何事も無い、というには少々騒がしさはあったものの、月曜日は当然ながら訪れた。
クラス代表を決めるための、大空一夏とオルコットの試合。どこから話しを聞きつけたのか、試合の会場である第三アリーナの観客席には学年問わず生徒が詰めかけている。
「山田先生、いいのか?」
「あー、そうですね。あまり騒がしくなると困りますけど、まあみなさん大人しく観戦してくれるみたいですし……」
「そうではなくて」
「はい?」
観客席では無くピットで試合を見る山田先生と大空兄に着いて、とりあえず一緒に来てみたが。
私の問いかけはどうやら、違う意味で山田先生に通じたらしい。
「あの二人のどちらかがクラス代表になるのだろう? なら、これから行われる試合を見られることは拙いんじゃないのか?」
「……ああっ!」
ようやく気づいたか、山田先生は「どうしましょう」と慌てだしている。
これから行われる試合の内容によっては、あの二人の手の内が晒される。訓練機を使用している一夏と違い、オルコットの方は専用機だ。
今の時点でのISの操縦技術だけでなく、下手をすれば専用機の持つ特殊武装などを他クラスに見られる可能性がある。それは、来週行われるクラス対抗戦に対して不利になるということではないのか。
「でも今更、観客席の人たちを出す時間も無いし……」
「……まあ、諦めが肝心だがな。それに、言っては何だが」
ちらり、と気づかれない程度に大空兄を確認する。学園で普段から見る表情と変わらない無表情、見ようによっては余裕とも言えるし何も考えていないとも言える。
「大空一夏がオルコットにそこまで使わせることが出来るのか、分からないでしょうし」
一夏はまだISを作動させてからあまり時間がたっていない。基本、ISの操縦技術とISの稼働時間はイコールで繋がる。それは訓練機でも変わらない……はずだ。
そう簡単に負ける事も無いだろうが、客観的に見れば見るほど、一夏がオルコットに勝利する可能性は低かった。ただ、それを言われた時に大空兄はどんな反応を返すのか、
「心配いりませんよ、山田先生」
言葉は優しいけれど、その声はどこまでも冷たい。
「この勝負、一夏の勝ちです」
そして始まった試合は、開始直後に一夏が距離を詰め連撃を浴びせるという一方的な展開の後、オルコットが落ちて終了となった。
「で、見ていたんだろう。どう思う?」
「ん~、そうだね~」
試合を見届けた後、早々に部屋に戻り束と通信をとる。ホログラムが机の上に現れていた。
「予想通りかな」
今の時点で、一夏の勝率は低いように私は思っていた。けれど束は、この結果に無邪気に笑いながら、そのうちに密かな苛立ちを篭めて言い放った。
「どういうことだ?」
「ISの操縦性を向上させるのは、たしかに稼働時間が最も判断しやすい基準だよ。どれだけそのISとのシンクロ率を高めて、自分の手足として扱えるかってことだからね。でもそれだけだったら、ムカつくことに大空一夏はもう極めちゃってるんだよねー」
「……私の、弟だからか?」
「うん。言ったでしょ、ISはちーちゃんの為に、ちーちゃんに喜んでもらう為に作ったって。当然、ISはちーちゃんが好きだし、弟のいっくんのことだって好きなんだよ」
とんでも理論がまた炸裂した。ただ、好かれてる、という一点は何となく、感覚的な問題ではあるが否定できない気もする。
「でもなー、ほんっと今のいっくんはなー、違うしなー。皆に伝えておこうかなー」
「……束?」
「なんでもないよ、ちーちゃん」
恐い顔で何やら考えていた束は、問いかけるとニヘラと笑っていた。
「ああ、あとね。大空弟は大空兄の元、生身の状態で色々とやってたみたいなんだよ」
「なんだそれは」
「んーとねー、あれかな。特訓ってやつ? あっはは!」
おかしいよね、と束は馬鹿にしたように声をあげた。楽しそうともとれる。
「まぁ、見てる限り剣道が中心だったかな。いっくんも習ってたし、大空弟に教えるのにはよかったんだろうね」
「……一夏は、まだ剣道をやっていたのか」
「うん。といっても、あの家で大空兄に教えられてたって感じみたいだけど。でね、ISの戦闘技術とかそういうのって、生身の肉体での経験にも左右されるんだなー、これが」
それは世間で認知されている情報だったか、それとも未だ不確定な情報だったか。少なくとも私は初耳な気がしたな。
「まあ、そういうわけでね。実は大空弟の勝算って、思ったより高いんだよ」
「……なるほどな」
「でも、たとえシンクロ率が高くてもやっぱり負ける奴は負けるからね。今回のは初撃で決められたのがラッキーだったかな。さすがちーちゃんの元弟ってところだよ」
「……そうだな」
元、な……。
「強いは強いんだが、なぁ……」
ギシリと椅子が軋む。背もたれに身を預けたせいだろう。
一夏はたしかに私の弟だが、大空一夏は何だか違う。目が合えば合う程、冷たさが私の心を貫いて行く。それが大空兄のものと似ている気がして、何となく、沈んでいく。
「……大空兄がお前を探しているようだぞ」
「ふーん」
束の反応は予想通りというか、まあいつも通りだった。
「あと、箒は別にお前を嫌ってもいない」
「本当!?」
「……そんなに喜ぶなら、会いに行けばいいだろう」
「う~……だって……」
相変わらず、臆病な奴だ。
「また何かあれば連絡する。会いに来るときは、他に迷惑をかけないようにしろよ」
「はーい。ちーちゃんちーちゃん」
「ん?」
「大好き!」
ふわっと、とても温かい何か。
「私も好きだ」
心地いい。
あれから、勝利した一夏がクラス代表となり、何故かオルコットは大空兄弟とよく話すようになり(そういえば、試合の後に大空兄弟と何か話したらしい)、共にいる姿を見かける。
その逆に箒は、あまり大空弟と共にいない。何度か話しかけてはいるようだが、上手くいかないみたいだ。大空兄に対しては……恐い、と言っていた。
「妙な感覚に襲われるんです。何だか、あまり良くないような……」
だからあまり近づきたくない、と。そうすると、大空兄と一緒にいることが多い大空弟との接点は、自然と少なくなってしまうらしい。
それからしばらく、授業を見学したり学園内を見学したりと、割りと好き勝手に生活していた。もう少し周りが干渉してくるかとも思ったが、どうやら杞憂に終わりそうで安心する。
「もうすぐクラス対抗戦、か」
残り一週間を切って、少しだけだが生徒たちが浮足立っている気もする。対抗戦、というとやはり、授業などでは味わえない何かがあるのだろうか。
「……ん?」
一組の教室に向かう途中、奇妙な組み合わせを見た。大空兄と、僅かにだが見覚えのある少女。
「……鈴音、だったか?」
大空兄に頭を撫でられ、顔を真っ赤にしてわたわたと慌ててる少女、凰・鈴音。たしか一夏は、鈴と呼んでいた気がする。
何度か、遊びに来たところに鉢合わせたことがあった。といってもそれは私が仕事に出かける時が常だったので、話したことは無い。あいさつ程度だ。
その鈴音は大空兄と面識があったのか、随分と親しげである。頭を撫でられ慌てているのも、ただ照れてるだけなのだろう。満更でもなさそうだ。
「三春さん!」
「悪かったって」
大空兄が何やらからかいでもしたのか、鈴音が声をあげている。それに対して大空兄が笑ったのに、私は驚いていた。
「(笑えるのか……)」
学園で、大空兄が笑っていたのは大空弟と話していた時だけだ。生徒に対しても笑わず、言葉は優しいのにその顔だけが冷え切っていた。
だから尚更、鈴音に笑っていることが驚きで、そうえいばと思い出すのは、アイツがオルコットに対しても笑っていたことだった。見間違いかと思ったが、そうではなかったらしい。
「……鈴音は、何か知っているか?」
聞いてみようか。だが、何と聞くか。
考えているうちに二人は教室の方へと向かってしまった。残されて、仕方ないので私も教室へ向かうことにした。
「それでは、これよりクラス対抗戦を始めます」
五月に入って、クラス代表による対抗戦の日。
会場となるアリーナは生徒たちで盛り上がり、私は観客席の後ろでその騒がしさに顔を顰めていた。
「……どうするかな」
結局、鈴音に何かを聞くことは出来なかった。
あまり話したことも無い友人の姉(それも元姉という複雑な存在)に対して、硬くなってしまうのも仕方が無いと思う。だがそれにしても、随分と苦手意識を持たれていたようだ。
「……なんですか、千冬さん」
話しかけた瞬間に、表情を硬くして僅かながらに敵意とも思える感情を含んだ視線を向けられた。
どうにか聞き出せたのは、一夏が小学五年生の頭に転校してきた鈴音が、それほど間を空けずして大空兄に出会っていたことだけだった。当然ながら、一夏が知っていると言った真実とやらを聞くことは出来なかった。
「大空弟と鈴音、か」
アリーナでは二人の試合が始まっている。
訓練機の大空弟に対し、鈴音は専用機。山田先生から聞いたところ、鈴音もまたオルコットと同じ中国の代表候補生だとか。
相変わらず大空弟の動きは訓練機だとは思えない程に滑らかで、つまりは訓練機だろうと操作次第で十分に専用機とも戦えるということなんだが。
「流石に苦戦してる、か」
オルコットの場合、オルコット自身に油断があった。それをついて仕留めたのに対し、鈴音には油断も隙も無い。
大空弟はどちらかといえば近接タイプで、鈴音の使う専用機(甲龍だったか)は近接だけではなく、砲身も砲弾も見えない衝撃砲というのを装備している。見る分には、それに翻弄されているようだ。
「千冬さん」
客席を立って、箒が私の隣に立つ。
「一夏、大丈夫でしょうか」
「どうだろうな」
客観的に見るならやはり、一夏の負ける確率が高そうだ。だが前のようなこともあるし、負けると言い切ることは出来ない。
「一夏……」
ISの絶対防御は、シールドエネルギーを突破するだけの攻撃力があれば本体にダメージを与えられる。そう考えると、絶対とついてはいるが完璧では無い。
鈴音にはおそらく、シールドを貫通しての攻撃が出来るのだろう。大空弟にダメージが蓄積されるたび、箒の顔が苦しげに歪んだ。
「心配か?」
「はい」
すぐさま頷いた箒に、そうか、と目を細める。千冬さんは? 尋ねられて、首を振った。
「心配したところで、どうにもならん」
「それは、そうですが」
「今、あそこで戦ってるのはあの二人だ。箒が心配したところで、それは変わらん」
「……」
「……一夏に勝ってほしいと思うなら、そう信じていればいい」
それしか出来ない。今、私たちがいるのはそれ以外に許されない場所だ。
手を出すことも、ましてや私は声援を送ることも出来ない。送れない。
「……勝ってほしい、というよりも」
「ん?」
「……できれば、怪我をしないで無事でいてくれれば、それで」
「そうか」
ただただ、見守る中。
最後までどちらが勝利するか予想のつかないその試合は、接近戦に持ち込んだ大空弟が鈴音に一歩劣らず、地に落ちた。