夏だというのに、ひんやりとした朝の空気に目が覚める。海の波の音を聞きながらゆっくり目を開ければ、夜までは確かに隣にいた筈の束の姿が無かった。
「……行ったか」
分からないことを分かる為、今日で終わらせるのだと束は言っていた。
「それでは、班ごとに振り分けられたISの装備試験を始めてください。専用機持ちの人たちは、専用パーツの試験です。速やかに行動してください」
「はーい」
臨海学校二日目は、本来の合宿の目的であるここに搬入されたISと新型装備のテストだ。その為にこの海にはIS試験用のビーチなどというのもあり、四方を切り立った崖で囲まれドーム型となっている。学園のアリーナを思い起こさせるな。
「専用機持ちの人たちは、あちらに移動してください」
「はい」
専用機持ちはオルコット、鈴音、デュノアの三人だな。……そういえばトーナメントの後、デュノアがシャルロットとして再度転校し直してきた。世界三人目の男性操縦者は本当は女性だったようだが、最初から分かっていたので驚く事では無い(コアから送られる情報を見れば一発だった、とは束の言だ)。
「大空先生、お願いします」
「わかりました」
あちらは大空兄が担当するようだ。まあ、専用機持ちがすることは各々の専用パーツの確認、判断の基準は個人に任せられる、か。
「教官!」
移動し始めた専用機持ちと大空兄を横目に入れつつ、ざわざわ騒がしい訓練機組を眺めているとボーデヴィッヒが人の列から出てきた。
「何か用か?」
「教官は、指導に回られるのですか?」
「いや。私はいつも通り見学だ」
「そうですか……」
肩を落とすボーデヴィッヒ、本当に分かりやすい奴だ。にしても、あまり言いたくはないが周囲を気にせず話しかけてくるのは、ボーデヴィッヒや箒くらいだな。他の生徒たちは互いを気にし合ってか話しかけてくることはまずない……それとも、私自身が話しかけづらい印象を与えているのか。どちらだろうと、気にするわけでもないが。
「ラウラ、何してるんだ?」
「箒」
「……お前はまた千冬さんに……迷惑かけてないだろうな?」
「む、何を言う。私が教官のご迷惑になるようなことをするものか」
「……自覚が無いのが困るな」
ボーデヴィッヒを探していたのか、列から出てきた箒が私の姿を見て溜息を吐いた。迷惑、か。まあ、積極性があると言えばそれだけなのだが。
「心配しなくとも、今はまだ何も困っていない。安心しろ、箒」
「そうですか? ボーデヴィッヒ、指導なら学園でしてもらってるだろう。今日くらいは諦めろ」
「わかっている」
不承不承、渋々といった風に頷くボーデヴィッヒ。なんやかんやと箒はボーデヴィッヒのお目付け役のような気がするな。
「……」
「(ん? 大空弟……どこへ行く気だ)」
視界の端で、目の前の二人とは別にまた列を出て行く生徒。大空弟が一人だけ離れて行くのを見て、私の視線に気づいたのかボーデヴィッヒと箒もそちらに目をやり、箒が一夏、と呟くのを聞いていた。
「……」
歩き出す。大空弟が向かっているのは専用機持ちと大空兄のいる方。それが分かって、自然と足が向いていた。
「千冬さん?」
歩き出した私に箒がどこへ行くというように呼びかけてきて、けれど止まらずにそのまま大空弟を追いかけた。
目的地が予想できたのもあってゆっくりと追いかけたせいか、大空弟はとうに大空兄たちと合流していた。誰もISを装着せず、何やら話し込んでいるらしかった。
「誰だ?」
周囲を警戒していたのか、すぐさま大空兄がこちらを振り向く。歩いていた足を止め、私は向けられた目を見返した。
「……何の用だ、織斑千冬」
「いや、一人だけ列から出ていくのが見えたからどうしたのかと思ってな。ついでに専用機の見学でもしていこうかと思ったが」
スラスラ口は言葉を紡ぐ。何をしていたとか、お前は何なのかとか、お前はどうして私を殺したいと思うのだとか、いろいろ聞きたいことはあるのに。
いつもいつも、肝心な事を聞くことが出来ない。聞いたところではぐらかされる、満足な答えが得られないのが分かっているから。
「……」
敵意を湛えて睨み付けてくる大空兄弟から視線を外し、その後ろの三人を見る。オルコット、鈴音、デュノアたち専用機持ち。そういえば、こうして対面する機会は殆ど無かった、鈴音は最初の時に少し話したが、あれは会話と言うには難しいものがある。
三人とも無言で私を見ていた。オルコットはどこか複雑そうに、鈴音は大空兄弟程では無いが少しの敵意とおそらくは嫌悪を持って、そしてデュノアは明らかな敵意を瞳に湛えていた。
「(……私は彼女たちにも、何かしたのか?)」
全く覚えが無い。けれどどの視線も好意的と受け取るには難しく、私はそれを前にまた分からない事を増やす。
「(問うか?)」
何故、そんな目をするのか。大空兄弟に私が何をしたのか、後ろの少女たちに何をしたのか。問うたところでおそらく答えは無い、けれど聞きたいとも思う。
「やあやあ、ちーちゃん。奇遇だね!」
それは地中から響いた声。昨夜まで聞いていたそれが誰かなど、姿を見ずとも分かった。
くぐもった回転音が近づいてくる、大空兄たちが警戒を露わに砂の地面に目を向け、私は出てくるそれをただ待っていた。そして唐突に、私と大空兄たちとの間の砂が盛り上がり、可愛らしくデフォルメされた人参のような機械が姿を現した。
「ハロハロ! いやあまさかこんなに早くちーちゃんと再会できるなんて束さんは嬉しいね! ね、ハグしよハグ」
「もうしてるだろう」
パカリと開いた扉から出てきた束が飛びついて、事後承諾もいいとこに抱きしめられる。今日は尻餅をつくような事にならなかった。
「……どういうことだ? 昼までは来ないと言っていただろう」
「いや、まあそのつもりだったんだけどね」
「何かあったのか?」
「んーとねー、あのねちーちゃん、怒らないであげてね?」
「……何を?」
嫌な予感、とは違うがなんとも言えない勘が働く。
「くーちゃんがもうこっち向かってるって」
「……そう、か」
クウが向かってる。それが意味することは昨日、束が話していたので分かっていた。だがそれにしたって、早すぎる。そもそも、クウが勝手に行動するなど……。
「さーて、それでさっきからずーっとこっちを見てる君は、何なのかな?」
抱き締めていた手を離してくるりと一回転した束は、そのまま大空兄たちを見て首を傾げた。
「……篠ノ之、束」
「うん? そうだよ私が天才束さんだよ。うんうん、どうやら君は私の名前を覚えられる程度の脳は持ってるみたいだね。一つ分かったよ安心安心」
……本当に珍しい。束がこうも相手をまあ、馬鹿にするというのは。何も分からない大空兄という存在は、束に興味は持たせずけれど、苛立ちと嫌悪を持たせていたようだ。なんとなく、分かってはいたが。
「っお前は……!」
「何かな? さっきからずーっと私とちーちゃんを睨んでたけど、私もちーちゃんも何かしたっけ? ってか私君に会ったことあった? いやカメラで見てはいたけどさ」
「っ!」
憤怒、といった表情。いつもの無表情がどこへ行ったのか、大空兄の表情は怒りと憎悪で染まっていた。
それは束が純粋なまでに問いかけるたびに深まり、握りしめられた拳が目に見えて震えている。
「お前たちが何をした、だと? ふざけているのか!?」
「まさか。あとそっちの大空弟もさ、何なのかなー、睨んできてるけど。それから」
怒声など関係ないらしい束が、ついと大空兄の手首を指差した。
「君の持ってるそれ、何?」
大空兄の存在を嫌悪すれど、束が抱く疑問というのは私が抱くものと同じそれで。分からないからこそ問いかけたそれに、けれど大空兄は憤る。
「お前まで」
「ん?」
「お前まで、それを聞くのか!?」
ほんの一瞬展開されたそれ。距離を詰めた大空兄が束の胸倉を掴み、その腕を振り上げる。
「ふーん……そう、やっぱり」
対して束はといえば振り上げられた手首にあるそれを見つめ、静かに目を細めた。
「駄目ですわ、大空先生!」
殴りかかった大空兄を止めたのはオルコットだった。といってもそれは言葉だけであり、こちらに向かおうとする彼女では間に合わない。
束の胸倉を掴む手を引き剥がし間に割り込む。振り上げられた拳は確かに私に打ち込まれようとしたが、雪桜の自動展開したシールドに弾かれるだけだった。
「っ織斑」
「……なぜお前はそれほどまでに私たちを怒る? 私たちがお前に何をした」
「お前たちがっ、それを分からないと言うのか!?」
「だから聞いてるんでしょ。君も、大空弟も、いったい何がしたいのかな?」
「っどこまでも、ふざけやがって」
……思いのほか、大空兄は頭に血が上りやすいタイプのようだ。気性が荒い、それが今更ながら確認できた。
「俺は、お前たちを許さない。必ず、殺す」
「あっそう」
あらん限りの憎悪を篭めた言葉に、心底からどうでもいい、そんな風に束は言葉を返した。それはもう、知っていることだったから。
そして重ねてもう一度、問いかけようとした時だった。ザクザクと砂を蹴る足音。
「大空先生!」
山田先生が走ってくる。私と束を見て一瞬、驚いたらしく「千冬さん!? 篠ノ之博士まで!? なんで!?」と声をあげたが、すぐさま首を振り私たちの横を通り過ぎて行った。
「んー、聞きたかったこと全く聞けなかったけど、しょうがない。ちーちゃん、いこっか!」
「……ああ」
誘い、手を伸ばされて私は頷き、その手を取る。
分からないことを分かる為とはいえ、これからすることはまるで、
「(悪役だな)」
束にはそんなこと、関係ないのだろうが。そしてその誘いを止めない私も随分と、こいつに影響されていた。
『正体不明のIS』『IS教員は特殊任務体制へ移行し、地上、海上の封鎖』『専用機持ちの皆さんには教員の作業が終わるまでの時間稼ぎを』
通信機は束がこっそりしかけたのだという。いつの間に、と聞けば昨日だと返ってきて、本当に油断も隙も無い。
聞こえてきたのは、現在こちらに向かっているという正体不明のISへの対応について。教員では手が足りず、専用機持ちの彼女たちにも手を貸してもらうようだ。
「クウには言ってあるんだよな」
「うん。余計な被害は出さないように言ってあるから大丈夫。まあ、攻撃して来たらそれなりに反撃してもいいよとも言ったけど」
「……まあ、仕方ない」
緊迫しているだろう彼女たちに比べ、こちらはとても穏やかだ。砂浜と森の境目、その木陰に入って青く広がる空を見上げた。
「本当に、終わると思うか」
「どうだろうね」
分からないよ、と。束が呟く。
「でも、あの子は返してもらわないと。くーちゃんが泣いてるから」
「そうだな」
「あとはどうだろうね。いっくんのことは何だかもう、いいかなぁ」
「……私は、知りたい」
「そっか」
興味を持ったからといって、その興味が永遠かといえばそんな筈もなく。けれど私にとって最も分かりたいことは、変わらずそれだったから。
「やり過ぎないようにだけしろよ」
「大丈夫大丈夫! ちーちゃんは心配性だね」
「……お前の大丈夫は、当てにならん」
束は色々と考える事の基準が違いすぎる。少しばかり心配になりながら、もう遅いとも同時に思っていた。
そう、もう遅い。世間からすれば自分勝手ともいえる理由で、私たちは始めてしまったのだ。
「ちーちゃん」
「なんだ」
「終わったらさ、一緒に帰ろうね」
「……ああ」
広がる青い空に、始まりを告げる姿はまだ見えない。それでも、
『セイ、セイ、セイ』
近づいていた。