夢見る小石   作:地衣 卑人

16 / 20
十二 目が眩む程に明るい夢。私もあんな風になれたら。夢の中で見る姿、あまりに明るいそんな姿に憧れて。諦めて。

 熱で溶かされ引き延ばされた。砂糖の粒、紡ぐ糸。指先、絡め、空で回して。立ち上る煙は、手繰り丸めた甘い糸に似て。星の銃弾は、まさに砂糖菓子のそれ。暗い夜空に浮かんだそれは、飛び交うそれは。星の下でまた瞬いて。冷たい地面に近い中空、ずっとずっと高い空から、まるで流れ落ちたよう。

 放る彼女は、彼女自身は。色取り取りの甘い甘い爆発、私の知らない色に染まった。その空模様と打って変わって真っ黒で。金色の髪が空の明かり、咲いたそれに照らされて。

 

 こいしの姿を探して浮かび。夜空を漂い、辺りを見回し。見回すうちに、地上、爆発、光の群れ。飛び交う、何か、空に浮く人。何度か姿を見掛けだけはした――郷の中心、紅と白。近く、白と黒……二人の少女の姿があって。

 

 二人の姿、私の目、引き付けたのは。白と黒、小さな魔女。彼女のその姿は、人形に囲まれた彼女の夢で。星と人形、似た色の。彼女の心に浮かぶ彼女は、やはり、その、心の奥に。彼女の姿を思い浮かべた。

 

 開いた第三の瞳。私の瞳は、彼女(こいし)のように。閉じきっている訳では無く。開けば、覚としてのそれ。心を覗き、思考を眺め。彼女の深く、深くまで。視線を沈め、心を知って。夢の中で見るように。私のこの眼に映るのは。彼女の心像、彼女の想像。空想、幻想、そして、そう、他でもない。私自身の思い浮かべた。現実のそれと重なって。夢と現、重なる世界。心の内、浮かんだ景色、幻視の夢。

 

 そんな、私の。夢と現実、重ね合わせて眺める私の、緑の髪を。一筋の光、冷たい光が。攫うように、裂くように穿ち。

 

「野次馬は誰? 天狗でもいるのかしら」

 

 夜の闇。暗がりから。気付かれることは無いだろう、と。高を括った私へと。鋭く、その、言葉が投げられ。

 赤い少女。澄んだ少女。空のよう、空のよう。余りにも澄んだ彼女の心、目を凝らさずともその奥底、深く深くまで見通せそうな―――

 

 また。次は、赤と白。先のは、針で。次は、札。私の動きは余りにも遅く。札は速く。けれど、先の針より、は。痛くは無さそう、無さそうだと。

 思った。頃には。

 

「っ!?」

 

 私の手。避ける間も無く手を叩く。札、一枚の紙、当たっただけ。只の紙だと、紙だというのに。

 激しい痛み。弾けるように。痺れるように。奪われるように。私の左手、只、一枚の札が貼り付いただけ。見た目変わらず、けれども、それは。

 まるで。肉を抉られたよう……

 

「――痛、っ、何、痛、痛――」

 

 札を剥がそうと。する頃にはまた、次の札。数枚の札。慌てて逃げるも、札は、札は。私の跡を追って迫り。

 

「良いじゃないか、見物客の一人や二人」

「視線が鬱陶しいのよ。地底のあれみたいに……いや、もっと」

 

 言葉の意味、考える暇すらも無く。迫り来る札、それから逃げて、逃げて。左手の痛み、入らない力。怪我、肌の下、流れるだろう赤が覗くことは無いにせよ。剥がすことさえ出来ないまま。

 

 彼女たちの遊びのように。弾き落とすことさえ出来ない。彼女たちの張るような、不可視の壁さえ生み出せず。夢の中なら知れず、荊の壁、札を阻む蔓の群。私の視界に落とされた、私の求める障壁は。全て、全て、幻視でしかなく。札と私、射線、遮ろうと。ただ、透けるのみ。何一つとして。何一つとして私を守るものは無く。

 

 今までに無い速度。全力で空を飛び回る。あの時のよう。身体、獣と成り果てて。迫る蔦から逃げ回った――異なるのは。

 

「ッ、――」

 

 咳。零れ落ちる歯車、部品。動き、鈍り、また。寸での所で札を躱して。

 

 空を飛び回る。本の数枚の札。私がもっと速ければ、振り切り逃げだせたのだろう。辛うじて避けた札、新たな札。追い払おうとしているのだろうけれど、余りにも遅い私の飛行。避けるのに精一杯で、彼女達に。背を向け、逃げ出す暇もなく。只々、同じ場所を行ったり来たり。身体、疲れ、ぐらつく視界。せめて何処か、何処かに。逃げる場所は、隠れる場所はと、探し、探し、探して―――

 

「っ!」

 

 見つける。その。広い広い、透き通ったそれへ。視線を向ける、心を繋ぐ。この身を空に投げ打って。その酷く澄んだ心へと、私の心を潜り込ませようと。札を躱し、否、躱せず。この体、全身に。走る痛みと、脱力感。体が落ち行く感覚と共に。

 私は、この。脆い体を置き去りに。

 

「なっ」

 

 瞳を、閉じた。

 

 

 

 

 

 

 青い青い世界に浮かぶ。体の痛みは其処に無く。有るのは只、浮遊感。体を縛るものは何も無く。重みの一つも感じない。どうやら、現実。痛みからは。逃げ果せたようと安堵する。

 そして。此処は、此処は。

 

『……やっと起きたか』

 

 空、と。理解するが、早いか。鼓膜を揺らした、少女の声。

 起き上がれば……空中で。体の向きを、変えてみれば。其処には。

 

「初めまして、霊夢さん」

 

 紅白の少女。他の誰よりも朧な姿、形をした。器の中身、彼女の心。手を伸ばしても、きっと。掴むことすら。

 

『何処よ、此処。あんたは―――』

「誰なんだろうね。そんなことより」

 

 彼女の姿は、ぼやけたそれで。視線の一つも合わせられない。面と向かって話すには……まるで。揺れる葉にでも語りかけるよう。

 

「もう少し、自分の姿を意識してほしいな。あなたの思う霊夢(あなた)の姿を」

 

 彼女の心は。彼女にはない。目は、何処に向いているのか。言葉は、どこから紡がれているのか。

 

「あなたは、何なの? 他の人とは全然違う。人間?」

 

『――――失礼ね』

 

 私の言葉。半ば、反射。一度思い浮かべたならば、それは、隠すことなど出来ず。彼女の姿は、先の空。紅白の服、黒い髪。姿形に納まって。

 

『人間よ。私は、博麗霊夢。巫女よ』

 

 もう。彼女の姿はぼやけてなどおらず。はっきりとした姿。整った形。彼女の思う自身の姿、何一つとして飾らない。現実のそれと同じ姿。

 しかし。

 

「……何だろう。」

 

 まるで、仮の姿。それは、中身のない器――いや、彼女の夢の中(ここ)では。今目の前に居る彼女こそが、その器の中身であると知りつつも。

 

『……で。此処は、何処』

 

 そんな彼女は、私に問いかけ。その目に映るのは、この空に映るのは。煙となって渦を巻く苛立ち、染まる怒りの色。例え、夢の中とは言え。彼女が腕を振るえば、私は容易く傷付けられて。

 

「此処は、あなたの夢の中だよ。あなたから逃げたくて、飛び込ませてもらったんだ」

『なんで、逃げるのに私の方に来るのよ』

 

 仏頂面で言う彼女。苛立ちは未だ、空に渦巻き。それでも、先よりは晴れ、薄れたよう。外で見かけたときと同じ、喜怒哀楽がはっきりと浮かぶ――裏表の無い。考えたままに態度に浮かぶ心情、思考。他の人間とは異なった。そして。

 彼女の心。幽かに感じる――彼女(こいし)の気配。きっと、何度も。彼女は、この巫女へと近付いて――気付いたかどうかなんて、分かりはしないけれど。それでも。

 

 彼女が興味を持った人間。彼女がもっと知りたいと思った人間。それは、私の心もまた。無意識の内に惹き付けて。

 

「……あなたは」

 

 何、と。彼女は。夢の中、瞳、第三の瞳、私の瞳。その三つ目の一つ目が、彼女の二つの目と繋がって。

 瞳の奥、人間としての生、妖怪達と比べれば、余りに短いその記憶――けれど。それは、積み重なった活動写真のフィルムの山。幾つもの物語。目を引き付けて止まない、思わず見入る無数の景色、誰かの顔、先に見た。空を埋める花火、幾何学の光。

 

 紅い屋敷。霧の世界。光を失っても尚輝く世界は紅く、紅く彩られた。

 

 雪に混じる花弁。幽明の境。白い世界は、墨染め、満開の桜に塗り潰されて。

 

 宴の日々。月明かり、照らされた白、酔いを運ぶ鬼の霧に覆われ。

 

 永い夜。欠けた月。隠されたそれ、放つ狂気の色を見詰めた。

 

 溢れ返る花。風の吹き荒れる山。地底の太陽。宝船の跡を追い、欲の生んだ心を追い。

 

 続く、続く。物語。それは、今、この時まで。

 彼女は、彼女は、多くの人、妖怪、境を超えて。今の私のように。幾つもの心を引き寄せた。記憶にある顔、私の知る顔。そう、そこには。

 

 こいしの姿も。さとりの姿も。確かに、あって。

 

 

 それは。余りに眩しい記憶、心。彼女の想いは、飾ることも無く。只々其処にあるだけ。誰にも揺れず。誰にも傾かず。在りのまま。そのままの姿を晒し続けるだけ、だけで。

 こんなにも。多くの人、妖。その中心に、彼女は在って。

 

「――色んな人に好かれてるんだね」

 

 傍迷惑な奴等にね、と。浮かぶ顔、浮かぶ顔。境の妖怪、鬼、天狗。悪魔や、亡霊、月の人。次々と浮かぶ顔、顔、声――

 

『……何、悲しそうな顔してるのよ』

 

 無意識の内に。見れば、確かに、景色、空。彼女の心、先まで染まった怒りの色は失せた切り。覗くのは、私の色。冷たい色が滲んでいて。

 

 言葉。発しようと想っても。何て、返したら良いのか。分からず。これは、空に浮かんだこの色は。他でもない、私の……妬み。僻みによって滲んだ色で。

 

 

 一歩。彼女から遠ざかる。遠く聞こえる声、白黒の魔女、彼女が呼ぶ声……眠りに落ちた彼女を呼ぶ声が、聞こえて。

 

「……私は、行くね。ごめんね、遊びの邪魔をして」

 

 そのまま。彼女に背を向けて――

 

 

 

 手を、掴まれる。思ってもみなかった、彼女の行動。誰に対しても深入りせず……それも、たった今出会ったばかりの私に対して。

 

『……やめてよ。そんな顔向けられたら、目覚めが悪いったらありゃしないわ』

 

 彼女は、言う。裏表の無い。なんら、意味を籠めたわけでもない。他意もない。彼女にとっては、只、自分の思いに則った――私のそれとは、余りに異なる。

 酷く眩しい姿で。羨ましい姿で。

 

 理解する。彼女は。自分の姿も意識せず。想うまま、誰もが羨む在りようで生きる。そんな彼女の眩しさ。揺れない姿。だから。

 彼女達は。人妖は。そして、こいしは。皆、彼女に惹きつけられた。知りたいと思った。そう。

 

 そう、理解して。

 

「……ごめんね。でも、もう大丈夫。ありがとう、あなたに会えて良かったよ」

 

 掴まれた手。そっと、離して。

 精一杯の笑みを向ける。彼女のようには成れないな、と。一つ、諦め、けれど。

 

 何処か。何故か、晴れた心で。

 

 納得したとは言い難い顔、そんな彼女を呼ぶ声、現へ引き戻される中。私は。

 

 

 空へと。暗い、暗い、静かな空へと。一人、夢から抜け出した。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。