どこかで聞き覚えのある名前はやはり、聞いた事のある名前だった。
「お、織斑選手ですか!?」
「そうですが……」
「えっ、えええええっ!? えっと、えっとえっとえっと!?」
IS学園に、私は束の代理人として入ることになった。
IS学園を見学し、その結果次第ではISの情報提供を行ってあげてもいいよ。などと言ったらしく、その見学を実際にする人間として代理人を行かせるとも言ったようだ。
各国にとっては、行方不明の束を見つけるチャンスであり、束とのパイプを作るチャンスであり、ISの情報を入手するチャンスでもある。だが、下手をすれば束の怒りにも触れる危険もあった。
なのでおそらく、向こうも暫くは様子見に徹するだろう。そして自分たちがどう動くべきかを考えるのだろうと、思うのだが……私にはあまり関係がない。
「(目的は、全く別なのだしな)」
期待と不安を抱える各国には悪いが、それは黙っておくとしよう。
今はとにかく、目の前にいる山田真耶―――二年ほど前か、第二回モンド・グロッソに参加する際に日本代表の座を奪い合った相手。といっても本人は極度のあがり症であり、それもあってか結局、実力を出し切れずに落選したのだが。
微かに頭の片隅に残っていた名前は、どうやら彼女のものだったらしい。
「私の記憶が間違いなければ、一度、戦ったことがありましたか?」
「ひゃいっ!?」
「……大丈夫ですか?」
「っ、っ!」
舌を噛んだらしい、無言で強く何度も頷き返された。
「す、すみません……」
「ああ、いえ。それで、案内をお願いしても……?」
「あ、はい! どうぞ、こちらです」
未だ緊張した様子の山田真耶……山田先生が、ぎこちない動きで先導する。
どうにか問いかけ聞きだしたところ、彼女は私の案内役、世話役を任されているようだ。というのも、彼女が今年になって担当するのが世界初の男性IS操縦者がいるクラスで、またその副担がその兄だという。
おそらく政府は、束が動いた理由はその男性IS操縦者にあると思っているのだろう。たしかに間違いでは無いが、たぶん政府と束の考えは全く違うな。
「基本的な授業については、全て担任が受け持つことになっています。授業の内容は―――」
「ああ、大丈夫です。とりあえず、ある程度のことは調べてから来たつもりですので」
「そ、そうですか? すみません……」
「いえ、謝らなくても……」
……やり辛い。私が束の代理人ということもあるのだろうが、それにしてもやり辛くて困る。
まだ生徒のいない校舎の中を見せてもらいながら、山田先生の説明を聞く。事前に調べてはきたのだが見落としている事もあるかもしれない、と思って聞いていたが。
「(やはり、肩書が問題か)」
IS開発者である篠ノ之博士の代理人という肩書は、少々動きづらそうな気もする。
山田先生にはどうやらこれからも世話になるようだし、もう少し楽にしてもらえるとこちらも気楽なのだがな。
「あの、どうかしましたか?」
「いえ」
思案していた私を山田先生は不安そうな顔で伺ってくる。首を振り、けれどまあ、黙っていても仕方ないと続けた。
「仕方ないのかもしれませんが……もう少し、楽にしていただけるとありがたいです」
「へぁっ!?」
「……できれば、篠ノ之束のことは気にせずに接していただけると」
助かります、言おうとした言葉はけれど山田先生の声に遮られた。
「そ、それはつまり織斑千冬様として接しろということでしょうか!?」
「……織斑、千冬様?」
なぜ、様付をされているのか。
「ぅあっ、えっと、ぁわっ、わわっ」
「……結局、きちんと確認していませんでしたが、私は山田先生と戦ったことがありましたか?」
「は、はい! そうです!」
「……その、旧知の仲というには難しいかもしれませんが、もう少し落ち着いてもらえると……」
いったい山田先生が何に緊張し何に慌てているのか、だんだんと分からなくなってきた。というよりも、さっきまでよりも悪化している気がしてならない。
「す、すみません、ちょっと深呼吸を……すー、はー……」
「……大丈夫ですか?」
「は、はい。大丈夫です」
大きく深呼吸、山田先生はようやく少し落ち着いたようだ。
「えっと、すみません。どうにも緊張してしまって」
「……お聞きしたいのですが、それは私が篠ノ之博士の代理人だからですか? それとも、その……織斑千冬だから、ですか?」
さすがに自意識過剰が過ぎるかとも思うが、先ほどの山田先生の発言から考えるとその可能性も有り得る気がした。
「……両方、ではありますけど……後者が強いです」
「ああ……」
反応に困る。
「……どちらにしろ、もう少し気楽に答えてもらえると助かります。こちらは案内してもらう側ですから」
「い、いえ! そういうわけには……あの、むしろ織斑様こそ気楽にしていただけると、といいますか……」
「……そうですか?」
「はっ、はい! その方が嬉しいです!」
嬉しいときたか。これは、こちらとしても有難いのだがなんとも言いづらいな。
「では、山田先生が相手の時はこちらで対応しても?」
「はい、どうぞ! 寧ろぜひお願いします!」
……本当に嬉しそうな表情だった。
「やっぱり千冬様だ……夢じゃ、ないんだ……」
と、呟く山田先生の言葉が気になって首を傾げる。呼び方に統一感が全く無いのだ。
それに、私が覚えている以上に山田先生は私を覚えているのかもしれない。一度だけ戦ったとしか覚えていないのが、少々心苦しくなる。
「山田先生、呼び方なのだがどれか一つにしてもらえると助かる」
「あ、はいっ。そう、ですね……えっと……それじゃあ」
千冬様、と。呼ばれて、さすがに厳しいなと思った。
「様は、さすがにな」
「そ、そうですか……」
クウに呼ばれ慣れてはいるが、あれはまた特殊だ。そもそも私は様などと呼ばれるような人間では無い。だから、その呼び方は許容しがたい。
山田先生は何故か非常に残念そうな表情だが、それは無視して考える。
「(先生、は学校だし混乱するな)」
統一して、とも思ったが私は授業を教えるわけでは無いのだからな。考えて、まあ私も山田先生も妥協できそうなところで提案する。
「呼び捨て「無理です!」……だと思ったので、無難にさんでは駄目か? 織斑さんでも、千冬さんでもどちらでもいいから」
「ぁ、ぅ……それも、ちょっと……」
「……なら呼び捨てで」
「千冬さんでお願いします」
「ああ、よろしく頼む」
……本当に、山田先生から見た私はどれだけ敬われる存在だったのか。気になるところではあった。
それから理事長である女性に挨拶をし(といっても当たり障りのない話をするに終わった。表向きの目的は束が大雑把な発表をした通りである)、別室で山田先生と朝食を食べ、職員室へと案内された。
授業にはまだ時間があるが、副担の世界初の男性IS操縦者二人目が来るのでその為だと言う。
苦笑交じりに話していた山田先生曰く、随分とその男性―――大空三春はIS学園に来ることを渋ったらしい。それも最初は生徒として入学させようとしていたとかで、まあさすがに渋りもするだろう。ただその結果、生徒では無く教師として学園に入れるというのだから、ある意味で政府の決断も凄いと言える。
「千冬さんの場合、授業中の出入りは基本的に自由ですから、興味があるところを回ってくれても大丈夫です」
「必要ならそうさせてもらう。なるべく授業の邪魔にはならないように気をつけよう」
待っている間、そう山田先生と話していたところで。
扉が開く音と、鋭い殺気が体を貫く。ふ、と顔をあげればそこにいたのは、スーツを着こなした一人の男性。
忘れる筈も無い、アイツ―――大空三春。
睨まれ向けられた殺気も一瞬、大空三春は職員室へ入って来る。山田先生はスッと立ち上がり、大空三春……大空兄の前に立った。
「大空三春さんですね。私は山田真耶です、大空一夏君のいる一年一組の担任です」
「大空三春です。未熟者ですが、よろしくお願いします」
軽く頭を下げる態度とは裏腹に、その表情はとても硬く無愛想だ。カメラで見ていた一夏に対する笑みの一欠けらも無い。
山田先生も戸惑ったように言葉を詰まらせ、曖昧に笑って誤魔化している。
「えっと、それじゃあ教室の方に行きましょうか」
「はい」
大空兄の待遇というか立場というかそういったものを説明して、一先ずは教室に向かうこととなった。細かい事は追々、山田先生が教えていくことになっているようだ。
「それから、こちらが篠ノ之博士の代理人、織斑千冬さんです」
「……代理人?」
教室への道中、私についても説明してくれた山田先生の言葉に、大空兄は訝しげな顔をした。山田先生は、私と彼が顔見知り(といえるかどうかも疑問だが)であることを知らない。
「教師ではなく?」
「あ、はい。一般には公表されていませんが、色々と事情がありまして……」
「……そうですか」
納得していない顔だ。それに、私について話しながら一度としてこちらに目を向けていない。
最初に感じた殺気のような視線は十中八九コイツからだったが、私はコイツにそこまで思わせるような事をしただろうか。
「(一夏への態度が、それほど酷かったということか……)」
コイツは私に一夏は任せられないと言って、一夏を連れて行った。コイツにとって私の行動は、姉として最低なものだったのだろう。
今になってもまだじくじくと胸の奥がうずく。一夏の為に生きてきた織斑千冬は死んだのに、その亡骸は今でもその存在を主張していた。
「では、少しこちらで待っていてください。先に私が説明してきますから……あ、千冬さんは最初、ここでいいですか? 他を見に行きますか?」
「いや、ここでいい」
「はい。じゃあ、大空先生と一緒に待っていてください」
「ああ」
さすがに世界初の男性IS操縦者である教師を連れてスムーズに説明するのも難しいだろう。何事も最初が肝心と言うしな。そういう意味では、コイツを後から入れる事にしたのは正しい気もする。
教室の騒がしい声が扉を閉ざしてもなお聞こえてくる。それを聞きながら、そういえばと一つ思いだし首を傾げる。
「(私の存在は、公表されていないのか?)」
束の代理人として私がIS学園を訪れることを、大空兄は知らなかったようだ。束は世間に説明したと言っていたが、どうやら限られた範囲にしか情報は回っていないらしい。というよりそもそも、私は今まで世間ではどういう扱いだったのだろう。束は自分に任せろと言っていたので、本当に任せていたのだが。
……まあ、だからどうするということも無いか。情報が公表されていようがされていなかろうが、私には特に問題も無いだろう。しいていうなら、それで動きが制限されなければ、それでいい。
「織斑千冬」
「ん?」
低い声だ。一度しか聞いたことは無いので聞き覚えは無いが(しかもあの状況だ)、この場の状況からこれが大空兄の声であることは明白だった。
「俺はお前を許さない」
「は?」
まるで親の仇でも見るかのような目。嫌悪と憎悪とその他もろもろ、ただ相手に対する負の感情のみを混ぜたような目が私を睨み付けて、告げられた言葉に呆然となる。
「(私はそれほどまでに間違っていたのか?)」
じくじく、うずく。こんな目を向けられるなんて、もしかして私があのまま一夏と共にいたら、一夏が死んでしまっていたとでも言いたそうじゃないか。私の行動はそんなにも一夏を不幸にするものだったのか?
「それではお二人とも、入ってきてください」
山田先生が呼んでいる。大空兄の言葉の真意を理解できないまま、私は開かれた扉の向こうに足を踏み出した。