色違いの空   作:kei469

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去った弟

 

 

「やっぱり千冬姉は、俺のことなんかどうでも良かったんだな……」

 

 意味が分からない。

 

「一夏は俺が育てる。お前には任せられない」

 

 誰だお前は。

 

「さよなら―――織斑千冬さん」

 

 訳が分からなかった。

 

 

 

 

織斑千冬【十五歳】

 

 

 疲れ果てた体を、リビングのソファーへと横たえた。蒸し暑い夏の夜、硬いソファーの生地がやけに気持ちいい。

 

「あの店長め……」

 

 散々延長させられて、帰って来れたのが日付変更後。これではもう一夏は寝ているだろう、それも仕方ない。むしろ小学生がこんな時間まで起きていることを怒るところだ……まあ、起きていたとしてもそれは大抵、私を待ってくれていたわけだからな。そう厳しく怒ることも出来んが。

 

「……夕飯」

 

 ぼんやりと、ソファーに倒れ込んだままテーブルを確認すれば、ラップのかかった料理が見える。一夏が用意してくれた夕飯だ、本当なら残さず食べたいのだが疲れ果てた体は食欲よりも睡眠欲を強く要求してくる。

 あの店は給料がいいので続けているが、こうも仕事後の体が辛くてはさすがに拙いな。

 

「(辞めるわけにもいかんがな)」

 

 仕事の内容はきついが、あの給料は魅力的だ。生活の為、何より一夏の今後の為にもお金は出来るだけ稼ぎ、貯めておきたい。一夏には当然ながら高校まで―――出来るなら大学まで進んでほしいものだ。

 その為にも学費を溜めておく必要があって、万一に一夏が病気や怪我でもした際の医療費だって用意しておかなければ。たった一人の家族、大切な弟。出来る事ならなんだってしてやりたい。

 

「(明日は……五時、だったか)」

 

 眠くて眠くて仕方ない。明日も学校に行く前に仕事がある、宿題は……学校で朝のうちに終わらせるとしよう。今は、とにかく。

 

「……」

 

 眠ろう。

 

 

 

 

織斑千冬【二十一歳】

 

 

 部屋は異様な程に綺麗なままだ。当たり前か、何もしていないんだから。

 ただぼんやりと、私以外に誰もいない家でソファーに座っているだけ。動くのはトイレに行く時と、水を飲むときくらいか。食事は、喉を通らない。

 

 ……私は、何を間違えてしまったのだろう。いったいどうして、一夏はこの家を、私の元を去ってしまったのか。何がいけなかったのか、何をしてしまったのか、分からない。

 

 一夏と共にいた『兄』を自称するアイツは誰だ。一夏の兄? なら私の兄か弟か。見た目からすれば歳は私と同じか一つ違う程度だろう。だがどちらでもいい、どちらにしろ私はアイツを知らない。私の家族は一夏のみだというのに。

 一夏は見るからにアイツを慕っていて、けれどあの時、最後に私に向けられた瞳はひどく冷たくて。おかしいな、アイツに向けられていた瞳は今まで私に向けられていたものなのに。一夏が何故、あんな瞳で私を見たのかが分からない。

 

 織斑千冬には織斑一夏という弟がいる。両親はいない、一夏が物心つく前に姿を消し、それ以来私は一夏を育てよう守ろうと必死で働いていた。一夏が幸せに暮らせるように。

 けれど現れた兄を自称するアイツは、どうやら私が知らなかっただけで一夏と何年も交流を持っていたらしい。なるほど私に隠し事とは、いい度胸だな一夏……そう言うことも出来なかった。

 一夏はアイツを「兄さん」と呼び私を「織斑千冬さん」と呼んだ。それが意味するのは何か、アイツが一夏の家族で私は他人ということか。分かりたくも無い。

 私が一夏の為にとやって来たことは全て無意味なことだったらしい。もしかしたら一夏にとって迷惑ですらあったのかもしれない。とにもかくにも何かしらの不満を持って一夏は私を切り捨てアイツの手を取ったのだ。何かしらの不満、さてそれは何か。

 

―――分からない

 

 何が駄目だったのか何がいけなかったのか何が悪かったのか何が何が何が何が何が。

 私は一夏に何をしてやれなかったのだろう、何をしなかったのだろう。何が一夏にアイツを選ばせる要因となったのだろう。頼むから教えてくれ一夏、私はお前に何をしてやれた何をしてやれていなかった。問いかけには誰も答えてくれない。

 

「ちーちゃん、迎えに来たよ」

 

 そうしてただただ自問自答と続ける私の元に、束は悲しそうに笑って現れた。

 

 

 

「ふむふむつまり、ちーちゃんにいない筈のもう一人の兄弟が現れていっくんを連れて行ったと。そしていっくんはちーちゃんを他人のように呼んでその得体の知れない奴を兄と呼んだんだね」

「ああ」

 

 全く持ってその通りだ、私が説明したのだから当然だが。

 突然やって来た束は私の手を取ると、そのまま庭に着陸していた球体(大きな物だったがいつの間に着陸したのだろう)に乗り込み、私は現在地も分からないどこかの建物の中にいる。いや、建物かすら怪しいな。こいつのことだから移動型の要塞だとかでもおかしくない。

 ……どうでもいいか。正直もう、考えるのも疲れた。というより考えていられない、頭が思考を放棄しているようなそんな気分だ。

 

「ちーちゃんより後に産まれたならちーちゃんが知らない筈無いし、だとするとちーちゃんより先かな? で、ちーちゃんが産まれる前にちーちゃんの知らないところに追いやられた―――まあ、捨てられたと仮定するのが妥当だろうね」

「そうだな」

 

 でなければ私の記憶から兄または弟に関する情報のみが欠落しているかだ。にしては綺麗さっぱり違和感なしに消えているがな。

 

「戸籍上はちゃーんと存在してるんだよね~、苗字は違うけど……あ」

 

 何の情報を見てるのか、束はディスプレイを眺めていたが唐突に声をあげて私を呼んだ。

 

「いっくんの苗字が変わってるんだけど、これはあれかな。絶縁ってやつかなそうなのかな? あっははは―――笑えないな~」

 

 呼ばれて覗いたディスプレイ、たぶん私と一夏とあの正体不明のアイツ―――大空三春のそれぞれの戸籍で、織斑千冬と大空三春、そして残る一つは、大空一夏のもの。

 

「(ああ、なるほど。そうか、そうなのか)」

 

 何がそうなんだろう何がそうなんだろう何がそうなんだろう私は何に納得したんだろうああもう何が何が何が何が何が。

 

「ちーちゃん!?」

 

 世界が、暗転した。

 

 

 

 

織斑千冬【十八歳】

 

 

「なあ千冬姉」

「なんだ?」

 

 久しぶりに夕飯を一緒に食べる事が出来た。小学生ながら料理上手に育った一夏が用意した食事に箸を伸ばせば、テレビもつけていない静かな空間で一夏が聞いてくる。

 

「俺の家族って、本当に千冬姉だけ?」

「……どういう意味だ?」

 

 家族、といわれて私が思い浮かべるのはもはや一夏しかいない。血縁関係でいうならどこにいるのかもわからない両親も加えるべきなのだろうが、今となっては私たちを捨てた人を家族と考える事は出来ない。

 

「いや、その……」

「……物心つく前に、両親はいなくなったからな。気になるのも分かるが」

 

 言いよどむ一夏。学校で何か言われたのか、それともふと何か思うところでもあったのか。

 両親は一夏が物心つく前に出て行ったきりだ。一夏が家族として共に育ったのは私だけで、私もまた姉弟として育った相手は一夏だけだ。

 

「私の家族は、一夏だけだよ」

「うん……」

 

 ああほら、そんな不安そうな顔をするな。何がお前をそんなに心配させるんだろうな、そんなに心配することは何も無いのに。

 手を伸ばして頭を撫でてやると、一夏は硬直した後に窺うようにこちらを見つめてきた。おかしいな、いつもならこうしてやれば笑ってくれるというのに。

 

「千冬姉」

「なんだ?」

 

 今日も一夏の料理は美味しい。なかなか時間が無くて全部食べることも出来ないが、それでもこうやって用意してくれる一夏は、とても優しい子に育ってくれたな。本当に、一夏はいい子だ。

 

「千冬姉は、嘘吐きだね」

「……え?」

 

 嘘、吐き? 私が、いつ、嘘を吐いたんだ?

 呟いた一夏が繋いだ手の先には、私を見下すアイツがいた。

 

 

 

 目を開けた私がいたのは、人工的な照明に照らされた部屋。壁を覆う鉄板とコンピュータのモーターが回転する音。手に触れる感触はとても滑らかで、体を包み込むように受け止めるこれがとても気持ちいい。

 

「起きた? ちーちゃん」

「たば、ね……?」

 

 束が安心したように目を細めている。起き上がろうとする私の背に手を回して支えると、未だぼんやりとした思考のままでいた私にふにゃりと笑った。

 

「栄養失調だよちーちゃん。いっくんがいなくなってから、何も食べて無かったんでしょ」

「……ああ……そういえば、そうだったな」

 

 とても何かを食べる気分にはならなくて(それでも水だけは飲んでいたが)、更に言うなら家事を一夏に任せっきりにしていた私は料理なんて出来なかった。

 

「(一夏には、迷惑をかけたんだろうな……)」

 

 小学生が遊ぶことも出来ず家事に追われる日々。そんなの嫌に決まってる。

 

「ちーちゃん……」

「束?」

「泣かないで、ちーちゃん。ちーちゃんは何も悪くないよ」

「……だけ、ど」

 

 悪くないというならどうして一夏は出て行ったんだ。どうして私を置いて行ったんだ。どうしてアイツの手を取ったんだ。なあどうしてどうしてどうして一夏が消えてしまったんだ。

 束が泣いているらしい私の首に手を回して抱きしめてくる。こいつのスキンシップはいつものことで、こんなのだって会えば常にやられていたというのに、何故だか今日のこれはいつものと違う気がした。

 

「ちーちゃん、泣かないで」

 

 違うのは私の気持ちか束の気持ちか。両方かもしれないしもっと違う何かなのかもしれない。

 ただ何もかも分からない今、抱きしめてくる温もりがあることがこんなにも大きいだなんて。束の願いは私が泣き止むことなのに、私の頬を伝う涙は止まるどころか更に溢れてしまって。

 

「たば、ね」

「なに? ちーちゃん」

「少し、このままで……」

「うん」

 

 一夏、一夏一夏一夏。お前は何を思って、私の前から消えてしまったんだ。私は間違いなくお前を愛していて、お前もそうだと思っていたけどそれは違ったんだな。お前にどれだけの負担を私はかけていたんだろう、お前にどれだけ辛い思いをさせていたんだろう。これから私は、お前の幸せを祈りたい……祈れない。

 このままで終わるなんて出来ない。お前が何を思っていたのか知りたい、お前が何を望んでいたのかを知りたいんだ。それはただ私のしてきたことがお前にとって負担でしかなかったと思いたくない私の自分勝手な自己満足なのかもしれないけど、私はどうしても知りたいんだ。

 

「ちーちゃん、調べようか」

「……なにを」

「いっくんに何があったのか。いっくんを連れて行ったソイツが、何者なのか」

「……もう一つ」

「?」

「一夏が、本当に幸せなのか……知りたい」

「……ちーちゃん」

「駄目か」

「……ううん。ちーちゃんが、それを望むなら」

 

 抱き締める束の手に力が篭る。私がそっと束の背中に回した手にも、僅かながらに力が篭った。

 




はじめましての方も、お久しぶりの方もいらっしゃるかもしれません。
特にストーリーに変更などはありませんので、あらすじに書いてある通り一度削除したものそのままの再投稿です。
いまさらながらな恥さらし、暇つぶし程度に楽しんでいただければ幸いです。

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