MH tie cycles   作:アローヘッド

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望みの担い手 一

 鬱蒼とした林の中、人間の姿一つなら簡単に隠せそうな大木に背をくっつけて、僕は背後に耳を澄ましていた。徐々に小型モンスターの群れが近づいてきているのだろう、どたどたとした足音が次第に大きく耳に入ってくる。

 僕は息を一つ吐き、しっかり防具を装着できているか確認するよう自分を見下ろした。胴、腰、腕を包んでいるのは、濃い青色の甲殻で出来た防具、クックU装備(クックというのは大型モンスターの中では一番危険度の低い一種である鳥竜種、イャンクックの略称。本来オレンジ色の体をしているが、まれに青色のそれである亜種もいる。そのモンスターを討伐して剥ぎ取った素材から作った防具を着用している)。腰には、双剣の皮製の鞘が掛けられていた。

 両手には銀の光沢を放つ双剣。名前は、ない。正直に言ってしまうと、コネで作ってもらったものである。特別に所属していたギルドで作られたオリジナルであり、本来新人なら手が出せないような優秀な武器らしい。

 その新人である僕は新人らしく、緊張に強張ったあちこちの筋肉を抑えるよう深呼吸を繰り返していた。だが、ラージャンと対峙した時の心臓が張り裂けるような恐怖に比べればかわいいものだ。

 ほぼ押し付けのような形で戦場に放り出されたが、もしかするといい方向に進むかもしれない。ギルドに避難している難民達は極限まで精神的に追い詰められている。そこで僕が小型モンスターの群れを討伐し、勝利の報告を持って帰れば、少しは楽になって団結の一助になってくれるだろうか。

 がさり、と一際大きな音が聞こえ、僕は双剣をぐっと握り締め、呼吸を止めた。群れの一匹が、僕から見て大木のすぐ後ろに横たわっている落ち葉を踏みつけたのだろう。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。つい数日前、どんなとんでもない化け物を倒したと思っているんだ、と。

 足音が近づいてくる。一歩、二歩、三歩――。

 視界の右端に青色の体躯が現れた。

 刹那、僕はそちらに向かって疾駆する。走りこみながら、モンスターの種類を識別するよう体中を見回す。青い鱗に鋭い鉤爪。山吹色のトサカ。黄色いくちばしから人間の肌など簡単に貫けそうな鋭い牙が覗いている。ランポスだ。

 それを認めた瞬間、僕は右手を肩に担ぐように振りかぶった。そこでようやくランポスがこちらに気づいたのか、びくりとこちらを向いたが、手遅れだ。細長い首へ右の剣を斬り下ろした。

 両断された首から血しぶきがあがる。確かめるまでも無く絶命したモンスターから視線をはがして、僕は右を向いた。

 目に入ったのは、呆気にとられたように、たった今首を斬り落とされた一頭を凝視しているランポスの群れ。視認したところ、五頭。たいして多くはない数だ。

 一番手前で棒立ちしているランポス目掛けて走り出す。だが、剣の届く範囲に踏み込む寸前、我に帰ったランポスはひざを折って、後ろへ飛んだ。ほか四頭と足並みが揃う。四頭も仲間の回避行動を見て状況を飲み込んだのか、頭を低く構えた。

 ランポスのような小型鳥竜種は、一頭で辺り一帯をめちゃくちゃにする大型モンスターと違って、複数での連携攻撃を中心に獲物を仕留めようとする。一頭だけこちらに突っ込んでくれ、向こうから各個撃破しやすい状況を作ってくれるなどと期待しない方がいい。

 やはり、左右の端のランポスがこちらを睨みながら、僕を挟み込むようにゆっくりと歩き始めた。それぞれの隣にいたランポスも続いていく。包囲してくるつもりだ。対して僕は双剣を構えたまま、その場でぴたりと足を止めたままだった。

 囲みから逃げ出すことは難しいだろう。足の速さには自信を持ってはいるが、当然、モンスターには到底敵わない。せいぜい動きが最も緩慢と言われている岩竜バサルモスにどうにか追いつけるくらいだ。

 だからこそ、包囲を防ぐには攻勢に出る。

 左端のランポスが僕の真横に来たと同時、僕はその方向を向いて、右の剣を肩に振りかぶって駆け出した。

 だが、対する標的は、最初にやられた一頭を見てこちらの武器を警戒していたのだろう。すぐに回避に出られるよう、両ひざを折って姿勢を低くする。剣がランポスの首に届く所まで僕が踏み込んだその時、右腕を走らせる。するとランポスは小さく後ろへとステップし、剣が空を切った。

 すきだらけの体勢になった僕に、ランポスが鉤爪を振り上げて飛び掛る――刹那、僕は右腕を振りぬいた勢いを借りて体を左回転させて、そのまま左の剣を薙いだ。

 第二撃がランポスの首に吸い込まれ

 

「あ」

 

 空振った。剣先が拳一個分のすきまを開けて首の前を横切った。

 危機感に急かされるように僕は右に横転した。すると一秒もたたず、僕が首があった中空をランポスの爪が斬り裂いた。

 恥ずかしいミスをしてしまったが、いちいち気にしてはいられない。すぐに立ち上がろうとして、その時、背後から地を蹴る音が聞こえた。

 

(――っ!)

 

 今度は左に横転する。間髪いれず、僕が座り込んでいた地面に、死角から飛び掛ってきたランポスの牙が突きこまれた。

 その向こうから、三頭が僕に向かって駆けている。

 このままでは防戦一方になってしまう。立ち上がり、双剣を構え、迫ってくる三頭とそれに続く二頭を見渡した。

 どう攻めればいい。手前の一頭を倒せたとしても、後続に攻め込まれることは目に見えている。

 手前のランポスが僕に肉薄し、鉤爪を振りかざす。結局僕は何も対処法が思い浮かばず、右へ走り出した。だが、そこへ後続のランポスが大口を開けて迫ってくる。

 僕の息が詰まり、反射的に右の剣を首の前に構えた。

 ランポスの牙が刀身に激突する。やはり力で勝てるわけがなく、ぐいと剣が押し戻された。元からやりすごす時間を稼ぐことしか考えておらず、僕は右にステップし、同時に剣を引く。支点を失ったランポスがもつれる足取りで踏みとどまった。

 そこで、自分がまた目も当てられないミスをしたことに気づく。右の剣で奴の牙を受けている数秒の間、左の剣でその首を絶てたはずだ。

 四頭が首を低くして、ゆっくりとこちらに歩いてくる。包囲してくるのか、それともまた正面から一斉に畳み掛けてくるのか。

 答えは後者だった。三歩で届くほどの近さまで迫った時、先頭で頭を並べている二頭が吠えと同時に駆け出す。

 僕は一息吐き、回避を取ろうと腰を低くして、しかし気づいた。

 最後に僕に牙を突きたてようとしたランポスが、視界から消えている。

 僕が反射的に後ろを向くと目に入ったのは、目と鼻の先でがばりと開かれている真っ赤な口腔だった。

 息を呑み、上体を左に伏せる。牙が僕の頬をかすめ、ぴしりとした痛みが走った。

 間一髪で避けた。そう思った瞬間、ドンと背中が重い衝撃に殴られた。

 体が前に吹き飛ばされ、土を巻き込んで地面に叩きつけられる。衝撃で分かる、先頭の二頭のどちらかが僕の背中に飛び蹴りをいれたのだ。

 よろめきながらも咄嗟に立ち上がり、ぐるりと後ろに視界を戻した。こちらに走っていた五頭がそれを見た瞬間、足を緩めてじりじりと距離を詰め始める。

 鋭い痛みが脈打っている頬から、生暖かい血が首へ滴るのを感じる。背中への鎧越しの衝撃が残り、浅い呼吸しかできない。

 

「……なんて、情けない」

 

 小さな声で、自嘲を吐いた。

 もはや言い訳のしようもなく押されている。敵が強いのではなく、自分に苛立つほどこのハンターがひどすぎるのだ。

 ラージャンを倒したことで天狗になっていたのだろうか。それが、自分の弱点を埋められる要因になるわけがないというのに。

 僕が、小型モンスターの群れがひどく苦手だという弱点を。

 一頭が相手ならなんなく倒せる。だが、群れを相手に勝てたことは一度も無い。よくて一、二頭を倒して逃げるだけだ。群れと相対すると、まるで思考が真っ黒な何かにずしりとのしかかられたような感覚に襲われて、混乱してしまうのだ。モンスターの暴力をどう捌いて、どう攻めに転じるかが思い浮かばなくなってしまう。

 

(……なんでかは分かってる。分かってはいるのにな)

 

 じりじりと距離を詰められ、僕は後ずさる。

 突如、

 

「おい! 何やってんだよ!」

 

 背後から声。どこか甲高さの混じった不快なそれで分かる、僕をこの戦場に駆り出した銀髪の男性が、戦況を確かめに来たのだ。それだけでも危険だというのに、声まであげてしまった以上この男までターゲットにされてしまう。

 

「早く戻って。巻き添えにされます」

「お前が勝たなきゃ何もかも終わりなんだよ! 分かってんのか!? ……そうだ」

 

 何か思い出したように、期待の混じった声があがる。

 

「鬼人化! 確か双剣使いならできるって聞いたぞ! なんか強くなるんだろ!?」

「………」

 

 当然、僕もそれは知っている。体力を消費して、気力を高めて自身の身体能力を引き上げる技だ。双剣使いなら、普通誰でも使えるはずである。普通なら。

 

「おい! さっさとやれよそれ!」

 

 答えにくいが、仮にも戦場であるこの場で情報交換を遅らせるわけにはいかない。僕は言った。

 

「できません」

「……は?」

 

 間の抜けた声があがったと同時、群れが獰猛な鳴き声をあげて襲い掛かってきた。自分一人のことだけで手一杯だというのに、後ろの男をかばいながら戦うなど冗談ではない。僕は双剣を腰の鞘に収める。群れに背を向けて、茂みからこちらを覗き見ている男性に向かって走り出した。呆けるようにこちらを見ていた男性の腕を掴んで、無理やり立たせる。そのまま腕を引っ張って走り出した。

 

 

 

 僕達を探し回っているのだろう、後ろから、ランポス群れがどたどたとしきりに足音をたてている。すぐ左で、男性が土の段差に背をもたれかけて座り込んでおり、長い走行による荒い呼吸を抑えるよう深呼吸を繰り返していた。太ももを手で抑えているが、指と指の隙間から血が滴っている。

 勝てないと踏んで逃げには出たものの、やはりその場しのぎでしかなかった。たちまちランポスに背面に追いつかれ、男性に噛み付きにかかった。牙が足をえぐり、男性は悲鳴を上げた。

 僕は男性の腕を引きながら、とにかく群れの視界から消えようと横に群青している茂みに飛び込んでは追いつかれ、飛び込んでは追いつかれを繰り返した。生きた心地のしないあがきを続けていると、左に映ったのは人間程度の大きさなら隠してくれそうな深い段差。僕はためらわず、男性に「すいません」とだけ伝えすぐにジャンプした。

 足にけがを負った男性は着地などできず、尻をしたたか地面にぶつけた。だが、幸いにもランポスは僕達を見失ったのか、段差の上で走り回っているようだ。

 

「……おい、助かったんだろうな?」

 

 男性に並んで段差にぴたりと背を預けたまま、僕は答えた。

 

「まだ分かりません。とにかく少しでも動かないで。奴らの目に入ったら終わりです」

 

 地形を確認するよう、視線をあちこちに向ける。段差の右側に沿うように、大木が地面を貫いている。隠れ場所としては心許ないが、奇襲のためには使えるだろうか。

 

「お前さ……どうなってんだよ。ハンターならランポスなんて倒せるだろ普通?」

「不満なら後で聞きます。今は」

「しかも……鬼人化もできないだ? そんなザマでよく……」

 

 途切れ途切れの声に、怒気がこもる。

 

「よく……荷物検査の時、俺に偉そうに講釈なんかたれて――!」

 

 言葉が止まった。大木の向こうから、がさがさと足音が聞こえたのだ。ランポスが、こちらに近づいている。

 もはや恐怖を感じることすら億劫になってきたのだろうか、僕は浅いため息をついて、泣き出しそうに顔を歪ませている男性の腕をとってゆっくりと立たせた。歩き、大木の根元に着くと、男性を座らせ、双剣を抜く。

 不意打ちで殺せるランポスは一頭のみ。後は男性をかばいながら戦うしかない。

 足音が刻一刻と近づいてくる。すぐ左から嗚咽が聞こえる。両手にのしかかる双剣の重さが、今は心細く感じられる。

 とうとう、大木の向こうからランポスの顔が現れる。こちらを向き、獲物を見つけた昂ぶりに両目が見開かれる。口をがばりと開け、男性の足をえぐっただろう血に染まった牙を僕に向け――

 

 地鳴り。

 同時に、巨大な何かがランポスの胴体を踏み潰した。

 

 ランポスの青い鱗を通して、骨が砕けていく音が連続的にあがっていく。ランポスの目が限界に剥かれ、口から血の塊が吐き出された。胴体のあちこちから破裂したようにから大量の血が飛び出し、根元からは腸のようなものがゆらゆらとたゆたっている。

 呆気にとられたまま、僕はゆっくりとそれを見渡した。ランポスの胴体をもはや板のような薄さにまで潰した物体の先端を、爪のような鋭く光るものが縁取っている。だとしたら、これは足か。

 恐る恐る、上を向いた。

 碧色の顔、双眸。黄色い角。首から胸にかけて、白い体毛が濃く生えている。

 クラナさんとの会話が、自然と脳裏に浮かんだ。

 

『ジンオウガ。この辺りには生息していないはずのモンスターだよ』

 

 その名を持ったモンスターが、そこにいた。たった二頭でギルドを一つ潰した化け物が。

 ジンオウガはすでに絶命したランポスから足を離さずに、悠々と辺りを見回し始めた。ランポスの仲間を探しているのだろうか。だが、少なくともこの場にはいない。

 代わりにいるのは、人間。

 碧眼がとうとうこちらへと動き出す。僕は息もできず、それを見つめることしかできなかった。

 ジンオウガがこちらを捉える――寸前、大木の向こうからランポスの鳴き声が上がった。ジンオウガを見つけ、威嚇をしてしまったのだ。そんなものは自殺行為だと知らずに。

 ジンオウガはがばりと後ろを振り向くと、猛り狂った唸り声を上げ、疾駆した。大木から一瞬しか見えなかったが、巨体からは想像もできない瞬発力だ。ラージャンには及ばないものの、あのスピードから繰り出される踏みつけがこちらを襲った時、どう対処すればいいのか。

 ジンオウガとランポス四頭との戦いは、一瞬だったのだろう。

 大木の向こうから、ジンオウガが吼えた瞬間、肉が潰れる水気の混じった不快音。ランポスから悲鳴は聞こえなかった。代わりに聞こえたのは、喉の奥をしぼったような弱々しい鳴き声。肺が潰され、声が出なくなってしまったのだろう。そのまま凄まじい轟音が立て続けにあがり、それに混じって骨や肉が潰される音が聞こえる。

 大木の向こうから、何か小さなものが投げ出された。地面に落ち、見てみると、ランポスの首。断面が薄黒く焼け焦げている。ジンオウガの武器の一つ、電撃を浴びせたのだろう。

 僕のすぐ向こうで横たわっている、胴体をぺちゃんこにされたランポスが、引きずられるように大木の向こうへと消えていった。次いで、乱れた間隔でぐちゃぐちゃという生々しい音が、僕の耳を突き始める。大木を挟んだすぐ向こう側で、ジンオウガがランポスの肉を咀嚼しているのだ。一歩間違えば、僕がランポスの代わりを担っていたのかもしれない。

 咀嚼音という狂った奇怪な演奏がどれだけ続いただろうか。やがてそれが収まると、先ほどとはうってかわった静かな足音が上がった。もう敵はいないと判断したのだろう、ゆっくりと遠ざかり小さくなっていく。

 やがて聞こえなくなると、僕は震えた息をゆっくりと吐いてどさりと座り込んだ。

 隣を見てみると、男性が汗と涙で顔中を水浸しにしている。ひどく震えきった声で言った。

 

「た、た、助かった、のか……?」

「ええ」

 

 僕は何の感情もこもってない無機質な声で、こう繋いだ。

 

「でも、状況は最悪です」

 

 ランポスなど比較にならない強大なモンスターが、ギルドの目と鼻の先で徘徊している。

 さらに、もしあれが僕の所属していたギルドを壊滅させたモンスターだとしたら。

 多分、もう一頭、この近くで息を潜めている。

 小型モンスターの群れの迎撃。その結果はあまりに予想外で、悲惨なものだった。ギルドに戻るまで、僕達は一言も口を聞けなかった。


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