「千冬様!」
約束の場所で待っていると、ボーデヴィッヒが嬉々とした表情で走って来るのが見えた。「お待たせしました」と、そう見上げて来る姿に思わず溜息が零れる。
「ボーデヴィッヒ、様はやめろと言ったはずだが?」
「ですが……」
「いいから、様だけはやめろ。だからといって呼び捨てが良いとも言わんが……とにかく、それ以外で呼べ」
最初に会った山田先生も、盗み見てはこそこそと会話する生徒たちも、どうして揃いも揃って「千冬様」などといったふざけた呼び方をするのか。様などをつけて呼ばれるような事をした覚えは本当に無いんだがな。
「千冬様……」
「やめろ。織斑さんでも千冬さんでも、この際もう殿とかそういうのでも構わん。とにかく様はやめろ」
クウに呼ばれるのはアイツの性格や立場上もう慣れたが、それ以外から呼ばれるのはどうにもむず痒いし落ち着かなくてかなわん。少なくとも、話すたびにそのように呼ばれるなど辛抱できない。
ボーデヴィッヒは心底難しい顔をして考え込んでいる。適当に織斑さん辺りで妥協しておけばいいものを。
「では、教官とお呼びします!」
そして顔をあげたボーデヴィッヒの期待に満ちた瞳が、私にはとても眩しい。
「……ボーデヴィッヒ、お前が軍人である故に何かを教える立場の人間を、教官と称するのは分かる。だが、その前に一つ問題があることに気づけ」
「何か駄目でしたか?」
「昨日も言ったが、私はお前にISを教えると決めたわけではない」
なので、この呼び名は不適切だ。むしろ山田先生の方がふさわしい呼び名だ……いささか、彼女には硬すぎる気もするが。
呼び名を否定され、更には自分の期待と反対の事実を突き付けられたからか、ボーデヴィッヒは見るからに落ち込んだ様子で肩を落としていた。
「分かっています。ですが……」
期待するのはやめられない、か。
ボーデヴィッヒを期待させるのには、バッサリと切り捨てずにこうして今日まで持ち越した私にも責任があるな。
「……まあ、何でもいいと言ったのは私、か」
「では!」
「そう呼びたいなら呼べ。行くぞ」
「っはい、教官!」
歩き出した私を追いかけてくるボーデヴィッヒは、とても嬉しそうに笑っていた。
事前に山田先生に確認したところ、第一と第二アリーナは利用者が多いそうだ。ボーデヴィッヒは「第三アリーナは少ないのでは?」と言っていたが、たしかに利用者は少ないがいるのが問題だった。
「昨日も話した通り、私の立場上お前だけに何かをするというのは、今の均衡状態を崩しかねんことだ」
「はい」
「だとすれば、少なかろうが多かろうが、目撃されること自体を避ける必要がある」
だから必要な条件は、人がいない場所だ。その為に山田先生から、今日利用者がいないアリーナについて聞いてある。
「ここだ」
「……第五アリーナ、ですか」
「ああ。山田先生に頼んで、今日だけはここの利用を控えてもらっている」
立場の乱用である。まあ、ばれなければ問題ないともいえるが。
第五アリーナは第一から第四までに比べると狭く、また距離もある為移動に時間がかかる。その為、放課後の利用は敬遠されがちなんだという。
普段から利用者が少ないというのは、こちらとしては好都合だった。貸切にもしてもらったし、気をつけておけば見られるということは無くなった。
「施設自体は何ら他と変わらん。とりあえず、まずはお前の実力を見せてもらう」
「はい!」
むき出しの地面が広がるアリーナで、ボーデヴィッヒには待機を命じて準備に取り掛かる。用意する物は二つ、ターゲット用のフリスビーとIS用遠距離装備である銃だけだ。
「ランダムに私がこのターゲットを飛ばす。お前はそれを打ち落とせ」
「了解しました。訓練機はどうしますか?」
「いらん」
「え?」
私の答えにボーデヴィッヒは驚き、目を瞬かせた。
「しかし教官、その装備はIS用では……」
「問題なかろう。その気になれば、生身でも十分扱える」
「は、はあ……」
困惑気味ながら、「教官がおっしゃるなら」とボーデヴィッヒは銃を手に取る。IS用の装備であるそれは小柄なボーデヴィッヒよりも長さがあり、彼女は最適な構えを模索しているらしく何度となく持ち替え、やがて一つの型に落ち着いた。
「射撃の反動については、最低限まで抑えるようにしてある。さすがにそれをどうにかするのは、何度となく経験が必要になるからな」
「教官は可能なのですか?」
「……まあ、一応な」
つき合わされた結果だが。
「では、始めるぞ」
「はい、お願いします」
ボーデヴィッヒから距離を取り、空に向けてターゲットを投げる。これもまた発射する専用の機械があるのだが、それを操作するにはアリーナ二階の操縦室に行く必要があり、それだと手間がかかって面倒なのでターゲットのみ拝借した。
バンッ、と空気を裂くように銃撃が響き、空に浮かんだターゲットが砕け散る。一枚ずつならばミスは無く、何枚か纏めた場合は一、二枚撃ち逃していた。
「(七割、か)」
使い慣れた武器ならまだしも、身の丈に合わないIS専用武器を生身で使用して、この結果。
「どこが落ちこぼれなんだ」
十分に優秀じゃないか。ターゲットを投げ終え、銃を地面に下すボーデヴィッヒに近寄った。
反動を抑えたとはいえやはり負担はあったか、腕の動きを確認している。その手を取り、問題が無いかを確認した。
「痛めてはいないな。持ち方が良かったか……おい、どうした?」
ボーデヴィッヒが硬直している。呼びかけると、ハッと我に返ったのかぶんぶんと首を振った。
「な、何でもありません!」
「そうか?」
「はい! ……あの、それで結果は……?」
どうでしたか、と。不安げな表情を浮かべるボーデヴィッヒに、先ほど思った通りのことを伝える。
「命中率は七割程度。初めての、しかもIS用の装備でこれだけやれれば十分に優秀だ」
「本当ですか!?」
「ああ。正直、私が教える必要などないと思うくらいにな」
「そ、そんなっ、私などまだまだで……」
謙遜、ではないな。心底からそう思っているようだ。
「隊長の為にも、私はもっと強くならなければ……」
呟くボーデヴィッヒの言葉に、昨日も同じことを言っていたなと思う。
拾われたと言っていたが、事情は分からないもののコイツにとってはとても大きなことだったのだろう。
「……左目は、全く使えないのか?」
「……いえ、大丈夫です」
強張った反応に、すぐにその言葉が嘘だと分かった。
「左目を使用した場合、お前の世界はどんなふうに見えている?」
「……奇妙な程に視界がクリアになります。こちらの処理が早くなる為に相手の動きが遅く感じられ、遠くのものもきちんと確認できます」
「……たしかに、ISのハイパーセンサーにも同様の機能があるな。単純に考えるなら、同時に使った場合の処理は常人の上、か」
少なくとも、上手く活用すれば優位に立つことが出来るだろう。もっとも、ボーデヴィッヒの場合は……。
「適合に失敗したと言っていたが、視界自体は成功者と同様なのか?」
「……おそらくは」
「どういった不具合が出る」
「……使用時には激しい頭痛が常に襲います。短時間で吐き気がし、視界がぼやけてきます」
「そうか。言っておくが、それは少しも使えるとは言わんぞ」
「……」
全く使えないと同義だろう。馬鹿な意地をはろうとしたな、コイツは。
「(情報を処理できないナノマシンによる悪影響、か。もしかして、他にも何か影響が出ているのか?)」
その為にボーデヴィッヒが必要以上に自分の能力を卑下している可能性はある。となると、それを確認したいところだがどうしたものか。
「……次はISを動かしてみるか」
「はい」
緊張した様子で頷くボーデヴィッヒ。今日の授業を見る限り、歩行レベルの動きなら問題は無さそうだったが(軍人ならばその程度は当然ともいえるが)。
格納庫から訓練機、打鉄を運び出す。待機状態のそれをボーデヴィッヒが装着し、私の指示を待っている。
「軽く飛んでみろ。好きに動いて構わん」
「では」
地面から空へ飛びあがる。ぐんぐんと上昇し、ピタリと動きが制止した。そうして今度は直線から曲線、急降下から急上昇と申し分ない動きをしてみせる。
特に問題は無いように思え、ちょうど下降してきたボーデヴィッヒに声を張り上げた。
「ボーデヴィッヒ! これから投げるターゲットを破壊しろ!」
「っ了解しました」
……一瞬、ボーデヴィッヒが息を呑んだように思えたのは気のせいか?
新しく出したターゲットを投げる。先ほどと違い空を自由に動けるボーデヴィッヒに合わせ、高く飛んでいくように意識したそれは肉眼で確認するのが困難なほどに遠のいた。
ボーデヴィッヒの構えた銃がそれを撃ち抜く。繰り返し投げたターゲットをボーデヴィッヒは撃ちぬき、時に斬りつけて確かに破壊して行った。
「(どこが落ちこぼれだ)」
結果を見て思うのは、先ほどと同じこと。手をあげて下りてくるように合図し、急降下して地面数センチでピタリと制止したボーデヴィッヒに、私は溜息が出るだけだった。
「ボーデヴィッヒ、お前は何故、自分を落ちこぼれだと思っている?」
「事実です。左目への処置の結果、私の戦闘能力は平均を下回るほどに落ち込みました」
「それは直後の話だろう。その後はどうなった? お前が言う隊長とやらに拾われた後は?」
「……隊長の訓練のおかげで、ある程度は処置前まで戻すことが出来ました」
つまり、それは落ちこぼれだったと、まさしく過去形になる筈だが。
「それでも尚、お前は自分を落ちこぼれだと言うのか?」
「はい」
「何故だ」
「……」
沈黙。答えを待てど言葉は返らない。
「……ラウラ・ボーデヴィッヒ。一つ聞かせてくれ」
言葉は返らず、それなら私のしたいようにさせてもらう。
「お前はISが嫌いか?」
私の問いに、ボーデヴィッヒは見るからに顔を強張らせて、唇をキュッと一文字に結び目を逸らした。
……別に、可笑しなことではない。ボーデヴィッヒの話を聞く限り、ISが登場するまでは優秀だったコイツが、IS登場後にそれの為だけに施された処置が原因でそれまでの全てを失い、落ちこぼれとすらいわれていたのなら。
そもそもの原因となったISを、憎んでいてもおかしくない。
「(箒も、そうなんだがな)」
ISによって周囲の環境が激変し理不尽に投げ込まれた箒。
ISによってそれまでの全てを失い、落ちこぼれとまでいわれたボーデヴィッヒ。
箒は、思うところはあったようだがそれでも、IS自体を嫌っているわけではない。それは私も束も喜ばしい事で……けどそれは箒であったからで、ボーデヴィッヒまでそうとは限らない。
「……ISが無ければ、私は優秀な兵士のままでいられました」
俯いたボーデヴィッヒの呟きが、静かに、私の胸に突き刺さった。
「(この目だ)」
暗い光。大空兄弟とよく似たその瞳が、不気味に光って見えた。
机に置いた円盤状のそれの上で、束が不機嫌な顔をしている。
「なんで?」
「分からん」
「どうして?」
「分からん」
さっきからこの調子で、話が一向に進んでいない。さすがにそろそろ鬱陶しいな。
「なんで大空三春がISを持ってるの?」
「分からん。それに、アイツの言葉からするにISだとは限らない」
「けど、ISとよく似てたんでしょ?」
「ああ」
見れば見るほどISとしか思えなかった大空兄の持つ機械。ISと確信できない理由は、大空三春がISでは無いと言っているからでしかなかった。
「意味分かんない」
「私もだ」
気に入らないな、と。束の呟きからひどく苛立っているのが分かる。
束は何でも分かるからか、分からない事を許しておけないところがあった。分からないが興味に繋がる場合もあるが、大概は分からないものに対し不機嫌になり、徹底的に解明しようとする。
大空兄に対してこうして苛立つのも、アイツの存在自体が分からないからだろうな。
「……おそらく、また近いうちにアイツがアレを装備する日が来るだろう。近々ばれると言っていたからな」
「じゃあ、その時に私も確認することにしようかな。もしかしたら、せーくんかもしれないし」
「だといいな」
せーくん、クウの片割れのIS。束の力を持ってしても行方が分からないIS。想い続けるクウの為にも、早く見つけたいものだ。
「ああ、それからさー……」
「ん?」
「大空兄がちーちゃんを攻撃したって、その子から報告があったんだけど」
どういうこと? と首を傾げる束の目に、明らかな怒りが見える。苛立ちなどではない、純粋なまでの怒りだ。
「授業中の模擬戦闘で、まあ流れ弾みたいなものだ。故意か事故かは知らんがな」
「へぇ」
「この子のおかげで助かった」
首元から鎖に通した白い指輪を引っ張り出す。束から与えられたISの待機状態だ。
撫でるように指先を這わせると、喜びのような感情が伝わってくる。相変わらず素直な子だ。
「ねえ、ちーちゃん」
「どうした」
「大空三春さぁ、やってもいいかな?」
「……お前がその気になれば、何でも出来るだろうな」
実質的にだろうが社会的にだろうがどんな形であれ、束なら可能だろう。だが、それをされては困るのだ。
「まだ、一夏が何をされたのかが分かっていない。アイツらの言う真実とやらも気になる」
「そうだけどさ、束さんとしてはちーちゃんを傷つけられそうになった時点でもうそんなことどうでもいいんだよね。しかも大空兄、私とちーちゃんを殺すって言ってるんでしょ? 上等上等受けて立つよむしろ先手必勝で塵も残さず消してあげてもいいかなって思うんだけど」
「……それでも私は、アイツが一夏に何をしたのかが気になる」
私がここにいる最大ともいえる理由の一つはそれだ。それを知る為には少なくとも、大空兄の存在が気にくわないものの必要なのもまた事実。
「もう少し付き合ってくれ」
「……まあ、ちーちゃんがそう言うなら、束さんとしてはひっじょーに渋々ながら頷かざるを得ないんだけどさ」
「ありがとう」
「ちーちゃんのその一言で束さん幸福絶頂だよ!」
安い幸福だな。
「えーっと、それであとは何だっけ。何か面白いことあった?」
「ああ……そうだな、あとは」
ボーデヴィッヒのことを話そうか、そう思ったところで部屋に響き渡ったインターホン。来客らしい。
「すまん束、今日はもう終わりだ」
「えーっ!?」
「また明日連絡する。クウに迷惑かけるなよ」
「酷いよちーちゃん、私よりくーちゃんの心配するの?」
「愛してるぞ」
「私も愛してるよ大好きちーちゃん!」
長引きそうな時は、この一言が何よりも有効である。もちろん心は籠めているが。
装置のスイッチを切り、荷物の中にしまう。それから扉の鍵を開けて廊下を見ると、ちょうど束に話そうと思っていたボーデヴィッヒがいた。
「夜分に失礼します、教官」
「ボーデヴィッヒ……どうした? 何か用でもあるのか」
「はいっ」
至極真面目な顔で、ボーデヴィッヒは言い放った。
「教官のお背中を流しに来ました!」
「馬鹿者」
くれてやる言葉はそれだけで十分だ。扉を閉めようとしたところで、ガッと滑りこんで来たボーデヴィッヒの足。強硬姿勢なそれとは逆に、見上げるボーデヴィッヒの表情はとても不安そうだった。
「教官?」
「不思議そうな顔をしても答えは変わらん。馬鹿か貴様は」
「……師弟とは、裸の付き合いを通して互いを理解し合うものと聞いたのですが」
「いつ師弟になった」
しゅん、と見るからに落ち込むボーデヴィッヒ。今日はコイツの実力を見ただけで、私は何も教えていないし教えるとも言っていない……ああ、だから未だに期待させてしまっているのか。ここまで来ると本当に私の落ち度でしかなくなるな。
「教官……」
悲しそうな声。さすがにいい加減、はっきりと結論を出さねばなるまい。
「……ボーデヴィッヒ」
「はい」
「入れ」
だがその結論を出す前に、私にはコイツに聞かなければならないことがあるのだ。
「紅茶で構わないか?」
「は、はい……」
部屋に促したボーデヴィッヒが緊張した様子で姿勢よくいすに座っている。小さな丸テーブルを挟んで座り、淹れた紅茶を差し出したが手を付ける様子も無い。
「もう夜だしあまり遅くなるのもあれだ。さっさと本題に入るぞ」
「……」
紅茶片手にボーデヴィッヒを見やる。こくりと硬い表情で頷くのを確認し、私は話し出した。
「お前の望みは、私にISを教えてもらうことだったな」
「はい」
「その理由は、お前の話からするに落ちこぼれである自分を拾ってくれた隊長の為に強くなりたいから、と」
「……はい」
「ふむ」
頷いたボーデヴィッヒに、私が思うのは一つ。
「それなら別に、私である必要は無いな」
「えっ?」
「お前がIS学園に来たのはISを教えてほしいから。IS学園に来た時点で、お前の目的の半分は達成されているぞ。あとはここで、お前がどれだけ成長できるかだ」
隊長の為に強くなりたい、だからISを教えてほしい、そしているのはISを教える唯一の教育機関であるIS学園。別にわざわざ、私が割り込む必要などない。
「だから私がお前に教えるよりも、ここできちんと学んだ方が」
「それでは駄目なんです!!」
部屋中に響き渡る叫び。僅かに腰を浮かせて叫んだボーデヴィッヒが、ハッとしたように口ごもりいすに座りなおす。
気まずげな態度と逸らされた目。私はボーデヴィッヒの言葉の真意を考える。
「どうして駄目なんだ?」
そして分からないから問いかけたが、ボーデヴィッヒは体を小さくして座っているだけだった。
「……ボーデヴィッヒ、私がお前に聞きたいのは二つ。なぜお前が自分を落ちこぼれであると思うのかと、お前がこの学園に来た本当の理由だ」
「それ、は……」
「まあ、二つとも答えろと言ったところで答えないだろうことは正直、分かっている。だからせめて、どちらか一つでも答えろ。でなければ私は、お前にISを教えてやるかどうか考える事も出来ん」
コイツについても分からないことが多いのは確かで、けれど個人的な理由で気になるのも確かだ。
「……どちらかでも答えたら、教官は私にISの指導をしてくれるのですか」
「どうだろうな。少なくとも、教える教えない以前にお前に対して教える必要が無いと、今の時点で私は思っている」
教えなくとも十分にコイツは優秀なのだから。
「……私が自分を落ちこぼれだと思うのは、思い込みでも何でもない事実だからです」
ボーデヴィッヒが選んだのは、一つ目の質問。なぜ自分を落ちこぼれと思うのかだった。
「ドイツ軍のIS部隊に所属する者は総じて目にナノマシン移植手術を行っています。適合に失敗した者は極僅か……加えて、未だに軍に所属しているのは、おそらく私だけです」
「……」
それはまた随分なことだ。
「隊内でのISを使用した模擬戦闘において、当然ながら目は解放されます。ISへの適合を高める為のものですから当たり前ですが……私だけは、目を使用することが出来ません」
「……」
「目の効果は絶大です。それでもいつかは、目を使わなくとも使用者に勝てると思い訓練に励みましたが……未だに勝てたためしがありません。対IS戦において、私は間違いなく落ちこぼれなのです」
それが理由だと、ボーデヴィッヒは話しを終えても変わらず姿勢よく座っていた。
「……ボーデヴィッヒ」
「はい」
「本当に、一度として勝てなかったのか?」
「はい」
「……」
ボーデヴィッヒの操作技術は十分に高レベルといえる。少なくとも基礎能力は完璧だろう。
自分よりもはるかに優れた相手にはそれは苦労もするだろうが、だからといって勝てないわけでもない、と思うのだが。
「(私が思う以上に、目の効果は絶大なのか?)」
どうなのだろう。こればかりは実際に戦ってみないと分からないことだと思われる。
「……長時間、ISで戦闘を行っていると、ひどい頭痛に襲われるんです」
「なに?」
「おそらくは拒絶反応だろうと……けれど、私のIS適正はAランクです。通常ならば拒絶反応は起こらない筈なのですが……」
ISの拒絶反応。IS適正はあるものの、それが著しく低い者に起こりやすいとされるそれは、このIS学園においてまず起きない現象。
ISには乗れるが、長時間使用していると身体的苦痛、主に頭痛や吐き気を感じ、精神的にも相当にくるそうだ。適性が高ければまず起きない現象であり、Cランクで操縦者の心身のバランスによっては稀に起きることもあるらしいが……B以上の、Aランクで確認されたことは無い。
「適性がありながら、拒絶反応を起こす私が……落ちこぼれじゃないと、どうして言えるんでしょうか」
……腑に落ちなかったことは、ようやく納得がいく答えを聞けた。
部隊での明らかな実力の差、身体的優劣、加えて起きる筈の無い拒絶反応。それらが総じて、ボーデヴィッヒ自身に落ちこぼれであると考えさせるのだろう。
「……いっそ」
唇が動く。何かを呟いたようだが、聞きとることが出来なかった。それでも何となく、何を思っているのかくらいは分かる気がする……暗い光を、ボーデヴィッヒの瞳が宿していたから。
「……ボーデヴィッヒにとって、ISは憎むべきものか?」
「えっ?」
「お前は言ったな。ISが無ければ、優秀な兵士のままでいられたと」
「……はい」
取り繕わず、否定せず。
「ならばお前にとって、ISは無い方がよかったんじゃないのか?」
「……いえ、決してそのような、ことは……」
「もしも私が束の代理人だとか、ISのことを否定するのは拙いだとか、そんなことを考えているのなら今すぐその考えを捨てろ。何も考えず、ただ思ったことを言ってほしい」
でなければ私は、真実とやらに近づく事も出来そうにない。
「もう一度聞く。お前にとってISは無い方がよかったものか?」
「……」
ボーデヴィッヒは考え込むように視線を俯けている。
……私は何故、コイツにこんなことを聞いているのだろうな。いや、別にむずかしい事では無いのだが。
ただ、大空兄弟と同じ瞳をするボーデヴィッヒのことが分かったなら、少しはアイツらのことも分かるのでは、と……大空一夏が何を考えているのか、分かるのではと、そう思っただけだ。
「(私のせいでもあるわけだしな)」
ISのせいで不利益を被った人間というのは、考えるとどれだけいるのだろう。今の世の中から考えるに、男性なんかは大概不満を抱いていそうだ。彼らにとってISは必要の無いものだろうな。
ISを開発したのは束で、その理由は私への心配からで……責めることなど出来ようもないが、ISが存在するためにこうして苦しむ人間がいるのだと、ボーデヴィッヒを見てるとその事実を突き付けられる。
「(……大空三春も、そうなのか?)」
私と束を殺すと言った大空三春。私の為にと束が開発したISが原因で、そう思う程の苦痛を味わっていたのだとしたら……少し、辻褄が合う気もする。少なくとも、私と束二人に殺意を抱く理由としては、有り得なくもないだろう。
結局はそれ以外のことが全く分からないので、やはりその理由も保留にする以外にないのだが。
「教官」
「答えは出たか?」
「……いえ」
呼びかけてきたボーデヴィッヒに意識を引き戻される。浮かない表情を浮かべるボーデヴィッヒは、どこかぐらぐらと揺れている気がした。
「……ISが無ければ、私は今もまた優秀な兵士でいられたかもしれません。ですが、ISが登場しなければ……私は、隊長に出会えなかったかもしれないんです」
それはあくまで可能性の話だった。
「どちらにしろ、私にとっては利益も不利益もあったんです。ただ、少なくとも……以前の私には、隊長のように私の手を引いてくれるような人は、いませんでした」
「……そうか」
それがボーデヴィッヒにとってどれだけの意味を持つのか、私には分からない。ただ分かるのは、ISがボーデヴィッヒに齎したものはとても大きなものであるということだけだ。
「色々と聞いて悪かったな。話してくれてありがとう」
「いえ……あの、教官……」
「……ボーデヴィッヒ」
聞きづらそうな様子に、私はポンッと軽く頭を撫でてやる。
「……教官?」
「私は誰かに、何かを教えるという経験をしたことが無い。だから、お前が期待しているようにはいかないかもしれん」
「……」
「それでも構わないなら、私は私に出来ることをしよう」
「―――よろしくお願いします!」
パッと喜色に染まるボーデヴィッヒ。ずっと思っていたのだが……ボーデヴィッヒは随分と素直な性格のようだ。
「(……にしても、やはり気になるな)」
ボーデヴィッヒを襲う拒絶反応。それは本来なら起こらない筈のことで、ならばどうしてコイツには起こるのか。
それに、ボーデヴィッヒはまだ一つ隠している。この学園に来た本当の目的は、おそらく別にある筈なのだが。
「(まあ、今は置いておくとしよう)」
聞いたところで答えないのは目に見えている。
喜びに笑い、見上げて来るボーデヴィッヒを外へと促す。さすがに部屋に戻った方がいい時間だった。
「あ、千冬さん……と、ボーデヴィッヒ、だったか?」
扉を開けるとそこには、何故か箒がいた。
「何をしている?」
「ああ、ええっと……」
困惑したように頭を掻いている箒と、私の隣で警戒を露わにしているボーデヴィッヒ。何とも不思議な状況だな。
「……学年別トーナメントのルールが変更になったの、聞きましたか?」
「む……聞いていないな。どういうことだ?」
学年別トーナメントは、月末に行われる一種のイベントだ。といってもそれ自体は各国にとっても生徒にとっても重要な意味を持っているのだが、単純に腕試しと考えている者もいるらしい。山田先生からつい先日にルール説明を受けたのだがな。
「その、タッグマッチに変わったとかで」
「試合様式が一対一から二対二に変わったということか?」
「あ、ああ」
横からボーデヴィッヒが箒に問いかける。箒の困惑が強くなった気がするな。
「ペアは自由で、けれど専用機持ち同士が組むことは出来ません。より実践的な模擬戦、更にはパートナーとの連携を意識した試合を行えるようにと、そういったことで変更されたようです」
「そうか……」
言いながら、箒が取り出したのは折りたたまれたプリント。試合様式の変更についてと、下の方にペア申請の為の枠がある。
……専用機持ち同士が組むのを防ぎたかったのかもな。さらには連携を意識させることで、チームプレイを可能とし作戦によってはアドバンテージのある専用機持ちを下す可能性もある、と。
「わざわざ知らせに来てくれたのか。ありがとう、箒」
「あ……いえ……」
箒の瞳が揺れる。まだ何か言いたいこと……というより、本当に言いたいことがあるのかもしれない。
それを聞こうかと思ったところで、けれど箒の方が一歩早く声をあげた。
「そういえば、ボーデヴィッヒと千冬さんはどうして一緒に? 知り合いだったのですか?」
「ああ、いや……」
「教官は私にISの指導をしてくれるのだ」
正直に言ったものかどうするかと考えた矢先、ボーデヴィッヒが戸惑いなく言い放つ。
「……指導?」
「ああ」
「千冬さん?」
「まあ、色々とな」
私もボーデヴィッヒも互いに隠し事はあるが、指導をするというのは間違いでは無い。それほどのことが私に出来るかは疑問だが。
「……ああ、そうだ」
ふ、と考え付いたこと。
「箒、ペアはもう決まっているのか?」
「いえ、まだ……」
「ボーデヴィッヒは?」
「決まっていません」
「なら、お前たち二人で組むといい」
「……」「……」
沈黙。そして、
「えぇえええええっ!?」
「教官……?」
絶叫と疑念。
二つを聞きながら、軽い耳鳴りに頭を押さえる。
「構わんだろう。お前たちは専用機も無いしな」
「で、ですが……」
「それとも、既にペアを組む当てがあったのか?」
だとすれば強制は出来ないと思ったが、二人とも首を振った。ならば問題は無いだろう。
「連携を意識するならば、早いうちにペアを決めて練習した方がいいだろう? こうして居合わせたのも何かの縁だと思って、やってみろ」
「……お前はそれでいいのか、ボーデヴィッヒ」
「教官がおっしゃるなら」
そのボーデヴィッヒの言葉に、箒はやれやれとばかりに溜息を吐いた。
「(……どちらに、動くだろうな)」
箒とボーデヴィッヒ。ISによってあらゆることを大きく変えられた二人。迷い悩まされる二人。
何となく似ている二人を一緒にすることで、何か変わるのか。それは分からないけれど。
「頑張れよ、二人とも」
出来ればいい方向に、何かが変わればいい。