夢見る小石   作:地衣 卑人

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四 過去を見つめ続ける夢。喉元を過ぎた感情の起伏、甘いそれも、苦いそれも。私は、忘れてしまいたかった。

 日の光、穏やかな。暖かな。彼方此方と、妖怪の眠り、妖怪の夢。漂う中を彷徨い歩く。

 彼等の夢は。人間にしてみれば、悪夢のそれ。恐怖に歪んだ人の顔。壊し壊す人の希望映る夢。怖い怖いと。嗚呼、恐怖劇。夢を見るより夢になろうと。その愉しさを、私は。彼等の心が分からないまま、知らないまま。語ることなど、出来ずに。

 誰かの見た、巨大な。紙風船の広告人形のそれとは異なる。小さな、指人形の夢。寧ろ、彼等は夢の住人、舞台の上。色鮮やかな赤色。そんな彼等の見る夢もまた、何処か、作り物めいた。この郷ではきっと、遠く遠い記憶の中にしか、その赤色は無いのだろうと。それが正しいのかなんて知らない。ただ、私は。私も、また。苦手だからそれで良い、と。

 

 眠り眠る森、見た目だけは穏やかな恐怖の森。彼方此方と退屈もせず、並ぶ並ぶ映画館を、気紛れに歩き渡るよう。ただ、それ等は殆どスプラッター。目にも心にも優しくないそれ等を。見続けるのは少し、疲れて。

 

 其処に在るのは。純粋な欲求でもあり。捻れた心、歪んだ。下卑た思いも散りばめられた。その欲、思い、吐き掛けられる側からしてみれば、理不尽な。嫌悪、憎悪、怨嗟の種。

 

 私の嫌った。

 

 

 森を抜ける。空へと跳ねて、そのまま飛んで。黒い髪、空を行く風、一羽の鴉。赤い下駄を履いた彼女がすぐ近くを過ぎ去るのを、瞳を瞑ったまま見送った。

 

 日の光の下。暖かな、穏やかな。なのに。

 漂う夢は、恐ろしげで。鉄臭い。暗い暗い夜の方が余程静かで、穏やかな、と。文句を、誰に投げるでもなく。その恐怖を悦とする人だって居るのだからと飲み込んで。

 

 

 ふと。空から見下ろした、眼下。目に付いたのは、竹林、開けたその場所に一軒。小さな小屋、幽かに溢れた夢を見て。

 妖怪の見る夢ではない。人間の見る夢でもない。獣のそれとも異なった。その夢に、夢の主に、興味が湧いて。湧いた時には、既に。余りに自由で自由の効かないこの体は、その小屋の屋根の上。寝そべるように降り立って。

 

 屋根の向こうに居る誰かの見る夢を見る。永い永い夢。過去へと永く、未来へと永く。何処まで続くかも知れない夢、その、夢の中へと、沈み、沈んで。

 

 白い夢。まるで、煙の中のよう。舞い落ちる灰、朧月。燻る火種は、降り積もった灰色の中、彼方此方に。

 

 彼女の夢もまた、知識に溢れて散らかった。その、知識一つ一つに張り付いた、彼女の見た光、彼女の感じた世界が張り付き。殆ど全てが、彼女の経験。その手で触り、その目で見た。人間のそれとしては、余りに多く、深い知識、経験。夢の中に浮かぶそれ、積み重なるそれに、背を預けた。

 

 彼女の姿。長い白髪、短い黒髪。重なる少女の前に立つ。

 

『……誰』

「誰だったかな。それよりあなたは……妹紅さんね、こんにちは」

 

 浅い眠り。現はすぐそこに。それでも彼女は、夢との境、記憶の傍。はっきりとした意識を以って、彼女は、私に語りかけ。

 

「転寝? もっと深く眠ればよいのに」

『こうやって寝るのが癖でね。それより貴女は何なのかしら。漠?』

「別に食べないよ。見るだけで」

 

 言葉を返し。彼女の正面、座り。夢の中だと言うのに、警戒の色、赤く輝き鮮やかに。火の粉を散らせて拡げた翼は。

 不死鳥のそれ、火の羽、熱く。その羽を彩る赤は、赤は。

 余りに鮮明な。この郷が忘れつつある、本物の赤。剥がれ落ちゆく記憶の上にこびり付いた。

 なんて、荒々しいのだろう、と。そして、酷く静かで。まるで、海の底のそれ……なんて。知りもしない海底の。その静けさに例える辺り。

 私には。辿り着けない場所。見下ろす、否。彼女は。その頂に登りさえせず。この地に、足を付け続けて。

 

『……何しに着たの』

「何も。只、あなたの夢はどんなのかなって」

『そう。無害なものね』

 

 首を振る。害を為すも、為さないも。別に、注意など。一つたりとて払ってなんて居ないけれど。

 

「あんまり、永く私が居ると。多分、醒めなくなると思う。そんなに永いことお邪魔するつもりもないけれど」

 

 私の周りは。夢が深く。思いを沈ませ。沼の底。

 夢を見続ければ、いつか。夢に落ちて、夢になって。脱け殻を一つ、一つ残して。

 私のようになる。いや、私よりも、きっと。もっと、無意識に近い。只々彷徨い歩くだけのそれ。私はただ、目があったから。少し違うものになっただけなのだろう、と。

 

『そっちの方が楽かも知れないね。ま』

 

 それも、今更、と。

 彼女は言って。翼を拡げ。二本の足で、すくと立ち。

 

『若い若いお前にも、見せてやろう。私が足を踏み外したのも、お前くらいの事だったか。それより、もう少し若かったか』

 

 目を瞑る、こともなく。僅かに浮かび。

 その顔は。貌は。後悔に満ち満ちた。しかし、それでも。

 

 強く、強く輝いて。揺れ、折れ、砕け散りながらも。其処に。

 

『眩まないように気をつけて。掬われないよう気をつけて。積もり積もる灰に足を掬われ沈むお前を。救い上げるつもりも無い。放って捨てるつもりもないが』

 

 翼の先から零れ落ち。漏れ出し、溢れ満ちる光の奔流、記憶の波。永く永く永い彼女の奇跡を。彼女の意識は、私の瞳は。描き、映し、世界を染めて。

 燃える赤、紅葉の木々、落ちる葉の中に差す光は、五色の玉、蓬莱の海、鮮やかな嘘と共に浮かび、消え。青い空、赤く溶け、闇に滲んで月を仰ぎ。

 その姿。長い、長い、黒髪。人とは異なる。高く高く、それは、そう。焔の翼を拡げた彼女にも似た。

 彼女の残した永遠の種、地上で生きる少女の手。燃え滾る火、焼ける人影、落ちる岩は。落とした彼女は。

 

 種を。月から落ちた、永遠の種を、種を、飲んで。

 

 翼を拡げる。長い白髪の彼女を見る。その顔は、その、記憶の映える世界の中でも、尚、静かに。悲しみさえ。怒りさえ。苦痛、悔恨、全て、全てを飲み込んで。

 只、只。静かで。静かで。汚れを知っていても尚。無数の想いに。心を満たしても、尚。

 

「どうして」

 

 自分の罪も。他人の悪意も。理不尽も。自分の感情も。

 全てに、目を瞑らずに。そうして……

 

『お前にだって分かるさ。私も、一度踏み外した。永遠を前にして。その光に目を眩ませて』

 

 夢が歪む。月が歪む。彼女の夢が、やはり静かに溶け落ちて。私の意識も、また。この夢から追いやられていって。

 

『さあ、何処へでも行くがいい。これだけ生きても、未だ何の悟りも得られない。これ以上、仙にも天にも至れない、名ばかりの蓬莱人の夢なんて見ても仕方ないわ。だから』

 

 私の夢は。これで終わり、と。彼女が。現実の彼女がその目を開ける、その瞬間まで。私が、夢の外へと。弾き出されるその一瞬まで。

 

 彼女は。何処までも静かな、彼女は。

 

 

 憧れるほどに、綺麗で。

 

 


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