紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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第二章ーー過去と今ーー
《Ⅶ組》の変化とグランの素性


 

 

 

 五月下旬。トリスタの街に咲き乱れていた花々も盛りを過ぎて散り始め、夜に吹く風が心地よく感じるようになった頃。トールズ士官学院の一年《Ⅶ組》では、様々な変化があった。

 一つはユーシスとマキアスの関係。此方は相も変わらず二人が顔を合わせる度に険悪なムードを漂わせていたのだが、四月の実習の時に一悶着あったのか更に険悪さを増していた。喧嘩が始まれば誰かが止めに入らないと殴り合いにまで発展しそうな事態になっており、最早最悪と言ってもいい。

 そしてもう一つあるのだが、何とリィンとマキアスまで仲が悪くなってしまった。と言ってもマキアスがリィンを一方的に避けている、という状態だが。その理由が、実はリィンが貴族だったからというもの。先月の特別実習の後、リィンが《Ⅶ組》の皆へ自分は貴族だと打ち明けたのだが、どうやら最初の自己紹介の時、マキアスには自分の身分をはぐらかす形で答えていたらしい。リィンが貴族だと知ってからマキアスの態度は一変、リィンと殆ど話さなくなった──とここまではよろしくない変化。

 無論、良い変化もある。それはグランとラウラの仲だ。元々仲が悪かった訳ではないのだが、実習での出来事があってから二人の会話が更に増えた。二人の席は隣同士なため、グランが授業中に寝ようものなら横からラウラが起こし、授業をしっかり受けさせるといった日々。グランには少々ありがた迷惑な部分があるかもしれないが、教官の皆からしたら大助かりで、何よりグランが少しずつ勉強についていけるようになったというのが一番良い変化だろう。

 そして現在、授業の終わった《Ⅶ組》の教室には、部活や他の用事等でいないメンバーを除いた、リィン、グラン、ラウラ、マキアスの四人がいる。本日も丸一日しっかりと授業を受けさせられたグランは、放課後のこの時間に机の上でうつ伏せていた。

 

 

「──終わった。もうやだこのクラス」

 

 

「お疲れ様グラン。今日も大変だったな」

 

 

 グランの席から二つ左隣の席に座るリィンが労いの言葉を掛けているが、弱々しく左手を挙げるのみでグランの気力は殆ど底を尽きていた。グランの右の席では、ラウラがその様子を見て情けないと口にし、それを聞いたリィンは苦笑いを浮かべている。

 

 

「ラウラ、今度からお前のこと鬼嫁って呼んでもいいか?」

 

 

「誰が嫁だ!」

 

 

「フッ……照れるなよ」

 

 

 恥ずかしさで頬を紅潮させるラウラに、調子に乗ったグランが微笑みながらそんな事を口走ってしまう。ラウラが不意に席を立ち上がり、そしてグランがそれを見上げると、彼の目には顔を俯かせて肩を震わすラウラが映った。流石のグランも気付いたらしい、やり過ぎたと。

 

 

「やばっ、じゃあなリィン!」

 

 

「今日こそ……その性根を叩き直してくれる!」

 

 

 危機を感じたグランは逃亡、続いてラウラが頬を赤く染めたままその後を追いかけていく。そして二人が教室を出ていく様子を苦笑いで見ていたリィンは、たった今席を立ち上がったマキアスの方へと視線を向ける。

 

 

「なぁ、マキアス──」

 

 

 リィンがマキアスの背中に向けて声をかけるが、彼は振り向かず、背を向けたまま口を開いた。必要以上に馴れ合う気はない、と。たった一言そう言い残すと、マキアスは教室を退室していく。そしてリィンはその場で一人、深い溜め息をついていた。

 

 

「どうにか、仲直りしないとな……」

 

 

 リィン=シュバルツァー、何とも気苦労の絶えない男である。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「よいしょっと……」

 

 

 学生会館二階、生徒会室。生徒会長のトワはこの時間、書物の整理を行っていた。小柄な体で分厚い本を何冊かまとめて抱え、机の後ろにある本棚へ次々と収納していく。そして最後の一冊を本棚へ納めようとしたその時、生徒会室の窓からコンコンとノックをする音が聞こえてくる。どうして窓から……と不思議に思ったトワは顔を窓へと向けた。

 

 

「ふぇっ!?」

 

 

 トワが驚くのも無理はなかった。何と窓ガラスの向こうでは下からひょっこりとグランが顔を出していたのだ。ここ二階だよね? とトワは頭を混乱させながらも窓を開け、グランを生徒会室の中へと入れる。そして入ってきたグランは疲れていたのか、ソファーに座るとそのまま横に寝転がり始めた。トワはそんなグランを見て少し心配になったようで、傍へ駆け寄るとグランの顔を覗き込む。

 

 

「だ、大丈夫? お水入れよっか?」

 

 

「……」

 

 

「……ん? グラン君、今何か言った?」

 

 

「──トワ会長マジ天使だわ」

 

 

 目を開いたグランは、心配そうに顔を覗き込んでくるトワを見て呟いた。グランの言葉が恥ずかしかったのか、トワは顔を赤らめると誤魔化すようにそそくさと離れてお茶の準備を始める。そんなトワを横目にグランは笑みをこぼした後、漸く顔から赤みが引いたトワが持ってきたお茶を手に取り啜った。

 

 

「グラン君ったら、アンちゃんみたいなこと言うんだから……」

 

 

「……ふぅ。いやいや、オレもアンゼリカさんがトワ会長を可愛がる理由、分かりますよ」

 

 

「もう~、グラン君怒るよ!」

 

 

「おー怖い怖い」

 

 

 最早先輩と後輩の立場が真逆になっていた。頬を膨らますトワの顔は怖いというか可愛らしく、グランも笑顔を浮かべながら彼女をからかっている。暫くそんなやり取りが続いていたが、グランの性格を理解したトワは溜め息をついた後、先程から気になっていた事を横になっているグランへと問い掛けた。

 

 

「はぁ……そういえばグラン君、どうしてあんなところから入ってきたの?」

 

 

「ちょっと鬼ごっこしてまして……」

 

 

「こら、お茶を飲むときはちゃんとお行儀よくしなきゃ」

 

 

 ソファーに横になったままお茶を啜るグランを、トワは苦笑いを浮かべながら体を起こすようにと促す。話を聞いているのかいないのか、トワの顔をぼぅーっと眺めていたグランだったが、そんな中彼の脳裏をある光景が過った。それは、白い長髪をした可愛らしい少女が、トワが今言った言葉と似たような事を口にする姿。

 

 

──こらっ、グランハルト! 食事は行儀よくしなさい!──

 

 

「!?」

 

 

「ど、どうしたの? 何かあった?」

 

 

 急にグランが慌てて起き上がったため、目の前に座るトワは驚くと彼の顔を心配そうに見詰め始める。グランはトワの顔を見ながら瞳を揺らし、明らかな動揺を見せていた。だがそれもほんの数秒、グランは冷静さを取り戻すとお茶を手に取って啜りながら、トワの顔を見て考え事を始める。

 

 

「(誰だ? 今の嬢ちゃんは一体……)」

 

 

「えっと、グラン君? 流石にじっと見詰められると恥ずかしいというか、何というか……」

 

 

「じぃー……」

 

 

「うぅ……絶対わざとだよね?」

 

 

 遂には目を潤ませ始めたトワがグランの顔を見つめ返し、その破壊力抜群の視線にやり過ぎたと気付いたグランだが心を痛めながらも決して視線を外さない。そして幾分かトワの顔を眺めて満足したグランは笑いながら彼女に謝り、トワもそんなに怒っていないようで目を擦りながら笑い返している。その後、トワはグランに学院での生活について尋ねた。

 

 

「グラン君、学院生活は楽しい?」

 

 

「えぇ。トワ会長もよくしてくれますし、以前の生活から比べたら信じられないくらい楽しいっすよ」

 

 

「えへへ……良かった」

 

 

 グランが学院生活に満足していることを知ったトワは、それは嬉しそうに笑っていた。グランもまた、これほどまでに後輩の面倒見の良いトワの気遣いを嬉しく感じて自然と笑みをこぼしている。そんな時、グランの顔を嬉しそうに眺めていたトワはふと気になったある事をグランに問い掛けてみた。

 

 

「あのね、グラン君。学院に来る前のグラン君って、どんな事してたの?」

 

 

 それは、以前生徒会室でグランに学生手帳を渡した時から気になっていたこと。名前の違う学生手帳、そしてあの時見せたグランの何か思い詰めたような顔をトワは忘れられなかった。深入りしてはいけないと思いながらも、大切な学院の生徒の一人として何か力になってあげたい。とは言えいきなり事の真意を問い詰めるのはデリカシーに欠けるので、先ずはグランの事を少しでも知っていこうと考えたのだ。

 

 

「えっと──」

 

 

「あ、あの、ゴメンね!? いきなりこんな事聞かれても困っちゃうよね!?」

 

 

「……そんなこと無いですよ。と言っても余り知られたくない事もあるんで、話せる範囲でよければ」

 

 

 少し困惑するグランの表情に焦り始めたトワだったが、直後に彼が笑顔を浮かべたことで安堵の表情に戻る。そしてトワの視線を受けながら、グランは一つ質問を、と切り出し始めた。

 

 

「トワ会長は、猟兵って知ってますか?」

 

 

「えっと……傭兵の中でも特に実力の高い人達の事、だよね?」

 

 

「はい。トワ会長は猟兵の事をどう思いますか?」

 

 猟兵──傭兵の上位互換に当たる存在であり、その性質は傭兵と同じくミラさえ支払えればどのような汚れ仕事であっても引き受ける。トワはそのような一般的な知識を脳裏に過らせながらも、当たり障りの無い返答を返した。

 そして次にグランからは何気ない質問が投げ掛けられる。しかし問う立場の彼の顔はどこか不安そうで、その表情からトワもそれを肌で感じていた。もしかしたら、とトワはグランの素性に気付きながらも表情を変えることなく、笑顔のままその問いに答える。

 

 

「──色々考えるところはあるけど……そういう仕事をする人は凄いなって思うよ」

 

 

「凄い、ですか?」

 

 

「うん。お金の為に何でもするって事は、その人は常に非情でなければならない。非情になるって、とても辛いことだと思うから……」

 

 

「何でもするんすよ? 盗みでも、人殺しでも、本当に何でも」

 

 

「でも、その人がやりたくてやってるんじゃないよね? 雇っている人がいて、その人は生活の為にやってるだけで……本当に悪いのは、そういった仕事を依頼した人だと私は思うな」

 

 

 トワの言葉に、グランはかなり衝撃を受けていた。こんな考え方をする人間がいるんだと、物事を全部理解した上でこんなことを言ってのける人がいるんだと。グランが呆気にとられている中、正面のトワは首を傾げてその様子を眺めている。グランはそんなトワの顔を見て笑みを浮かべた後、改めて質問に答えた。

 

 

「参りました、質問に答えますよ。実はオレ、ここに来る以前は──」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

──猟兵だったんです──

 

 

 生徒会室の外で、グランとトワの会話に耳を傾ける者がいた。青髪をポニーテールにまとめたその少女は、グランの話を扉越しに聞くと少しずつ後ろへ下がり始め、やがて振り返ると階段へ向かって走り出す。そして同じ階にある文芸部の部室から出てきたエマが、彼女の走り去る様子を見て首を傾げていた。

 

 

「ラウラ、さん?」

 

 

 《Ⅶ組》の委員長が目にした彼女の瞳には、確かに涙が浮かんでいた。

 

 

 




アンケートに早速コメントを頂けて嬉しい限りです。そして漸くトワ会長を出すことができた……

本編の会話を大分端折ってますが御了承を。

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