医務室のベッドでボーデヴィッヒは静かな寝息をたてている。左目を覆う包帯は痛々しいが、実際に怪我をしているわけでは無い。
箒の手を借りて彼女を飲み込んだそれから抜け出し、その時にはもう腕に抱いていたボーデヴィッヒは安らかな寝顔を見せていた。気を失ったといっても同義だ。
「そうか、束が来ていたのか」
「はい」
壁際に寄せた丸いすに座り壁を背凭れにする。箒はベッドに寄りかかり、ボーデヴィッヒを思ってか声を潜めていた。
「無人機を通して様子を伺っていたみたいです。千冬さんが飲み込まれたことに随分と慌てていましたよ」
「そうか。まあ、それはどうでもいい」
「そうですか……」
言い切った私に、箒はなんとも言えない様子だ。
「私が使用していた打鉄のハイパーセンサーでも、姉さんが使っていた無人機でも、あれの中からボーデヴィッヒの反応を見つけることはできませんでした。でも、微かですが千冬さんのだけは見つけられて……助け出そうにも、情けない事に私の方はエネルギーが殆ど残っていなかったんですが」
箒が申し訳なさそうな顔をする。私が気にするなと言えば、少し苦笑した。
「そしたら、姉さんが無人機のエネルギーを移してくれて、それでどうにか」
「ふむ……束が自分でやらなかったのは、少々意外ではあるな」
「私も思ったので聞いたんですけど、偵察用であって攻撃は出来ないって言ってました」
「そうか」
ただ、と。箒は眉を寄せた。
「エネルギーを移し終わった後、私が離れた瞬間……大空先生が、無人機を破壊しました」
「……」
「正直、私が離れた直後だったのは偶然な気がします。もう少し遅ければ、私ごと斬られていても可笑しくなかった……そんな気がしてならないんです」
思い出したのか、箒は体をぶるりと震わせた。右手で左腕を擦っている、相当な恐怖を感じたのかもしれない。
それだけ大空兄の一撃は容赦のないものだったのだろう。その瞬間を実際に見ていない私には、想像する事しか出来ないが。
「……千冬さんにも姉さんにも、大空先生が何者なのか、分からないんですよね?」
「ああ。分かっているのは、大空兄は私と束を何故か憎んでいて、殺意を持っていること。それから―――」
飲み込まれた先で見た、ボーデヴィッヒに話すアイツの姿。
「IS、もとい私たちは、アイツから何かを奪ったらしい」
その何かが分からんがな。言うと、箒もまた意味が分からないという風に目を丸くしている。私にも分からん。
「その何かが分かれば、大空三春が織斑一夏に話した真実とやらも分かるかもしれん」
「そうですね……でも、本当に何なのでしょう。正直、私はあの人が恐くて仕方ありません」
「……前も、そう言っていたな」
「……あの人と話していると、私の中の何かが、可笑しくなっていきそうな気がするんです。よく、分からないですけど」
箒の言葉に、私はボーデヴィッヒを見やる。大空兄と話した後のボーデヴィッヒの声は、明らかに可笑しかった。理由など無く、可笑しいと思える声だった。
「……結局、分からないことの方が多いか」
近づいている気はする。だがそれ以上に遠のいている気もする。繰り返し、繰り返し。
「んっ……」
微かな呻き、ボーデヴィッヒを見やるとその瞼がゆっくりと開き始めた。箒がベッドから離れ、私もまた壁から背を離す。
「ここ、は……」
「目が覚めたか、ボーデヴィッヒ」
「……教、官? それに、しのの、の……」
「よかった……」
箒はほっと胸を撫で下ろして呟いた。安心からかほのかに笑みが浮かんでいる。
ボーデヴィッヒが上体を起こそうとするのに手を貸してやると、彼女はそのまま私を見上げて「何があったのですか」と問いかけてきた。
「どのあたりまで覚えている?」
「……拒絶反応が出始めてからはひどく曖昧で……気づいたら、なんだか暗くて、苦しくて……寒い場所に、いた気がします」
「そうか。なら、とりあえず私と箒が目撃したことについて話そう」
箒が見た、ボーデヴィッヒが黒い何かに飲み込まれる瞬間。私が見た、飲み込まれた先での光景。私の話の時は、箒に少し離れていてもらう。ボーデヴィッヒの内面に深く関わるものであったから。
「そして、お前を見つけた私が箒の手を借りて外へ出る事が出来た……後は、今お前が診ている通りだ。お前は医務室に運ばれ、今までずっと眠っていた」
「……わ、たしは……」
青ざめ、震える姿は何かに怯えているようであった。遠目に箒がチラチラと様子を伺っていたが、まだ呼ぶわけにはいかない……というより、この場にいさせない方がいいかもしれない。
「箒、すまないが……」
「……わかりました。ボーデヴィッヒ」
「……?」
医務室を出る前に、箒はボーデヴィッヒに呼びかけた。
「今度、また一緒に飛んでくれないか?」
「……」
唐突に問われた彼女は、けれど少し嬉しそうに笑って小さく頷き返す。箒は満足げな顔をして医務室を出て行った。
「……お前たち、いつの間に仲良くなったんだ?」
「あ、いえ、そんなつもりは……」
「……まあいい。話を戻そう」
今度聞けばいいしな。
「……お前が学園に来た本来の目的は、私と大空兄弟だったんだな」
「……はい」
「ああ、言っておくが別にそれをどうこう言うつもりは無い。聞きたいのは、私が話した内容で本当にあっているのかだ」
見るからにボーデヴィッヒの体は強張って、ガチガチのまま、絞り出すように肯定の意が告げられた。
「……強くなりたいとお前は言ったな。隊長の為に、強くなりたいと」
「はい」
「本当に、それだけだったのか?」
隠し事が出来ないのは、ボーデヴィッヒも分かっているだろう。
「……失くしたく、なかったんです」
ぽつりと零れた。
「最初は、どうすれば近づけるかと考えていました。常に二人揃って行動する大空兄弟よりも、比較的一人で行動する教官の方が、接近しやすいと考えました」
「では、私に見つかるのも計算のうちか?」
「いえ。接触するのはある程度の情報を集めてからと思っていたのですが……やはり、教官は凄いです」
「……こんな時にお世辞はいらん」
言うと、ボーデヴィッヒは少々不満そうな顔をする。それから、気を取り直して話し出す。
「あの時、私は不意に思ったんです。教官にISを教えてもらえれば……強くなれるのではないかと。そうすれば、隊長や、隊の人たちの役にたてるって、そう思ったんです」
「……思ったよりも考えなしだな、お前は」
「そのようです。私は、ただ、強くなりたかった」
ぽたぽたと、ボーデヴィッヒの右目から涙が滴る。けれどまるでそれに気づいていないように、彼女は話し続けた。
「落ちこぼれだった私を、足手纏いでしかない私を、隊長たちはみんな、受け入れてくれたんです。優しくて、温かくて、凄く凄く幸せで……だから、失くしたくなかった」
涙がシーツに滴り落ちる。
「ISは私から、強さやそれまで築いた評価を奪って行った。そうなって私は初めて、私にはそれしか無い事に気づきました。失う前まではそれでいいと思ってました、私は最初からその為に産まれてきた存在だったから」
「……」
「失くして、落ちこぼれとされて……私は、隊長に会えた。一人で、空っぽだった私はみんなに会えて、たくさんのものをもらいました」
「……」
「優しさに触れて、温かさに触れて……それまで私がいた場所が、とても暗くて寒い場所だったと気づきました。気づいて、少し後悔しました」
ギュッと、気づけばボーデヴィッヒの手はシーツを握りしめていた。
「失くすのが恐かった。暗闇に戻るのが恐くて、一人に戻るのが恐くて、何よりも、みんなに会えなくなることが恐かったんです」
「……」
「もっとみんなと一緒にいたい。たくさんもらったから、今度は私もみんなに返したい。私はあそこが好きなんです。みんなと一緒にいることが、凄く温かくて、優しくて、幸せなんです」
「……そうか」
「だから、何としても守りたかった。みんながいなくなるなんて、今の私にはもう、耐えられない」
泣きながら、ボーデヴィッヒは薄ら笑っていた。
「怒られてもいいから、守りたかったんです」
「そうですか。それなら存分に怒ります」
唐突に声が割り込んできて、ボーデヴィッヒは驚いたように医務室の扉へと目を向けた。扉の前には一人の女性が立っている、それはボーデヴィッヒの記憶で見た女性だった。
「ハルフォーフ隊長……」
「お久しぶりですねラウラ……といっても、貴女が勝手に日本へと発ってからですので、一月ぶりくらいですか」
「は、はい……」
カツカツとブーツを踏み鳴らして入ってくる軍服をピッシリと決めた女性、クラリッサ・ハルフォーフ。
その身から滲み出る怒気に気圧されたか、ボーデヴィッヒはベッドの上で身を縮め頬を伝う涙もそのままに彼女を見上げている。
「とある方からの報告で、貴女がここでどれだけ暴走したのかはわかりました」
「は、はい」
「その理由については、先ほど外で立ち聞きさせてもらいました」
「はい!?」
さらりと言ってのけたな。
私は、箒はどこにいったのかと思いながら、邪魔にならないよう壁際へと移動する。出て行った方がいいかとも思ったが、気になることもあるのでそのままいることにした。
「……まあ、それ以前に貴女が私に何の報告も無く行動した時点で、それ相当に調べてはいましたが」
「そう、なのですか」
「はい。だから貴女が、その科学者に呼び出され命令されたことも知っています」
「っ!」
ボーデヴィッヒがハルフォーフから目を逸らす。けれどハルフォーフは、そんなボーデヴィッヒの顔に手を伸ばし、
「ありがとう、ラウラ」
抱き締めた。
「隊長……?」
「そして、すみませんでした。貴女が一人で抱え込んでいることに、気づけなくて」
「っそんな、私は、なにも」
「……貴女が強さを求めていることには知っていました。その為にいつも頑張っていることも知っていました……貴女が、未だに自分を落ちこぼれだと思っていることも、知っていました」
彼女は全てを知っていたらしい。ボーデヴィッヒは驚きに目を見開き、抱きしめられるがままになっている。
「ラウラ、貴女は落ちこぼれでも、出来損ないでもありません。私たちの隊で誰よりも一番努力家で、優しさを知っている人です」
「そ、そんなはずないですっ。だって、私は」
「私も隊のみんなも、貴女のことが大好きです。貴女は私たちの大切な仲間です。お願いですから……貴女の手をもっと、私たちに預けてくれませんか?」
「っ……」
ボーデヴィッヒは目を見開いて、ハルフォーフの言葉に驚いているようだった。
やがて、シーツを握っていた手から力は抜け、そっと持ち上げらえたそれは随分と時間をかけて、ハルフォーフの背へと回された。
「たい、ちょ」
「はい、ラウラ」
「勝手に、行動して……ごめんなさい」
「はい」
「どんな、罰でも受けますから」
「はい」
「私は……一緒にいても、いいですか」
「もちろんですよ、ラウラ」
失くしたくないとボーデヴィッヒは泣いていて、それほどに彼女にとって目の前の隊長や、ここにいない隊員たちは大切な存在なのだろう。
目尻に涙を光らせて笑う彼女は、とても嬉しそうだった。
「……挨拶も無しに申し訳ございません、千冬様」
「いえ、話は済んだのですか?」
「はい。……彼女を助けていただき、ありがとうございます」
ハルフォーフに頭を下げられる。その隣でもベッドの上で、ボーデヴィッヒが一緒になって頭を下げていた。
「それはいいんですが……一つ、聞いても?」
「なんでしょう」
「どうして様付するんです」
また千冬様。どうしてこうも、会う人会う人みんな揃って私をそう呼ぶのか。束の存在が後ろにあるからだとすれば、もう諦めるしかないが。
「……千冬様は、私にとって、いえ……世界中の女性にとって、憧れの存在ですので」
「……はい?」
「第一回、第二回モンド・グロッソでのご活躍。映像で何度と拝見しましたが……今でも見惚れるものです」
「……なんですかそれは」
いつの話をしているんだ。
「それに、ランキングでは未だ千冬様を越えるものはいません。同時に、千冬様のレベルをクリアする者も、未だ現れていません。憧れるなというほうが無理です」
「ランキング?」
「……ご存知ないのですか?」
驚いたハルフォーフに頷いて返す。ランキングもクリアも、何のことかさっぱりだ。
「篠ノ之博士が、コアネットワークを利用した全IS参加のゲームを世界中に公表したんです。複数のターゲットをどれだけ破壊出来るかという単純なものですが、軍の訓練にも取り入れられています……半分は、娯楽目的ですが」
「……全IS……束の奴……」
「ランキングは誰でも閲覧可能、そのトップは常に千冬様です。千冬様がパーフェクトでクリアされたSランクは、挑戦者こそいますがクリアに至った者すらいません」
「……そうか」
あまりのことに口調を改めるのすら面倒になった。束の奴、私に黙って何を……そういえば、無重力の部屋同様に束が用意したものの中に、バカみたいな数のターゲットが出現する部屋があったな。もしかして、あれのことか?
「……ボーデヴィッヒにも言ったのだが、様はやめてくれ。そんな風に呼ばれるのは、どうにも落ち着かん」
「そうですか……ちなみにラウラは、千冬様のことをなんと呼んでいるんですか?」
「教官とお呼びしています!」
「では、私も千冬教官と呼ばせていただきます」
「ああ」
……気になっていた事の一つが解決したところで、本題に入るとするか。
「先ほど言っていた、ドイツに報告したというのは……誰のことだ?」
学園の教師が報告したのなら、あんな風に言う必要はない。それに、報告が早すぎる上、ハルフォーフが来るのも早すぎる。明らかにおかしい。
「……それをお話しする前に、お願いがあります」
「なんだ?」
「部下の罪は、全て隊長の罪。許してほしいということがおこがましいのも分かっています、それでも―――ラウラを、許してください」
「た、隊長!?」
土下座。ハルフォーフは言い終わるや否や、頭を床に擦りつけるのではと思う程の勢いで、その体を床に押し付けた。
……分からない。彼女がどうして、そんなことを言うのかも、こんなことをするのかも。
「ラウラのことを報告してくださったのは、篠ノ之博士です」
やめてくれ、と頼み立ち上がらせたハルフォーフは、まず私の質問に答えてくれた。正直、予想していた答えではある。
「……その報告に、上層部はラウラの処分を言い出しました。全ての責任を、彼女になすりつけようと」
「っ……」
「私の部隊はその時、ラウラに命令した科学者を特定したところでした。ですが、その……」
言いよどむハルフォーフ。促すと、彼女は困惑を強くして呟くように言った。
「消えてしまったのです。データ上から、更にはその科学者が映っていた筈の映像からまで」
「……何?」
「それに、誰一人と科学者の名前を覚えていないんです。いたことは覚えているのに、どんな外見であったかも、何も……ラウラ、貴女は覚えていますか?」
「……いえ。私も、呼び出されたことは覚えていますが」
奇妙な存在。それはひどく不思議で可笑しくはあったが、いなくなってしまったものをどうにかしている暇は無かったと彼女は言う。
「暴走の原因も何も分かっていないまま、ラウラに全ての責任を押し付けるなど許せませんでした。だから、上層部に掛け合おうとしたのですが、そしたら……」
束から通信が入ったのだという。ハルフォーフが入室したタイミングで、ご丁寧に映像つきで。
「ラウラ・ボーデヴィッヒのことは自分と千冬教官に一任すること。そうすればあとは、こちらで何も無かったことにしてあげる、と」
「それはまた……無茶を言ったようだな」
「ですが、上層部にとってはラウラ一人を捧げ保身に走れる提案でした」
「……とりあえず、貴女が頭を下げた理由は分かった。重ねて尋ねて悪いが、どうやってこんなに早くここへ来た? さすがに早すぎると思うのだが」
「それは……」
「私が連れて来たんだよちーちゃん!」
扉では無く開けられた窓。飛びこんで来た束が抱き着いて来て、出会い頭だが一発拳骨を見舞った。
「ちーちゃん、愛が物理で痛いよ……」
「すまんな、言いたいことはあるんだがまずはやっておきたかった」
ダウンした束に説明を求める。相当に痛かっただろうと思ったが、すぐさま起き上がったので大丈夫だったらしい。
「箒ちゃんから、私が見に来てたのは聞いてる?」
「ああ」
「あの後ねー、大空兄にぶち壊されてからさ、別で飛ばしてたカメラの映像でちーちゃんが無事なのは分かったから、ドイツにね、その子頂戴って言ったの」
「!?」
その子、と指差されたのはボーデヴィッヒ。指された本人とハルフォーフは、束が現れてから固まったままだ。
「気になることがあったからさー。で、そしたらそこの女が来てさ。ほら、こういうのって保護者の同意がいるんでしょ? だからちゃーんと連れて来たんだよ。偉い?」
「……束」
「えっへへ~。褒めてくれてもいいよちーちゃん」
右手で束の頭を掴み、思う存分に力を篭める。ギリギリギリギリ、ミシミシと、音が鳴っても気にせず続けた。
「ち、ちーちゃんちーちゃん、束さんの頭がパーンしそうな感じ……」
「一日、というより半日も経たない間に色々とやり過ぎだ。無人機もボーデヴィッヒの件もハルフォーフ殿の誘拐も、ついでに言うなら学園への侵入もな。自分が指名手配されてるのを忘れたのか?」
「そ、それを言ったらちーちゃんがここにいること自体がががががが」
「……まあ、そうなんだがな」
パッと手を離す。床で悶える束に溜息を零しつつ、呆然唖然の二人を見やる。
「予想以上にご迷惑をおかけしていたようで、申し訳ない」
「い、いえ……」
返事はあるが思考は正常とは言い難そうだ。今はまず、束の話を聞いた方がいいだろう。
「ハルフォーフ殿の話だと、ボーデヴィッヒの扱いは私とお前に一任されたとのことだが……お前、どういうつもりだ?」
「んーとねー、まあどうってことでもないんだけどさ。ちーちゃんの話を聞いてたら気になっちゃって」
「珍しい事もあるものだな」
良い事であるが。
束には、ボーデヴィッヒのことを既に話してある。その日あったことについて話すだけであったが、最近ではもっぱら箒とボーデヴィッヒのペアを見ていたので、自然とそちらに流れていった。
「拒絶反応ってのも気になるし、あの暴走もね。なーんか嫌な感じだから、ちょっと調べてみようと思ったの」
だから、と束はボーデヴィッヒに手を差し出した。
「君のナノマシン、私に頂戴?」
「……え?」
なんてことの無いように、何ら不思議な事でも無いように、束は告げる。ボーデヴィッヒは意味が分からないように困惑する。というより、話に着いていけてないようにも見えた。
「どういうことだ、束」
分かりやすく説明しろ、と。促すと、束は首を傾げた。
「飲み込まれた打鉄のコアはさっきこっそり回収して調べて戻しておいたけど、暴走の原因になりそうなことは無かったよ。あ、でも怯えてたからくーちゃんにお願いしてネットワーク通して宥めてもらったけど」
「……で?」
「それ以外にも暴走の原因になりそうなことは無かったし、拒絶反応のこともあるからさ。その子に入れてるナノマシンが一番怪しいなーって思ったから、頂戴って」
「そうか」
相変わらず無茶をやり無茶をし無茶を促すな。
「あの、頂戴というのは、その……」
「だから、君のナノマシンを調べるって言ってるの。その為に君の体からナノマシンを取り出すってこと」
「……それは、可能なのですか?」
戸惑い続けるボーデヴィッヒに代わるようにハルフォーフが問いかけた。束は呆れたように言い放つ。
「可能も何も、入れたんだから取り出せるに決まってんじゃん」
おそらく、世間ではまだ取り出せないのだろうな。取り出せるなら、不適合だった時点でボーデヴィッヒの中からナノマシンを取り出していた筈だろう。
「……ああ、うん、大丈夫。ちゃんと代わりはあげるから」
「代わり?」
「取り出したナノマシンに代わって、そこの女と同じようなのを入れるって。君自身はそれで何も変わらないし問題なし」
「……」
半ば一方的に話を進める束に、ボーデヴィッヒもハルフォーフも言葉を失っていた。再度、溜息が零れる。
「暴走の原因は、ボーデヴィッヒの中にあるナノマシンの可能性が高いんだな?」
「うん。ついでに言うと、そのまま残しておいたらまた同じように暴走する可能性もあると思うよ」
「っそんな!」
嫌だ、と言わんばかりにボーデヴィッヒが声をあげた。
「……ボーデヴィッヒからナノマシンを取り出して、問題ないのか?」
「ないない無問題。代わりのだってちゃんとその子に合うように調整しちゃうって。束さん出血大サービス!」
「……まあ、やるなら同意の上でだ」
当然だが。
「……本当に、私は隊長のようになれるのですか」
「ラウラ……」
「その女のようになるかどうかは知らないけど、それを入れたままにするよりは最高によくなるんじゃない? 束さんはそいつが貰えればそれでいいから、取り出した後は君の好きにすればいいって」
「ならっ」
お願いします、と。束の提案に肯定を示したボーデヴィッヒの手は、けれどハルフォーフの服を強く握っていた。
「うんうん、素直ないい子は束さんも好きだよ。じゃ、ちゃちゃっとやっちゃおうか!」
束が取り出したのは注射器に似た機械だった。注射器のようなシリンダー、けれど針があるべき場所には輪っかがあり、それをボーデヴィッヒの手首に嵌める。
「ラウラ……」
「……大丈夫です、隊長」
服を握るボーデヴィッヒの手を握り返すハルフォーフ。気丈に笑いかけるボーデヴィッヒに対して、彼女の顔は不安に揺れていた。心配で仕方ないといった、そんな顔。
「ほい、おーわり!」
作業は数秒で終わる。シリンダーのピストンをゆっくりと引いて、束は注射器似のそれを眺め満足げに笑った。
「どうだった?」
「んー、ナノマシン自体はあまり残ってなかったよ。まあ、暴走する可能性があったのには変わらないけど……調べるには十分」
「そうか……なあ、ボーデヴィッヒ」
ボーデヴィッヒは輪っかを外された手首を、奇妙なものを見るような目で眺めていた。
「どうした?」
「い、いえ。あまりにも簡単に終わったので、何が何やら……」
「……包帯、外すぞ」
言ってから、小さく頷くのを待って手を伸ばす。左目を覆う包帯を外せば、そこにはウサギの目にも似た赤い瞳が光っていた。
「ラウラの目が……」
「左目は、ナノマシンの影響で金色に変色していたんだったな」
「はい」
「頭痛や吐き気はあるか? そもそも、見えてるか?」
「……」
ボーデヴィッヒは無言で首を振った。
「右目と同じように見える、それだけです」
「そうか」
「……ラウラ」
ハルフォーフがジッと、ボーデヴィッヒを見つめ静かに口を開く。準備が出来たらしい機械を持って勝手に始めようとする束を押さえつけた。
「貴女が望むなら、ナノマシンを入れずとも構わないんですよ?」
「え?」
「もともと、貴女は左目を封じた上で私たちと互角に戦えるだけの力を持っています。拒絶反応が無くなったなら、貴女が私たちを越える日だって来ると私は思っています」
「い、嫌です! だって、そしたらみんなと、違う……」
「違いませんよ。貴女が、私たちの仲間である事に変わりないんですから」
ふるふると首を振るボーデヴィッヒに、ハルフォーフは優しく微笑む。
「入れるなと言っているんじゃないんです。ただ、貴女なら入れずとも問題ないほどに強いんだと、知ってほしくて」
だからどちらでも、決めるのは貴女だと。ハルフォーフの言葉に、ボーデヴィッヒは手を離さずに顔だけ俯かせた。
赤い両目が考え込むように細められ、それから誰にでも無く頷いた。
「隊長」
「はい」
「私はそれでも、みんなと同じが良いです」
「……そうですか」
「はい」
顔を上げて、ボーデヴィッヒは力強くハルフォーフを見つめる。
「もっと強くなって、いつか、隊長よりも強くなってみせます」
「……ふふっ、それは凄いですね。ラウラ相手では、私もうかうかしていられません」
少しおかしそうに、楽しげに笑ったハルフォーフがボーデヴィッヒの頭を撫でた。優しく撫でているその顔は、とても愛おしげだった。
「お願いします、篠ノ之博士」
「あ、もういい? じゃ、やるよー」
……退屈そうにそれを眺めていた束だけが、この空間には場違いな存在だった。いや、私もか。
先ほどと同じように輪っかを嵌め、今度はピストンを押し込んで行く。シリンダーの中身を目視することは出来ないが、ナノマシンがボーデヴィッヒの中に入れられている筈だ。
「んー、はい、終わり」
あっさりと束が告げる。ボーデヴィッヒは左目に手を伸ばし、瞬きを繰り返した。
「まあ、さすがにすぐ慣れるかっていったらどうだか分かんないけど、とりあえず問題は無いでしょ?」
「どうだ、ボーデヴィッヒ」
「ラウラ?」
見た目に変化は無い。ボーデヴィッヒの左目は金色へ変わることなく赤いままで、彼女は嬉しそうに笑った。
「問題ありません。ナノマシンは、正常に動作しています」
「……よかった」
心底からほっとしたような声。ハルフォーフがボーデヴィッヒを抱きしめ、抱きしめられたボーデヴィッヒは目を閉じてやはり嬉しそうに笑っていた。
「ちなみに機能のオンオフも可能にしてみたよ、って聞いてるかな?」
「もう少し待ってやれ」
抱き合う二人を眺めながら、私は束の相手をする。窓から差し込む夕日の向こう、あちらはオレンジに染まり温かいのに、こちらは影に染まり暗かった。
「……ねえ、ちーちゃん」
「どうした」
「やっぱりね、気持ち悪いよ」
寄り添った束が私の手を繋いできたので、その手に指を絡ませた。
「大空兄のこと、見たんだよな。どうだった?」
「うん……」
力なく寄りかかられて、受け止める。目の前の束はいつになく、弱弱しい。
「……分からなかったんだ」
「……」
「せーくんかどうかも分からなかった。ううん、それどころか」
一切、何も分からなかったんだ、と。呟くように囁くように、告げられた言葉に私はまた、分からないことが増えてしまった。