夢見る小石   作:地衣 卑人

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一 夢の中で見る夢。知らない世界、広がる意識は境を超えて転がり落ちて。

 白く。

 

 只管に白く、白く。光り輝く境の先、紫に始まり紫で囲い。滲んだ赤を光に捕えた。一度触れれば、体は、支えを失い。踏みしめ続けた黒く澄んだ大地は何処か、光に掻き消されたように、消えて、消えて。

 光を超えて落下する体。否、重力と共に。自身の意思を持って下方へと向け。体を滑らせ、空を駆けて。境を超えても尚亀裂の向こう、光の中から手を伸ばす色取り取りの明るい蔓を、崩れ落ちる獣の体、歪な体。それは、夢の中、私の行き着いた最後の姿。振り払うことも叶わぬ程に固く巻きついた蔓の群れは崩壊する体と共に置き去りにして。崩れ落ちた脆い脆い肉の下、白く覗いた私の腕は、夢の中の少女のそれ。視界の端で靡く髪は、緑色の。透き通るように、幽かな光を孕んだ。

 

 無数の光の蔦が空に描いた回り回る光の線。花にも、蝶にも似た。回転の伸縮、二重の螺旋を描く。私の動揺、心の揺れ。全てを読みとり歪に蠢く蔓を、腕を、夢から溢れた命の光を。体に巻き付き、束を成し。幾重にも絡み、一つの球。きっと、端から見たならば、彼女。こいしの閉じた、瞳にも似た。巻き付き、絡み付き、光を閉ざし、心を縛る。超自我の束縛のその中心で、瞳を。いつ産まれたのかも知れない、彼女と同じ、第三の目を。強く見開き。

 解放される心は、身体を超えて(くう)に溶け。私を縛る無数の蔓は、蔦は、腕は、爆ぜ。閉じた輝く蔓草の瞳は音もなく弾け、(そら)で開き。空中に溶けて、舞い落ちる光の欠片は粉砂糖のそれに似て。白く輝き、無数の色に別れても更に、その先から伸びる腕、蔓、蔦、命の奔流。眼下に迫るはそんな、光を映し輝く水面……

 

 水面へ。私の体と共に、落ちて。

 立ち上る泡の群、見上げた水面は、映る光は、波紋と歪んで。多量の水に、冷たい水に落ち沈み、体を丸めて第三の、瞳の鼓動を肌で感じて。

 

 溶けゆく意識の中でこの。小さな手のひらに、あの。柔らかな手の感触を、確かに、感じて―――

 

 

 

 

 

 

 

 黒く。

 

 黒い黒い。しかし、明るい、その天蓋。光り輝く。天球に張り付いたそれは、夢の中のそれとは違う。大気に瞬き、私を見下ろす。恐らく、本物の星。本物の夜空。夢に見た、私の心に映し出された紛い物ではない……きっと。本物の、空。

 都会では。曇り、陰り。灰色の積み木、鉄塔。消えることを忘れた人工の灯りに覆い隠された、何処までも澄み切った深い深い空。それは、そう。まるで、夢の中の景色に似た……

 

「……冷たい」

 

 膝下に鋭く。冷え切った足は。奪われる熱は。微睡み、揺れる、朧げな思考は、長い長い、深い深い夢から醒めて。

 水の冷たさ。湖畔の霧。滲みながらも澄んだ世界。現実味の無い。しかし、しかし。夢では―――

 

「夢じゃないよ。よく、逃げ切れたね」

 

 聞こえる声。転がる小石のように、頭蓋の裏で浅く響いた、彼女の声。

 

 この手に。抱いて走った、こいしの声。いつの間に、この手の中から抜け出したのか。あの時の私は、獣のそれと変わらぬ姿で。しかし、今の、今の私は……と。気付き、冷たく揺れる、湖。足を引き抜いたばかりの、その湖面へと身を乗り出せば。

 其処に映るのは。幼い、少女の姿。それは、そう。彼女。こいしの姿に似た。

 

「随分似ちゃったね。仕方がないのかもしれないけれど」

「これ、私……?」

「そうだよ、あなたの望んだ姿。今のあなたの姿……と、言っても。今のあなたには本当の姿なんてないんだけれど」

 

 後ろ手に指を組み。背中を向けるこいしは、湖を。薄っすらと霧の掛かる空を見上げて、呟き。その姿と、水面に映った私の姿は、やはり、似て。

 緑色の髪。華奢な体。服や、帽子までも、彼女のそれに似て……しかし、僅かに異なった。

 

「私が理想だなんて、笑っちゃう。でも、あなたがそれを望んだのなら、それでいいよ。それに」

 

 振り向き。手を伸ばし、私の。

 第三の目に、閉じた、瞼に優しく触れて。

 

「こい、し……?」

 

 掻き消える、彼女。視界の中に。その中央に。形を捉え、姿を見。確かに、見ている。しかし。

 

「大丈夫だよ、ちゃんと居る。あなたの目に映っていないだけ」

 

 それは、私の目。彼女と同じ、コードに繋がり球と浮かぶ。第三の目には映らない、彼女の言葉。しかし、その言葉も。何処か、何処か。虚ろで。

 

「開きかけていたもんね。あと、もう少しだったけれど……こっちに来たかったなら、仕方ないよね。仕方ない」

 

 気付けば、私の傍に。いつの間に回り込んだのか、こいしは、耳元で言い。

 

 また。気付かぬ内に、背後。回された腕は、第三の目。その、瞼をそっと下ろして。

 

「でも、元々。そこまで強く瞑っていた訳でもないし、あなたならちゃんと開けるから大丈夫。閉じてる方が楽だけれど、開けたくなったら開けてみると良いよ」

 

 閉じた心の瞳。彼女と同じ。同じ、閉じた心、無意識の中で繋がって。掛けられた言葉は、本当に。鼓膜を揺らしたのかさえ知れず。けれど、確かに。私の心の奥底に、染み入り、小さな火を灯し。

 

「さ、私とはまた会えるから。この世界には、あなたがもっと知りたいって思える人がたくさんいるよ。だから、自分の目で。目で、見てきて。今のあなたなら、何処にだって行けるんだから」

 

 ふ、と。彼女の体が、私から離れ。先まで伝った彼女の熱は、何処か。宙に。

 

「こいし……」

「大丈夫。ほら、じゃあ」

 

 またね、と。聞こえ、聞こえて。彼女の姿は。こいしの姿は、闇へと溶けて。

 

 一人。たった、一人。私はこの地に。残され、霧にぼやけた月を。水面に浮かぶ月を見て。

 不思議と。恐怖は無い。不思議と、不安は感じない。心を閉じたからか。しかし、希望も。光も無い。只々、夢を見るような。只管に自由で……自由の効かない。私の体が、一つ、滲んだ、月の下。

 

 揺れる。意識の中。私は、私は。

 踏み出した爪先。揺蕩う。しかし、飲み込むことなく受け止めた。湖面を蹴って。

 

 深く湧き立つ霧に呑まれた。この、空へと溶け込んだ。

 


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