夢見る小石   作:地衣 卑人

18 / 20
十四 夢を見る人を夢見る夢。覚めることなんて無い夢の中、彼の目覚めを待つ人の夢。彼の目覚めを夢見る夢。

 歪んだ科学世紀の軋みが火花を上げて熱を発し、溶け出した無機質が固まる前の菓子のように線を引いて落ちていく。西から東へ、また、逆も。狭い視野の中で見つけ出した限定的な理屈を満遍なく広げた世界は、広げた分だけ薄く、脆くなったよう。科学に対する完全な信仰を謳いながらも、霊峰と呼ばれたその山の下に穴を開けることさえ出来ず。大気の外に放った箱庭に神の住まう社を設け。原因不明の病を隔離し目を背けた。それ等もまた、溶け出した無機質の幻視、それを映し出すに至った理由の一片で。

 

 外の世界、内の世界。立場が違えば鏡のように反転し同じものを映しながらも全くの逆になる世界。

 現と幻。境は、人と妖の出会う場所。人間にしてみれば異界との境界線。それは、私たちにしてみてもそう。昼と夜、明かりの下と闇の上、目に見える世界、見えない世界。何時何時定まったのかもしれない住み分け、線引き、その線の上。其処にいるそれが誰かも知れない。目の前にいるそれが何かもしれない。強すぎる光に目を眩ませながら迫りくる闇に覆い隠されたその世界は、人も、妖怪も、或いは、神も。誰が誰かも分かりはしない。そんな、境、境に。

 

 踏み留まって居てはならない。人が踏みとどまり続ければ、暗闇を塗り固めた、彼らに飲み込まれてしまう。妖が留まり続ければ、光の中に住む彼らに討ち捨てられてしまう。互い互いに、互いの場所に、留まっていてはならないのだ。誰が決めたのかもしれない理。誰もが背けない道理。

 

 それを。破ることは出来ないのだ。人のままでは在れない。妖のままでは在れない。境は越えられない。生まれ持ったそれを捨てることもかなわない。新たな形になろうとしても、崩れてしまい、壊れて終い。だから。

 

 だから。私は、こうして。夢と現の境界線。夢の世界に立っていて。。小さな鍵となる姿を。一つの松明になる姿を。その意識を探し回っている。

 

「こんばんは。良い夢は見れてる?」

 

 空っぽの世界。真っ暗でも無ければ、光に溢れているわけでもない。聞こえるのは心音を表したパルスと想起する無機質、緑の光。けれど、それだけ。伽藍堂に落ちた刺激は、そのまま深く、深くに落ちて、落ちる途中で落下する、人工衛星、デブリの熱と光を放って燃え尽きていく。

 今、私が居る夢は。彼の夢。私に良く似た姿を描いて、幻想郷へと迷い込んだ彼の意識、その抜け殻。夢から夢へ、彼の近く、記憶に残る姿、そして。幻想郷の彼方此方に残る彼女――熟し切る前の果実の色、紫色の瞳をした彼女を――その残り香を頼りに、探し回っている。

 

「見れてるよね。だから、戻って来れないんだ。見れてるはずだよ。だから、ここには居ないんだ」

 

 意識は途切れたまま。夢に落ちたまま。外の世界の人間は、彼の体を緑色のサナトリウムに閉じ込めて。理解の外に有る景色にはシャッターを降ろし暗く閉ざし、意識の外へと追い出して。故意に陥る盲目、硬く閉ざしたつもりの瞳は、誰もが生まれ持つ好奇心という鍵に依って抉じ開けられる脆い秘封。溶け出した無機質は、きっと元は厳しく鉛色に冷たげに光放つ南京錠で、生じた歪は閉じたはずの箱の中で揺さぶられ箱を叩き軋み軋み鉄と鉄の擦れ合う音を放ちながら火花散らし熱を発し自壊していったその末路。捨て切れぬままの幼心で突き立てた鍵、歪の欠片を集め集め疑惑を抱き抉じ開けようとした封印。人々が隠した、隠し続けた向こう側。外へ外へ、人の手の届くこと無い異界へと。追い出し続けた――そうやって。遠く、遠く、運び出して置き去りに。けれども捨て切れず、意識の端に引っかかったまま忘れてしまった無数のもの、もの、ものの山。そんな、|瓦落多扱いされた物が溜りに溜まったその世界《ゴミ捨て場》に。彼もまた、半ば、自ら。いや。

 

 私が触れた、その所為で。壊れかけの心、意識を、境の向こうへ投げ捨てた。

 

 残ったのは、空っぽの体。空っぽの意識。逃げ込もうとする彼の意識、捨てようとした弱い心。同一のそれ、同一のそれは。

 

 未だ。幻想郷を彷徨い続けて。人の姿かたち、心、在り方。彼自身を。削りながら、崩しながら。彷徨い、歩き続けていて。

 

「このままあっちに居たら、あなたは無くなっちゃうからね。あなたはそれでもいいって思ってるかもしれないけれど、望んでるかもしれないけれど。私はそうなっちゃったら、少し悲しいんだ」

 

 いろんなひとの姿を見て。いろんなひとの心を見て。きっと、彼は、彼は。この病室に体を残して浮遊する、彼の心は、きっと。

 

「あなたは、こっちに居るときから、人の心が見れたんだったっけ。嫌なものも沢山見たね。言葉にしなければ伝わらなかった筈の気持ちも、全部全部ぶつけられて。間違ってるって思われたり、正しくないって思われたり。罵られたり、蔑まれたり。とてもつらくて。そう。つらかった」

 

 彼の記憶、彼の記憶。私の記憶、重なり、重なり。流れ込み流れ込む光景、景色、心の色が浮かび、移され、混ざり合って。

 

「好かれたり、嫌われたり、恨まれたり、嗤われたり。悲しんだり、怒ったり、恨んだり、迷ったり。色んな気持ちが渦を巻いて、そんな流れに振り回されて。私たちは、どう在ればよかったんだろう。どうすればよかったんだろう」

 

 分からない、分からない。答えなんてものは、心の瞳を閉ざした今でも、見つからないまま。でも。

 

「……連れ戻すよ。いや。追い出すよ。私たちの世界から、あなたが目を背けた世界へと。あなた自身を消さないために」

 

 エゴなのだろうと、そう思う。けれど、私は。私に良く似た彼に、消えて欲しくはなかった。心を通じ合わせた彼が消えて、一人になるのが怖いだけなのかもしれない。それでも。

 

 彼を消さない。人の世界に送り返す。そのための鍵は。彼の手に押し付けなければならない、鍵は。灯火は。まだ、見つけることが出来ないままだけれど。刻々と壊れていく彼、その体と心が崩れ切り、意識を失くすその前に。

 見つけなければならない。見つけなければ――

 

「――ああ、なんだ」

 

 私の背後。開いた裂け目、何処に続くのかも知れない隙間。其処から、誰かが。足を踏み出し、彼の夢へ。私の今居るこの夢に立つ。そんな、気配が。気配が、して。

 

「あなたも、探してくれてたんだね。入れ違いになったこともあったのかも。何処に居るのか、連絡くらいくれたら良かったのに。ね」

 

 

 メリーさん、と。

 

 

 捜し求めたその名を呼んで。振り向き、彼女、私の姿を見て驚く、彼女へと向けて歩を進め。

 その手を。柔らかな手を、暖かな手を。

 

 淡く、優しい光を抱く。その手を、握った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。