色違いの空   作:kei469

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妹は今でも妹

 

「……あの、千冬さん」

「ん?」

 

 屋上を出て箒と共に教室へと戻る最中、箒は何となく言いづらそうに口ごもりながら、難しい顔をした。

 

「その、今の授業が終わってから戻っても……」

「……引き留めた私が言うのもなんだが、授業はきちんと出た方がいいぞ」

「たしかに、それはそうなんですが」

 

 既に授業を開始して十分近くが経過している。今はまだ基礎を教える段階なので今から出ても間に合うと思うが、箒はそう思っていないらしい。

 

「何か気になるのか?」

「ああ、いえ。まあ、その」

 

 はっきりしないな。

 

「どうした?」

「……いえ。目立つのはちょっと、避けたいなと」

「……そうか」

 

 目立つ、か。まあ授業中に遅れてくれば、目立つだろうな。遅れた理由は私が説明するとして、まあ多少なりとも視線が集中するのは仕方が無い。

 

「諦めてくれ」

「……はい」

 

 どちらにしろ、途中からでも授業には出すがな。

 教室を前にして立ち止まる。扉の向こうで騒がしい声が聞こえて、今は授業中だったよなと一人首を傾げた。

 

「騒がしいな……開けるぞ」

「はい」

 

 扉を開く。瞬間、その音さえも消すような声が飛んだ。

 

「決闘ですわ!」

 

 金髪の縦ロールな少女が一人、席を立って誰かを指差し叫んでいる。

 奇妙な沈黙が教室を包んでいた。少女ともう一人、指を指された誰か、どうやら一夏のようだが、その二人を見ていた生徒たちの視線がゆっくりとこちらを向く。

 

「ぅわ……」

 

 思わずといった箒の嫌そうな声が漏れている。顰めた顔は険しく、少しばかり俯け床を見るばかりだ。

 私が教室へと踏み出せば、半歩遅れてついて来る。教壇に立ってオロオロと困り果てている山田先生と、その少し離れたところで無表情に成り行きを見ていたらしい大空兄。

 山田先生に近づいて、とりあえずは箒のことを説明しようとした。

 

「授業中に入ってすみません、山田先生」

「あっ、いえ! 大丈夫ですよ! ……あの、篠ノ之さんは千冬さんと一緒に?」

「はい。私が引き留めてしまいまして。遅れさせてしまい申し訳ありません」

「だだっ、大丈夫です。まだ授業は始まってませんでしたから!」

 

 それは幸いだった。だが、授業が始まっていないとはどういうことか。

 後ろで既に流れに身を任せている箒を席へと向かわせて、そういえば扉を開けた瞬間に聞こえた叫びはなんだったろうかと考える。決闘だとか、あの金髪の少女が言っていたようだが。

 

「ええっと、どうしたらいいのかな。と、とりあえずオルコットさんは落ち着いて」

「私は十分に落ち着いていますわ!」

「でも決闘なんて……それにあの、大空君だって困るだろうし、ね?」

「いえ、大丈夫ですよ。山田先生」

 

 どうにか場を穏便に収めたいらしい山田先生の言葉に、一夏が立ち上がりオルコットを睨んだ。……その直前に私の方を見た気がしたのだが、きっと気のせいだろう。

 

「いいぜ。勝った方がクラス代表ってことで、その決闘、受けて立つ」

「その潔さだけは認めてあげますわ。言っておきますが、わざと負けたりしたら私の小間使い―――いえ、奴隷にしますからね」

「心配いらないな。俺は負けたりしない」

 

 クラス代表、たしかにそんな役割があったとは思うが、決め方が随分と乱暴だな。私たちが来る前に何か一悶着あったか……。

 結局、一夏と金髪の少女、オルコットが決闘をすると決めてしまい、山田先生は慌てていたがそれを止める事も出来ず。大空兄の進言のまま(放っておいて勝手にされるよりも、こちらである程度決めた方がいい)、勝負法や日程を決めるはめになっていた。勝負法はISを使用しての戦闘で、来週の月曜日の放課後に山田先生の立会いの下、行われることとなった。

 

「……」

 

 そうしてようやく授業が始まろうとして、私は教室の後ろへと移動する。一瞬だが目の合った一夏は、けれどすぐに視線をそらし一度として振り返ってはくれなかった。

 

 

 

 クラス代表とは、再来週に行われるクラス対抗戦に出る選手のこと。しかし役目はそれだけではなく、生徒会の開く会議や委員会への出席など、俗にいうクラス長としての役面も強い。

 そしてそのクラス代表が参加するクラス対抗戦というのは、入学時点での各クラスの実力推移を測るもの。今の時点での力量には大差ないそうだが、競争心を刺激することで能力の向上を図る、ということらしい。

 

「それで? 大空弟はその対抗戦に参加するってことでいいのかな?」

 

 全ての授業が終わった放課後、私は学園側から与えられた部屋で束と連絡をとっていた。

 小型の円盤状のそれを机に置けば、小さなホログラムの束が現れる。本人は等身大を希望していたが、それだと邪魔だし面倒なのでこのくらいがちょうどいい。

 

「いや。まずはそのクラス代表を決定する為にイギリスの代表候補生と戦うんだとさ」

「ふーん。そいつ、強いの?」

「知らん」

 

 クラス代表について質問するついでに聞いてみたが、専用機持ちではあるとのことだ。その機体についてまでは知らんが、代表候補生だ。実力としては十分なのではなかろうか。

 

「まあ、誰が相手でもちーちゃんの方が強いけどね!」

「どうだかな。対人戦などもう随分と行っていない」

 

 というより訓練自体をしていないな。束の元にいたときは、あの無重力の部屋で好きに飛び回ったりするばかりで、あとはたまにターゲットを攻撃してのタイムアタックをしていたくらいか。

 

「それよりも、気になるのは大空兄弟だ」

「うん……ねえ、ちーちゃん」

 

 不意に、束がふっと心配そうに眉尻を下げた。

 

「何か言われた?」

 

 酷い顔をしているよ、と。言われても私にはまったく分からず、思わず顔に手を這わせたがやはり分からない。

 

「兄の方? それとも弟の方? 何を言われたの?」

「……許さない、と。それから、家族じゃないとも」

 

 兄に言われた言葉。弟に言われた言葉。伝えれば、束は不思議そうな顔をした。

 

「大空兄に、何かしたっけ?」

「さあな……私は、それだけ一夏に酷い事をしていたということだろう」

「そんなことないよ、ちーちゃん」

 

 私は間違っていなかったと、束は言ってくれる。それに心を軽くしてしまう私がいる。じくじくとしたうずきが、優しく笑っている束を見るだけで穏やかになっていく。

 

「ねえ、ちーちゃん」

「なんだ」

「いっくんは、いっくんじゃなくなっちゃったんだね」

「……一夏、は」

「だっていっくんは、ちーちゃんにひどいこと言わないよ」

 

 一夏は優しくて、温かくて。不満もあっただろうに、それを抑えて笑ってくれた。一緒にいるだけで楽しげに笑っていた私の弟。

 けれど今日、ようやく再会した一夏はとても冷たくて。あんなにも冷たい笑い方をするようなやつじゃ、なかったのに。

 

「……なあ、束。一夏は本当に、戻って来るのだろうか」

「ちーちゃん……」

「大空兄の弟であることに飽きれば、戻って来るのか?」

 

 そんなわけない。わかってる、あの時、束が私にそう言ったのは私を慰めるためだ。

 束が本心からそう思ってたわけじゃないだろう。ただそうとでも言わないと、崩れかけた私を支えられなかったから。

 

「……わかんないよ」

「そうか」

 

 束は私に嘘を吐かない、というわけではない。ただコイツが吐く嘘は、とても優しい。

 

 

 

 翌日、授業が始まる前の朝の時間。教室や廊下に生徒がいることに少々騒がしさを感じながら、私は廊下を歩いていた。

 

「ねえ、あの人って」

「もしかして千冬様?」

「うそっ、だって千冬様は……」

 

 ひそひそと繰り広げられている会話を耳にする。最初の紹介の時もそうだったが、私は彼女たちの間で多少は有名なようだ。何かをした覚えは無いのだが。

 ホログラムの束と話す際に問い詰めたが、アイツはやはり私のことを世間に公表していなかった。おかげで約二年間、私は行方不明とされ悪い意味でその存在は有名になってしまったらしい。束の代理人としてここにいることは知られていないが、あまり騒がれると自由に動けず辛いな。

 

「……戻るか」

 

 表向きの目的とは別に目的があるとしても、束が作ったISをどう生徒たちに教えているのか他の場所でも見たかったんだが……教室に入った瞬間に、授業が進まなくなるのではと懸念してしまう。それなら、最初から同じクラスを見ていた方が良さそうだ。慣れるだろうし。

 そう思って向きを転換し進んだ先、階段を下りようとすると聞き覚えのある声が聞こえて足を止めた。

 

「(箒?)」

 

 箒とあともう一人。盗み聞きするつもりでは無いが、何となく気になり顔を覗かせるとそこにいたのは、箒と大空兄だった。

 

「やはり知らないか」

「ええ」

 

 何を話しているのか。聞いた方が早いかと声をかけようとしたところで、けれど視界に入った大空兄の横顔に体が硬直した。

 

「(なん、だ?)」

 

 言葉に出来ない、何か奇妙な感覚。

 

「……篠ノ之は、今でも篠ノ之束を姉だと思っているのか?」

「は?」

 

 箒の顔が顰められる。たぶん、私の顔も同じだろう。いきなりアイツは何を言っているんだ。

 

「篠ノ之束……アイツのしたことは、許されることじゃない」

「……たしかに、あの人の開発したISで世間は大きく変わりました。でも」

「その様子だと、何も知らないんだな」

 

 内心はひどく複雑なのだろうが、それでも答えようとした箒の言葉を遮って大空兄は小さく溜息を吐き出した。その横顔から、箒に対する微かな憐れみを感じ取れる。

 気づいたのだろう、箒もムッとしたように眉を寄せた。

 

「一夏は真実を知って、自分の進むべき正しい道を見つけた。俺は、箒……お前にもそうあってほしい」

「……一夏に何を言ったんですか」

「隠されてきた真実を教えてやっただけだ。その上でアイツはきちんと考えて、俺の手を取ってくれたんだ」

 

 ……一夏に教えた、真実? それは何だ。

 一夏は言っていた。全部知っていると、私が大空兄を傷つけたことも、全て知っていると。

 

「その真実って……」

 

 一瞬、私の心中が漏れたのかと思ったがそれは違った。ただ箒が、大空兄の言葉にどこか怯えた様子で呟いただけだった。

 

「……今一度、考えてみた方がいい。お前が束のせいで何をされたのか。どれだけ辛い思いをしたのか」

「!?」

 

 呆然と目を見開く箒に大空兄は背を向けて歩き去る。

 後には遠くから聞こえる生徒の騒がしい話し声と、覚束ない足取りで後ろへ下がり壁へと寄りかかる箒の姿だけが残っていた。

 

「……箒」

「千冬、さん……」

 

 聞かれていたのか、と箒は気まずそうに目を逸らし俯く。

 階段を下り隣に立っても、箒はこちらを見上げようとはしない。私は私で、箒を見るわけでもなく大空兄が歩き去った方へと目を向けていた。

 

「どこから、話を?」

「大空兄が『やはり知らないか』と言ったところからだな」

「そこですか……」

 

 箒はまだ混乱しているのか、力なく壁に寄りかかったままだ。

 

「大空先生は、姉さんのことを探してるみたいです」

「束を……そうか」

「驚かないんですか?」

「驚く事でも無い」

 

 今の束は世界中から追われる身。どんな理由にしろ、探されていること自体は不思議じゃない。

 

「だが、ならばどうして私に聞いてこないのかが気になるな。アイツは私が束の代理人だと知っているのに」

「たしかに、そうですよね」

 

 アイツは私を許さないと言ったが、それが原因なのか。ただ単純に、私に話しかける事すら嫌悪しているのか。

 

「……一夏の事は、何か聞いたか?」

「千冬さんも聞いたのでしょう? 私もそれだけです」

「そうか」

 

 大空兄は一夏に何かを教え、そして一夏はそれを受け止めた上で私では無くアイツを選んだ。アイツが言う真実が何か、それが分かれば一夏の考えも分かるかもしれないのにな。

 生憎とアイツはそれを言おうとしなかったが。どころか、箒に爆弾まがいのものまで投下して行った。

 最初から人影など見えていなかった廊下から視線を箒へ移す。心なしか顔色が悪くなっている気がした。

 

「大丈夫か?」

「……大丈夫です」

 

 と言われて納得できる顔色では無い。だが、だからといって私が何をしてやればいいのかも分からない。

 そのまま無言でいると、箒は独り言のように話し始めた。

 

「姉さんが、ISを開発して……行方不明になると、知らない人間が何人も家に押しかけてきて、姉さんはどこに行ったと何度も何度も聞いて来ました。そんなのこっちが知りたくて、知らないと言っても引き下がらなくて。姉さんの居場所が分からない自分にも、いなくなった姉さんにも苛々してました。一夏や千冬さんとも別れなくちゃならなくなったし、殆ど教えてもらってなかったISについてもしつこく聞かれるし。私は姉さんのように頭もよくないし閃きも無い、そんな普通の人間なのに」

 

 それまでなんてことの無い日常を過ごしていた筈が、唐突に投げ込まれた理不尽な状況。

 

「苛々して、腹立たしくて、湧き上がってくるたくさんの何かをどうにかしたくて、何かぶつけるものがほしかったんです。それで、たまたまそれがずっと続けていた剣道だった」

 

 ただ我武者羅に、理不尽な周囲も自分の状況も忘れたくて打ち込んでいた。

 

「……全国で優勝して、初めて気づいたんです。私が、剣道をただのストレス発散の道具として扱ってたことに」

 

 苦しそうに目を細めて、唇は自嘲の笑み。その歪な笑い方は、箒には似合わないと思った。

 

「何だかもう、訳が分からなくて。自分が何をしていたのかもさえ分からなくて。ぐちゃぐちゃになっているうちに、IS学園に入れって言われたんです。篠ノ之束の妹だったから、姉さんの、妹だったから」

 

 IS学園は誰でも入れる場所では無い。むしろ入れない少女の方が多くて、その貴重な一枠をそんな理由で自分が使ってしまうことが、嫌だったと。箒は絞り出すように続ける。

 

「そんな時に、ニュースで一夏がIS学園に入学するって流れて。苗字が変わってることは変だとは思ったんですけど、その頃はもう千冬さんも行方不明だったので……」

「ああ……」

 

 何か理由があるのだろうと思ったらしい。その理由は箒が想像するものとは全く違ったのだが。

 

「でも、久しぶりに再会した一夏は私が覚えてる一夏と違ったんです。たしかに私のことを覚えてはくれてたけど……何だか、凄く恐かった」

 

 微かに震える体を抑えるように、箒は左腕を握り自分の体を抱きしめた。

 

「大空先生は、私が姉さんのせいで何をされたのか考えろと言いました。それって、どういうことなんでしょう」

「……お前は、どう思うんだ」

「わかりません」

 

 緩く首を振って、箒は続けた。

 

「姉さんがいなくなったことで、私の周りは確かに変わりました。正直、理不尽だし不条理だしふざけてると思います。でも、その中で剣道をストレス発散に利用したのは私でしたし、久しぶりに会った一夏を恐いと思ったのも私なんです。そこを姉さんのせいにするのは、なんだか違うと思って」

 

 そうはっきりと言って来た箒に、私は言葉をなくす。

 だって箒は、全てを束のせいに―――私のせいにしても良い筈なんだ。そもそも束がISを開発しなければ、少なくとも世界はこうも大きく変わることは無くて、箒の周りも変わらなかった筈で。そして束がISを開発したのは、私の為だったから。

 けれど箒は複雑そうな顔をするだけで、きっと、と力なく呟く。

 

「姉さんが、ISを作った理由を知ってるから、なんですよね」

「……知ってるのか」

「はい。聞きました、姉さんから……姉さんはただ、千冬さんに笑ってほしくてISを作ったんだと」

 

 広い空を自由に飛び回れたなら、きっとちーちゃんは笑ってくれる。そう束は箒に言ったそうだ。それは、私も知ってる。だから私は束を心底から責める事も、突き放すことも出来なかった。私が救われたのは、たしかだったから。

 

「それに姉さん、私も一緒に行こうねって言ったんですよ」

「……初耳だな」

「そうですか? 実は結構、楽しみにしてたんですよ。空を飛べるの」

 

 くすくすと、箒はようやく少しだけ笑った。

 

「……だから余計に、その約束を果たさないままいなくなった姉さんが腹立たしくて、悲しかった。姉さんは私のことなんて、どうでもよかったんだって」

「それは違う」

 

 そんなわけない。どうでもいいなんて、ある筈が無い。有り得ない。

 突然の私の言葉に驚いたように、箒が軽く目を瞠って私を見上げていた。その瞳に私は、違うんだ、と言葉を続ける。

 

「束はずっと、お前のことを気にしていた。やり方はあれだが、お前のことをいつも見ていた」

「……それなら、私がどんな扱いを受けてたのかも知ってましたよね。どうして、来てくれなかったんですか」

「……嫌われたくなかった、と言ってた」

「は?」

 

 心底から、何を言っているのかと言うように見られて、私のことでもないのに言葉が詰まりそうになる。

 

「酷い目に会ってるのは自分のせいだから、会いに行って真正面から嫌いだと言われるのが恐い、と。約束も守れてないし、会いたくないと思われてたら嫌だと」

「……姉さんが? 本当に?」

「ああ。会いに行かない方が嫌われるぞとも言ったんだがな……笑ってるくせに、不安そうな顔をしてた」

 

 とてもじゃないが信じられない、けれど本当なこと。興味の無い人間にはとことん冷たく冷淡な束は、その反面で自分の大切な相手にはどこまでも温かく優しく、そして臆病だ。

 

「……いっつもヘラヘラ笑ってるようにしか見えませんでしたけど」

「お前の誕生日前とかは、結構鬱陶しかったぞ? 何をあげれば喜ぶかなと、アイツならなんだって用意できただろうに」

「……そういえば去年、私の誕生日に季節外れにもほどがある雪が降ったのですが」

「アイツだな。ホワイトバースデーだとか言ってたが」

「正直、迷惑でした」

「だろうな」

 

 去年の誕生日プレゼントに私は関わらなかったが、後で聞いたときに「馬鹿だろ」とだけ言っておいた。

 

「……千冬さん」

「ん?」

「私は、たしかに姉さんに対して苛立ちを抱いています。でもそれは、あの人が何も言わずに私を置いて行ったからというのが、殆どなんです」

 

 だから、と。

 

「会いたくないとか思ってないし、嫌いは嫌いですけど、好きでもあるんです。あの人が、

まあ一部の人には優しいのも知ってますし」

「……そうか」

「少なくとも私は、あの人を今でも姉さんだと思ってます」

 

 壁から背を放して、箒は穏やかな笑みを浮かべていた。そう、こっちの方が箒にはよく似合う。

 

「そろそろ行きましょか。また授業に遅れたら大変ですし」

「そうだな」

 

 束、案外お前が心配するほど、箒は弱くないみたいだぞ。ただ会うなら、最初に何発か殴られることは覚悟した方がいい。というよりされて当然だと思う。

 

「……千冬さん」

「なんだ?」

「姉さんは、元気にやっていますか?」

「ああ」

 

 元気すぎて、困るくらいにな。

 

 

 

 チャイムが鳴る少し前の教室は、結構な騒がしさに溢れていた。そんな中で、落ちた言葉が一つ。

 

「篠ノ之さんって、もしかして篠ノ之博士の親せき?」

「え! うそ、本当!?」

「そういえば、昨日も千冬様と一緒に遅れて来たよね」

 

 水に投げ込まれた石のように、言葉は波紋を生んで箒に襲いかかる。容赦なく向けられた好奇の眼差しに、箒は表情を硬くしながらけれど、はっきりと言い放った。

 

「私は、篠ノ之束の妹だ」

 

 なあ、束。お前の妹は今でもお前を、姉だと思っているようだぞ。

 


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