「リィン、そろそろ再開しないか?」
グランの声で、リィンは漸く現実に引き戻された。いつの日か、自分の師であるユン=カーファイが話していた人物が今目の前にいる。当時十二の年齢で免許皆伝にまで至ったという話を聞いた時ですら驚きを隠せなかったのに、同じ士官学院に通う、それも同じ《Ⅶ組》のメンバーの一人だという事実に驚かないはずがなかった。『紅の剣聖』……今のリィンには、到底太刀打ちできる存在ではない。だが、剣の道を歩む上でこれ程貴重な機会はないだろう。太刀を手に取ったその日から目指した、『剣聖』という頂きの一端を知る貴重な機会は。リィンは暫し目を瞑った後、その目を開いて正面に対峙するグランを捉える。
「──すまない、時間をとらせた。『紅の剣聖』の一端、この身で感じさせてもらうよ」
「それじゃ、オレはリィンを本気にさせてみるかね……!」
言葉を交わした後、グランはリィンへと肉薄する。一同の耳に響いたのは甲高い金属音。消えたと錯覚するほどの速さにリィンは遅れることなく、太刀でその一撃を受け止めていた。そして小競り合いの末、グランが押し切るがリィンは後方へ距離をとって追撃を回避。しかし間髪入れずに再びグランがリィンに向かって駆ける。息をつく暇もない連撃、流石にリィンの顔にも焦りが見えた。
「(拙いな……!?)」
グランの刀を受け止めたその時、リィンの胸の中で心臓が跳ね上がる。高くなる動悸、リィンの内に眠る何かが彼の意識を奪おうとしていた。直ぐにグランもリィンの異変に気付く。リィンから離れると、何かに耐えるように顔をしかめるリィンを見てグランは戦闘続行を不可能と判断した。リィンが胸に手を当てた一瞬の隙、戦いを終わらせるためにグランが動く。
「弐ノ型──疾風!」
初撃と同じ構えから突然姿を消した。一同はグランを探すが、その姿は既にリィンの後方へと移動している。刀を振り抜いたグランの格好、そして太刀を支えに辛うじて倒れることを逃れた息絶え絶えのリィンを見て、漸く皆は理解した。グランがリィンへすれ違い様の一撃を与えていたという事に。
「勝負あったわね」
サラの声と共に、グランは元の立ち位置へと離脱して刀を鞘に納める。開始数十秒の攻防は、外野の《Ⅶ組》メンバーから見れば何が起こったのか思考が追い付かない程の出来事だった。この結果を予想できていたサラとフィーの二人はそれほど驚いた様子を見せていないが、それ以外の皆は一様に信じられないと口を開く。そしてテストが終わったことで慌ててトワがリィン達に駆け寄って無事かどうか声を掛ける中、何故かグランは一人怪訝な顔を浮かべていた。その視線は、息を整えながら立ち上がるリィンの顔へと向いている。
「(何かいやがるな……リィンも相当なもんを抱えてるって訳か)」
「グラン君、グラン君ったら!」
一人思考の海へと潜るグランは、自身がトワから声を掛けられている事に気が付いていない。徐々に頬を膨らますトワの様子に、他の皆は助けることなく和んでいる。確かに可愛らしいその姿は癒されるが、流石にいつまでも放っておく訳にもいかない。そう思ったリィンがグランに声を掛けようとしたが、リィンはグランの元に近寄って彼の視線が少しだけトワの顔へと向いていることに気付いた。
「(はは……グラン、確信犯だな。全くどうしたものやら……)」
「うぅ~グラン君ってば……もしかしてわざと?」
「あれ、バレてました?」
「もう、知らないんだからっ!」
トワがそっぽを向いてしまうのも仕方がない、どこからどう見ても悪いのはトワをからかったグランだからだ。と言ってもグランを責める者がこの場に一人もいないあたり、トワの姿に和んでいた皆にもその責任はあるのだが。グランがトワの機嫌を直すために色々と声を掛けるその横で、サラは改めて今月の特別実習の説明を行う。
「それでは、予定通りリィン以下六名はバリアハート。ガイウス以下四名はセントアーク……異論はないわね?」
サラの声に、メンバーの皆は頷いて了承の意思を見せた。ユーシスとマキアスの二人は納得のいった表情ではないが、約束した以上逆らうわけにはいかない。そして何か質問はないかと続けてサラは話し、一つだけ疑問に残っている内容をリィンが代表で訊ねた。
「どうして人数が偏っているんでしょうか? 多ければその分課題は楽になるだろうし、少なければ一人一人の負担が増します。A班とB班が平等でないというのがちょっと。その、異論とかではないんですが……」
リィンの言っている事は尤もだ。A班はリィン、グラン、フィー、エマ、ユーシス、マキアスの六人。B班はガイウス、エリオット、アリサ、ラウラの四人。自分の班の方が人数が多く、有利だというのにリィンも律儀なものだ。しかし、よく考えてみればB班の方が実は有利だったりする。
「前回そこの二人が思った以上に酷くてね。ガイウスと委員長が大分苦労したみたいだから、救済措置ってやつよ」
そう、A班は人数こそ多いがユーシスとマキアスの二人が揃っている。比べてB班は割りと仲も良好で当たり障りのないメンバー。確かに人数の優劣は余り関係無さそうだとフィーが一人呟く。そしてその呟きに二人を除いた皆が苦笑いを浮かべる中、放課後に生徒会の手伝いをするという条件で漸くトワから許しを得たグランが頭を抱えながら戻ってきた。
「最悪だ……今日の放課後が潰れた」
「グラン、これ見て。もっと最悪」
「ん? マジでか……」
フィーから受け取った紙に書いてあるA班に振り分けられた自分の名前を見て、グランは更に肩を落とすのだった。
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実技テストから三日後の、五月二十九日土曜日。《Ⅶ組》にとって二度目の特別実習の日が訪れる。朝の時間、A班のメンバーはグラン以外は皆トリスタ駅のロビーへと集まっていた。五人は時間まで椅子へと座って待つことにし、相変わらずユーシスとマキアスの二人が険悪なムードを漂わせる中、フィーはグランの事だからまだ部屋で寝てるんじゃないかとエマに話している。列車の時間まではまだ暫くあるので、急いで部屋まで起こしに行くのは可哀想だと《Ⅶ組》の委員長は優しすぎる事を言っているが、それも必要ないとリィンが二人の会話に入った。
「俺が部屋で準備をしている時、窓の外に学院へ向かうグランの姿が見えたから多分大丈夫なはずだ」
「グランさんが学院に……
「……多分あそこかな」
フィーにはグランが向かった場所の見当がついているようだ。どこか嬉しそうに見えるフィーの顔を見てリィンとエマは首を傾げながら、グランがロビーに来るのを待つのだった。
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学生会館二階、生徒会室。この日、早くも生徒会の仕事を始めていたトールズ士官学院の癒し担当こと生徒会長のトワ=ハーシェルは、机の上で山積みになっている書類の整理に明け暮れていた。時折厚みのある本を開いて何かを確認するように目を通した後、あれでもないこれでもないと悩みながら書類整理を続けている。早朝から既に一時間は頭をフル回転しているトワなのだが、流石に疲れが出たのか少し休憩を取ろうと本を手に持って椅子から立ち上がった。その時、窓ガラスから響くノック音がトワの耳を刺激する。
「ん? 何だろう……ふえっ!?」
トワが視線を向けると、そこにはグランが半分だけ顔を出して中の様子を伺っている様子が見えた。彼女は驚きの余り手に持っていた本を落とし、丁度落とした先が足の甲の上だったらしく苦痛の声を上げる。顔をしかめながらその場にしゃがみこんで、痛そうにタイツの上から足をさすっていた。
「うぅ~……腫れちゃったかな?」
トワは歩く度にズキンと足の甲を刺激する痛みに耐えながら窓に近付くと、戸を開けてグランを中へと入れる。片目を瞑って悶えているトワの顔を見て、生徒会室に入ってきたグランは首を傾げて不思議そうに彼女の顔を眺めていた。そんな自分に起きた不幸の原因であるグランに怒ることもなく、どうしたの? と彼の用事を真っ先に訊ねる辺り彼女の人の良さが伝わってくる。
「いや~、女の子の悶える姿ってやっぱいいですね」
「……」
「すみません。会長から軽蔑の目で見られるとマジで傷つくんで勘弁して下さい」
だったら初めからそんな事口にするなと突っ込みたくなる。普通ならドン引きの彼の発言も、心の広いトワは半分諦めた様子で許していた。いつの間にか引いていた痛みに気付くことなく、彼女はグランをソファーに座らせると正面に腰を下ろして改めて彼の用事を訊ねる。
「全くもう……で、どうしたの? グラン君今日は特別実習の日じゃなかった?」
「いや、その特別実習なんですけど……今から鬱な展開が続きそうなんで、会長の笑顔を糧に実習を乗り切ろうかと」
「もう……本当は?」
「今の言葉で恥ずかしさに顔を染める会長を見に来ました」
ドS全開のグランの言葉に、トワは涙目で顔を俯かせていた。どうしてそんなに恥ずかしい事をスラスラと口に出来るんだと、トワは嬉しいやら恥ずかしいやら複雑な気持ちでグランの顔を上目遣いで見つめている。グランはそんなトワの顔を暫し眺めて満足したのか、立ち上がると窓へ向かって歩き出した。
「それじゃ、行ってきます」
「……うん、行ってらっしゃい」
そして笑顔でグランを送り出すトワだったが、彼が窓の縁に足をかけて漸く気付く。またしてもグランが窓から外に出ようとしている事に。駆け寄った時には遅く、グランは窓から外へ飛び出しておりその姿はもう見えない。何度言っても扉から退室しないグランにトワは呆れながら、ふと足元に落ちている何かに気付いてそれを拾った。
「何だろう、グラン君の落とし物かな?」
その金属で出来た大きめのペンダントは、恐らくついさっきまでここにいたグランの物だろう。トワは今度グランが生徒会室を訪れた時に返そうとそのペンダントを机の上に置こうとしたが、その時ペンダントの下部にある仕掛けに手が触れてしまい、触れた拍子でフタが開いて中の写真があらわになった。
「あれ? この子誰かに似ているような……」
写真に写る白髪の少女に何か疑問を抱いたトワは、誰だろうと首を傾げながら思い出そうとしている。そして不意に向けた視線の先、机の端に置いていた小物の鏡が視界に入り、そこに映った栗色の髪の少女を見て彼女は思い出した。
「(あっ、私の顔だ……)」
グランが落としたペンダント、その中に埋め込まれていた写真は確かにトワの顔によく似ていた。