臨海学校。IS学園一年生全員が参加の行事、目的地は名前の通り海であり移動手段は各クラスごとにバスが一台用意されている。
私も参加したいということは事前に学園側に話してあり、その際にどうにも専用の移動手段を用意しようなどと話が出たらしいが、それは丁重にお断りした。私一人の為に手間をかけさせるのは悪い。
結果、最も出入りの多い一組のバスに同乗させてもらうことになった。それ自体は概ね問題ない、席は前の方にしてもらった。つまりは教員用のスペースとなっている場所だ。
「……ボーデヴィッヒ」
「はい」
「何故、お前は私の隣に座っている」
「師弟はいついかなる時も共にあるものと」
「それは間違いだ」
二人掛けの席、もとより隣は空いていたが何故かそこにボーデヴィッヒが座っていた。溜息を吐くも、これ以上は無駄だということも分かっている。
「ラウラ……単に千冬さんの隣が良かったと言えばいいだけだろう」
「む、何を言う箒。私は教官を師として心から尊敬している。それなのに隣に座りたいなどと言う幼稚な願望、おいそれと口に出せる筈が無かろう」
「……どこから突っ込めばいいのやら……」
ちなみに、本来のボーデヴィッヒの席は私の後ろ、箒の隣だった。本当にこいつら仲良くなったな。
「あ、海だー!!」
後ろで女子生徒が声をあげ、あれよあれよと騒がしさは更に増していく。ボーデヴィッヒも身を乗り出して窓の外を見やり(窓際は私だ、私の上をボーデヴィッヒが思い切り跨いでいる)、上機嫌に笑った。
「海だぞ、箒!」
「ああ、そうだな」
……まあ、楽しそうだしいいか。
バスに揺られながら、一つ気になったのは注がれ続ける大空兄の視線だった。
「では、千冬さんはこちらの部屋でお願いしますね」
「わかった、ありがとう山田先生」
「いえいえ」
宿での私の部屋は、山田先生の部屋に空き部屋を一つ挟んだ隣。角部屋だった。廊下伝いではあるも隔離された気分になって、けれど階を分けられた大空兄弟に比べればマシであると考え直す。
大空兄弟は男子であることもあって、女子生徒、教員が泊まる階とは別にされている。女子生徒が押し掛けるのでは、と山田先生に聞くも二人は同じ部屋であり、大空兄が教員であることから問題ないだろうと判断されたらしい。上に行くには教員の部屋の傍にある階段を使わなければならないというのも理由だという。
「(まあ、いいか)」
彼らの泊まる部屋がどこであろうと、私にはあまり関係が無い……わけでは無いが、今はいい。
山田先生が自分の部屋へと戻り、私は一人部屋にしても随分と広い部屋を見渡した。さて、これからどうするか。
「やあやあ、ちーちゃん! 昨日ぶり!」
「……なんだ、もう来ていたのか」
荷物を置いたところで押入れが開いた。中にいたのは案の定、というか思った通り束であり、とうっと掛け声と共に押入れから飛び出し抱き着いてきた。
受け止めるも、勢い付きすぎた束にそのまま立っていることは出来ず、床に尻餅をつく形になった。
「痛いだろう、束」
「おおっとごめんよちーちゃん。ね、それでどうする? 海でしょ海だよやっぱり泳ぐ? それとも潜る? 束さん的には砂浜でお城を作るのがおすすめかな!」
「……どれでもいい」
何故コイツはいきなりテンション最高潮なのか。いつもか。
「んー、それじゃあまずは水着だね。エロティックなのと妖艶なのとちーちゃんはどっちがいい?」
「候補が殆ど同義な気がするが」
「気のせい気のせい」
……いつまでも倒れた時の体勢のままなのは辛いな。とりあえず、水着とかの前に束を退かすことにしようか。
「束、いったん退け」
「教官、おりますでしょうか」
「千冬さん?」
襖にノックの音。向こうから聞こえるのはボーデヴィッヒと箒の二人で、さてどうしたものか。
「……失礼します」
「あ、おいラウ……」
返事をするかしないか考えていれば、ボーデヴィッヒが勝手に開けてきた。コイツは意外と遠慮と容赦と礼儀がない。
止めようとした箒の言葉は、開けられた扉の向こう、部屋の中を見て消えてしまった。
「姉さん……」
「や、やあやあ箒ちゃん! すっごい久しぶりだね! こうして会うのって何年ぶりだったかなー? うっふっふ~、相変わらず可愛くて美人でお姉ちゃんは嬉しいよ!」
驚きすぎたのか、もはや感情を感じさせない箒の呟きに束は一瞬喉を詰まらせるも、何事も無いような普段通りの様子で声をかけた。その手が箒たちから見えない位置で、きつく私の手を握りしめている。
「篠ノ之博士……!?」
「お、君はこの前の子だね。えーっと……あー、そうそう。ラウラだっけ? んー、ラーちゃんでいいかな? ちーちゃんどう思う?」
「ボーデヴィッヒの好きなようにさせてやれ」
「そう? ねえラーちゃんでいい? いいよね?」
「あ、は、はい」
「OKだったよちーちゃん!」
「よかったな」
……本当に、ボーデヴィッヒのことは気に入っているようだ。私や箒程なのか、それとも少し下なのかは分からんが、名前を覚えているほどというのは珍しい。
「(クウが喜びそうだ)」
もう知っているのか? 知らないなら、今度教えてやるとしよう。
「姉さん、どうしてここに?」
「んーとねー、ちーちゃんに会いに来たのとあと、まあちょっとね。気になることがあるのさ」
「……」
「束」
疑いの篭った目を向けてくる箒に聞こえないよう、束に話しかける。
「何を心配している?」
「いやだって、さすがの束さんも今ここで箒ちゃんに会うとは思ってなかったんだよ! 心の準備がやばいよまずいよちーちゃんどうしよう!?」
「知るか。ちゃんと言わないと……嫌われるぞ?」
「箒ちゃんちょっといいかな!」
「は、はあ……?」
いともたやすく束を動かす一言だったな。
軽く束の背中を押して踏み出させ、逆に私は一歩下がりボーデヴィッヒを手招きする。箒の目には束しか映っていないらしい、首を傾げながらボーデヴィッヒが私の方へ来た。
「えっと、うーんと、そのね」
「……」
「ひ、久しぶりだね……?」
「っ」
それはさっきも言っただろうに。箒の拳が握りしめられる、ボーデヴィッヒは不思議そうに問いかけてきた。
「箒の奴、どうしたんでしょう?」
「まあ、色々とな。心配せずともこれから始まるのは」
箒の振り上げた拳が、束の頭に吸い込まれた。
「ただの姉妹喧嘩だろう」
主に悪いのは姉であるが。
「っなにが久しぶりですか!?」
「い、いたい……痛いよ箒ちゃん、脳天直撃って結構辛いと思うんだけどな……?」
「知りません! 寧ろそれくらい覚悟して私の前に出てくるべきでしょう!?」
「ぁう……」
「勝手にIS開発して騒がしくして、かと思えば突然いなくなって行方不明! 何考えてるんですか!?」
「そ、その、まあ、ちょっとは悪かったかなぁって、思ってたり、するんだけど」
「ちょっと……?」
「あ、ううん! すっごく、すーっごく悪かったって思ってる!」
怒涛の箒の勢いに呑まれているのか、束は殴られ蹲った体勢のまま、ただ箒を見上げるばかりだ。
対して箒は、束の前に仁王立ちで怒りを露わにしている。箒が怒鳴った瞬間、というより殴った瞬間に隣でボーデヴィッヒがビクリと体を跳ねさせていた。
「……なんで、突然いなくなったりしたんですか」
一転して、箒の言葉はひどく静かなものへと変わった。束が少しだけ体を起こす。
「怒んない?」
「言わなかったらもう一生口ききません」
「……それはやだなぁ」
心底から呟いた束に、箒が静かに溜息を吐いた。
「あのね、私がいなくなったら箒ちゃんに迷惑かからないかなーって、思ったんだけど」
「は?」
「その、世間で知りたいのはISの性能とか、コアの開発方法とかだからさ。それならそれを知ってる束さんがいなくなったら、もう箒ちゃんに寄りつく奴はいなくなると思ったんだけど」
「……」
「いなくなる前に、ちゃんと、箒ちゃんは何も知らないって言ったしさ……だから、箒ちゃんが困ることも無くなるって思ってたんだけど……」
「馬鹿ですか」
「ぅ……」
ズバッと箒の言葉が束を切り裂くように放たれる。天才と言われる束に馬鹿と言える人間がどれだけいるか……私は言うが。
「馬鹿でしょう姉さん。小学生だって、そんなことすれば姉さんを探そうと必死になった者たちが、私や母さんたちを問い詰めることくらいわかりますよ」
「名案だって思って……いや、まあ姿消してからその事に気づいたんだけどね、もう消えちゃった後だったから、どうしようかなって」
「……」
「その、箒ちゃん……」
ごめんね。
掠れるほどに微かな呟きが私の耳にも届いた瞬間、箒がぺたりとその場に座り込んだ。
「ほ、箒ちゃん?」
「……謝る、くらいなら」
「え?」
「謝るくらいなら、もっと早く来てください」
「あ……」
「私が、どんな思いでいたと、思ってるんですか」
何かを抑え込むような箒の言葉は途切れ途切れになって、けれど抑えきれないそれが少しずつ溢れ出していた。
「……楽しみに、してたんですよ」
「それって、ISのこと?」
「そうですけど……空、私も一緒に飛ぶって、約束したのに」
「……うん」
「楽しみに、してたんですよっ」
涙を流して箒が放った気持ちに、束はゆっくりと手を伸ばした。
「ごめんね、箒ちゃん」
「っ」
「ごめんね。忘れたわけじゃなかったけど、守れなくて、ごめんね。ごめんなさい」
「姉さん、のっ、馬鹿……」
「うん。そうだね、馬鹿だったね、私」
抱き締めた箒の頭を撫でる束と、抱き締められ束の胸に顔を押し付けた箒。
馬鹿、と涙を流しながら呟き続ける箒に、ただごめんねと返す束の言葉だけがしばらく、部屋に響き続けていた。
「よかったな、束」
「うん。ありがと、ちーちゃん」
海で遊ぶ生徒たちを眼下に出来る丘の上、私と束は生徒たちから少し離れたところにいる箒とボーデヴィッヒを見ていた。二人とも水着に着替えているが、遊んではいないようだ。
「本当はね、まだ会わないつもりだったんだよ」
「そうか」
「でもでも明日には会いに行こうと思ってたのさ! そして華麗に箒ちゃんと仲直り!」
「出来たのか?」
「……無理かなぁ」
へらりと笑った束が、ボーデヴィッヒと何やら話している箒を見つめている。優しく細められた瞳に、少しだけ、
「(最低だ、私は)」
嫉妬した。
「ちーちゃん」
「なんだ?」
「……泣きそうだよ」
大丈夫? と、問いかけてきた束の手が頬を撫でる。そのまま頭を抱き寄せられ、ギュウギュウときつく抱きしめられた。
「どうしたの?」
「……最低なんだ、私は」
「うん」
「最低、なんだ」
「うん、知ってるよ」
束は、知ってる。私が弱くて、醜くて、最低な人間だと。
「ちーちゃん、大好きだよ」
それでも、そんな私を束は好きだと言ってくれる。
「……ずるい」
ああ、醜い。
「ずるいじゃないか、お前だけ」
こんなの束に言う必要は無いのに。
「私よりもずっと離れ離れだったくせに」
束は何も悪くないだろう。
「自分から離れて行ったくせに」
どうしてこんなにも、止まらない。
「あんなに怒らせたくせに」
すごく、憎らしくて。
「寂しい思いをさせてたくせに」
妬ましくて。
「それなのにお前だけ」
どうしてこんな風にばかり思ってしまう。
「お前だけ」
本当に、最低じゃないか。
「仲直り、出来るなんて」
本当に、
「あんなに、想ってもらえるなんて」
羨ましい。
「ずるい」
ぶつけた言葉はただの八つ当たりでしかない。ただ私は、箒と仲直りできた束が羨ましくて嫉妬しただけだ。
私と一夏は、遠く離れてしまったというのに。束と箒は、ほんの少しの時間ですぐ隣まで来てしまって、そんなのずるいじゃないか。
「ずるいだろ、束だけ。私は、どうしたらいいのかも、分からないというのに」
一夏に倒すとまで言われて、どうすれば仲直りできるかなんて分からない。仲直りできるのかすら分からない。
分かりたいのに、分かりたくなかったものばかり分かって、肝心なことは何一つと分からないままなのに。
「どうしたら……私は……」
一夏を、
「ちーちゃん」
「……」
「私はね、いっくんがずるいよ」
「……何を、言ってる?」
「ずるいよ、いっくんは」
抱き締める腕が、苦しい。
「ちーちゃんがどれだけ束さんを好きって言ってくれても、いっつもちーちゃんの心の真ん中にいっくんがいるんだもん。凄く小さくなっても、ちーちゃんの大事な部分を独り占めしてる。ずるいよ」
「……私は、束が好きだ」
「私も、ちーちゃんが大好き。だから、いっくんに嫉妬するんだよ」
「お前が言う一夏は、今はいない」
「そうだね」
「大空弟の中にいるのかも、分からない」
「うん」
「……でも、思い出には、いるんだ」
「そうだね」
思い出は消えない。温かな夢は消えなくて、一夏の為に生きてきた亡骸も未だ残ってる。
それがあるから私は、大空三春と大空一夏を知りたいと思うのかもしれない。思い出が思い出でしかないのは、温かな夢が夢でしかないのは、亡骸が亡骸になってしまったのは、何故なのか知りたい。
「……好きだ、束」
「私も好きだよ、ちーちゃん」
「好き、だ。大好きだ。好き、好きなんだ」
「うん。大丈夫、知ってるから。わかってるから」
それでも束と共にいた時間で、その想いにこたえ続けた私の気持ちも、本物なんだ。温かくて、幸せな日々だったのは、本当なんだ。
「ねえ、ちーちゃん」
「なんだ?」
「私はね、そろそろ全部、終わらせようと思うんだよ」
「……何をする気だ?」
「分からないことを明らかにするんだよ」
大空兄のこと、大空弟のこと。分からないこと、私がIS学園に来て、知りたかったこと。
「……くーちゃんが、返してって泣いてたから」
「クウが……そうか……」
「もう終わらせる。終わらせないとちーちゃんが苦しいままで、くーちゃんが泣いたままだもん。そんなの、許せないよ」
「……」
「だから、ちーちゃん」
耳元で囁かれた言葉に、
「私を手伝ってほしいな」
「ああ」
私は当然のように、頷き返した。
分からないことが分かった時、私がどうするかなんて、分からない。