夢見る小石   作:地衣 卑人

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十五 長い夢の最後に見る夢。夢の終わりが近付く。夢が終わるのだと分かる。だから、朝陽が昇る、その前に。

 

 

 

 

 結局。どれだけの間歩いたのだろう。

 結局。私は。どうなったのだろう。

 

 ぱらぱらと崩れ壊れていく両手の平で何かを包んだ気もするし、ぽろぽろと崩れ壊れていく体と一緒に何かを失くしてしまった気もして。何かを得たにしても、何かを失ったにしても。彷徨い歩く私は心だけしか持っていなくて、満たされたような、空っぽになったような。そんな心地で、心地のままで。幻の世界、夢の世界。現から切り離されたこの世界で、現の自分から切り離されて。溶けていくのを感じるだけ。

 

 星の湖。音の無い湖。人の気配は無い。人魚の歌も聞こえない。魔法使いの流れ星も、羽ばたいていく火の鳥も無い。湖畔に在る筈の赤い屋敷も遠く見えず、在るのは、見慣れた、上下の宇宙。

 暗い暗い宇宙。泣いているように降り注ぐ無数の光、星の多い夜、八つ。落ちてくる星の音はこのまま全てを捌いていくのだと。私の心は抜け殻を置き去りに、ここで朽ちていくのだと。

 

 静かに世界が終わっていく。私の世界、私だけの世界。世界にとっては私一つ、転がる小石の一つが無くなるだけでも。私にとっては、全ての終わり。世界の終わり。我が侭に我が侭に振る舞い続けたその結末。思っていたよりも穏やかで、酷く静かなことは、少し意外なような、けれど、そうでもないような。只。

 

 私は、まだ。彼女に会っていない。こいしに会っていない。一人寂しく笑う彼女が、独りではないことを。暖かな、暖かな。あまりに優しくて、現実のそれとは思えない。地の底で今も待ち続けている……灯り続けている。彼女の思いを伝えなければならない。

 

 

 両手を掲げる。はらはらと薄く剥がれ落ちる肌はいつかの夢で見た花弁にも似て。その奥に覗き、淡く輝くその光は、そう。始まりの夢、こいしと出会ったあの夢で見た、命の光のそれ。不安定でおぼろげで、瞬く間に霧と消えるその光。

 

 

 崩れていく。崩れていく。透明な歯車、透き通る螺子。針、発条、香箱、竜頭。剥き出しのままであったならば、錆びてしまうのは当たり前。ちり、ごみ、ほこりに塗れたならば止まってしまう歯車式の計算機。時計仕掛けの夢の終わり。これだけの間保ったのは、きっと。この世界の空気が余りにも澄んでいたからで。

 崩れながら、崩れながら。光を放つ。光を放つ。夢の世界に溶け込んでいく。繋がり繋がる一つの世界に溶け込んでいく。

 

 

 夜に見る国。隣り合わせの幻想。死に近く、無に近く。そんな世界に。

 

 

 こいしと出会った。あの世界へと。繋ぐ、繋ぐ、心を砕いて。

 

 

 私の夢は。暗い暗い小さな宇宙、空に走る亀裂、湖に映りこむ亀裂。あの時必死で背を向け逃げた、湧き出した光、伸びる草木の蔓にも、そして、根にも似た。

 

 

 

 その光に。呑まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしささえ憶える真っ暗な空間。黒なのか、白なのか。青なのか、赤なのか。あの時のそれよりも澄んで見える世界。胎児の見る夢、移り映り変わり続ける変化の夢は、遂に、亀裂の先。今、この時に追いついて。

 

 真っ暗な世界に、肉を失った体で立つ。酷く穏やかな心地。酷く落ち着いた心。このままそっと、育ち続けた痛みを忘れて消えてしまいそうなほど。でも。

 

「色んな人の夢を見てきたよ。色んな人の心を見てきたよ。私の目で見てきたよ」

 

 薄い紙の上に落とされたインク、規則的に並んだ不規則な世界。伝え聞きのそれではない、実際の世界。実際の思い。模範も規則も無い、パターン化出来ないランダムな景色。

 それを。伝えなければならない。

 

「悲しい夢も見た、怖い夢も見た。優しい夢も、暖かな夢も」

 

 言葉を紡ぐ。記憶を辿る。想起する光景がそのまま世界に映し出され、出会ったひとたちの顔や、夢や、心が映し出されていく。

 沢山の思いを知った。世界を知った。私の目とは違う、第三者の目を通した世界は、まったく同じ景色であっても異なる色で輝いていて。

 

 もう。読まなくていいと思っていた。読みたくないと願っていた。あの時抱いていた思いが、いつの間にか。もっと見たいと。もっと知りたいと。そう感じていたことに気付いて。

 

 

 だから。

 

 

「此処でなら……私の心なら。こいしにも、伝えられる。心を読めないこいしにも。私の見てきた幾つもの心を……一番。伝えたい人の思いを」

 

 

 其処に立つ。緑色の髪、瞳。紫色の心の目。閉じた瞳を持つ彼女へと、言葉を投げる。歩み寄る。

 

 そして。想起する。暖かな時間を。彼女と出会ったことを。心を繋いだことを。中途半端な私だから。二人を繋ぐ瞳になれる。二人の心を繋げられる。

 

 温もりを。喜びを。悲しみを。痛みを。伝えたくとも言葉に出来ないその思いも。吐露することを恥らうその思いも。全て、全てを隠す事無く、分かち合い、共に笑い、共に泣ける、そんな、そんな。

 

 さとり同士の心の通い。さとりにしか出来ない、剥き出しの心での会話を。

 

 

 そんな。私の映す想起に。

 

 ぽつり、と。ぽつり、ぽつり、と。

 

 彼女の思いが雫を落とす。私の心に小さな波紋を描いて溶けて。混ざり混ざり合う心、思い。独り彷徨い続けたこいしの。盲目のままに歩き続けたこいしの心が流れ込む。

 

 ぽつり、と。ぽつり、ぽつり、と。

 

 零れ落ちた涙は、足元。暗い世界に落ちては消えて。見れば、彼女は。そして、彼女の目に映る私も。泣いているのだか、笑っているのだか。分からない表情で、いや。実際、笑っても、泣いてもいるのだと。

 

 こいしの心。私の心。さとりが私たちをを想う心。私が彼女たちを想う心。そして。

 

 こいしが、私たちを。閉ざされた目蓋の向こうで。想い続けていた、想い続けてくれていた。その、心を。心を、知って。

 

 

 彼女の手を取る。いや。それは、鏡写しのように。互い、互いに、近付き、手を伸ばし、掴み合い。言葉も無く、小さな嗚咽は、すぐに抑えが利かなくなって溢れ出し、手を握りあったまま、わあわあと声を上げて泣き。

 

 

 もう。夜明けが来てしまう。夢の終わりが近付いている。もう、留まる訳にはいかないのだと。消えてしまうわけには、いかないことを。彼女の心を知った私は、選ぶ道は。世界は一つだけしかなくて。

 

 

 独りなんかじゃない。私たちは。互いに想い合っている。確かに、誰かに想われている。心の壁を隔てながらも、互い、互いに想い合っているのだと。

 

 

 私たちは。心を繋いだ、私たちは。そのまま。

 

 

 

 二人、二人で。夢の中で、泣き続けた。

 

 

 

 

 


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