IS学園の授業は、最初半月はISの基礎知識を教える座学。その後から実技も混ざるようになってくる。一日の授業の大半はISに関するものであり、その他は普通の高校と同様の授業となるがそれでもやはり目立つのはISだ。
自己紹介を兼ねたSHRと一時間目の授業が終わり、山田先生と大空兄は職員室へと戻っていた。私は、共に戻らずそのまま学校内を見て回っている。
というよりも、人のいない場所を探していた。
足早に廊下を進み、階段を上り、屋上へと出る。そこに人はおらず、入口の陰に入って壁に背を預けた。
「(……一夏)」
知っていた、一夏がいることは。知っていて、わかっていたけれど。
「胃が痛い……」
ギリギリギリギリ締め付けられる。一夏の目が、顔が、脳裏から離れない。
教室に入ると、最初はシンッと静まり返った。そうしてすぐに割れんばかりの悲鳴というか叫びがあがり、頭が痛くなる思いだった。
叫びの対象は当然ながら大空兄に対するものだろうと思っていたが、何故か私にまで向けられていた。
「かっこいい!」
「あの人って、もしかして千冬様!?」
「世界初の男性操縦者が二人もこのクラスだなんて……」
「うそっ、千冬様って行方不明なんじゃ」
「じゃあどうしてここに?」
「あ~、話しかけたいけど話しかけられないよ~」
混ざりに混ざった会話から、とりあえず束に確認しておきたいことが一つ浮かんだ。
アイツ、私のことを何も公表していないのか? 任せたのは私だが、やはり間違いだったか……。行方不明扱いのままだったとは、さすがに思わなかった。
そして、思い出される一夏の表情。驚きに固まった表情は、けれど不意に目が合うとギリッと唇を噛みしめ、睨み付けられた。
あんな顔、向けられたことなかったんだがな。驚きから、怒りか憎しみか、それとも悲しみか。分からないけれど、ただどう見てもどう捉えても、再会を喜んでいるようには見えなかった。
教室の後ろで授業を見てる間も、内容よりも一夏の事が気になってしまった。結局、最初のその瞬間しか目が合うことは無かったが。
「……ここでいいか」
扉が開いた。私からは見えるが、入口から私の場所は確認できない筈。
入って来たのは二人の男女―――一夏と、束の妹だった。
「で、何の用だよ。箒」
「なっ、何の用だとは何だ! いったい何年ぶりの再会だと」
「六年ぶり、だったか。別に忘れたわけじゃねぇよ」
『大空一夏。よろしく』
……誰だろうな、コイツは。いや、一夏に違いは無いんだが。
冷たくて、感情の起伏を感じさせないその声は、本当に私が知る一夏なんだろうかと疑ってしまう。それくらいに変化している。
約二年間、声を聞いていなかったとはいえそこまで変わるものか? いや、それ以前に雰囲気が、空気が違う。アイツはもっと温かかった、その筈なのに。
「お前、何があったんだ? 大空一夏って……」
「別におかしなことじゃねぇよ。俺は大空三春の弟、だから大空一夏。それだけだ」
「……千冬さんは、どうしたんだ」
ほんの少し考えてる間に、一夏と箒の話はどんどん進んでいた。
箒が発した言葉に、知らず息を呑む。一夏の答えが気になって、気づけば聞き耳を立てていた。
「……あんな人、しらねぇよ」
じくじくとしたうずきは、ずきずきとした痛みに。
「随分と失礼だな、お前は」
「ち、千冬さん!?」
そうして思わず飛び出していた私は、何を考えているのだろう。
ずきずきとした痛みを抱えながら、一夏と箒の前に立つ。一夏が目を瞠り、その手は静かに握りしめられていた。
「……久しぶりですね、織斑千冬さん」
「他人行儀だな」
「当然でしょう」
ガリガリ、胸のどこかが削られた気がする。
「なあ、お前はどうしてアイツに着いて行ったんだ?」
「アイツ? ……ああ、兄さんのことか」
「……そうだ」
兄さん、か。私のことは呼んでくれないのに。
「兄さんは俺を大切な弟だって、心の底から想ってくれてる。貴女と違ってね」
「私にとっても、お前は大切な弟だぞ?」
今だって変わらない。私にとってお前は、大好きで大切な―――、
「嘘吐き」
ゴリゴリ、抉られる。
「俺のことを見捨てようとしたくせに」
「は?」
「内心、邪魔だったんでしょう? だからあのまま消えてくれればいいと、そう思ってたんでしょう?」
「……何を言ってるんだ、お前は」
「全部、知ってるんだ」
何を? いつ、私がお前を見捨てようとした? 邪魔だった? そんなことあるはず無い。
ハッと唇をつり上げて笑う一夏に、バラバラ何かが崩れていく。
「あんたが兄さんを傷つけたことも知ってるんだよ!」
「……何のことだ?」
「やっぱり、嘘を吐くんだな。兄さんの言った通りだ」
嘘も何も、本当に分からないのに。
「あんたなんか、俺の姉じゃない―――家族じゃない」
俺の家族は兄さんだけだ、と。
どこか遠くで扉の閉まる音が聞こえた。ぐらぐら世界が揺らぐ、ゴリゴリ削れて何かがボロボロ崩れていく。
「……?」
何が何だか、分からない。
「千冬さん!」
傾く視界の中、体を支えられた。踏鞴を踏んだ足はどうにか平衡を保ち、間近には懐かしい顔が迫っている。
「大丈夫ですか? 顔、真っ青ですよ?」
「……ああ」
篠ノ之箒、束の妹。束の家へ行った際に何度か会ったし、一夏に連れられて遊びに来たこともある。
顔を合わせるのは随分と久しぶりだが、こちらから一方的にならば認識があった。
「立てますか?」
「心配ない。……邪魔をして、悪かったな」
「いえ……」
屋上に沈黙が広がる。そういえば時間は大丈夫だろうか、チャイムはもう鳴ったのか……?
「あの、千冬さん……一夏と、いったいなにが……」
箒は混乱と不安の混ざり合った顔で聞いてきた。閉じた扉に寄りかかって、支えてくれていた箒の手を放す。
それから何を言おうか考えて、結局は答えなどなかった。
「分からないんだ」
第二回モンド・グロッソ、決勝戦の直前で一夏が誘拐されたと情報を得た。試合を放棄してすぐに助けに向かった先には、一夏の無事な姿と知らない男―――大空三春。兄を名乗り、一夏を連れて去った。私には一夏を任せられないと言って。そして一夏には同時に決別の言葉を残され、その数日後には織斑一夏はいなくなり大空一夏がいた。
話すと、箒は呆然としたように立ち尽くしている。改めて話してみても、やはりよく分からない。
「一夏に、お兄さんがいたのですか?」
「らしいな。ついでに言うなら私の兄でもある」
「……千冬さんは、そのことを……」
「知らなかった」
兄がいたなんて知らなかったし、記憶にもない。束と共に調べたのだからそれは確かだ。
「その様子だと、箒ちゃんも知らないようだな」
「……はい。少なくとも、私が引っ越すまでは」
「そうか」
箒が引っ越したのは、束が失踪してからだったな……四年生くらいだったか。
「一夏……どうして……」
顔を顰めて箒が呟いている。また沈黙が屋上に広がって、私は私で思考の海へ潜り続けていた。
「(家族じゃない、か)」
最初の、一夏が大空三春に連れて行かれた時。一夏は「さよなら」と私に告げた。アイツを兄と呼び、私を織斑千冬と呼んで。
それから気づけば苗字が変わって、絶縁されていたわけだが……思えば、姉では無いと、家族では無いとはっきり言われたのは、今が初めてだったな。
「(愛して、いたんだがな)」
嘘吐きと言われてしまった。私の抱いていた愛情は、嘘だったらしい。
「俺の家族は、兄さんだけだ」
私の家族はお前だけだよ、一夏。
大好きだった。大好きで大好きで大好きで、何よりも愛していた誰よりも愛していた私の弟。たった一人の私の家族。
でも私は一夏の家族ではいられなかった。
どうすれば私はお前の姉でいられた? お前の家族でいられた? お前が誇れる姉でいたかった。両親がいなくてもお前が幸せでいられる家族でいたかった。私はお前と一緒にいるだけで幸せで、その幸せを守る為ならどれだけの苦労も跳ね飛ばせた。お前が笑ってくれるなら、それだけでよかったのに。それすらできなくて、私は、私は、私は―――。
『ちーちゃん、大好き』
―――そうやって、織斑一夏の為に生きていた織斑千冬は、もう死んでしまって。亡骸だけは今でも私の中で、ずっとずっとその存在を主張する。
そうしてまたその亡骸に戻ろうとする私を、いつもお前が抱きしめてくれるんだ。
「(私は、束が好きだ)」
最低な人間同士、一緒にいることが幸せだと思えるようになった。穏やかに流れる時間に満足していた。だから今は、それでいい。
「……あの、千冬さん」
「ん? なんだ?」
「千冬さんは、今までいったい、どこに……」
……やっぱり束の奴、私のことを何も言っていなかったんだな。
「世間での私は、行方不明の扱いだったのか?」
「はい。今までどこにいたんですか? それに、どうしてここに……」
「……一夏が去ってからすぐ、お前の姉が私の元に来た」
箒はビクッと体を強張らせて息を呑んだ。この様子からするに、やはり束のことはコイツには禁句か。
「……一夏がいなくなって、情けない事に私は精神的にひどく不安定な状態が続いていた。それを束が支えてくれた」
「姉さんが……?」
信じられない、か。たしかに普段の束の様子からすれば、誰かの為にそうやって尽くすようには見えんだろうな。
「世間で行方不明として扱われている期間は、ずっと束と共にいた。何かしら公表しているだろうと思っていたんだが……すまんな、どうにも私の思い違いだったらしい」
「ああ、いえ……その、一説では織斑千冬は、篠ノ之束と共にいるとの考えもあったので……」
「……そうか」
それは喜んでいいのか悪いのか。
「まあ、私がどこにいたのかはそういうことだ。それで、ここに来た理由だが」
束に言われて、というのもあるが。それだけでは、ない。
「一夏の事が気になったというのもある。あと、それから」
大空三春、兄を名乗る正体不明の気持ち悪い、アイツ。
「分からないものを分からないままにしておけないんだ。束も、私も」
アイツが一夏に何をしたのか。一夏はアイツに何を思ったのか。どうして一夏が去ったのか。大空一夏は何を思っているのか。
私が分からないことは、たくさんあって。分かりたくても分からないことが、たくさんで。
それがここで、分かる気がしていた。
「千冬さん……」
「……今の話は、全部私の都合だ。忘れてくれてもいい」
「いえ、そんな」
箒はどうしたらいいのか分からない、と。そんな戸惑った表情で目を伏せた。
「箒ちゃんは、箒ちゃんのしたいようにすればいいさ」
昔、何度かしたように軽く頭を撫でてみる。ポニーテールが崩れないように気をつけて、そうすると箒はパッと顔をあげて何処か複雑そうな顔で私を見た。
「あ、あの、千冬さん」
「ん?」
「出来れば、箒ちゃんは、その……やめて、もらえると」
「そうか?」
「……はい」
ついつい昔のように呼んでいたが、どうにもお気に召さなかったらしい。
「では、箒と呼ぶことにするか」
「お願いします」
話しに一段落ついたところで、「そろそろ戻るか」と寄りかかっていた壁から背を離す。そういえば、チャイムはいつ鳴っただろうな。おそらくとっくに二時間目は始まっていると思うのだが……。
「あ、授業……」
「山田先生には私から言っておこう。一応、束の代理人として来ているからな。引き留めたと言ってもどうにかなるだろうさ」
「代理人?」
「……ああ、それは説明していなかったか。まあ、束がまた企んでな」
表向きの理由を説明する。箒がげんなりとした顔をして、肩を落とした。
「情報を提供って、本当ですか?」
「さあな。そもそも、何を持ってアイツが納得するかが不明だ」
「……相変わらずですね」
「ああ」
私は変わったが、束は何も変わってないさ。
忌々しく、何処か苦しげに顔を歪めた箒を視界の端におさめながら扉に手をかける。そこで一つ、束に頼まれたことを思いだした。
「そうだ箒、束から伝言だ」
「姉さんから?」
「全国大会優勝、おめでとう」
本当はもっと長くて無駄な部分が多かった、ので要約で伝える。結局、束が箒に伝えたかったのはこの一言だけだ。
「……本当に」
「ん?」
「……いえ、何でもありません。行きましょう」
箒は何を言おうとしたのか、分からなかった。けれどたぶん、まあ、おそらくは、悪い方向では無い気が、しないでもない。
「(分からないな)」
分からない分からない分からない、どうしてこうも分からないことが多いのか。
だけどそれでも、少しでも分かってみせると。だから私は、ここに来た。