色違いの空   作:kei469

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染まる姉

 

織斑千冬 【十八歳】

 

 

 ちーちゃん大好き、束は口癖のように私にそう言って来た。

 好き、大好き、愛してる。私だけでは無く一夏や箒にも言っていた言葉だけれど、どうにも私に向けて放たれるそれは少々違ったものだった。二人と私で何が違うのか。

 

「ちーちゃん、どう?」

「気持ちいい」

 

 インフィニット・ストラトス、通称ISを開発した束は私をそれに乗せた。中学生の頃だった。

 初めて飛んだ空はとても気持ちよくて、目の前に広がる青空には柄にもなく心が弾んだ。結局はそれが原因で世間は大きく変わってしまったが、それで束を責める事は私には出来なかった。束がどうしてISを開発したのか、その理由を知っていたから。

 

「愛してるよちーちゃん! 束さんはちーちゃんがいるだけで世界が輝いてるよ!」

 

 いつもそう断言してみせた束に、私はけれど一度として、

 

「馬鹿な事を言ってないで、さっさと行くぞ」

 

 その言葉を真剣に受け止めたことは無かった。

 

 

 

 出来る限りの方法で、大空三春について調べた。調べつくした。そしてその結果分かったのは、やはりアイツがよく分からないということだった。

 

「紙面上のデータには確かに存在してるのに、見事なまでにそれ以外には存在してないね。ちーちゃんの記憶にもいないし、とすればちーちゃんが産まれる前に捨てられた筈なのに現れるまでの間どこにいたのかも全く分からない。私にここまでさせて何も分からないなんて―――コイツ、変だね」

 

 正直、調べる際に犯罪的な事をしてしまってはいるが……まあ、それでも何も分からなかったのだから束の言うとおり、大空三春というのは可笑しな存在だ。

 結局分かったのは、名前と年齢(私の一つ上だ)、一夏と共に現在住んでいる場所の住所だけだ。

 大空三春の過去については何一つと分からず、突然私の前に現れるまでどこにいたのか、何をしていたのか、全く分からない。

 

「どうする? ちーちゃん」

「何がだ?」

「とりあえず監視用のカメラを飛ばしてみたからいっくんの様子を見ることが出来るけど……見る?」

 

 不安そうな顔で束が聞く。私は当然、

 

「見せてくれ」

 

 頷いた。一夏が今、どうしているのかがとても気になった。

 ただ頷いた私に束はひどく不安げな瞳を向けていて、だからといって私は今更首を横に振ることなど出来なかった。

 

「(一夏は、元気にしているだろうか)」

 

 もうすぐ一夏が去って二週間が経過する。それだけの間、姿を見ることが出来なかった弟を想うだけで、心がひどく締め付けられた気がした。

 

 

 

 束の開発したそれは、とても鮮明な映像を私に見せてくれる。

 一夏と大空三春の住む家は、私と一夏が住んでいた家とさほど変わらないものだった。庭に面した大きな窓からリビングの様子を窺える。カメラが移動したのだろう、リビングに人の影を見つけてそれを映す様に映像が動き出した。

 リビングのソファーにアイツが座っている。大空三春、一夏を連れて行った兄を名乗る人物。

 黒い髪は肩上で切り揃えられ、整った顔立ちはきっと数多の女性を振り向かせただろう。ただ一夏の兄としての面影があるのかといえば、私にはまったく感じられない。別人にしか思えず、本当に血が繋がっているのかと信じることが出来ない。

 本を読んでいる大空三春の後ろ、リビングの扉から誰かが入ってきた。白いシャツにジーンズと飾り気のない服を着ているのが誰か、顔を見るまでも無く分かってしまった。

 

「いち、か」

 

 隣で一緒に見ていた束が私を見つめるのが分かる、だけどそちらに意識を向ける事も出来ない。

 リビングに入ってきた一夏が大空三春に声をかけている。音は聞こえない、おそらく束のことだからこの距離ならば音を拾わせることくらいわけないのだろうが、それは必要なかった。

 

 兄さんと一夏がソイツを呼んだ。

 

 唇の動きだけで分かってしまう。兄さんと呼んで、無邪気に笑っている。ソファーの背もたれから本を覗き込む一夏に、大空三春は優しく微笑み何かを言っている。そちらは何を言っているのか分からない、知りたくも無い。

 ガラガラと足元から何かが崩れて行く感覚。力も入らずその場に崩れるようにして座り込んだ私に、束は慌てて手を差し伸べた。

 

「大丈夫? ちーちゃん」

「……」

「ちーちゃん……」

「止めてくれ」

 

 崩れたまま見上げたディスプレイ、動き続ける二人はひどく楽しげに笑い合っていて、大空三春が一夏の頭を撫で回している。一夏が嬉しそうに笑っている。

 

 楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに、笑っている。

 

 もう、限界だった。

 

「止めてくれ、束」

「ちーちゃん……」

「頼む、止めてくれ」

 

 プツリとディスプレイは暗くなり、それに私はほっと安堵の息を吐いた。吐いてしまったことに、私は情けなくて苦しくて泣きたくなった。

 

「一夏……」

 

 正直、少しでも私の元を離れたことに後悔していればと、そんな醜い事を考えていた。ほんの少しでも私の方がよかったと思っていたなら、それだけで私は自分がしてきたことに意味はあったのだと思えた。

 だからほんの一瞬でも、一夏が大空三春に不満げな顔をしてくれたなら、そんな感情を抱いていてくれたなら、私はきっと、間違っていなかったと心を軽くしただろう。

 

 最低な人間だ、私は。

 

 笑っていた、心の底から楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに。一夏の笑みには一片の陰りも無かった。本心から一夏は、大空三春を兄として慕い、傍にいることに幸せを感じている。

 それが私の勘違いだと言う奴もいるだろう。ああ、そう思うかもしれないな。だが私はあんなにも幸せそうな一夏の笑った顔を、長らく見ていないんだ。

 それだけでもう、分かってしまうんだ。少なくとも一夏は、私といた時よりも―――幸せなんだ。

 

「一夏、い、ちか、一夏、一夏いちか一夏いちかいちかいちかいちか」

 

 私では駄目だったんだな、私ではお前を幸せにしてやることは出来なかったんだな。お前が笑ってくれればそれだけで良かったのに、私にはそれすら出来なかったんだな。

 けれどソイツは、大空三春はお前を幸せにしてやれるんだろう? 私には出来なかったことが出来るんだろう? だからお前は、ソイツに着いて行ったんだよな?

 

「なんで」

 

 それは本当に私には出来ないことだったのか? 私には無理なことだったのか?

 私はお前を幸せにしたかった。幸せになってほしかった。両親がいなくてもお前が幸せだと笑ってくれるように、そう思っていたのに。

 だけどそれは私の思いで、お前にとっては押し付けでしかなかったんだろう。お前にとっては迷惑でしか無かったんだろう。

 

「ぅあ、ぅううううう」

 

 すまない一夏、私はお前の負担でしか無かったんだな。お前から笑顔を奪っていたのは私だったんだな。私がお前を幸せにしたいと思ったのは、全て私の自分勝手な自己満足でしか無かったんだな。

 

「ぁああああああああああ」

 

 すまないすまないすまないすまないすまない。すまない一夏、だけど教えてくれ。それなら私はどうしたらよかったんだ。

 親が消えて私とお前だけが取り残されて、私はいったいどうすればよかったんだ。ただ幼いお前を守りたいと弟を家族を守りたいと思うことはいけなかったのか。それとも守り方が駄目だったのか。親に捨てられた私にとってお前は守るべき存在で生きる希望だったんだ。お前を守るという大義名分を掲げて私は生きていたんだ。

 それがいけなかったのかもしれないな。お前の為と言いながら結局は私の為だ。だけど仕方ないじゃないかあの時の私は親に捨てられたことが悲しくて信じられなくて訳が分からなくて、どうしたらいいのかもわからなくて何も分からなかったんだ。

 だけど隣にお前がいたから、何も分からなくてもお前を守らなきゃと思うくらいに私はお前を愛していて、親がいなくなったなら姉の私がしっかりしなければと思っていて。親がいなくても立派にお前を育ててみせると子どもながらに決意したんだ。お前を悲しませないと決めたんだ。なのに、なのになのになのになのにどうしてそれがいけなかったの。

 

「ああああああああああああああ」

 

 なにが駄目だったの教えてよ一夏。私はどうすれば一夏に見捨てられずに済んだの、どうすれば一夏と一緒にこの先を歩くことが出来たの。ソイツのことなんて知らなかったんだ、私に兄がいたなんてそんなの聞いたこともなかったのに。知っていたらそしたら何か変わったの、どうして誰も教えてくれなかったの。どうしてソイツは一夏の前にだけ現れて私の前には現れてくれなかったの。どうして一夏は連れて行くのに私だけ置いて行くの。私の何が駄目だったの何がいけなかったの何が悪かったのどうしたら私は一緒に行けたの一緒にいられたの。

 

 大好きだったのに、愛していたのに、今でも愛してるのに。

 

どうしてこんなにもお前の心が分からないの。どうして私はお前の傍にいないの、笑ってもらうことも出来なかったの。教えてよ、一夏。お願いだからお前が何を想っていたの教えてよ、じゃないと私は、私は。

 

 大好きだよ、ちーちゃん。

 

 不意に心を包んだ温かなそれに、私の思考は停止する。優しく包み込むそれが苦しく冷え切る心を、確かな温もりで癒してくれる。

 それは心だけじゃなくて、私の体を包む両腕からも確かに感じられた。崩れ落ちた私の体を抱きしめる腕、押し付けられた胸の奥から聞こえる鼓動。それが誰のものか、答えは一つしかない。

 

「泣かないで、ちーちゃん。大丈夫だよ、大丈夫だから」

 

 何度も何度も耳元で囁かれる。

 

「ちーちゃんは何も悪くないよ。何も間違ってなんかいなかったよ。きっといっくんはアイツに騙されてるんだよ。誑かされてるんだよ。だからちーちゃんは何も悪くないんだよ」

「でも、それでも……一夏は、私よりアイツといるほうが……」

「新しい物にはみんな喜ぶでしょ? それと一緒だよ。いっくんまだ中学生だもん、きっと初めて見る珍しいものに興味が行っちゃっただけだよ。すぐに飽きてちーちゃんのところに戻って来るよ」

「で、も」

「それまでは私が、ちーちゃんと一緒にいるから」

 

 束の言葉が真実かなんてわからない。ただ私を慰める為だけの言葉かもしれない。でもその言葉は少しだけ私の心に薬を塗ってくれて、抱きしめてくれる束の腕が私の心を癒してくれる。

 一緒にいてくれるだけで、それだけで凄くほっとするんだ。束は私に嘘を吐かないから、私を心底から想ってくれてるから。

 

 束さんは、ちーちゃんが好きだよ。

 

 なあ一夏、少しだけお前に向けていた愛情を、分けてもいいか? 今までずっと、私はお前を守る事しか考えて無くて、私の周りでかけ続けられていた声には答えてやれていなくて。

 でも、たとえ一時だけだといってもお前がいなくなってしまったら、私は立っている事すら出来ないんだ。歩くことも出来ないんだ。私は私一人では何もできないような、そんな弱い人間だったんだよ。

 

「束……」

「……」

 

 大好き、小さく聞こえた声。お前はずっとずっと私にその言葉を向けてくれていたな。

 お前が私に向ける気持ちが何かなんて、最初から分かってた。一夏と箒に向けたものと私に向けたもので何が違うかなんて、分からない筈が無かったんだ。

 だってお前が私に向ける言葉はとても温かくて、熱くて、激しくて、優しくて。だけど私は一夏の事ばかり考えていて、お前の言葉を正面から受け止めて考える余裕が無かったんだ。

 

「私は、最低な人間だな」

 

 こんな風になってようやく、私はお前の言葉を受け止める事が出来るんだ。こんな状態になって初めて、私はお前の言葉を聞くんだ。

 

「私と、一緒にいてほしいんだ」

 

 一夏がいなくなって初めて私は束の言葉を受け止める。最低だ。

 一夏のことばかりで分かっていながらずっと束の言葉を無視していた。最低だ。

 一夏がいなくなって立てないから、束の気持ちを利用する。最低だ。

 

 ああ本当に、私は弱くて醜くて、最低な人間だな。

 

「嬉しいよ、ちーちゃん」

 

 束は心底から嬉しそうに楽しそうに幸せそうに笑う。それに救われた気持ちになる私は、どこまで最低なんだろう。

 

「……ねえちーちゃん、ちーちゃんは自分を最低だっていうけど」

 

 首に鼻先を擦り付けてふふっと笑う束の背へ回した手に力を篭めた。

 

「それを言ったら私も最低なんだよ」

「……何故だ?」

「だって私は、いっくんがアイツの元に行ったことに感謝してるんだから」

「……どうして?」

「あ、怒らないんだ」

 

 怒られると思っていたらしい。たしかに、私は一夏がアイツの元に行ったことでこうも悩まされてるのだからな、感謝する要素が一つも無い。

 だけどそれはもう変えられない事実で、そしてその事に怒れる程に私の心はまだ癒えていないということなんだろう。

 

「……ちーちゃんはずっと、いっくんの為にしか生きてなかったから」

「……」

「だからようやくちーちゃんが私のことを見てくれるのが、すっごく嬉しいんだよ」

「束」

「私はねちーちゃん、ちーちゃんが大好きだよ。こんな風に弱くてボロボロになっちゃったちーちゃんを捕まえて、私のものにしちゃいたいくらいちーちゃんが大好き」

 

 弱っている相手に付け込んで、自分のものにするというそれは、世間一般からすれば最低な行いなのかもしれない。

 

「……構わない」

 

 だけど私はそれにひどく安心しているんだ。

 

「私をお前のものにしてくれ、束」

「うん。愛してるよ、ちーちゃん」

 

 迷わず頷いた束に抱きしめられることが心地いい。

 弱っている相手に付け込んで、自分のものにするということは。弱っている相手を見てもそれでも好きでいてくれるということで。

 束が言う一夏の為に生きていた織斑千冬はもう、一夏がいなくなったことで死んでしまった。だからここにいるのはその亡骸の中に埋まっていた、ずっと隠していた織斑千冬にいらないもので。

 それしか残っていない私を見て束は、それでも私を愛してくれていた。ならもういい加減、答えてもいいだろう?

 

「好きだ、私も好きだ、束」

 

 お前も私も最低な人間だとして、それでもいいじゃないか。そうしないと私は立つことすらできなくて、束はそんな私を知ってなお、手を伸ばしてくれるのだから。

 


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