数時間にも及んだ仲魔集めが終わって異界から帰還したところ、渚は角刈りの教官に呼び止められた。
そして連れていかれた場所は異界が設置されている場所のすぐ近く、頑丈そうな扉に『関係者以外立ち入り禁止』という看板が貼られた地下施設だった。
その先の階段を下れば、そこには教官が朝に説明してくれた、悪魔合体を可能とする設備があるらしい。
生物由来の材料が使用されていない無機質な空間が蛍光灯で照らされていると、窓が無いことも相まって秘匿された研究所といった感じの印象を受けた。
静謐な廊下に二人分の足音だけが反響する。
そこそこ歩いたにもかかわらず、すれ違う人間は一人もいなかった。
扉の向こうに職員たちが詰めているのかもしれないが、内部の様子を窺うすべは無い。
その為、渚にはこの施設には人が全くいないように感じられた。
奥へ奥へと先に進む教官に、渚は無言で追従する。
先程までは渚が、悪魔合体についての疑問を問う形で会話もあったのだが、どうにも彼は専門家ではない様で、渚でも知っているような概要しか答えてくれなかったのだ。
少し鋭い質問をすれば知識不足から返答に窮するようで、この先にいる専門家に聞いてくれと丸投げである。
そうなれば渚と教官はプライベートで話す関係でもないので、二人とも無言で黙々と足を動かすようになり、この静寂は形成された。
「……着いたぞ、ここだ」
施設の奥深くに位置するドアの前で。
目線の高さに張られた部屋の番号を見て、ほっとしたように教官が呟いた。
道に迷ったのか何度か行き止まりにぶち当たって引き返しながらも、彼はどうにか目的地に辿り着けたようだった。
まあ殆ど似たような構造の施設だったから迷うのも無理はない。
渚としては今から一人で帰されたとしても、真っ直ぐ出口にまでいける自信はあるのだが。
(部屋の番号という目印があるんだから、その位置関係を覚えておけばいいのに。この人あまり頭の出来がよろしくないんじゃ……?)
とはいえ大人はからかうものではない。
渚が失言をしないようにと笑いをこらえながら押し黙っていると、教官はドアを開け放って逃げ去るように部屋の中へと消えた。
口元がひくつくのが抑えられなかった為、後ろを振り向いた時に渚が笑ってるのがばれてしまったのだろう。
声が出そうになるがお腹に力を入れてどうにか堪えて、渚は肩を微妙に震わせながらも遅れないようにと後に続く。
部屋の中は、悪魔合体という字面から想起させるような薄暗い雰囲気は皆無だった。
(当たり前であるが)室内は照明が点けられていて昼間のように明るいし、部屋の構造にも何の変哲もなく、儀式や祭壇のような魔術的な要素は全く見受けられない。
天井から鎖が垂れ下がっている訳でもなく、檻やシリンダーのような生体ポッドも無く。
パソコンなんかのポピュラーな機器に加え、様々な用途不明の設備が置かれた、ごく普通の研究室だった。
重く断続的に響く機械の作動音があちこちから聞こえてくる。
部屋の主の性格が表れているのか、床や天井に張り巡らされたケーブルは綺麗に纏められており、雑多な印象はあまり感じない。
「霜月渚くんじゃな? 話は聞いとるよ」
部屋の奥から聞こえてきたその言葉は、高そうなデスクチェアに腰掛けた研究室の主が発した声だった。
声の主を探した渚の視界に入った人物は、白衣をまとった研究者風の出で立ちの老人だ。
顔に刻まれた深い皺に、真っ白な頭髪は彼が生きてきた歳月を物語るが、落ち窪んだ瞳が発する眼光は鋭く、弱々しい印象は感じない。
「……はて? わしは少年と聞いていた気がしたのだが、遂にボケたのかの?」
渚を見た老人が驚きの声を発するが、性別を揶揄されるなど慣れた事。
似たようなことはこれまでの人生で辟易するほど聞いてきたので、その内心は手に取るようにわかる。だがいちいち訂正する必要性は無い。
さっさと本題に入ろうと、渚は老人の問いかけを無視するかのように口を開く。
少しぐらいは取り繕っておこうと、愛想笑いを顔に浮かべながら。
「悪魔合体とやらをしに来たのですが、さっそくやって頂けますか?」
「最近の若者はせっかちだのう……。まあよかろう、こっちじゃ」
渚のそんな失礼な態度に、白衣の老人は好々爺然とした笑みを浮かべると、椅子から立ち上がり渚を手招きして歩き始めた。
向かう先には何やら大きな機械が置いてある。
あれで合体をするのだろうかと考えながら、渚もそちらに向かって一歩足を踏み出すと――
「霜月」
入り口周辺に突っ立って事の成り行きを見守っていた教官が、不意に声をかけてきた。
「俺はこれで帰るが……博士に対して、くれぐれも失礼の無いようにな」
「もちろんです」
足を止めて振り返った渚は、教官の言葉を受けて大きく頷いて見せるが、向けられたのは疑わしげな視線だった。
入室直後にもやらかしているから、今更殊勝な態度をとった所でどうにも信じられないのだろう。
渚としても、老人に対して本気で丁寧な態度をとるつもりは無かったし、教官の懸念は間違いなく当たっている。
「はぁ……。帰り際、一人だと思うが道に迷うなよ?」
「はい、大丈夫です」
諦め交じりに溜息をこぼした教官が帰り道を心配してくるが、渚には何の問題もない。
ここから地上に出る道は理解しているし、そこから宿に向かう道筋も把握している。
そこそこの距離があるが、渚の脚力があれば車以上に早く帰れるだろう。
「そうか……。まぁあまり遅くならないように。ではな」
「お疲れ様でした」
扉の向こうに消える教官をかすかに頭を下げて見送って、扉が閉まったのを確認すると渚は踵を返した。
向かう場所は当然、老人の待つ機械の所だ。
「お待たせしました」
「いや、大してまっとらんよ」
教官の面子を立てておこうと、老人に対して待たせたことを一応謝罪してみれば、交わされた言葉はお互いに大して心の籠っていない社交辞令だった。
それで分かった。どちらかというとこの人は、挨拶なんかは素っ気なく行うタイプの面倒を嫌う人間らしい。
「これの概要くらいは聞いていると思うんじゃが……由来なんかの説明は必要かの?」
目の前の機械をさすりながら老人が告げた言葉に、渚は頷きを持って答えた。
そして始まったのが、渚に対する悪魔合体の講釈だ。
「よろしい。こいつは半世紀前に存在した大天才、サリエラ・ザストーアが発明、試作した物を、製作者亡き後にどうにかして完成させた物じゃ。ああ、サリエラの事は知っておるかの?」
「ええと、メシア教団の信徒で超有能な異能者であり、発明家でしたっけ? あまりよく知りません」
サリエラ・ザストーア。
半世紀前の裏世界を代表する偉人で、魔導技術を一人で一〇〇年は早めたとか評価されていた気がする。
常人には理解し難い世界の真に迫るような論文ばかりを書いていて、生産性に寄与するような発明はあまりしてこなかったが、それでも僅かな手番で魔道具の機械的な大量生産方法を構築した人でもある。
渚も彼女の遺した論文には目を通してみたが、難解すぎて序論を見ただけで理解を放棄した。
頭脳面だけでなく戦闘面でも天才で、慈愛溢れる精神も合わせて聖女とか呼ばれてたらしい。
しかし功績ではなく、彼女の歩んできた人生の事は殆ど知らない。
人の人生になんか興味はないと、偉人関連の書籍は完全にスルーしていたからだ。
なんとなくルーデルとアインシュタインを悪魔合体して生まれたような、大天才というイメージがあるくらいか。
「まあその理解で十分じゃ。彼女は本当に規格外での……。その頭の中身は言語化された論文を見ても理解に苦しむというのに、その論文すら未完成ならばもうどうしようもなかろうて」
「……ん?」
なんだか嫌な予感が。
「彼女はこの機械の理論を紙面へと纏める前に、異界探査中に閉じ込められて行方不明になってしまっての。実のところどういった原理で合体が起こっているのかよくわかっていないんじゃよ」
「だめじゃん」
あまりにも不甲斐ない老人の言葉に、渚は思わず本音が口をついた。
サリエラの論文を理解できなかった渚が言えた義理でもないのだが、それでも本職の研究者が半世紀もの時間があって何をしていたんだと思わずにはいられない。
そんな思いが籠った渚のジト目に、若干居心地が悪そうにしながらも老人は続ける。
「……一応は悪魔合体も、悪魔のクローン生成ともいえることも可能なんだがのう。本人が目にすれば落第を下すほどに不出来な代物じゃろうて」
クローン生成……悪魔全書のことだろうか。
それに思い至って渚のテンションは上がりかけたが、老人の陰った表情を目にして瞬時に鎮火される。
恐らく実験室レベルでしか使用に耐えない代物なのだろう。
悪魔合体は使用されているようだから使えるとしても、悪魔全書の方は期待しない方がいいか。
いや、この様子だと悪魔合体にすら期待を寄せない方がいいかもしれない。
「まあ実際に見た方が早いじゃろ。悪魔の入ったCOMPを貸しとくれ」
「勝手に合体したりしないでくださいよ?」
「そんなことせんよ」
半信半疑になりながらも渚は携帯型のCOMPを手渡した。
老人は機械とCOMPをケーブルを引っ張り出して繋ぎ終えると、機械の脇に設置してある机のPCに移動してなにやら操作し始める。
後ろから画面を覗きこんで見れば、ディスプレイはプログラム画面のようになっていて何をしているのかさっぱり分からない。
「やけに育っとる妖精が一体いるのぉ。これは残しておくか?」
画面を凝視したままの老人から、唐突に投げかけられた問いかけ。
渚には数字とアルファベットの羅列にしか見えないのだが、老人にはステータス画面のようなものが見えるらしい。
その画面の見方も気になるが、今は返事をするのが先か。
「あ、うん。その子は残しといて。それ以外の悪魔は好きにしていいよ」
ここに来てから途端に胡散臭くなりつつある機械に、大切な仲魔を消されたらかなわないと、渚はまずはピクシー以外の悪魔を犠牲にして様子を見ることにした。
「ほいきた。では早速――」
かたかたっと老人は迅速の指使いでキーボードを叩き、最後にエンターキーを押した。
そしてディスプレイにでかでかと表示される、ダウンロードバーのようなもの。
これは悪魔合体にかかる所要時間を視覚化しているのだろうかと、渚は頭の片隅で考えて。
「えっ」
返事をしてからの一瞬で起きた出来事に渚は唖然とした。
いくら好きにしていいと言ったからって、何の説明も無しにこれは酷い。
というか合体予想を吟味している感じもしなかったが、もしかして……。
生まれた疑問を確かめようと、変な声を発した渚に訝しげな視線を向けていた老人に言葉をかける。
「……教官からはゲームみたいな物と窺っていたのですが、合体先の予想みたいのは分からないんですか?」
「まったくわからん。結果は完全ランダムじゃよ」
おい。
遅々として進まないゲージを待っている間に聞いてみれば、返ってきたのは嫌な言葉だった。
どうもこの世界の悪魔合体の技術というものは、ゲームと比べて格段に低いらしい。
待ち時間を利用して詳しく聞いてみたところ。
合体後の種族・レベルの統計を取ってみても結果はばらばらで、進化が五割。現状維持が三割。退化が二割ということぐらいしか分かっていないとか。
加えて悪魔にも個体値のような才能の格差は存在し、同じ種族の悪魔でもピンキリだ。
素材となった悪魔の要素を引き継ぐこともあるが、それは所詮確率であって、どんなに優秀な悪魔を素材にした使ったところで成長性皆無の産廃が生まれる可能性は無きにしもあらず。
ピクシーを生贄にして、生まれた悪魔が彼女を上回る才能を持っている確率は、十分の一以下とのこと。
一回ぽっきりでソレを引ける気がしないし、ピクシーを合体させるかさせないかで、悩む意味なんてなかった。
普通は、人間のレベルアップ速度では絶対に勝てないピクシーのような才能ある悪魔は冷遇して、渚のいう産廃悪魔を重用するのだが、天才に“普通”は当てはまらなかった。
本当に合体できるだけって感じである。
期待外れは悪魔全書的な機能も同様で、一レベルの雑魚悪魔ですら個人では賄いきれないような膨大なマグが必要であり、それでもカタログスペック通りに誕生するとは限らないという……。
渚の中で、ここの施設は“邪教の館のようなもの”。出来の悪いパチもんという評価が下された。
「……それで、出来上がった悪魔の性能は、実戦の中で確認しろと?」
しばらく掛かるからと椅子に座らされ、出されたコーヒーカップを揺らしながら渚はさも面倒くさげに言った。
「引き継げたスキルは直接聞けば分かる話じゃが……成長性なんかは実際に確かめるしかないわな。その辺は人間と同じじゃよ」
「なるほど、いい意味でも悪い意味でも、飛び抜けてれば一目で分かると」
考えてみれば、渚は他者の才能を見抜くのは得意とするところだった。
主に人間を差し測るのに使ってきた目利きが合体で生まれた悪魔にも通用するのなら、上中下の三段階ぐらいには容易に分けられるだろう。
「わしは純粋な研究者じゃからよう分からんが、聞くところによるとそんなことも出来るらしいの。……しかしお前さん、悪魔の才能なんて見抜いて何をしたいんじゃ?」
皆そんなこと気にしてないぞ、と続けられる。
老人の表情はごく普通。とくに意図がある訳でもなく、純粋に疑問に思ったから聞いたといった感じだろうか。
渚の態度から何か思惑があるのを感じ取って、興味が沸いたというのもあるかもしれない。
しかし素直に、優秀な悪魔の厳選がしたいです。とはちょっと言い辛い。
制度的には問題ないだろうが、人格面で外道キチガイ的に見られるのは間違いだろうからだ。
そしてもし万が一上に報告されて、ガイア教団的な危険思想の持ち主とか警戒されてもたまらない。
そんな自覚があってもなおヤル気満々なところを見るに、実際渚は外道でキチガイなのだが。
話を逸らす話題を探して視線を彷徨わせる。
そこに、悪魔合体の進歩状況を知らせるPCが目に入った。
視界に入った情報を処理し終えた渚は、嫌なものを見たと言わんばかりに顔を顰めた。
半時ほどは話し込んでいたというのに、液晶画面に映るゲージが殆ど動いていなかったからだ。
「……フリーズかな? なんだかゲージが全く動いてないんですけど……?」
「ん? あぁ、問題ない。仕様じゃよ」
逸らされた視線の先にある画面を見て、渚の言わんことを察した老人が何をいわんやとばかりに言い放つ。
あのペースではどう考えても後数時間は掛かりそうだった。
今の渚には、無難な話題逸らしに成功した喜びなど無い。あるのは待ち時間の壁だった。
しばらくってレベルじゃねーぞと心中で毒づいたが、それを実際に口にするのは何とか堪える。
「……半分くらい行ったら一気にガーってなったりするんですか?」
「このペースは変わらんの」
とぼけたような態度の老人。
内から湧き出す笑いの衝動を押さえつけているのか、その声は若干震えていた。
渚は自分がからかわれていたことを理解する。
「そういえば言っとらんかったかの? 合体には時間が掛かるから時間をあけて引き取りに来い、とな。お前さんと話し込んで忘れとったが」
渚のイラついた内心を理解しているのか、老人は的確にその感情へ水を差した。
とぼけた顔がドヤ顔に見えて無性に腹が立つが、装置の解説を求めたのは自分なので強くは言えない。
聞きたかったことは大体聞き終えた。
苛立ちにも後押しされ、戦略的撤退すべしと渚は静かに立ち上がった。
「ではもう僕は帰っても?」
「うむ。明日の今頃の時間には終わっとるじゃろうから、その頃に来ると良いじゃろう」
先に言えよ。とはもちろん口には出さない。
「分かりました。ではまた明日伺います。本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
「仕事じゃからな」
満面の笑みを作り、慇懃無礼に皮肉を込めて言ってみるが、老人には大して堪えた様子はない。
いらっとするが我慢。内心の感情を切り捨てるように踵を返す。
仲魔の入ったCOMPを老人に託して、渚は研究室から退出していった。
▼
午後の六時を時計が刻む頃合い。
所はヤタガラス支部、その奥に位置する執務室のような部屋で。
建物の主と、渚たちを引率していた教官が、高級そうな机を挟んで対峙していた。
スーツを着た男と、異界から直行してきたのか戦闘服のままの女。
一方は椅子へ腰掛け、もう一方は立ったまま。
その光景だけでも力関係は一目瞭然。彼らは上司と部下の関係だと思われる。
部下である女性が入室してから数分が経った頃。
一通りの口頭での簡易報告が終わり、彼女は多分に主観が混じった総括を語りはじめた。
「彼の才能は本物です。成長性、思考、判断力……戦闘に関わりそうなもの全てが非常に高いレベルで纏まっています」
「ふむ……具体的には?」
「そうですね……。このまま彼が何処かに配属されれば、一ヶ月もしないうちに私は追い越されるでしょう」
「……そこまでか?」
スーツを着た壮年の男は険しい顔をして聞き返した。
女の戦歴を知っているだけに、その内容はとても信じられるものではない。
歴戦の古参兵の実力が、微か一ヶ月で追い越される――
想像すらできない事だった。男は平静を装ってはいても、その内心は驚愕で満ちていた。
「むしろこれでも多く見積もっています。大して危機に陥っている訳でもないのに、あの魔力の昇華速度は尋常ではありません。悪魔よりもよほど悪魔染みています」
訝しげな男に対し、真剣に語る女の様子はとても冗談を言っている風ではない。
男は理解に苦しみながらも、そういうものなんだと自分を無理やり納得させた。
「……最終的にはどこまで育つと予想する?」
正解であろう数字を頭に浮かべながらも、あまりにも荒唐無稽なその答えに、男は自分で出した結論を信じられなかった。
しかしその不信は、自身の常識によって発生したものだと男は正しく自覚できていた。
だが信じられないものは信じられない。
そこで自身よりも戦闘に知見のある女性に同じ解答を聞かせてもらい、その常識の壁を打ち破って貰おうという思惑から発した言葉である。
「世に跋扈する悪魔達を相手にする以上、そのうち成長が頭打ちになるでしょう。しかし成長速度と成長限界が比例するという理論が正しいのなら、そこまで至ったとしてもかなりの伸び白が残ると思われます」
悪魔との交戦は有史以来から行われているものだ。
その豊富な経験則や統計から、アナライズでも知ることが出来ない成長要素といった才能の割り出し方を人類は編み出していた。
成長速度が速ければ、同じぐらい成長限界にも恵まれているという仮説である。統計上でもそれは正解という回答が導き出されていた。
それを踏まえた先程の女の言葉である。
ゲーム風に説明するならば、成長限界が一〇と一〇〇の二名がいたとする。
その二名が成長限界に達するのに必要な経験値量は変わらない。
両者共に同じ戦場を体験して、一〇の者がようやくレベルを一つ上げたところ、一〇〇の者は一〇も上げている。
かなり極端な例だが、今回の話はそういった規格外を評する為の会話である。
それを正しく理解しているのか、男は考え込む仕草を見せた。
「末恐ろしいものだな」
数秒の沈黙を破った男の声。それは若干震えていたように女は思えた。
「同感です。或いは潜在能力では、最上級悪魔にすら匹敵するやもしれません」
「……そうなると、過激思想に染まってしまわないか心配であるな」
手が付けられなくなる前に、ある程度の戦果をあげて死んでくれないだろうか。
言葉の裏で、男はそんな最低な思考を巡らせていた。
こういった思考が才能あるものに悪感情を抱かせる原因となり、過激思想に染まってしまう遠因となるのかもしれないが、それでも男には嫌な考えを止めることはできなかった。
身近にそんな理解不能の才能を持った人間が存在するなど、ある程度逸脱しようが常人の域に留まっている男にとっては恐怖以外の何物でもないからだ。
「確固とした芯を持っているように感じました。変な思想に容易に染まることはないでしょう。それにあれだけの才能を自分が手にしていたらと思うと、むしろ彼は模範的ですらあります」
「……」
関係者と比べても逸脱しまくっている女は、いつも通りの無表情で渚を擁護した。
その言葉を受けて男も想像を巡らすが、この女が力に溺れている姿など想像もできなかった。
であればそれは男を揶揄した言葉なのであろう。
ただなんとなく生きていたような高校時代、男の過去にそれだけの力があれば――
己の不利を悟ったのか、男は話題を切り替えた。
「それで“眼”の件について、何か分かった事は?」
眼。つまり魔眼。
それは対象が持つと報告されていた力だ。
『放たれたジオを霧散させた』『遥か格上の悪魔であるリリムを殺害した』それらの所行は全て、その辺で拾ったという木の枝で行われたという。魔眼が関わっていることは確実であろう。
しかし本人が能力の詳細はぐらかしているため、その性能はよく分かっていなかった。
秘密のベールに隠された魔眼の能力の確認も、今回派遣された女の仕事の一つだった。
「正直言って良くわかりません。戦闘中、瞳が青白く輝いていた所を見ると使用していたようですが……」
「歯切れが悪いが……よもや大したモノではなかったのか? だとすれば信楽から上がってきた報告は嘘だったということになるが……」
「いえ、口で説明するのが難しいだけです。あの報告書は事実でしょう。私も似たような現象を目撃しましたから」
相対していた悪魔に、本来なら掠り傷にすら満たないような攻撃で致命傷を負わせたり。
放たれた魔法を、無造作に振るった刀の一振りで相殺したり。
異界での戦闘で、女は報告書の記述に類似した現象を何度も目にしていた。
しかしどちらかといえば口下手な彼女は、それを言葉で表現するのに億劫だった。
半信半疑となるであろう男の予想される反応もそれに拍車をかけている。
「なら……」
「とにかく私が言えることは、あれは既存の魔眼とはまるで違うとしか。詳しくは後ほど報告書を上げますので」
報告書を作成する間もなく、現場から直行させたのは男の指示である。
現場を見てきた女がそう言っている以上、男はそれ以上何も言えるわけがない。
階級は男の方が上であるが、戦闘力は比べ物にもならない。現代の組織である以上階級が優先されるものの、力の多寡によって発生する発言力は無視できるものではなかった。
行き過ぎたパワハラでもしようものならぶっ殺されるだろう。少なくともその程度の危機感は存在した。
「そうか。……では、下がれ」
「はっ。失礼します」
無表情に軽く頭を下げ、女は去って行った。
執務室に一人残された男は机に肘をつき、疲れたような溜息をついていた。