見上げた空で、幾度目かの光が弾ける。高速で移動する四つのIS、その中で一際速く、軽やかに飛び回るのは、クウだ。
『セイ、セイ、セイ』
オルコットのビットが放つレーザーを苦も無く躱しながら、ずっと呼び続けている。
クウは束が開発したISであり、待機状態は人間の少女と何ら変わらない姿をとる。その状態でクウは私たちの世話をしてくれていたわけだ。
「はぁああああっ……きゃあ!」
鈴音が両端に刃をつけた武器でもって斬りかかる。
クウには近接武器が搭載されていない。それは束の意図した事であり、けれどクウにとってそれは何らハンデとならない。
方向転換などとてもじゃないが出来ようも無いスピードで動きながら、クウは待ち構え振り落とされた刃にほんの一瞬で急停止、くるりと一回転し後退したと思えば、両手に二丁の銃を取り出し鈴音を撃ち落とした。
「鈴!?」
墜落した鈴音に焦ったデュノアの横を通り過ぎる。その交わった一瞬のうちに、デュノアの体に紐のようなものが巻きついた。
目的は彼女たちにない。余計な被害を出さぬためにと、束に言って作ってもらったクウ専用の捕獲用の武器だ。一定時間、ISの動きを封じる事が出来るのだが、その効果は私自身が体験している。
『あれ、嫌い』
「そうか」
雪桜のハイパーセンサーを通して、クウと専用機持ちたちの戦闘を眺めていた。不満げな声に苦笑いで返す。アレに捕まると、本当に動けなくなるのだから勘弁してもらいたい。
「ふっふっふ~。思った通り、やっぱりくーちゃんの一人勝ちだね!」
「……まあ、クウが相手ではな」
束特製の、確かな意思を持ったIS。飛ぶということにおいてクウはきっと、誰よりも優れているだろう。クウはただ、身軽に空を駆けまわれるだけでしかない。けれどそれだけで、ああも強い。
「オルコットも捕まったか」
「ありゃ、意外と早かったね。束さん想定外だったよ、まあどうでもいいけど」
デュノアと同様に動きを封じられたオルコット。堕ちる事は無くとも、しばらくは動くことなど出来ない。
「それじゃあ次は~、っと。あっちから来てくれたね、わーい」
「……」
サクサクと砂を踏む足音。戦闘の音も消え、波の音だけが響いていた今、その音はとても大きく聞こえた。
「あの無人機は、お前らの仕業か」
大空三春、大空一夏。大空兄弟が揃ってお出ましか。
現れてすぐ、大空兄がギロリというように睨み付けてくる。いつもよりもその目が鋭い気がするのは、コイツの言葉から勘違いじゃないと思えた。
「無人機? くーちゃんのこと?」
「……何が目的だ」
「あ、無視した。むっかつくなー」
ぶうたれた束が後ろから私に抱き着いてくる。いや、抱き着くというよりのしかかられている感じか。
「重い、離れろ束」
「だってアイツ私の話を無視するんだよ?」
「……それでも、離れろ」
「はーい」
目に見えて鋭さを増す大空兄弟の瞳と、何も気にしない束に挟まれて溜息が零れる。話が進まないな、まったく。
「さて、目的についてだったか」
「……」
「何、といわれてもな」
そう大そうなものがあるわけでもない。たしかに私と束にとってはとても大きなことだが、世間からすればただの我儘と思えるだろう。
「分からないことを分かる為だ」
ただ知りたい、それだけの為に私たちはこんなことをする。
「自分勝手なっ」
「ああ、そうだ。だが悪いな、私にとってはそれだけ重要なことだ」
「―――ふざけるな!!」
吠えたのはやはりというか、大空兄だった。無言を貫く大空弟、大空兄は憎悪に染まった目を向けてくる。
「またお前たちは、そんな勝手な理由で相手を傷つけるのか!?」
「……また?」
「セシリアたちを傷つけて―――もうこれ以上、お前らの犠牲になんかさせない!!」
……傷つけては、いないんだがな。鈴音のあれだって、堕ちはしているがアイツ自身に対してダメージはいっていない筈だ。クウがやったのだから、その筈なんだ。
「また、ってどういう意味だ」
「さあ」
「っ来い!!」
疑問は増えるばかりで減りはしない。
大空兄が何か叫んで、けれど全ては聞こえなかった。そうして光に包まれたその体は、次の瞬間には透明に近い白を纏っていて、砂を巻き上げこちらに斬りかかって来ていた。
「絶対に―――許さない!!」
束がジッとそのISとよく似たそれを見つめている。振り上げられたそれを見ても、動かない、動かない、動かない、そして。
『セイを、返して!』
「っああ!?」
一瞬前まで大空兄がいた場所を吹き飛ばしたのは、空気を裂いて一直線に飛んできたクウだった。砂浜が大きく抉れ、砂埃が舞い上がる。
吹き飛ばされる直前に後退したらしい、砂埃の向こうで動く影が見えた。
『セイ、セイ、セイ! 私は、ここにいます!』
クウが叫んでいる。何度も叫んで、その声がとても泣きそうだった。
「くーちゃん」
『セイ、セイ、セイ』
砂埃が晴れて、大空兄と大空弟の姿が明らかになる。クウが飛びこんで来た時だろうか、気づけば大空弟が打鉄を装着していた。
「……そう簡単に殺されない、ってことか」
忌々しげに吐き捨てた大空兄。叫び続けているクウの装甲に手を伸ばしながら、束は深々と、溜息を吐いた。
「君がさぁ、何を私に怒ってるのか知らないけど……私も怒ってるんだよ?」
「なんだと?」
「いい加減に、返してくれないかな」
『セイ、セイ、セイ』
クウが叫んでいる、ずっとずっと。そして束が、怒っている。
『クウ……クウ……クウ……』
『セイ、セイ、セイ、セイ、セイ』
風の音にも消されてしまいそうな、そんな掠れた声はずっと、大空兄がそれを纏ってから聞こえ続けていた。ずっと、クウに叫んでいる声が聞こえていた。
「その子は、私のだよ」
「っざけるなぁああああああああああああ!!!」
くーちゃん、と。空を裂く大空兄の叫びの中で確かに束が、クウを呼ぶ声が聞こえた。
ふわりと光る束の体と、光へと変わるクウの姿。ふわふわと、光が束の体を包んでそして、束とクウは一つになる。
「それじゃあ、せーくんを迎えに行こうか!」
『はい!』
クウは無人機であると同時に、有人機でもある。ISでありながら、そのどちらでも彼女の意思を持って変われる。
砂を踏み込む大空兄に近づいて、空へと投げ飛ばす。それは唐突な出来事で、投げ飛ばされる寸前の大空兄が目を見開いていたのが見えた。
「……」
「ちーちゃん、行こ?」
兄が飛ばされたというのに、大空弟はその場から動かなかった。束はそちらに興味が無いのか、目も向けず私に声をかけてきた。
分からないことを分かる為に、始めたこと。その中で私がすることは、決まっている。
「お前は先にあっちへ行け」
「ちーちゃん一緒に行かないの!?」
「……私は、こちらの方が気になる」
束が大空兄に目的があるように、私は大空弟に目的がある。
「うー、えー、でもなぁ……」
「すぐに行く。心配するな」
「……分かったよ」
むぅ、と。不貞腐れた束を送り出す。どうやら当然のように私も一緒に行くと思っていたらしいが、私はまだそちらに行けない。
「……お前は行かなくていいのか、大空一夏」
「大丈夫さ。兄さんがあんたらなんかに負ける筈無い」
「そうか。随分と信頼しているようだな」
「当然だろう。家族なんだから」
「……」
痛い。自分でも疑問に思えるほどに、痛い痛い痛い。
打鉄を装着した大空弟の手にはブレードが握られ、それはしっかりと私へと向けられている。それがまた、痛い。
「訓練機、勝手に使っては怒られるんじゃないのか」
「そんなことであんたを倒せるなら、安いもんさ」
「……どうしてお前は、私を倒したいと思うんだ?」
「前にも言っただろう」
身を屈めてブレードを構えた大空弟が、足を踏み込んだ。
「兄さんを傷つけたあんたを、俺は許さない!」
突き出されるブレード、それは私の体を真っ二つにするには十分な大きさで。けれどそれは、ただ空を斬るだけだった。
『千冬』
「なんだ?」
『避けないと、当たっちゃうよ』
自動展開、装着された雪桜。それによって私は意思と無関係に空へと飛びあがらされ、飛びあがった今も私は雪桜に身を任せている。
『シールドでも痛いものは痛いよ。だから、ちゃんと避けて』
「悪いな。だが私は、アイツの話を聞きたい」
『それでも避けて』
「お前に任せるよ、雪桜」
『……わかった』
避けるよりも、何よりも、アイツの話を聞きたい。きっとこれが最後のチャンスだ。だから、私はただ、話を聞きたい。
雪桜はそんな私の願いをきいてくれる。ただ飛んでいた体は体勢を立て直し、砂浜を飛びあがった大空弟と相対した。
「お前は、私が大空三春を傷つけたと言ったな」
「ああ、そうだっ」
上から振り下ろされたブレードを雪桜が避ける。その流れに逆らわず、身を任せて私は、大空弟に話しかけた。
「あんたが、兄さんを傷つけた!」
「だが私には、身に覚えが無い」
「っまたそうやって、嘘を吐く!!」
嘘では無い、言っても聞こえないのか、突き出されたブレードをまた避ける。避けるたびに大空弟の顔が歪んでいく。
「俺は、全部知ってる! 兄さんが話してくれた、あんたの、織斑千冬と篠ノ之束の罪も、隠し続けていたことも!!」
私と束の、罪? それは何か。何のことだ。
「分からんな」
「んでまだ、惚けるんだよっ」
「……なあ、大空一夏。お前が言う私と束の罪とはなんだ?」
知らない、分からない。敵意と共に向けられる言葉の意味も、睨み付けられる瞳に篭められた憎悪の根源も、私には分からない。
けれどその分からないことの答えが、今までで最も近くにある。だから答えに、手を伸ばせ。
「大空三春は織斑一夏に何を話した―――なぜ織斑一夏は、大空一夏になった」
大空三春を傷つけた? 私と束が隠していたこと? 私たちの罪?
そんなの、知らない。分からないことは増えた、分からないことだけが増えた。増え続けた。
でもその中で私が最も分かりたいと思ったことは、変わっていない。
「織斑一夏は何故、大空三春を選んだ」
あの日、誘拐された一夏と共にいたのは大空三春だった。一夏は私の手は取らず、けれど大空三春の手を取った。そうして織斑一夏は消えて、大空一夏になった。
知りたかった。消えて、生まれた大空一夏の幸せを願うよりもまず、私は知りたかった。織斑千冬と大空三春、二つを天秤にかけた織斑一夏が何を持って大空三春を選んだのか。どうして私では無くアイツを選んだのか。
「答えろ、大空一夏」
私は、知りたい。
「……白騎士事件」
動きを止めた大空一夏の口から呟かれたのは、世界でも有名な事件の名前だった。
「あんたたちは俺に、何も話してくれなかった。ずっと隠してきた。でも兄さんは教えてくれたよ、全部」
淡々と、紡がれる言葉に感情は無いように思える。静かで、けれど穏やかとはかけ離れた、そんな言葉。
「あの事件で、織斑千冬と篠ノ之束が犯した罪も……俺は、知ってるんだ」
「……その罪というのは、なんだ」
「やっぱり……話してくれないんだ」
淡々とした中で、最後に聞こえた言葉だけはひどく悲しげに響いたような気がして、けれどその後に続いた言葉に私はまた、分からなくなる。
「あんたは―――兄さんの大切な人を、殺した」
それが罪だという。なあ、それは、いったい、
「何のことだ」
分からない。そんな罪、分かる筈が無い。だって、知らないのだから。
「……そうやって嘘を吐くから、織斑一夏はいなくなったんじゃないのか」
「は、ぁ……?」
「本当は最初から、愛してなんていなかったんだろ。偽物の愛情に気づかない弟はどうだった? 邪魔だったんだろ? だから、見捨てたんだろ」
「なにを、言ってる?」
「……待ってたんだ。なのに結局、あんたは来てくれなかった」
なあ、大空一夏。お前は何を言ってる? 何を考えてる? 何を、想ってる?
チラチラと、悲しみだとか、寂しさだとか、そんな感情が垣間見えて。それが余計に、分からなくなる。向けられる敵意と、その奥の虚無と、抑え込まれたような悲哀とが、ぐるぐるとアイツの瞳で渦巻いていて、私は、分からなくなる。
「俺は、あんたを倒す」
兄さんの為に、聞こえた声には敵意と殺意が篭っていて。
「……嘘って、なんだろうな」
ぽつりと私の口から溢れた言葉は、けれど大空一夏に届かなかった。
分からない、分からない、分からない。大空一夏の事はやはり分からないことばかりで、答えは近かったようでやはり遠かった。それでも伸ばした手で、私は私の中に未だ残っていた、確かなものを引っ張り上げた。
「一夏、お前が何と言おうと……私はお前を、愛してる」
偽物の愛情? そんなの一度として抱いていない。私は心底から一夏を、たった一人の私の弟を愛していた。
そしてそれは今でもたしかに、痛みの中にひっそりと、残っていた。
「……俺は、嫌いだよ」
急加速、接近してくる大空一夏が振り上げたブレード。避けようと、動こうとする雪桜に逆らって、私はそれを見つめていた。
『千冬!』
「すまんな、雪桜」
大空一夏に、お前を倒すと言われた時に、私は考えた。その時が来たら、私はどうするだろうと。
分からないことだけが増えて、考えても分からないことばかりで溢れる中、分かるのは向けられる敵意と殺意だけ。本当に分かりたいことほど、全く分からなかった。
それでも考えていた。その時、私はいったいどうするだろうと、考えて考えて、結局分からなかった。
いっそ、束に一夏との思い出も全部、消してもらえばよかったのかもしれない。そうすれば何も考えることなく、私はただ束の傍で、アイツと共に穏やかな時を過ごしていただろう。束のことだから、記憶を消した私でも変わらず求めてくれただろうと、何故だか自信が持てた。記憶を消すなど、そんなことはするつもりないが。
織斑一夏と大空一夏は別人でしかなく、私の知る一夏はもういない。それでも思い出に織斑一夏がいる限り、私はその影を探してしまう。本当に大好きで、愛していたから……分かっていても、探さないでいることが出来なかった。
「だとしても私は、お前を愛してるよ」
随分と小さくなってしまったけれど、それは消えていない。なくならない。なら私は、お前を愛してる。
大空一夏、織斑一夏。お前を倒すと言われて、痛くて仕方が無かった。最低な私は、お前が私を切り捨て大空三春を選んだことが信じられなくて、その理由を知りたいと思ったけれど。
私はただ、大空一夏の中に織斑一夏を探していただけなのかも、しれない。
「っさよなら、織斑千冬」
「……」
最後までやはり、姉とは呼んでくれないんだな。振り下ろされたブレードを、ぼんやりと眺めながら私は、
ちーちゃん、大好き
心地よくて、温かなそれに、身を任せた。