり過去は触れられたくないからな。少しばかりピリピリしちまった」

 

 

「……過去?」

 

 

「はぁ、はぁ……一体、どういう意味かしら?」

 

 

 怪訝な顔でエマがグランに聞き返す。同様にセリーヌも呼吸を整えてからエマに続いた。エマとセリーヌの声に、グランは自分の頭をわしゃわしゃと掻いてから言いにくそうに告げる。

 

 

「オレ、一応結社からは抜けたんだよ。つまり──元執行者ってわけだな」

 

 

「流石に納得しがたいわね」

 

 

「……ごめんなさい、グランさん。私達がその言葉を鵜呑みにすることは、出来そうにありません」

 

 

「弱ったな……あの変態を出しに使ってもいいんだが、絶対仕返しくらうだろうし……」

 

 

 頭を抱えながらブツブツと独り言を呟き始めるグランを目の前に、エマは迷っていた。確かにグランの言葉は信憑性に欠ける。だが、どちらにせよ信用するしかないのだ。万が一グランが敵だったとしても今の自分に対抗策などないし、第一自分達を騙してまで彼が《Ⅶ組》に居続ける意味がよく分からない、と。結局のところ、エマもセリーヌも現状を傍観する以外のやりようがないわけである。

 

 

「……リィンさん達を傷付けないと、約束できますか?」

 

 

「ん? そりゃあ、約束できるが……」

 

 

「でしたら……一先ずグランさんの言葉を信じます」

 

 

 完全にグランを信用する事はできないが、《Ⅶ組》の皆へ危害を及ぼさないという彼の言葉を信じて、エマは漸く笑顔を浮かべた。セリーヌもそれが落としどころだと納得し、グランは信用してもらえて良かったと笑みを浮かべている。A班はただでさえユーシスとマキアスの仲違いでピリピリしているのに、グランとエマまでそんな状態になったらリィンの心労は計り知れないだろう。そういった意味での妥協も、エマの判断材料には含まれていた。

 

 

「しっかし……委員長眼鏡外したらめちゃくちゃ美人だな」

 

 

「えっ!?」

 

 

「いやー、美人で胸が大きいとか委員長ドストライクだわ……サラさんは別だが」

 

 

 突然のグランからの不意打ちにエマが顔を真っ赤に染める中、グランは聞かされる本人からしたら恥ずかしい事を躊躇うことなく口にする。何気にサラは酷いことを言われているが。そして明らかに面白がってからかうグランの様子に、エマは肩を落としてため息をついた。

 

 

「も、もう……やっぱり信用できません」

 

 

「……本当に大丈夫かしら、彼」

 

 

 端から二人の様子を見ていたセリーヌは、その光景にただただ呆れているのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 現実では、時折考えられないくらい理不尽な出来事が起きるものだ。今まで頑張ってきた事が全て一瞬の内に水の泡になったり、必死の努力が一向に報われなかったりする。そんな事を言ってしまえば元も子もないのだが、そういった事態をどうしても避けられない時もあるだろう。そして現在バリアハート市内のホテル前にて、グランとエマが戻ってくるまで待機しているリィン達は、そんな理不尽な光景をつい先程目の当たりにしていた。

 

 

「くっ、これだから傲慢な貴族連中は」

 

 

「……」

 

 

 行き交う街の人々に聞こえない程度に、マキアスは怒りを露にして声を発する。普段ならその言葉に皮肉混じりで言い返すユーシスだが、今回の彼はマキアスの隣で目を閉じたまま無言だった。フィーはいつも通りの眠そうな顔で屈伸をしている。そしてその横でリィンは何だかやりきれない表情を浮かべていた。四人が目の当たりにした出来事、それは北クロイツェン街道で採取した樹精の涙(ドリアード・ティア)をターナー宝飾店のブルックの元へと届けた時に起きる。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「ああ、君達か……樹精の涙(ドリアード・ティア)は見つかったかい?」

 

 

「はい、こちらです」

 

 

 店内に入り、リィンは浮かない顔をしたブルックへと半貴石を手渡す。そしてそのまま加工の工程へ運ばれると思われたそれは、思わぬ人物の手へと渡ることとなった。カウンターへ、一人のメイドが近付いて来る。

 

 

「どうぞ、これが樹精の涙(ドリアード・ティア)になります」

 

 

「確かに……旦那様、こちらになります」

 

 

 メイドの手へと渡ったその半貴石は、そのまま店の隅にいた貴族の男の元へたどり着く。そして半貴石の行き着いた先は……何とその男の胃袋の中だった。男はメイドから樹精の涙(ドリアード・ティア)を受け取ると、口に含んでものの見事に噛み砕いたのだ。事情を知らないリィン達は唖然とし、マキアスに至っては貴族の男へ怒鳴り声を上げた。ユーシスも流石に見過ごせないと、その男へ説明を求める。

 

 

「俺達がわざわざ足を運んで手に入れたというのに……一体どういう了見だ」

 

 

「ユーシス様、実は──」

 

 

 貴族の男の説明によると、この半貴石は体内に摂取する事で滋養強壮の効果があるのだという。そして店主の息子であるブルックと、本来渡るはずだった男性とも今回の取引は成立しているのだと話す。ブルックも男の話を肯定し、樹精の涙(ドリアード・ティア)を受け取る予定だった客の男性も今回の事は何も問題はないんだと続けた。しかし、二人の顔は明らかに落ち込んでいる。貴族の男は用が済んだとばかりにメイドを引き連れて店を出ていき、店内に残ったリィン達は客の男性へ、納得の上での事なのかと問い掛けた。

 

 

「納得も何も、貴族に渡せと言われたら、僕達平民が渡せないなんて言えないんだよ」

 

 

「それ相応のミラは支払われたよ。残念だけど、今回は諦めるしかないんだ」

 

 

「そんな……」

 

 

「いいんだ。結婚指輪の資金は、村の皆から借りて何とか工面しようと思います……君達も、今日はありがとう」

 

 

 客の男性はリィン達へ御礼を述べると、重い足取りでターナー宝飾店を後にする。特別実習最初の課題は、帝国における貴族制の問題点を改めてリィン達へ思い知らせる形となった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 貴族とは本来、領民を守るために存在している。そしてその代償として、平民は畑を耕し彼等に税を納める。こうして見ると、貴族制は互いを支え合い、持ちつ持たれつの関係という理想的な制度だ。しかし、帝国の現状はその理想的な関係を築けてはいなかった。今回のような、貴族と平民の身分の違いによって引き起こされる優劣。平民は貴族に従うものだと、帝国各地で出来上がっている一方的な搾取の構図。

 

 

「ふーん、そんな事がねぇ……」

 

 

「男性の方、少し可哀想ですね」

 

 

「グランもエマ君もそう思うだろう? やはり、貴族制は廃止するべきだ」

 

 

 ホテルの前にてリィン達と合流したグランとエマは、一連の出来事を聞いてやはりやりきれない表情を浮かべている。勿論、全ての貴族がそういった人間というわけではない。一部の良心的な貴族には、民を思いやり、手と手を取り合って互いに助け合う理想的な構図を築けているところもある。例えば現在帝国内で対立している革新派と貴族派。その貴族派の筆頭とされ、各地を治めている《四大名門》なる大貴族。アルバレア公爵家、カイエン公爵家、ログナー侯爵家、ハイアームズ侯爵家。そしてその中でも、ハイアームズ侯爵家は今回行われた税の引き上げを唯一行っていない。これは、領民の生活を考えたハイアームズ侯爵の意向である。だからこそ、マキアスの言うように貴族制を廃止するべきだという考えが必ずしも正しい訳ではない。帝国の古きよき文化を大切にするという貴族派の意見も一理あるわけだ。しかしその貴族制の廃止を反対する貴族派は、自分達の立場が弱くなる事によって権力を失うのが嫌だという、これまた自己中心的な考えを持つ者が大多数を占めるので話が余計に拗れるのだが。

 

 

「今回の事は俺も不本意だが、これが帝国の現状だ。かと言ってそこの男が話すように貴族制の廃止が正しいとは思わんが」

 

 

「ふん……君達貴族と違って、僕はそこまで傲慢じゃない。必ずしも自分の意見が全てなどとは思っていない」

 

 

 だったら先ずその明らさまな貴族嫌悪の姿勢を変えろよ、と喧嘩腰のマキアスに対してグランが思ったのは仕方ないだろう。まあ、一応この特別実習では休戦中の二人なので、取っ組み合いになるような事はないだろうが。

 

 

「今回は残念だったけど、俺達も特別実習で訪れている身だ。落ち込んでばかりもいられないし、早く次の課題に取り掛かろう」

 

 

「賛成、この二人の言い争い聞き飽きた」

 

 

「右に同じ」

 

 

「はいはい。フィーちゃんもグランさんも、火に油を注ぐような事は言わないの」

 

 

 リィンの声に、フィーとグランは右手を挙げて同意する。そしてA班の保護者担当ことエマの言葉を最後に、六人は再び特別実習を再開するのだった。

 

 

 




ごめんなさい、マキアス批判っぽくなってますが作者はマキアス大好きです。もう少し上手く描写できればいいんだけど……私の今後の課題です。

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