夢見る小石   作:地衣 卑人

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四夜目 冷たい光の夢。

 深く深く夢へと潜り。

 深く深く闇へと落ちて。

 

 遠ざかる現実、彼方に消える世界の光。逃げ込む先を見つけたのだ。此処では何も気にしなくて良い。何も、気に病む必要はない。何処までも何処までも何処までも自由な世界。何一つとして束縛の無い、人々の視線と心の中に浮かぶ感情によって形作られた檻の外、築き上げられた奇怪なシルエットを浮かばせた意識の街、喧騒の届かぬ意識の下。

 

 今夜も私は。その、夢へと落ち、落ちて。

 

「ん……こんばんは」

 

 現れた気配に。声を、掛ける。

 

「こんばんは。今日は元気そうだね」

「此処に来るのが楽しみで。良かった、居てくれて」

 

 随分と、自然と言葉を紡げるようになったものだと。夢の中とは言え。ただ、彼女に対してだけとは言え。面と向かって人と会話が出来る。その事実が……本当に、小さな。誰でも出来ることでありながらも、誇らしくて。

 

「……そっか」

 

 嬉しそうに笑う彼女。その、笑顔につられて。

 やはり。私の顔にも、笑みが浮かんで。

 

「……でも、ね」

 

 彼女の笑みに滲んだ喜悦が、消える。代わりに浮かぶは、不安げな。寂しげな。影を孕んだ、小さな笑み。

 何故、そんな顔をするのか、と。問いかける、前に。

 

「さあ。行こっか。今日は、あんまり楽しくないかもしれないけれど」

「こい、し……?」

「さあ」

 

 手を。掴まれ。繋がった手と、手は。

 強く引かれる。それは、普段のそれより強引な。

 

「こいし?」

「大丈夫。どっちを選んでも。私はあなたのこと、嫌いになったりしないから」

「何の話を……」

 

 小走りに駆ける。手を引かれる。今までよりもずっと、不安定に点滅する無数の光を映し出す空、大地。しかし、それでも仄暗い。暖かな。暖かな。鼓動と共に伝わる。温もりに乗って流れ込む。安堵の裏側、幸福感に入り混じる。

 恐怖。その、上で。手を引かれる私は、躍り、躍り、踊らされるように。

 

 何が怖いか。その心か。

 読んでしまった。心か。怖いのか。その、その、伝わる。抱いた恐怖に感化されてか。染まってか。

 

 足元に湧き出した細かな光。小さな小さな、広がる蠢きは。生まれては死に、増えては広がり。燃え上がっては消え、消えては燃え上がるその中の、一粒が、形を変え、大きさを変え。流れる温もりの中を泳ぎ、踊り、また、増え。死に死に死んではまた、姿を組換えて。手足を持って。歩みだし。

 

 目まぐるしく変わる、世界。一歩一歩、踏み出す毎に足元に伸びる草花の芽。蔦は伝い。棘を持ち。開く花弁、広がる花々。それは、幾重にも重なり包み込んだ。

 

「こい、し……」

「怖いでしょう。これが、あなたの見てきた夢。無意識の奥底に眠っていた、あなたの記憶。生き物全ての抱いた悪夢。あなたの恋い焦がれた殺戮の歴史」

 

 止まること無く。振り向くこと無く、彼女は。言葉を転がし。

 私は。その言葉を拾い集めることしか、出来ないまま。

 

「こんな所にいちゃ駄目。きっと。きっと心が壊れちゃう。こんな悪夢を繰り返す必要なんてないの」

 

 光は広がる。再び、光の海へと泳ぎ出す者。輝く空へと飛び立つ者。地中へ潜る者。木々の間を跳び回る者。そして。

 二足で立ち。歩み始めた、光の影。その先に迫る、迫る。

 亀裂。溢れ出す、眩い、光の筋。

 

「……もう、此処には居られない。あなたは……」

 

 選ばなければならない、と。

 

 彼女は。こいしは。私へと、告げて。

 

「夢から醒める? 醒めたくない? 現実に戻るか……このまま、幻想に心を落とすか」

「どう、いう……」

「この夢はもう、終わってしまうの。長い夢だったね。けど、これでおしまい。夢は終わって、この世界は壊れちゃう。だから、あなたは」

 

 現実へと戻るのか。別の。別の世界へ、幻想へと逃げるのか、と。

 

「時間がないよ。はやく、決めないと」

「……私、は……」

 

 脳裏に浮かぶ。外の世界の姿。流れ込む心。悪心。腐り切った思いの数々。嘲笑。吐き気を催す言葉と。その裏側に根付いた心。

 そんな、そんな世界などに。今更――――

 

「ん……」

 

 今更。何の未練も、無いはずだと言うのに。誰か。誰か、こんな、私にも。

 手を伸ばした誰かが、居なかったか――――

 

「決めた?」

 

 こいしが尋ねる。私は。彼女の、その、問へ。

 

 

 

 

「……醒めたく、ない」

 

 

 

 

 言葉を。返して。

 

「……そっか」

 

 少しだけ悲しそうな、彼女の顔。しかし、それも。本の一瞬。

 普段通りに笑う、笑う。彼女は。その、笑みを崩すことも無く。

 

「走って!」

 

 叫ぶと同時に。

 私のこの手を。強く、引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無数の命の光が私たちへと手を伸ばす。掴みかかり、覆い被さろうと蠢き犇くその光の群を避け、振り払い、踏みつけて。走る亀裂、迫り来る光。砕け続ける夢の終わりに背を向けて、一心不乱に逃げ続ける。

 

 駆け抜ける、体は。光から逃げると共に、崩れ、膨れ、新たな……古い古い姿を形作って。近付いた者を傷付ける程に膨れ上がったこの体は他の生物から嫌われた。辿った道を駆け戻る私は、不完全な逆行を続ける私は。歪な、奇怪な。獣の姿に成り果てて。

 

「速く! 逃げ切れないよ!」

 

 腕の中に抱いた、彼女の声。返す、私の声は、既に。

 まるで。継ぎ接ぎだらけの。合成されたような声。長い体毛が駆ける私の後方へと靡き、生えた鱗を風が撫ぜ。湿った体、何処か、不安定な。それは、それは。

 まるで。私の辿った進化の軌跡(箱庭の中の、キマイラのそれ)。混ざり合った、悪夢の形。不完全な進化。人の形を僅かに残した、それは、そう。彼女の言葉通り。他でもない、私自身が見、そして、恋い焦がれてしまった殺戮の歴史の象徴。胎児の見た夢。

 全て、全てを包み込む。未だ、迫り来る光を覆い隠さんと伸びる茨の群、棘の庭園、育ちゆく痛み。この閉じ切った心の中、何処までも限定的な条件付きの瞬間移動を繰り返し、この、腕の中に抱いた。この世界で唯一の花、小さな小さなその色を抱いて走りに、走り。

 

 何処かに。逃げ場がある筈だと。この暗闇の先。光の届かぬ場所がある筈だと。探し、探し。駆け抜けて。

 

 そして。逃げに、逃げた。その先。深く深く沈んだ、闇の向こうに。

 迫り来る光とは。崩れ落ちる世界の亀裂とは違う。一筋の。小さな小さな光を、見て。

 

 手を伸ばす。片手に彼女を抱きしめたまま。その、光へと。

 

 

 

 

 伸ばした手は。光に触れ。

 

 私の意識は。この、夢から醒める事なく。

 さらに深い。深い、深い、闇の底。光り輝く幻想へと向けて。

 

 

 

 境を、越えた。


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