白夜は悲鳴を上げていた。
声には出さないが心の内側で悲鳴を上げていた、何故なら今、彼女は凄まじい責め苦を受けていたからだ。
膨大な水を身体に叩き付けられ、皮が捲れるのでは無いかと思う程に肌を擦り上げられる。
しかも自分の意思で止めることが出来ないのだ、これはもはや拷問と言って良いのでは無いだろうか。
(痛ッ、痛い痛い痛い! 咲夜姉やめてええええぇぇ――――――――ッ!?)
「大人しくしなさい」
(あ、はい)
暴れて逃げようとしたが、姉の一言で大人しくした。
しかし大人しくしていられるのも束の間、すぐにまた暴れ始めた。
(いっだぁ――――いっ! やめてよやめてよ咲夜姉おねがい――――っ!)
「大人しく、しな、さい!」
(無理! 無理です! もう許してください!)
「あ、こら!」
泡のせいで滑ったのだろう、今度は上手く逃げ出すことが出来た。
だが咲夜が滑ると言うことは白夜は滑ると言うことだ、案の定彼女はその場ですっ転んだ。
小さな悲鳴が上がる。
今度のそれは現実的な声として上げられた、咲夜の悲鳴だったからだ。
転んだ衝撃が抜けた後、恐る恐る顔を上げた。
するとそこには当然のように姉の顔があり、いつものような怜悧な表情で白夜を見つめていた。
姉の胸元に飛びつくような体勢になった白夜は、ごくりと生唾を飲み込んだ。
相も変わらず、心が凍る程に美しい姉だ。
しかし水――
(あ……)
そっと身に腕を回されて、少し身を固くした。
互いに、何も身に着けていない。
何故ならここは紅魔館でも使用人が使う浴室だ、尤も使うのは姉妹を除けば美鈴くらいだが。
瑞々しい肌の上を湯の雫が滴り落ち、濡れた髪が頬や背中に貼り付く。
触れ合った肌から互いの体温が伝わり、互いに互いが生きていると言う実感することが出来た。
こうして見ると、2人はとても良く似ていることに気付く。
銀と金と言う髪色もさることながら、性格の違いのためもあってあまり似ているとは言われない。
だが顔立ちはとても良く似ている、こうして間近で並べて見れば、目の形や鼻筋などがそっくりだった。
10人いれば10人が、美しいと称するだろう姉妹。
「白夜……」
するり、と白夜の金糸の髪の中を姉の白魚のような指先が梳く。
姉の冷たい魅力に満ちた瞳に魅入られたように動けなくなる中、咲夜は言った。
強く、白夜の肩を掴んで。
「きちんと身体を洗いなさい」
(洗ってるよ! と言うか洗ったよ! もう3回目だよ、むしろ擦りすぎて肌が赤くなってる!)
姉の手には泡を含んだ布があり、そして妹の白い肌のあちこちに赤い擦り跡があった。
何しろこの姉、妹の身体を無理矢理血が滲む程に擦り上げてくるのである。
これが痛い、その力たるや痛い所では無く熱を感じる程だった。
それも首や顔、胸元や二の腕、お腹や太腿など身体の至る所を擦られるのである。
白夜でなくとも、逃げ出したくなるのは仕方が無いことだった。
「全く。どこをほっつき歩いてきたのか知らないけれど、こんなに汚して……だからメイドの制服を着て行きなさいと言ったのに」
(メイド服にそんな機能は無いと思う)
たまに思うのだが、姉は何故メイドの制服をそんなにも信頼しているのだろうか。
あれだろうか、可愛いからだろうか、フリルが最強だと思っているのだろうか。
だとすれば、それが誤解だと声を大にして言いたい。
「主人に支給された制服を着ていれば自然と気が引き締まるもの、そうすれば汚れることなんて無いじゃない」
(あ、割と普通な理由だった)
「何度も同じことを言わせないで頂戴」
少し苛立ったようにそう言った後、一糸纏わぬ姿でどこから取り出したのか、手の中に銀の懐中時計を持ち溜息を吐いた。
「時間が無いわね……仕方ないわ、後は簡単に済ませましょう」
(まだするの!?)
「当然でしょう、もうすぐお嬢様方がご就寝なさる時間なのだから」
(あー……そう言えば、そうだったかなぁ)
吸血鬼は夜の王だ、人間とは昼夜の感覚が逆なのだ。
最近は人間に合わせて活動することも増えたが、それでもやはり数百年の習慣がそうそう簡単に変わるわけでは無い。
基本的には朝に寝て夕方に起きるのだ、つまり吸血鬼にとっては早朝の今こそが「夜」なのだ。
「――――――――はい、終わったわよ」
(……おぉう)
いきなり、脱衣所の鏡台の前に座っていた。
と言うかシルクのネグリジェに着替えさせられていた上、髪は梳かされ肌からは微かな薔薇の香りがした。
良くはわからないが、どうやら色々と手入れされてしまったらしい。
おそらくは本当に時間が無いと感じたのだろう、時間を止めて全てやったのだ。
見れば咲夜も似たようなネグリジェに身を包んでいた、メイド服のイメージしか無い姉だが、それ以外の服を着ることももちろんある。
メイド衣装を信仰している姉がそうする時は、決まって「主人の意向」でそうしていることが多い。
つまりは、そう言うことだ。
「さぁ、私はお嬢様の所へ行くから。貴女は妹様の所へ行って、きちんとお相手を務めなさい」
その時、もし表情が動けば白夜は渋い顔をした、したと思う。
何故なら「それ」は、苦手なことが数多くある彼女にとってなお苦手と思わせる行為であったからだ。
だから白夜は、渋い顔をした。
一方の咲夜は、妹のそんな心の動きはお見通しと言う顔をしていた。
もう何度目かわからない溜息を吐き、そっと手を伸ばして妹の横髪に指先を通した。
自分を見上げてくる一対の瞳に、しかし紅魔館のメイド長は言った。
「――――命令よ」
(…………)
結局、最後には従うしかないのだ。
そう思い、白夜は溜息を吐いた。
皮肉なことに、その溜息もまた姉とそっくりであった。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
ついに姉回です、次回は咲夜パートですね。
これまで行動の端々に見せていましたが、咲夜が妹のことをどう思っているのかとか、そういうところを描けていければなと思います。
それと最近、幻想郷の各勢力で子育てとかしたら面白いかなぁとか考えています。
そう言う話を考えているのも、良いかもしれません。
それでは、また次回。